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2 帰還
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「団長、出発の準備が整いました。ハイス団長?」
ハイスは部下に呼ばれて我に返った。見つめていたのは一週間世話になった町の宿の店主に礼を言っているブリジットの姿。礼を言われた方の店主は酷く恐縮し、ブリジット以上に頭を下げている。するとブリジットも負けじと再び頭を下げるものだからいつまで経っても挨拶が終わらない。微笑ましく見つめていると、部下は驚いた表情をしていた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。出発しようか」
「ああブリジット様でしたか。あれだけ礼を言う必要はないんですがね。聖女様がご宿泊なさったというだけで聖地巡礼のようにこれからこの地は大繁盛の恩恵に預かれるのですがら、むしろこの宿としてはお礼を払いたいくらいでしょうに」
「そこがブリジット様の良い所じゃないか」
「でもまあブリジット様は平民のお生まれですからね。ああしてしまうお気持ちは同じ平民出身としてよく分かります」
部下が先に部屋を出ていく。ハイスは窓からもう一度ブリジットの姿を見ると後に続いた。
「あ、ハイス様! 遅いですよ、置いていっちゃいますからね!」
すでに馬車の近くに立っていたブリジットが大手を振っている。そういった仕草は貴族出身のハイスからすれば珍しいものだったが、好ましく感じていた。
「お待たせしました。すっかりお元気になられたようで、そのご様子なら王都までの長旅も耐えられそうですね。ですがいいですか、途中で具合いが悪くなったら我慢せず教えて下さい」
「私は信用ないみたいですね。大丈夫ですよ、ちゃんとお伝えしますから」
「言いましたね?」
「言いました」
馬車で向かい合わせに座ったハイスと目を合わせると、思わず吹き出してしまった。
「聖女様の御身に何かあれば私は悔やんでも悔やみきれませんし、 何より殿下が悲しまれます」
「大丈夫です。でも、リアム様の悲しむお顔は見たくないですね」
「聖女様にそこまで思われるなんて殿下はお幸せ者です」
ブリジットは恥ずかしくなってしまい俯いた。
リアムとは聖女になったからこそ知り合えた奇跡だった。そうでなければ素敵なあのお顔を近くで拝見する事も、その素晴らしい性格を知る事もなかった。そしてあの唇から紡がれる愛の言葉も。
「聖女様? お顔が真っ赤ですが」
「大丈夫です! これはそういうんじゃありません! そういうんじゃないというか、別に怪しいものではありませんので大丈夫です!」
慌てておかしくなってしまった語彙力を総動員しても立て直す事が出来なかった言い訳に、ハイスは少し心配そうに微笑んだ。
ハイスは大きな身体なのに圧迫感がないのは、きっと意図的に警戒を緩めているからなのだろう。晴れ渡った空を見上げながらブリジットの胸には期待と不安が入り混じっていた。馬車がゆっくりと動き出す。すると外では数人の若い女性達が若干騒がしくなった。とっさにハイスは警戒するように窓の外を覗くと小さな悲鳴が上がった。
「何も異常はないようですね」
「手を振って差し上げたらいかがですか?」
「手をですか? 私が? ブリジット様ではなく?」
「あの女性達はおそらく聖騎士の団長様を見に来られたのかと思いますよ」
「ご冗談を」
「ハハッ、ハイス様はお仕事は大変優秀でいらっしゃるのに、女性の事には疎くていらっしゃいますよね。行く先々で人気がありましたよ?」
「私は神官でもありますからそういった事はよいのです」
少し照れて珍しくぶっきらぼうに言うハイスが新鮮で顔を覗き込んだ。
「でも神官様もご結婚は出来ますよね?」
「している者もおりますが、私には無縁です」
「そうでしたか。余計な事を申しました」
「私などよりも最後にブリジット様のお顔を皆に見せて差し上げて下さい。もうこのような辺境の町には来る事もないでしょうから」
言われるままに窓から顔を覗かせると、集まった小さな町の人々は歓声を上げながら頭を下げたり、手を振ったりしてくれる。この町は邪気の影響を強く受けていた場所の一つでもあった。来た時には町全体が生気を失ったようで活気などどこにもなかった。それが今はこんなにも明るい顔を見せてくれている。邪気に飲まれて失った大切な人々がいただろう。それでも人は前を向き懸命に生きていける。今回の遠征は人の儚さと強さを同時に知った旅でもあった。気恥ずかしさに顔を引っ込めたくなりハイスを見ると、満面の笑みで首を振られる。その顔に頷くと、町を出るまで窓から顔を出して手を振り続けた。
聖女の力を失ったと知った時、国民は元聖女を王子の妃として受け入れてくれるだろうか。リアムの愛を疑ってはいない。それでももし国民が受け入れてくれなければ、リアムには大きな負担を掛けてしまう事になる。それでも今は、もうすぐ愛する人に会えると思うだけで胸が激しく高鳴った。
ハイスは部下に呼ばれて我に返った。見つめていたのは一週間世話になった町の宿の店主に礼を言っているブリジットの姿。礼を言われた方の店主は酷く恐縮し、ブリジット以上に頭を下げている。するとブリジットも負けじと再び頭を下げるものだからいつまで経っても挨拶が終わらない。微笑ましく見つめていると、部下は驚いた表情をしていた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。出発しようか」
「ああブリジット様でしたか。あれだけ礼を言う必要はないんですがね。聖女様がご宿泊なさったというだけで聖地巡礼のようにこれからこの地は大繁盛の恩恵に預かれるのですがら、むしろこの宿としてはお礼を払いたいくらいでしょうに」
「そこがブリジット様の良い所じゃないか」
「でもまあブリジット様は平民のお生まれですからね。ああしてしまうお気持ちは同じ平民出身としてよく分かります」
部下が先に部屋を出ていく。ハイスは窓からもう一度ブリジットの姿を見ると後に続いた。
「あ、ハイス様! 遅いですよ、置いていっちゃいますからね!」
すでに馬車の近くに立っていたブリジットが大手を振っている。そういった仕草は貴族出身のハイスからすれば珍しいものだったが、好ましく感じていた。
「お待たせしました。すっかりお元気になられたようで、そのご様子なら王都までの長旅も耐えられそうですね。ですがいいですか、途中で具合いが悪くなったら我慢せず教えて下さい」
「私は信用ないみたいですね。大丈夫ですよ、ちゃんとお伝えしますから」
「言いましたね?」
「言いました」
馬車で向かい合わせに座ったハイスと目を合わせると、思わず吹き出してしまった。
「聖女様の御身に何かあれば私は悔やんでも悔やみきれませんし、 何より殿下が悲しまれます」
「大丈夫です。でも、リアム様の悲しむお顔は見たくないですね」
「聖女様にそこまで思われるなんて殿下はお幸せ者です」
ブリジットは恥ずかしくなってしまい俯いた。
リアムとは聖女になったからこそ知り合えた奇跡だった。そうでなければ素敵なあのお顔を近くで拝見する事も、その素晴らしい性格を知る事もなかった。そしてあの唇から紡がれる愛の言葉も。
「聖女様? お顔が真っ赤ですが」
「大丈夫です! これはそういうんじゃありません! そういうんじゃないというか、別に怪しいものではありませんので大丈夫です!」
慌てておかしくなってしまった語彙力を総動員しても立て直す事が出来なかった言い訳に、ハイスは少し心配そうに微笑んだ。
ハイスは大きな身体なのに圧迫感がないのは、きっと意図的に警戒を緩めているからなのだろう。晴れ渡った空を見上げながらブリジットの胸には期待と不安が入り混じっていた。馬車がゆっくりと動き出す。すると外では数人の若い女性達が若干騒がしくなった。とっさにハイスは警戒するように窓の外を覗くと小さな悲鳴が上がった。
「何も異常はないようですね」
「手を振って差し上げたらいかがですか?」
「手をですか? 私が? ブリジット様ではなく?」
「あの女性達はおそらく聖騎士の団長様を見に来られたのかと思いますよ」
「ご冗談を」
「ハハッ、ハイス様はお仕事は大変優秀でいらっしゃるのに、女性の事には疎くていらっしゃいますよね。行く先々で人気がありましたよ?」
「私は神官でもありますからそういった事はよいのです」
少し照れて珍しくぶっきらぼうに言うハイスが新鮮で顔を覗き込んだ。
「でも神官様もご結婚は出来ますよね?」
「している者もおりますが、私には無縁です」
「そうでしたか。余計な事を申しました」
「私などよりも最後にブリジット様のお顔を皆に見せて差し上げて下さい。もうこのような辺境の町には来る事もないでしょうから」
言われるままに窓から顔を覗かせると、集まった小さな町の人々は歓声を上げながら頭を下げたり、手を振ったりしてくれる。この町は邪気の影響を強く受けていた場所の一つでもあった。来た時には町全体が生気を失ったようで活気などどこにもなかった。それが今はこんなにも明るい顔を見せてくれている。邪気に飲まれて失った大切な人々がいただろう。それでも人は前を向き懸命に生きていける。今回の遠征は人の儚さと強さを同時に知った旅でもあった。気恥ずかしさに顔を引っ込めたくなりハイスを見ると、満面の笑みで首を振られる。その顔に頷くと、町を出るまで窓から顔を出して手を振り続けた。
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