聖女だった私

山田ランチ

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10 裏切り

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 明け方、従者は王太子の執務室の扉を叩いていた。うっすらと明るくなり始めた室内で、リアムは何をするでもなくぼんやりと窓の外を見つめていた。

「お部屋にいらっしゃらないのでこちらかと思いましたよ。少し休まれては如何ですか? 最近摂られるお食事の量も少ないと聞いていますし、寝不足まで重なってはお体に障ります」

 従者の声にも反応はない。従者はマントを外すと金色の前髪がはらりと一房溢れた。

「悪かったな。お前にそんな真似をさせて」

 マントを外したのはリアムと良く似た顔立ちの第二王子マチアスだった。

「構いませんよ。僕を信用しているという事でしょう?」
「……どうしていた? 泣いていたか」
「とても気丈でした。兄様に脅しの伝言を頼むくらいには」
「脅し?」
「どこの神殿にも近寄らないのでハイス様や神殿の者達への手出しをしないようにと。精霊の名を出してまで必死でしたよ」

 起き上がったリアムは膝の上で固く拳を握り締めた。

「そうまでしてハイスを守りたいという事か」
「でも身体の繋がりがないのにそこまで想い合えるって、ある意味凄く強い結びつきですよね」
「身体が繋げないから余計に想いが募っただけだろ! そんなものは幻想だ!」
「それなら兄様もそうですよね。っと、失言でした」

 全くもってそう思っていない様子のマチアスは、わざとらしく大きな可愛らしい瞳を見開いて口を抑えた。

「それはそうとリリアンヌ嬢のご機嫌があまり宜しくありませんよ。久し振りに会いに行かれては?」
「そんな気分じゃない。……今となってみれば、なぜ関係を持ってしまったのか不思議なくらいなんだ」
「僕が言うのもなんですけど魅力的なご令嬢ですよね? 社交界でも皆の憧れの的の女性ですし」

 しかし話の途中で立ち上がった。

「どちらへ?」
「西の塔だ。これから夜は通う事にする。すまないがあの塔は暫く借りておくぞ」
「どうぞ。というか断らなくてもいいですよ。もう塔に住む人はいないんですから」

 リアムは気まずそうに視線を逸らすと部屋を出て行った。




 マチアスが部屋に戻って間もなく、部屋の前が騒がしくなった。扉を開けるとそこには白い頬を上気させたリリアンヌが立っていた。肩で息をし、ショールから覗いた胸元はきつそうに上下している。今にも泣き出しそうな顔でマチアスの前に立つと、同じ背丈の目線はぴたりと合った。

「大丈夫だから中に入れてあげて」

 そう兵士に言いながらリリアンヌを部屋に招き入れた。

「感心しないな、こんな時間に来るなんて」
「今夜も殿下は聖女の元に行ったそうですね! お約束が違います、マチアス殿下!」

 言い切った途端、目頭から大粒の涙が零れ落ちた。

「何故? 僕はちゃんと守ったよ。聖女が兄様の部屋を訪れた時だって、すぐに兵士を引かせたんだからね。だから決定的な場面を突きつけられたんだろ? 君は兄様の婚約者になれたんだからもっと堂々としていればいいんだよ」
「まだ正式にではありません! 殿下は何故聖女との婚約破棄を発表されないのですか? このままでは私はずっと浮気相手のまま。皆知らない振りをしているけれどそう思っているはずです!」
「落ち着いてリリアンヌ嬢。深呼吸して」

 伸ばした手は思い切り払い除けられた。

「ッ、すみません殿下。ご無礼をお許しください」
「いいよいいよ。焦っているんだよね」

 そう笑いながらマチアスはソファに座った。手招きをされたリリアンヌは近くに行って足を止めた。

「このままあの二人がやり直しでもしたら、私はどうすれば……」
「そうだね。それは大問題だ。ところで懐妊の予定はどうなの?」

 リリアンヌは小さな肩をびくりと振るわせた。

「きっと身籠っております、大丈夫です。きっと」
「嘘は良くない。君の月のものが少し前にきたと聞いているよ」
「……まさか、屋敷の中に密偵がいるのですか」
「さあどうだろうね。どう思う? でも仲のよい侍女達は沢山いるから、もしかしたら君の屋敷の者だったかもしれないかな」

 マチアスは深く息を吐くとリリアンヌの手を取った。

「白くて滑らかな肌だね。兄様が夢中になったのも分かるな。一瞬だったけれど」

 最後の言葉にリリアンヌは再び涙を流した。

「君の泣き顔をもっと近くで見せて」

 マチアスが掴んでいた手に力を込めるとリリアンヌはいとも簡単に体制を崩してその胸に飛び込んでしまった。とっさに手を付いて離れようと付いた胸板に手を留める。そして無意識に頬を染めていた。

「君は兄様が好きなんじゃないの? それとも王族なら誰でもいいの?」
「そんな訳ありません! 私はリアム様をずっとお慕いしておりました!」
「でも兄様は聖女が現れてからずっと心を囚われている。今でもずっと。こうしている今も聖女の所に通っているんだから、このままだと聖女の方が先に兄様の子を身籠ってしまうかもしれないよ」

 リリアンヌの顔が強張っていく。落ちそうになるその手をぐっと引き寄せた。

「でも兄様の寵愛を受けていたのは君が先だ。そうだろう? だから君が懐妊するのが最も自然なんだよ。幸いな事に僕は兄様に似た容姿だし、良かったら手伝ってあげようか?」
「……そんな事、リアム様を裏切るだけでなく陛下も欺く事になってしまいます!」
「そう? 父上からしたらどちらも息子の子供な訳だし、欺くとは違うような気もするけれど。でもまあそうだね。やっぱり良くないか」

 マチアスは強く握っていた手をぱっと離した。

「そうそう、さっき兄様と話したんだけれど、兄様が君のところに通う事はもうなさそうだよ。なんせ今は聖女に夢中らしいから」

 そう言って立ち上がろうとしたマチアスの服を白い手がぎゅっと掴んでいた。マチアスはさらりとした白金の長い髪を口元に寄せて匂いを嗅いだ。

「……こんなにいい匂いをさせて毎晩待っているというのに、兄様も酷い男だね。日焼けして手入れの行き届いていない庶民の肌よりも君の方がずっと抱き心地が良いだろうに」
「殿下のそれは、リアム様への裏切りです」

 声は震えている。それでも握り締めているその手が離れる事はなく、むしろ強くなった。

「むしろ兄様の為にしているんだ。聖女も浄化を終えれば役目もなくなる。でもその功績を笠に着て王太子妃、やがては王妃になろうとしているんだ。こんな恐ろしい事ってあると思う? なんの教育も受けていない者が聖女というだけで国母になるんだよ。これは国も為でもあると思うんだ」
「……国の為」
「君こそが国母にふさわしい。兄様と一緒に国を治める姿が僕には見えるよ」
「私が王妃」

 髪を撫でていたマチアスの手が次第にリリアンヌの頭をゆっくりと下げていく。そして手を離した。

「君に任せるよ。でも僕はこれが兄様の為だと思っている」

 リリアンヌは躊躇ったのち、マチアスのスラックスに手を掛けた。震える手でまだ柔らかいが少し芯を持ち始めたものを取り出す。

「ねえ知っていた? 夜会での君は本当に誰もが憧れる女性だったんだ」

 マチアスは満足そうに細い腕を引き上げた。

「ここに子種が欲しいんだよね。それなら君から欲しがらないと」

 手でリリアンヌの下腹部を軽く押すと、細い腰がびくりと跳ねた。

「可愛いな本当に。でも今日は僕からは触ってあげない。だって君が欲しがっているんだからね?」 

 言われた言葉を理解したのか、リリアンヌは自らドレスの裾を持ち上げると、マチアスの上に乗った。しかし肩に手を置いたまま動かないその細い腰に手を添えると、マチアスは情事の最中とは思えない微笑みで頷いた。

「うん、じゃあ止めようか。僕は大丈夫だよ、これから行く宛ては幾らでもあるからね」

 リリアンヌは唇を噛みしめると一気に腰を落とした。

「あッ」

 小さな悲鳴と共にリリアンヌは身体を硬直させたまま動きを止めた。

「良かった、触れてあげなかったけど君もちゃんと濡れていたみたいだね。でもまだだよ。最初が肝心だから今日は君が頑張って」

 嬉しそうに、今度は意地悪く笑ったマチアスは、腰に当てていた手に力を込めた。

「支えるくらいはしてあげる」

 リリアンヌは震えながら更に腰を落とすと、自ら腰を上下に揺らし始めた。次第に嬌声が上がり始める。いつの間にか部屋の中には、水音とリリアンヌの喘ぎ声が占めていた。マチアスはその腰を抱き締めると、初めて少し腰を動かしてリリアンヌの中へと子種を吐き出した。やがてぐったりとしたリリアンヌの身体を横にずらし、繋がっていたものを抜くとスラックスを引き上げた。そしてリリアンヌもドレスの裾を直せば何事もなかったように見えた。

「これから毎晩これを繰り返すよ。そうすれば必ず孕むはずだから頑張って。そうそうくれぐれも見つからないようにね。どうあっても君が孕むのは兄様の子なんだから」

 そう言っていたずらっぽく笑った顔は、まだ十六歳の無邪気さを覗かせた表情だった。

 マチアスは放心したままのリリアンヌが部屋を出て行った瞬間、膝を突いてその場に吐き、横に倒れた。マチアスの身体からはうっすらと黒い靄が立ち昇っていた。
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