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13 消えた聖女
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太陽が沈みかけ、まもなくブリジットの為に用意された夕食と共にリアムが到着する時刻だった。ハイスは走って短い林を抜け、塔の前に飛び出した。
塔の前には増援された兵士が五人おり、ハイスの姿を見るなり剣を抜いた。
「ハイス様お止まり下さい!」
それでもハイスは歩き続ける。焦った様子の兵士が振り被る剣を鞘で受け止めると、兵士達を順番に視線を流した。
「私は神官長の位を授かった。それがどういう意味かは分かるだろう? リアム殿下のお言葉だけで私を止める事は出来ないぞ。今この場でこれ以上私に剣を向ければお前達こそが罪人だ」
兵士達は言葉の意味を推し量り合いながら互いに目配せをし、剣を構え直した。
「そのお言葉を信じる為の証拠はございますか?」
「確かにそうだな。お前達の疑いは最もだ。それならこれしかないか」
ハイスが剣を抜いた瞬間、兵士達が斬り掛かってくる。しかしハイスはその剣を地面に突き刺した。とっさに軌道を逸した兵士達の切っ先が浅くハイスの腕や腿をかすめていく。
兵士達は剣を持つ手を下ろした。斬られた身体からは血が流れている。兵士達がその血の流れを視線で追っているのも気にせず小さく笑った。
「お前達が手加減してくれたおかげで傷は浅いから大丈夫だ。ありがとう」
言葉に詰まった兵士達はそのまま塔の扉へと向かうハイスを止める事はなかった。
階段を駆け上がって最上階まで行き、たった一つの扉を開け放った。
「ブリジット様! 遅くなり申し訳ございません!」
しかし返事はない。部屋の中には誰もいなかった。寝台も机の上も、最初から誰も住んでいなかったかのように整えられ、薄暗い室内は静寂に包まれていた。自分の荒い呼吸だけが鼓膜に響いている。勢いよく階段を駆け下り再び地上に出ると、目前には騎士達を連れたリアムが立っていた。
「懲りずに無断で侵入するとは。捕らえろ!」
一瞬にして視線を巡らせたが、さっきまでいた見張りの姿が一人もいない。その代わり別の騎士達がじりじりとこちらに向かって歩いて来る。騎士は血を流しているハイスの姿に僅かに眉を潜めた。
「……丸腰のあなた相手に無駄な争いはしたくありません」
小声で言った騎士の横を歩みを進めると、今度は切っ先を喉元に突き付けられた。刃が喉に触れ細い血の線が流れていく。それでもハイスは一歩足を進めた。更に食い込みそうになる剣先を思わず引いた騎士は、驚いたままハイスを見た。
「リアム殿下、ブリジット様は今どちらに」
「さあどこだと思う?」
「ブリジット様をどこにやったのです!」
外がどんどん暗くなっていき、塔の前に集まる者達の姿がどんどん闇に沈んでいく。
「ブリジットがここに居るとは一言も言っていない。お前が勝手に勘違いをしたんだ」
「ならば何故ここに人がいるように見せかけたのかを教えて頂きたい。ブリジット様はご無事なのでしょうね?」
「それは分からない」
ハイスは怒りに任せて走り出した。とっさに向けられた剣を避けると騎士の腹に拳を叩き込み、リアムの胸倉を掴んでいた。一斉に四本の切っ先がハイスの首にぴたりと当たる。ハイスがリアムから手を離すのが先か、騎士がハイスの首を落とすのが先か、騎士の中の誰かがごくりの喉を鳴らした瞬間、リアムはおかしそうに小さく笑った。
「何故お前はそうまでしてブリジットにこだわるんだ? あれはもう俺の物だぞ。それでもお前はブリジットが欲しいのか?」
「あなたはブリジット様を愛していたのではないのですか? 何故このような仕打ちをなさるのです!」
「先に裏切ったのはお前達だ!」
リアムを締め上げていた手が僅かに緩む。その瞬間に、ハイスはリアムから勢いよく引き離された。
「ブリジットは最初からお前を好いていたと聞いたのだ。でも私が王太子だから恋人にならざるおえなかったと。だから最後の遠征では、あれ程共に戦いたいと懇願したのにブリジットは非情にも断ったのだろう」
「それは違いますリアム様! あの遠征はこの国に蔓延る邪気本体との戦いでした。聖騎士でさえ命を落としたのです。加護のない者があの濃い邪気の中を生きて戻れるはずがありません。ブリジット様はあの時、リアム殿下をお守りする為に苦渋の決断をされたのです。ご本人が一番お辛かったはずです!」
「嘘だ! 遠征に出ていた者達が帰って来たのに、お前達だけかなり遅れて戻って来たじゃないか! 私がブリジットの帰りをどれだけ待ち望んでいたか分かるか」
「それは……ブリジット様が王都まで戻る事が出来なかったからです」
「なんだと?」
辺りはとうとう暗くなり、互いの顔はほとんど見えなくなっている。それでもリアムの顔が歪んでいるのが分かった。
「ブリジット様は最後の戦いで力を使い過ぎ、回復するまでに日数を要しました。王都ヘは長旅になるので、十分な休息を取ってから移動する事にしました。全て私の判断です」
「そんな事、手紙には書いていなかった!」
「殿下にご心配をお掛けしたくないというブリジット様のお心遣いでございます。ブリジット様は本当にリアム殿下にお会いしたがっておられました。殿下を心から愛しておられました」
「でも、夢で見たんだ。お前達が睦み合っているところを。一度見たら毎晩夢で見るようになって、リリアンヌが側にいる時だけは不安が消えたんだ。だから……」
「リアム殿下、それは夢です。どれだけ殿下を苦しめようとただの夢ですよ。しかし殿下は現実で一番傷つけてはならないお方を傷つけてしまったのです」
「……ブリジットが愛していたのは、私なのか?」
「リアム! ハイス! またお前達か!」
遠くから松明と共に低い声が聞こえてくる。その隣には前神官長の姿もあった。松明に照らされ明るさに目を逸らしながら、驚いた表情が目に入った。
「お前、その傷はどうした」
国王はそう言いながらじろりとリアムを見つめる。隣りに立っていた前神官長は小さく息をついた。
「随分と無理をしたようだな」
「神官長様……申し訳ございません」
「もうお前が神官長だと言ったはずだぞ」
すると国王の視線が戻ってくる。そして小さく唸った。
「お前が新たな神官長でよいのだな?」
「はい、陛下」
「ならば本来リアムの愚行には罰を与えねばならんところだが、お前は神官長になったばかりでここへ来たそうだな。儀式前でそれを信じられないリアムや兵士の気持ちも汲んでもらいたい」
「もちろんです陛下。この傷は私が無理をしたせいです。兵士達は自らの任務を全うしただけ。罪に問う気は毛頭ございません」
「さすがは神官長に選ばれるだけの男だ。しかしここで騒ぎを起こした事は感心出来んぞ」
「申し訳ございません陛下。しかし塔におられると思っていたブリジット様のお姿がございませんでした。行方をご存知ありませんか? 私はただ御身が心配なのです」
「リアム、どういう事だ? ブリジットをどこへやった」
放心したままのリアムは国王に肩を掴まれても呆然としたままだった。
「リアムしっかりしろ! ブリジットはどこだ」
「ブリジットは……王都を出て行きました」
一点を見つめたまま答えたリアムは、だらりと地面に膝を突いた。誰もが言葉を失った瞬間、遠くから声が聞こえてきた。
「兄様! 兄様はいらっしゃいますか? 父上もこちらでしたか。嬉しいな、なんだか最近この辺りが賑やかですね。この間までは本当に静かな場所だったのに」
「マチアス、今大事な話をしているところなんだ」
しかしマチアスは自ら松明を持ちリアムの所まで行くと微笑んだ。
「嫌だな、父上。ちゃんとご報告があって来たんですよ。兄様、朗報をお持ちしました」
マチアスの声にリアムの視線が僅かに上がる。そして痛みに耐えるように片目を瞑った。
「大丈夫ですか? どうかなさいましたか?」
「頭痛がするだけだ。それよりも朗報とはなんだ」
マチアスはにっこりと笑って言った。
「元聖女の乗った馬車が行方不明になっていたようです。厳密に言えば崖下で発見され、御者の遺体が川で発見されました。辺りには馬車の残骸もあったそうですよ。でも聖女の遺体は見つかっていないみたいなので、今頃は川の底かもしれませんね」
「それのどこが朗報なんだ!」
「だって兄上を煩わせる元凶がいなくなったんですよ? もっと喜んで下さい」
マチアスはこの場でたった一人、口元を上げて笑っていた。
「嘘だッ」
ハイスは視界が真っ暗になり、その場に手を突いた。周囲が回っているように身体が方向感覚を失う。
――馬車が転落? 川に落ちただと?
「どういう事ですかリアム殿下、一体ブリジット様に何をしたんだ!」
伸ばした手をマチアスが勢いよく振り払った。
「この御方は王太子だよ、その態度はないんじゃないかな。いくらあなたが公爵家の人間で、聖騎士だとしても……」
「やめないかマチアス。ハイスは神官長になったのだ」
するとマチアスは考えるように首を傾げた後、何事もなかったかのように気の抜けた返事をした。
「そうだったんですか。まあ知らされていなかったんだからしょうがないですよね」
「ブリジット様の捜索に出ます。リアム殿下、分かる範囲で行方を教えてください」
「私は何も知らない。王都を離れるようにと言ったら、ブリジットが国境までと言ったんだ」
「国境へ向かう途中に川がある場所……」
うまく頭が働かない。何度も国中の周りあらゆる場所を回ってきたというのに、肝心な時にその記憶が吹っ飛んでしまっていた。どれだけ記憶を探っても断片的に散らばった記憶が集まる事はない。ハイスはフラフラと歩き出した。
「ブリジットの居場所に心当たりがあるのか!?」
リアムのその声に心底苛立ちを感じる。何故なら、その声にいくばかりかの期待をはらんでいるように聞こえたからだ。
「リアム殿下にお願いがございます。ブリジット様が無事お戻りになられた際には、王都から追放という発言を撤回してください。ブリジット様はこの国に必要なお方です」
「分かっている。ブリジットは王都にいていい」
「必ずブリジット様を見つけ出します。陛下、火急ゆえ神官長拝命の儀式は延期させて頂きます。必ずブリジット様と帰って参ります!」
「頼んだぞ、ハイスよ」
ハイスは真っ直ぐ前を向いたまま西の塔を離れた。
真夜中に駆り出された愛馬は、若干の不機嫌さを出しながらもハイスの支度に付き合ってくれた。優先すべきは準備の速さ。一体どの辺りで川に落ちてしまったのかは分からないが、とりあえず川沿いに進むしかない。冷静になれば王都から国境に行く中で、馬車が通りそうな道は頭の中に浮かんでいた。しかし道は二本ある。そのどちらを進んだのかを選ぶには運しかなく、もし間違えれば手遅れになってしまうかもしれない。静寂の中、愛馬の足音だけを聞き門まで来た時だった。門の手前で一人の姿が目に入った。
「傷の手当てもしないで行くとは、全く」
その手には白い巾着が握られていた。
「……神官長様。勝手をお許しください」
「だから神官長はもうお前だよ」
「そうでしたね。まだ実感がないのです、叔父上」
「その呼び名も久しいな。ウンディーネ様のご加護が必ずあるのだから、心配せずに行って来なさい」
「私に見つけられるでしょうか。ブリジット様は……」
言葉に詰まると大きくシワの深い手ががっしりとした腿を叩いてきた。
「ウンディーネ様のお導きがあらん事を」
真っ直ぐに視線を交わし、闇に沈んだ大地を疾走した。
窓辺に寄り掛かり、ハイスが神殿を出ていく姿を目で追いながらネリーは大きく欠伸をした。
「はぁ眠い眠い。さてと、僕もそろそろ行こうかな」
ネリ―はすらりとした長い腕をコキコキと鳴らしながら部屋を出ていく。そして誰もいない祈りの間へと入っていった。一枚ずつ服を脱ぎながら泉に近づいていく。そうして一糸纏わなくなったネリーは泉につま先を入れ、そのまま沈んでいった。
塔の前には増援された兵士が五人おり、ハイスの姿を見るなり剣を抜いた。
「ハイス様お止まり下さい!」
それでもハイスは歩き続ける。焦った様子の兵士が振り被る剣を鞘で受け止めると、兵士達を順番に視線を流した。
「私は神官長の位を授かった。それがどういう意味かは分かるだろう? リアム殿下のお言葉だけで私を止める事は出来ないぞ。今この場でこれ以上私に剣を向ければお前達こそが罪人だ」
兵士達は言葉の意味を推し量り合いながら互いに目配せをし、剣を構え直した。
「そのお言葉を信じる為の証拠はございますか?」
「確かにそうだな。お前達の疑いは最もだ。それならこれしかないか」
ハイスが剣を抜いた瞬間、兵士達が斬り掛かってくる。しかしハイスはその剣を地面に突き刺した。とっさに軌道を逸した兵士達の切っ先が浅くハイスの腕や腿をかすめていく。
兵士達は剣を持つ手を下ろした。斬られた身体からは血が流れている。兵士達がその血の流れを視線で追っているのも気にせず小さく笑った。
「お前達が手加減してくれたおかげで傷は浅いから大丈夫だ。ありがとう」
言葉に詰まった兵士達はそのまま塔の扉へと向かうハイスを止める事はなかった。
階段を駆け上がって最上階まで行き、たった一つの扉を開け放った。
「ブリジット様! 遅くなり申し訳ございません!」
しかし返事はない。部屋の中には誰もいなかった。寝台も机の上も、最初から誰も住んでいなかったかのように整えられ、薄暗い室内は静寂に包まれていた。自分の荒い呼吸だけが鼓膜に響いている。勢いよく階段を駆け下り再び地上に出ると、目前には騎士達を連れたリアムが立っていた。
「懲りずに無断で侵入するとは。捕らえろ!」
一瞬にして視線を巡らせたが、さっきまでいた見張りの姿が一人もいない。その代わり別の騎士達がじりじりとこちらに向かって歩いて来る。騎士は血を流しているハイスの姿に僅かに眉を潜めた。
「……丸腰のあなた相手に無駄な争いはしたくありません」
小声で言った騎士の横を歩みを進めると、今度は切っ先を喉元に突き付けられた。刃が喉に触れ細い血の線が流れていく。それでもハイスは一歩足を進めた。更に食い込みそうになる剣先を思わず引いた騎士は、驚いたままハイスを見た。
「リアム殿下、ブリジット様は今どちらに」
「さあどこだと思う?」
「ブリジット様をどこにやったのです!」
外がどんどん暗くなっていき、塔の前に集まる者達の姿がどんどん闇に沈んでいく。
「ブリジットがここに居るとは一言も言っていない。お前が勝手に勘違いをしたんだ」
「ならば何故ここに人がいるように見せかけたのかを教えて頂きたい。ブリジット様はご無事なのでしょうね?」
「それは分からない」
ハイスは怒りに任せて走り出した。とっさに向けられた剣を避けると騎士の腹に拳を叩き込み、リアムの胸倉を掴んでいた。一斉に四本の切っ先がハイスの首にぴたりと当たる。ハイスがリアムから手を離すのが先か、騎士がハイスの首を落とすのが先か、騎士の中の誰かがごくりの喉を鳴らした瞬間、リアムはおかしそうに小さく笑った。
「何故お前はそうまでしてブリジットにこだわるんだ? あれはもう俺の物だぞ。それでもお前はブリジットが欲しいのか?」
「あなたはブリジット様を愛していたのではないのですか? 何故このような仕打ちをなさるのです!」
「先に裏切ったのはお前達だ!」
リアムを締め上げていた手が僅かに緩む。その瞬間に、ハイスはリアムから勢いよく引き離された。
「ブリジットは最初からお前を好いていたと聞いたのだ。でも私が王太子だから恋人にならざるおえなかったと。だから最後の遠征では、あれ程共に戦いたいと懇願したのにブリジットは非情にも断ったのだろう」
「それは違いますリアム様! あの遠征はこの国に蔓延る邪気本体との戦いでした。聖騎士でさえ命を落としたのです。加護のない者があの濃い邪気の中を生きて戻れるはずがありません。ブリジット様はあの時、リアム殿下をお守りする為に苦渋の決断をされたのです。ご本人が一番お辛かったはずです!」
「嘘だ! 遠征に出ていた者達が帰って来たのに、お前達だけかなり遅れて戻って来たじゃないか! 私がブリジットの帰りをどれだけ待ち望んでいたか分かるか」
「それは……ブリジット様が王都まで戻る事が出来なかったからです」
「なんだと?」
辺りはとうとう暗くなり、互いの顔はほとんど見えなくなっている。それでもリアムの顔が歪んでいるのが分かった。
「ブリジット様は最後の戦いで力を使い過ぎ、回復するまでに日数を要しました。王都ヘは長旅になるので、十分な休息を取ってから移動する事にしました。全て私の判断です」
「そんな事、手紙には書いていなかった!」
「殿下にご心配をお掛けしたくないというブリジット様のお心遣いでございます。ブリジット様は本当にリアム殿下にお会いしたがっておられました。殿下を心から愛しておられました」
「でも、夢で見たんだ。お前達が睦み合っているところを。一度見たら毎晩夢で見るようになって、リリアンヌが側にいる時だけは不安が消えたんだ。だから……」
「リアム殿下、それは夢です。どれだけ殿下を苦しめようとただの夢ですよ。しかし殿下は現実で一番傷つけてはならないお方を傷つけてしまったのです」
「……ブリジットが愛していたのは、私なのか?」
「リアム! ハイス! またお前達か!」
遠くから松明と共に低い声が聞こえてくる。その隣には前神官長の姿もあった。松明に照らされ明るさに目を逸らしながら、驚いた表情が目に入った。
「お前、その傷はどうした」
国王はそう言いながらじろりとリアムを見つめる。隣りに立っていた前神官長は小さく息をついた。
「随分と無理をしたようだな」
「神官長様……申し訳ございません」
「もうお前が神官長だと言ったはずだぞ」
すると国王の視線が戻ってくる。そして小さく唸った。
「お前が新たな神官長でよいのだな?」
「はい、陛下」
「ならば本来リアムの愚行には罰を与えねばならんところだが、お前は神官長になったばかりでここへ来たそうだな。儀式前でそれを信じられないリアムや兵士の気持ちも汲んでもらいたい」
「もちろんです陛下。この傷は私が無理をしたせいです。兵士達は自らの任務を全うしただけ。罪に問う気は毛頭ございません」
「さすがは神官長に選ばれるだけの男だ。しかしここで騒ぎを起こした事は感心出来んぞ」
「申し訳ございません陛下。しかし塔におられると思っていたブリジット様のお姿がございませんでした。行方をご存知ありませんか? 私はただ御身が心配なのです」
「リアム、どういう事だ? ブリジットをどこへやった」
放心したままのリアムは国王に肩を掴まれても呆然としたままだった。
「リアムしっかりしろ! ブリジットはどこだ」
「ブリジットは……王都を出て行きました」
一点を見つめたまま答えたリアムは、だらりと地面に膝を突いた。誰もが言葉を失った瞬間、遠くから声が聞こえてきた。
「兄様! 兄様はいらっしゃいますか? 父上もこちらでしたか。嬉しいな、なんだか最近この辺りが賑やかですね。この間までは本当に静かな場所だったのに」
「マチアス、今大事な話をしているところなんだ」
しかしマチアスは自ら松明を持ちリアムの所まで行くと微笑んだ。
「嫌だな、父上。ちゃんとご報告があって来たんですよ。兄様、朗報をお持ちしました」
マチアスの声にリアムの視線が僅かに上がる。そして痛みに耐えるように片目を瞑った。
「大丈夫ですか? どうかなさいましたか?」
「頭痛がするだけだ。それよりも朗報とはなんだ」
マチアスはにっこりと笑って言った。
「元聖女の乗った馬車が行方不明になっていたようです。厳密に言えば崖下で発見され、御者の遺体が川で発見されました。辺りには馬車の残骸もあったそうですよ。でも聖女の遺体は見つかっていないみたいなので、今頃は川の底かもしれませんね」
「それのどこが朗報なんだ!」
「だって兄上を煩わせる元凶がいなくなったんですよ? もっと喜んで下さい」
マチアスはこの場でたった一人、口元を上げて笑っていた。
「嘘だッ」
ハイスは視界が真っ暗になり、その場に手を突いた。周囲が回っているように身体が方向感覚を失う。
――馬車が転落? 川に落ちただと?
「どういう事ですかリアム殿下、一体ブリジット様に何をしたんだ!」
伸ばした手をマチアスが勢いよく振り払った。
「この御方は王太子だよ、その態度はないんじゃないかな。いくらあなたが公爵家の人間で、聖騎士だとしても……」
「やめないかマチアス。ハイスは神官長になったのだ」
するとマチアスは考えるように首を傾げた後、何事もなかったかのように気の抜けた返事をした。
「そうだったんですか。まあ知らされていなかったんだからしょうがないですよね」
「ブリジット様の捜索に出ます。リアム殿下、分かる範囲で行方を教えてください」
「私は何も知らない。王都を離れるようにと言ったら、ブリジットが国境までと言ったんだ」
「国境へ向かう途中に川がある場所……」
うまく頭が働かない。何度も国中の周りあらゆる場所を回ってきたというのに、肝心な時にその記憶が吹っ飛んでしまっていた。どれだけ記憶を探っても断片的に散らばった記憶が集まる事はない。ハイスはフラフラと歩き出した。
「ブリジットの居場所に心当たりがあるのか!?」
リアムのその声に心底苛立ちを感じる。何故なら、その声にいくばかりかの期待をはらんでいるように聞こえたからだ。
「リアム殿下にお願いがございます。ブリジット様が無事お戻りになられた際には、王都から追放という発言を撤回してください。ブリジット様はこの国に必要なお方です」
「分かっている。ブリジットは王都にいていい」
「必ずブリジット様を見つけ出します。陛下、火急ゆえ神官長拝命の儀式は延期させて頂きます。必ずブリジット様と帰って参ります!」
「頼んだぞ、ハイスよ」
ハイスは真っ直ぐ前を向いたまま西の塔を離れた。
真夜中に駆り出された愛馬は、若干の不機嫌さを出しながらもハイスの支度に付き合ってくれた。優先すべきは準備の速さ。一体どの辺りで川に落ちてしまったのかは分からないが、とりあえず川沿いに進むしかない。冷静になれば王都から国境に行く中で、馬車が通りそうな道は頭の中に浮かんでいた。しかし道は二本ある。そのどちらを進んだのかを選ぶには運しかなく、もし間違えれば手遅れになってしまうかもしれない。静寂の中、愛馬の足音だけを聞き門まで来た時だった。門の手前で一人の姿が目に入った。
「傷の手当てもしないで行くとは、全く」
その手には白い巾着が握られていた。
「……神官長様。勝手をお許しください」
「だから神官長はもうお前だよ」
「そうでしたね。まだ実感がないのです、叔父上」
「その呼び名も久しいな。ウンディーネ様のご加護が必ずあるのだから、心配せずに行って来なさい」
「私に見つけられるでしょうか。ブリジット様は……」
言葉に詰まると大きくシワの深い手ががっしりとした腿を叩いてきた。
「ウンディーネ様のお導きがあらん事を」
真っ直ぐに視線を交わし、闇に沈んだ大地を疾走した。
窓辺に寄り掛かり、ハイスが神殿を出ていく姿を目で追いながらネリーは大きく欠伸をした。
「はぁ眠い眠い。さてと、僕もそろそろ行こうかな」
ネリ―はすらりとした長い腕をコキコキと鳴らしながら部屋を出ていく。そして誰もいない祈りの間へと入っていった。一枚ずつ服を脱ぎながら泉に近づいていく。そうして一糸纏わなくなったネリーは泉につま先を入れ、そのまま沈んでいった。
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