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1ー5 侯爵令嬢としての役目

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 エーリカは居心地の悪さを感じて、鏡台の前で引き攣った笑顔を作っていた。

 第一王子のクラウスとの顔合わせの為に、昨晩は家を出て魔術団に入って以来の帰省だった。懐かしさも感じるが記憶が朧気な事もあり、緊張の方が勝っている。本来侯爵家の娘ならば侍女に囲まれて、髪を漉き、入浴時に体を磨かれ、食事やお茶の世話まで全てをやってもらって当たり前の環境下で育つものだが、エーリカには誰かにやってもらうという概念がない。それは幼い頃からオルフェンにこき使われてきたからに間違いなかった。
 無意識に溜め息をつくと、髪を編んでいた侍女の一人がびくりと手を止めた。

「お気に召しませんでしたか? この状態からですと、ハーフアップにも変更可能ですが……」

 心配そうに鏡越しに覗いてくる侍女はまだ若い。どうしてよいものか編み込み途中の髪を持ちながら固まっていた。侍女のアンは入室時の紹介で男爵家の次女だと名乗った。しかし男爵とは名ばかりで、家の為に幼い頃から働きに出ていると言うだけあって、花嫁修業や婿探しの為に侍女となり、王城や侯爵家に奉仕に出ている者達よりも手に職があり、ずっと仕事が出来るのはすぐに分かった。

ーー私だって、だてにオルフェンにこき使われているわけじゃないのよ。

 内心そう思いながら、怯えさせない様に微笑んでみせる。

「そうじゃないの。普段髪なんてこうして編んでもらわないから少し疲れただけよ。そのまま続けてちょうだい」

 するとアンは安心した様に髪を編み直し始めた。

「それはもったいないです。エーリカ様の御髪は本当にお綺麗なのですから」
「フフッ、お世辞でも嬉しいわ」
「本当です! 本来のピンクブロンドの美しさもございますが、艷やかで柔らかくてまるで極上の絹のようです」
「普段言われなれないからなんだが恥ずかしいわ。もうやめて」
「王子様も見惚れるに違いありませんね」
「そうだといいけれど」
「あんなお噂をからお気になされてはなりません!」

 ドレスの用意をしていた年重の侍女が鋭い視線でアンを睨み付ける。アンは器用に化粧も髪を結うのも上手だが、そこはまだ年頃の女の子なのだろう。エーリカはなんとなく噂話の見当がついてそれ以上聞く事はしなかった。
 着飾って家族の待つ居間に降りていくと、落ち着かない素振りで部屋の中を歩き回っていた父親が、目を見開いたかと思うと今度は涙を流し始めた。まだ現役に見える母親が子供をあやすようにハンカチで涙を拭いてやっている姿を見ながら、じっとこちらを凝視している三つ上の兄フランツィスをちらりと見た。兄もピンクブロンドの髪をしており、背中まで長い髪を後ろに束ねている。すらりとした身長に映える上品な白のジャケットとスラックスを履いている。中に着ているシャツは瞳と同じ色の淡い緑色で、柔らかい雰囲気をか持ち出していた。普通の令嬢ならば優しく穏やかな仕事の出来る男の人だと思うだろう。しかも侯爵の嫡男で官僚務めをしているこの兄はとんでもない曲者だと、エーリカは身に沁みて知っていた。出世する事が間違いない男を絵に描いたら兄なるだろうと遠巻きに眺めたりした事もあった。エーリカと目が合い、兄フランツィスは眼鏡を押して口の端を持ち上げた。

「お前でも着飾ればなんとかなるものだな」
「ほらフランツもお前を可愛いと褒めているぞ」

 どこがです?と言いたい気持ちを押し込めて笑ってみせた。父親に抱きしめられたまま肩越しにフランツィスが目の前に来る。そして盛大な溜め息が落とされた。

「魔術ごっこばかりしていたお前に王妃が努まると思っているのか?」

 ゴクリと息を呑む。そんな事はこっちが聞きたい。

「王命なのだから仕方ないじゃない」

 フランツィスには、この婚約が自ら申し出た事だと言う事はなんとしても伏せなければならない。どんな嫌味を言われるのか想像出来てしまう。愛だと恋だのという感情で結婚する事を嫌がるのは分かりきっていた。
 フランツィスは魔術団に入ってからも、何かと目の前に姿を現していた。王城にいる時は、魔術団の本部がある守護山にも来る。まさに神出鬼没。きっと父親に頼まれているのだろうが、心配で来るというよりはからかいに来ていると言ったほうが正しい。それでも皆が怖がるオルフェンにでさえ、怯えずに話をする姿だけは認めてもいいと思っていた。

「王命ね。お前はそれでいいのか?」
「フランツやめないか! エーリカの気持ちが変わったらどうする気だ!」

 するとフランツィスは胡乱な目を父親に向けた。

「父上はエーリカを側に置いておきたいだけですよね? 魔術団よりも王室に入れた方が側にいられるし危険も少ないですからね」
「……父上が娘を側に置きたくて何が悪い」
「開き直ったわね」

 ずっと黙ってやり取りを見ていた母親が呆れたように呟いた。こうしていると、離れていても愛されているのだと実感してくる。目に涙がじんわりと溜まるのが恥ずかしくて唇をぐっと噛んだ。

「駄目よ、令嬢はそんな事しないわ。どんな時でも胸を張って堂々としていなさい」

 そう言うと母はそっと髪を撫でてくれた。

「エーリカ、もしお前が望むなら花嫁修業としてここへ帰れる様に魔術団と陛下に掛け合うがどうだ?」

 思ってもみない言葉に揺らいだが、すぐに首を振った。

「今はまだ婚約するだけで結婚はまだ先だもの。魔術団から王城に通うわ。それに師匠は一人じゃ何も出来ないから」

 すると家族三人が顔を見合わせた。口を開いたのは父だった。

「その事なんだがな、少しオルフェン殿とは距離を置いたらどうだ? お前も婚約するんだ、いつまでも一人身の男性と常に行動を共にすると言うのは、周りの目もあるだろう」

 その瞬間、エーリカは令嬢らしからぬ笑い声を上げた。

「師匠ですよ? あの師匠と私が?」

 呆れて笑ったつもりが、それでも顔を固くする三人に声も小さくなっていく。

「お前達がそのつもりはなくともオルフェン殿もあの容姿だろう? それにオルフェン殿にとってお前だけが特別なのは周知の事実だ」
「皆おかしいわよ。オルフェンは師匠で父親で兄みたいなものよ。心配するような事は何もありません」

 そしてすぐにしまったと思った。実の父親と兄の前でオルフェンをそのように思っていると言ってしまった。珍しくフランツィスも引き攣った顔をしているし、父親に至っては石化していた。

「もう止めなさい。ほら、うちの男達は放っておいて行きましょう。陛下達がお待ちよ」



 馬車の中は、気まずさが満ちたまま誰も一言も話さなかった。王城に着いてすぐ、フランツィスは仕事があると言ってどこかへ行ってしまった。三人で廊下を歩いていると、見慣れた姿に思わず足が早まった。壁にもたれるようにしてオルフェンが腕を組みながらこちらを見ていた。

「師匠! どうしてここに?」
「別に、少し用があっただけだ」
「オルフェン殿が王城に来るとは珍しいですね」
「アインホルン閣下、アインホルン侯爵夫人もどうも」

 用件を言う気はないという姿勢を崩さない様子にヨシアスは怪訝そうに眉を顰めたが、オルフェンは気にしていない様子でエーリカの顔を覗き込んだ。その近さに誰もがぎょっとした。しばらくその瞳を覗き込んだ後、何事もなく頭をぽんぽんと叩くといなくなった。

「あれは一体なんだったのだ?」

 エーリカにも分からずに肩を竦めた。

「師匠はたまに訳の分からない事をするから、いちいち気にしていても仕方ないわ」



 フランツィスがクラウスの執務室の前に来ると、兵士達はその姿を認めて扉に声を掛けた。

「フランツィス様がいらっしゃいました」

 フランツィスは中からの返事を待たずに扉を押し開けると、書類から顔を上げたクラウスがハッとした様に目を見張った。

「もうそんな時間か」
「もうそんな時間だよ。お前にとってはこなさなければならない一日の中の業務の一つでも、妹にとっては夜も眠れないくらいには大事な日だよ」
「意地悪言うな。悪かった」
「寝る間も惜しい位に仕事が溜まっているなら、騎士団はそろそろ引退したらどうだ? 第一、騎士に固執する必要はないだろう?」
 
 クラウスは最後の書類に目を落としてから判を付いた。

「深刻なのか?」

 頷いて拳を握り締めた。

「国境付近から魔獣の被害が続発している。ここの所、急激に増えたな」

 それぞれの町に配備している軍や自警団で対処出来ない場合には王城の兵士を向かわせる事態もある。この数日で、魔術団に応援を要請する回数も増えてきていた。魔術団に応援を要請すると言う事は、人間の兵士の力だけでは抑えられないという事。どれだけ鍛錬しても魔術には叶わない。言葉にならない悔しさが、寝る間を惜しんでもこの体を動かす原動力になっていた。

「……もし今以上に強力な魔獣が出たら、結界魔術師への応援要請をする事になる」

 クラウスは友人の瞳が揺らいだのを見逃さなかった。いつもは飄々として動揺を見せないフランツィスでも、妹の事となると話は違うらしい。エーリカとそっくりな髪色をじっと見つめた。結界魔術師は何も結界を張るだけではない。結界魔術師に選ばれる位に魔力を蓄えているという事になる。上位の魔術師が派遣されるとなればその場はしのげるかもしれないが、国民に与える不安の方が大きい様にも思えた。

「とにかくすぐに着替えてくれ。両陛下を待たせる気か」

 着替えは隣りの仮眠室に用意するように伝えていたからすぐに準備は出来た。年が四つ上のフランツィスは、幼い頃にクラウスの話し相手の一人として選ばれた。同い年からの話し相手が選ばれなかったのは、クラウスが他の者達よりも大人びていたからだろう。簡単に言うと、同じ年の頃の子供達とは話が合わなかったのだ。それもそのはず、次期国王になる為に王の養子になったのは六つの時。大人にならなければ生きていけなかった。
 扉一枚を隔てながらフランツィスに声を掛ける。面と向かってではなんとなく聞きづらかった。

「エーリカ嬢はどんな様子だ?」
「妹は相変わらずに可愛いよ」
「それ本人の前でも言っているのか? そうではなくて婚約についてだ」

 意地悪く笑った声に苛立ちながら襟元の最後のボタンを留めた。

「王命だからちゃんと受け入れているさ」
「……やはりな」

 国王の打診に断る事が出来るものなどいはしない。それは相談や問い掛けなどではなく、決定事項として受け取るのが普通だ。他の貴族令嬢よりも自由にしているとはいえ、エーリカは侯爵令嬢。己の結婚に夢や希望を見てはいないだろう。苦い想いを押し込める様にジャケットを羽織った。黒地に映えるように輝く濃い青の刺繍が縁に施されている。シャツの胸元に付いたフリルは気に食わない。本当は着慣れた制服で行きたい所だったが今日ばかりはそうもいかないのは分かっている。髪を簡単に撫で付けると、フランツの待つ部屋に戻った。

「これはまた、美丈夫な王子様の出来上がりだな」
「冗談言ってないで行くぞ」

 部屋から出てきた二人の姿に兵士達は息を呑んだ。廊下から歩いてくる侍女達がそのまま固まっている。普段は騎士団の制服ばかり着ているクラウスも素敵だが、今の華やかな王子仕様のクラウスは色気が抑えられる事なく溢れ出ていた。その後に続くフランツィスもまた美しかった。どこか近寄り難い影を宿すクラウスと、目が合っただけで腰が砕けそうな微笑みを称えた相対する二人の姿に、侍女達だけでなく、兵士達さえも悲鳴を上げそうな表情で見送っていた。
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