哲学科院生による読書漫談

甲 源太

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女装と日本人(2)

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ヤマトタケルが女装して熊曾建兄弟を暗殺したことはあまりにも有名ですね。一般には女性のふりをして油断させたとされていますが、どうもこの話はそれだけではないようです。
日本書紀には、
「その童女の容姿にめでて、即ち手を携えて席を同にして、杯を挙げて飲ましめつつ戯れ弄る」
とあり、ヤマトタケルは宴の席で弄られている、ということは男性であるとばれているわけで、見た目さえよければ女性でも女装した男性であっても関係がなかったということになります。
それはたまたま相手が同性愛者だったからではないかというのは、後述しますが現代人の価値観による見解です。

戦前までヤマトタケルは身近な英雄の一人であり、そこに女装に対する嫌悪は微塵もありませんでした。
叔母から衣服を借りて化粧を習い、その男も女も虜にする美貌で強敵を油断させ、好機と見るや意を決して事を成す。
ヤマトタケルは眉目秀麗、智勇兼備の英雄であったのです。

種子島の東海岸に貝製装飾品の出土で有名な広田遺跡があります。
この遺跡の人骨を調べると、死者は埋葬後、白骨化してから掘り起こされ骨をまとめて再葬されたものが多かったのです。これがこの地域の習慣であったようですが、一部に再葬されてないものもみつかりました。それらはほとんどが女性でたくさんの装身具を身に着けていることから巫女であったと推定できます。

種子島を含む奄美・琉球から成る南西諸島では明治になるまで、巫女(ユタ・ノロ)が活躍する地域でありました。少なくとも弥生時代末期(広田遺跡の年代)の巫女は再葬されないという特徴を持つことが分かります。
しかし、再葬されてない人骨の中には華奢ではありますが、明らかに男性のものも含まれているのです。しかも巫女よりも多く豪華な埋葬品とともに葬られていました。
環東シナ海考古学の国分直一氏は、こうした男性を女装のシャーマン、「双性の巫人」と推測しました。
この「双性の巫人」は、その豊富な埋葬品から判断するに、どうやら巫女よりも強い霊力を持つと信じられていたようです。

このような例は、1960年代の奄美大島でも報告されています。
言葉遣いや身のこなしが女性の男ユタは、老いてからは別ですが、若い頃に長髪と化粧と緋色の袴を身に着けていたと証言しています。
つまり、南西諸島では弥生時代から江戸時代にかけて「双性の巫人」が存在していたことになります。
彼女達?はジェンダーもセクシャリティも女性であり、自分たちは女以上に男を喜ばせることができると公言していました。そして興味深いことに、男の女性化は性癖どうこうではなく、神が乗ったとことに由来すると言われていました。故に「双性の巫人」は巫女よりも強い力をもっているとされたのです。

身体は男で社会的には女という特異性、この双性的性質が霊力の源泉になるという考えを「双性原理」、そしてその力を「双性力」と著者、三橋順子先生は名づけました。

この双性原理は南西諸島だけでなく、インドのヒジュラ、ネイティブアメリカンのベルダージュ、タヒチのマフ、世界各地に見られるのです。

そして双性力を持つのは女装した男性だけでなく、男装した女性にも当てはめられます。
一般の男性、女性とは異なる存在が強力な霊力ををもつ存在であると畏怖され差別や迫害の対象ではなかったのです。
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