哲学科院生による読書漫談

甲 源太

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女装と日本人(3)

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鎌倉から室町時代にかけて流行した職人歌合(うたあわせ)。当時の職人という言葉は現在のそれよりも、職業の特性を持つ者として、幅の広い意味を持っていました。
商人、宗教者、遊女(これも宗教者です。詳しくは前掲載の『遊女の文化史』を御覧ください)なども職人なのです。
この「職人」たちをページの見開き左右に一種類ずつ登場させ、その職業を象徴する姿が描き歌を記しているものが職人歌合です。左右の「職人」はそれぞれ関連のある「職人」が番わされています。
この史料は当時の庶民生活や風俗、習慣を知る上で重要なものでありますが、このなかに「ぢしゃ(持者・地しゃ)」という正体不明の「職人」がいます。

『鶴岡放生会職人歌合』にでてくる持者

赤と白の椿を散らした美麗な小袖と白い布で頭を巻いているのは当時の女性の一般的なものですが、口元にははっきりと髭があります。
そして添えられた二首の歌のうちのひとつは、「なべてには 恋の心も かわるらん まことはうなひ かりはおとめご」
最後の部分に「仮は乙女子」とあり、仮の女性、つまり本物の女ではないと書かれています。
さらに興味深いことに、もうひとつの歌が、
「やどれ月 心のくまも なかりけり 袖をばかさん 神の宮つこ」
「神の宮つこ」とは神に仕える者という意味であり、さらにこの持者が人相を見る占い師と番えられていることから、持者も占いや呪術と関連のある「職人」と推定されています。

中世の東国には「ぢしゃ」と呼ばれる女装の男のシャーマンが存在したわけですが、後白河の『梁塵秘抄』の二巻には、
「東には 女は無きか 男巫(おとこみこ) さればや神の 男には憑く」
とあります。東国には女はいないのだろうか、だから神が男に憑依する、という意味ですが、前掲の『遊女の文化史』で示したとおり神の憑依は性行為が付随し、巫女は売春せねばなりません。この男巫が女装しているかどうかは分かりませんが、神主や僧侶、山伏などとはまた違う男巫という職業は、巫女と同様の性行為による宗教儀礼を行っていたのではないでしょうか。
男巫が「ぢしゃ」のことを指している確証はありません。しかし、男巫が巫女の代わりを務めていると事実かどうかはさておき『梁塵秘抄』にはそう記されているのです。身体は男ですが、女性の職業を担っているというのは南西諸島の男ユタと似ていますね。

そして、弥生から明治まで続いた南西諸島の男ユタとこの中世東国に見られた「ぢしゃ」。
これらはそれぞれ固有の、つまり南西諸島と東国でたまたま発生した文化なのでしょうか。
ここで思い当たるのが民俗学の「文化集圏論」。これは文化が中央から伝播する際、古い文化は周縁地域に残り、結果離れた地域の文化が類似するというものです。
つまり、「ぢしゃ」や男ユタのような女装した男性シャーマンは元々全国的に分布していたのですが、都を中心とした「先進地域」で巫女に駆逐されていき、東国、南九州という「辺境」に残存したと考えられるのです。
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