狼の耳に鈴が鳴る

あのにめっと

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 その村には呪いがあった。男の精を受けなければ生きられないという呪いが。それは自らが男であっても例外ではなく。故にその村の者は常に精の強い男を欲していた。

 その村には獣のひとが暮らしていた。月が満ちる夜、彼らは獣に戻り、見境なく人を襲う。避ける方法は一つだけ。信頼できる者に命じられれば、彼らは人の姿を保つことができるのだ。

 であれば───。

「ねえ、まだ終わらないの?」
 およそ事後に似つかわしくない口調で、しかしけだるそうに華奢な男が聞く。
「…待ってくれ。君は燃費が悪いから、まだ必要だろう」
 対して答えるのは、華奢な男をすっぽり抱き込む大柄な男。
「そりゃそうだけどさあ…」
「それに君はこういう時でもないとおとなしく愛でられてくれないからな、私はこの時間が好きだ」
 大柄な男はそう言うと、華奢な男のつむじに顔を埋めた。
「もー、しかたないなー…」
 華奢な男は口では不服そうにしながらも大柄な男に擦り寄った。

 華奢な男の名前はリン、大柄な男の名前はルフスという。2人の出会いは半月前に遡る。

 いつも通り大学の講義室の席に10分前には着席し、準備をして講義の開始を待っていたルフスに誰かが近づいてきた。
(飢えた淫魔か…となると…面倒だな……)
 微かに香るフェロモンの匂いにわずかに顔を顰めながら、素知らぬ顔で座っていると、足音の主が声をかけてきた。
「ねえ、俺の名前、リンって言うんだ。この後空いてる?俺といいことしない?」
 ここが講義室であることを知らないかのような口ぶりに腹が立つ。しかしルフスは断れない立場にいた。
 ここは淫魔と人狼の通う大学。人狼には金銭的に優遇措置がある代わりに、絶対的な規則があった。

一、淫魔を許可なく襲わないこと。
一、飢えた淫魔に誘われたら断らないこと。
一、飢えた淫魔への「給餌」は何よりも優先すること。なお、その分の救済措置は行われる。

 そのため、大学構内の空き教室はおろか淫魔の誘惑にあてられた者達が廊下や中庭でも行為に及んでいることがあり、ルフスにはそれが大変不愉快であった。
 ただし規則は規則であるし、いくら金銭的な理由があるとはいえこの大学を選んだのも自分である。ルフスは精力が強い方なので何回か誘われたことはあるし、毎回断らずに応じてきた。しかしそれはそれである。毎回抵抗感はあったし、眉間に皺が寄る。

「…わかった。片付けるから少し待ってくれ」
 一瞥もせずに答えると、案外と心から安心したような声が返ってくる。
「そっか、よかっ、たあ…」
 途端にぶわりと増す匂いに目をむいて振り向く。やつれた黒髪の淫魔がこちらに向かって倒れこんでくるところだった。その顔立ちは、彼が紛れもなくあの村出身ではないことを如実に伝えていた。
(…『新入り』というやつか…!)
 喉の奥で唸ると、ルフスは荷物を置いたままリンを抱えて走った。小柄な上に骨と皮しかないような軽さが恐ろしい。

 淫魔の村に呪いをかけた不死身の魔女は旅好きな割に人嫌いで、その後もあちこちを放浪しては人に呪いをかけているらしい。その被害にあったものは大抵わけもわからず死んでいくが、稀にここのことを知って辿り着く者がいる。
 同じ呪いを抱える淫魔の村は温かくその「新入り」達を迎えるが、しかし呪いの内容に忌避感を持つ者は人を誘えず飢えて死ぬこともある。魅了の力で自らの不調を隠すからたちが悪い。

 呪いを受けるとそれ以外の食べ物や飲み物は砂を噛むような味に変わり、そして何よりも内臓がそれを受け付けなくなるそうだ。男の精を受けなければ飢えて死ぬというのはたとえでも誇張でもなく、事実なのである。

「意識はあるか、無くてもこれから『給餌』を行う。恨むなよ…っ」
 空き教室にリンを連れ込んだルフスはそう言うと、リンの服を脱がせ始めた。思った通りに肋が浮いて、青白い肌は透き通るというよりは亡霊のようだ。
 普段ならこのような光景を前に興奮できるわけもなかったが、飢えた淫魔のフェロモンがそれを可能にする。ルフスは急いで前だけくつろげると、一気に濡れそぼったリンの奥へと突っ込んだ。
 割と強い衝撃だったはずだが、一向に目覚める気配がない。ルフスはとにかく自分の快楽を追うことだけを考えて腰を動かした。幸い、淫魔の体は多少の乱暴には耐えられる。むしろ今のリンはルフスのものに絡みつき、吸い立て、絞り上げ、貪欲に精を啜ろうとしていると言えた。
 ほどなく吐精する。人狼のルフスは射精が長い。そのままリンの体を擦りつつ見ていると、少し血色が良くなった。瞼が震え、少し開く。

「…あ、おれ…」
「今、『給餌』を行っている。我慢してくれ」
 それを聞いてリンはおそるおそるといった様子で下を見て少し眉をしかめた。
「…これ、いつまでかかる?」
「数十分くらいだろうか…」
「そっか…あーあ、とうとうセックスしちゃったか…」
 リンは諦めたように目を逸らす。
「…今までどのように?」
「あー…そりゃ、分かるだろ、あのミックス精液みたいなやつでなんとか…はあ、味はそのまんまなんだからな…」
 一応保存用の精液は売られているが、やはり時間が経つと精気が薄くなる。忌避感もあって少しずつしか飲んでなかったのだろう。
「やだなあ…こんなこと何度もするの…?」
「君が生きていくためには必要なことだ」
「そうだけどさ…」
「…まあ、君の心中は察して余りあるが…ただ、人に助けを求められたことは評価に値する。なぜ私を?」
「お前評判だぞ、精力強くて精気が濃くて後腐れないって」
「そう、か…」
 それは褒められているのだろうか。ただ、人狼の中には番とは別に淫魔を何人も「飼う」者もいるようだから、それよりはマシだろう。そう思って自分を納得させる。

「それはそうと君はまだ空腹だろう。『給餌』を続けるか?」
「…その『給餌』ってのやめてくれる?俺がもう人間じゃないんだって突きつけられてるみたいで、きつい。セックスって言ってくれた方がまだマシ」
「わかった。もっと愛を囁いた方がいいか?」
「やだよ、お前みたいな奴に愛の言葉なんて無理だろ」
 そう言われてなぜか頭に来た。自分とて執着心がないわけではない。そもそも人狼はその性質が強い方なのだ、自分にないとは言わせない。
 それに先程からルフスはこの細くて小さい淫魔に庇護欲を唆られていた。いやそれ以上に、有り体に言えば、そう、欲情していたとしか言いようがない。
 その胸の尖りを弾きたい。ルフスのものに比べたら小ぶりな性器を何も出なくなるまで責め立てたい。そしてなにより…病的に白い首筋に食らいつきたい。
 本能が、目の前の青年をものにしろと叫んでいた。

「うわ、なんでもっと大きく…」
 怯えるリンを尻目に教室に結界魔法を張る。今日この後講義に使う予定はないらしいが、何人たりともこの空間に入ってほしくはなかった。
「すまないが、今日は離してやれない」
「別にそんなつもりで言ったんじゃ…ひっ!?」
 リンが余計なことを言う前に腰を動かす。
「やぁ、やらっ、こんなので、気持ちよく…!」
 パニックになりそうなリンに顔を近づける。恐らくキスは初めてではないのだろう、この状態でも悪くはなかった。こちらの方がまだ慣れた感覚だからか、縋るように舌を絡めてくる様子に仄暗い優越感を抱く。
「君には彼女がいたのか?」
「まあ、何人かっ、な。最後の奴が…クソ、『魔女』って奴だったんだよ、っ」
「ああ、それは災難だったな…」
「あいつの、ことなんかっ、思い出させるな…!あいつのせいで、俺の、両親は、俺を…っ!」
 途端に涙をにじませ、子供のように両の腕を広げるリンを抱きしめる。恐らく化け物と化した息子を親は見捨てたのだろう。そしてリンはたった一人でここに来たのだろう。そう考えるとこちらまで目頭が熱くなる。同時にそれは自分がこの青年を手に入れるのに障害は何もないことを表していて。
 それが頭が沸き立つほどの恍惚を呼び覚ました。
「ああっ、きてるっ、おれ、こんなので…っ」
 食い締めるように中が収縮し、次いで何度も吸い上げる。それを感じつつ精を放ち続けた。

 首筋をべろりと舐めあげると怯えたようにリンの身が震える。
「やだ、それだけは…っ!」
 人狼が性交中に相手の首筋を噛むと「番」が成立する。番の噛み跡は一生消えず、相手は性別問わずその人狼の子を孕むようになり、人狼にとっては結婚以上の結びつきとなる。
 それはそれとして、ただ噛むだけでは番になることはない。人狼側が心の底から相手を番にしたいと思う必要があるし、それは相手も同じである。
 つまり既にリンの心の中には万が一にもルフスの番になりたいと思う気持ちが芽生えているかもしれないということで。
 しかしルフスがそれを指摘することはなかった。
「今日は噛まない。だが口付けることは許してくれ」
「………跡を、つけないなら…」
 当然つけるつもりでいたのでむう、と唸る。だがリンの言うことなら仕方がない。ルフスは最早半分はリンの犬でいるつもりでいた。
「わかった」
 了承の意味でまた舐めあげると「ひ」と声を漏らす。
「だいぶ血色が良くなったが、まだまだだ。あと数回は我慢してもらう」
「…いいよ、1回も100回も同じだろ」
 同じではないと思うが、拒絶されなかったのでお言葉に甘えてその後も数回した。リンには「お前どんだけだよ…」とげっそりした顔で言われたが、人狼としては平均的な数だろう。

「君は東の方の人間か?」
 家が近くだったので別れるところまで、と2人で歩きつつ他愛もないことを話す。
「うん、鈴って書いてリン」
「なるほど、透き通った鈴の音のようで綺麗だ」
「実際それが由来らしい。お前は?」
「Rufus。赤毛という意味だ」
「なんというか…そのまんまだな」
「あまり名前には頓着しない種族だからな…」
「ふうん。なんか満月の夜は変身するんだって?主人マスターは誰なの?」
「番のいない者はだいたい母親だ。あの声を聞くとだいたい一発でもとに戻る」
「…そっか」
「…すまない」
「いいよ、所詮そういう親だったってだけだし。でもそれだと独り暮らしとかできなくね?」
「その場合は大家や管理人などになるらしい。一度私も物件を探してみたことがあるが…軒並み性格がきつめでな…」
「へえ…まあそうなるか…」

 その後しばらく話して別れたのが昨日のことだったか。交換した連絡先から電話がかかってきたのはいいが、こんな朝早くこんな内容のものだとは思っていなかった。
「ルフス…腹減って大学まで行けなさそう…なんとかして……」

 なんとかリンの家に辿りついてやることやった後、ルフスは頭を抱えた。
「君の燃費はどうなってるんだ…」
「ほんとだよな……数日は持つんじゃなかったのかよ…」
 ベッドに寝転がったままのリンも頭を抱える。
「そもそも保存用精液を飲んでいたとはいえ、私に助けを求めるまでは持ったんだろう…?」
「そうなんだよ、訳わかんないよな…」
「…これから毎日登校前に、する、か…?」
「言っとくけどまだ心まで許したわけじゃないからな」
「そうは言ってもそういう問題ではないだろう。それに君が死んだら私も悲しい」
「…分かったよ…そんなしょげるなって」
 撫でられると思わず口角が上がりそうになる。我ながらわかりやすすぎるだろうと口を引き結んで耐えた。

 そして半月後。不便だからとリンの家に転がり込み(親は子に番候補ができたとむしろ歓迎していた)、同棲もしている。リンは順調にルフスに絆されているようだ。そろそろ番になる話を持ちかけてもいいな、と思っていた。

 そんなルフスは浮かれすぎて、大事なことを忘れていた。

 リンの上に巨大な狼がのしかかっている。ルフスだった。今日は満月の日だ。物心ついてから叩き込まれていたその日を、ルフスはまんまと忘れていた。いや、満月の日が近づいているなとは思っていたのだが、それとこれとが結びつかなかった。
 眼下の淫魔獲物は月の光を浴びてことさら白く、そして細く小さいが、最近はだいぶ肉付きが良くなってきた。獣性の外からは人間のルフスが「そんなことのために太らせたんじゃない」と言いながら分厚い壁を叩いているが、獣にそんなこと理解できようはずもない。
 獣が迷いなく首筋に食らいつこうとした時。
「ルフス」
 ちりん。
 耳元で鈴が鳴った気がした。母の威圧的な声とは違う、静かな声。
 リンはルフスの頭を撫でながら続けた。
「ルフス、帰っておいで」
 リンの顔が濡れる。それが自分の涙だとわかるまでに時間がかかった。
「俺はお前に食い殺されても別にいいけどさ…お前が嫌だろ、そんなこと」
 そう、嫌だ。まだこれからなのだ。リンと番になって、できたらリンみたいな可愛い子どもも作って、これからリンとずっと。
「だからさ…」
 リンは肩に牙が触れるのも厭わずにルフスを抱きしめる。

 すきだよ

 呪いのように流し込まれたその言葉に、気づけばルフスはリンを抱きしめたまま泣いていた。

「もっとロマンチックに私の方から告白したかったんだが」
 顔を洗った後またリンを抱きしめながらルフスがぼやく。
「んー?なんのことかなー?俺の方から告白するとかそれこそないから。聞き間違えじゃない?」
 白々しくリンが言うが、そうであればこんなに耳を染めるはずがない。しかしそれをルフスは指摘することなく、「そうだな」とだけつぶやいた。
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