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 始まりの森 8

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「まあ、こんな感じだ。私はナズナの精を薬の材料として欲している。それさえ従順にこなしてくれるなら、他に無理強いをしようとは思わない」

 二人の頭を撫でて、優しく微笑む金髪の男性。

 ……僕を抱き潰すのは無理強いじゃないのか?

 だがこうして街の光景を目の当たりにすれば、アレも些細なことだと敦も思える。少なくとも彼は敦に奴隷としての装飾を強行してないし、裸で生活させたり、四つん這いで歩かせたりもしていない。
 奴隷らを装飾するのは財力の誇示。そして如何に奴隷らしく扱ってやるかが、この世界の矜持だそうだ。踏みにじって壊しても掃いて捨てるほど代わりはいる。だから奴隷をいたぶって周りに知らしめるのだ。これもまた、権力、財力のひけらし方なのだろう。それを愉しむ周りも周りだが

 それが、このティモシーという世界の常識。

 ……世も末だ。

 そしてふと、敦は先ほど耳にした彼の名前を思い出した。

「あの..... ドゥエルさんっていうんですか?」

 途端、金髪の男性は慌てて敦の口を塞ぎ、慎重に周囲を見回してから、はーっと大仰に息をついた。
 その顔は驚愕に固まり、あり得ないモノを見るかのような眼差しで少年を厳しく見つめる。

「奴隷が主の名前を呼ぶなんて、周りにリンチされても文句は言えないんだよ? 驚いた……ぁぁ」

 逆に信じられない説明を受けて、敦が、ぴゃっと背筋を震わせる。

「だから、あえて名乗ってなかったんだ。なのに.....あいつめ。.....そうだな、私を呼ぶときは御主人様と。良いね?」

 あまりの安堵に脱力する男性。それを視界に入れつつ敦は心底恐怖した。下手な一言が死に直結するとは思わなかったのだ。これは男性にもどうにもならないらしい。
 無礼を働いた奴隷は衆目の中でリンチする。それが常識だからだ。むしろ、それを愉しむためにわざと奴隷に粗相をさせるようなことも横行しているとか。ようはエンターテイメント。娯楽なのである。

 ……人間をいたぶるのが娯楽。

 未だに地球の道理から抜け出せていない敦達には理解の及ばない娯楽だった。
 だが実のところ地球世界にも存在する娯楽である。殺人を厭わない地下闘技場とか、惨殺を主体にしたスナッフフィルムとか、かなりの特殊性癖ではあるが結構賑わっていた。
 表沙汰にしない狡猾さが隠しているだけで、結局人間のやることは、どこも変わらないのだ。
 ティモシーという世界では、それが逆転しているに過ぎない。残忍な特殊性癖がメジャーで、温厚な性癖がマイナー。そんな世界なのである。

 だが、誰だってそんな被害者側に回りたくない。なのでドゥエルも二人に釘を刺す。

「……そうなったら私は口を出せない。主として率先的に罰を与えるべき立場だからな。周りが君らに暴力を振るっていても見ているほかない。……万一そうなったら、頭を守って蹲りなさい。生きてさえいてくれれば私が治癒出来るから」

 チャポンっと薬瓶を振り、切なげな顔をする男性。

 全身を青褪めさせて、こくこくと頷く二人を連れ、ドゥエルは近場の食堂に向かった。

 さらなる現実を子供達に教えるために。

 そこに広がっていたのもまた、街の往来に輪をかけた地獄絵図。



「無理?」

 全力で頷く二人。

 奴隷連れOKだと言う店の中では、主の落としてくれる食べ物をテーブルの下で四つん這いに食べる奴隷達がいた。少し良い待遇でも、床に置かれた皿から犬食いしている。
 ドゥエルの家でもテーブルにはつかせてもらったことはないが、二人は普通に皿とカトラリーを渡されて食べていた。そんな二人には想像もつかなかった奴隷達の待遇。
 今更ながらに、自分らが如何に幸運だったのか実感し、噛み締める敦とナズナ。
 これが当たり前の世界でドゥエルが二人に親切だったのは、彼にも奴隷だった過去があるせいだろう。
 ガタガタ震えて涙目な子供らを仕方なさげに見つめ、男性は優しく鎖を引いた。

「じゃあ露天で何か買おうか」

 だがしかし、ふと踵を返したドゥエルの後ろに何かが見える。目敏くソレを視界に入れてしまった敦は、それが何なのか理解して再び顔を凍りつかせた。

「アレっ.....って?」

 戦慄く敦を訝り、ドゥエルが視線を振ると、そこにはトイレがあった。壁に並んだ小用専用のトイレ。仕切りも何もなく丸見えで平気なのが性に奔放なティモシーらしい。

「ああ、トイレか。アレが何?」

 何って.....っ?!

 何でもない事のように宣うドゥエル。

 彼の言うトイレは…… 人間だった。

 小用専用だというソレは口に一物を含み、用足しに使われている。さらに奇異なのは、両手両足が無い事。地球でいう達磨人間。
 壁に裸で並べられている何人かの人間は奴隷として使えなくなったり、飽きられたりした単体の末路らしい。
 恐怖で言葉もない二人を余所に、ドゥエルは淡々と説明する。

「ここのは小綺麗だね。裏町にある公衆便所は汚くて、使いたくもないけど」

 専用の奴隷を持てない貧しい者用の公衆便所。憂さ晴らしの定番でもあり、場末のモノは殴る蹴るの暴行でいつもボロボロなのだという。

 平然と語るドゥエルに、地球人の敦とナズナは絶句する。

 まるで地獄だ.....っ!!

 真っ青になった二人を店から連れ出し、ドゥエルは露天で果実水を三つ頼んだ。

「奴隷に使わせる食器はないよ?」

 いかにも忌々しそうな顔の店主に、彼は慣れた仕草で銀貨を差し出す。

「食器ごと買うよ。それで良いだろう?」

 にっと微笑む彼を見て、店主は大仰に肩をすくめた。単体だと蔑みはしても便宜上、御客の差別はしないらしい。
 ドゥエルはこの街でも有名な錬金術師。自由民の身分と、その名声にだけは敬意を払われた。
 まあ、蔑ろにされるのに慣れてるドゥエルは等価価値にのみ重きを置いている。対価を支払えば、提供されるのは当然のこと。

「酔狂な御主人様だな、ほらよ」

 その会話を聞きながら敦は誓う。絶対にドゥエルから離れまいと。彼に捨てられたら自分らの末路もあのようになってしまうのだろう。
 それまでにも散々蹂躙され、拷問のような日々を送らされるに違いない。
 ドゥエルの行為を酷いと思っていた今朝までの自分を、ぶん殴ってやりたい気分の敦。
 この冷酷な世界で、ドゥエルは稀にみる優しい人だった。

 聞けば通常の奴隷は重労働に酷使され、眠るのも狭い家畜小屋。排泄感覚の陵辱は日常茶飯事で、実際に動く便器として排泄に利用されるのが当たり前らしい。それも複数に。
 逆に、そういった奴隷を連れていない者は貧しいと見下される。身分の高い者は公衆便所を使うのも恥だと思うのだ。
 そんな世界で、檻に繋がれているだけのナズナは、上級貴族の愛玩奴隷に匹敵する厚待遇。ドゥエルの優しさも知らず、敦は彼に文句をつけていたのである。

「私もトイレまで行くのが面倒な時は使いたいと思ったりするけど。君ら呑める?」

 情けない顔で涙眼な二人。

 それに苦笑し、ドゥエルはいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
 常識が違うのだし好きで呑む奴もいない。当たり前だからと気にしないだけであって、呑まずに済むなら、その方が良いと過去のドゥエルだって思っていた。
 主として、本来なら奴隷の我儘を許してはいけないのだけど、敦に一目惚れしたドゥエルには些細なことである。

「まあ、慣れなんだけどね。無理はしなくて良いよ」

 ホントに優しい彼に救われて良かったと、二人は心から神に感謝した。
 こうして凄絶な異世界の洗礼も終わり、転移した二人はドゥエルの元で生きて行く。

 残酷な世界と隔離された森の中で。彼等は幸せな森から出たいとは思わなかった。

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