だから奥方様は巣から出ない 〜出なくて良い〜

一 千之助

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 奇妙な暮らし 7

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「えと…… 奥方様は?」

「繭だが? どうした?」

 ラナリアの部屋でテーブルに座るレオン。
 そこに持ってきた食事を二人分セットして、そわそわした雰囲気の料理人がテラスをチラ見する。

「……というか。なぜにお前が持ってくるんだ? メイドに任せれば良かろうが」

「あ……いえ、何か御用命はないかなと。奥方様が食べたい物があれば、すぐにお知らせください」

 びくっと肩を波打たせながら、料理人は曖昧な笑顔を浮かべつつ脱兎のように逃げ出した。

「……………………」

 その冷や汗が浮かぶ背中を見送り、レオンはウォルターから聞いた話を思い出す。

 ……勘違いか何か知らないが、ラナリアを虐げたことに変わらん。勝手に悶々としてろ。

 元を正せば自分が元凶のくせに、すでに終わった気分の旦那様。そんな彼はテラスの繭を撫でて、その上に貼られた目隠しを取った。
 するとまるで風に揺れるような煙が立ち上り、ふいっとラナリアが現れる。仄かに香ったのは彼女お気に入りな香水。
 ラナリアの故郷、メイン領でしか栽培されていない花の香は、淡い甘さを含んだ新緑の香りがした。

「少し遅れましたか? ちょっと根を詰めてしまいましたわ」

 ゆうるりと笑う可愛い御嫁様を、レオンは毎回感無量の面持ちで抱きしめる。

 ……居た。ちゃんと居た。いなくなってたら、どうしようかと思った。

 目隠しを剥がすのは二人の合図。

 出てきて欲しい時、レオンは繭の目隠しを外すのだ。そこから射しそむる光を見て、ラナリアは繭の中でもレオンに呼ばれていることに気がつける。

「食事だ。沢山食べろよ?」

 強面顔に滲む愛しさ。今でこそ脂下がって、にこにこ笑うレオンだが、少し前はこれが恥ずかしかったらしく、がきんっと固まった険しい顔をしていた。
 それこそ地獄の獄卒も裸足で逃げ出すように、不自然な悪鬼顔を。
 それで周りも誤解をしていたらしいが、ラナリアには分からない。
 今の顔も前の顔も、表情に変化はあれど同じに見える。内から滲む切ない労りが。
 
 心の奥を、ほんのり温かく照らす優しい気持ち。

 それが嬉しくて、こそばゆい。そんなラナリアは、どこからか聞こえる大勢の声に耳をすませた。

「声……? どこから?」

 不思議そうに周りを見渡す妻を見て、ああ、とばかりにレオンはテラス下を指で指し示す。

「あそこな。大きな木が増えたから、少し減らそうと思って業者を呼んだんだよ」

 見下ろしたテラス下には大勢の人々。減らすつもりな木々にリボンを結びつけ、色々なことをしていた。
 そしてそのリボンのついている木々を確認したラナリアは、じっとレオンを見つめる。
 ぎくりと眼を瞬かせ、しきりに目玉だけを泳がせるレオン。

「旦那様? 少々お話がございましてよ?」

 満面な笑みの妻から感じる無言の圧。

 生粋の騎士であるレオンには慣れ親しんだ闘気をまとうラナリアに、思わず肌を粟立てる旦那様だった。



「……ですから、私は繭にいます。もう逃げようなんて考えませんし、出かけるなら堂々と正面から出ていきますから」

「……うん」

 こんこんとお説教するラナリア。

 彼女はメイドに頼んで下にいる業者を止め、仕事料を支払い帰ってもらう。そしてレオンと共にクッションの上に座り、正座で向き合った二人は話し合いを開始した。

 レオンが業者に伐採させようとしていた木々は、ラナリアがテラスから飛びつける範囲の木々だったのだ。
 前に見せた彼女の跳躍を覚えていたのだろう。レオンは的確に彼女の届く範囲を把握し、そこにある樹木を片っ端から切り倒すつもりだったのである。
 二階のあたりまでしか届いていない木々は景観を損なうこともない。そういった計算は庭師がちゃんとしているし、定期的な剪定もしている。
 それを切り倒そうなどと考える理由は、一つしか浮かばない。

 やれやれと嘆息するラナリアの前で、レオンはこれ以上ないくらい小さく背を丸めていた。

「すまん…… その…… 君が抜け出すこともだが、誰かが上がってくる可能性もあるかと…… 怖くなって……」

 ……歴戦の騎士たるレオンが?

 訝しげに眼を細めたラナリアだが、そこであることを閃き、ぱしっと片手で額を押さえる。

「……私が不埒なことをするとでも?」

 想像もしてなかった妻の言葉。その曲解を正すべく、レオンは声を荒らげた。もう、誤解を重ねるのは御免である。
 
「いやっ! そうじゃないっ! 君を疑ってるとかではなく、君に懸想した汚物が、身の程を知りもせず接近してくるかもとっ!」

 ……汚物? ……ああ、そういう。

 レオンにとって、愛しい最愛に下心を持って近づこうとする者は全て汚物だった。その意味に気づき、さすがのラナリアも呆れた顔をする。

「……あの後、君は木を伝って戻ってきただろう? ……それを見て…… うん……」

 レオンは背筋が凍ったのだ。これがラナリアでなく、どこかの汚物だったら…… と。

 丸まった背中がその全てを物語っていて、ラナリアは怒りも呆れも通り越し、得も言われぬ面映い気持ちが溢れ出した。
 
 ……そんなに心配なんですか? 私も戦えますのよ? どちらかといえば、淑女より戦士なのですよ? もう……っ!

「分かりましたわ。じゃあ、旦那様がいないときは巣から出ないようにいたします。それなら安心ですか?」

 ばっとレオンの顔が上がる。喜色満面なそれを見て、ラナリアの胸が一杯になった。

「で、出なくて良いっ! あああっ、ありがとう、ラナっ!!」

 両手をついてラナリアににじり寄りつつ、今にも泣き出しそうな顔で喜ぶレオン。

 愛する旦那様の望みだ。それを叶えてあげられることがラナリアは心の底から嬉しい。
 こうして心配されるのが堪らない。威風堂々とした天下逸品な騎士をオロオロさせられるのはラナリアだけ。
 奇妙な優越感が彼女を満たし、ラナリアはレオンの頬を両手で優しく包むと、軽く口づける。
 啄むように優しいキス。ラナリアに関してだけは臆病で心配症な旦那様が、すこぶる可愛らしい。

 何をされたのか理解が追いつかずに絶句するレオン。

「かしこまりましたわ。困った方ですね、私の旦那様は。そんなにお可愛らしいと、悪戯したくなってしまいますよ?」

 頬を染めて、ふっくり眼に弧を描く御嫁様。

 ……ま、またぁぁっ! また先を越されたぁぁっ!!

 ちう…っと再び唇を啄まれ、レオンは声にならない絶叫をあげる。
 茹でダコのように真っ赤な顔のレオンと、蕩けた微笑みでそれを見つめるラナリア。
 無茶ばかりを言う旦那様に奥方様が従っているだけなのに、なぜか奥方様が旦那様を振り回しているようにしか見えない、謎。

 徐々に甘く深まる二人の関係。

 だが、波乱を予感させるかのように、奇妙な繭が、ぽうっと仄かな光を瞬かせていた。
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