だから奥方様は巣から出ない 〜出なくて良い〜

一 千之助

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 奇妙な暮らし 9

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「じゃ、俺は先に帰るから」

「え…? あ、待てっ、レオンっ!」

 ウォルターが気づくが早いか、桃色のポンポンを返してもらったレオンは、ぐっとそれを握りしめた。

 途端に掻き消える大男。

 それを目撃して凍りつく執事様。

 ……うああぁぁ~っ! お前ぇぇ、何してくれてんだあぁぁっ!!

 ここは騎士団正面玄関だ。案の定、取り残された執事様の周りが驚愕にどよめいている。

「ええっ? 消えたっ?!」

「おいおい、何が起きたんだ? ウォルター、何か知っているかっ?」

 次々と投げかけられる疑問。それに曖昧な笑みを返しつつ、ウォルターは脱兎のごとく逃げ出した。
 待てっと叫ばれてるのが聞こえるが、執事様は足を止めない。止められない。

 ……どう言い訳すんだよぉぉっ! この馬鹿野郎ぉぉっ!!

 速攻で馬車に逃げ込んだウォルターは、軽はずみな幼馴染みを脳内で毒づきながら、急いで御者に発進を指示する。

 その日、騎士団が大騒ぎになったのは言うまでもない。翌日、質問の嵐に見舞われるとも知らない上機嫌な旦那様は、ラナリアと顔を見合わせて眼を点にしていた。



「ラナ……? ここは?」

「巣の中でございます…… え? 旦那様?」

 刺繍針を片手に放心状態な妻を見て、レオンも呆気にとられた顔で辺りを見渡した。

 小ぢんまりとした温かい部屋。

 テーブルセットやチェストも小ぶりで、ラナリアによく似合う。ハンガーで壁に吊られた寝巻きや普段着も可愛いものばかりで微笑ましい。
 大きなクッションにかぶさるキルトのカバー。これもラナリアの手作りだ。辺境貴族の淑女は裁縫が嗜みだと聞くが、見事なものだとレオンは眼を細めた。
 王都貴族のように刺繍や小物に特化したものではなく、生活に根付いた実用品ばかり。
 そんなラナリアの手にある鈍色の生地を見て、彼は興味をくすぐられる。

「それは? それも何かのカバーか?」

「いえ、これは…… その……」

 ささっと丸めて隠そうとする奥方様。
 その目尻に走る朱をレオンは見逃さない。
 他では無沈着で大雑把なくせに、愛しい妻の仕草にだけは敏感という恋の熱病患者。以前はこれで苦しみもしたが。

 ……どんどん元気を失っていく君にどれだけ焦ったか。なのに、その理由が分からず、馬鹿な俺は物を与えることしか思いつかなかった。
  
 恋に盲目だったレオン。何をしてでもラナリアを手元に置いておきたかった彼は、全てが敵に見えていた。
 彼女の家族も多くの招待状や手紙も。ラナリアの関心を奪いそうなものは徹底的に排除した。庭の散策すらだ。

 今思うと、レオンは恥じ入る気持ちしか浮かばない。ラナリアは最初からレオンを愛してくれていたのに。進んで歩み寄ってきてくれていた彼女に、全く気づいていなかった愚鈍さが呪わしい。

 ……もう同じ轍は踏まないぞ? 

 こそこそ布地を丸めて背中に隠すラナリア。

 それに微笑みながら、レオンは疑問を口にする。

「……しかし。なぜ、俺が君の巣に入れたのだろうか」

「さあ…… あ。ひょっとして、例のポンポンを使われましたか?」

「ああ。すぐに君に会いたかったから…… あ、それかっ!」

 掌に握り込んだ淡いピンクの綿ぽこを見て、レオンも得心顔をした。

「こんなことも起きるんだなぁ……」

「それは、どこにいようとも、私の側へ旦那様を飛ばしてくれるのですねぇ……」

 思わず感嘆の眼差しで不思議な綿ぽこを見つめる二人。
 ここがラナリアの巣だと分かったレオンは、所在なげに身体を揺すった。
 大きな体躯の彼がそわそわする姿が妙に愛らしく、ラナリアは喉の奥でだけ笑う。

 ……旦那様ったら。緊張しておられるのかしら?

 それは図星だったようだ。ちらちら眼を泳がせながら、彼は小さく呟いた。

「……ここは。君の秘密基地のようなモノだろう? 俺がいても良いのだろうか?」

 可愛らしい物で溢れた空間。自分には不似合いなそれらが、レオンには落ち着かないようである。
 どんな旦那様でも嬉しいラナリアは、ふと思いついたことを口にした。

「なら、旦那様も秘密基地を作りますか?」

「え?」

 素っ頓狂な顔で眼を見開くレオン。そんな彼を手招きし、ラナリアは下の階に旦那様を案内する。



「おおお……? すごいな、二階建てなのか」

「いえ、もう一つ下にも部屋があります。三階建てになりましたの最近」

「最近?」

 不思議そうな顔で見つめるレオンに頷き、ラナリアは今日起こったことを語る。



「……というわけで、こんなポンポンが一杯出来てましたわ」

 ラナリアは繭の外側で剥いだ白い綿ぽこ一杯な籠を見せて、これまでに起きたことを説明した。ざっと見、五十個ぐらいあるだろうか。

「なるほど。不思議なこともあるものだなぁ…… あ? いや、聞いたことあるぞ? スキルの中には一定の条件を満たすと進化するモノがあるとか?」

「進化?」

 そう考えたら、この状況にも納得出来る。何がきっかけかは分からないが、巣が進化したのなら大きくなるのも道理だ。

「なら、ここに旦那様も秘密基地を作りませんか? ……その。……一緒にいられたら、嬉しいです」

 ぽっと顔を赤らめる妻に心臓を暴走させ、無言で頷く旦那様。

 ……もちろんだっ! い、一緒……っ、一緒にっ! うんっ! 俺もここに住むぞっ!! こっちこそ嬉しいっ! 君の秘密空間に歓迎してもらえるなんてっ! ああああっ! 神様、ありがとうございますっ!!

 相変わらずな寡黙ぶり。脳内一杯に飛び交う言葉の十分の一も口から出せず、レオンはそっと妻を抱きしめて、その頬にキスを落とした。

 そんな至福に二人が浸り切っていた頃。



「レオン、どこだぁぁーっ!!」

 騎士団から逃げ出してきたウォルターが子爵邸を駆け回っていた。般若の形相で全力疾走する執事様。
 血相を変えて走り回る彼に、侍女長が声をかける。

「どうしたのですか、ウォルター。貴族家の執事たるもの、そのように粗暴な態度をしてはなりませんよ?」

「……失礼いたしました。……して? 旦那様は何処におられましょうか?」

「見かけておりませんね。一緒に帰宅したのではないのですか?」

 頬に手を当てて疑問顔なアンナ。

 それを見たウォルターの頭でピーンとアホ毛が跳ねた。あの巨体が歩いていたら目につかぬわけはない。ということは……

 軽くノックしてから侍女長と共にラナリアの部屋へ踏み込み、ウォルターは一直線に繭へと突進する。
 案の定というか、繭の目隠しは外されておらず、帰宅したはずなレオンもいない。
 あの桃色の綿ぽこの効果を知るウォルターは、簡単にレオンの居場所を予想した。

 ……お前まで中に引きこもって、どうすんだよぉぉーっ!! 奥方様を繭から出せるのはお前だけだってのに、お前まで繭に引きこもったら、誰が奥方様を引っ張り出すんだぁぁーっ!!

 誰にも言えない愚痴を心の中でだけ絶叫し、生温い笑みで口元をひくつかせていたウォルター。そんな彼の視界に、なにか白い物が過った。

 ……なんだ?

 鉢植えの陰でふわふわ揺れる綿ぽこ。

 ラナリアがレオンに渡した物そっくりなソレは真っ白の色違い。自分には全く反応しなかった奴だと、ウォルターは何気にそれを握りしめる。

 ……と、彼の視界がブレた。

 え? と、思うが早いか、彼は真っ白な空間に居た。そこは階段下にある繭の前。ラナリアのモノと同じ繭を見て、ウォルターは驚愕に眼を見開く。
 そんな彼の耳に楽しげな声が聞こえた。耳慣れたその声をたどり、階段を上がったウォルターは、思わずこめかみに青筋を走らせる。

 そこにはラナリアを抱きしめて、脂下がる御主人様。

 ……こっちが必死に探してたってのに。お前、明日、騎士団でえらい目に遭うからな?

 そ…っと階段を下がり、ウォルターはわざとらしく咳払いをする。
 それに気づいた二人が慌てて階段に駆け寄る足音を聞きながら、なぜにこうなったとウォルターは死んだような眼をした。

「な…っ! なんでお前がっ?」

 混乱極まりない顔で驚くレオンを据えた眼差しで見つめ、短く答える執事様。

「こちらが聞きたいくらいですよ」

 ひくつく口角が彼の動揺を二人に伝えた。

 ……誰も好きで、こんな出歯亀みたいなことしとらんわぁぁーっ!!

 三種三様の気まずさが漂う中、この秘密をどうしたら良いものかと、頭が割れるように痛むウォルターである。
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