聖女狂詩曲 〜獣は野に還る〜

一 千之助

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 幽閉された王女 6

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「……私どもがいたにもかかわらず、王女殿下はスカートをめくり、御不浄を使おうとなさいました。女性としての恥じらいなど欠片もございません。暴力という言葉も知らないし意識もございません。気に入らなければ、無言で殴り倒します。食事も基本は手掴み。ずるずる音をたてて、くちゃくちゃ食べておりました。……ただ、その所作は美しく、姿勢もとてもよろしい。けど、読み書きは出来ないし、櫛どころが鏡もご存知ない。侍女は仕事をしておりませんでした。髪を梳くことすらね」

 つらつら並べられるアレコレに、王子らは顔面蒼白。バルバロッサも先程まで対面していたデザアトを脳裏に浮かべて、心底困り果てる。
 髪は絡んでボサボサ。タライの清拭も自分で適当にやっていたらしく、耳の裏には垢がこびりついていた。
 爪も栄養不良の代名詞みたいに白く濁ってひび割れていたし、見るからに栄養不良でギスギスした身体と細い手足は、病的な肌の白さがあいまり、痛々しい。若い美空なのにまるで老人のごとき枯れ方であった。

 詳細を調べれば、さらに酷い事実が浮き彫りになるだろう。どこから手をつけたものかと途方に暮れるバルバロッサ。

 幸いなことは、週末や祝い事の時のみ葡萄酒とチーズが振る舞われたらしく、彼女の劣悪な食事事情を崖っぷちで支えてくれていたこと。それがなくば、とうに栄養失調でデザアトは床に臥していただろう。

 ……いや、むしろその方が大事となり、今の状態よりも事態は好転していたかもしれない。少なくとも亡き国王は、娘の死を望んではいなかったのだ。王子達も報告されれば彼女の実情を知れただろう。さすがに血を分けた妹を飢え死にはさせなかったはずだ。
 それを別にしても………

「……聖女とは、己の幸せを力として国に祝福を与えるのですよね?」

 胡乱なバルバロッサの呟き。

 それを耳にして、王子達の顔色が蒼から真っ白に変わってゆく。
 皆まで言うまでもない。ここに居る者、全ての胸中が同じである。

 アレを聖女にするのは無理だろうと………

 完全に喜怒哀楽が欠落し、知性を持った野生動物同然の王女殿下。

 昆虫相手のがまだマシだ。少なくとも昆虫なら、人間を殴り倒したりはしない。眼の前で素足をさらして、そのさらに上までスカートを捲ろうともしない。
 すすり終わった食器を床に投げたり、聞くにたえない罵詈雑言を吐いたりもしない。

「……早急にまともな侍女と侍従を。常識的なことだけで言えば彼女は生まれたての赤子と同じです。まずは、今までを消し去ることが必要。どこかに小さな離宮を用意していただけますか? 心機一転、塗り替えます」

「塗り替える?」

「はい」

 疲れたような笑みを刷いてバルバロッサは端的に説明した。

 地下牢にあったままでは、どんなに噛み砕いて教えようとデザアトは理解すまい。これまで彼女が独学で学んできた歪みを正せない。だから環境から変えるのだ。
 それは彼女に対して悪意を持つ王宮では不可能。速やかにここから切り離すべきである。

「何も知らないことが幸いします。多分ですが、そういうものだと刷り込むことは可能でしょう」

 悲惨な地下牢暮らし。それを理不尽と知らないから彼女は平気でいた。これまでも、これからも変わらないと頑なに思っているに違いない。
 だから、それを根底から覆してやるのだ。

「食事が変わったのも、侍女が変わったのも、全て環境が変わったからだと思わせるんですよ。地下牢では、ああだったけど、ここでは、こうなんだよ? ってね」

 子供騙しな欺瞞だ。それでも、あのデザアトなら騙くらかせる気がする。
 偏った執着の片鱗はあったが、基本的に彼女は素直だった。こうっ、と頑固に思い込んでいる部分も、周りをガラリと変えれば納得する気がする。
 ほんの少しの対面だったが、バルバロッサはかなり正しくデザアトの性質を理解していた。

 家庭教師の思惑と勧めに従い、三兄弟はだだっ広い王宮庭園端の離宮をデザアトの新たな住まいとする。
 信用のおける使用人を用意し、過不足なく設えられた離宮は小ぢんまりした品の良い建物だった。

 それまで、あらゆることを一から教えながら、バルバロッサとスチュワードは甲斐甲斐しく王女殿下に添う。
 警戒心は解かないものの、デザアトが見たこともない珍しい物を持ち込んでくるため、生来の好奇心が疼く王女殿下。
 それと気づかれぬようバルバロッサは、絵本やボードゲーム。ちょっとした食べ物などでデザアトを懐柔していった。

「これは?」

「キューブといいます。これはナッツに蜂蜜を絡め、外側を飴で包んだ物。要は携帯食てすね」

「けいたいしょく……? 食べ物か? 良い匂いだが…… これはバルバロッサのか?」

「はい、私の持ってきたモノです。王宮のではありませんから、安全ですよ?」

 そういうと、バルバロッサは瓶の中に詰められた三センチ大のキューブを指で摘み、自分の口に放り込んだ。
 パリパリ軽快な音をたてて食べる家庭教師の姿を訝しげに睨めあげ、デザアトも恐る恐るキューブを手にする。
 ……が、すぐに瓶の中へと戻してしまった。

 やはりまだ気を許してはくれないようである。

 そんな王女殿下と辛抱強く向き合い、バルバロッサはスチュワードと協力して、手取り足取り色んなことを教えた。

 そうして淡々と日々が過ぎていき、十日もたった頃。ようやく離宮の準備が整い、デザアトを移動させる目処がつく。
 
 

「さ、参りましょう? 貴女は大きくなられましたから。ここはもう、狭いのです」

「大きくなったから? そうか」

 差し出された手を無視して、デザアトは開け放たれた扉をくぐる。無視されてしまった己の手を乾いた笑みで見据え、バルバロッサも彼女の後に続いた。
 スチュワートの先導で初めて目にした地下通路。問題を持つ王族を幽閉するための地下牢は、王宮地下でも最奥に位置する。基本、運動をしていなかったデザアトは、その長い通路を大して歩きもしないうちに顎を上げた。

「……おかしい。足がいうことをきかないぞ?」

 疲れるということも知らない少女。

 切なげに眼を細め、スチュワードが彼女を横抱きに持ち上げる。そして、そのあまりの軽さに眼を見張った。
 余分な肉どころが必要な肉すら足りていない。椅子に座るのも辛そうだったデザアトを思い出して、護衛騎士は忌々しげに眉を寄せる。

 ……やはり殺しておくべきだったな、あの女どもを。

 仮にも王女の侍女だ。それなりに高位な貴族子女であり、スチュワードには何も出来なかった。王子らが処罰をしてくれたが、それも登城禁止が精々。国力が弱った今のドール王家は、侍女らの実家の後見が必要なのだ。致し方なし。
 
「軽いですね。これからは沢山召し上がって、もっと重くなりましょうね」

「重くなってはいけないのだそうだぞ? 女は羽のように軽くなくてはな。知らないのか?」

 なんの気なしなスチュワートの呟き。それに対するデザアトの斜め上な答えに、バルバロッサすらも瞳に殺意を宿した。

「……誰がそのようなことを?」

「侍女だ。あやつらは重そうだったからな。私の方が軽い。ざまあだな」

 ふふんっと誇らしげなデザアトがやるせなく、二人は紡ぐ言葉もない。だが、獰猛な視線でだけ頷き合い、二人は無言で通路を進む。

 ……もう、あいつら殺しても良いんじゃないかな? 殺すべきだろう? 王女の公費横領の件も含めて、ギタギタにしてやる。

 ……殺す、殺す、殺す。次に見えようものなら、即、たたっ斬ってやろう。

 バルバロッサと似たようなことを脳内で巡らせ、地下から出たスチュワードの首を、か細い腕がキュっと掴んだ。

「……これは? なに? すごく明るい。一杯、蝋燭つかってるな。すごい、すごい」

 珍しく顔をひらめかせる王女殿下。

 年相応な驚きを微かに滲ませたそれに、バルバロッサとスチュワートは不覚にも胸が締めつけられる。

「蝋燭ではありません。ほら、空から光が注いでいますでしょう? あれは太陽というモノで、昼を照らしてくれています」

「たいよう……? 高いな? 誰がつけているんだ? あんな高いところに届くのか? すごいな、魔法みたいだ」

「…………そうですね。そういうのも、おいおい覚えていきましょうね」

 光=蝋燭しから知らないデザアト。あれも誰かのつけた何かだと思っているようだった。
 しかし、微かとはいえ彼女の表情が動いた。それだけで二人は感無量である。やはり地下から出して正解だ。それも王宮から離れるのだし、きっと良い状況になるに違いない。
 あれこれ尋ねてくるデザアトに説明しながら、二人はゆっくりと庭まで歩いていく。

 その背後をつけてくる誰かに、スチュワートだけが気づいていた。
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