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 幽閉された王女 5

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「……というわけで、デザアト様には学びが必要だと判断されました。こちらの家庭教師が教えてくださいます」

 にこやかな護衛騎士に招かれるよう地下牢の中に入ってきた男性は、神経質そうな眼でデザアトを見つめる。
 スチュワートと変わらない背丈だが、その体躯は細くスラリとしていた。片側が筋骨隆々なマッチョなので、その対比が面白い。
 護衛騎士の半分の太さもあろうか。真っ直ぐな淡い茶髪を首の後ろで一つ結きにした男性は、縁無し眼鏡の向こうから慇懃な蒼い眼差しを王女に向けた。

「バルバロッサと申します。以後、よしなに」

「……そう。で? コレはなんだ?」

 家庭教師だと紹介されたにもかかわらず、デザアトは訝しげに首を傾げる。
 思わずと言った感じで瞠目するバルバロッサ。それに苦笑しつつ、スチュワートが説明をした。自分の感じた範囲でしかないがという簡潔な王女の私生活を耳にし、家庭教師の彼は別の意味でも瞠目を隠せない。
 
 ……なんということか。碌な食事も暮らしも与えず、ただただ虐げられて育ったというのか。しかも何も学ばせていない? ……それにしては。
 
 バルバロッサの前に座る少女は堂々としており、その瞳は輝く好奇心に満ちていた。理智が溶け、屑星の煌めく潤んだ眼差しに、虐待の翳りなどは見えない。 
 えらくチグハグな違和感が垣間見える不可思議な少女を思案げに見下ろして、家庭教師は確認するように護衛騎士に視線を振った。

「……つまり。人として育っていないということですね? 悪意と害意しか学んでおらず、世間一般の常識も教養もないと」

「そうなります…… そして、そういった関係から、非常に好戦的な口調で話します」

 ふうむと顎に指を当て、バルバロッサは炯眼を眇めた。

「では、とりあえず学力の確認をいたしましょう」

 そう微笑んだバルバロッサの授業を、スチュワートは扉横で見守る。
 笑顔だった家庭教師だが、時間が立つにつれその顔が曇っていった。眉間の皺が消えなくなり、無意識に揉んでしまうバルバロッサ。
 見守るスチュワートの顔も、苦笑いからしだいに剣を帯びていき、みるみる憤怒を露わにした。

 そして数時間後。二人は無言で静かに地下牢を出ると、凄まじい足音を立てて地下通路を抜けてゆく。

「……ありえない、ありえない、ありえないっ!」

「同感です。あの侍女ども…… 八つ裂きにしてやるべきだった」

 怒りに色映ゆる獰猛な双眸を携え、二人は王子らの居室へと飛び込んだ。



「……そんな」

「事実です」

 吹雪を纏わす冷淡な声音。そのあまりの冷たさに、全身をメッタ斬りにされる錯覚すら起こし、デザアトの兄三人は深く項垂れた。

「よろしいか? 王女殿下は、独力でつけた知識があります。ただしそれは、非常に極端で偏ったモノ。己を守るため誰かを傷つけることを躊躇しない。自己防衛のため、口にするモノも極端に少ない。手洗いや清拭といった行為の意味もご存知ない。なにより恐ろしいのは、生命や情緒という曖昧なモノを全く理解しておられないことです。決定的に足りない想像力の欠落。これは非常に不味い状況としか申せません」

 羞恥心も慈悲も、喜びや恐怖すらない。喜怒哀楽の全てが欠如している。人間として致命的だ。
 一見、怒っているように見えるのも、実は侍女らの真似をして怒鳴っていただけ。その眼に怒りはなく、まるで威嚇するカマキリのようだった。いや、まだカマキリの方が情が見える気がする。それほど硬質なデザアトの表情。
 よくよく見れば理解出来た。彼女の表情全てが、侍女らを真似た造り物なのだと。それだけ苛烈な環境に置かれていたのだ。表情筋すら働かないくらい無惨な状況だったのだろう。

 ……いったいどんな暮らしだったのか。

 バルバロッサの顔が悲痛に歪む。こういった感情というのは周囲から学ぶもので、親が笑えば子も笑う。叱られ、褒められ、転べば泣き叫び、周りの人間の反応に培われるのが情緒だ。
 それが皆無な場合、人の感情はどうなるか。
 生存本能は無駄なことに労力を使わない。ましてや非常に粗末な暮らしだ。少しでも体力を温存しようという生き物の本能が働き、野生動物みたいに空夜な眠りにつくほかない。
 バルバロッサは知識として知っていた。酷い虐待の果てに感情を凍らせてしまう子供達の現象を。
 何をやっても無反応で、心の揺れない子供達。そうせねば親の虐待が凄まじくなるため、防衛本能から喜怒哀楽を殺す。
 虚ろで硝子のような瞳。殴ろうが蹴ろうが、全く泣かないし痛がらない。笑うことはおろか、顔を歪めることすらしなくなる。
 デザアトはそれと同じ状況になっていた。いや、それより事態は深刻だ。彼女は産まれた時からそのようになる状況だったのだから。
 最初から知らないのだ。褒められることも、労られることも。笑ったこともなく、泣くことすらしたことがないのかもしれない。
 人が何かを感じるには、その根底となる知識が必要である。幸せを知るから、虐待に泣き叫び憤る。しかし、その幸せを知らなかったら? 家族に可愛がられた記憶もなく、そういった光景を見たことも感じたこともなく、薄暗い地下牢だけが世界の全てだったら?

 ……人は、それに順応してしまうのだ。

 そういうものだと学習し、実際にした、あるいはされた体験を元に己を造る。
 デザアトの周りには、彼女を害しようとする侍女らしかいなかった。だから防衛に特化した。毒で身体を損なった経験から口にするモノを厳選し、侍女らを真似て口汚く罵り、やられたらやり返す。
 小さなころは抵抗も難しかっただろうが、今の彼女は体格的に負けない。だから容赦なく反撃するようになったようで、侍女らは王女の気が狂ったなどと王子らに報告していたとか。

 ……単に下剋上を食らっただけなくせにふてぶてしい。

 しかしまあ因果応報というか、特殊な育ちのせいで暴力に忌避感のないデザアトは、それこそ加減を知らず、本気で椅子を振り回して侍女を殴り倒したらしい。
 満身創痍な侍女らが彼女を恐れ、近づかなくなったここ一年。ようやく平穏が訪れたところに、今回の聖女騒ぎだ。デザアトにとっては踏んだり蹴ったりだったに違いない。

 バルバロッサは実際に見た王女本人と、スチュワートに聞いたこれまでの話を加味し、割れるような頭痛を頭に覚える。

 ……これは、根が深い。

 かなりの長期戦を覚悟し、デザアトの社会復帰を目指すバルバロッサとスチュワードだった。
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