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 皇帝陛下は逃げられない 〜今日のオルフェウス〜

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「綺麗だな。……他の野郎に見せたくねぇぇ」

 ひしっと抱きつき、愚図る皇帝陛下。
 
 それを仕方なしにあやし、オルフェウスは花も恥じらう微笑みでキスをする。
 啄むように軽いキスを繰り返し、しだいに深く重なる二人の唇。はあ……っと絡まる甘い吐息を吸い込みあい、アンドリューはオルフェウスの懐に手を入れた。

「あ……っ」

 ぴくんっと震える妻の胸の頂きを摘み、くにくにと捏ねくりながら、皇帝は訝しげな顔をする。

「いつもぴっちり覆うタイプの衣装を着るのに…… 今日は何で、こんな衣装を? ゆるゆるではないか。……正直、少し怒りたい気分なんだが?」

 オルフェウスのまとう衣装は、前合わせで際どい衣装。油断すると脇から胸が丸見えになりそうな着物だ。薄い生地も透けるようで、男性の劣情をそそりかねない仕様。
 まるで異国の踊り子のごとき衣装を選んだ意図が分からない。一つ間違えば下品にも見えるが、そこはオルフェウス。小物や帯で品良く着こなしていた。
 長い袋袖を翻し、膝下丈な裾もスリットが入っていて実に悩ましい。下にレギンスを穿いていなくば、裸体に布を巻き付けているだけにしか見えない姿。

 ……そういう扇情的な格好は閨の中だけでして欲しいんだが。

 うっそり眼を眇めるケダモノ様。

 それに苦笑し、オルフェウスは舐めるように甘い声でアンドリューに囁いた。

「……陛下を狙う仔犬や雌犬が来てると小耳に挟みまして。少し奮起したんです。……似合いませんか?」

「いやっ、似合うっ! 似合うんだけど…… う~」

 モノ言いたげな視線を隠しもせず、拗ねたようなアンドリューに、オルフェウスは喉の奥だけで笑った。
 
 ……ほんと。僕だけじゃなく、陛下も素直になったよなあ。

 以前の二人からは想像も出来ない今の関係。

 お互いに拗らせた自覚を持つ二人は、素直であることを心がけていた。結果、オルフェウスは奔放で無邪気な仔犬になり、アンドリューは嫉妬深い番犬に変貌する。
 時々困っちゃうことはあるものの、おおむね幸せに暮らしていた。

 そこに舞い込んだ一通の挑戦状。

 隣国の姫君とやらが、アンドリューに縁談を申し込んできたのだ。正室を持つ者に王族が嫁ぐことの意味は、正室を側室に下げ、正室の座を空けておけという示唆である。
 もちろん、アンドリューは歯牙にもかけず一蹴したが、その国の姫君は諦めていないらしく、新年パーティに参加を表明してきた。
 オルフェウスの実家が侯爵家で、さらに男性であることを侮ったのだろう。
 本来、皇帝の妻は女性と決まっていた。それを捻じ曲げたのだから、正そうという都合の良い正義感もあるのかもしれない。

 ……舐められてたまるものか。陛下の隣は僕の席だ。

 すいっと流れる切れ長な眼。まつ毛バサバサな悩ましい紅い瞳に、節操なしな皇帝陛下の下半身が昂りだす。

 ……夜会なんて放りだして、部屋にこもりたい。

「オル…… いや、やめとこう」

 非現実的な妄想を必死に振り払い、皇帝陛下は手を差し出す。

 ……丸わかり。可愛いなぁ

 困ったように眉を寄せ、オルフェウスはアンドリューに、エスコートされ会場に向かった。




「ようこそ。皆楽しんでいってくれ」

 壇上で軽く挨拶し、皇帝陛下は椅子に座る。豪奢な鈍色の上下に白銀の飾りマント。その色は横にいるオルフェウスの衣装と揃えられたモノ。
 オルフェウスは白の薄絹の衣に鈍色の帯とレギンス。衣に施された銀の刺繍が明かりを反射し、仄かな光沢を煌めかせる。
 如何にも上質な仕上がりの一対。侍従ら渾身の作である。
  
 厳かに進んでいく夜会。

 和やかに挨拶を受けていた二人だが、ふいに会場がざわめき、派手な一団が入ってきた。
 真紅の衣装をまとう少女を囲む居丈高な人々。それが広間を割り、皇帝陛下の前までやってきた時。
 アンドリューが忌々しげな声をあげた。

「許しておらぬぞ? 控えよ」

「……………………」

 真紅のドレスをまとった少女が、断りもなく壇上に足をかけたのである。
 基本、挨拶をする者は広間側で跪き、皇帝陛下の声がけで壇上に上がれるのだ。このルールはどこの国も同じ。

「まあ。わたくしは気にいたしませんわ。陛下のお側に寄らせてくださいませ。わたくし、陛下をお慰めしたく馳せ参じました、アレキサンドラと申します」

 にっこり優美に微笑む少女。

 ……これが例の王女殿下か。

「お話は通っておりますわよね? 最初は側妃でもよろしいと思っております。お子をさずかりましたら…… 正妃様が、身の程を弁えてくださるかと」

 ちらっとオルフェウスを見やる嫌悪の眼差し。こういうのも久しぶりだと、オルフェウスは微かに笑った。
 見た感じ年若いがけっこうな美貌。蝶よ花よと育てられ、多少の我儘は許されてきたのだろうと窺える高慢さ。

 ……でもねぇ。そういうの通じないよ、陛下には。

 仮にも周辺国を平定した皇帝陛下である。たかが一国の王族に、容易く扱える御仁ではない。
 案の定、脳内妄想駄々漏れで、不躾な我儘娘にキレかかる皇帝陛下。その手が腰の剣にかかるのを嬉しげに眺めるオルフェウス。

 ……けど、これは不味いね。

 皇帝陛下の不興を覚ったのだろう。王女殿下と共にいた側近らの顔が驚愕に強張った。ここで斬り捨てられても彼らは皇帝に逆らえない。それを理解しているに違いない。
 周りの護衛騎士三人衆らも、眼を凍りつかせている。今でこそ、デレデレユルユルなアンドリューだが、少し前には手のつけられない残忍な暴君だったのだ。
 その温度差に気づきもせず、王女殿下は、あれやこれやと話を続けている。

「正妃様が男性ではお子もなせないじゃないではありませんか。わたくし、励みますわ。陛下のように立派な男子を授かりますよう」

 みるみる不愉快な笑みを深めるアンドリューを見て、オルフェウスは蠱惑的に笑った。嬉しくて。
 なので、彼は王女に助け舟を出す。

「陛下。音楽が始まりましたよ? 踊らなくては」

「……あ。そうだな」

 最愛のおねだりを耳にし、皇帝陛下は不愉快なやり取りから即フェード・アウト。
 周りの人々も一触即発な空気が霧散したことに緊張の糸を緩めた。

 ふっと頬を緩めてアンドリューが立ち上がる。それに合わせて立ち上がったオルフェウスに、王女殿下が辛辣な眼差しを向けた。

「わたくしっ! 陛下と踊りたく存じますっ! ここは譲ってくださるのが筋なのでは? 国賓をもてなすのも妃の務めでありましょう?」

 ……せっかく、正妃さまが話をズラしてくれたのにっ!!

 不躾も裸足で逃げ出す、あまりの厚顔無恥さに、広間に居た来客や使用人全てが、一斉に顔を青ざめさせた。

 ……一理ある。でも……

「ふふ、貴女が陛下と? 御冗談でしょう? 貴女に陛下は扱えません」

 これ以上ないくらい優美な微笑みで、オルフェウスは懐に隠していたモノを取り出した。
 
「それは……っ!」

 オルフェウスの手にあるのは、以前アンドリューが作らせた解呪の首輪。だが色が違う。漆黒の鞣革の首輪を己の白い首にはめた途端、オルフェウスが白銀の狼に変貌した。
 そして音楽に合わせてホールに飛びだす。するりと落ちた衣を慌てて拾い、狼を追いかける皇帝陛下。
 そんな陛下に飛びつき、オルフェウスは踊るように絡まった。

「おま……っ! 仕方ないなぁ、この悪戯っ子が」

 満面の笑みで、飛び跳ねる狼を受け止め、抱きしめるアンドリュー。そこで、オルフェウスは引っ掛けただけの首輪の留め具を外した。
 すると再び人間に戻る最愛。それに眼を剥いて雄叫びをあげる皇帝陛下。

「うわああぁぁーーーーっ! オルぅぅーーーっ!!」

 全裸で人間に戻る寸前、アンドリューは、ばさっとオルフェウスに衣を巻きつける。突然のことで心臓がバクバクし、止まりそうだった。

 ……まさか。このために、前開きな着物を選んだのかっ?! 阿呆ぅぅーーーっ! 身体は隠せてもスリットから生脚が丸見えではないかぁぁーーーっ!!

 何とか片手でスリットをふさごうとするが、片側を寄せると反対側が大きく開く。にっちもさっちもいかなくて、アンドリューは盛大に狼狽えた。

 その狼狽えように眼を見開く招待客。こんな弱々しい皇帝陛下を見るのは、誰もが初めてである。

「おまっ! 何してーーーっ!!」

 憤怒も露わな皇帝に淫猥な笑みを浮べ、またもや狼になり、オルフェウスはするりと逃げ出していく。
 脚をもつれさせながら、それを追うアンドリュー。

「やめろーっ! 頼むからっ! オルフェウスぅぅーーーっ!!」

 半分涙目な皇帝陛下。

 ……ちょっ! あれ、あんな首輪を誰がっ!! ……あんのクソ魔女かぁぁぁーっ!!

 したり顔でサムズアップする魔女が脳裏に浮かび、皇帝陛下の顔が獰猛に変貌していく。

「オルっ! いい加減にしないかっ! 万一、誰かに見られでもしてみろっ? 部屋に繋いで、一生出さないからなっ?!」

 そんな陛下の恫喝もそっちのけで跳ね回っていたオルフェウスは、ちょいちょいっと前脚をかけて首輪を外す。

「うわああぁぁぁーっ!!」

 ほんの半瞬なのに、さすがは帝王。飛び抜けた魔力は伊達でない。咄嗟に身体強化でブーストし、狼が人化する直前で衣を巻き付けた。
 アンドリューは眼を見開き、息切れした呼吸でゼイゼイ肩を揺らす。

「おまえ~っ!! ……頼むから。俺が死ぬっ!!」

 ガタガタ震えて抱きしめるアンドリューを抱きしめ返し、オルフェウスは耳に唇を寄せて甘やかに囁いた。

「陛下を信じておりますから…… ごらんなさい、みんな絶句してますよ?」

 言われて振り返ってみれば、いつのまにか音楽も止まり、周りは、し……んっと静まり返っている。件の王女殿下など、顔面蒼白だ。

 こんな必死で慌てる皇帝を見たのも初めてなら、変化して狼になる人間を見たのも初めて。何がおきたのかと興味が尽きず、好奇心満載な視線の集中砲火は二人を凝視する。

 そんな好奇の目にさらされながら、オルフェウスは、しゅるっと帯や小物を付け直して、固まったままの王女殿下に近寄ると、何事もなかったかのように話しかけた。

「陛下と踊りたいのでしたっけ? ……貴女に陛下は不相応ですねぇ? もっと相応な方を探しなさい。貴女は狼になる覚悟がありますか? 狼で皇帝陛下に抱かれる覚悟が。……僕は悦んで抱かれますよ。陛下が望むなら、ずっと狼でいても良い」
  
 ……陛下がっ?!

 周りの視線が、ばっと一斉に皇帝陛下へ向けられる。当の本人は、しれっとしたものだ。それがどうしたと物語る厚顔不遜さ。

「……当たり前だ。オルフェウスのため以外で、こんな苦労をしてたまるか。狼だろうが愛せるに決まっている。俺の最愛だぞ? むしろ狼でも良い。狼のオルフェウスは可愛い」

 公然と惚気ける皇帝陛下。

 それを耳にした帝国の重鎮らが、あ……っと、何かに気づいたような顔で惚けていたのは余談だ。
 今頃理解したのだろう。陛下の御乱心といわれた溺愛狼の正体を。

 この陛下を慌てさせ、半泣きにさせ、振り回せるのは自分だけなのだと、オルフェウスは周りに知らしめた。

 つけいる隙もない相思相愛な二人。どこの誰が好き好んで狼になりたいものか。しかも、それを愛せようか。

 二人の親密さを見せつけられ、もはや言い返す気力もないのだろう。青白い顔のまま俯くアレキサンドリア王女。
 そんな王女の耳元に唇を近づけ、オルフェウスは彼女にのみ聞こえる声でとどめを穿つ。

「……次はないですよ? その喉笛を引き裂いてやりますから。陛下は僕のケダモノなので。僕にだけ従順な……ね。貴女、下手を打つと、僕に引き裂かれる前に陛下にたたっ斬られますから。気を付けて?」

 ふふっと小さく笑うオルフェウスの背後から、皇帝陛下が最愛を抱きしめた。
 
「……心臓が爆散したぞ。……今夜はお仕置き確定な」

「え? それはないっ! 陛下のために頑張ったのにぃっ!」

「………知ってる。聞こえた」

 ……ああ、身体強化が得意だものね。なら……

 なおのこと、お仕置きは理不尽だろう。せっかく捨て身で王女に知らしめたのに。皇帝陛下は自分の物だと。
 納得いかないオルフェウスが、ジタバタ暴れていると、それを押さえ込んだアンドリューが掻き抱くようにか細い声で呟く。

「……ほんと、死ぬかと思ったんだよ。お前の肌が人目にさらされたらと考えただけで、眼の前が真っ赤に…… 勘弁してくれ……」

「……ん、もう。今日だけですよ? あ…… そうだ」

 にこーっと良い笑みを浮べ、オルフェウスは皇帝陛下を振り返った。



「なるほど、これは良いな」

 ……でしょ?

 狼姿でアンドリューの膝に座る最愛。

 ペロペロと皇帝陛下の口元を舐めながら顔にキスの雨を降らされ、御満悦なオルフェウス。イチャイチャ睦む二人に周りは言葉もない。

「……あれは妃様なのですよね?」

「そのようだが…… なんというか」

「……羨ましい? 淫らな感じは全く無いのに…… うん」

 ……小っ恥ずかしく見えるのはなぜだろう?

 泣く子も黙る代名詞のケダモノ陛下と、それを泣かせる白銀の狼の伝説は、長く帝国を賑わわせた。特に上流階級を。

 その余波で、愛する者を獣化させるのが密かに流行り、それ系の依頼が引きも切らぬ魔女が、嬉しい悲鳴を上げていたのは余談だ。





「良いな、こういうの…… うん」

 ……ですね。この姿なら周りも文句は言わないでしょう。

「そうだな…… ってか、だれだっ?! 文句なんて言った奴ぁっ!!」

 ……なんで通じてるんですか。

「……愛?」

 ……ふはっ

 一瞬、ひやりとした護衛騎士三人衆がいたのも御愛嬌。

 彼らは、陽だまりで絡まり昼寝する皇帝陛下と狼の最愛を微笑ましげに見守っていた。
 
 ……捨て身にも程がありますが、終わり良ければ全て良しですね。最近、狼姿が多いのは気の所為でしょう。ええ、きっと、たぶん。

 こうして獣化自在となったオルフェウスとオルフェウスにだけ忠犬なアンドリューは、長く幸せに暮らす。

 拗らせがこうじて反転し、欲望に素直になってしまった彼らに怖いものはない。
 周りに余波が発生するのが困りものだが、それもまた一興。

「……愛してる、オルフェウス」

 ……はい、陛下。僕もです。

「うん……」

 今日も王宮の中庭で、最愛の狼と睦み寛ぐ皇帝陛下。それは、とても幸せな光景だった。

                ~了~
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