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イベント前夜
イベント前夜 二
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日高さんには気にすることはないよと笑って励まされた。
日高さんの噂の方が、――陰湿に感じていたけど当の本人がそう言うならば。
強い人だと思う。
反対に、私はさっきのパートさんたちの話で、飲み物さえ飲みたくないぐらい唇が重く、震えてしまっていた。
「そう言えば、ロッカーに私物置いてたけど、土曜の18時に取りに来るんだよね?」
デイビットさんの洋服をロッカーへ避難する事を日高さんにだけは大丈夫か聞いていた。
問題無いと、日高さんのロッカーを見ると、お昼ご飯様に買っていたらしいカップラーメンが段ボールごと入っていた。
妊娠前はこれで済ませていたらしい。
「はい。あの、何時まで開いてますか? 此処で着替えてから行くので帰りも着替えに寄りたいのですが」
「私は21時までいるよ。それ以降なら、幹太が一人で修業しているらしいから言っといてあげるけど」
「幹太さん……」
イベントの開始時間は18:30。
どんな事をするか見当もつかない。
結婚式のように食事が運ばれてくるのだとしたら、――21時以降になってしまいそう。「大丈夫大丈夫。幹太は見た目が怖いけど、良い奴だから前もって言ってたら何も言わないよ」
「でも」
「怖いんだ」
クスクスと笑いながら、痛いところを突いてくる。
怖いし、昔の記憶が蘇るから――話したくないのに。
「でも、鹿取さんの妹さん、美鈴ちゃんだっけ? あの子は冷たくされてもお使いの度に笑顔で幹太に話しかけてたわよ」
美鈴みたいに、人見知りもなく社交的な子には幹太さんは平気なんだ。
「あはは。固まってる固まってる。しょうがないから私も一緒に言ってあげるよ」
そう言ってくれたので勝手に大船に乗った気持ちでいた。
幹太さんも頷いてくれていたし。
でもこれで、私のイベント当日の問題はクリアした。
後は当日を待つのみ。
賭けで負けた罰ゲームだ。お手伝いを一杯してちゃんと負け分は働かなくては。気合いをこめて、家へと向かう。
途中の駅でセールをしていた。
半額セールのシールが貼られたワンピースをマネキンが着ていたのを見上げる。
服なんて着物ばかりで私服がない。
今日だって、いつ買ったのか覚えていない。書道教室ように買った、黒いワンピース。
平凡なラインで、特別可愛くない柄。
仕事の初給料で私も服を買ってみよう。
今度はデイビットさんの好きな色を伺って――…?
言ったあとで気づく。
(デイビットさんとは明日の賭けの罰ゲームだけしかもう会うこともないんだから)
買うなれば、自分の好きな色でいたいと思う。
何色が良いだろう、そう言えばジーンズも持っていないな、と考えながら自分の家の門を開けた。
「お姉ちゃん」
「!」
背後から、美鈴に話しかけれた。
私の卒業式の時の話しあいの乱入以来の事だ。
「……私の、扇子とか知らないよね?」
(あっ……)
私はすぐにどこにあるのかは分かった。
「台所は見た?」
「台所?」
ぽかんとした声が聞こえてくるが、私は後ろを振り向けなかった。
「母がお手伝いやお弟子さんに任せている場所。そんな所から出てくると思うよ」
女だけの職場。才能だけで見る見るうちに差が開いていくと、嫉妬や憎悪や様々な感情が渦巻いていく。
父が亡くなってすぐだった。私が母の稽古で新しい舞を練習した時、その舞はまだ一番弟子さんも母から合格を貰えてない高度な舞だった。
嫉妬され、私の扇子も一度だけ無くなった。
でも私は父に買って貰った扇子だったから泣きながら一晩かけて探した。
母も廊下を歩く時、私が探しているのを見たが、何も声をかけてくれず、そのまま自室へ戻った。
嫌で堪らない舞を、大好きな父の扇子で頑張ろうと決めたのに、だ。
心が折れそうで泣いた。
結局、父の形見だと分かってから、お弟子さんの方から返してくれたけど。
あの日以来、その扇子はずっと使わなかった。――卒業式に持って行って、デイビットさんと賭けに負けたときだけ。
それが分かって、お弟子さんたちも憐れんでくれたのかあれっきり隠されていない。
でも何人かから、入門したら必ず一度はやられると聞いた。
――あんなに私が泣いていたのに、美鈴は夜遅くまで友達と遊んで帰ってきたから知らないんだ。
私より自由に生きてきて、何で今さら柵(しがらみ)に入ってきたのか分からないけど。
今までの美鈴を知っているお弟子さんたちにはいきなり手のひらを返されて面白くはないと思う。
あの世界は経験と経歴が大事なだ。私だって15年はやっていたから、扇子を隠された時、隠した方が顰蹙を少し買っていた。
美鈴のようにぽっと出で、なのに母が気にいれば面白くない人だらけだ。先輩弟子さんたちは尚の事。
「そっか。お姉ちゃんでさえ経験済みなんだね。ちょっとほっとした。頑張ろうっと」
稽古に積極的で、私みたいに大泣きしないで前向きで。
これ以上劣等感で息が吸えなくなるような居心地の悪い雰囲気を作らないで。
「あ、お姉ちゃん、今日の朝、可愛い箱持ってたよね」
私が振り返らないのに、美鈴は気にせず話しだす。
私は今、――話したくなんてないのに。
日高さんの噂の方が、――陰湿に感じていたけど当の本人がそう言うならば。
強い人だと思う。
反対に、私はさっきのパートさんたちの話で、飲み物さえ飲みたくないぐらい唇が重く、震えてしまっていた。
「そう言えば、ロッカーに私物置いてたけど、土曜の18時に取りに来るんだよね?」
デイビットさんの洋服をロッカーへ避難する事を日高さんにだけは大丈夫か聞いていた。
問題無いと、日高さんのロッカーを見ると、お昼ご飯様に買っていたらしいカップラーメンが段ボールごと入っていた。
妊娠前はこれで済ませていたらしい。
「はい。あの、何時まで開いてますか? 此処で着替えてから行くので帰りも着替えに寄りたいのですが」
「私は21時までいるよ。それ以降なら、幹太が一人で修業しているらしいから言っといてあげるけど」
「幹太さん……」
イベントの開始時間は18:30。
どんな事をするか見当もつかない。
結婚式のように食事が運ばれてくるのだとしたら、――21時以降になってしまいそう。「大丈夫大丈夫。幹太は見た目が怖いけど、良い奴だから前もって言ってたら何も言わないよ」
「でも」
「怖いんだ」
クスクスと笑いながら、痛いところを突いてくる。
怖いし、昔の記憶が蘇るから――話したくないのに。
「でも、鹿取さんの妹さん、美鈴ちゃんだっけ? あの子は冷たくされてもお使いの度に笑顔で幹太に話しかけてたわよ」
美鈴みたいに、人見知りもなく社交的な子には幹太さんは平気なんだ。
「あはは。固まってる固まってる。しょうがないから私も一緒に言ってあげるよ」
そう言ってくれたので勝手に大船に乗った気持ちでいた。
幹太さんも頷いてくれていたし。
でもこれで、私のイベント当日の問題はクリアした。
後は当日を待つのみ。
賭けで負けた罰ゲームだ。お手伝いを一杯してちゃんと負け分は働かなくては。気合いをこめて、家へと向かう。
途中の駅でセールをしていた。
半額セールのシールが貼られたワンピースをマネキンが着ていたのを見上げる。
服なんて着物ばかりで私服がない。
今日だって、いつ買ったのか覚えていない。書道教室ように買った、黒いワンピース。
平凡なラインで、特別可愛くない柄。
仕事の初給料で私も服を買ってみよう。
今度はデイビットさんの好きな色を伺って――…?
言ったあとで気づく。
(デイビットさんとは明日の賭けの罰ゲームだけしかもう会うこともないんだから)
買うなれば、自分の好きな色でいたいと思う。
何色が良いだろう、そう言えばジーンズも持っていないな、と考えながら自分の家の門を開けた。
「お姉ちゃん」
「!」
背後から、美鈴に話しかけれた。
私の卒業式の時の話しあいの乱入以来の事だ。
「……私の、扇子とか知らないよね?」
(あっ……)
私はすぐにどこにあるのかは分かった。
「台所は見た?」
「台所?」
ぽかんとした声が聞こえてくるが、私は後ろを振り向けなかった。
「母がお手伝いやお弟子さんに任せている場所。そんな所から出てくると思うよ」
女だけの職場。才能だけで見る見るうちに差が開いていくと、嫉妬や憎悪や様々な感情が渦巻いていく。
父が亡くなってすぐだった。私が母の稽古で新しい舞を練習した時、その舞はまだ一番弟子さんも母から合格を貰えてない高度な舞だった。
嫉妬され、私の扇子も一度だけ無くなった。
でも私は父に買って貰った扇子だったから泣きながら一晩かけて探した。
母も廊下を歩く時、私が探しているのを見たが、何も声をかけてくれず、そのまま自室へ戻った。
嫌で堪らない舞を、大好きな父の扇子で頑張ろうと決めたのに、だ。
心が折れそうで泣いた。
結局、父の形見だと分かってから、お弟子さんの方から返してくれたけど。
あの日以来、その扇子はずっと使わなかった。――卒業式に持って行って、デイビットさんと賭けに負けたときだけ。
それが分かって、お弟子さんたちも憐れんでくれたのかあれっきり隠されていない。
でも何人かから、入門したら必ず一度はやられると聞いた。
――あんなに私が泣いていたのに、美鈴は夜遅くまで友達と遊んで帰ってきたから知らないんだ。
私より自由に生きてきて、何で今さら柵(しがらみ)に入ってきたのか分からないけど。
今までの美鈴を知っているお弟子さんたちにはいきなり手のひらを返されて面白くはないと思う。
あの世界は経験と経歴が大事なだ。私だって15年はやっていたから、扇子を隠された時、隠した方が顰蹙を少し買っていた。
美鈴のようにぽっと出で、なのに母が気にいれば面白くない人だらけだ。先輩弟子さんたちは尚の事。
「そっか。お姉ちゃんでさえ経験済みなんだね。ちょっとほっとした。頑張ろうっと」
稽古に積極的で、私みたいに大泣きしないで前向きで。
これ以上劣等感で息が吸えなくなるような居心地の悪い雰囲気を作らないで。
「あ、お姉ちゃん、今日の朝、可愛い箱持ってたよね」
私が振り返らないのに、美鈴は気にせず話しだす。
私は今、――話したくなんてないのに。
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