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八、未来へ
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それから信海くんは、また勉強をするようになったらしい。
白紙の件については、信海くんは雅兄には内緒にしていてほしいと言っていたので、雅兄が受験終わるまではなんどか内緒にしようと思った。
信海くんがどれだけ悩んでそれだけ苦しい数か月を過ごしていたのかは、きっと経験していない私には分からないけど、でも悲しくて綺麗な恋の存在と、その恋を応援していた家族がいたことを、私だけは知っていようと思った。
***
「夏空、もしかしてこの本って、学校の図書館の本かもしれない」
兄が夏休みの終わりに渡してきてくれたのは、ボロボロになった一冊の写真集。
兄が一度、大学を受かったら海外に行ってみたいと言って、影響を受けた海外の街並みを撮っていた写真集だ。
本の最後のページを見たら、うちの学校の蔵書印が押してあった。
「あああー。やっぱりお兄ちゃんじゃん」
「ちがうよ。彼女のお墓参りで、おばさんに会った時に荷物を整理したら出てきたんだってば」
苦笑していたけど、このタイミングで渡されても間に合うかな。
もう学校のすべての本は、業者に出してしまっている。
返しそびれた本。きっとあの旧図書室で二人で何度も何度も読んだ本なんだろうな。
「まあ、間に合うか信海くんに聞いてみようかな」
「受験生の邪魔をするなよ」
兄は苦笑しながら、玄関へ向かう。そのまま自転車に乗ると、塾へ向かった。
本を渡された私は、スマホを覗く。
大地くんと私は、今日は図書館で夏休みの宿題をする。
大地くんってば試合に出れないのに日焼けで会うたびに真黒になっている。誰よりも早くズポーツドリンクを作り、誰よりも早くボールを磨くプロだと自慢していた。
早く体を動かしたくて、夜は筋トレしながら寝落ちしているらしい。
そんな大地くんの話を沢山聞いて笑えるので、本当に会えるのは楽しみ。
だけど友達はともかく、同じ学校の人に会ったら、どうしよう。
誤解されたり、私みたいな地味な子が生意気だと思うかもしれない。
それでも私も兄のように、夏の空よりも綺麗で、ドキドキする恋をしていた。
それは誰にも邪魔されたくなくて、苦しい。
私たちは我慢も壁もないんだから、だから素直に真っ直ぐにその気持ちから逃げないで、育てていきたいって思うの。
スマホの画面を見ていたら、今度は二階から大きな音がして、ドアが開く音がした。
兄の部屋からだった。
どうやら窓を開けたまま出掛けたせいで、風の勢いでドアが開いてしまったらしい。
本人がいない部屋に入るのは、少し罪悪感が湧くけれど、窓を閉めるために部屋に入った。
カーテンが大きく揺れている。
今年最後の台風が、もう少しで上陸予定だからきっとそのせいだ。
窓を閉めると、机の上のノートがぱらぱらとめくれた。
それは、最初のやぶれた二枚のページが、セロハンテープで貼られていたあのノート。
兄と水音さんの、交換ノートだった。
『ここからそちらへ、いけない。家族じゃないから面会できないって』
『それでも会いたいから、毎日君の元へ来るから』
『もっと。もっともっと、君と一緒にいたい』
ぱらぱらとめくれるのは、兄と彼女の初恋のノート。
二人の前に立ちふさがった大きな壁の前で、それでも必死に二人で最期まで心を通わせていたんだ。
『君と話がしたい』
『夏になった日の、朝の匂いが好きだった』
『私は、朝起きて貴方の文字を読み返すのが好き』
『ありがとう。私のお願いを叶えようとしてくれて』
『お礼はこのノートを書き終わるまで、言わないで』
『誰かお願い。私の代わりに彼のために、書いてね』
ここで終わってしまった。兄がもうこのノートを捨てようとしていた。
誰からも忘れられようとしていた。
『もう一度会いたかった』
『誰でも良いから、このノートを埋めてほしい』
『貴方の心の声を聞かせて下さい』
『私は』
『私は、大好きな人たちが幸せだと嬉しい』
『なぜなら私は皆のおかげでしあわせだから』
『だから、貴方は今、ちゃんと笑っていますか』
『今日はもう帰ります。良い夏休みを過ごしてね。レポート頑張って』
『このノートが終わったら、俺と交換ノートしてよ、夏空』
『直接メッセージ送ってよ。此処に書かないでいいじゃん』
『まあ、でもここに書いておきたかったんだ。生徒会長がまた身内の恋を応援したくなる
かなと』
『ああ。そうだな。今度は応援する』
『俺は訂正する。夏空の綺麗な字が大好きだじゃなくて、夏空も、夏空の綺麗な字も好きだな』
「えっ」
この最後の続きは私は見ていない。大地くんの返事を見る前にこのノートは兄に帰してしまっていた。
知らないままもできるけど、私たちは続きを紡いでいける。
このノートの続きを私たちは生きていけるんだ。
胸を締め付けられた。苦しくなった。
私の通う学校の人たちは、兄と水音さんのこの恋を知らない。この恋の結末も知らない。
二人のノートがあの旧図書室に隠されてからもずっと、皆は変わらずに生活していて、二人の初恋は止まったまま。進むことはないんだ。
止まったままの二人のノートに、私と大地くんの文字が混ざっていいのか不安だったけれど、これはこれで良かったんだ。
ぱらぱらとめくれるノートを見て、胸が痛かったけれど、心は震えていた。
私は、これほどに綺麗で純粋な恋を知らない。これほど綺麗で悲しい恋を今まで知らなかった。その恋が、実際にそこにあったのを知ること、私たちだけでも忘れないことで意味があるのではないかなって思ったんだ。
ノートを閉じると、私は涙を拭いて、階段を下りて行った。
***
「ごめんな。そろそろ足の経過を確認ってことで病院行く回数増えてさ」
夏の暑い日差しの中、私を見ると一生懸命松葉杖を使って近づいてくる彼が、好きだった。
汗が流れることも気にせずに、私へ真っ直ぐ歩いてくる彼に、走り寄ってしまう。
私は、私の恋を見つけていた。
「良かったね。はやく私も大地くんのサッカーしている姿を見たい」
友達たちから絶賛されているんだから、きっと格好いいんだろうな。
益々好きになってしまったら、私の心は爆発してしまわないか不安だ。
「……俺も。夏空の字を見るのは楽しみなんだけどさ、俺の字は見せるの、まだちょっと嫌だなあ」
唇を尖らせる大地くんに、私は声を出して笑ってしまった。
私と私の字が好きだと言ってくれた大地くんと、私もゆっくりでいいから恋をしたいと思った。お兄ちゃん達みたいに心に突き刺さる恋ではないかもしれないけど、それでも私を見つけてくれた大地くんを、私ももっと知りたい。もっと好きになりたいから。
信海くんは結局、夏休み終盤まで塾と家の往復でほぼ会えなくて、私も宿題にひいひい
言っていた。
でもお兄ちゃんと信海くんはきっとすごい名医になると思う。きっと世界で一番優しいお医者さんになると思う。
大地くんだけはレポートも線からはみ出るほど大きく書いて、宿題も部活の合間にぱぱっと終わらせていた。私よりも時間の使い方が上手いんだと思う。
「俺さ、頑張ってメッセージの未読消して言ってるんだよな。えらくね?」
「うん。それは偉いかもね」
「それでさ、九月からは松葉杖なくなって普通に歩けるようになるから、実は体育祭の応
援団も引き受けてて」
「嘘!」
私が驚いて正面の彼を見ると、にかっと豪快に笑った。
「本当。それで、応援団長のハチマキに、お守りが縫い付けられていたら彼女がいるって合図らしいんだ」
「へえ。変なルールが応援団にもあるんだね」
セーラー服の襟の反対だねと私が言うと、大地くんは苦笑した。
「そ。でも俺はお守りを縫い付けたいから、お願いしてもいい?」
彼女に作っても貰ったお守りをハチマキに縫い付けるらしい。
「――だめ?」
甘えるように首を傾げて、私の返事を待つ彼。
私と大地くんの恋も、ゆっくり始めて行けばいい。
私はドキドキしながら、彼の言葉に頷く。
ゆっくり柔らかく。でも誰が見ても幸せだと思えるような、そんな恋をしたい。
大地くんと。
なので私はくしゃくしゃに笑って喜ぶ大地くんに抱き着いた。 終
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