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症状一、自覚症状はなし。

症状一、自覚症状はなし。⑧

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「ありがとう。ルームサービス?」

サングラスをずらして私を上から下までみた女性は、首を傾げる。

「は、はい」
「そ。御苦労さま」

腰までの長い髪からふわりと甘い匂いを撒き散らし、真っ赤な唇で笑うと手を振ってくれた。綺麗。足も私とは全然違う。長いし、しかも顔も小さい。
流石スイートルーム。訪れる7客人も全然違う。

もしかしたら、恋人かもしれない。あんな綺麗な人が尋ねたら、きっと機嫌も治るんじゃないかな。
っと私もエレベーターの中で、スマホを確認すると柾からのメッセージが二件も来ていた。すぐに店長へ一応渡してきた事を報告すると、柾が待つ向かいのカフェへ小走りで向かった。

カフェ内は閉店前だったせいか空いてたけど、柾は一番奥の窓際のテーブルに出口の方を向いて座っていたのですぐに分かった。
長い脚を組み、不機嫌そうにしかめっ面で私を睨んでいる。既に怖い。
このままダッシュで帰りたいレベルで怖い。何も飲む気になれず、そのまま真っ直ぐに柾の席へ向かう。
パリッと高級スーツに身を包み、一流商社マンだけあってオーラから違う。

顔も怒っていなければイケメンだと騒がれるんじゃないかな。
中学まで一緒だったけれど、サッカー部キャプテンでとてもモテていたし。

「遅い」
「ごめんね、店長から仕事頼まれてて」

やっぱり最初の言葉は不満だった。刺さる様な低い声が、胸をキリキリさせる。

「お前のおばさんがずっと泣いてるって言うから心配してやってたのに、今日から出勤してたのかよ」
「……明日は忙しいから迷惑かけたくなくて」
「貧血起こしてたら一緒だろうが。馬鹿か」
「……気を付けるね。柾も仕事で疲れてるでしょ? もう帰ろうよ」

柾の珈琲は、既に飲み干されて空だった。
此処に居ても、怒られるだけだしさっさと電車に乗って帰りたい。

「たかが猫の事でピーピー泣いてんじゃねーよ」

吐き捨てる様なその言葉に、私の心臓も流石に沸騰する。

「たかが猫なんて言わないで。 ヤス君は18年も一緒居たんだから! 家族なのっ」
「だが猫は猫だろ」
「猫って言わないで! ちゃんと名前で呼んで」

机を乱暴に叩くと、視界が滲んだ。今朝みたいな失態は柾の前でしたくない。

「そんなに私が嫌いなら、こんな風にお節介しないでもう放っておいてよ。
柾は意地悪で、すごく怖いし、優しくない」
「はあ?」
「私を見てイラつくんでしょ。なのにこうやって送ろうとしたり、わざわざ会って暴言吐いたり。今、ヤス君が居なくなって一番会いたくない人は柾だよ」
「――それ、本音?」

唸るように柾が言葉を吐きだすから、怖かったけど、私だって引かない。
もう柾に飛びかかって引っ掻いてくれるヤス君は居ないんだから。

「本音だよ。私の誕生日の日に、髪の毛ぐちゃぐちゃにしたり、下駄箱にカエル入れたり、楽譜隠してお稽古いけなくしたり。本当はすっごく嫌だった。でも怖いけど勉強教えてくれたしお稽古の後、迎えに来てくれてたのは、うちの親に頼まれて仕方なくなんでしょ」
「ちょっと待て。お前、本当に猫に依存しすぎてたんだな」
「猫じゃなくてヤス君」

一歩も譲らない私は、柾を睨みつける。すると、柾の眉間が更に深くなった。

「もうヤスは居ないんだから、俺がお前を守ってやるって言ってんだ。怖がるんじゃねーよ」
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