この恋は、風邪みたいなものでして。

篠原愛紀

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症状六、副作用反応在り。

症状六、副作用反応在り。⑥

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「目隠ししてくれる?」
「目隠しって」
「今から俺が一度も間違わずにピアノを弾けたら、初恋のあの日よりも素敵な日にしよう」
「弾けたらどうなるの?」
「本当の婚約者になって」
私の思い出にしてくれようとする颯真さんの気持ちが嬉しくて、私は頷く。
彼が私の為にしてくれる一つ一つのことを、大切にしていこう。
ネクタイではなくて、私は自分の両手で目を隠すと彼が私の両手に触れた。
昨日、エレベーターの中でされたキスのように、その触り方には艶が含まれていて、胸のドキドキが止まらなかった。彼が弾いた曲は、映画でも聞いたことのある様な有名な洋楽で、私でもその歌詞の意味は知っていた。
こんな有名で難しい曲を、一晩かけて練習してくれた。昨日、早く帰ったのは、この為だったんだ。
颯真さんが甘く調律してくれたそのピアノで、しっとり色香を漂わせて曲が、音色が、紡ぎだされていく。
こんなに素敵なプレゼントは、あの日のヤス君だけだと思っていた。彼は私に色んな気持ちや忘れられないプレゼントをくれる。
これは好きにならないわけない。
初恋の彼は泣いている私の頭を撫でると、リボンを付けた猫をくれた。その猫は、私の一番の友達で、大切な存在だった。
そんな彼に今、私は風邪を引くように恋に落ちた。
溢れた思いは、ピアノの音色の様に、この先もずっと途切れることもなくずっと奏でていけるだろう。
大切にしていきたい。
弾き終わった彼を、私は目隠ししていた手を解いてそのまま抱き締める。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
「わ」
腕を引き寄せられ、彼の足の上に座りこみ、そのまま見つめ合った。
親指でなぞられた唇。今度は、ちゃんと目を閉じようと、ぎゅっと力を瞼に入れる。
すると、彼の唇は最初に瞼に降りてきた。次に、唇に。
恥ずかしくて目を閉じたまま下を向くと、強引に顎を持ちあげられて、経験したことなんてない、甘くて深いキスをした。
そんな、甘い時間を壊すのは、けたたましいノックの音。店長が帰って来たのかと、颯真さんの上に座っていた私は急いで飛び退く。
「あー、それとね、君の店長もうるさいし、君とも今度こそ婚約できたから、経営の方が本格的に忙しくなるんだけど」
申し訳なさそうに頭を掻く颯真さんに、今度は私が安心させる番だと、意気込む。
「っはい。大丈夫です。調律師とか小説家さんって収入が不安定かもしれないけど、私も働きますよ! だから経営のお仕事の方も無理しないでください」
「え?」
きょとんとした顔をさしてしまうと、颯真さんは分かりやすいぐらい笑いを堪えて口を押さえる。

「や、――ああ、まあ、そうか。うん。そうだね」
背を向けたけど、肩は小刻みに震えている。何が不味かったのかな。
それとも、本当に経営の方を頑張らなければ生活が厳しい、とか?
こんな煌びやかな『シャングリラ』や『オーベルジュ』は、私には身の丈に合ってないから、本当にお仕事が厳しいならば婚約も結婚だって気にしなくて良いのに。
「入るぞ」
颯真さんの様子に、さっぱり忘れていたノックの相手が、痺れを切らして入ってきた。
「えっ」
このホテルの総支配人ご本人が、店長と二人で入ってくる。
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