そう音

𝐄𝐢𝐜𝐡𝐢

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眠の音

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『ねえ』

「……」

『ねえねえ』

「……」

 俺は聞こえてくるヴェルの声をひたすら無視しながら、電車に揺られていた。

 とはいえ、返事をしたくないわけではない。
 できないのだ。

 俺は周囲へと目を滑らせる。
 車内の人口は椅子が半分ほど空いている程度で、人がそれなりに乗っている感じだ。
 その様子を見て、ヴェルへの返答は控えておいたほうがいいだろうと、俺は沈黙を続けた。
 なぜなら、手のひらサイズで羽の生えた、そんな彼女の姿は――俺にしか見えていないからだ。

 理由はさっぱりわからないが、とにかく――そういうことらしく。
 ヴェルに対して、うかつなリアクションをとってしまえば、その瞬間、俺は周囲から、唐突に独り言をはじめた不審者としてみられてしまうだろう。

 他人といえば、他人だが。
 そういったものを、どうでもいいと思えるほどのメンタルは持ち合わせておらず、俺はひらたすら沈黙する他に選択肢がないのだった。
 そして、ヴェルはというと、そんな俺の鼻の頭にちょこんと座るようにして止まり、不機嫌そうにむくれている。
 俺がなぜ黙り込んでいるのか、わかっていないのだろう。

 おそらく彼女は、妖精かなにかだ。
 手のひらサイズの羽の生えた少女なんて、そうとしか思えない。
 だとするなら、妖精が人間の常識なんて知っているだろうか。
 なんて、偏見でしかない考えだが、俺はなんとなく、彼女に対してそんな印象を抱いていた。

 だが、説明するにしても、ここでは無理だ。
 ひとまず、うまいこと急行に乗れたのもあり、あと15分ほどがまんすれば、地元の駅に着く。
 なので、それまでは辛抱しようと、俺はゆっくりと目をつむった。
 すると、

『あー! 寝ちゃだめだって!』

 ヴェルがぴーぴーと、やかましく、声を上げる。
 まあ、別に耳障りというほどではないが。

 今日は色々あって、少し疲れていた。
 少しの間だけ眠らせてほしいと、俺は心中で思う。
 だが、ヴェルにとって、そんなことは知ったことではないようで、

『ねえ! 退屈だよ! ねえ!』

 ねえってば――と、彼女は見た目によらず、しっかりした力で俺の鼻の皮膚を掴み、体重をかけてゆらす。
 それがまた、ほどよい振動で、眠りを誘った。

 多少うるさくもあるが、疲れのせいもあり、なんだかんだでほのぼのとした気分になってきており。
 どうでもいいや、と俺はゆったりとした心地になってきているのだった。
 すると、

『もう! いいの!? そんな風に無視しているんだったら、また――やっちゃうよ! いいの!?』

「……」

 ヴェルの言葉に、すっ、と眠気が覚が覚めていく。
 彼女の言う、“また”というのは、数分前の駅のホームでの、できごとのことを言っているだろう。
 だとするなら、黙っているわけにはいかないが――。

 とはいえ、ここではやはり人目がある。
 リアクションなどとれるはずもなく。
 人気のない所があればと、両隣の車両をさらりと目を向け確認してみたが。
 場所を変えたどころで、状況はさして変わらなそうだ。

 なにより、面倒だ。
 体が重く、動きたくない。
 体調が悪いわけではなく、単純な肉体的な疲労と、精神的にもだいぶ参ってしまっているのだ。

 そうして、俺があきらめるように、目を閉じると、

『ああ、いいんだ! いいんだね!? 本当に、やっちゃうよ!?』

「……」

『っていうか……。もしかして、“そういう”趣味があったり?』

「……」

『ああ! やめて! 引っ張らないで!』

 なんとなく、むっときたので、少しだけ強引に、ヴェルを顔から引き剥がそうとした。
 だが、やはり彼女はなかなか力があるようで。
 ひょっとすると、カブトムシの腕力に匹敵するかもしれない。
 女の子を昆虫と比べるのもどうかと思うが、ちくりと鼻にきた痛みに、俺はふと、そんなイメージをしたのだった。

 要するに――結構いたいのだ。
 思わず、手を力を緩めてしまうほどに、痛かった。
 下手に抵抗しなければ、彼女も余り力を入れてこないようで。
 その様子に、俺はひとまず彼女を引きはがすのをあきらめると、

『ちょっと! レディに、なにするのよ!』

 ヴェルはそう言うと、おもむろに――ぐっと腹に力を入れた。
 そして、いやな予感を覚える俺の鼻先で――、

 ぷうっ……!

「……っ」

 やりやがった。
 駅での出来事に引き続き、ヴェルはまたも俺の鼻先で放屁した。

 そして、そのニオイがなかなかに強烈で。
 卵っぽいその悪臭に、俺は思わず声をつまらせた。
 そんな俺に、ヴェルは不機嫌そうに、ふんと鼻をならすと、

『また変なことしたら、もう一度やっちゃうから! わたしの扱いにはしっかり注意してよね!』

「……」

 理不尽すぎる話にげんなりする俺。
 本当にどうしろというのだろうか。

 にしても、なかなかに強烈なヴェルの屁だが。
 他の人にも、伝わってるのだろうか。

 数十分前。
 彼女とぶつかったサラリーマン風の男性が、なんのリアクションもとらなかったように。
 物理的な感触は、他者には伝わらないのではないかと思うが――。

 臭いはどうなんだろう。

 ふと、疑問に思った俺は、周囲に目を滑らせて見る。
 しかし、一見みた感じ、誰一人、それらしい反応をしている人はいなかった。
 と、俺がそんな風に余所見をしていると、

 むっすううぅぅ~~……!

 唐突に、鼻の頭が温かくなる。
 どうやら、いかにもといった感じの――きつそうなやつを、ヴェルがすかしたようで。
 そのイメージどおり、

「……!?」

 ニオイもかなり強烈だった。
 そして、目がちかちかするような、そのあまりに酷い臭いに。
 俺が涙目になっていると、

『ちなみに、さっきも言ったけど。無視してもやっちゃうからね……。さて、何発耐えられるかなぁ……?』

 不穏なことを言い出すヴェル。
 その様子に、俺はぞっとしたものを感じながらも。
 リアクションをとってしまわないよう、懸命に耐えながら、ただ静かに頭を抱えたのだった――。
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