また今度、会えたら

𝐄𝐢𝐜𝐡𝐢

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「いらっしゃいませ」

 気づけば、引き戸をあけていた。

「…………」

 聞こえてきた声に、僕はおどろく。想像では、頑固そうなご主人が出迎えてくれるとばかり思っていたのだが、声のしたほう――店にはいって正面をみてみれば、木目の美しい一枚板をもちいたカウンターがあり、その向こう側には――自分より二つ三つは若そうな、着物に身をつつむ女性が、可憐な笑みをうかべて立っていた。
 百七十三センチの僕が、少し見下ろす程度の身長。平均的な女性よりも、少し低めといったどころだろうか。髪はさっぱりとした、清潔感のあるショートで、髪色は明るめだが、染めたという感じではなさそうだ。
 まあ――若くはあるが、女将さんとしての雰囲気はわるくない。と、僕は生意気にも、心中でひっそりとおもう。それに、彼女が相手なら、わからないことがあっても訊きやすいし、作法を覚える良いきっかけになるかもしれない。そうおもい、僕は店のなかへ足を踏みいれることにした――のだが、

「おや……お客さん……」

 首をかしげる女将さん。

「へ? 何か、おかしなところでもありましたか?」

「いやあ……うちはね、予約制なんですよ。中途半端なものは出したくないので、前もって準備をしておくんです」

「ああ、そうだったんですか。すみません、こういったお店は初めてで……」

 お客が一人もいないからおかしいと思ったが、予約制であるなら納得だ。やはりりそういった、ならではのルールがあるらしい。少し残念だが、勉強して出直そう。と、僕が引き返そうとしていると、

「いやあ、けど、まあ。よかったら、好きな席におかけになってください」

「え?」

「今日は、予約のキャンセルが出てしまいましてね。暇なんです。それに、外はあいにくの天気でしょう?」

 少女の言葉に、僕は出入り口の引き戸へ視線をむける。が、曇りガラスの向こうには暖簾がかけられていて、外はよくみえず、窓を覗いたどころで、真っ暗な景色が広がっているだけだった。とはいえ、外の状況は知っている。

 ――雨がふったのだ。

 路地に足を踏みいれた僕の頬に、

 ――ぽつりと、冷たい感触があり、

 雨だと僕が理解した次の瞬間、

 ――どしゃぶりに、なったのだった。

 やむをえず、僕はこの店へと走り、

「はい。それで、雨宿りをしようかと思いまして……」

「まあ、そんなところだろうと思いました。別に屋根ぐらい貸しますんで、何を頼むでもなく、ただゆっくりしていってください」

「……どうも、ありがとうござます」

「いえいえ。とりあえず、お好きな席へどうぞ」

「では、遠慮なく……」

 失礼します、と僕はと軽く頭をさげると、荷物を適当に置き、女将さんの正面に座った。しかし、本当に良いんだろうか。少し気まずくなり、僕が頬をかいていると、

「おや? 私の顔になにかついてますかい?」

「い、いえ……」

 つい、まじまじと見てしまっていた。しかし、なんて返したらいいんだろうか。ここで黙ったら、変な空気になってしまいそうだ。返事に困った僕は――

「その、きれいな目と、鼻が……ついています」

 ……なに言っちゃってんの、僕!

 思わず、口にしてしまっていた。冗談半分に――半分は本心で。
 快活そうな、少年らしさのある彼女であるが、その目鼻立ちは美しく、女将さん目当てでここへ足を運ぶ人は少なくないだろうとおもう。にしても、なんだか変な気分だ。店の雰囲気にか――なんというか、僕は何かに酔っているのかもしれない。ここはいったん落ち着こう。そうおもって、僕は冗談っぽく話そうとしたのだが、

「――口は」

「……へ?」

「口は、ついていませんか?」

 呆然と首を傾げる僕に、女将さんはいたずらっぽく笑みを浮かべる。まるで、年上のような温かみのある表情だ。最初は年下っぽいと思っていた彼女だったが、こういう顔も見せるのかと、僕は驚きに息をのんだ。

「え、ええ、ついてます。……その、きれいな口が」

 僕が言うと、女将さんは「どうも」と歯を見せて、にっと笑った。その冗談っぽい軽い返しに、僕はほっと胸をなでおろすと、先ほどから気になっていたことを尋ねてみることにした。

「ところで、一つききたいんですけど。ここって――なんの店なんですか?」

 てっきり寿司屋だとおもったのだが、そのわりには、ヒノキのような香りばかりで、酢や魚の匂いがしない。本来であれば、メニューを見て、どのようなお店なのかを判断することもできただろうが、ここにはそういったものが一切ない――どころか、カウンターに仕切られた向こう側はよく見えず、目の届く範囲には何もなさそうで、なんのお店なのか、知るよしもないのだった。
 そんな僕の疑問に、

「なんの、ですか……」

 女将さんは口元に手をやり、考え込むようにいうと――、

「でしたら、試しに一つ――握ってみましょうか?」

「……握る? というと、やっぱりここって、寿司屋なんですか?」

 俺の疑問に、女将さんは首を横にふる。

「いえ、うちは寿司屋ではないです。というより……まあ、説明するより、体験してもらったほうが早いと思います」

「体験? それって――」

「はい、こんな感じです」

「……ぇ?」

 女将さんの行動に、僕の思考は――停止する。
 目にも止まらぬ、細やかな動き。僕の意識がそれを理解する間もないほどに一瞬で――そんな早さでありながら――衝撃をいっさい僕に伝えることなく――女将さんは右手に持った白い布で――僕の鼻を覆い込んでいた。その行為は、まるで――
 だが、そんなわけがない。というか、この熱い風はなんだろう。ねっとりと鼻にまとわりついてくる。反射的に――僕は口呼吸をしようとして――女将さんの右手首が、僕の口を閉じていることに気づく。つまり、鼻で息をするしかないらしい。しかし、いいのだろうか。この熱く重たい空気を、吸い込んでしまっても。とはいえ、タイミングはちょうど、息を吐ききったところであり、選択肢は、はじめから――

「――っ!? んっ、むううぅぅっっ!!」

 脳を突き抜けるような衝撃的なニオイに、僕は思わずうめき声をあげたが、女将の握っている布によって、その声は抑圧される。
 腐っていると、表現すればいいのだろうか。卵のような――大根のような――どれでもないような、そんなニオイが、僕の嗅覚に、こびりついてくる。
 タマゴも大根も、腐らせたことがないので、よくわかならいだが、あえていうのなら、タマゴと大根を数ヶ月ほど放置させたようだ臭いというのが妥当だろう。それはまさしく――屁のニオイであり、僕の知っているそれとは――大きく異なるものだった。
 腹を壊したとか、そういうレベルを超越している。本当に屁のニオイなのかと、疑問をおぼえるほどに。しかし、そう感じるのは濃度のせいだけではないだろう。嗅いだタイミングだとか、そそういった色んな要素がかみ合って、『その悪臭』はなりたっているのである。そして、そのあまりのニオイに――

「ぐ……ざぁ……」

 僕は懸命にもがくが、体に力が入らず、手足を動かしてみたところで、ぴくっぴくっ、と鈍い動きを繰り返しただけだった。どうやら、全身がしびれているらしい。
 鼻の粘膜から染み込んでくるような臭いが、こめかみのあたりに、鈍い刺激をあたえてくる。そして、目眩をおぼえる僕に、

「――くさい、だけですか?」

 女将さんのそんな声が、僕の耳にとどく。

 ……そりゃあ、そうだろ。

 そう思った。しかし――違和感を覚える。臭いのは臭いのだが――

「げほっ! ごほごほぉ……っ!」

「どうでしたか? 私の、握りっ屁のあじは」

 女将さんはようやく右手をどけると、僕の頭上から、声をかけてくる。だが、その声に返事する余裕はなく、僕はひたすら咳き込んでいた。そして、しばらくして、

「……はぁ……はぁ」

 咳がとまった僕は――

「ぷっ」

「ぷ? 屁の、口真似でしょうか?」

 首を傾げる女将さん。

 そのあどけない表情をみて――
 僕は、わらった。

「ひぃ……ひぃっ! あんたの屁、どんだけ臭いんだよ!」

 あほみたいに臭くて、それがなんだか、おかしかったのだ。

「すっげぇ……可愛い顔してっ……うそみてぇに……くせぇっ」

 だからだろう。

「あー、やべぇっ……笑いすぎて……涙が……」

 気づけば――頬が濡れていた。
 訳がわからない。唐突に、涙腺が決壊したのである。

「あらら。まあ、無理もないですよ。私の屁は、世界一臭いですからね。涙が出でしまうのも、仕方がないってもんです」

 冗談っぽく笑う女将さん。まあ、冗談になっているかはさておき、そんな彼女のことばに救われて、理由がわからぬまま、僕は溢れてくる涙を流しつづけた。

 それからしばらく沈黙が流れ、ぽつりと、女将さんが口をひらく。

「まあ、話は変わるんですけどね。私、涙は、心の汗だと思うんですよ」

 話が変わっていない。そう思いつつも、突っ込むことはせず、僕は黙ってその声に耳をかたむける。

「人生って、真面目に生きれば生きるほど、心に汗をかくでしょう? で、そうやってかいた汗をほったらかしにしていると、それが、垢になってしまったりして……」

 唐突に、語りはじめる女将さん。
 ひょっとして、慰めようとしてくれいてるんだろうか。自分よりも幼そうな彼女が。しかし、なんだか口を挟む気にはならなかった。しっとりと、雰囲気が変わった彼女の口調に、言葉に、重みを感じだような気がして、聞いているのが、さして嫌ではなかったからだ。

「まあ、そういったものと上手く向き合っていける人は、五万といるわけなんですけど……」

 その通りだ。そんな人たちに憧れては、劣等感を覚える毎日だった。どうして頑張れるんだろう。そして、どうして自分は――

「――けど、人は人です。そして、自分は自分です。ってことで、自分の人生なんだから、自分のさじ加減で生きたらいいんじゃなのかなって、私は思うんですよ」

 女将さんはそういって、話を締めくくる。

「いや、けどそれって、ただの綺麗事じゃ――」

「まあまあ、細かい話はいいじゃないですか。とりえずは、あれこれ考える前に、はい。これ使ってください」

「――――」

 真っ白い布を女将さんに差し出され、僕は身を縮こまらせる。が、その布からは、一切の悪臭も感じなかった。どうやら、先ほどの臭いが、若干トラウマになっているようだ。そんな僕の反応をみて、女将さんはおかしそうに笑った。

「これはまだ、未使用のやつですよ」

「ど、どうも……すみません」

 僕は軽く頭をさげて布を受け取ると、涙を拭う。

「ところで。お客さん、アロマセラピーって知っていますか?」

「え? ……ええ、そりゃあ……まあ、知ってますけど……」

「それなら話は早いです。簡単に言うと、今やったのは、それに近いもんでして、ああやって、臭いで脳を刺激してやるんですよ。まあ、加減を間違えると、大変なことになってしまうんですけどね」

「いや……刺激って……」

 突然なにを言い出すんだろう。そうおもいつつも、先ほど奇妙な体験をしたばかりであり、否定の言葉がおもい浮かばなかった。とはいえ、信じきることはできず、半信半疑の気持ちで僕は口をひらく。

「それにしても、後遺症がひどすぎませんか? 当分は、タマゴや大根が食べられそうにないんですけど……」

「いやいや、お客さん。――良薬は口に苦し、ですよ」

 女将さんはそういって、にやりと口角をあげたが、すぐに笑みをひっこめると、

「けど、お客さんが気に入らないっていうんでしたら……。――記憶ごと、吹き飛ばすしかないですね」

「へ? 一体、何の……」

「気に入ってもらえると思ったんですけど……お口に――いや、お鼻に合わなかったのでしたら、仕方がありません。ここは、もうひと踏ん張りするとします」

「いや、ちょっと……」

「すみません、ちょっとだけ待っててくださいね。記憶をすっとばすとなると、かなり集中力が――」

「ない……」

「へ? 今、何か言――」

「忘れたく! ……ないです!」

「…………」

 僕の声に、女将さんのはきょとんとする。突然声をあげたことで、驚かせてしまったようだ。

「突然おおきな声をだしてしまいまして、すみません」

 なぜ、こんなに熱くなってるんだろう。その理由はよくわからないが、腹から湧き出てくるものを声にして、僕は話をつづけた。

「けど、たとえ冗談でも、すこし……ほんの少しだけ、悲しいって、思っちゃったんです……」

 きっかけは、ただただ、下品なものでしかなかった。しかし――僕は彼女に、自然と笑みにさせれられてしまっていたのだ。何がおかしかったのか、よくわからないが、こんな変わった人、二度と出会えないだろうとおもう。それに、赤の他人で終わってしまうには、なんだか、もったいない気がした。だから――

「まあちょっと……いや、かなり変わってますけど。店としてやってるっていうんでしたら、客として、また……。――また来るから。……だから、もっとあなたの事……教えてください」

 客と、店員。それにしては、近づき過ぎてる気がしないでもないが、先ほど、強い臭いを嗅いでしまったせいだろうか、思考が空転してしまっているようだ。そこで、僕は一度深い呼吸をして、気持ちを一度落ち着かせてから口をひらく。

「僕は――ほしかわ。星川ほしかわ 鷲雄わしおって、いいます。……あなたの――女将さんさん名前を、聞いても、いいですか?」

 まずは、自己紹介からだろう。そうおもって、僕は言葉を丁寧に口にした。

「……ぁ」

「?」

 女将さんがなにかをいいかけようとするのを見て、僕は言葉を待つ。すると、少しの間があいて、女将さんの口がひらいた。

「い、いやあ。そこまで言っていただけるなんて、思ってもみませんでしたよ」

「ああ、いや、まあ。自分でも、よくわかっていないんですけど……」

「なんだかんだいいながら、気に入ってるんじゃないですか」

「へ……」

「そういうことでしたら、していきますか? ――予約」

「いや……ええと……」

 言いかけて、僕は今更ながら、あることに思い至る。

「あ、そういえば……お代。その、お代って、どのようにしたらいいんですか?」

 一応は、サービス(?)を受けたのだから、そういったものが発生するだろう。『試しに』といっていたが、それの意味合いもよくわからないし、料金の仕組みについても、まだなにも知らないのだ。彼女が悪徳の類でないことを願い、僕が息をのんでいると、

「お代……ですか?」

「いや、僕が聞いてるんですけど」

 なんで、尋ねられてるんだろう。僕は疑問の表情を女将さんにむける。

「ああっ、ええと……。なるほど……お代、ですよね?」

 女将さんはそういうと、「うーん」と考え込んだ。そして――、

「そうだ! ……お寿司! お寿司がいいです!」

「…………」

「今度来たときに、あの、油揚げの……そうそう、稲荷寿司です! あれが食べたいんですけど……!」

「……は?」

「……へ?」

 困惑の表情で、互いに見合う。
 ボケのつもりなんだろうか。だとしたら、色々とややこしい。まず、要求されているものがおかしいのは、言わずもながであるが、寿司屋をたべようと入った店で、寿司を求めらている、というのは、なんと滑稽なシチュエーションだろう。それに、そのチョイスでいいんだろうか。ずいぶん安上がりな気がする。まあ、特殊なアロマセラピーはさておき、その他を込みで考えて、多少の出費は覚悟をしていたのだが――

「だめ……ですかね?」

 沈黙に痺れを切らしたのか、女将さんは伺うような視線をこちらに向け、おずおずと尋ねてくる。っていうか、キャラが崩壊していた。さっきまで、江戸っ子――ではないが、それらしい、堂々とした感じだったのに、これではまるで、欲しいものをねだる子供のようだ。

「わ、わかりました。っていうか、今度、ですか? 今日の分は……」

「いやあ、今日はただ、屋根を貸しただけじゃないですか。そして、星川さんは雨宿りをしに、ここへよった、それだけのことです」

「ああ、そういえば……」

 すっかり忘れていた。雨音が聞こえなかったせいだろう。
 いつの間に、止んだんだろうか。

「本当に、いいんですか? 雨宿りをさせていただいたのに……」

 女将さんの厚意によって、ずぶぬれで帰宅せずに済んだのだ。何のお返しもなしに、帰るのは気が引ける。

「構いませんよ。その代わり、また来てくださいね」

 先ほどの稲荷寿司がよほど楽しみなんだろう。こころなしか、女将さんの目が輝いている気がする。
 僕は女将さんの言葉に納得すると、

「わかりました。ぜひ、稲荷寿司を持って、また来ます。……それじゃあ、あまり長くいるのもわるいですし、今日のところは、そろそろ帰ろうとおもいます」

「あら、もう帰ってしまうんですか?」

「はい、明日もバイトがありますので」

 とはいえ、バイトは明日の昼前からだ。それほど急ぐ必要なないのだが、ここは、妙に居心地がいい。よすぎて、帰りたくなくなってしまってはよくないだろう。そうおもい、僕は荷物を背負うと、後ろ髪を引かれる思いで腰をあげた。

「そう、ですか」

 そんな女将さんの声を聞きながら、出口まで行き、引き戸に手をかける。
 女将さんの声がすこし寂しげにきこえた気がするが、おそらく気のせいだろう。

「はい。今日は、雨宿りをさせていただいて、本当にありがとうございます」

 次は、いつにしよう。
 考えながら、ひとまず外の様子を見ようと、戸を引いた――『ガチャン』。

「ん?」

 ――開かない。

「あれ?」

 鍵は、ネジを回して開閉する仕組みになっているものを使っているようで、その鍵となる部分は、ネジ穴からだらんと垂れさがっている。

「これって」

 ……開いてるんだよな?

「すみません。正面からは、出られないんです」

「……へ?」

 女将さんの言葉に疑問を覚えていると――女将さんはゆっくりと、『ザッ、ザッ』と足音をならしながら、カウンターを出て僕のほうへと歩いてくる。

 ……草履、か。

 なんとなく、女将さんの足元へ向けた視線を戻し、そのまま僕は、動けなくなってしまう。理由はよくわからない。見惚れているようで――なにかに怯えているような――様々な感情が混ざりあっていて、どれが本心なのかわからないまま、何かしらの感情を抱き――僕は震えていた。

「お帰りに、なられるんですよね?」

 女将さんは僕の目をの前までくると、そう尋ねる。

「は……はい。そのつもり、なんですが……」

 そういって頷くと、女将さんさんはぞっとするほどに、やわらかな手つきで、僕の手首を掴んだ。

「では、ちょっと、こちらへ……」

 女将さんさんはそういうと、呆然とする僕の腕を、店の奥のほうへと引く。

「……女将さん?」

 僕は女将さんに手を引かれ、カウンターの向こう――細長い廊下へでた。
 まあ、疑問はあるが、正面の戸が開かなかったのは確かで、別の出口から出るということなんだろう。それは理解できる。しかし――何故開かなかったのだろうか。鍵はかかっていなかったはずで、理屈がわからない。それに、わざわざ手を引く必要があるのだろうか。触れられている部分がくすぐったい気がして恥ずかしいのと、思いのほか強い力で握られていることに、強い圧迫感を覚える。そして、廊下の先には――

「……ここって、裏口……とかではないですよね?」

 そこにあったガラス戸を前にして、僕はつぶやく。曇りガラスがはめ込まれたその引き戸の向こう側に、ぼんやりとした暖色系の明かりが見えるが、どうみても蛍光灯のような光であり、外に繋がっていないのは明からだ。

「はい。ひとまず、この先の部屋まで一緒についてきてください」

「はあ」

 女将さんの言葉に、僕はますます困惑する。
 帰る、といったはずだが、聞き間違えでもしたのだろうか。いや、そんな感じはしなかったが――、

「すみません。説明はあとでしますので、とりあえず、あがってください」

 女将さんはいいながらガラス戸をあけると、横にずれ、先に入るように促してくる。

「あ、はい……」

 僕は返事をしながら、開いた先を見た。
 正面に、襖で仕切られた部屋があり、その襖の手前には、左右にわかれている板張りの廊下がある。そして、廊下と僕とのあいだに、靴を脱ぐためのようなスペースがあり、ここから先は、どうやら、土足であがるふうではなさそうだ。
 僕は靴を脱ごうと、その空間に足をふみいれ――

 ……
 ……
 ……

「……へ?」
 気付けば――僕は店の外に出ていた。
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