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幼い二人と錬金術師
揺らぐ心
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エスタンブルク周辺では冬になると日照時間が短くなり、降雪の影響で晴れの日が少なくなる。
そのため、夏季のカルンでは朝早くから動き出す人が多い。
まだ日の端が山影から顔を出す前に、通りにはパンの匂いと干し魚を吊るす音が漂ってくる。
そして、俺とセド、ミレアもすっかりこの街の生活リズムに馴染んでいた。
市場を歩けば、八百屋の女将が「おや、セドくん。今日は人参が甘いよ」と笑いかけ、パン屋の若旦那がミレアの籠に焼きたての丸パンをそっと入れてくれる。
最初の頃はよそ者の視線を感じたが、もう誰もそんな目で見やしない。
アンソワーレの工房に着けば、常連客が「ミレアちゃん、あの薬草茶またもらえる?」と声をかけ、セドに「この前のやつ、香りがよかったよ」と笑いかける。
そんなやりとりを、少し離れたところから微笑ましい気持ちで見ていた。
セドはもう一人で調合を仕上げられる。
手際も正確で秤にかける量や茶葉の揉み方まで。
俺は錬金術のことは分からないので、口を挟む余地があるはずもない。
ミレアも帳簿を手際よくまとめ、客の注文を暗記して笑顔で受け答えする。
二人の背中は、旅の途中で出会ったときの弱さをほとんど残していなかった。
誇らしさと同時に、胸の奥に冷たい影がよぎる。
――このままなら、俺は必要なくなる。
それは決して不快な感情じゃない。
むしろ、俺の役目が果たされつつある証だ。
けれど、その「終わり」の気配は思っていた以上に心を揺らしてきた。
ある日の昼過ぎ。工房の仕事がひと段落したところで、セドが近寄ってきた。
「マルクさん、あの……魔法の練習、見てもらえますか?」
今日はやめておこう、と口を開きかけたが、セドの表情を見て言葉を飲みこむ。
彼の両目からは強い意欲が感じられた。
「いいぞ。場所は?」
「裏の空き地です。もう少し出力を安定させたいんです」
空き地には古い木箱や石くれが並び、地面には以前の練習の跡らしい焦げやひび割れが残っている。
早速、魔法の練習に付き合うことにした。
セドは深呼吸し、両手を前に構えた。
最初の頃と比べたら、迷いのない佇まいが感じられる。
短い詠唱とともに、掌の間に光が生まれ、次第に凝縮されていく。
以前は力が制御しきれないことで安定感を保てずにいたが、今回は違う。
光球はふらつかず、彼の意志に従うように静かに脈動していた。
「いきます!」
セドが放った光は一直線に木箱へ飛んでいく。
そして、こちらまで衝撃が伝わると同時にに乾いた音を立てて砕いた。
木片が舞い、土埃が夕陽に透ける。
威力も精度もこれまでに比べて見違えるほどだった。
「どうですか?」
「合格だな。力の制御、かなり良くなった」
そう言うと、セドの顔がぱっと明るくなった。
素朴な表情を見ていると胸の奥が少し痛んだ。
きっと俺がいなくてもやっていけるようになるだろう。
その確信が今まで以上に強くなるのだった。
翌日から二人に任せる仕事を増やした。
市場では「今日は二人で仕入れに行ってこい」と背中を押した。
工房での錬金術に関しては口を出せるようなことはなく、必要以上にミレアに過保護にするのをやめることにした。
言葉にすれば「自立のため」だが、俺自身の心の整理でもあった。
だが、距離を取れば取るほど、二人の反応も変わっていく。
夕食時、ミレアは以前より話題を選ぶようになり、セドも俺が何も聞かないと、自分から一日の出来事を語らなくなった。
今までにはなかった沈黙が増え、その間を食器の音が埋める。
俺は軽口で空気をほぐそうとするが、笑いは少し遅れて返ってくる。
――これでいいはずだ。
そう自分に言い聞かせても、胸の奥に残るざらつきは消えない。
そんなある日、工房からの帰り道で、セドが不意に立ち止まった。
視線の先、通りの向こうに黒いバンダナを巻いた男がいる。
日焼けした腕に大きな荷袋。
この辺りの人間にしては目つきが鋭いが、ただの旅商人に見えた。
そこでふとセドの肩が小さく震えたのに気づく。
「知り合いか?」
「……いえ。何でもないです」
男は俺たちに目もくれず、早足で市場の奥へ消えた。
その背中を見送りながら、俺は「気にするな」とだけ言った。
昔の俺なら、もう少し踏みこんで事情を聞いただろう。
それをしなかったのは、やはり距離を置こうとしていたからだ。
翌日の午後、俺は一人で街外れの丘へ向かった。
道はゆるやかな傾斜で、草の匂いが風に乗ってくる。
丘の頂に立つと、眼下に湖が広がっていた。
西日を浴びた湖面は金色にきらめき、波紋がゆっくりと広がっていく。
遠くでは水鳥が舞い、岸辺には小舟が揺れている。
こんな景色を旅の途中で何度か見てきた。
だが、ここで見る湖はどこよりも穏やかに感じられた。
俺はランス王国で生まれ育った人間だ。
いずれバラムに帰らなければならない。
居心地のいい場所ほど、離れる時は苦しい。
だからこそ、今のうちに二人を強くしなければならない。
心の奥で、その決意を固めた。
丘から戻ると、ちょうど市場の角でミレアとセドが子どもたちと話していた。
ありふれた風景のように二人はその場所になじんでいる。
セドは小さな子に何かを手渡し、笑顔で見送っている。
ミレアも優しく肩を抱き、別れの挨拶をしていた。
ありふれた――そして自然な――二人の姿に足を止めた。
もう、あの旅の最中に出会った二人ではない。
胸にこみ上げるものを押さえ、何事もなかったように歩き出した。
そのため、夏季のカルンでは朝早くから動き出す人が多い。
まだ日の端が山影から顔を出す前に、通りにはパンの匂いと干し魚を吊るす音が漂ってくる。
そして、俺とセド、ミレアもすっかりこの街の生活リズムに馴染んでいた。
市場を歩けば、八百屋の女将が「おや、セドくん。今日は人参が甘いよ」と笑いかけ、パン屋の若旦那がミレアの籠に焼きたての丸パンをそっと入れてくれる。
最初の頃はよそ者の視線を感じたが、もう誰もそんな目で見やしない。
アンソワーレの工房に着けば、常連客が「ミレアちゃん、あの薬草茶またもらえる?」と声をかけ、セドに「この前のやつ、香りがよかったよ」と笑いかける。
そんなやりとりを、少し離れたところから微笑ましい気持ちで見ていた。
セドはもう一人で調合を仕上げられる。
手際も正確で秤にかける量や茶葉の揉み方まで。
俺は錬金術のことは分からないので、口を挟む余地があるはずもない。
ミレアも帳簿を手際よくまとめ、客の注文を暗記して笑顔で受け答えする。
二人の背中は、旅の途中で出会ったときの弱さをほとんど残していなかった。
誇らしさと同時に、胸の奥に冷たい影がよぎる。
――このままなら、俺は必要なくなる。
それは決して不快な感情じゃない。
むしろ、俺の役目が果たされつつある証だ。
けれど、その「終わり」の気配は思っていた以上に心を揺らしてきた。
ある日の昼過ぎ。工房の仕事がひと段落したところで、セドが近寄ってきた。
「マルクさん、あの……魔法の練習、見てもらえますか?」
今日はやめておこう、と口を開きかけたが、セドの表情を見て言葉を飲みこむ。
彼の両目からは強い意欲が感じられた。
「いいぞ。場所は?」
「裏の空き地です。もう少し出力を安定させたいんです」
空き地には古い木箱や石くれが並び、地面には以前の練習の跡らしい焦げやひび割れが残っている。
早速、魔法の練習に付き合うことにした。
セドは深呼吸し、両手を前に構えた。
最初の頃と比べたら、迷いのない佇まいが感じられる。
短い詠唱とともに、掌の間に光が生まれ、次第に凝縮されていく。
以前は力が制御しきれないことで安定感を保てずにいたが、今回は違う。
光球はふらつかず、彼の意志に従うように静かに脈動していた。
「いきます!」
セドが放った光は一直線に木箱へ飛んでいく。
そして、こちらまで衝撃が伝わると同時にに乾いた音を立てて砕いた。
木片が舞い、土埃が夕陽に透ける。
威力も精度もこれまでに比べて見違えるほどだった。
「どうですか?」
「合格だな。力の制御、かなり良くなった」
そう言うと、セドの顔がぱっと明るくなった。
素朴な表情を見ていると胸の奥が少し痛んだ。
きっと俺がいなくてもやっていけるようになるだろう。
その確信が今まで以上に強くなるのだった。
翌日から二人に任せる仕事を増やした。
市場では「今日は二人で仕入れに行ってこい」と背中を押した。
工房での錬金術に関しては口を出せるようなことはなく、必要以上にミレアに過保護にするのをやめることにした。
言葉にすれば「自立のため」だが、俺自身の心の整理でもあった。
だが、距離を取れば取るほど、二人の反応も変わっていく。
夕食時、ミレアは以前より話題を選ぶようになり、セドも俺が何も聞かないと、自分から一日の出来事を語らなくなった。
今までにはなかった沈黙が増え、その間を食器の音が埋める。
俺は軽口で空気をほぐそうとするが、笑いは少し遅れて返ってくる。
――これでいいはずだ。
そう自分に言い聞かせても、胸の奥に残るざらつきは消えない。
そんなある日、工房からの帰り道で、セドが不意に立ち止まった。
視線の先、通りの向こうに黒いバンダナを巻いた男がいる。
日焼けした腕に大きな荷袋。
この辺りの人間にしては目つきが鋭いが、ただの旅商人に見えた。
そこでふとセドの肩が小さく震えたのに気づく。
「知り合いか?」
「……いえ。何でもないです」
男は俺たちに目もくれず、早足で市場の奥へ消えた。
その背中を見送りながら、俺は「気にするな」とだけ言った。
昔の俺なら、もう少し踏みこんで事情を聞いただろう。
それをしなかったのは、やはり距離を置こうとしていたからだ。
翌日の午後、俺は一人で街外れの丘へ向かった。
道はゆるやかな傾斜で、草の匂いが風に乗ってくる。
丘の頂に立つと、眼下に湖が広がっていた。
西日を浴びた湖面は金色にきらめき、波紋がゆっくりと広がっていく。
遠くでは水鳥が舞い、岸辺には小舟が揺れている。
こんな景色を旅の途中で何度か見てきた。
だが、ここで見る湖はどこよりも穏やかに感じられた。
俺はランス王国で生まれ育った人間だ。
いずれバラムに帰らなければならない。
居心地のいい場所ほど、離れる時は苦しい。
だからこそ、今のうちに二人を強くしなければならない。
心の奥で、その決意を固めた。
丘から戻ると、ちょうど市場の角でミレアとセドが子どもたちと話していた。
ありふれた風景のように二人はその場所になじんでいる。
セドは小さな子に何かを手渡し、笑顔で見送っている。
ミレアも優しく肩を抱き、別れの挨拶をしていた。
ありふれた――そして自然な――二人の姿に足を止めた。
もう、あの旅の最中に出会った二人ではない。
胸にこみ上げるものを押さえ、何事もなかったように歩き出した。
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