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静寂の町に潜む闇
怪しい行商人
谷道を抜ける風がひとしきり馬のたてがみを揺らした。
トランを発って半日の道のり。
順調に進んだ俺は、陽が落ちる前に次の宿場町へと辿り着いた。
山と川に挟まれた小さな町だが、交易の道筋にあるせいか、旅人や荷馬車の出入りが絶えない。
町の入口には質素な木の門があり、そのすぐ脇に小さな市が開かれている。
干し肉や果物を並べた露店の間を、行き交う人々の声と笑い声が賑やかに飛び交っていた。
馬を宿に預けてひと息つくと、俺は町の中を散策することにした。
しばらく歩けば、自然と目に飛び込んでくるのは薬草や香辛料を扱う店の軒先だ。
――ああ、やっぱり目がいくのはこの辺りになるか。
アンソワーレでの日々を思い返す。
フレイとオルネアと並んで、草を刻み、煎じ、調合した日々。
どんな匂いを持つ葉なのか、乾かすとどう変わるのか、あの二人に教わったことは数え切れない。
かつての俺ならただ通り過ぎるだけだった草籠の山も、今では一つひとつに効能や用途が浮かぶ。
「兄さん、どうだい。旅の疲れに効く薬湯は?」
呼び止められて振り返ると、露店の老婆が乾いた葉を束ねて差し出してきた。
「ありがとう。でも今は足りているから」
そう答えながらも、視線は自然と葉の色や質感を確かめてしまう。
……質は悪くない。谷道に自生するカムラ草だな。
利尿と解毒に使える。老婆はにこりと笑い、別の客に声を掛け始めた。
俺は歩を進め、町の中心広場へと足を運んだ。
ここは旅人がよく立ち寄る集いの場らしい。
大道芸人が玉を操り、子どもたちが歓声を上げている。
その輪の外れ、荷車を背にして商売をしている一人の男がいた。
粗末な布を羽織り、年齢は四十を越えたくらいか。どこか所在なさげに立ちながらも、並べられた商品は目を引いた。
細工の施された小瓶や見慣れぬ形の護符。
まるで遠国からの珍品のように飾られている。
人々の好奇心を煽るように、異質な匂いがそこだけ漂っていた。
「さあさ、見ていっておくれ。どんな病にも効く万能薬だよ。旅の護りにぴったりの護符もある」
男の声は妙に甲高く、芝居がかった口調だった。
通りすがる人々は好奇の目を向けるが、足を止める者は少ない。
近寄る者がいても、男の早口と押しの強さに尻込みしてすぐ離れてしまう。
――怪しいな。
俺の経験からして、こういう手合いは大抵、効能を誇張するか、まったく効きもしない品を高値で売りつける。
だが、興味がないわけでもない。
なぜなら並んでいる瓶の中に、どこかで見覚えのある草が沈められていたからだ。
俺は一歩近づいた。
「これは?」
指差した瓶の中には、黄緑色の液体に浸かった根が一本。
「お目が高い! 旅人の疲労を癒やし、熱を下げる薬草の根でございます。煎じて飲めばたちまち元気になる」
男は胸を張るが、俺の目には別の姿が映っていた。
――あれはただのハンバ草の根。
確かに解熱の作用はあるが、強すぎて体力を奪う副作用もある。
体温の低い人が濫用すれば逆に弱ってしまう。
「ふむ。珍しいものではないな」
俺がそう言うと、男の眉がぴくりと動いた。
「兄さん、薬に通じているのかい?」
「まあ少し」
男は取り繕うような笑みを浮かべたまま、別の瓶を持ち上げた。
根っからの商売人にしては短気なところに引っかかりを覚えた。
「じゃあ、これなんかどうだ。どんな毒もたちまち消す“秘薬”だ」
瓶の中身は濁った液体。
その中に沈むのは、純度の低そうな液体と腐った薬草だった。
見ただけで吐き気がする。
「……悪いことは言わない。それは飲ませるな」
思わず低い声になると、男は目を細めて俺を見た。
「へえ、ずいぶん詳しいな。なら教えてくれよ、うちの商品は偽物だってのか?」
「少なくとも、効くどころか危ないものも混じっている」
周囲の人々がざわついた。
通りがかりに足を止めた者たちは、互いに顔を見合わせる。
男は舌打ちをして瓶を荷車に戻した。
「ちっ……余計な口出しを」
「商いをするなら正直にやれ」
俺の言葉に、男は睨みつけるだけで何も返さなかった。
それ以上追及する気はなかった。
町の人々が自ずと距離を取り始めている。
もう、この男が大きく儲けることはないだろう。
俺は広場を離れ、石畳を歩きながら深く息を吐いた。
商人のざわめき、果物を売る少女の呼び声、通りを走る子どもの笑い声――。
耳に入る音はどれも明るく、町全体が活気に満ちている。
だが、先ほどの行商人のような存在がいるのもまた現実だった。
人の往来がある限り、善も悪も入り混じる。旅の町とはそういうものだ。
こうして怪しげな品を見分けられるのも、アンソワーレでの経験があってこそだ。
かつての俺なら、怪しい行商人の言葉を信じて買ってしまったかもしれない。
けれど今は違う。フレイの丁寧な解説、オルネアの実地の知識。
それらが自分の中で確実に積み重なっている。
宿場町の夕暮れは、旅人と町人の声が入り混じり、赤く染まる空が瓦屋根に反射していた。
石畳を歩けば、香ばしい焼き菓子の匂いが漂い、どこか懐かしさを呼び起こす。
俺は宿へ戻る前に、果物を一つ買ってかじった。
甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。
「……バラムまで、あと少しか」
遠いようで近い、故郷への道。
胸の奥にじんとしたものが広がるのを感じながら、夕焼けに染まる町を歩き続けた。
トランを発って半日の道のり。
順調に進んだ俺は、陽が落ちる前に次の宿場町へと辿り着いた。
山と川に挟まれた小さな町だが、交易の道筋にあるせいか、旅人や荷馬車の出入りが絶えない。
町の入口には質素な木の門があり、そのすぐ脇に小さな市が開かれている。
干し肉や果物を並べた露店の間を、行き交う人々の声と笑い声が賑やかに飛び交っていた。
馬を宿に預けてひと息つくと、俺は町の中を散策することにした。
しばらく歩けば、自然と目に飛び込んでくるのは薬草や香辛料を扱う店の軒先だ。
――ああ、やっぱり目がいくのはこの辺りになるか。
アンソワーレでの日々を思い返す。
フレイとオルネアと並んで、草を刻み、煎じ、調合した日々。
どんな匂いを持つ葉なのか、乾かすとどう変わるのか、あの二人に教わったことは数え切れない。
かつての俺ならただ通り過ぎるだけだった草籠の山も、今では一つひとつに効能や用途が浮かぶ。
「兄さん、どうだい。旅の疲れに効く薬湯は?」
呼び止められて振り返ると、露店の老婆が乾いた葉を束ねて差し出してきた。
「ありがとう。でも今は足りているから」
そう答えながらも、視線は自然と葉の色や質感を確かめてしまう。
……質は悪くない。谷道に自生するカムラ草だな。
利尿と解毒に使える。老婆はにこりと笑い、別の客に声を掛け始めた。
俺は歩を進め、町の中心広場へと足を運んだ。
ここは旅人がよく立ち寄る集いの場らしい。
大道芸人が玉を操り、子どもたちが歓声を上げている。
その輪の外れ、荷車を背にして商売をしている一人の男がいた。
粗末な布を羽織り、年齢は四十を越えたくらいか。どこか所在なさげに立ちながらも、並べられた商品は目を引いた。
細工の施された小瓶や見慣れぬ形の護符。
まるで遠国からの珍品のように飾られている。
人々の好奇心を煽るように、異質な匂いがそこだけ漂っていた。
「さあさ、見ていっておくれ。どんな病にも効く万能薬だよ。旅の護りにぴったりの護符もある」
男の声は妙に甲高く、芝居がかった口調だった。
通りすがる人々は好奇の目を向けるが、足を止める者は少ない。
近寄る者がいても、男の早口と押しの強さに尻込みしてすぐ離れてしまう。
――怪しいな。
俺の経験からして、こういう手合いは大抵、効能を誇張するか、まったく効きもしない品を高値で売りつける。
だが、興味がないわけでもない。
なぜなら並んでいる瓶の中に、どこかで見覚えのある草が沈められていたからだ。
俺は一歩近づいた。
「これは?」
指差した瓶の中には、黄緑色の液体に浸かった根が一本。
「お目が高い! 旅人の疲労を癒やし、熱を下げる薬草の根でございます。煎じて飲めばたちまち元気になる」
男は胸を張るが、俺の目には別の姿が映っていた。
――あれはただのハンバ草の根。
確かに解熱の作用はあるが、強すぎて体力を奪う副作用もある。
体温の低い人が濫用すれば逆に弱ってしまう。
「ふむ。珍しいものではないな」
俺がそう言うと、男の眉がぴくりと動いた。
「兄さん、薬に通じているのかい?」
「まあ少し」
男は取り繕うような笑みを浮かべたまま、別の瓶を持ち上げた。
根っからの商売人にしては短気なところに引っかかりを覚えた。
「じゃあ、これなんかどうだ。どんな毒もたちまち消す“秘薬”だ」
瓶の中身は濁った液体。
その中に沈むのは、純度の低そうな液体と腐った薬草だった。
見ただけで吐き気がする。
「……悪いことは言わない。それは飲ませるな」
思わず低い声になると、男は目を細めて俺を見た。
「へえ、ずいぶん詳しいな。なら教えてくれよ、うちの商品は偽物だってのか?」
「少なくとも、効くどころか危ないものも混じっている」
周囲の人々がざわついた。
通りがかりに足を止めた者たちは、互いに顔を見合わせる。
男は舌打ちをして瓶を荷車に戻した。
「ちっ……余計な口出しを」
「商いをするなら正直にやれ」
俺の言葉に、男は睨みつけるだけで何も返さなかった。
それ以上追及する気はなかった。
町の人々が自ずと距離を取り始めている。
もう、この男が大きく儲けることはないだろう。
俺は広場を離れ、石畳を歩きながら深く息を吐いた。
商人のざわめき、果物を売る少女の呼び声、通りを走る子どもの笑い声――。
耳に入る音はどれも明るく、町全体が活気に満ちている。
だが、先ほどの行商人のような存在がいるのもまた現実だった。
人の往来がある限り、善も悪も入り混じる。旅の町とはそういうものだ。
こうして怪しげな品を見分けられるのも、アンソワーレでの経験があってこそだ。
かつての俺なら、怪しい行商人の言葉を信じて買ってしまったかもしれない。
けれど今は違う。フレイの丁寧な解説、オルネアの実地の知識。
それらが自分の中で確実に積み重なっている。
宿場町の夕暮れは、旅人と町人の声が入り混じり、赤く染まる空が瓦屋根に反射していた。
石畳を歩けば、香ばしい焼き菓子の匂いが漂い、どこか懐かしさを呼び起こす。
俺は宿へ戻る前に、果物を一つ買ってかじった。
甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。
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