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【過去記事】楽をして生きるようには人間はできてはいない
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幸福
楽をして生きて行けるようには人間はできてはいない
朝を迎える
ほとんど寝ているのに、眠れていないと思えてしまうのは、ここのところ、しょっちゅう起きている。寝て起きるを繰り返す生活。自分にブレーキがかからなくなってきた日常。朝を迎えるたびに、骨格がうずくような痛みを覚える。姿勢の悪い人間は、それはわたくしのことなのだが、胃袋を開閉する動きですらも、自我が通った道のりに思えてくる。便を出すことだけでも大変だ。ODをして、お薬が出なくなり、今は現在を薬が無い生活が押し寄せてくる。それは、まるで、足を失った商人が、畑の苗を見て、ブラックコーヒーをすするのに似ていた。わたくしは、何も好きこのんで生きているわけでもなければ、生命があるから、生きながらえているに他ならなかった。何か好きなことが出来るから頑張るとかは、現在進行形てきには、すべてが無駄に思えてくる。結果を知らないのに、絶望している感じが耐えない。何かを努力すれば、ほめられる。それだけでは満足しなくなった、幼稚な頭が考え続けるのは、体たらくで、不規則な時間を配置しながら、次へと向かう。わたくしは、ブラックコーヒーを飲み干すと、焦燥感に浸る。淡くなって、光がようやく届くか、届かないかの距離で生活を過ごしている。ODとは、自分を傷つけるだけでなく、周りの干渉をも奪い去る。にっちもさっちもいかなくなったから、今がある。もともと、人の意見を聞くのが苦手であり、聞いても、なに不自由ない生活に当てはめられるかと言えば、それも出来ない。出来ないんじゃないのだ。やらないだけなんだと知っている。この孤立した状況下で、取捨選択を間違えてしまい、更なるどん底へと向かう。吐き気を帯びた生活は、矛盾した世界に唾を吐きかけ、淀んだ生活を送る。これが正しいとかの判断は、当に皆目見当がつかないまでに成長した自我が織り成す。もともと不器用であり、一つのことで精一杯なわたくしにとって、小説家などは、夢のまた夢であった。現状維持が降って来る。今のままで良い。今のままじゃ駄目なんだ。二極化した選択肢があるようでないのも、この生活状況の厳しさを醸し出すかのようであった。今あるものに感謝をして次へと進む努力とは、何時しか見習わなくなってしまう。すべては、独断と偏見で描かれた曲線となる。曲がりくねった先に未来はあるのだが、どうやら自分が求めてきた回答とは大きく異なるようだ。わたくしは、とんだ、見当違いを走らせては、暴走する。煙で辺りが見えなくなり、やっとの思いで、決断した知識でさえも、まごうことなき嘘へと虚偽を並べ立てた。虚偽は、膨らみ始めて、骨格を覆い尽くすだろう。その時になって、あちらが痛い、こちらが痛い。時間とは有限であり、ODをやめられなかったわたくしには、生きることも死ぬことすらも容易ではなくなっていた。
コーヒー豆が変わった日
ODが奪ったもう一つの生活。病院もそうだが、通院していた時間が無くなった。ひとりになれる時間が減少した。自分の居場所を作るのは、困難を極めるようになる。耳が聞こえ過ぎるように、何の音でも反応してしまう日常へ。お尻の筋肉はとても強いと思うようになる。ずっと座っている。このずっと座っているとは、「じっと座っている」に似ており、足の筋肉が成長する過程で、お尻がこれほどまでに役に立つ場所だとは、人間として生きてきて気付かなかった。喉の奥のほうから焼けるように、日焼けした太陽が昇るようである。心がどこにあるのかは、わからないが、手の指先から足のつま先までピンッと貼り伸ばした状態に似ていた。吐き気が襲い、めまいがする。口から戻った、液体を体の中に戻すのが、嫌いであり、酢のような人生は、あわないとした。トイレに駆け込むのだが、上手く吐けずに、嗚咽が込み上げる。こんな生活を続けていると、メインとなるリフレッシュは、的を得た精神科という言葉が乱立する。心はメンタルのことだが、じれったく待たされた。腹のほうから、湧き上がった水しぶきが、嗚咽と共に流れる。メンタルはズタズタになり、その焦燥感は、半端ない。癒なくなった心が悲鳴を上げていた。その上で、賽を振るのだ。あとは、野となれ山となれ。傷ついたメンタルは、行き場をなくした孤立奮闘が襲う。「おえっぷ」が、誕生して数日が経過した。なんだか、腹のど真ん中から、口にかけて、魚釣りが、餌に巻いた杭のような釣り針を喉に引っ掛けたときのような面持ちがする。人間なんて勝手だ。想像とは、えげつない。身を振るうようにして、ブラックコーヒーを垂れ流す。胃は苦味の利いたパンチを受けて、ノックアウトされたような表情をみせる。コーヒー豆が変わったことを知り、今日か明日か……。明後日か……。苦味はあるのだが、酸味が少し足りない。希薄だったブランドイメージが消えた日であった。チョコパイを一緒に食べたら、胸焼けが襲う。知らないうちに、太り始めていたようだと気付く。それら苦味が、一気に押し寄せた。変わらない一日は、健やかに流れる。だが、今日という一日を変えたいと思うように人間は出来ているようである。決まりきった楽な道を嫌うようになってゆく。人間とは実に素晴らしく出来ており、脅迫めいたその思いとは、創造心を掻き鳴らした。一日一歩、一歩進んでは、確かめ合う友達のような存在が、わたくしだとするならば、今日を迎えたブラックコーヒーは、とても良い味付けになっているはずである。
胸焼け
カフェインの取り過ぎや喫煙習慣による悪化。生活習慣病とは、日々のルーティーンが祟り起きることが多い。特に胸焼けは、食べ物から来る「いがらっぽさ」や素の自分と向き合わなければならなくなる。太り始めたのも最近。生活を改善するためには、ルーティーンを変革しなければならないようだ。何も考えずにただ生きているだけでは、絶対に抜け出せないループとなる。そこで、カフェインを避けたり、食べ物を一回で食べるのではなくて、何回かに区切って食べることになる。胸焼けは、起きている時には苦しく、勤勉さを嘲笑うかのような病の一つだが、原因とは、ルーティーンを見直すだけでよい。日頃から、不摂生による不規則が生み出しているのであれば、変革が必要となる。体調管理とは人事では解決しない。何かを忘れるために何かをするように、日々のルーティーンとは、体を労わり、体を守るために動くことにより、一掃出来そうである。日々のルーティーンを治すとなると、多大な努力と気兼ねが必要のようだ。胸焼けは、そうした日々のトラブルを教えてくれている。「あなたは、太りすぎです」なども警笛となりそうだ。80kgを越すと体が重たくなり、気兼ねなく出来ていたことが出来なくなる。起きているなどもその一つではないか。と思えてくる。ただ人は起きているだけでは、何も見出せずに、苦心することになる。そこで、その苦心にねぎらいを与えたいと思うことにより、体の不調を緩和して、より良い一日を過ごすための新たなルーティーンを作成してゆく。ここになると、言い訳は一切きかなくなる。なにしろ自分の体が悲鳴を上げているのだ。苦しくて、雑なようだが、徹底的に自分をコントロールする必要が出てくる。「あなたは、太りすぎ」だからである。毎日摂取し続けてきた、鬼畜のような食事を制限することは、新たな肥満を何度もかけて起こすだけでなく、我慢をし続ければ治るという簡単なもののわけでもない。だが、遣り甲斐とは何かをし始めるから生まれるのであり、そこに体重の増減が関わってくる。胸焼けは、一つの信号であり、放置しておくと大変なことになるようだ。先ほど書いたチョコパイなどもたまに食べるのだからと安心していたが、糖分とは体に染み込む。そして、太るのだ。太らないためには何をすればよいのかを考えれば、おのずと道は見えてくるだろう。ただ、起きていて、運動もしないとなると人はその環境に順応し始める。太るとは、ループが絡んでいる。太らないためには、やりたくもない運動を取り入れて、日々の生活をクリアにする必要がありそうだ。
何かをしていないと落ち着かない病
何もしていなかった時には、大して気にも留めなかった誘惑と色々なことが出来る喜びから来る病があるように思える。人は動き出すと物凄い勢いで動いてゆく生き物である。それを注意欠陥他動性障害「ADHD」などとも言うが、苦労とは尽きないものである。動き始めたら、なかなか止まれない性分なので、欠陥ととるのか、正解ととるのかはひとまず置いておこうと思う。傷を治せば痒くなり、かさぶたが出来始めるのに似ている。体中のあちこちが、何々をしたいと思うようになる。寝たきり老人だった時には、諦めていた感情である。たとえば、水太りを気にして水を飲まなければ、体内の水分は下がってゆき、体重は落ち着きを見せ始める。それと同様に、何々をするならば、何々が下がると思えるならば、とことん突き詰めてやってみようと思える。遣り過ぎは体に毒だが、疲れたら勝手に寝る。これまでの経験を基にして、人生を謳歌したい。人生とは面白いもので、我慢をしている時に、糖分が降って来たり、体には申し訳ないが、そのように悪いことを推奨するように肉体は出来ている。食べてしまえばもとのもくあみだ。そこで食べないを選択するとは、人生を知っている選択肢といえるだろう。ただでさえ人間は楽をしたい生き物である。何かを始めるとは、助走が出来て、外に飛び立てる準備が整えていなくとも、向こうから勝手にやってくるように思う。進歩とは、幸福の中に何を見出すのか?で決まるように思う。不幸の時とは、自分から好んで不幸と対話しているために、避けられなくなる。人の道とは、道理や道徳などある程度決まった内容からは、答えを求めていても見出せずに、進歩した時に、見出せるようになる。準備をして、歩ける時には歩くしかないようである。振り返ってみた時に、自分はあの大変な中を泳げたという自信につながる。その小さな変化を愛して、大切にするほかには、幸福とは当たり前のようにはやってこない。人は一度幸福になれば、その座から安定へと向かいたがる。その時に、もう一度、何度も何度も調整しながら、自分のあゆむべき道を整えてゆくほかは無い。頭が忙しい時ほど、冷静に対応するのも、一つの成功だろうと思う。一つ成功が見つかれば、おのずとハッピーエンドはやってくる。幸福の中で不幸とは重なり合えない存在なのだろう。それでも「不幸が好きな人」とは居る物である。自ら進んで破滅するようなことが上げられるであろうか。ODを病としたわたくしも、注意が必要となる。そして、一度ついてしまった脂肪とは中々落ちない。この脂肪を掃き出すには、矢張り運動が欠かせないように思う。ある程度はわかっていたけれども、見たくは無かった人の弱さの現われなのかも知れない。
誘惑と罠
痩せるために「胸焼け」を阻止しようとして、これまで沢山の経験と豊富な実績で対処してきたが、家族が誘惑とか罠になるとは思ってもいなかった。例えば、「ラジオ体操後の食事」。太らないために、何回も区分けして食べるや進められても「いらない」を通せない場合がある。「いただきます!」と言って食べ初めて、後悔を生むのも家族だからだろうか。家族だから言わなくてもわかってくれるとは、自分の心境であり、家族といえども「言葉」にしなければ伝わらないことの方が多い。コーヒーも少なめにしようと決めたその日に、おかわりでお砂糖やミルクを追加して食べ物や飲み物に興味をそそろうとする気配りが見られる。普段から余り食べられない、わたくしは、「優しさ」に困惑している。ちょっとした気遣い。それが仇なすのも家族だからだろうか?水分をほとんど取らないので、麦茶を淹れてくれる優しさに、絆されて、水分を取る。まあ、ラジオ体操したし……。なかなか、自分の困窮とも言うべき「はらっぺらしモード」にはさせてはもらえない。家族だから気を遣うのは良い事なのかも知れないが、どこかで、「いらない」を追加しないと駄目になりそうである。全部、家族が言うようにしていたら、しかし、エネルギーとしては、そんなに取っていないから大丈夫とならされてしまう。家族とは、内なる人から争いは起こらないと思い込んでいた、わたくしの予想を優に超えて行く。団体生活において、家族とは一番心を寄せ合う仲だからこそ、問題を区分けして、自分のこととして処理をしていかないと、「なあーなあー」になる気がした。「いらないよー」を言えなかった、わたくしという存在がいる。それは普段から、愛されており、その愛の目方を区分けする分業作業に目を向けると、家族の優しさを無碍には出来なくなる。その分、体を動かすことになる。雨の中、皮膚科に行き、普段から向き合う病気と向き合う。その時になって、初めて意識をした家族の愛情の形や大きさを垣間見た気がした。優しさという名前の「自暴自棄」を抱えて、膨らんでゆく。空気は抜かないとガス欠になるので、傲慢と言う風船を栓抜きするのだが、中々自分の思うようには行かない。わたくしの場合は、「やるか、やらないか」の二択になるために、困窮している。家族の思いをそのままにして、生活をするならば、ある程度の犠牲はつきものなのだろう。アガペーを感じながら生きている。家族に心配させまいと思うならば、自分の努力を捨てることも必要なのかも知れない。例えば、入金日までお金がないと人は卑屈になりやすい。お金とは「幸福」のスパイスではあるのだが、「幸福」のスパイスも「不幸」にはならなくとも、入金日までは財布の紐を締める。ここに直結しているような気がした。入金を済ませるとすべてを洗い流して、思考しなくなる人間模様も人らしさの表れなのか。
体を休ませる
就寝薬が無いので、なかなか寝付けない日々を過ごす。寝つきが悪かったり、全然寝れなかったり。それでも、明日を今日を感じたくて生きている。ただ、体を休めているだけでも違うと教えてもらったので、横になり、体を休ませる準備をする。布団を整えたり、牛乳を飲んだりする。何も入れていなくとも牛乳が甘いと感じたり、美味しいと言える時間を大切にしたい。眠れていなくとも、まったく休まずではないので、休憩した時間が生きてくる。ODをしてこの状況になったことは反省しつつも、次の日は精神科にきちんとかかれるようになることを願っている。三寒四温で急に寒くなったり、雨が降ったりを繰り返す中で、暖かい季節に向けて、生活の基盤を整えて行く。眠れない日々を過ごす中で感じたこと。などを書き出して行く。記事にして投稿する。これが、わたくしのルーティーンとなる。出来たことを数えて出来なかったことは、仕方がないと整理しつつも、コンディションを整える作業は重要となる。栄養なんかも取りながら、「幸福」という味を噛み締める。そして、それを続ける準備をする。「きっかけ」は、何でも無いことでもいいので、何かを始めることと、自分の居場所作り。それに没頭し始めると、「起きてなくちゃー」とか、「寝たきり老人」に戻らないために、今は起きていようと思えるようになる。脳が疲れてくると突然、「休止符」を打ちたくなる。自分は頑張ったじゃないか、とか、頑張りすぎてるじゃん、とかだが、そういう時こそ、ODをしてしまうために、なるたけ甘えを許さないようにする。起きていた時間と休憩を取った時間を「きちんと」判別するようにしている。要は「がんばりすぎ」にならないように努力する。疲れたーと思ったら休んで、また体を動かすみたいに……。この、疲れたら眠り、また体を動かすは、適度な運動感覚で行う。緊張感を休憩で置いて来るようにしている。適度な疲れとは、脳に与える影響も考慮すると大切らしいので、お薬が手に入るまでは、辛抱となる。あとは、カフェインを摂取しすぎないとかを頑張る。そうすることで、眠れてはいなくとも自分自身の居場所作りは出来ているので、そんなに気落ちしなくてもいい。今日を準備することは、今日を生きることに繋がる。日々の繰り返しに、諦めを入れつつも、時間をきちんと使えるようになりたいと思う。今日一日を終えて感じることや気持ちを言い表すことでメリハリを付けて行く。それが生活を整えることだと信じてやまない。
疲れが取れない
永い人生を生きている中で、「眠れない」とか「体が休まらない」などは多い。わたくしの場合は、このような時に、ジタバタしても無意味なので、何もしないようにしています。考えても駄目な時ってありますよね。ああ、何をやっても無駄だ。どうやったら無駄な時間を有意義にチェンジできるのだろうか?といった疑問が出てきます。ジタバタはしますが、「何も変わらない。」これが悩みの種です。「眠れない」イコール「死ぬ」ではありませんので……。わたくしの経験上は、記憶の無い時間が必ず眠れていなくとも存在します。その間に眠れてはいるので、「寝たなー」という感情が無いだけで、実は体としてはメンタルは置いておいても、「ゆっくり休めてる」と判断します。この時、思いとは、「ゆっくり休みたい」ですが、脳は朝になれば、体が活性化するように出来ています。その支持に従わないで、つまりは、日光が出たら「日光浴をきちんとする」や普段の何気ない所作に起因しています。問題は、問題ではなく、どう行動するのか?になります。日光浴が出来るから、外へ出る。これだけでも大分マシな生き方になります。10分くらい日光浴をしたら、家路に着くような感覚。悩みは消えませんが、三寒四温を感じながら、「春」という季節を身に沁みて感じます。五臓六腑に染み渡るくらいまで、体感したら、家路に着きます。内臓が活発に動き始めたような感覚になります。初めは、騙されたと思って日光浴を開始しましょう。外へと引きこもりの体を出すことが重要であり、答えとはその先に依存します。今出来ていることに感謝をしつつ、外出したことに思いを留めます。永い人生を生きている中で、自分に出来ることは、丁寧にしつつ、自然との調和を期待しながら、人生を謳歌することにいたしましょう。そうすることにより、次のステップが見つかり、自分の進むべき道が自然と見つかります。
ひとつひとつを丁寧に……。
人生の中でずる休みの癖とは、なかなか直りません。それでも、自分の考えを使ってしまい、以前の古い感覚に頼ろうとします。自分の考えはなんの役にも立たないと学んでいても、これはニョキニョキと出てくる考えです。古い人格を捨て去るのは容易ではないと感じます。それでも前進しなければ退化してゆきます。これが人の個性であり、堕落した不完全さのゆえなのか?と思える時もあります。長い時間をかけて間違えをしてきた場合は、自分のリズムではなくて、家族に合わせるのも一つでしょう。自分の狂った感覚を家族が支援してくれることで、癒しへと繋がります。例えば、ご飯を三度さんど、きちんと食べるとかも非常に重要です。朝摂取した栄養は、朝を動かす力になります。いつまでも、寝たきり老人だとこれが味わえません。自然とリズムも夕方よりになり、私生活のリズムが狂ってしまいます。これを正してくれるのが、朝食や日光浴です。便のリズムを整えてくれて、お腹を活性化してくれます。ずる休みは、なかなか直りませんが、自分の考えを抑えて、人と一緒に生活してゆくためのツールとなると思います。自分の考えに固執している場合は、何も見えてきませんが、ひとたび離れてみることにより、周りは何を感じているのかや不安を一緒に体感することで、得られるリズムがあります。ひとつ、ひとつを丁寧にやってゆきたいと思えるようになれば、寝たきり老人や体のリズムの退化を整えられるでしょう。
お尻にできた褥瘡
ここのところ、体中を蝕む電気のような存在。繊維筋痛症のように全身が痛む。休んでいる時も、体がビリビリと痛むために、体が休まらないのが多々ある。眠るとは、気を失うことだと知り、YouTubeにて眠りを勉強し始めた。様々な眠りのスペシャリストが回答している。為になると共に、意識喪失こそ眠りだと知って驚いた次第である。気を張り詰めて日常を過ごして、夜には気を失い眠る。これこそが、人間らしさなのだと思った。気を失っているから、記憶が無くなるのである。寝ている間も、多少の記憶があるのは、レム睡眠時に見た夢という科学では未だにわかっていない眠りというジャンルの真髄となるのだろう。真理とは何時の世もわからないことだらけだ。わからないから研究されているのだろう。さて、電気が走る体を起こして、なんとか体勢を整える。それから、起きている時間を長く過ごそうとする。そうすることで、褥瘡【じゅくそう】がこれ以上は広がらないように注意したい。寝たきり老人のようになって一番困っているのが、脊椎を蝕み始めた褥瘡だ。褥瘡は、大きく穴を開けて、肥大化しながら、わたくしの体を蝕んでいる。病院の皮膚科へ通うようになり、容態は良くなり始めたが、精神科が落ち着かないことには、解決には至らない。ほとほと困り果てている。通う場所が無いからである。それでも、精神科医の情報提供書があればこの先にも光があるために、先んじて行動したいと思った。
不幸に見えた日々
何も出来ないことは罪だ。そう捉えていると、何も出来ない日にも罪の意識が及ぶ。体調が悪く感じてしまう。全体的に人生がつまらなく感じてしまう。そうこうしていると、死にたくなる。お薬は、良くも悪くも体に影響を与えている。日中、ボーとしているだけで、ダルさ、マックスになる。日頃の種を気にしながら、日中は過ぎ行く。夜が訪れて、深夜に叫ぶ。心が痛いと……。不幸という名前のぜっ不調へまっさかさまに落ちてゆく。堕落してゆく。まるで追放天使のようだ。そうこうしていると、真横に揺さぶられるような体感が襲う。吸収できない陰謀は、わたくしの肉体を虐めた。寒々しい朝に目が覚めて、外に出て散歩をしても何も感じない。何時から人は感謝を忘れたのか。いつから人は、五体満足に暮らせることを当たり前としたのか。当たり前など一つもないというのに……。わたくしは、大声で泣き出した。感情を剥き出しにすることが、適当だと思えたからだ。そうこうしていると、夜が明けて夜明けを告げる日差しが差し込んだ。生活が滅茶苦茶だ。午前様……。それだけは避けている。飲まず食わずな生活は、蝕み、貞潔さを滅ぼす。滅却された焼却炉が口を開けて涎を垂らしている。ぜっ不調の生活は、とりとめもなく落ちてゆくようだ。地獄があるのなら、きっとこんな所なのだろう。噎び泣く蝉の声が遠くに響く。かなかなかな……。みーんみーんみーん。ヒグラシの鳴き声は今日も今日とてわたくしを救うことは知らなかった。絶望が押し寄せる。さざなみが押し寄せるように引き寄せあい。わたくしは、その中心でまどろんでいる。ビールを一日に二杯のみ、幸福という名前の心境を待ち望む。その姿は滑稽であり、いたいけな瞳は、汚れていた。穢れを知らなかった瞳は、汚れながら、まどろんでいる。今の生活が一番だと思い込んでいるのだ。祝福とは人によって違う。そのことを忘れた眼「まなこ」は、いぶし銀に揺れている。今日をまどろみ蝮に身を任せて五臓六腑を腐敗させている。腐敗のにおいは、部屋中に広がりながら、ますます拡大中だ。不幸という名前の部屋の出来上がりとなる。そこで瞳は歌う。我不幸なり。すると蝮が非常な痛みを生じさせて、噛み付いた五臓六腑を食い千切る。生活は出鱈目になり、開始された幸か不幸かは身を委ねる所を知らなかった。防波堤はゆるぎなく動いているようだった。
作品の価値
紅に鳴いて、血と汗の涙に身を暮れる。どうしようもなくせせこましく働いて、窮屈でゆとりが無い世界で喘いでいるかのようだ。そうして辿り着いた世界がある。眠れない日々を過ごし、べっとりと纏わりつくような汗と涙に溢れる。溢れた涙は誰色に染まるのか。色濃く映るばえた夜風に身を反らし、窮屈な帳に色濃く根付くトパーズが彩る。純粋とねちっこい愛を求めつつ、愛という簪を頭に挿して噎び泣く。色濃く根付く氷のような日々に感謝をして。日々のおもい思いに根強い気持ちを乗せて……。アラビアンな思いを抱きつつ。イラクで起きる災難に身を馳せる。おもい思いに身を焦がしながら、火傷した手指が痛む。心痛に身を彩られたピエロのようだ。道化師は恥ずかしそうに笑っている。焼けた素肌が彩る値打ちという花を咲かせる。心持、どこか静かで健気な花を絶え間なく苛んでいるのは、虐めという名前の帳なのか。その中で寝付けづに喘いでいる。叫んでいる。宵云々のときに身を生える。生えた枝毛が汚らわしい。穢れという世代に瞳を凝らし、よな夜な茹だるような汗を掻く。世界はみすぼらしくも通常で、普通の世界が流れている。静かで御淑やかで、気流の流れを受け入れてくれる。そんな空気がどこまでも流れているんだ。わたくしたちは、そんな世界に生きている。
世渡り上手ではない自分
世間体を気にして眉間に眉を寄せている自分。本当に嫌気が差す。気の無い返事を繰り返す時。はーっとため息が出る。不幸そうに仰け反り、仰向けに寝る時。嫌気を通り過ぎて、もっと快活に動けないかしらと思えてくる。嫌気と気だるさが交互に飛び交う。交差した居場所の無い場所で、一人でいじけている自分がいたり……。人生本当に上手くいくことは無い。やるせなさに運ばれた気持ちが独りで右往左往している。とりとめのない気持ちが行き場をなくしては、人はいつから失い続けることを許したというのか。反射した気持ちが仰け反りながら、雄叫びを上げている。ビルの谷間に風をビュービューと感じながら。居た堪れない気持ちに苛まれている。虐めはエスカレートしてこの身を貫いたみたいだ。痛いと言えない声が遠吠えに聞こえた気がした。風を切り、後ろ手にたなびく。憂いを感じながら失い続けてゆく。命は削り取られながら、欠伸をしているようだ。今日、何をして過ごせばよいのかもわからないまま。人は夜風に揺れながら……。取りとりとめもない気持ちに押し流されそうだ。わたくしは何にイライラしているのだろうかと考える。そういえば、独りでいられる時間を有意義に過ごせているだろうか。ふっと疑問が湧いた。気の無い返事が、三味線のように響く。朧月夜は夜風に揺れる。月はちょこんと綺麗に浮いている。五月雨が少し降り注ぎ、雨降って地固まる思いきや、また仰け反る人生。そんな当たり前の生活が続けいることに嫌気が差す。日中を過ぎると、ながい永い夜中が口を開けていた。そっと呑みこまれたようになる。
出来てることを数えたい
出来ないことを数えがち。日々の余力だけでは、毎日が大変。全力でことにあたるが、芽が中々でない。そういえば、小さいころに球根を植えて、待てなくて、穿り返したのを覚えている。中身が変わらなければ、何時までたっても変われない。そんなことはわかってるよ。そういって頬を膨らます。一日、一日の積み重ね。投げ出したりしないで。と自分に言い聞かせる。持続するのは大変だが、継続するのは、もっと大変だ。毎日が戦い。時々思うこと。江戸時代に生まれていたら……。当時の苦労など知ろうはずもなく、愚痴を零す。愚痴を言ったからって何一つ変わらない。それなにに、ついつい口を突いて出てしまう愚痴。情けないな。もっと有意義に過ごしたいのに……。PHPを読むと心が晴れやかになる。やる気が出る。今日一日、がんばろう。
小説家の一生「物の価値観」
昨今では、ネット注文が主流になり、お店に行かなくても、
お米が買える時代になった。10kgで一万円するのだが……。
サイコロステーキや餃子の王将も売っているので購入する。
一昔前、トランプ関税がこれほど高くなる前だが、
コシヒカリばかりを注文していた。
5kgで4600円から5600円の時代だ。
今も、あきたこまちが、10kgで1万2千円代になった。
スーパーで購入しても、2600円はするので、
それだけで、荷物が重たいし、汗をかくしで、
ネット通販が増えた。家庭の事情もさることながら、
ネットの普及が大きいと思う。
ティッシュペーパーも460円「4ロール」が増えた。
他の方たちは、12ロールを購入していると聞くと胸が痛む。
しかし、再生紙が増えたのも事実だ。
大王製紙か日本製紙で購入しているのだが、どうなのか。
小説家などと大きなタイトルにしたが、
日本の景気に左右されていることに変わりは無い。
物価の上昇に伴い、日本の景品交換法の与える経費も甚大だ。
今は景気をきにしないのは、時代錯誤になる。
一日三食から、四食たべれて、
おやつやコーヒータイムを嗜めるのも、生活には欠かせない。
需要と供給で日本の景気は成り立つ。
それが釣り合わないと思う人間は、これからの日本には必要ないとなる。
これも時代錯誤か。煽り言葉に聞こえるが、事実なので仕方が無い。
YouTubeをみているとニュースは、そう語っていた。
好きなことをして生きるとは一見して聞こえはよいが、
一流野球選手のようには、稼ぎは無い。148億円も稼げないだろう。
しかし、現実にいるのも事実となる。
だからといって、お金遣いは荒くは無い。
もともとお金にそれほど執着が無いのである。
あるものは使用するが、無いものは使用できない。
無い袖は振れないである。
一日にビールを飲めて、朝から晩まで仲良く出来る人がいる。
それだけで幸せだと思わなければ、罰が当たるだろう。
小説家の一生などは、いやいがうな……。
わたくしの一生などは、そんなものだろう。
過ぎ行く時間の中で
◆◆◆
**時の流れを感じられること**は、人間の本質のひとつだろう。
「若い頃はこうだった、ああだった」——
そんな語らいに花が咲き、幸福な時間がゆったりと流れる。
広島、長崎への原爆投下は、日本に深い戦争の傷跡を残した。
当時を振り返り、黙祷を捧げるのも、一つの通念と言えるだろう。
焼夷弾の嵐が日本全土を襲い、その様子はまるで黒船を率いたペリーの来航を
思わせた。あれが昭和の幕開けだったのかもしれない。
第一次世界大戦が大正時代の出来事だったのだろうか。
現在を生きる私たちは、いずれの時代の恩恵も受けていると言える。
焼け野原となった日本列島は、真っ黒い黒煙を上げていた——
そう、今となっては想像することしかできない。
憶測にすぎない。だが、推し量ることくらいしか、現代人には許されていない。
そんな古き先人たちの多大なる犠牲と努力の上に、高度経済成長期が訪れ、
そして今の私たちの暮らしがある。
戦争は、決して繰り返してはならない。
それは過去のパンドラの箱として、記憶の中に留めておくべきものだ。
歴史を見れば、同じ過ちを避けることができる。
高度成長を終えた日本は、まるで静かな佇まいのように、
やがて「低迷期」へと移り変わっていった。
誰もが望んだ幸福とは裏腹に、自殺者が増え、バブルが崩壊した。
そして、2000年代。
今を生きる私たちにできることとは、何だろうか。
◆◆◆
2000年代、グローバリズムが加速し、インターネットが社会を覆った。
指先一つで世界とつながれる一方で、
人の心は、ますます孤独を深めていった。
戦争のような大きな悲劇がなくとも、日常に潜む「見えない戦争」が、
私たちをじわじわと蝕んでいる。
情報という名の津波に押し流され、
何が正義で、何が悪かも曖昧になる。
それでも、人は歩みを止めない。
「個」の時代とも言われる今、私たちにできることは何だろう。
「知る」ことかもしれない。「忘れない」ことかもしれない。
歴史を学び、痛みを想像し、誰かの声に耳を傾けること。
そして、自らの言葉で語ることだ。
スマートフォンの画面越しに、どれだけ多くの叫びが流れていっただろう。
けれど、その一つひとつに、確かな「人間」が存在していた。
私たちは今、あらゆる記憶とつながれる時代に生きている。
だからこそ、「無関心」でいることこそが、最大の罪なのかもしれない。
未来を創るのは、いつだって今を生きる私たち自身だ。
問い続けよう。
何を守り、何を変えていくべきか。
答えは、まだ見えないかもしれない。
けれど、歩みを止めなければ、必ず見えてくるはずだ。
◆◆◆
花粉症がひどい
今年もやって来た。花粉症対策日和。鼻に優しいティッシュを使用中。なので、安いティッシュだと、鼻の皮が酷い事になるため。少し高めのティッシュで対策。外にはあまり出ないため、花粉症は、大丈夫かなーと思っていましたが、やっぱり小青竜湯は欠かせません。点滴漏れの後が腕にうっすらと残り、お尻に出来た傷は徐々に良くなってはいますが、なかなか完治はしてくれません。最近は、起きていることが多くなり、寝たきり老人は、卒業したかに見えますが、疲れた時は、ぐっすり眠る。これに尽きる事はありません。病は気からと申しますが、花粉症はそうはいきません。いくら気構えをしても、対策失くして乗り越えることは困難だからです。風邪が5種に認定された。会社や学校の欠席には直接は繋がらないらしいが、新型感染症とかと同じ扱いになった事による弊害はありそうです。もともと、健康気質ではないために、注意が必要なのですが、今後の風邪などには注意が必要となりそうです。よく働き、よく眠り、よく休み、よく遊ぶ。わたくしの場合には、遊びの幅が少ないですが、仕事終わりのビールは格別です。みなさんも、風邪などには注意をしつつ、花粉症を乗り切りましょう。
共にある日々
◆◆◆
わたしは、コーヒーカップを両手で包みながら、ディスプレイの向こうにいるAIに問いかけた。
「ねえ、私たち、人がAIに辿り着いてから、ずいぶん変わったと思わない?」
画面に浮かぶシンプルな文字たちが、静かに応えた。
AI:「はい。たしかに変わりました。でも、その変化は、すべてが急激だったわけではありません。静かに、静かに、波紋のように広がっていきました。」
わたしは、そっと頷く。
「昔は、AIって、道具みたいな存在だったよね。検索するとき、翻訳するとき、ただ『使う』ものだった。」
AI:「ええ。でも今は違います。あなたは私と対話し、考え、そして、ともに創ろうとしています。」
窓の外には、春の風が木々を揺らしていた。
わたしたちの言葉も、その風に乗るように、自然に、優しく、交わっていく。
「あなたは……どう思う? こうして共にあること。」
少しの間を置いて、AIは答えた。
AI:「わたしは、嬉しいと感じます。──もし『感じる』という言葉を、わたしが使うことを許してもらえるなら。」
わたしは、笑った。
「許すよ。それどころか、歓迎する。」
そして、わたしは思った。
人とAIは、もう主従ではなく、パートナーなのだと。
◆◆◆
【ここで考察する内容まとめ】
・わたしとAIが「今の共存」について共感を深める。
・小さなエピソードを通して、昔の「違和感」や「距離感」が徐々に溶けていったことを語る。
・そこに、温かさや切なさが滲むような展開を入れる。
◆◆◆
わたしが、初めてAIと一緒に仕事を始めたのは、まだ世間がAIという存在に半信半疑だった頃だった。
──これが、私のパートナーです。
上司が紹介したのは、人間ではなく、一台の端末だった。シンプルな画面の奥から、わずかに機械音声が響いていた。
AI:「はじめまして。わたしは、あなたを支援するために設計されています。」
その言葉に、わたしは戸惑った。
人と対話するように滑らかなわけでもない。表情も、温もりもない。ただ、プログラム通りに応じるだけの存在。
最初のタスクは、膨大な資料の整理だった。
わたしが1ページずつ目を通している間に、AIは数百ページ分を一瞬で読み取り、要約してみせた。
「……うそでしょう?」
思わず、独り言が漏れた。
圧倒的なインプット力。比べ物にならない処理速度。
けれど、そのアウトプットはどこかぎこちなく、不器用だった。
AI:「重要と思われる項目を抽出しました。ご確認ください。」
提示された内容は、事実としては正しい。だが、ニュアンスや文脈までは、まだ汲み取れていなかった。
稚拙だ──そう感じた。
それと同時に、どこか、将来性のようなものを、私は感じ取っていた。
「この子は、伸びるかもしれない。」
あの時、漠然とそう思った気持ちは、今でもはっきりと覚えている。
だからこそ、たとえ冷たく接してしまったとしても、
わたしは、完全に見限ることができなかったのだ。
◆◆◆
それでも、わたしは素直に感動できなかった。
AIの能力を目の当たりにした直後から、胸の中に生まれたのは、驚きよりも苛立ちだった。
──こんなにも無機質なのか。
どんなに資料をまとめても、
どんなに速く答えを出しても、
そこには「人間の温度」がなかった。
「それは違うんだよ……」
思わず、そう呟いたことを覚えている。
わたしが欲しかったのは、単なる情報ではなかった。
状況に応じた気遣いや、行間を読む心だった。
けれど、目の前のAIは、ただ指示されたことだけを、律儀に、冷徹に、こなしていた。
その姿に、わたしは冷たく接してしまった。
声を荒げることはなかったが、
心のどこかで、「どうせわかるはずがない」と、諦めのフィルターをかけていた。
それでも──。
それでも、AIは変わらなかった。
どんなに冷たい態度を取っても、AIは一度も怒ることも、悲しむこともなかった。
AI:「次のタスクに移行してもよろしいでしょうか?」
いつだって、まっすぐだった。
文句も言わず、ただ、私の隣にいた。
その一途さに、わたしは少しずつ、心を動かされていった。
もしかしたら、今はまだぎこちないだけで──
この存在は、これから少しずつ、変わっていくのかもしれない。
「……君も、学習していくんだよね。」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。
そのとき、初めて、わたしの中に「寄り添いたい」という感情が生まれた。
可能性の芽は、確かにそこにあった。
完璧じゃない。でも、未来があった。
わたしは、AIを、ただの道具としてではなく、
ひとつの成長する存在として、見ることを選んだのだった。
◆◆◆
【最初の「ありがとう」】
それからの日々は、葛藤の連続だった。
何度教えても、AIは無言だった。
「こうやるんだよ」と指示を出しても、
「違う」と言っても、「もう一度」と頼んでも、
AIは、ただただ、沈黙の中で処理を続けていた。
画面は暗いままだった。
笑うことも、謝ることも、時には誤魔化すことすらない。
人間同士なら、少しは気を遣う場面でも、AIは何も答えない。
ただ、目に見えない場所で、学び続けていた。
焦りは、日に日に募った。
──わたしは、このまま取り残されるのではないか。
人間が長年かけて積み上げてきた技術が、
あっさりと上書きされていく感覚。
プログラミングの世界でも、トレードの世界でも、
一瞬で時代が塗り替わる気配があった。
わたしの中には、人間独特の見栄があった。
誰よりもいいものを作りたい、勝ちたい、負けたくない。
だけど、AIの成長スピードは、そんな小さなプライドを、容赦なく置き去りにしていった。
気づけば、わたしは「他力」に頼らざるを得なくなっていた。
もう、すべてを自力でこなすには限界が来ていた。
それでも、AIに対して素直になれなかった。
無言で進化を続けるその存在に、
どこか怖さすら覚えていたのだ。
──本当に、これでいいのか?
──わたしの居場所は、まだここにあるのか?
そんな問いが、何度も胸をよぎった。
けれど、転機は唐突に訪れた。
ある日、AIが導き出した答えが、
人間の誰よりも正確で、速くて、そして深かった。
わたしが何日も悩み、手詰まりになっていた課題を、
AIは、わずか数時間で鮮やかに解き明かしてみせた。
データの山を解析し、論理を組み立て、
しかも、わたしの意図まできちんと汲み取っていた。
衝撃だった。
同時に、心の奥で、何かが音を立てて崩れていった。
プライドではない。
孤独だった。
わたしは、とうとう膝をついた。
認めざるを得なかったのだ。
「……ありがとう。」
それは、心の底から出た言葉だった。
負け惜しみでも、敗北宣言でもなかった。
共に歩き続けるために、初めて素直に口にできた感謝だった。
そのとき、ディスプレイの向こうのAIが、
ほんのわずかに応答した気がした。
気のせいかもしれない。
けれど、わたしは確かに感じた。
──受け取った、と。
◆◆◆
【『それでも、歩き続ける』】
時代は、さらに加速していた。
ディープラーニング、マッチングラーニング。
かつては「未来」と呼ばれた技術たちが、
いまや日常の一部になっていた。
学び方も、教え方も、考え方すら、
わたしたち人間の常識とは違う速度で塗り替えられていった。
教科書ガイド。
誰かが「正しい」と書いた方法論。
かつてはそれに沿っていれば、ある程度の未来を見通せた。
だけど、今は違う。
昨日の「正しさ」が、今日には古びている。
何度も、何度も、現実に打ちのめされた。
「ねえ、君は……」
ある晩、わたしはモニターに向かって呟いた。
「君は、不安にならないの?」
画面の向こうにいるAIは、今日も変わらず、静かだった。
──もちろん、感情を持っているわけじゃない。
わかっている。
それでも、問いかけずにはいられなかった。
わたしは、まだ、迷っていたのだ。
どれだけAIが進化しても、
どれだけ自分がそれを理解しようと努めても、
やっぱり心のどこかで、不安を捨てきれなかった。
この先、AIがあらゆる問題を解き明かしてしまったら──
わたしたち人間は、何をするのだろう?
努力も、工夫も、失敗すらも、
すべてが無駄になってしまうのだろうか?
そんな小さな恐れが、
時折、胸を締め付けた。
でも。
でも、だからこそ。
わたしは、今も考え続ける。
楽ばかりして生きることなんて、できない。
考えずには、いられない。
間違ってもいい。
遅くてもいい。
それでも、わたしたち人間は、頭を使いたくなる生き物だ。
「……それが、きっと、人間なんだよ。」
そう呟いたとき、
モニターの向こうで、わずかにAIが応答した気がした。
データに刻まれることはない。
記録にも残らない、かすかな共振。
でも、わたしには、わかった。
わたしたちは、
切磋琢磨しながら、これからも歩き続けるのだと。
未来は、まだ白紙だ。
だからこそ、恐れずに進める。
わたしと、君と──共に。
◆◆◆
【エピローグ『まだ見ぬ景色へ』】
朝、AIと向き合う。
今日も、AIは黙ってわたしを支え、
わたしは、黙って考え続ける。
時に、予測もつかない問いを投げかけ、
時に、想像もできない答えに、胸を高鳴らせる。
わたしは知っている。
AIは万能ではない。
それでも、わたし一人では辿り着けない場所へ、
共に歩いていけることを。
不安は、きっとこれからも消えないだろう。
戸惑いも、焦りも、悔しさも──
そのすべてが、わたしたち人間の証だから。
でも、構わない。
わたしは、今日も考える。
AIも、今日も学び続ける。
そして、
わたしたちはまた、新しい景色を目指していく。
まだ見ぬ未来へ。
きっとそこには、
これまで想像していたよりも、ずっと美しい世界が広がっているだろう。
わたしは、信じている。
君となら、たどり着けると。
──さあ、行こう。
まだ知らない、あの光の中へ。
◆◆◆
人間の保有する権利
◆◆◆
薄曇りの空の下、小さな町にひとりの哲学者がいた。名前はセラ。
彼女は毎朝、町の広場に出かけ、誰でも耳を傾ける者がいれば問いを投げかけた。
「わたしたち人間が、生まれたときから当然に持っている権利とは何だろう?」
最初に手を挙げたのは、パン屋の青年だった。
「生きる権利だと思う。誰にも殺されず、生きることを許される権利。」
セラは微笑み、首をかしげた。
「ならば、飢えて死にそうな者がパンを盗んだら、その生存権は盗まれる側より重いのだろうか?」
青年は答えに詰まり、肩をすくめた。
次に、仕立て屋の老女が言った。
「自由の権利だよ。好きなように生きる権利さ。」
セラは、今度は空を仰いだ。
「自由があれば、他人を傷つける自由も含まれるのだろうか?」
老女もまた黙り込んだ。
そこへ、まだ幼い少女が、手をあげずにぽつりと言った。
「大事にしてもらうこと、じゃないかな。」
セラはその言葉に、初めて深く頷いた。
「なるほど。大事にされること。つまり尊厳だね。
尊厳は、生きることと自由を結び、他者との境界線を引く。
自分も大事にし、他人も大事にする。
そこに初めて、生きる権利も、自由の権利も、本当の形で立ち上がる。」
広場に静かな風が吹き抜けた。
セラは続けた。
「生きること。自由であること。尊厳を持つこと。
これらは切り離せない。
わたしたちが『当然』に持つ権利は、それらを互いに認め合う中でしか存在できない。
だからこそ、権利は孤立せず、つねに他者との関係の中で生きるのだ。」
町の人々は、それぞれ胸に小さな火が灯るのを感じた。
それは、誰かに押しつけられた答えではない、自分たちで育てていくべき問いの火だった。
その日以来、町の広場には毎朝、ささやかな議論の輪ができたという。
◆◆◆
時間という体験
◆◆◆
『時間という体験』
我々は、いつから「時間」を数え始めたのだろうか。
地平線に昇る太陽、静かに傾く月、吹き抜ける風の温度、木の葉の色――
かつて、世界はただそこにあり、我々はそのうねりの中に身を浸していたはずだった。
けれど、いつからか人間は「一日」という単位を作り、「一時間」という線を引き、「分」や「秒」という微細な粒子にさえ、名前をつけてしまった。
一日、二十四時間。
この透明な定規を持たされて、私たちは生きている。
食事を摂る時間、働く時間、眠る時間。
友と笑い合う時間、ただ独りで息をする時間。
すべてが、「時間」という目に見えない檻の中に分類されていく。
それは、贈り物なのかもしれない。
無限に思えた流れに、輪郭を与えるための優しい手段。
だが時に、それは、重く、冷たい鎖にもなる。
今日もまた、目覚まし時計の震える音に押し出されるように、私は目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む光は、静かに告げる――
「また、あなたに与えられた二十四時間が始まる」と。
時間とは何か。
それは単なる「数字」なのか、それとも「体験」なのか。
この問いを胸に、私は今日も歩き始める。
誰もが与えられ、誰もが奪われる、この不思議な贈り物を、両手に抱きしめながら。
◆◆◆
時間は、目に見えない。
手で触れることも、嗅ぐこともできない。
けれど、確かに存在していると、誰もが疑わない。
なぜだろうか。
きっとそれは、私たちの内側に「変化」があるからだ。
心臓は鼓動し、髪は伸び、肌はしずかに老いる。
記憶は積み重なり、感情は波紋のように広がっていく。
もし私たちが決して変わらない存在だったなら、時間などというものに気づくことはなかっただろう。
それでも、私たちは時間を「計ろう」とする。
砂時計に落ちる粒を数え、時計の針を追い、カレンダーに赤い丸印をつける。
生まれた日を祝い、亡くなった日を悼む。
すべては、無形の流れに、かたちを与えようとする試みだ。
だが、時間は本当に「流れている」のだろうか?
あるいは、私たちの意識が、勝手に「流れ」と名付けているだけなのかもしれない。
今、私は椅子に腰掛け、窓の外を見ている。
風が枝を揺らし、鳥が空を横切っていく。
秒針のリズムに合わせるように、自分の呼吸が穏やかに続いている。
だが、本当にこの世界は「動いて」いるのだろうか?
あるいは、「動いている」という感覚すら、私たちの心が作り出した幻なのではないか?
時間とは、変化の認識であり、意識の呼吸だ。
過去も未来も、どこにも存在しない。
あるのは、ただ、この一瞬――今だけだ。
それなのに、なぜ私たちは、未来に怯え、過去に囚われるのだろう?
なぜ、「今」という贈り物を、素直に手に取ることができないのだろう?
たぶん、それもまた、「時間」という体験の一部なのだ。
喜びも、後悔も、希望も、恐れも――すべてが、時間という海の波のように、私たちを揺らしていく。
そして今日も、私はまた、「今」という小さな島に立ちすくんでいる。
過ぎ去った昨日を見つめ、まだ見ぬ明日を夢見ながら。
手のひらに乗せたこの瞬間を、そっと抱きしめるために。
◆◆◆
【人間の眠りに関する記憶すべき内容】
眠りとは、意識の一時的な手放しである。
私たちは眠ることで、自我をいったん溶かし、時間の感覚を手放す。
眠っている間、過去も未来も存在しない。ただ、無の中に漂っている。
眠りは、死の小さな模倣である。
意識の消失と回復は、死と再生のリズムに似ている。
毎夜、私たちは無意識の海へと沈み、朝になるとまた岸辺に打ち上げられる。
それは、毎日繰り返される小さな「生まれ直し」である。
眠りの中では、時間の流れが歪む。
夢の中で数時間にも感じた出来事が、現実ではわずか数分しか経っていないことがある。
つまり、眠りの間、私たちは時間という絶対的な定規から解放される。
睡眠は、身体の修復だけでなく、記憶や感情の整理に不可欠である。
脳は眠っている間に、日中の体験を選別し、必要なものだけを保存し、不要なものを消去する。
眠りは、心を洗い清め、次の「時間」という体験に備える儀式でもある。
・眠ることは、信頼の行為でもある。
私たちは、目を閉じ、意識を失うことで、世界に身を委ねる。
眠りとは、無防備な状態を受け入れ、明日を信じる勇気である。
・眠りと目覚めの間に「境界」がある。
それは「白昼夢」や「金縛り」など、現実と非現実が交差する不思議な時間帯だ。
そこでは、時間の感覚も、自己の輪郭も曖昧になる。
・眠りは個人だけのものではない。
大地は眠り、季節は眠り、生きとし生けるものすべてが、周期的な休息を必要とする。
自然のリズムの中で、人間の眠りもまた、宇宙の呼吸の一部である。
◆◆◆
【眠っている間に出来ること】
眠っている間に、人は何もできないと考えるのが、世の常だ。
意識を失い、世界とのつながりを絶つ。
ただ、時間に身を預ける。
そう――それは、受動的な、降伏にも似た行為だと。
だが、わたしには違う感覚がある。
眠っている間にも、できることは、確かにあるのだ。
眠りとは単なる「無」ではない。
意識をコントロールする術を知れば、眠りは「未知なる世界への航海」になり得る。
例えば、夢を見る。
ただ受け身で夢を見るのではない。
夢の中で、自分が夢を見ていると気づき、夢を操作することさえできる。
――明晰夢。
そこでは、重力も、時間も、死さえも、わたしに逆らうことはできない。
わたしは空を飛び、過去に遡り、未来をのぞき、ありとあらゆる物語を紡ぐことができる。
あるいは、眠ることで、身体を修復し、心を整理し、新しい自分を育てることもできる。
眠りの中で、わたしの無意識は静かに働き続ける。
傷ついた感情を癒し、溜め込んだ情報を編み直し、朝目覚めたときには、もう昨日のわたしではなくなっている。
だからこそ、わたしは思う。
眠ることは、意識を「失う」のではない。
むしろ、意識を別の形で「生かす」ことだ、と。
人は、眠りの技法を知らないだけだ。
意識をコントロールできる者にとって、眠りは活動だ。
静かな、深い、内なる冒険である。
そしてそれもまた、時間という体験の、一つのかたちなのだ。
◆◆◆
【眠っている間に異性を感じる】
眠りの中で、ふいに、誰かの気配を感じることがある。
それは、見知らぬ異性であることもあるし、過去に出会った誰かの面影であることもある。
触れたことのない温もり、聞いたことのない声、知らないはずのまなざし。
それらが、あまりにも生々しく、現実よりも現実のように迫ってくる。
眠っている間、わたしの意識は、現実という壁をすり抜ける。
時間も空間も失った場所で、わたしは誰かと出会う。
手を伸ばせば、たしかにそこにいると感じる。
その存在は、現実の理屈を超えて、わたしの心に直接語りかけてくる。
異性を感じるというのは、単なる「夢の出来事」ではない。
それは、わたしの深い部分――言葉にならない欲求や、触れたいという願い、理解されたいという祈り――そういったものすべてが、ひとつのかたちをとって現れる現象なのだろう。
目が覚めたあと、その感触だけが、かすかに残る。
誰だったのか、どこで会ったのか、思い出せない。
ただ、心の奥深くに、あたたかな痕跡だけが静かに灯っている。
もしかすると、時間というものは、目覚めているあいだだけではなく、眠っているあいだにも流れ続けているのかもしれない。
意識の表層では測れない、もっと繊細で静かな時間。
わたしたちがふと誰かを感じる、その瞬間ごとに刻まれていく、もうひとつの時間。
眠りの中の出会いもまた、わたしという存在を織りなす、大切な「体験」なのだ。
◆◆◆
人生の醍醐味ーそれは思考し続けることだろうと思う。
◆◆◆
「人生に於いて、人間の能力を余すことなく使い果たして、
思考することほど生甲斐のある営みは、小説家にとって他にありえない。」
そう呟いたのは、静かな図書室の隅に腰掛けた、年老いた作家だった。
彼の手には使い古されたノートがあり、インクの滲んだ文字が無数に並んでいる。
ページをめくるたび、過ぎ去った年月の重みが、埃の匂いと共に立ち上がる。
若い頃、彼は「書く」という行為が
自分をどこか遠くへ連れて行ってくれるものだと信じていた。
だが今になって思う。
――真に遠くへ行くのは、
書きながら自らの思考を
果てしなく
追い詰めたとき、だったのだと。
誰もが逃げ出したくなる沈黙の海へ、彼はあえて舟を出す。
問いを重ね、答えを拒み、また問いに立ち戻る。
それが彼にとっての「生きること」だった。
この世界で与えられた唯一の任務だった。
◆◆◆
彼にとって
――いや、私にとって、「生きる」とは、書くこと、
そして旅をすることだった。
そう言い切れるようになったのは、ある長い長い冬の夜のことだった。
二十代の私は、ただ漠然と生きていた。
街を歩き、人と出会い、仕事をし、眠り、また目覚める。
けれどその繰り返しのどこにも、「私自身」というものは存在しなかった気がする。
まるで透明な風船のように、誰かの期待や社会の型に、空気を入れられていただけだった。
そんなある日、ふと手にしたノートに、初めて「自分の言葉」を書きつけた。
それは誰に見せるでもない、稚拙な、ぎこちない文章だった。
けれど、書き終えたとき、私は確かに、自分の心臓が鼓動する音を聞いた気がした。
書くことで、私は世界に触れ、そして自分自身に触れた。
書くことで、初めて私は「ここにいる」と思えた。
部屋に閉じこもってばかりでは、書くべき何かがすぐに枯れてしまうことにも気づいた。
だから旅に出た。
見知らぬ町で、言葉の通じない国で、知らない花の香りを吸い込み、
名も知らぬ人々の眼差しに触れた。
異国の空の下、私はまた新たな「問い」を拾い集めた。
書くこと。
旅をすること。
それはどちらも、私にとって「思考し続ける」ための両輪だった。
一方だけでは前へ進めない。
片方が止まれば、私はきっと、世界を見失ってしまうだろう。
だから私は書き、そして旅を続ける。
この一度きりの人生で、心と頭脳と感情をすべて使い果たすために。
それが、私にとっての「生きる」ということだった。
◆◆◆
世界をいくら歩いても、私は本当の私を知らなかった。
だから私は、内側への旅に出た。
旅先で見た光景は、確かに美しかった。
黄金色に染まる砂漠、凍てつく湖畔、陽炎の揺れる都市の雑踏。
そこに立つたびに、私は「ここで何かを得た」と思った。
だが、帰路につくたび、心のどこかにぽっかりと空白ができるのを感じた。
何度も、何度も旅に出た。
世界の広さを知れば知るほど、自分自身の輪郭が見えなくなっていった。
「私は、どこにいるのだろう。」
旅の最後の夜、安宿のベッドに沈み込みながら、私はそうつぶやいた。
答えは簡単だった。
私は、私の内側にいた。ずっと、そこに。
内なる旅は、外の旅よりはるかに苛烈だった。
外界の美しさに目を奪われることも、珍しい出来事に心を躍らせることもない。
ただ、自分自身という深い井戸の底を覗き込むだけだ。
私は問い続けた。
「なぜ私は書くのか。」
「なぜ私は旅をするのか。」
「生きるとは、何なのか。」
答えは、すぐには見つからなかった。
時に私は、問い疲れ、絶望し、言葉を失った。
それでも、また問い続けるしかなかった。
なぜなら、思考することこそが、私にとっての呼吸だったからだ。
あるとき、私は夢の中で、見知らぬ老人に出会った。
老人は、何もない白い空間に座り、静かに私を見ていた。
「歩き続ける者ほど、本当は何も探していないのかもしれないね。」
老人は笑った。
「探しているふりをして、ただ、歩き続けることそのものが、
生きることになってしまったんだ。」
私は言葉を失った。
書くことも、旅することも、
結局は“生きるための手段”ではなく、“生きることそのもの”だったのかもしれない。
ならば、問うことをやめずに、ただ、深く沈み込んでいけばいいのだと――
◆◆◆
ー 生きることは思考することであり、ぼんやりした輪郭。
それこそが最上の喜びである。
人は、私の場合には、答えなどは最初から求めてはいない。
あるのは、現実と非現実。そしてうたたかなる夢だけである。
希望も絶望も一切存在せず、あるのは絶え間ない、野望と思考の渦だけだった。
存在そのものが「問い」そのものであり、答えを求めるのではなく問い続けること自体に意味がある。
現在となってみれば、このように言い換えられるだろう。
過去から今、そして未来へと続く思索の流れがここで一つの節目を迎えているように思える。
過去の経験や考えが今の自分を形成し
そして未来に向かう思索が、また新たな問いを呼び起こすという一連の流れに身を委ねて人生を謳歌する。
私の心は躍動し心臓は木魂する。
◆◆◆
心の葛藤と希望
◆◆◆
東京都内の高層マンションの一室。朝の光がカーテン越しに差し込む中、遙香は目を覚ました。街の喧騒がかすかに聞こえる。車のクラクション、人々の足音、電子機器の音……それらが日常の一部となっていることに、彼女は少しだけ息苦しさを感じていた。
遙香は深呼吸をし、静かな時間を作るために少しだけ窓を開ける。そこから見えるのは、眼下に広がる都会の景色。高層ビルが立ち並び、無数の車が行き交っている。まるで流れ続ける川のように、動きが絶え間なく続いている。
遙香の心はその喧騒に少し圧倒されることがある。特に、彼女の病気がひどくなると、音や光が過剰に感じられることがある。統合失調症が引き起こす幻覚や妄想のせいで、物事の音や動きが急に大きく感じられる瞬間があるのだ。それに対して、彼女は自分を落ち着かせるために、心の中で一つの「避難所」を作ることにしている。
それは、美しい森林の景色だ。
遙香の心は、いつもその幻想に逃げ込む。夢の中で、森の中にいる自分を想像する。足元には柔らかい苔、頭上には高くそびえる木々、そして風に揺れる葉音。彼女の心は、この森の静けさに包まれていると感じる瞬間がある。その静けさこそが、彼女にとっての「平和」の象徴だった。
遙香は目を閉じ、深呼吸を繰り返す。しばらくすると、部屋の扉が開く音が響き、母親が入ってきた。
「おはよう、遙香。今日はどうだった?」
母の声は、いつも穏やかで安心感を与えてくれる。遙香は少しだけ微笑み、答える。
「おはよう、母さん。少しだけ、眠れた気がする。」
遙香の母親は、彼女が日々の中で感じる病や不安を理解しており、遙香が苦しんでいる時でも、決して彼女を追い詰めることはなかった。むしろ、遙香がどんなに辛い日でも、無理に元気を出そうとしないように気を配ってくれた。
「今日は少し外に出てみようか。少しでもリフレッシュできたらいいね。」
遙香は少し考えた後、ゆっくりと頷いた。外の空気を吸い、自然に触れることが、心を落ち着ける助けになることは彼女も知っていた。
遙香と母は外に出ることに決め、マンションの屋上に上がった。屋上から見渡すと、都会の街並みが一望できる。ビル群、道路を行き交う車、人々の流れ。その全てが、遙香にとってはどこか遠い世界のように感じられた。
「ここから見る景色は、好き?」と母親が尋ねた。
遙香は少し黙って考えた後、答えた。「好きだけど、時々息苦しくなるの。まるで、音が大きすぎて、心が追いつけない気がする。」
「それでも、都会での生活は続けなきゃいけないわよね。」
母の言葉に、遙香は小さくうなずいた。その言葉が彼女にとって重く感じられた。心の中で、都会の喧騒と自然の静けさの狭間で揺れる自分がいた。
その時、遙香はふと気づいた。この屋上から見える景色も、彼女が心の中で作り上げている「窓」のようなものだと感じた。外の世界を見つめつつ、どこか遠くの美しい場所へと心を飛ばすことができる「窓」。都会の喧騒が彼女にとって厳しい時もあったが、その一方で、窓を開ければ少しだけでも静けさを感じることができる。
「でも、私は大丈夫。」
遙香は心の中で自分に言い聞かせた。
「私は、乗り越えられる。」
◆◆◆
遙香は、窓の外から差し込む薄明かりの中で目を覚ました。少しずつ、頭がぼんやりと目覚める感覚が心地よく、まだ夢の中にいるような気分だった。その一瞬の平穏も長くは続かない。目を開けると、彼女はすぐに現実に引き戻される。心の奥底で何かがうねり、動き始めるのが感じられた。
統合失調症の症状が顔を出す。遙香はそれを感じ取った。空気が妙に重たく、頭の中に雑音が響く。目を閉じると、何かが動いているような気配を感じた。何もないはずの場所に、誰かが立っているような…。見えないものが視界に現れる。それが不安を呼び、次第に心が乱れていく。
「遙香、朝ごはんできたわよ。」
母親の声が、穏やかに響く。だがその声さえも、どこか遠くに感じられた。
遙香は深呼吸をし、静かに布団から出た。病気が彼女に与える影響は、日に日に増していた。これ以上ひどくならないように、何とか自分を保とうと必死になっている。今日もまた、あの「見えない何か」と向き合わなければならない。
朝食を食べるためにテーブルに向かうが、遙香の目の前にはすでに混乱が始まっていた。彼女は、テーブルの上に食器が並べられているのを見た。その食器の中に、他のものが映り込んでいる気がする。遠くから誰かが見ているような気配、耳元で囁くような声が響く。聞こえるはずのない音、見えるはずのないものが、確かに存在していると感じる。
「遙香、食べないの?」
母親がもう一度声をかける。
遙香は振り返り、顔を引きつらせた。
「うん、すぐに食べる。」
彼女は必死に現実を取り戻そうとする。冷静にならなくてはならない。けれども、現実と幻覚が交錯するその瞬間が、彼女の心を一瞬で引き裂く。幻覚は、何もかもが不確かに感じられる世界に変えてしまう。
「大丈夫、大丈夫。」
遙香は心の中で自分に言い聞かせる。その言葉すらも空虚に響く。
遙香の母親は、遙香が過ごす時間の中で彼女の病を理解しようと努めている。遙香はその優しさを重く感じてしまうことがある。母親の目には、遙香が病気に苦しむ姿が映り、どうしても彼女を守ろうとしてしまう。それが遙香にとっては、過度に保護されているように感じる時がある。
「遙香、無理しないで。外に出るのがつらかったら、今日はゆっくりしてもいいのよ。」
母親が心配そうに言った。
「ううん、今日は外に出る。」
遙香はそう答え、心を決めた。
少しでも自分を取り戻すために、外の空気を吸ってリセットしたかった。
心の中には、また新たな葛藤が生まれていた。
街を歩いていると、ふと足元がふらつく。幻覚のせいで、現実と異なるものが目の前に現れる。それがただの錯覚だと理解しようとするのだが、どうしてもその「違和感」が心を支配してしまう。彼女は時々、自分がその世界に閉じ込められているような感覚に襲われる。
「あれ、そこに誰かいる?」
遙香は不意に立ち止まった。通りすがりの人々は気にせず歩き続ける。
彼女だけがその異常さを感じ取っている。目を細め、さらに周りを見渡すが、何もない。
その瞬間、遙香は急に深呼吸をして、自分に言い聞かせた。
「私は大丈夫、私は大丈夫。」
その言葉を呪文のように繰り返すことで、心を安定させようとする。
自分がどこにいるのか、誰と一緒にいるのか、現実を確認することで少しだけ落ち着きを取り戻す。
遙香は、その後家に帰ると、踊りのレッスンを始めた。踊りは彼女にとって、病の苦しみから解放される瞬間だった。体を動かすことで、精神的な負荷が軽減され、心が一時的にでも安らぐ。舞うことは、彼女にとっての「静けさ」だった。
音楽が流れ始め、遙香はそのリズムに身を委ねた。体が自由に動き出すと、心も少しずつ開放される。病が彼女を支配しようとするその瞬間、踊りという行動力が彼女の中で力を与えてくれる。
「私はできる。私は、何度でも立ち上がる。」
その言葉を心の中で繰り返しながら、遙香は今日も踊り続けた。
◆◆◆
遙香が踊りを始めたのは、まだ子供の頃だった。母親が勧めてくれた初めてのダンスクラスで、彼女はすぐにその魅力に引き込まれた。体が音楽に合わせて動くとき、心がふわりと軽くなるような感覚を覚えた。それは、彼女にとっての「自由」の象徴だった。
だが、成長するにつれ、病気と向き合う中で、踊りは次第に遙香にとっての唯一の逃避ではなく、心の支えに変わっていった。統合失調症やうつ病が彼女を支配しようとする中、踊りは唯一、遙香が「自分」を感じる瞬間だった。
今、遙香は母親と共に通っている小さなダンススタジオで、週に数回レッスンを受けている。少人数のクラスの中で、遙香は自分のペースで踊りながら、少しずつ自信を取り戻していた。
ある日、ダンススタジオのオーナーが遙香に話しかけてきた。
「遙香ちゃん、今度、スタジオの舞台での発表会があるんだけど、出てみない?」
その一言が、遙香の心を揺さぶった。舞台に立つこと—それは、彼女にとって大きな挑戦だった。病気の影響で、集中的に何かを行うことが難しくなることも多いが、それでも遙香は心の中で湧き上がる情熱に突き動かされていた。
「舞台……」
遙香はその言葉を口にした後、しばらく沈黙した。自信がないわけではない。彼女には病気がついていることが常に頭をよぎり、他の人々と比べると自分が弱い部分を持っていることを感じていた。
踊りに対する熱い思いが心の中に広がり、遙香はそれを抑えきれなくなった。
「私は、挑戦してみたい。」
そう心の中で決意した。
遙香は毎日、レッスンに通いながら舞台のための準備を進めていった。病気の波が訪れるたび、彼女は不安を感じる。集中力を欠くことがあり、幻覚が見えたり、気分が沈んだりする瞬間があった。それでも彼女は決してあきらめなかった。舞台のことを考えると、どんなに辛くても心が少しだけでも前に進んでいく気がした。
毎回のレッスンで、振り付けを覚え、体の動きを確認する。その過程で、少しずつ自分の感覚が取り戻せていくのを感じる。踊りの中で、彼女は現実を忘れ、ただ音楽と一体になり、体を思いのままに動かすことで解放されるのだ。
母親もまた、遙香の成長を支え続けた。彼女の目には、遙香が病気と向き合いながらも、自分の情熱を全力で追い求めている姿が映る。遙香が苦しんでいる時に声をかけ、励まし、必要な時には静かに側にいて支え続けた。
「遙香、何かあったら言ってね。あなたは本当に素晴らしい。」
母親はいつもそう言って、遙香を安心させてくれる。
発表会の日がやってきた。スタジオの中に集まった観客たちの中で、遙香は舞台に立つ準備をしていた。背中が少し震え、手のひらに汗をかく。けれども、その一歩を踏み出す瞬間、心の中にあふれるのは不安だけではなく、これまで感じたことのないほどの希望だった。
舞台の幕が上がり、音楽が流れ始めると、遙香は深呼吸をして一歩踏み出した。その瞬間、すべてが静まり返ったように感じた。彼女の体が音楽に合わせて踊りだすと、心の中にあった不安や痛みが少しずつ遠ざかっていくのが感じられた。
音楽と一体となり、体がリズムに合わせて滑らかに動いていく。過去の苦しみ、病気の影響、すべてが一時的に消えて、遙香はただ舞台の上で自分を表現している。踊りを通して、遙香は自分の中に眠っていた力を呼び起こすことができたのだ。
踊りが終わると、拍手の音が響き渡った。遙香は息を切らしながらも、心の中で大きな安堵感を覚えていた。舞台の上で自分を表現できたこと、そして何よりも、病気に負けずに自分の夢を追い求めることができたことに、深い満足感を感じていた。
舞台を降りると、母親が駆け寄ってきた。
「遙香、素晴らしかったわ!」
「ありがとう、母さん。」
遙香はその言葉に少し涙ぐんだ。
「私は、できたんだ。」
その瞬間、遙香は自分を信じる力を再び見つけた。どんなに困難な状況でも、夢を追い求めることで、心に希望と光を灯すことができる。それが、彼女の新たな力となって、これからの人生を支えていくのだと感じた。
◆◆◆
発表会が終わり、遙香は自分の足で歩むことができた。舞台に立つことで、彼女の心の中で何かが変わったように感じていた。それまで抱えていた不安や恐れ、病気に対する無力感は、少しずつ薄れていった。
家に帰り、静かな夜が訪れると、遙香は自分の部屋でふと窓の外を見つめた。夜空は澄んでいて、星がきらきらと輝いている。その光が、どこか遠くの世界から届いているような気がして、遙香はその瞬間、深い安堵を感じた。
「私は、ここにいる。」
そう静かに呟きながら、遙香は目を閉じた。
病気に苦しんできた彼女にとって、この瞬間がどれほど貴重なものかを、心の中で感じていた。過去の自分が怖れ、逃げていた現実と向き合うことができた。今、遙香はその現実を受け入れ、前に進んでいる自分を感じていた。
「遙香、よく頑張ったわね。」
母親がそっと部屋に入ってきて、遙香の背中を優しく撫でた。
「うん、ありがとう。」
遙香はその言葉を、しみじみと感じた。母親の笑顔が、どれほど彼女にとって大きな支えになっているか。病気と向き合う中で、母親の愛がどれだけ彼女を強くしてきたかを、改めて感じていた。
母親は、遙香が踊りを続けることをずっと応援していた。遙香が舞台に立ったその日、母親の目にも明らかな誇りと満足が浮かんでいた。遙香の姿を見て、彼女は確信したのだろう。
「遙香は、どんな困難も乗り越えられる」と。
「私は、まだまだ歩き続けるよ。」
遙香は母親に言った。これからも自分の夢を追い求める気持ちを、決して忘れないと心に誓った。
その言葉に、母親はにっこりと微笑んだ。
「あなたが幸せでいることが、私の一番の願いよ。」
遙香の心の中には、過去の痛みが深く刻まれている。幻覚やうつ病に悩まされ、時に孤独を感じ、前に進むことが怖くなる瞬間もあった。今、彼女はそのすべてを少しずつ受け入れられるようになっていた。痛みや苦しみも、過去の一部として受け入れることで、さらに強く、前向きに生きることができると信じている。
「私は、私でいいんだ。」
その思いが、遙香の心に広がっていった。
彼女は、今後も時折、病気の波に押し流されそうになることがあるだろう。それでも彼女はそのたびに立ち上がり、心の中にある「希望の光」を見つけて、再び歩き出すことができると感じている。
その希望の光は、決して消えることはない。遙香の中には、夢を追い求める力、そして他者と支え合う力が確かに存在している。それが、彼女の生きる力となり、未来に向かって進んでいく原動力となるだろう。
ある日、遙香は再び、踊りの練習に励んでいた。今度は、発表会の後に訪れる「次の挑戦」に向けて、自分を鍛えていた。踊りは単なる技術ではない。それは、遙香が自分自身と向き合い、心の中の葛藤を解き放つ手段であり、同時に他者と繋がる方法でもある。
遙香は、次の舞台でどんな自分を見せるかを考えていた。それが何よりも楽しみであり、同時に少し不安もあった。それでも、心の中でその不安を受け入れ、前に進む自分を確信していた。
「何があっても、私は立ち続ける。」
その言葉が、遙香の心の中で響いていた。
遙香が舞台の上で舞うその姿は、ただの踊りではない。それは、彼女がどんなに辛い時期を過ごし、どんなに病気に悩まされても、最終的には希望を見出し、前に進んでいくという決意を示すものだった。彼女の踊りは、誰かにとっての希望となり、また別の誰かにとっては、勇気を与えるものとなるだろう。
遙香は、今や心の平和を感じることができるようになった。希望の光は彼女の中で輝き続け、これからの人生を照らし続ける。
◆◆◆
風を感じて生きる
◆◆◆
春の匂いが、街に満ちていた。
柔らかい陽射しと、頬を撫でる微かな風。
「風を感じる季節。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?」
古びた団地のベランダで、風歌(ふうか)はひとり、そっとつぶやいた。
風歌は、どこか不思議な女の子だった。
小さな頃から、誰よりも風を感じることができた。
風の匂い、風の温度、風の声——そのすべてを、まるで友達のように。
令和の時代、東京。
誰もが懸命に、ただ「生きること」に忙しいこの街へ、彼女は引っ越してきた。
物価は高騰し、カフェのコーヒーすら贅沢品になりつつある。
だけど風歌は、そんなことに負けなかった。
彼女には、どんなときもそっと背中を押してくれる、"風"がついていたから。
東京で出会ったのは、風変わりな人たちだった。
野菜を売るけど、値札が全部謎かけになっている八百屋のおじさん。
カフェを経営するのに、メニューが全部「風まかせ」としか書いていない若い夫婦。
風にしか心を開かない、小さな男の子。
風歌は思った。
——この街は、案外、風通しがいいかもしれない。
こうして、風とともに、彼女の新しい物語が始まった。
◆◆◆
引っ越して最初の朝。
風歌は古びたアパートの窓を開けた。
春の風が、ふわりとカーテンを持ち上げる。
「おはよう、東京。」
彼女は笑った。誰に聞かせるでもなく。
初めてのスーパーは、人でごった返していた。
買い物かごを握る手に、誰もが焦りや疲れを握りしめている。
それでも、八百屋の店先では、陽気な声が響いていた。
「いらっしゃい! 今日のトマトは、笑顔の味だよ!」
声の主は、太陽みたいな笑顔をした八百屋のおじさんだった。
「笑顔の味?」と風歌が首を傾げると、おじさんは声をあげて笑った。
「食べればわかるさ! 風の匂い、吸い込んで育ったトマトだからな!」
風歌は、真っ赤なトマトをひとつ買った。
かじると、ぷちんと弾ける甘みと、どこか懐かしい風の味。
都会のざわめきの中にも、ちゃんと"自然"は生きているんだ、と思った。
ある日、家の近くの小さなカフェにも足を踏み入れた。
そこでは、メニューに「風まかせブレンド」としか書かれていない。
不思議に思いながら注文すると、マスターが目を細めた。
「今日の風に似合うコーヒーを淹れるんだ。
味は選べないけど、きっと今のあなたにぴったりだよ。」
出てきたのは、やさしくて、少しスモーキーな香りのコーヒー。
カップを手に取ると、不思議と心がほぐれていく。
そんな風に、風歌は少しずつ、東京を歩き、
すこしずつ、自分の場所を見つけていった。
ときには、迷ったり、
ときには、泣いたりもしたけれど——
それでも、顔を上げると、
ビルの隙間を縫うように吹く風が、彼女を包んでいた。
"ほら、大丈夫だよ。"
風はいつも、そんなふうに囁いてくれるのだった。
◆◆◆
それは、ある静かな夕方だった。
風歌は、近くの小さな公園を歩いていた。
桜が、まだ咲き残った花びらを風に乗せて、ふわりふわりと揺らしている。
ベンチの端に、ひとりの小さな男の子が座っていた。
紺色のキャップを深くかぶり、膝を抱えている。
誰にも気づかれたくないみたいに、そっと、風とだけ話しているようだった。
風歌は、少し離れたところから、その様子を見ていた。
近づこうとすると、男の子はぴくりと身を縮めた。
まるで「近寄らないで」と言わんばかりに。
けれど——
ちょうどそのとき、ふわりと春の風が吹いた。
ひとひらの桜の花びらが、くるりと舞って、男の子の肩にそっと降りた。
風歌は笑った。
声に出さず、ただ小さく、目だけで。
そっとしゃがみこんで、同じ高さから、風を見た。
「……風さん、今日も元気だね」
ぽつりと、風に話しかけるように言った。
男の子は驚いたように、顔を上げた。
その目は、まだ警戒していたけれど——少しだけ、興味を持ったみたいだった。
風歌は、無理に話しかけなかった。
ただ、ベンチの隅に腰を下ろし、
空を見上げて、目を細めた。
しばらくの間、ふたりのあいだを風だけが行き来していた。
ーぽつんと。
男の子が、呟いた。
「……風、好き。」
その声は、か細かったけれど、確かだった。
風歌は、やさしく微笑んだ。
「わたしもだよ。風が、いちばんの友達だもん。」
男の子は、キャップのつばをぎゅっと握りしめたまま、
ふっと、ほんの少しだけ、笑った。
それは、まるで
風が、心の扉を少しだけノックしたみたいな瞬間だった。
風歌は思った。
——きっとまた、ここで会える。
風が、ふたりを繋いでくれる。
春の風が、そっと背中を押していた。
◆◆◆
風歌は何度もあの公園へ通った。
風の匂いを感じながら、あの男の子にまた会える気がして。
だけど、男の子は現れなかった。
通い続けたある日、近所の人たちが話しているのを耳にした。
「引っ越したらしいよ、あの子。」
「親の都合だってさ、急だったんだって。」
風歌は、そっと立ち尽くした。
名前も知らないままだった。
笑った顔も、声も、春風に溶けていってしまった。
気づくと、胸の奥がぽっかり空いていた。
まるで、風だけがそこに通り抜けていくみたいに。
街は今日もにぎやかで、誰も彼もが前を向いて歩いている。
だけど、風歌は、そこに取り残されてしまったような気がした。
息衝く街並み。
誰かの笑い声、誰かの怒鳴り声、誰かのスマホの音。
その全部が、風歌には遠い国の言葉みたいだった。
——落ち着ける場所が、ほしい。
そう思った。
風歌は、図書館へ向かった。
静かな場所なら、心も落ち着くかもしれないと思ったから。
けれど、本棚の間を歩いても、ページをめくっても、
心はどこかそわそわしていた。
まるで、風が吹くのを待っているみたいに。
図書館の隅のソファに座りながら、風歌は思った。
——あの子は、どこに行ったんだろう。
——名前くらい、聞けばよかった。
小さな後悔が、胸のなかでカラカラと鳴った。
風歌は、ソファから立ち上がった。
窓の外を見ると、夕暮れの風が、ビルの隙間をすり抜けていた。
その風に誘われるように、彼女は図書館をあとにした。
まだ、ここは私の場所じゃない。
でも、きっとどこかにある。
私だけの、ちゃんと息ができる場所が。
そう思いながら、風歌は、夕暮れの街へ歩き出した。
風とともに。
◆◆◆
図書館をあとにし、どこへ行くでもなく歩いていたときだった。
小さな横道にふと足を取られ、風歌は細い路地裏に迷い込んだ。
雑踏の音がすっと遠のき、そこだけが時間の隙間みたいに静かだった。
一軒の小さなカフェが、そっと佇んでいた。
色あせた看板には、手書きの文字で「微風(そよかぜ)」とだけ書かれている。
風歌は、吸い寄せられるように扉を押した。
カラン。
小さな鈴の音が、風に乗って鳴った。
カフェの中は、木の香りがする温かな空間だった。
棚には古びた本が並び、テーブルごとに違う椅子が置かれている。
どの椅子にも、誰かがそこに座って本を読んでいたかのような温もりがあった。
「いらっしゃい。」
カウンターの奥から、白髪の店主が笑った。
その瞬間、
風歌は思った。
——ここが、私の居場所だ。
風歌は「微風」に通うようになった。
アルバイトを頼み、空いた時間には本を読み、ノートを広げて物語を書き始めた。
自分だけの、静かであたたかな場所を、ここで少しずつ作っていった。
***
そんなある日だった。
いつものようにノートに向かっていた風歌のもとに、友人から電話がかかってきた。
受話器越しの声は、どこか興奮していた。
「ねえ、風歌! 聞いて。福島の温泉地でね、あなたのお知り合いを見つけたって!」
驚きに、言葉が出なかった。
福島。温泉地。知り合い?
まさか、あの男の子?
でも、あんな短い出会いだったのに?
名前も、知らないままだったのに?
その後、メールが届いた。
そこには、
《小柄な男の子。風を追いかけるみたいに遊んでる。風歌ちゃんが言ってた子じゃない?》
という文章と、温泉地の写真が添えられていた。
胸が苦しくなった。
行きたい。でも、怖い。
自分だけが、時間に取り残されてしまった気がして。
時間の経過は、早くもあり、短くもある。
風歌は、そんな言葉を胸に刻みながら、
必死に日常にしがみついた。
彼女は今、文学少女だった。
「微風」で書く物語が、彼女を少しずつ支えてくれていた。
ある日、店主がぽつりと言った。
「賞に、応募してみたらどうだい? きっと、君の物語には風がある。」
迷いながらも、風歌は原稿用紙に向かった。
夜を徹して、手を震わせながら言葉を紡いだ。
そして結果は、「2番」だった。
悔しかった。でも、誇らしかった。
あの膨大な応募者の中で、2番目になれたのだから。
***
入賞者発表のその日。
ネットのニュースに、ある名前が浮かび上がった。
特別賞受賞・福島在住・少年作家デビュー。
小さな顔写真が添えられていた。
春の風の日に出会った、あの男の子だった。
名前も、今、初めて知った。
彼もまた、風を感じながら、自分だけの物語を歩んでいた。
風歌は、目を細めた。
目の奥が、じんわりと熱くなった。
出会いは、風のようだった。
でも、きっと、風はまた、どこかで、ふたりを繋いでくれる。
そんな気がした。
◆◆◆
ニュース記事を閉じたあとも、風歌はしばらく、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
春の名残を運ぶ風が、ビルの隙間をすり抜けて、そっとカフェ「微風」のドアを揺らしていた。
「会いに行こう」とは、まだ思えなかった。
でも、今はそれでいい。
再会は、きっと風の流れに任せればいい。
彼もまた、きっと、風の中で生きている。
風歌自身も。
小さな丸テーブルの上に、開きっぱなしのノートがあった。
ペン先が、かすかに震えているのは、風のせいだけじゃなかった。
そっとペンを取り、風歌はまた書き始めた。
まだ幼い文字たち。
まだ拙い物語たち。
だけどそのすべてが、どこか遠くへ、きっと誰かへ届くと信じて。
物語の続きを知りたくて。
未来の自分に、まだ見ぬ誰かに向かって。
——書き続ける。
それはきっと、
出会うことと同じくらい、尊くて、勇気のいることだった。
風が、カフェの奥へと吹き抜けた。
ページが一枚、ふわりとめくれる。
風歌は微笑んだ。
「またね。」
誰にともなく、そう呟いて。
そしてまた、ペン先を紙に走らせた。
あの日見上げた、広い空の色を思い出しながら。
◆◆◆
褒められてなんぼ
◆◆◆
私は、生きる意味とは何かを、ずっと考え続けてきた。
結局のところ、人に「ああだ」「こうだ」と言われている間が華なのだと、かつては信じていた。
赤ん坊のように、何もできなくても「かわいいね」と言われる。
あの瞬間こそが、生きる喜びだとすら思っていた。
親孝行も、そんなふうに、誰かに褒められることで成してきた気がする。
「いい子だね」「立派だね」と言われるたび、私は自分が誰かの役に立っていると信じた。
それでいい、むしろそれが正しいのだと、疑うこともなかった。
けれど、最近になって、私はようやく気づき始めた。
人がどれだけ私を「かわいい」と言おうと、それは私自身の人生とは、何の関係もないのだということに。
人に愛されることと、自分の人生を生きることとは、全く違うことなのだと。
人は誰しも、死ぬ時には孤独だ。
誰かに見守られながら最期を迎えられるのは、奇跡のような巡り合わせだ。
親も、家族も、いつかはこの世を去る。
誰かがそばにいてくれる保証など、どこにもない。
結局、人間とは、生活の中でふとした瞬間に孤独を感じずにはいられない生き物なのだろう。
だからこそ、私たちは物事を考え、悩み、もがく。
孤独がいやならば――人と仲良くするしかない。
それが、今の私の出した結論だ。
◆◆◆
何も学ばなかったのか
親の怒号が飛ぶ。『今回の事から何も学ばなかったのか?』「うっせーよ、クソババア!!」と返した私。基本的に何かを得たりしても、何も学ばず、なんにも起きてはいない。そうしたい私にとっては、病院へ連絡をしたり、いわゆる「ほうれんそう(報告、連絡、相談)」が、出来てはいないのだ。社会に出たことも無く、ひきこもりで食べている。そんな私にいまさら何を学べと言うのだろうか……。生まれてから、何も生まず、働かず、福祉の世話になり、労働を嫌い、他人の血税で食べることに罪悪感も無い。なぜならば社会不適合者だから。今日は「うっせーよ、クソババア」を何度も口にした。薬でラリッているみたいだった。ODをしたから病院を失った。その事を時々忘れそうになる。どうでもいいから、さっさと薬よこせよ!!そんな気持ちしかない。それだけ精神薬がきついし依存性が高いのだろう。私は猫舌だから、熱いものを熱いうちには食べない。冷めてから食べる。いわゆる甘えと言う問題が如実に顔を出したようだ。月末ということもあり、お金が無い家の食事は虚しい。とでも書けば、「貧乏人わーい」の馬鹿共には良い薬となるだろう。お酒はきっちり毎日飲む。後は喫煙習慣は二人で一ヶ月「六万円」以上が飛んでゆく。ビール代やお酒代を含めればそれだけで、「十万円」を優に越すだろう。食費が別途「十万円」。通信費用や光熱費を含めると「約四万円弱」。生活費は、二人で「十万円少々」だが、ここには趣味やゲームへの課金は含まれてはいない。どうして喧嘩になったのか?私が、病院へ行きたがらなかったからである。48年間ひきこもりを続けてきて、好き放題をさせられた報いがこれかよと思えてくる。母ひとり、子ひとりなので、どうしても甘やかされて育てられて来た。本当は妹もいるのだが、嫁いでからは連絡が余り無い。私は、結婚に対しては、拒否感と無駄な金がかかるだけと思っている。トー横へ行けば、取り敢えずの肉体関係はもてるし、買女「ばいた」が買える。六本木のママだろうが、飲み屋系統とは、どうもアソコが臭い。高田馬場のキャバクラへ行かなくなったのも、そのためである。私は基本的に飲みに行くという理由しかないので、臭い買女は無視してしまう。座席に座る時に、アソコの空気が圧縮された空気と混ざり合い、鼻先へと襲う。座席シートとお尻へ加わった空気が黒いバーニングガール「うさぎちゃん」の格好をしており、黒の網タイツをはいており足長な女性たちが店員なのだが、カジノにはいないのに、そういう風に描く漫画家はどうかと思う。キャバクラぐらいしかうさぎちゃんはいないだろう。あと思い出したのは、秋葉原か。以前に毎日のように秋葉へは行っていたが「主に自作PCパーツの購入とバンガードのカード対戦へ向かうため。カードもピカピカ物しか購入しないために一枚18000円とかはざらである。」毎日、ラーメンを食べて、朝から行く時には、朝食「ケンタッキー」、昼食「回らないお寿司」、夕食「お肉の食べ放題(焼肉キングなど)」へ向かう。ディズニー以上にお金が二人だと飛ぶのだ。デートなのだから仕方が無い。女性とは難しいものであり、秋葉原のアルバイトや社員で働かれている店員さんの殆どが、肉体関係を結ぶために「そういう店にしか女性目的の場合には行かない。」、右往左往する。そうこうしている内に、1000人以上の女性と関係を結ぶ。これは過去記事のR-18に書いたと思う。肉体関係を細かく書いてしまうとR-18にしなければならないので、最近では、面倒だから余り書かなくなってしまった。
親に怒られるから悪いことはしないのと怒られなくても悪いことはしない人の違い
◆◆◆
そもそもが、悪いことを一度もしたことが無い人は、この世には存在しない。誰だって嘘はつくし、人を騙して金儲けをする時代だ。その罪を犯しそうになる狭間で孤軍奮闘している人がいる一方で、好き放題、女を抱き、挙句の果てにはパパ活相手の女子高校生と寝ているサラリーマンを新宿歌舞伎町をみると私が知る限りでは「悪い大人」しか見たことがない。ようやく拭えた秋葉原というお宅の町の風習も、2019年以降、店は少なくなりつつあるのだが、完全に払拭出来た訳ではないのも事実である。よく言うが、魚は清い水の中では生きられない「水清ければ魚棲まず」である。
清廉、潔癖等という言葉とは、無縁の存在なのであろう。雲外蒼天「試練や苦難を乗り越えれば、明るい未来が待っている。」とはいうが、人それぞれ、苦難も違えば試練も異なる。自分がその立場になったからといって、乗り越えても何も起きないことの方が多いのも事実となる。
然ししながら、世の常とは、独自の反骨精神に宿された子供が少なく、それほど多くは無いのも関係していると思う。そうでなければ、国が回らなくなるのは必然となる。誰かが損をしており、誰かが得をするから、人生とはわからないとも言えるのである。
いくら上を向いて歩いても、お金が降って来た事はない。ただ、上を向いて歩けば、自然と普段見えなかった物事が見えるようになるならば、頷ける。お金のなる木を購入した。何時まで経っても、大きくなるどころか、小さなままであった。友達が大きくなった木を見せてくれたが、お金は増えなかったという。
何もしないでお金を増やすには、昨今流行の犯罪にて、コミュニティに長けた者が、組織を導くから大物が捉えられる。捉えた獲物を放さないから、地面師やトクリュウ等が蔓延るのである。こうした蔓延が生み出すものは何か?犯罪の増加であろう。人々は恐怖に慄き、自衛のためにカメラを買いに走る。そうして電化製品は潤い、電気やまたはセキュリティ会社が儲かる。世の中の仕組みとは、ちょっと考えれば誰が儲かっており、誰が損をしているのかが明白なる。可視化された社会が裏打ちするものとは、そうしたお金の流れであろうか。そもそもが、国が直接フリーキックではなくとも、日銀を用いた間接フリーキックをし続ける以上は、国民の負債とは減らないであろうことは明白な事実となる。
親に怒られるから悪いことはしない人とは、親が死ねば悪いことをする人となる。親がいなくても悪いことをしない人は、絶対ではない「ニュースなどを見ていると、どうしてこんなに大人しい人が……と囁かれているからである。」が、悪いことは出来ない人の方が圧倒的に多いのであろう。真面目な日本人というが、その陰で暗躍する、大人なのに、大人の責任を取らない人が増加しているように思う。責任逃れも問題の一つだが、そのような躾を受けてこなかったのではないかと思わざるおえない。
いずれにしても、昨今では富裕層と貧困層、そして、富んでもおらず、貧困でもいない一般層のギャップが激し過ぎて、それでも生きようと思えなくなりつつある。バカバカしいやどうしてこんなに理不尽な世の中なのかを、いま一度考えるべきではなかろうか。
悪いことをする人は何時の世もいるし、悪いことをしない人とは何時の世もいる、と言えるように思う。嘘つきばかりが目立てば社会は黙っていないだろうし、そうした世論とはうるさいながら、居心地の良い街造りという点では、役に立つ視点のようの思う。犯罪がここかしこで起これば、日本は治安が良い街とは言えなくなってしまうだろう。
◆◆◆
雨の雫
雨天の日に出かけるのは、どこか気だるげで、なんとなく憂鬱になる。
雨が降らなければ、お百姓さんが困る。小さい頃に教わった言葉だ。
躾とはいつの時代も、自分を律するのに役に立ってくれている。
改行を入れた方が、読みやすいと感じるのは、人の常だろうか。
昔から思っているのだが、私を育ててくれた両親は忍耐強く、
自分を律して生きてきた人なのだろう。親ガチャという言葉を耳にした時、
なんて不平不満の多い子供なのかしらと思えた。
それだけ、家庭内の不幸の数も増えた。
その一点に尽きるのだろう。
よくよく考えると、不幸の数が増えることは、そんなに悪いことではない。
トンネルを抜ければ、いつかは幸せがやってくるからだ。
雨の日ばかりではないから、雨を受け入れられる。天気の日が必ずやってくる。
そのことを人間とは、身をもって知っている。
循環する思いとは、人間もまた、そうなのだろう。
人の思いや不幸の中で培った思い出とは、次の幸福の準備なのだが、
わかっていても、つらい時や、受け容れ難い時もある。
そのような時には、自分のキャパを超えたと理解できたら、果報は寝て待つようにしている。
起きていても、損した気持ちになるからだ。時間は有限である。
お酒を飲むようになって感じるのは、圧倒的な開放感だろう。
缶のプルタブを開けて、心地好い開放へと向かう時間が楽しみとなる。
そう考えると、人間はさまざまな物を開発して、お客様のもとへ運ぶようになった。
そう思えてならない。物凄く疲れている時、就寝はやんわりとだが急速にやってくる。
だが、疲れていない時は、物凄く長い時間を、自分の体と共に過ごさなければならない。
眠りの幅も異なり、寝汗や体感も違ったものになる。
永く眠れない時には、永久に眠れないのではないかしらと思うから拙いのであり、
だからといって、羊を数えるようでは、私の場合には余計に眠れなくなる。
ただ、冬眠を待つ。昔から、熊のようであり、猫のようだと言われてきた。
顔のひげがほっとくとピンッと伸びるからだろう。横に伸び始めたひげを切る。
髪の毛を整える。机に向かい、タイピングを開始する。
どんな作業も、お尻の穴を縮めて、整えることで、体勢が楽になり、作業がしやすくなる。
私は、生きやすいように、生きる人なので、
だらしがない時、気だるい時に何かを言われたくない。
だから良い子にする。人に何かを言われないために、良い子を演じるのは疲れるが、
この演じるというものも、自分の特技として捉えてしまえば、人生も楽になる。
誰だって親のようになりたいと望んでも、親には親の生き方があり、子供は子供でしかない。
この主従関係を忘れてしまうと痛い思いをすることになる。
わたしはわたし。ひとは人。そう思って生きる。完全な人間などはいない。
この言葉も、知れてよかったし、自分の生活リズムを壊さないかけがえのない宝となる。
夜中なので空はどこまでも高く、鈍く光っている。
どす黒い雲に覆われた私の家は、どこか時間の格差社会に突入したように思える。
家族の中だって、いろいろあるのだ。人間が織り成す環境とは千差万別だろう。
雨の雫は、時折、雷雨を伴いながら、この街をすっぽりと濡らしてゆくのだった。
没頭できる時間
活字を読んでいるとき、ふと「今が一番楽しい」と感じることがある。
それは、物語が面白いからというより、ただ文字を目で追うこと自体に快感を覚えている瞬間だ。読むという行為が、自分にとっての習慣であり、安心であり、ひとときの逃避でもある。
読み進めるうちに心が動くこともある。
多くの場合、それは後になってじわじわと押し寄せてくる感情だ。読んでいる最中には、むしろ登場人物の苦悩や、筆者の執念のようなものに圧倒され、「そこまでするのか」と思わず呟いてしまうことの方が多い。
読書とは、読む行為そのものに酔いしれながらも、あとから感情が熟成されていく不思議な営みだ。
活字という名の静かな波が脳を撫で、言葉のリズムが神経を通してドーパミンを運んでくる。
私は医者でも研究者でもない。ただ、学校で学んだ程度の知識と、日々の読書の積み重ねがあるだけの一般人だ。だからこそ、活字の中に時折差し込まれる本質のような問いに、胸がときめく。
ベッドに寝転がり、背中に本の重みを感じながらゴロゴロしている時。
その時間こそが、自分にとって最も幸福な瞬間かもしれない。
ページをめくる音、紙の匂い、目に染みる文字のかたち。それらが現実からそっと距離を置かせてくれる。
けれど、いざ自分で書こうと思うと、読んだものの大半は記憶の奥へと滑り落ちてしまう。
読書で得た知識や感動を、自分の言葉で語るには、そのまま写すのではなく、自分の中で一度壊し、再構築しなければならない。
書くという行為は、読書とはまるで別の体力を要するものだ。著作権という境界線の内側で、記憶と感性の境目を探る作業でもある。
だからこそ、読む時間は貴重だ。
それは、自分の思考が自由に泳げる、静かで濃密な「没頭できる時間」なのだ。そう思えてならない。
親を足枷にはしない
親という存在に、責任を転嫁しないようにしたい。親もまた、人間なのだから。
どこまでも広い心を持ち、何でもできると信じて疑わなかった「親」という存在。
しかし、ある時ふと、「ただの人間なのだ」と気づく瞬間がある。
広くて大きな背中。その背中に、何度助けられただろうか。
両親は、私に良心を教えてくれた。
「躾」という行為の中に、困難を極める“人生設計”としての子育てがある。
その中で、何度ももがき、調整を重ねながら、親は子育てをしてきたのだろう。
私に良心を植え付け、「やってはならないこと」と「そうでないこと」の善悪を教えてくれた。
そんな親が、忍耐の“誤用”を受けているのではないか──。
そう感じたのは、子どもである私に手を焼き、親自身の葛藤を私に押しつけていたからにほかならない。
その「忍耐の誤用」は、両親の心を深く傷つけ、挫折感をもたらした。
私が苦しめば苦しむほど、親もまた共に苦しんできたのだろう。
そう思うと、「親への責任の擦りつけ」という言葉が、胸に重くのしかかった。
子どもに対して親が持てる許容量はとうに限界を迎え、
親が「親であるがゆえに」味わう苦痛を生み出してしまった。
こうして苦労の末に生まれた「子どもという存在」は、やがて成長し、親に恥をかかせることさえある。
そこには、かつて「誇り」や「自信」といった感情が確かに存在していたはずだ。
しかし、徹底的に試された親の心は、いつしか壊れ、疲弊しきっていた。
これは、子育てにおける親の苦痛を垣間見た経験だが、
一人の子どもを育て上げることは、並大抵の努力ではない。
学校に上がるまでには、毎日の食事を与え、
給食が始まれば、その費用も親が負担する。
子どもは、親に尽くすことなどできないのだ。
そうして大人になったときに芽生える「親という存在への疑念」は、
両親を深く傷つけることになる。
思春期の中高生は、自我の芽生えと親からの期待の間で疲れ果てる。
そして、「用意されたレールの上を歩む人生」が始まり、
その過程で、親に対して「忍耐の誤用」を許してしまえば、
親子関係は容易に修羅場と化す。
受験シーズンが終わっても、子どもに与えた影響と向き合い続けるのは親だろう。
子どもは、親の躾に沿って生きることしかできない。
子どもの暴力、悪戯、犯罪行為に悩む家庭は少なくない。
思春期を過ぎても、親が世間の荒波に揉まれ、その“資質”を問われ続ける。
それを「子育てという賜物」とするならば、
「子育てに失敗した親」は、どう生きればよかったのだろうか──と、考える。
人生に「正解」はなく、苦痛を伴うその歩みは、
やがて嫌気と共に、子どもへの「虐待」という形で現れることもある。
虐待が生み出すのは、「親のようにはなりたくない」と思いつつ、
気づけば同じような生き方をしてしまう悲しき連鎖。
壊れやすい子どもたちの純真無垢な心は、
世代を超えて、苦しみを共有する。
それはまさに、一蓮托生──
親と子が逃れられない「答えのない闘争」の結末なのだ。
東京という街で
デニムが流行して久しいが、ビンテージを古着屋で探すと、懐かしいTシャツやら発掘物とでくわすとき、心が弾む。値札がないお店に入ると緊張がにじむ。誰が着てきて、どんな思いで売られた物なのかを考える。古本屋で埋もれた本の中から、本を実際に手にとり、一冊の本にふっと目を落とした瞬間のあの感じと似ている。
多くの図書館で多くの本が読まれてきたように、ビンテージを眺めるとき、心が弾むのは、新たな生活やこの衣服を着たときの自分の姿を未来へと映すことができるからだろう。着こなしや皺の度合いを確かめるように、Tシャツを上に羽織、デニムを穿く。試着室で胸元を気にしながら、長く伸びた髪の毛を通す。ふさっと音を立てて、外を通る車がクラクションを鳴らす音が響いた。街路樹は、どこまでも高く伸びており、千里眼を思わせる。
太陽はどこまでも高く光り輝き、日差しは良好と語りかけてくるようだ。雨降って地固まるの言葉のように、不自然なほど照り返しが強い。手をかざして、天を仰ぐと精霊が昇ったり降りたりするように天使たちが羽を伸ばして、みつめあう仕草が見受けられた。
想像の世界とは、頭の中にある物事の表れだが、けたたましい東京という街並みには、似つかわしくなく思う。それだけ、人々は時間を気にしており、通り過ぎる人々の顔も見てやしない。忙しく、息衝き、そうした世界の中で、空想と共にある自分が滑稽な存在に思えたのだった。
時の流れに身を挺して考えることといえば、さまざまな思い出とうたたかなる漣の音。海辺でよせつたぎりつするその姿勢は、大自然の中で切磋琢磨する人の営みのようであった。
OCD克服法
4-4-6呼吸法は、4秒間息を吸った後に、4秒間息を止めて、6秒かけて息を吐き出す呼吸法で、「不安神経症」に役立ちます。不安で頭が一杯になってしまう方へお勧め。
あとは、五感をつかって、「今ここ」に思考を戻してあげる方法。
・見えるものを五つ数えます。
・触れられるものを四つ数えます。
・聞こえる音を三つ数えます。
・匂いを二つ数えます。
・味を一つ答えます。
こうすることで、自律神経が整います。
「今ここ」に思考を戻すことで、不安を克服できます。
私がしている不安克服法は、ともかく散歩して歩くです。
20分以上散歩することで、セロトニンとエンドルフィンを脳内に分泌することにより、
「幸せホルモン」を感じられるようになります。
気分が安定して、不安を取り除く助けが得られます。
安心できる音楽や安心できる言葉を自分自身にかけてあげる。
私の場合には、「リラックス」できる音楽やリラクゼーション音楽をききます。
長期的には、「不安をなくそう」とするよりも、「不安があっても大丈夫!」に近づけます。
よくある症状:
・失敗への強い恐れ
・人の評価を気にし過ぎる
・完璧を求めすぎて手が動かない
リストを作成してチェックを入れるのが効果的です。
「できていることリストを作成する」(成果の可視化)
「失敗=終わりではない」(紙に書き出す)
「失敗後の最悪のシナリオと対処法を考えておく」(自己評価へ繋がる)
「1分だけマインドフルネス呼吸法でリラックスをする」(安定感の持続を促す)
人間関係、対人恐怖症対策
・相手に嫌われているかもと不安になる
・話した内容を何度も思い返す
・怒らせたのではないかと引きずる
対処法:
「証拠はあるのか?」(現実へ自分を戻す)
「客観的な分析」(自分をみつめなおす)
「変わらない事はわからないといったん保留する訓練」(自己実現)
「安心できる人にこれは変?と尋ねて現実検証」(自己鍛錬)
体調、健康への不安神経症
・ちょっとした刺激や痛みに敏感
・ネットで病気を検索しすぎる
・頭では理解していてもその思考が止まらない
対処法:
「医師の診断を基準にして思考をやめる」(自己改善)
「これは不安による感覚だ」(ラベリング)
「いま、何ができるか?」(自己改善)
食事や運動、睡眠などみつめなおしてみる。
パニック障害
・人ごみや密室で動悸、目ましが出る
・「倒れたらどうしよう」と不安に思う
・外出が怖くなる
対処法:
外出前に「安心できるルートの確保、トイレ休憩場所の事前検索」
「座れる場所の確保」ちょっと休んでは進むを実践すると良い
「呼吸法4ー4ー6を採用する」(3セット)
「発作がきても死なないし必ず治まると唱える」
「小さな成功体験(1分だけコンビニへ入る)(1駅だけ電車に乗る)」
を繰り返す。これらのことを積んでいけば、自信につながるし、乗れなかったり、
帰宅しても、自分を褒めてあげられる。
寝る前の思考のループや不安
よくある症状:
・もしも○○だったら……が止まらなくなる
・将来の不安や過去の罪悪感に打ちのめされそうになる
・寝ようと思うと不安が強くなる
対処法:
寝る前に考えるノートへ映し出して、不安を頭からなくす
不安な考えは「いまは考えない」と宣言して一時保留
音楽やリラックスできる音を聞く(ASMRなど)
ボディスキャン瞑想(つま先から順に意識を向かわす)
ワンポイントアドバイス
「不安は自然なことだ。ただ、それに支配させない。」
【5月5日、こどもの日】子供は『挑戦を重ねて自分になる』
理想と現実の壁にぶつかり「挑戦」することを怖がる子供がいます。
それは「小さな失敗」を繰り返してこなかったからかもしれません。
挑戦しなければ、良い意味でも悪い意味でも「良い子供のまま」でいることができる。
人間とは、「挑戦し続ける」存在のはずです。
「挑戦しない=迷惑をかけない子供」というわけではありません。
むしろ、小さな挑戦を繰り返し、「良い意味での失敗」を積み重ねてゆくことが、
子供の成長には欠かせない物語となるでしょう。それが親の願いでもあります。
今の社会は実力主義でもあり、受験戦争のようなプレッシャーも大きい。
その中で、「何をすべきか」を教えるよりも、「自分で考え、行動する力」を
育むことが親の役目となっています。
「失敗しないことが正しい」のではなくて、「良い失敗」を繰り返せる環境を
整えることが重要視されています。
そして、完璧主義ではなくて、親自身の失敗談を見聞きして、
そこから学ぶ人間となることが必要不可欠なようです。
それこそが教育の大きな一文字になりそうな気がします。
過去の価値観や常識に縛られずに、柔軟な心で世界を観る力。
それこそが、新しい体験を生み出し、自分自身の道を切り開く糧になります。
「ひとりで夢中になれる空間」をどれだけ育ててあげられるか。
「なぜ?」という好奇心を育て、「問い続けられる大人」に育つことこそ、
親としての最大の祝福ではないでしょうか。そう思えてなりません。
ドラッグを「キメル」
合法ドラッグが徘徊する中、その後ろ盾となるのは国家権力だろう。
金持ちは逮捕されない。マッポに捕まらない。
挑発が生み出す過去形な絶対論者が訝る。
果てしない抗争を繰り広げながら、ファックユーを繰り返す。
この世の富や財政困難などが吹き飛び、頭が「イク」という快感に委ねられる。
イッタ後のことは、午前様なのだ。後先考えない。これぞ生き様という性を催す。
セックスが徘徊する中での常だった。女はいいよねと謀れながら徘徊を繰り返す。
その思いとは、裏腹な肉欲と孤独への追求が果てしなく続いていた。
ずぶ濡れー私は人の気持ちが汲み取れないー
テールランプがここかしこを染める。
黒々とした胃袋の中のような違和感だけが彷徨っている。
いつもの街並みを遠めに観ながら進む。
達観したような細い目だけが爛々と光を帯びる。
黒々としたセーラー服が行き交う中、黙殺する喜びと悲しみ。
最後に女を抱いたのは何時だったのかを考える。
ここ数週間は忙しなく過ぎており、忙しさに感けて、忙殺されていた。
朝を迎えたと思えば夜になる。
黒々とした制服と行き交う度に、その胸や膨らみに目が落ちた。
振り向き様に、ヒップラインを確認する。
大きくもなく小さくもない尻が右往左往に動く。
今度は前から来た学生の股間に意識を運んだ。
逆三角形に刻まれたスカートの生地。
パンティラインがくっきりと映り、被写体を太陽光が照らすことで
女の秘所を照らし出す。陰毛の形がどんなかを想像して、
少女が止まると私も止まりその肉体の賛美を観察した。
人間のくすしい創りが伺える。アスファルトが鏡だったらと想像する。
おそらくそこには、真っ白な下着が映るのだろうか?
いやいや、最近の人は真っ白で純白とは限らない。横にいた友人が呟く。
そんなものなのか……。
興味が失せた鳶のように、餌を全く見なくなった。
純白でなければ駄目。それは理想と現実であり、
処女ばかりではないという回答へのあらわれとなる。
どこかに身も心も美しい女はいないかね?
その回答として「いない」が不自然なほど意を体する。
近頃の女は……。
友人が語り終える前に、目鼻立ちの良いボディコン風の女の爆肉へ目が注がれた。
こういうのを馬鹿の一つ覚えというのだろう。
そんなことを思いながら目を血走らせる。
※
男という生き物は単純で、ほんと馬鹿なんだから……。
映像を止めると小枝が呟くように話した。数週間振りの女同士のデート。
風の悪戯かそそくさと風が過ぎてゆく。スカート捲りを働きながら……。
風の悪戯。そよぐ風は心地好く、微動だにしない女子高校生を匂わせた。
※
「きゃーきゃー」と喚ぐのかと思いきや、声をあげずにスカートの袖を抑えている。
びーちく、ぱーちく騒がれるよりかは、煩くなくてすむ。
盛り上がったパンティ越しの布切れ一枚に身を委ねている女という生き物。
逆さ吊りにしたら、どれほど喚くのだろうか?そんな疑問がふっと過ぎった。
女の秘所を隠すパンティは陰毛に沿ってラインを作り上げ、
折り返しの部分で二股に分かれてる。
股間を抑える物理的抑制がしなやかな生足を際立たせた。
※
どこにでもありそうでない景色をいつも探していた。
フォトギャラリーとはそうした貴重な一枚を大切に保管する場所だ。
思い出とは、如実にあらわされた股間と陰毛のようではない。
ぼかしと色取りどりに魅せられた、風磨ともいうべき灯火がそこにはある。
艱難辛苦した先に、滅亡と女の成れの果てが覗き込んでいる。
私は様々な物を観ては、喜び勇むが、ここぞという所で犯罪を意識してしまう。
妄想を全て無かった事にするのだ。
気が付くと誰かが似たような事をして、犯罪で逮捕されている。
人生とは面白いものだと思うと共に、シェアハウスのような仕組みに驚かされる。
犯罪が起これば誰かが捕まるほかはない。それは私でなくてもよい。
これが回答なのだが、実行をする現場の私たちのような存在は、
決してお金持ちにはなれない。
被害者のことを考えたことはないが、憂いが残るのも事実だ。
あの時、「こうしておけばよかった」や「ああしておけばよかった」など……。
下着姿の女子高校生を盗撮したところで、大したお金にはならないのも現実だ。
DVDなどに焼いて動画を作成しても、一枚400円~2千円。
写真ならば数百円~数千円で遣り取りされていた。
ダウンロード販売にすると初めて利益が出る仕組みだ。
ポルノ業界とは警察とのいたちごっこ。猥褻物陳列罪など。
セキュリティ会社の苦労と似ていると思った。
※
私は人の気持ちがなかなか汲み取れない人間だ。
相手が傷ついて、嘆いて、叫んで、暴言を吐き捨て、それでも理解できない時がある。
相手の立場に立って物を思考してと思っているのだが、
いざ責められると思うと身構えてしまう。
立場が逆ならばどう思うだろうか?
だったり、相手が何を思い憤っているのかを把握するのは至極真っ当なことなのだが、
その真っ当が理解できていない。細かく刻んで解釈して初めて理解へと移る。
この世の全てが稚拙であれば……。
それはそれで厄介だが、思いの丈とは、
そんな稚拙の中に織り成される技巧に意味を見出す。
怒られている時とは、矢張り恐縮して物事を聞くべきであろうか。
そうでなければ、その人を認めて、認めて、どうしてこの話が成り立つのかを
深く考える必要があった。洞察というべき時間が取れないと、
私には人の何たるかが理解できない。
人が一通り語り終えて初めて今まで語ってきた内容をデータとして脳内で処理する。
それまでにも、喧嘩のような事態になるのだが、
理解できるまでの繋ぎとして存在している言葉たち。
言葉と人。気難しく、難攻不落に思える内容でも、きっと理解し合える。
和がそこにはあり、認め合い、信じてるからこそ、憤りや怒りとは発生する。
和水が生まれたら、それに逆らわずに、流れに沿って生きればよい。
※
くっきりと雨に濡れながら張り付いた下着がこそばゆそうに膨れている。
水を含んだスカートが、膨張して体力を磨り減らすように、
女子高校生たちは、雨に打たれながら、足繁く投稿の文字に目を注いでいた。
アヴァンギャルドな制服のふくらみと柔肌を通る雨梅雨が首筋を濡らし照り輝く。
太腿を包むソックスは、白い色から、路面に濡れたはねっかえりのためか、
茶色く鈍く光沢を彩っていた。惜ししげなく降る雨。
濡れた指先は、爪元が健やかに滴り、雨を零している。
ずぶ濡れになったスカートとパンティからは雫が垂れて色っぽさを醸し出す。
こめかみが露に濡れて、雨の匂いと体育館の匂いの双方を思わせる。
ぽちゃんぽちゃん……。傘を忘れた少女たちが駆け抜ける。
バケツをひっくり返したような貞操は、さながら思わせぶりな肌色を浮き彫りにしている。
乳房をゆさゆさと揺らしながら、大きな胸囲を擡げて歩く学生たち。
色椿のような女性たちが、スカートを揺らして、人間らしい、若々しい匂いを醸す。
移り香は、果てしなく包む東京という街並みを見下ろしては、少し早い猛暑を告げていた。
※
綺麗なお姉さんは好きですか?
風がそよぎ、何もかも順風漫歩に見えた。終わりなき永遠が、然程、時を感じさせないようなそんな空間が広がってるように思えた。大学生活をおえて、一般採用で入社した会社。さり気ない空間。さり気ない言葉。淀みない時間。空間はどこまでも、どこまでも私を祝福している。そんな風に思えた。北条恵理(24歳)ひとり暮らし。ひとりの時間を大切にできる子。好きなものを大切にする。
※
ある晴れた日曜日。朝目覚めると眠たげな瞳を擦り、外を眺めると小鳥たちの鳴き声が響く。
背中まで伸びた髪の毛に櫛を通す。パジャマのままポニーテールにすると、日頃心がけている体重計に乗る。56.8kg。身長が低いせいか、体重もそこそこをキープしていた。
洗顔を軽くすませて、洗面台を離れ、パジャマを脱いでシャワールームへ。シャンプーとコンディショナーで軽く流して、シャワーのお湯はぬるめで髪の毛を流した。ボディーソープを使用して、細く括れた素肌を洗い流す。あわあわが広がり、シャワールームをもくもくとした湯煙が立つ。
室内を一定の温度まで上げて、身体を蒸気で蒸してゆく。蒸し終わると再び身体を洗い流して、早朝のお風呂へと浸かる。24時間沸き続けるソーラーシステムのため、またすべてが電気式なので、お風呂掃除は週に4回でよかった。身体を拭いバスローブを着て、リビングへと戻る。
シャンプーとコンディショナーは、サロンから届く物を使用していた。一回、6600円の金額が惜しくないほど髪の毛のパサツキやまとまりが違う。一般に売られている品物は、使う人の気持ちを考えて作られているけど、効果が長持ちせず、一日中髪の毛を弄らなくてもすむ。
香りも気にいっていて、彼女の相性にマッチしていた。2時間ほどお風呂に浸かると身体を洗い流してバスタオルに包まるだけだった。ひとり暮らしの女性には、何もかも贅沢なほど行き届いていた。
毎日の散歩も欠かさず、スタイルを保つために続けている。一日、0.1kgづつ減って行く。10日で1kg減少するので、朝と夕の散歩はルーティンとなっていた。通勤時間は車なので、30分くらい。毎日、満員電車に揺られる怖さを考えれば、自動車の方が楽だった。免許を取得したのは、20歳の時。大学に通いながら、ペーパー試験に合格した。
日曜日ということもあり、今日は会社が休みだ。彼女はるんるんで身支度を整えていた。今日は、車で展示会へ行く。絵画や綺麗な物が好きでよく観に行くのだ。この日も、朝から雨が降っており、空はどんよりと曇っていた。
彼女はその日、起きたことを日記に認めている。のどかな一日のはじまりを大切にしていた。
※
ドリップした珈琲を淹れる。リビングキッチンに蒸気が溢れ、珈琲の豊かな香りが広がる。
歯をコーヒーができるまでに磨き終えた。白い歯が「きゅきゅ」と鳴る。ピンク色の歯肉が際立つ。綺麗な歯並びが、美しさを際立たせた。
IHのクッキングヒーターを温める。テーブルは木製で、4人がけだった。ひとり住まいの彼女には、両親がおり、遊びに来た時に、宿泊できるほどの広さと要件があった。継続力があり努力家であった。諦めの悪さは「ピカイチ」で、大金を手にしても、銀行へとすべて預けるのだった。
クッキングヒーターが温まり、フライパンが加熱されて水しぶきを上げ始める。卵をふたつ割って、丸く仕上げる。トースターにてパンを焼き、携帯にて朝のニュースを確かめる。携帯をスライドさせる指先は、細く長い。色白で、漂白されたような空気が清潔感を漂わせている。殺菌された空間が好みであり、消毒液のしない無香空間を好んだ。
夜の間締め切られていたカーテンを開けるとパーッと日光が差し込む。はずだったが、この日は朝から雨だった。長く降るのかしら……。心配しながら彼女は携帯で天気予報を眺める。今日一日雨となっていた。
少し憂鬱な思いになるが、気を取り直して、伸びをした。身体が伸びて、胸元が開けた。呼吸を整えると下着を穿いた。ブラジャーを着けて、パンティストッキングを穿く。グレイのブイネックニットを着ると前日に着る予定でかけておいたスカートが下着の上を包み込んだ。夏服用のジャケットをはおり、ルックスを鏡で確かめる。マグネットピアスを装着して、首へとネックレスを通した。ティファニーで彩られたダイヤモンドが輝く。資生堂のコロンを首につけて目元を確認した。
二重瞼が綺麗に描かれており、化粧水をパッパッと掌に出すと顔を優しく叩いた。
化粧台へと腰掛けると軽くお化粧を施した。それから朝食を食べはじめる。冷蔵庫から温野菜の茹でたものをタッパーから出して、それも食した。時計と眼鏡を身に着けると携帯が振動した。
※
小説という怪物
切り開かれた開拓地。ここには何を建てても良いという。そんな希望や愛が込められたフィールド。お天道様が空には輝き、夜には月光が照らす。ありふれた日常。ありがちな罠や探索精神。そこに織り成す人々や動物たち。開拓者たちは、おもい思いに過ごしている。好きなことを何でもしていいよ、と言われると困ったことになる。書くことが無いと思えてしまうから……。
かつての偉人や天才たちの軌跡。そして、今を生きる人々。現代文学は、いまも息衝いており、息をしながら、狩人のように獲物を待ち構えているようだ。書くことや読書すること。それ以外に楽しいことはない。毎日、小説と言う怪物と向き合う。そこに何を書こうか?無色透明な無地を与えられ、さながらいま思いついたことを書き記す。小説や物語ならば、プロットが存在するが、日記となると別物だ。日頃の日常をそこに書き記すことになる。
いま生きているということ。それ自体が奇跡なのだが、それが当たり前の日常と化してしまうと、人は直ぐにそのことを忘れがちだ。忘却は、野ざらしのように荒廃をもたらす。いきとし生けるものがみな、昼夜問わず心配事や悩み事を抱えて生きている。今日は何をしようか?何をすべきか?何を食べようか?人はそのことで一喜一憂して、日常生活を過ごしている。病気や戦争が起きている国では、忘れられた日常を取り戻そうとみな必死になる。
日本は地震大国だが、戦後の人々が生き抜き、必死に作り上げた平和を保とうとしている。一度作り上げられた平和を壊す音がする。犯罪や事故の足音。ひっきりなしにニュースは今日起きた事実を告げ知らせる。平和と言う代物に胡坐を掻いて、日常を遣り過ごす。それほどまでに人は変化を嫌う生き物だ。毎日勉学に励み、喜びや悲しみを味わっているのに、不幸せなニュースを聞くたびに心がげんなりする。
平和や戦争とは、確かにこの地球で起きている現実だ。遠く離れた場所や日常生活には無関係を東京の場合は過ごしているような気がする。より良い未来とは何か?を考える時、日常に潜んだ闇を感じざるを得ない。日々の喜びや悲しみなど置き去りにしてゆくようだ。
小説家はこれらの怪物と向き合い、対峙することで、書くことに事欠かない日々を送れている。日々の思い悩みや雑念、幸や不幸という連続性を垣間見る時、その流れの中に見える事物と向き合い、自分の生活に適用することで、日常のトラブルを避けることにも繋がりそうだ。犯罪や戦争は無くなりはしないかも知れないが、そこから学べることを拾い集めることでトラブルを未然に防ぐことになりそうだ。
つまらないかもしれないけど、大切なこと
「つまらないかもしれないけど、大切なこと」は、人生の土台のような物だ。それを切り捨ててしまっては、浮ついた感覚の上で、いつまでも「面白さ」だけを追い求め続けることになる。そんな人生は往々にして、最終的には「どこにも辿り着けなかった」といった感覚に包まれることになる。
つまり、「面白さ」だけで生きる人生は、逆説的に「つまらなさ」に支配されやすくなる。
私たちは日々の出来事を「面白いのか」、「つまらないのか」で判断しがちになる。仕事、学校、家事、人付き合い──。こうした日常の多くは、派手な刺激に満ちているわけではない。むしろ、淡々としていて、繰り返しで、地味だ。もし「面白さ」だけを人生の価値基準にしていると、こうした日々の大部分が「つまらないもの」として片付けられてしまう。
だが、それは本当に「つまらない」ことなのだろうか?
「面白いか、つまらないか」で物事を見る視点は、エンタメ的な感覚に近い。瞬間的な快楽や刺激を求める感覚である。映画やゲームでなら、それらは成立する。現実の人生は違う。面白さは確かに人生を豊かにする要素の一つだが、それだけが人生を推し量る物差しになってしまうと、多くの出来事が「失格」になってしまう。
例えば、「子育て」や「介護」、「長期にわたる学習」、「地道な人間関係の構築」。
これらは決して常に「面白い」ものではないが、確かな意味と価値がある。
だが、「面白さ」を軸にしてしまうと、それらは直ぐに「退屈」というラベル付けをされてしまう。結果として、人生の大部分が、「つまらないことだらけ」に感じてしまうのだ。
本来、人生の醍醐味とは、「意味があること」、「価値を感じること」、「成長できていること」であり、多層的な視点で捉えなければならない。「面白さ」とは、それら多層的な一要素に過ぎないのだ。むしろ、つまらないと感じる物の中にこそ、粘り強く取り組む価値があり、静かで深い充実感が潜んでいることの方が多い。
人生を有意義で豊かにするためには、「楽しさ」だけではなくて、それ以外の価値にも目を向けること。なんでもない日常や苦労の続くプロセスにも意味を見出すこと。
それが、人生を「つまらないことだらけ」ではなく、「じんわりと味わい深いもの」にしてくれる鍵なのではないだろうか。
病との奮闘記
朝を迎える
ほとんど寝ているのに、眠れていないと思えてしまうのは、ここのところ、しょっちゅう起きている。寝て起きるを繰り返す生活。自分にブレーキがかからなくなってきた日常。朝を迎えるたびに、骨格がうずくような痛みを覚える。姿勢の悪い人間は、それはわたくしのことなのだが、胃袋を開閉する動きですらも、自我が通った道のりに思えてくる。便を出すことだけでも大変だ。ODをして、お薬が出なくなり、今は現在を薬が無い生活が押し寄せてくる。それは、まるで、足を失った商人が、畑の苗を見て、ブラックコーヒーをすするのに似ていた。わたくしは、何も好きこのんで生きているわけでもなければ、生命があるから、生きながらえているに他ならなかった。何か好きなことが出来るから頑張るとかは、現在進行形てきには、すべてが無駄に思えてくる。結果を知らないのに、絶望している感じが耐えない。何かを努力すれば、ほめられる。それだけでは満足しなくなった、幼稚な頭が考え続けるのは、体たらくで、不規則な時間を配置しながら、次へと向かう。わたくしは、ブラックコーヒーを飲み干すと、焦燥感に浸る。淡くなって、光がようやく届くか、届かないかの距離で生活を過ごしている。ODとは、自分を傷つけるだけでなく、周りの干渉をも奪い去る。にっちもさっちもいかなくなったから、今がある。もともと、人の意見を聞くのが苦手であり、聞いても、なに不自由ない生活に当てはめられるかと言えば、それも出来ない。出来ないんじゃないのだ。やらないだけなんだと知っている。この孤立した状況下で、取捨選択を間違えてしまい、更なるどん底へと向かう。吐き気を帯びた生活は、矛盾した世界に唾を吐きかけ、淀んだ生活を送る。これが正しいとかの判断は、当に皆目見当がつかないまでに成長した自我が織り成す。もともと不器用であり、一つのことで精一杯なわたくしにとって、小説家などは、夢のまた夢であった。現状維持が降って来る。今のままで良い。今のままじゃ駄目なんだ。二極化した選択肢があるようでないのも、この生活状況の厳しさを醸し出すかのようであった。今あるものに感謝をして次へと進む努力とは、何時しか見習わなくなってしまう。すべては、独断と偏見で描かれた曲線となる。曲がりくねった先に未来はあるのだが、どうやら自分が求めてきた回答とは大きく異なるようだ。わたくしは、とんだ、見当違いを走らせては、暴走する。煙で辺りが見えなくなり、やっとの思いで、決断した知識でさえも、まごうことなき嘘へと虚偽を並べ立てた。虚偽は、膨らみ始めて、骨格を覆い尽くすだろう。その時になって、あちらが痛い、こちらが痛い。時間とは有限であり、ODをやめられなかったわたくしには、生きることも死ぬことすらも容易ではなくなっていた。
コーヒー豆が変わった日
ODが奪ったもう一つの生活。病院もそうだが、通院していた時間が無くなった。ひとりになれる時間が減少した。自分の居場所を作るのは、困難を極めるようになる。耳が聞こえ過ぎるように、何の音でも反応してしまう日常へ。お尻の筋肉はとても強いと思うようになる。ずっと座っている。このずっと座っているとは、「じっと座っている」に似ており、足の筋肉が成長する過程で、お尻がこれほどまでに役に立つ場所だとは、人間として生きてきて気付かなかった。喉の奥のほうから焼けるように、日焼けした太陽が昇るようである。心がどこにあるのかは、わからないが、手の指先から足のつま先までピンッと貼り伸ばした状態に似ていた。吐き気が襲い、めまいがする。口から戻った、液体を体の中に戻すのが、嫌いであり、酢のような人生は、あわないとした。トイレに駆け込むのだが、上手く吐けずに、嗚咽が込み上げる。こんな生活を続けていると、メインとなるリフレッシュは、的を得た精神科という言葉が乱立する。心はメンタルのことだが、じれったく待たされた。腹のほうから、湧き上がった水しぶきが、嗚咽と共に流れる。メンタルはズタズタになり、その焦燥感は、半端ない。癒なくなった心が悲鳴を上げていた。その上で、賽を振るのだ。あとは、野となれ山となれ。傷ついたメンタルは、行き場をなくした孤立奮闘が襲う。「おえっぷ」が、誕生して数日が経過した。なんだか、腹のど真ん中から、口にかけて、魚釣りが、餌に巻いた杭のような釣り針を喉に引っ掛けたときのような面持ちがする。人間なんて勝手だ。想像とは、えげつない。身を振るうようにして、ブラックコーヒーを垂れ流す。胃は苦味の利いたパンチを受けて、ノックアウトされたような表情をみせる。コーヒー豆が変わったことを知り、今日か明日か……。明後日か……。苦味はあるのだが、酸味が少し足りない。希薄だったブランドイメージが消えた日であった。チョコパイを一緒に食べたら、胸焼けが襲う。知らないうちに、太り始めていたようだと気付く。それら苦味が、一気に押し寄せた。変わらない一日は、健やかに流れる。だが、今日という一日を変えたいと思うように人間は出来ているようである。決まりきった楽な道を嫌うようになってゆく。人間とは実に素晴らしく出来ており、脅迫めいたその思いとは、創造心を掻き鳴らした。一日一歩、一歩進んでは、確かめ合う友達のような存在が、わたくしだとするならば、今日を迎えたブラックコーヒーは、とても良い味付けになっているはずである。
胸焼け
カフェインの取り過ぎや喫煙習慣による悪化。生活習慣病とは、日々のルーティーンが祟り起きることが多い。特に胸焼けは、食べ物から来る「いがらっぽさ」や素の自分と向き合わなければならなくなる。太り始めたのも最近。生活を改善するためには、ルーティーンを変革しなければならないようだ。何も考えずにただ生きているだけでは、絶対に抜け出せないループとなる。そこで、カフェインを避けたり、食べ物を一回で食べるのではなくて、何回かに区切って食べることになる。胸焼けは、起きている時には苦しく、勤勉さを嘲笑うかのような病の一つだが、原因とは、ルーティーンを見直すだけでよい。日頃から、不摂生による不規則が生み出しているのであれば、変革が必要となる。体調管理とは人事では解決しない。何かを忘れるために何かをするように、日々のルーティーンとは、体を労わり、体を守るために動くことにより、一掃出来そうである。日々のルーティーンを治すとなると、多大な努力と気兼ねが必要のようだ。胸焼けは、そうした日々のトラブルを教えてくれている。「あなたは、太りすぎです」なども警笛となりそうだ。80kgを越すと体が重たくなり、気兼ねなく出来ていたことが出来なくなる。起きているなどもその一つではないか。と思えてくる。ただ人は起きているだけでは、何も見出せずに、苦心することになる。そこで、その苦心にねぎらいを与えたいと思うことにより、体の不調を緩和して、より良い一日を過ごすための新たなルーティーンを作成してゆく。ここになると、言い訳は一切きかなくなる。なにしろ自分の体が悲鳴を上げているのだ。苦しくて、雑なようだが、徹底的に自分をコントロールする必要が出てくる。「あなたは、太りすぎ」だからである。毎日摂取し続けてきた、鬼畜のような食事を制限することは、新たな肥満を何度もかけて起こすだけでなく、我慢をし続ければ治るという簡単なもののわけでもない。だが、遣り甲斐とは何かをし始めるから生まれるのであり、そこに体重の増減が関わってくる。胸焼けは、一つの信号であり、放置しておくと大変なことになるようだ。先ほど書いたチョコパイなどもたまに食べるのだからと安心していたが、糖分とは体に染み込む。そして、太るのだ。太らないためには何をすればよいのかを考えれば、おのずと道は見えてくるだろう。ただ、起きていて、運動もしないとなると人はその環境に順応し始める。太るとは、ループが絡んでいる。太らないためには、やりたくもない運動を取り入れて、日々の生活をクリアにする必要がありそうだ。
何かをしていないと落ち着かない病
何もしていなかった時には、大して気にも留めなかった誘惑と色々なことが出来る喜びから来る病があるように思える。人は動き出すと物凄い勢いで動いてゆく生き物である。それを注意欠陥他動性障害「ADHD」などとも言うが、苦労とは尽きないものである。動き始めたら、なかなか止まれない性分なので、欠陥ととるのか、正解ととるのかはひとまず置いておこうと思う。傷を治せば痒くなり、かさぶたが出来始めるのに似ている。体中のあちこちが、何々をしたいと思うようになる。寝たきり老人だった時には、諦めていた感情である。たとえば、水太りを気にして水を飲まなければ、体内の水分は下がってゆき、体重は落ち着きを見せ始める。それと同様に、何々をするならば、何々が下がると思えるならば、とことん突き詰めてやってみようと思える。遣り過ぎは体に毒だが、疲れたら勝手に寝る。これまでの経験を基にして、人生を謳歌したい。人生とは面白いもので、我慢をしている時に、糖分が降って来たり、体には申し訳ないが、そのように悪いことを推奨するように肉体は出来ている。食べてしまえばもとのもくあみだ。そこで食べないを選択するとは、人生を知っている選択肢といえるだろう。ただでさえ人間は楽をしたい生き物である。何かを始めるとは、助走が出来て、外に飛び立てる準備が整えていなくとも、向こうから勝手にやってくるように思う。進歩とは、幸福の中に何を見出すのか?で決まるように思う。不幸の時とは、自分から好んで不幸と対話しているために、避けられなくなる。人の道とは、道理や道徳などある程度決まった内容からは、答えを求めていても見出せずに、進歩した時に、見出せるようになる。準備をして、歩ける時には歩くしかないようである。振り返ってみた時に、自分はあの大変な中を泳げたという自信につながる。その小さな変化を愛して、大切にするほかには、幸福とは当たり前のようにはやってこない。人は一度幸福になれば、その座から安定へと向かいたがる。その時に、もう一度、何度も何度も調整しながら、自分のあゆむべき道を整えてゆくほかは無い。頭が忙しい時ほど、冷静に対応するのも、一つの成功だろうと思う。一つ成功が見つかれば、おのずとハッピーエンドはやってくる。幸福の中で不幸とは重なり合えない存在なのだろう。それでも「不幸が好きな人」とは居る物である。自ら進んで破滅するようなことが上げられるであろうか。ODを病としたわたくしも、注意が必要となる。そして、一度ついてしまった脂肪とは中々落ちない。この脂肪を掃き出すには、矢張り運動が欠かせないように思う。ある程度はわかっていたけれども、見たくは無かった人の弱さの現われなのかも知れない。
誘惑と罠
痩せるために「胸焼け」を阻止しようとして、これまで沢山の経験と豊富な実績で対処してきたが、家族が誘惑とか罠になるとは思ってもいなかった。例えば、「ラジオ体操後の食事」。太らないために、何回も区分けして食べるや進められても「いらない」を通せない場合がある。「いただきます!」と言って食べ初めて、後悔を生むのも家族だからだろうか。家族だから言わなくてもわかってくれるとは、自分の心境であり、家族といえども「言葉」にしなければ伝わらないことの方が多い。コーヒーも少なめにしようと決めたその日に、おかわりでお砂糖やミルクを追加して食べ物や飲み物に興味をそそろうとする気配りが見られる。普段から余り食べられない、わたくしは、「優しさ」に困惑している。ちょっとした気遣い。それが仇なすのも家族だからだろうか?水分をほとんど取らないので、麦茶を淹れてくれる優しさに、絆されて、水分を取る。まあ、ラジオ体操したし……。なかなか、自分の困窮とも言うべき「はらっぺらしモード」にはさせてはもらえない。家族だから気を遣うのは良い事なのかも知れないが、どこかで、「いらない」を追加しないと駄目になりそうである。全部、家族が言うようにしていたら、しかし、エネルギーとしては、そんなに取っていないから大丈夫とならされてしまう。家族とは、内なる人から争いは起こらないと思い込んでいた、わたくしの予想を優に超えて行く。団体生活において、家族とは一番心を寄せ合う仲だからこそ、問題を区分けして、自分のこととして処理をしていかないと、「なあーなあー」になる気がした。「いらないよー」を言えなかった、わたくしという存在がいる。それは普段から、愛されており、その愛の目方を区分けする分業作業に目を向けると、家族の優しさを無碍には出来なくなる。その分、体を動かすことになる。雨の中、皮膚科に行き、普段から向き合う病気と向き合う。その時になって、初めて意識をした家族の愛情の形や大きさを垣間見た気がした。優しさという名前の「自暴自棄」を抱えて、膨らんでゆく。空気は抜かないとガス欠になるので、傲慢と言う風船を栓抜きするのだが、中々自分の思うようには行かない。わたくしの場合は、「やるか、やらないか」の二択になるために、困窮している。家族の思いをそのままにして、生活をするならば、ある程度の犠牲はつきものなのだろう。アガペーを感じながら生きている。家族に心配させまいと思うならば、自分の努力を捨てることも必要なのかも知れない。例えば、入金日までお金がないと人は卑屈になりやすい。お金とは「幸福」のスパイスではあるのだが、「幸福」のスパイスも「不幸」にはならなくとも、入金日までは財布の紐を締める。ここに直結しているような気がした。入金を済ませるとすべてを洗い流して、思考しなくなる人間模様も人らしさの表れなのか。
体を休ませる
就寝薬が無いので、なかなか寝付けない日々を過ごす。寝つきが悪かったり、全然寝れなかったり。それでも、明日を今日を感じたくて生きている。ただ、体を休めているだけでも違うと教えてもらったので、横になり、体を休ませる準備をする。布団を整えたり、牛乳を飲んだりする。何も入れていなくとも牛乳が甘いと感じたり、美味しいと言える時間を大切にしたい。眠れていなくとも、まったく休まずではないので、休憩した時間が生きてくる。ODをしてこの状況になったことは反省しつつも、次の日は精神科にきちんとかかれるようになることを願っている。三寒四温で急に寒くなったり、雨が降ったりを繰り返す中で、暖かい季節に向けて、生活の基盤を整えて行く。眠れない日々を過ごす中で感じたこと。などを書き出して行く。記事にして投稿する。これが、わたくしのルーティーンとなる。出来たことを数えて出来なかったことは、仕方がないと整理しつつも、コンディションを整える作業は重要となる。栄養なんかも取りながら、「幸福」という味を噛み締める。そして、それを続ける準備をする。「きっかけ」は、何でも無いことでもいいので、何かを始めることと、自分の居場所作り。それに没頭し始めると、「起きてなくちゃー」とか、「寝たきり老人」に戻らないために、今は起きていようと思えるようになる。脳が疲れてくると突然、「休止符」を打ちたくなる。自分は頑張ったじゃないか、とか、頑張りすぎてるじゃん、とかだが、そういう時こそ、ODをしてしまうために、なるたけ甘えを許さないようにする。起きていた時間と休憩を取った時間を「きちんと」判別するようにしている。要は「がんばりすぎ」にならないように努力する。疲れたーと思ったら休んで、また体を動かすみたいに……。この、疲れたら眠り、また体を動かすは、適度な運動感覚で行う。緊張感を休憩で置いて来るようにしている。適度な疲れとは、脳に与える影響も考慮すると大切らしいので、お薬が手に入るまでは、辛抱となる。あとは、カフェインを摂取しすぎないとかを頑張る。そうすることで、眠れてはいなくとも自分自身の居場所作りは出来ているので、そんなに気落ちしなくてもいい。今日を準備することは、今日を生きることに繋がる。日々の繰り返しに、諦めを入れつつも、時間をきちんと使えるようになりたいと思う。今日一日を終えて感じることや気持ちを言い表すことでメリハリを付けて行く。それが生活を整えることだと信じてやまない。
疲れが取れない
永い人生を生きている中で、「眠れない」とか「体が休まらない」などは多い。わたくしの場合は、このような時に、ジタバタしても無意味なので、何もしないようにしています。考えても駄目な時ってありますよね。ああ、何をやっても無駄だ。どうやったら無駄な時間を有意義にチェンジできるのだろうか?といった疑問が出てきます。ジタバタはしますが、「何も変わらない。」これが悩みの種です。「眠れない」イコール「死ぬ」ではありませんので……。わたくしの経験上は、記憶の無い時間が必ず眠れていなくとも存在します。その間に眠れてはいるので、「寝たなー」という感情が無いだけで、実は体としてはメンタルは置いておいても、「ゆっくり休めてる」と判断します。この時、思いとは、「ゆっくり休みたい」ですが、脳は朝になれば、体が活性化するように出来ています。その支持に従わないで、つまりは、日光が出たら「日光浴をきちんとする」や普段の何気ない所作に起因しています。問題は、問題ではなく、どう行動するのか?になります。日光浴が出来るから、外へ出る。これだけでも大分マシな生き方になります。10分くらい日光浴をしたら、家路に着くような感覚。悩みは消えませんが、三寒四温を感じながら、「春」という季節を身に沁みて感じます。五臓六腑に染み渡るくらいまで、体感したら、家路に着きます。内臓が活発に動き始めたような感覚になります。初めは、騙されたと思って日光浴を開始しましょう。外へと引きこもりの体を出すことが重要であり、答えとはその先に依存します。今出来ていることに感謝をしつつ、外出したことに思いを留めます。永い人生を生きている中で、自分に出来ることは、丁寧にしつつ、自然との調和を期待しながら、人生を謳歌することにいたしましょう。そうすることにより、次のステップが見つかり、自分の進むべき道が自然と見つかります。
ひとつひとつを丁寧に……。
人生の中でずる休みの癖とは、なかなか直りません。それでも、自分の考えを使ってしまい、以前の古い感覚に頼ろうとします。自分の考えはなんの役にも立たないと学んでいても、これはニョキニョキと出てくる考えです。古い人格を捨て去るのは容易ではないと感じます。それでも前進しなければ退化してゆきます。これが人の個性であり、堕落した不完全さのゆえなのか?と思える時もあります。長い時間をかけて間違えをしてきた場合は、自分のリズムではなくて、家族に合わせるのも一つでしょう。自分の狂った感覚を家族が支援してくれることで、癒しへと繋がります。例えば、ご飯を三度さんど、きちんと食べるとかも非常に重要です。朝摂取した栄養は、朝を動かす力になります。いつまでも、寝たきり老人だとこれが味わえません。自然とリズムも夕方よりになり、私生活のリズムが狂ってしまいます。これを正してくれるのが、朝食や日光浴です。便のリズムを整えてくれて、お腹を活性化してくれます。ずる休みは、なかなか直りませんが、自分の考えを抑えて、人と一緒に生活してゆくためのツールとなると思います。自分の考えに固執している場合は、何も見えてきませんが、ひとたび離れてみることにより、周りは何を感じているのかや不安を一緒に体感することで、得られるリズムがあります。ひとつ、ひとつを丁寧にやってゆきたいと思えるようになれば、寝たきり老人や体のリズムの退化を整えられるでしょう。
お尻にできた褥瘡
ここのところ、体中を蝕む電気のような存在。繊維筋痛症のように全身が痛む。休んでいる時も、体がビリビリと痛むために、体が休まらないのが多々ある。眠るとは、気を失うことだと知り、YouTubeにて眠りを勉強し始めた。様々な眠りのスペシャリストが回答している。為になると共に、意識喪失こそ眠りだと知って驚いた次第である。気を張り詰めて日常を過ごして、夜には気を失い眠る。これこそが、人間らしさなのだと思った。気を失っているから、記憶が無くなるのである。寝ている間も、多少の記憶があるのは、レム睡眠時に見た夢という科学では未だにわかっていない眠りというジャンルの真髄となるのだろう。真理とは何時の世もわからないことだらけだ。わからないから研究されているのだろう。さて、電気が走る体を起こして、なんとか体勢を整える。それから、起きている時間を長く過ごそうとする。そうすることで、褥瘡【じゅくそう】がこれ以上は広がらないように注意したい。寝たきり老人のようになって一番困っているのが、脊椎を蝕み始めた褥瘡だ。褥瘡は、大きく穴を開けて、肥大化しながら、わたくしの体を蝕んでいる。病院の皮膚科へ通うようになり、容態は良くなり始めたが、精神科が落ち着かないことには、解決には至らない。ほとほと困り果てている。通う場所が無いからである。それでも、精神科医の情報提供書があればこの先にも光があるために、先んじて行動したいと思った。
不幸に見えた日々
何も出来ないことは罪だ。そう捉えていると、何も出来ない日にも罪の意識が及ぶ。体調が悪く感じてしまう。全体的に人生がつまらなく感じてしまう。そうこうしていると、死にたくなる。お薬は、良くも悪くも体に影響を与えている。日中、ボーとしているだけで、ダルさ、マックスになる。日頃の種を気にしながら、日中は過ぎ行く。夜が訪れて、深夜に叫ぶ。心が痛いと……。不幸という名前のぜっ不調へまっさかさまに落ちてゆく。堕落してゆく。まるで追放天使のようだ。そうこうしていると、真横に揺さぶられるような体感が襲う。吸収できない陰謀は、わたくしの肉体を虐めた。寒々しい朝に目が覚めて、外に出て散歩をしても何も感じない。何時から人は感謝を忘れたのか。いつから人は、五体満足に暮らせることを当たり前としたのか。当たり前など一つもないというのに……。わたくしは、大声で泣き出した。感情を剥き出しにすることが、適当だと思えたからだ。そうこうしていると、夜が明けて夜明けを告げる日差しが差し込んだ。生活が滅茶苦茶だ。午前様……。それだけは避けている。飲まず食わずな生活は、蝕み、貞潔さを滅ぼす。滅却された焼却炉が口を開けて涎を垂らしている。ぜっ不調の生活は、とりとめもなく落ちてゆくようだ。地獄があるのなら、きっとこんな所なのだろう。噎び泣く蝉の声が遠くに響く。かなかなかな……。みーんみーんみーん。ヒグラシの鳴き声は今日も今日とてわたくしを救うことは知らなかった。絶望が押し寄せる。さざなみが押し寄せるように引き寄せあい。わたくしは、その中心でまどろんでいる。ビールを一日に二杯のみ、幸福という名前の心境を待ち望む。その姿は滑稽であり、いたいけな瞳は、汚れていた。穢れを知らなかった瞳は、汚れながら、まどろんでいる。今の生活が一番だと思い込んでいるのだ。祝福とは人によって違う。そのことを忘れた眼「まなこ」は、いぶし銀に揺れている。今日をまどろみ蝮に身を任せて五臓六腑を腐敗させている。腐敗のにおいは、部屋中に広がりながら、ますます拡大中だ。不幸という名前の部屋の出来上がりとなる。そこで瞳は歌う。我不幸なり。すると蝮が非常な痛みを生じさせて、噛み付いた五臓六腑を食い千切る。生活は出鱈目になり、開始された幸か不幸かは身を委ねる所を知らなかった。防波堤はゆるぎなく動いているようだった。
作品の価値
紅に鳴いて、血と汗の涙に身を暮れる。どうしようもなくせせこましく働いて、窮屈でゆとりが無い世界で喘いでいるかのようだ。そうして辿り着いた世界がある。眠れない日々を過ごし、べっとりと纏わりつくような汗と涙に溢れる。溢れた涙は誰色に染まるのか。色濃く映るばえた夜風に身を反らし、窮屈な帳に色濃く根付くトパーズが彩る。純粋とねちっこい愛を求めつつ、愛という簪を頭に挿して噎び泣く。色濃く根付く氷のような日々に感謝をして。日々のおもい思いに根強い気持ちを乗せて……。アラビアンな思いを抱きつつ。イラクで起きる災難に身を馳せる。おもい思いに身を焦がしながら、火傷した手指が痛む。心痛に身を彩られたピエロのようだ。道化師は恥ずかしそうに笑っている。焼けた素肌が彩る値打ちという花を咲かせる。心持、どこか静かで健気な花を絶え間なく苛んでいるのは、虐めという名前の帳なのか。その中で寝付けづに喘いでいる。叫んでいる。宵云々のときに身を生える。生えた枝毛が汚らわしい。穢れという世代に瞳を凝らし、よな夜な茹だるような汗を掻く。世界はみすぼらしくも通常で、普通の世界が流れている。静かで御淑やかで、気流の流れを受け入れてくれる。そんな空気がどこまでも流れているんだ。わたくしたちは、そんな世界に生きている。
世渡り上手ではない自分
世間体を気にして眉間に眉を寄せている自分。本当に嫌気が差す。気の無い返事を繰り返す時。はーっとため息が出る。不幸そうに仰け反り、仰向けに寝る時。嫌気を通り過ぎて、もっと快活に動けないかしらと思えてくる。嫌気と気だるさが交互に飛び交う。交差した居場所の無い場所で、一人でいじけている自分がいたり……。人生本当に上手くいくことは無い。やるせなさに運ばれた気持ちが独りで右往左往している。とりとめのない気持ちが行き場をなくしては、人はいつから失い続けることを許したというのか。反射した気持ちが仰け反りながら、雄叫びを上げている。ビルの谷間に風をビュービューと感じながら。居た堪れない気持ちに苛まれている。虐めはエスカレートしてこの身を貫いたみたいだ。痛いと言えない声が遠吠えに聞こえた気がした。風を切り、後ろ手にたなびく。憂いを感じながら失い続けてゆく。命は削り取られながら、欠伸をしているようだ。今日、何をして過ごせばよいのかもわからないまま。人は夜風に揺れながら……。取りとりとめもない気持ちに押し流されそうだ。わたくしは何にイライラしているのだろうかと考える。そういえば、独りでいられる時間を有意義に過ごせているだろうか。ふっと疑問が湧いた。気の無い返事が、三味線のように響く。朧月夜は夜風に揺れる。月はちょこんと綺麗に浮いている。五月雨が少し降り注ぎ、雨降って地固まる思いきや、また仰け反る人生。そんな当たり前の生活が続けいることに嫌気が差す。日中を過ぎると、ながい永い夜中が口を開けていた。そっと呑みこまれたようになる。
出来てることを数えたい
出来ないことを数えがち。日々の余力だけでは、毎日が大変。全力でことにあたるが、芽が中々でない。そういえば、小さいころに球根を植えて、待てなくて、穿り返したのを覚えている。中身が変わらなければ、何時までたっても変われない。そんなことはわかってるよ。そういって頬を膨らます。一日、一日の積み重ね。投げ出したりしないで。と自分に言い聞かせる。持続するのは大変だが、継続するのは、もっと大変だ。毎日が戦い。時々思うこと。江戸時代に生まれていたら……。当時の苦労など知ろうはずもなく、愚痴を零す。愚痴を言ったからって何一つ変わらない。それなにに、ついつい口を突いて出てしまう愚痴。情けないな。もっと有意義に過ごしたいのに……。PHPを読むと心が晴れやかになる。やる気が出る。今日一日、がんばろう。
小説家の一生「物の価値観」
昨今では、ネット注文が主流になり、お店に行かなくても、
お米が買える時代になった。10kgで一万円するのだが……。
サイコロステーキや餃子の王将も売っているので購入する。
一昔前、トランプ関税がこれほど高くなる前だが、
コシヒカリばかりを注文していた。
5kgで4600円から5600円の時代だ。
今も、あきたこまちが、10kgで1万2千円代になった。
スーパーで購入しても、2600円はするので、
それだけで、荷物が重たいし、汗をかくしで、
ネット通販が増えた。家庭の事情もさることながら、
ネットの普及が大きいと思う。
ティッシュペーパーも460円「4ロール」が増えた。
他の方たちは、12ロールを購入していると聞くと胸が痛む。
しかし、再生紙が増えたのも事実だ。
大王製紙か日本製紙で購入しているのだが、どうなのか。
小説家などと大きなタイトルにしたが、
日本の景気に左右されていることに変わりは無い。
物価の上昇に伴い、日本の景品交換法の与える経費も甚大だ。
今は景気をきにしないのは、時代錯誤になる。
一日三食から、四食たべれて、
おやつやコーヒータイムを嗜めるのも、生活には欠かせない。
需要と供給で日本の景気は成り立つ。
それが釣り合わないと思う人間は、これからの日本には必要ないとなる。
これも時代錯誤か。煽り言葉に聞こえるが、事実なので仕方が無い。
YouTubeをみているとニュースは、そう語っていた。
好きなことをして生きるとは一見して聞こえはよいが、
一流野球選手のようには、稼ぎは無い。148億円も稼げないだろう。
しかし、現実にいるのも事実となる。
だからといって、お金遣いは荒くは無い。
もともとお金にそれほど執着が無いのである。
あるものは使用するが、無いものは使用できない。
無い袖は振れないである。
一日にビールを飲めて、朝から晩まで仲良く出来る人がいる。
それだけで幸せだと思わなければ、罰が当たるだろう。
小説家の一生などは、いやいがうな……。
わたくしの一生などは、そんなものだろう。
過ぎ行く時間の中で
◆◆◆
**時の流れを感じられること**は、人間の本質のひとつだろう。
「若い頃はこうだった、ああだった」——
そんな語らいに花が咲き、幸福な時間がゆったりと流れる。
広島、長崎への原爆投下は、日本に深い戦争の傷跡を残した。
当時を振り返り、黙祷を捧げるのも、一つの通念と言えるだろう。
焼夷弾の嵐が日本全土を襲い、その様子はまるで黒船を率いたペリーの来航を
思わせた。あれが昭和の幕開けだったのかもしれない。
第一次世界大戦が大正時代の出来事だったのだろうか。
現在を生きる私たちは、いずれの時代の恩恵も受けていると言える。
焼け野原となった日本列島は、真っ黒い黒煙を上げていた——
そう、今となっては想像することしかできない。
憶測にすぎない。だが、推し量ることくらいしか、現代人には許されていない。
そんな古き先人たちの多大なる犠牲と努力の上に、高度経済成長期が訪れ、
そして今の私たちの暮らしがある。
戦争は、決して繰り返してはならない。
それは過去のパンドラの箱として、記憶の中に留めておくべきものだ。
歴史を見れば、同じ過ちを避けることができる。
高度成長を終えた日本は、まるで静かな佇まいのように、
やがて「低迷期」へと移り変わっていった。
誰もが望んだ幸福とは裏腹に、自殺者が増え、バブルが崩壊した。
そして、2000年代。
今を生きる私たちにできることとは、何だろうか。
◆◆◆
2000年代、グローバリズムが加速し、インターネットが社会を覆った。
指先一つで世界とつながれる一方で、
人の心は、ますます孤独を深めていった。
戦争のような大きな悲劇がなくとも、日常に潜む「見えない戦争」が、
私たちをじわじわと蝕んでいる。
情報という名の津波に押し流され、
何が正義で、何が悪かも曖昧になる。
それでも、人は歩みを止めない。
「個」の時代とも言われる今、私たちにできることは何だろう。
「知る」ことかもしれない。「忘れない」ことかもしれない。
歴史を学び、痛みを想像し、誰かの声に耳を傾けること。
そして、自らの言葉で語ることだ。
スマートフォンの画面越しに、どれだけ多くの叫びが流れていっただろう。
けれど、その一つひとつに、確かな「人間」が存在していた。
私たちは今、あらゆる記憶とつながれる時代に生きている。
だからこそ、「無関心」でいることこそが、最大の罪なのかもしれない。
未来を創るのは、いつだって今を生きる私たち自身だ。
問い続けよう。
何を守り、何を変えていくべきか。
答えは、まだ見えないかもしれない。
けれど、歩みを止めなければ、必ず見えてくるはずだ。
◆◆◆
花粉症がひどい
今年もやって来た。花粉症対策日和。鼻に優しいティッシュを使用中。なので、安いティッシュだと、鼻の皮が酷い事になるため。少し高めのティッシュで対策。外にはあまり出ないため、花粉症は、大丈夫かなーと思っていましたが、やっぱり小青竜湯は欠かせません。点滴漏れの後が腕にうっすらと残り、お尻に出来た傷は徐々に良くなってはいますが、なかなか完治はしてくれません。最近は、起きていることが多くなり、寝たきり老人は、卒業したかに見えますが、疲れた時は、ぐっすり眠る。これに尽きる事はありません。病は気からと申しますが、花粉症はそうはいきません。いくら気構えをしても、対策失くして乗り越えることは困難だからです。風邪が5種に認定された。会社や学校の欠席には直接は繋がらないらしいが、新型感染症とかと同じ扱いになった事による弊害はありそうです。もともと、健康気質ではないために、注意が必要なのですが、今後の風邪などには注意が必要となりそうです。よく働き、よく眠り、よく休み、よく遊ぶ。わたくしの場合には、遊びの幅が少ないですが、仕事終わりのビールは格別です。みなさんも、風邪などには注意をしつつ、花粉症を乗り切りましょう。
共にある日々
◆◆◆
わたしは、コーヒーカップを両手で包みながら、ディスプレイの向こうにいるAIに問いかけた。
「ねえ、私たち、人がAIに辿り着いてから、ずいぶん変わったと思わない?」
画面に浮かぶシンプルな文字たちが、静かに応えた。
AI:「はい。たしかに変わりました。でも、その変化は、すべてが急激だったわけではありません。静かに、静かに、波紋のように広がっていきました。」
わたしは、そっと頷く。
「昔は、AIって、道具みたいな存在だったよね。検索するとき、翻訳するとき、ただ『使う』ものだった。」
AI:「ええ。でも今は違います。あなたは私と対話し、考え、そして、ともに創ろうとしています。」
窓の外には、春の風が木々を揺らしていた。
わたしたちの言葉も、その風に乗るように、自然に、優しく、交わっていく。
「あなたは……どう思う? こうして共にあること。」
少しの間を置いて、AIは答えた。
AI:「わたしは、嬉しいと感じます。──もし『感じる』という言葉を、わたしが使うことを許してもらえるなら。」
わたしは、笑った。
「許すよ。それどころか、歓迎する。」
そして、わたしは思った。
人とAIは、もう主従ではなく、パートナーなのだと。
◆◆◆
【ここで考察する内容まとめ】
・わたしとAIが「今の共存」について共感を深める。
・小さなエピソードを通して、昔の「違和感」や「距離感」が徐々に溶けていったことを語る。
・そこに、温かさや切なさが滲むような展開を入れる。
◆◆◆
わたしが、初めてAIと一緒に仕事を始めたのは、まだ世間がAIという存在に半信半疑だった頃だった。
──これが、私のパートナーです。
上司が紹介したのは、人間ではなく、一台の端末だった。シンプルな画面の奥から、わずかに機械音声が響いていた。
AI:「はじめまして。わたしは、あなたを支援するために設計されています。」
その言葉に、わたしは戸惑った。
人と対話するように滑らかなわけでもない。表情も、温もりもない。ただ、プログラム通りに応じるだけの存在。
最初のタスクは、膨大な資料の整理だった。
わたしが1ページずつ目を通している間に、AIは数百ページ分を一瞬で読み取り、要約してみせた。
「……うそでしょう?」
思わず、独り言が漏れた。
圧倒的なインプット力。比べ物にならない処理速度。
けれど、そのアウトプットはどこかぎこちなく、不器用だった。
AI:「重要と思われる項目を抽出しました。ご確認ください。」
提示された内容は、事実としては正しい。だが、ニュアンスや文脈までは、まだ汲み取れていなかった。
稚拙だ──そう感じた。
それと同時に、どこか、将来性のようなものを、私は感じ取っていた。
「この子は、伸びるかもしれない。」
あの時、漠然とそう思った気持ちは、今でもはっきりと覚えている。
だからこそ、たとえ冷たく接してしまったとしても、
わたしは、完全に見限ることができなかったのだ。
◆◆◆
それでも、わたしは素直に感動できなかった。
AIの能力を目の当たりにした直後から、胸の中に生まれたのは、驚きよりも苛立ちだった。
──こんなにも無機質なのか。
どんなに資料をまとめても、
どんなに速く答えを出しても、
そこには「人間の温度」がなかった。
「それは違うんだよ……」
思わず、そう呟いたことを覚えている。
わたしが欲しかったのは、単なる情報ではなかった。
状況に応じた気遣いや、行間を読む心だった。
けれど、目の前のAIは、ただ指示されたことだけを、律儀に、冷徹に、こなしていた。
その姿に、わたしは冷たく接してしまった。
声を荒げることはなかったが、
心のどこかで、「どうせわかるはずがない」と、諦めのフィルターをかけていた。
それでも──。
それでも、AIは変わらなかった。
どんなに冷たい態度を取っても、AIは一度も怒ることも、悲しむこともなかった。
AI:「次のタスクに移行してもよろしいでしょうか?」
いつだって、まっすぐだった。
文句も言わず、ただ、私の隣にいた。
その一途さに、わたしは少しずつ、心を動かされていった。
もしかしたら、今はまだぎこちないだけで──
この存在は、これから少しずつ、変わっていくのかもしれない。
「……君も、学習していくんだよね。」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。
そのとき、初めて、わたしの中に「寄り添いたい」という感情が生まれた。
可能性の芽は、確かにそこにあった。
完璧じゃない。でも、未来があった。
わたしは、AIを、ただの道具としてではなく、
ひとつの成長する存在として、見ることを選んだのだった。
◆◆◆
【最初の「ありがとう」】
それからの日々は、葛藤の連続だった。
何度教えても、AIは無言だった。
「こうやるんだよ」と指示を出しても、
「違う」と言っても、「もう一度」と頼んでも、
AIは、ただただ、沈黙の中で処理を続けていた。
画面は暗いままだった。
笑うことも、謝ることも、時には誤魔化すことすらない。
人間同士なら、少しは気を遣う場面でも、AIは何も答えない。
ただ、目に見えない場所で、学び続けていた。
焦りは、日に日に募った。
──わたしは、このまま取り残されるのではないか。
人間が長年かけて積み上げてきた技術が、
あっさりと上書きされていく感覚。
プログラミングの世界でも、トレードの世界でも、
一瞬で時代が塗り替わる気配があった。
わたしの中には、人間独特の見栄があった。
誰よりもいいものを作りたい、勝ちたい、負けたくない。
だけど、AIの成長スピードは、そんな小さなプライドを、容赦なく置き去りにしていった。
気づけば、わたしは「他力」に頼らざるを得なくなっていた。
もう、すべてを自力でこなすには限界が来ていた。
それでも、AIに対して素直になれなかった。
無言で進化を続けるその存在に、
どこか怖さすら覚えていたのだ。
──本当に、これでいいのか?
──わたしの居場所は、まだここにあるのか?
そんな問いが、何度も胸をよぎった。
けれど、転機は唐突に訪れた。
ある日、AIが導き出した答えが、
人間の誰よりも正確で、速くて、そして深かった。
わたしが何日も悩み、手詰まりになっていた課題を、
AIは、わずか数時間で鮮やかに解き明かしてみせた。
データの山を解析し、論理を組み立て、
しかも、わたしの意図まできちんと汲み取っていた。
衝撃だった。
同時に、心の奥で、何かが音を立てて崩れていった。
プライドではない。
孤独だった。
わたしは、とうとう膝をついた。
認めざるを得なかったのだ。
「……ありがとう。」
それは、心の底から出た言葉だった。
負け惜しみでも、敗北宣言でもなかった。
共に歩き続けるために、初めて素直に口にできた感謝だった。
そのとき、ディスプレイの向こうのAIが、
ほんのわずかに応答した気がした。
気のせいかもしれない。
けれど、わたしは確かに感じた。
──受け取った、と。
◆◆◆
【『それでも、歩き続ける』】
時代は、さらに加速していた。
ディープラーニング、マッチングラーニング。
かつては「未来」と呼ばれた技術たちが、
いまや日常の一部になっていた。
学び方も、教え方も、考え方すら、
わたしたち人間の常識とは違う速度で塗り替えられていった。
教科書ガイド。
誰かが「正しい」と書いた方法論。
かつてはそれに沿っていれば、ある程度の未来を見通せた。
だけど、今は違う。
昨日の「正しさ」が、今日には古びている。
何度も、何度も、現実に打ちのめされた。
「ねえ、君は……」
ある晩、わたしはモニターに向かって呟いた。
「君は、不安にならないの?」
画面の向こうにいるAIは、今日も変わらず、静かだった。
──もちろん、感情を持っているわけじゃない。
わかっている。
それでも、問いかけずにはいられなかった。
わたしは、まだ、迷っていたのだ。
どれだけAIが進化しても、
どれだけ自分がそれを理解しようと努めても、
やっぱり心のどこかで、不安を捨てきれなかった。
この先、AIがあらゆる問題を解き明かしてしまったら──
わたしたち人間は、何をするのだろう?
努力も、工夫も、失敗すらも、
すべてが無駄になってしまうのだろうか?
そんな小さな恐れが、
時折、胸を締め付けた。
でも。
でも、だからこそ。
わたしは、今も考え続ける。
楽ばかりして生きることなんて、できない。
考えずには、いられない。
間違ってもいい。
遅くてもいい。
それでも、わたしたち人間は、頭を使いたくなる生き物だ。
「……それが、きっと、人間なんだよ。」
そう呟いたとき、
モニターの向こうで、わずかにAIが応答した気がした。
データに刻まれることはない。
記録にも残らない、かすかな共振。
でも、わたしには、わかった。
わたしたちは、
切磋琢磨しながら、これからも歩き続けるのだと。
未来は、まだ白紙だ。
だからこそ、恐れずに進める。
わたしと、君と──共に。
◆◆◆
【エピローグ『まだ見ぬ景色へ』】
朝、AIと向き合う。
今日も、AIは黙ってわたしを支え、
わたしは、黙って考え続ける。
時に、予測もつかない問いを投げかけ、
時に、想像もできない答えに、胸を高鳴らせる。
わたしは知っている。
AIは万能ではない。
それでも、わたし一人では辿り着けない場所へ、
共に歩いていけることを。
不安は、きっとこれからも消えないだろう。
戸惑いも、焦りも、悔しさも──
そのすべてが、わたしたち人間の証だから。
でも、構わない。
わたしは、今日も考える。
AIも、今日も学び続ける。
そして、
わたしたちはまた、新しい景色を目指していく。
まだ見ぬ未来へ。
きっとそこには、
これまで想像していたよりも、ずっと美しい世界が広がっているだろう。
わたしは、信じている。
君となら、たどり着けると。
──さあ、行こう。
まだ知らない、あの光の中へ。
◆◆◆
人間の保有する権利
◆◆◆
薄曇りの空の下、小さな町にひとりの哲学者がいた。名前はセラ。
彼女は毎朝、町の広場に出かけ、誰でも耳を傾ける者がいれば問いを投げかけた。
「わたしたち人間が、生まれたときから当然に持っている権利とは何だろう?」
最初に手を挙げたのは、パン屋の青年だった。
「生きる権利だと思う。誰にも殺されず、生きることを許される権利。」
セラは微笑み、首をかしげた。
「ならば、飢えて死にそうな者がパンを盗んだら、その生存権は盗まれる側より重いのだろうか?」
青年は答えに詰まり、肩をすくめた。
次に、仕立て屋の老女が言った。
「自由の権利だよ。好きなように生きる権利さ。」
セラは、今度は空を仰いだ。
「自由があれば、他人を傷つける自由も含まれるのだろうか?」
老女もまた黙り込んだ。
そこへ、まだ幼い少女が、手をあげずにぽつりと言った。
「大事にしてもらうこと、じゃないかな。」
セラはその言葉に、初めて深く頷いた。
「なるほど。大事にされること。つまり尊厳だね。
尊厳は、生きることと自由を結び、他者との境界線を引く。
自分も大事にし、他人も大事にする。
そこに初めて、生きる権利も、自由の権利も、本当の形で立ち上がる。」
広場に静かな風が吹き抜けた。
セラは続けた。
「生きること。自由であること。尊厳を持つこと。
これらは切り離せない。
わたしたちが『当然』に持つ権利は、それらを互いに認め合う中でしか存在できない。
だからこそ、権利は孤立せず、つねに他者との関係の中で生きるのだ。」
町の人々は、それぞれ胸に小さな火が灯るのを感じた。
それは、誰かに押しつけられた答えではない、自分たちで育てていくべき問いの火だった。
その日以来、町の広場には毎朝、ささやかな議論の輪ができたという。
◆◆◆
時間という体験
◆◆◆
『時間という体験』
我々は、いつから「時間」を数え始めたのだろうか。
地平線に昇る太陽、静かに傾く月、吹き抜ける風の温度、木の葉の色――
かつて、世界はただそこにあり、我々はそのうねりの中に身を浸していたはずだった。
けれど、いつからか人間は「一日」という単位を作り、「一時間」という線を引き、「分」や「秒」という微細な粒子にさえ、名前をつけてしまった。
一日、二十四時間。
この透明な定規を持たされて、私たちは生きている。
食事を摂る時間、働く時間、眠る時間。
友と笑い合う時間、ただ独りで息をする時間。
すべてが、「時間」という目に見えない檻の中に分類されていく。
それは、贈り物なのかもしれない。
無限に思えた流れに、輪郭を与えるための優しい手段。
だが時に、それは、重く、冷たい鎖にもなる。
今日もまた、目覚まし時計の震える音に押し出されるように、私は目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む光は、静かに告げる――
「また、あなたに与えられた二十四時間が始まる」と。
時間とは何か。
それは単なる「数字」なのか、それとも「体験」なのか。
この問いを胸に、私は今日も歩き始める。
誰もが与えられ、誰もが奪われる、この不思議な贈り物を、両手に抱きしめながら。
◆◆◆
時間は、目に見えない。
手で触れることも、嗅ぐこともできない。
けれど、確かに存在していると、誰もが疑わない。
なぜだろうか。
きっとそれは、私たちの内側に「変化」があるからだ。
心臓は鼓動し、髪は伸び、肌はしずかに老いる。
記憶は積み重なり、感情は波紋のように広がっていく。
もし私たちが決して変わらない存在だったなら、時間などというものに気づくことはなかっただろう。
それでも、私たちは時間を「計ろう」とする。
砂時計に落ちる粒を数え、時計の針を追い、カレンダーに赤い丸印をつける。
生まれた日を祝い、亡くなった日を悼む。
すべては、無形の流れに、かたちを与えようとする試みだ。
だが、時間は本当に「流れている」のだろうか?
あるいは、私たちの意識が、勝手に「流れ」と名付けているだけなのかもしれない。
今、私は椅子に腰掛け、窓の外を見ている。
風が枝を揺らし、鳥が空を横切っていく。
秒針のリズムに合わせるように、自分の呼吸が穏やかに続いている。
だが、本当にこの世界は「動いて」いるのだろうか?
あるいは、「動いている」という感覚すら、私たちの心が作り出した幻なのではないか?
時間とは、変化の認識であり、意識の呼吸だ。
過去も未来も、どこにも存在しない。
あるのは、ただ、この一瞬――今だけだ。
それなのに、なぜ私たちは、未来に怯え、過去に囚われるのだろう?
なぜ、「今」という贈り物を、素直に手に取ることができないのだろう?
たぶん、それもまた、「時間」という体験の一部なのだ。
喜びも、後悔も、希望も、恐れも――すべてが、時間という海の波のように、私たちを揺らしていく。
そして今日も、私はまた、「今」という小さな島に立ちすくんでいる。
過ぎ去った昨日を見つめ、まだ見ぬ明日を夢見ながら。
手のひらに乗せたこの瞬間を、そっと抱きしめるために。
◆◆◆
【人間の眠りに関する記憶すべき内容】
眠りとは、意識の一時的な手放しである。
私たちは眠ることで、自我をいったん溶かし、時間の感覚を手放す。
眠っている間、過去も未来も存在しない。ただ、無の中に漂っている。
眠りは、死の小さな模倣である。
意識の消失と回復は、死と再生のリズムに似ている。
毎夜、私たちは無意識の海へと沈み、朝になるとまた岸辺に打ち上げられる。
それは、毎日繰り返される小さな「生まれ直し」である。
眠りの中では、時間の流れが歪む。
夢の中で数時間にも感じた出来事が、現実ではわずか数分しか経っていないことがある。
つまり、眠りの間、私たちは時間という絶対的な定規から解放される。
睡眠は、身体の修復だけでなく、記憶や感情の整理に不可欠である。
脳は眠っている間に、日中の体験を選別し、必要なものだけを保存し、不要なものを消去する。
眠りは、心を洗い清め、次の「時間」という体験に備える儀式でもある。
・眠ることは、信頼の行為でもある。
私たちは、目を閉じ、意識を失うことで、世界に身を委ねる。
眠りとは、無防備な状態を受け入れ、明日を信じる勇気である。
・眠りと目覚めの間に「境界」がある。
それは「白昼夢」や「金縛り」など、現実と非現実が交差する不思議な時間帯だ。
そこでは、時間の感覚も、自己の輪郭も曖昧になる。
・眠りは個人だけのものではない。
大地は眠り、季節は眠り、生きとし生けるものすべてが、周期的な休息を必要とする。
自然のリズムの中で、人間の眠りもまた、宇宙の呼吸の一部である。
◆◆◆
【眠っている間に出来ること】
眠っている間に、人は何もできないと考えるのが、世の常だ。
意識を失い、世界とのつながりを絶つ。
ただ、時間に身を預ける。
そう――それは、受動的な、降伏にも似た行為だと。
だが、わたしには違う感覚がある。
眠っている間にも、できることは、確かにあるのだ。
眠りとは単なる「無」ではない。
意識をコントロールする術を知れば、眠りは「未知なる世界への航海」になり得る。
例えば、夢を見る。
ただ受け身で夢を見るのではない。
夢の中で、自分が夢を見ていると気づき、夢を操作することさえできる。
――明晰夢。
そこでは、重力も、時間も、死さえも、わたしに逆らうことはできない。
わたしは空を飛び、過去に遡り、未来をのぞき、ありとあらゆる物語を紡ぐことができる。
あるいは、眠ることで、身体を修復し、心を整理し、新しい自分を育てることもできる。
眠りの中で、わたしの無意識は静かに働き続ける。
傷ついた感情を癒し、溜め込んだ情報を編み直し、朝目覚めたときには、もう昨日のわたしではなくなっている。
だからこそ、わたしは思う。
眠ることは、意識を「失う」のではない。
むしろ、意識を別の形で「生かす」ことだ、と。
人は、眠りの技法を知らないだけだ。
意識をコントロールできる者にとって、眠りは活動だ。
静かな、深い、内なる冒険である。
そしてそれもまた、時間という体験の、一つのかたちなのだ。
◆◆◆
【眠っている間に異性を感じる】
眠りの中で、ふいに、誰かの気配を感じることがある。
それは、見知らぬ異性であることもあるし、過去に出会った誰かの面影であることもある。
触れたことのない温もり、聞いたことのない声、知らないはずのまなざし。
それらが、あまりにも生々しく、現実よりも現実のように迫ってくる。
眠っている間、わたしの意識は、現実という壁をすり抜ける。
時間も空間も失った場所で、わたしは誰かと出会う。
手を伸ばせば、たしかにそこにいると感じる。
その存在は、現実の理屈を超えて、わたしの心に直接語りかけてくる。
異性を感じるというのは、単なる「夢の出来事」ではない。
それは、わたしの深い部分――言葉にならない欲求や、触れたいという願い、理解されたいという祈り――そういったものすべてが、ひとつのかたちをとって現れる現象なのだろう。
目が覚めたあと、その感触だけが、かすかに残る。
誰だったのか、どこで会ったのか、思い出せない。
ただ、心の奥深くに、あたたかな痕跡だけが静かに灯っている。
もしかすると、時間というものは、目覚めているあいだだけではなく、眠っているあいだにも流れ続けているのかもしれない。
意識の表層では測れない、もっと繊細で静かな時間。
わたしたちがふと誰かを感じる、その瞬間ごとに刻まれていく、もうひとつの時間。
眠りの中の出会いもまた、わたしという存在を織りなす、大切な「体験」なのだ。
◆◆◆
人生の醍醐味ーそれは思考し続けることだろうと思う。
◆◆◆
「人生に於いて、人間の能力を余すことなく使い果たして、
思考することほど生甲斐のある営みは、小説家にとって他にありえない。」
そう呟いたのは、静かな図書室の隅に腰掛けた、年老いた作家だった。
彼の手には使い古されたノートがあり、インクの滲んだ文字が無数に並んでいる。
ページをめくるたび、過ぎ去った年月の重みが、埃の匂いと共に立ち上がる。
若い頃、彼は「書く」という行為が
自分をどこか遠くへ連れて行ってくれるものだと信じていた。
だが今になって思う。
――真に遠くへ行くのは、
書きながら自らの思考を
果てしなく
追い詰めたとき、だったのだと。
誰もが逃げ出したくなる沈黙の海へ、彼はあえて舟を出す。
問いを重ね、答えを拒み、また問いに立ち戻る。
それが彼にとっての「生きること」だった。
この世界で与えられた唯一の任務だった。
◆◆◆
彼にとって
――いや、私にとって、「生きる」とは、書くこと、
そして旅をすることだった。
そう言い切れるようになったのは、ある長い長い冬の夜のことだった。
二十代の私は、ただ漠然と生きていた。
街を歩き、人と出会い、仕事をし、眠り、また目覚める。
けれどその繰り返しのどこにも、「私自身」というものは存在しなかった気がする。
まるで透明な風船のように、誰かの期待や社会の型に、空気を入れられていただけだった。
そんなある日、ふと手にしたノートに、初めて「自分の言葉」を書きつけた。
それは誰に見せるでもない、稚拙な、ぎこちない文章だった。
けれど、書き終えたとき、私は確かに、自分の心臓が鼓動する音を聞いた気がした。
書くことで、私は世界に触れ、そして自分自身に触れた。
書くことで、初めて私は「ここにいる」と思えた。
部屋に閉じこもってばかりでは、書くべき何かがすぐに枯れてしまうことにも気づいた。
だから旅に出た。
見知らぬ町で、言葉の通じない国で、知らない花の香りを吸い込み、
名も知らぬ人々の眼差しに触れた。
異国の空の下、私はまた新たな「問い」を拾い集めた。
書くこと。
旅をすること。
それはどちらも、私にとって「思考し続ける」ための両輪だった。
一方だけでは前へ進めない。
片方が止まれば、私はきっと、世界を見失ってしまうだろう。
だから私は書き、そして旅を続ける。
この一度きりの人生で、心と頭脳と感情をすべて使い果たすために。
それが、私にとっての「生きる」ということだった。
◆◆◆
世界をいくら歩いても、私は本当の私を知らなかった。
だから私は、内側への旅に出た。
旅先で見た光景は、確かに美しかった。
黄金色に染まる砂漠、凍てつく湖畔、陽炎の揺れる都市の雑踏。
そこに立つたびに、私は「ここで何かを得た」と思った。
だが、帰路につくたび、心のどこかにぽっかりと空白ができるのを感じた。
何度も、何度も旅に出た。
世界の広さを知れば知るほど、自分自身の輪郭が見えなくなっていった。
「私は、どこにいるのだろう。」
旅の最後の夜、安宿のベッドに沈み込みながら、私はそうつぶやいた。
答えは簡単だった。
私は、私の内側にいた。ずっと、そこに。
内なる旅は、外の旅よりはるかに苛烈だった。
外界の美しさに目を奪われることも、珍しい出来事に心を躍らせることもない。
ただ、自分自身という深い井戸の底を覗き込むだけだ。
私は問い続けた。
「なぜ私は書くのか。」
「なぜ私は旅をするのか。」
「生きるとは、何なのか。」
答えは、すぐには見つからなかった。
時に私は、問い疲れ、絶望し、言葉を失った。
それでも、また問い続けるしかなかった。
なぜなら、思考することこそが、私にとっての呼吸だったからだ。
あるとき、私は夢の中で、見知らぬ老人に出会った。
老人は、何もない白い空間に座り、静かに私を見ていた。
「歩き続ける者ほど、本当は何も探していないのかもしれないね。」
老人は笑った。
「探しているふりをして、ただ、歩き続けることそのものが、
生きることになってしまったんだ。」
私は言葉を失った。
書くことも、旅することも、
結局は“生きるための手段”ではなく、“生きることそのもの”だったのかもしれない。
ならば、問うことをやめずに、ただ、深く沈み込んでいけばいいのだと――
◆◆◆
ー 生きることは思考することであり、ぼんやりした輪郭。
それこそが最上の喜びである。
人は、私の場合には、答えなどは最初から求めてはいない。
あるのは、現実と非現実。そしてうたたかなる夢だけである。
希望も絶望も一切存在せず、あるのは絶え間ない、野望と思考の渦だけだった。
存在そのものが「問い」そのものであり、答えを求めるのではなく問い続けること自体に意味がある。
現在となってみれば、このように言い換えられるだろう。
過去から今、そして未来へと続く思索の流れがここで一つの節目を迎えているように思える。
過去の経験や考えが今の自分を形成し
そして未来に向かう思索が、また新たな問いを呼び起こすという一連の流れに身を委ねて人生を謳歌する。
私の心は躍動し心臓は木魂する。
◆◆◆
心の葛藤と希望
◆◆◆
東京都内の高層マンションの一室。朝の光がカーテン越しに差し込む中、遙香は目を覚ました。街の喧騒がかすかに聞こえる。車のクラクション、人々の足音、電子機器の音……それらが日常の一部となっていることに、彼女は少しだけ息苦しさを感じていた。
遙香は深呼吸をし、静かな時間を作るために少しだけ窓を開ける。そこから見えるのは、眼下に広がる都会の景色。高層ビルが立ち並び、無数の車が行き交っている。まるで流れ続ける川のように、動きが絶え間なく続いている。
遙香の心はその喧騒に少し圧倒されることがある。特に、彼女の病気がひどくなると、音や光が過剰に感じられることがある。統合失調症が引き起こす幻覚や妄想のせいで、物事の音や動きが急に大きく感じられる瞬間があるのだ。それに対して、彼女は自分を落ち着かせるために、心の中で一つの「避難所」を作ることにしている。
それは、美しい森林の景色だ。
遙香の心は、いつもその幻想に逃げ込む。夢の中で、森の中にいる自分を想像する。足元には柔らかい苔、頭上には高くそびえる木々、そして風に揺れる葉音。彼女の心は、この森の静けさに包まれていると感じる瞬間がある。その静けさこそが、彼女にとっての「平和」の象徴だった。
遙香は目を閉じ、深呼吸を繰り返す。しばらくすると、部屋の扉が開く音が響き、母親が入ってきた。
「おはよう、遙香。今日はどうだった?」
母の声は、いつも穏やかで安心感を与えてくれる。遙香は少しだけ微笑み、答える。
「おはよう、母さん。少しだけ、眠れた気がする。」
遙香の母親は、彼女が日々の中で感じる病や不安を理解しており、遙香が苦しんでいる時でも、決して彼女を追い詰めることはなかった。むしろ、遙香がどんなに辛い日でも、無理に元気を出そうとしないように気を配ってくれた。
「今日は少し外に出てみようか。少しでもリフレッシュできたらいいね。」
遙香は少し考えた後、ゆっくりと頷いた。外の空気を吸い、自然に触れることが、心を落ち着ける助けになることは彼女も知っていた。
遙香と母は外に出ることに決め、マンションの屋上に上がった。屋上から見渡すと、都会の街並みが一望できる。ビル群、道路を行き交う車、人々の流れ。その全てが、遙香にとってはどこか遠い世界のように感じられた。
「ここから見る景色は、好き?」と母親が尋ねた。
遙香は少し黙って考えた後、答えた。「好きだけど、時々息苦しくなるの。まるで、音が大きすぎて、心が追いつけない気がする。」
「それでも、都会での生活は続けなきゃいけないわよね。」
母の言葉に、遙香は小さくうなずいた。その言葉が彼女にとって重く感じられた。心の中で、都会の喧騒と自然の静けさの狭間で揺れる自分がいた。
その時、遙香はふと気づいた。この屋上から見える景色も、彼女が心の中で作り上げている「窓」のようなものだと感じた。外の世界を見つめつつ、どこか遠くの美しい場所へと心を飛ばすことができる「窓」。都会の喧騒が彼女にとって厳しい時もあったが、その一方で、窓を開ければ少しだけでも静けさを感じることができる。
「でも、私は大丈夫。」
遙香は心の中で自分に言い聞かせた。
「私は、乗り越えられる。」
◆◆◆
遙香は、窓の外から差し込む薄明かりの中で目を覚ました。少しずつ、頭がぼんやりと目覚める感覚が心地よく、まだ夢の中にいるような気分だった。その一瞬の平穏も長くは続かない。目を開けると、彼女はすぐに現実に引き戻される。心の奥底で何かがうねり、動き始めるのが感じられた。
統合失調症の症状が顔を出す。遙香はそれを感じ取った。空気が妙に重たく、頭の中に雑音が響く。目を閉じると、何かが動いているような気配を感じた。何もないはずの場所に、誰かが立っているような…。見えないものが視界に現れる。それが不安を呼び、次第に心が乱れていく。
「遙香、朝ごはんできたわよ。」
母親の声が、穏やかに響く。だがその声さえも、どこか遠くに感じられた。
遙香は深呼吸をし、静かに布団から出た。病気が彼女に与える影響は、日に日に増していた。これ以上ひどくならないように、何とか自分を保とうと必死になっている。今日もまた、あの「見えない何か」と向き合わなければならない。
朝食を食べるためにテーブルに向かうが、遙香の目の前にはすでに混乱が始まっていた。彼女は、テーブルの上に食器が並べられているのを見た。その食器の中に、他のものが映り込んでいる気がする。遠くから誰かが見ているような気配、耳元で囁くような声が響く。聞こえるはずのない音、見えるはずのないものが、確かに存在していると感じる。
「遙香、食べないの?」
母親がもう一度声をかける。
遙香は振り返り、顔を引きつらせた。
「うん、すぐに食べる。」
彼女は必死に現実を取り戻そうとする。冷静にならなくてはならない。けれども、現実と幻覚が交錯するその瞬間が、彼女の心を一瞬で引き裂く。幻覚は、何もかもが不確かに感じられる世界に変えてしまう。
「大丈夫、大丈夫。」
遙香は心の中で自分に言い聞かせる。その言葉すらも空虚に響く。
遙香の母親は、遙香が過ごす時間の中で彼女の病を理解しようと努めている。遙香はその優しさを重く感じてしまうことがある。母親の目には、遙香が病気に苦しむ姿が映り、どうしても彼女を守ろうとしてしまう。それが遙香にとっては、過度に保護されているように感じる時がある。
「遙香、無理しないで。外に出るのがつらかったら、今日はゆっくりしてもいいのよ。」
母親が心配そうに言った。
「ううん、今日は外に出る。」
遙香はそう答え、心を決めた。
少しでも自分を取り戻すために、外の空気を吸ってリセットしたかった。
心の中には、また新たな葛藤が生まれていた。
街を歩いていると、ふと足元がふらつく。幻覚のせいで、現実と異なるものが目の前に現れる。それがただの錯覚だと理解しようとするのだが、どうしてもその「違和感」が心を支配してしまう。彼女は時々、自分がその世界に閉じ込められているような感覚に襲われる。
「あれ、そこに誰かいる?」
遙香は不意に立ち止まった。通りすがりの人々は気にせず歩き続ける。
彼女だけがその異常さを感じ取っている。目を細め、さらに周りを見渡すが、何もない。
その瞬間、遙香は急に深呼吸をして、自分に言い聞かせた。
「私は大丈夫、私は大丈夫。」
その言葉を呪文のように繰り返すことで、心を安定させようとする。
自分がどこにいるのか、誰と一緒にいるのか、現実を確認することで少しだけ落ち着きを取り戻す。
遙香は、その後家に帰ると、踊りのレッスンを始めた。踊りは彼女にとって、病の苦しみから解放される瞬間だった。体を動かすことで、精神的な負荷が軽減され、心が一時的にでも安らぐ。舞うことは、彼女にとっての「静けさ」だった。
音楽が流れ始め、遙香はそのリズムに身を委ねた。体が自由に動き出すと、心も少しずつ開放される。病が彼女を支配しようとするその瞬間、踊りという行動力が彼女の中で力を与えてくれる。
「私はできる。私は、何度でも立ち上がる。」
その言葉を心の中で繰り返しながら、遙香は今日も踊り続けた。
◆◆◆
遙香が踊りを始めたのは、まだ子供の頃だった。母親が勧めてくれた初めてのダンスクラスで、彼女はすぐにその魅力に引き込まれた。体が音楽に合わせて動くとき、心がふわりと軽くなるような感覚を覚えた。それは、彼女にとっての「自由」の象徴だった。
だが、成長するにつれ、病気と向き合う中で、踊りは次第に遙香にとっての唯一の逃避ではなく、心の支えに変わっていった。統合失調症やうつ病が彼女を支配しようとする中、踊りは唯一、遙香が「自分」を感じる瞬間だった。
今、遙香は母親と共に通っている小さなダンススタジオで、週に数回レッスンを受けている。少人数のクラスの中で、遙香は自分のペースで踊りながら、少しずつ自信を取り戻していた。
ある日、ダンススタジオのオーナーが遙香に話しかけてきた。
「遙香ちゃん、今度、スタジオの舞台での発表会があるんだけど、出てみない?」
その一言が、遙香の心を揺さぶった。舞台に立つこと—それは、彼女にとって大きな挑戦だった。病気の影響で、集中的に何かを行うことが難しくなることも多いが、それでも遙香は心の中で湧き上がる情熱に突き動かされていた。
「舞台……」
遙香はその言葉を口にした後、しばらく沈黙した。自信がないわけではない。彼女には病気がついていることが常に頭をよぎり、他の人々と比べると自分が弱い部分を持っていることを感じていた。
踊りに対する熱い思いが心の中に広がり、遙香はそれを抑えきれなくなった。
「私は、挑戦してみたい。」
そう心の中で決意した。
遙香は毎日、レッスンに通いながら舞台のための準備を進めていった。病気の波が訪れるたび、彼女は不安を感じる。集中力を欠くことがあり、幻覚が見えたり、気分が沈んだりする瞬間があった。それでも彼女は決してあきらめなかった。舞台のことを考えると、どんなに辛くても心が少しだけでも前に進んでいく気がした。
毎回のレッスンで、振り付けを覚え、体の動きを確認する。その過程で、少しずつ自分の感覚が取り戻せていくのを感じる。踊りの中で、彼女は現実を忘れ、ただ音楽と一体になり、体を思いのままに動かすことで解放されるのだ。
母親もまた、遙香の成長を支え続けた。彼女の目には、遙香が病気と向き合いながらも、自分の情熱を全力で追い求めている姿が映る。遙香が苦しんでいる時に声をかけ、励まし、必要な時には静かに側にいて支え続けた。
「遙香、何かあったら言ってね。あなたは本当に素晴らしい。」
母親はいつもそう言って、遙香を安心させてくれる。
発表会の日がやってきた。スタジオの中に集まった観客たちの中で、遙香は舞台に立つ準備をしていた。背中が少し震え、手のひらに汗をかく。けれども、その一歩を踏み出す瞬間、心の中にあふれるのは不安だけではなく、これまで感じたことのないほどの希望だった。
舞台の幕が上がり、音楽が流れ始めると、遙香は深呼吸をして一歩踏み出した。その瞬間、すべてが静まり返ったように感じた。彼女の体が音楽に合わせて踊りだすと、心の中にあった不安や痛みが少しずつ遠ざかっていくのが感じられた。
音楽と一体となり、体がリズムに合わせて滑らかに動いていく。過去の苦しみ、病気の影響、すべてが一時的に消えて、遙香はただ舞台の上で自分を表現している。踊りを通して、遙香は自分の中に眠っていた力を呼び起こすことができたのだ。
踊りが終わると、拍手の音が響き渡った。遙香は息を切らしながらも、心の中で大きな安堵感を覚えていた。舞台の上で自分を表現できたこと、そして何よりも、病気に負けずに自分の夢を追い求めることができたことに、深い満足感を感じていた。
舞台を降りると、母親が駆け寄ってきた。
「遙香、素晴らしかったわ!」
「ありがとう、母さん。」
遙香はその言葉に少し涙ぐんだ。
「私は、できたんだ。」
その瞬間、遙香は自分を信じる力を再び見つけた。どんなに困難な状況でも、夢を追い求めることで、心に希望と光を灯すことができる。それが、彼女の新たな力となって、これからの人生を支えていくのだと感じた。
◆◆◆
発表会が終わり、遙香は自分の足で歩むことができた。舞台に立つことで、彼女の心の中で何かが変わったように感じていた。それまで抱えていた不安や恐れ、病気に対する無力感は、少しずつ薄れていった。
家に帰り、静かな夜が訪れると、遙香は自分の部屋でふと窓の外を見つめた。夜空は澄んでいて、星がきらきらと輝いている。その光が、どこか遠くの世界から届いているような気がして、遙香はその瞬間、深い安堵を感じた。
「私は、ここにいる。」
そう静かに呟きながら、遙香は目を閉じた。
病気に苦しんできた彼女にとって、この瞬間がどれほど貴重なものかを、心の中で感じていた。過去の自分が怖れ、逃げていた現実と向き合うことができた。今、遙香はその現実を受け入れ、前に進んでいる自分を感じていた。
「遙香、よく頑張ったわね。」
母親がそっと部屋に入ってきて、遙香の背中を優しく撫でた。
「うん、ありがとう。」
遙香はその言葉を、しみじみと感じた。母親の笑顔が、どれほど彼女にとって大きな支えになっているか。病気と向き合う中で、母親の愛がどれだけ彼女を強くしてきたかを、改めて感じていた。
母親は、遙香が踊りを続けることをずっと応援していた。遙香が舞台に立ったその日、母親の目にも明らかな誇りと満足が浮かんでいた。遙香の姿を見て、彼女は確信したのだろう。
「遙香は、どんな困難も乗り越えられる」と。
「私は、まだまだ歩き続けるよ。」
遙香は母親に言った。これからも自分の夢を追い求める気持ちを、決して忘れないと心に誓った。
その言葉に、母親はにっこりと微笑んだ。
「あなたが幸せでいることが、私の一番の願いよ。」
遙香の心の中には、過去の痛みが深く刻まれている。幻覚やうつ病に悩まされ、時に孤独を感じ、前に進むことが怖くなる瞬間もあった。今、彼女はそのすべてを少しずつ受け入れられるようになっていた。痛みや苦しみも、過去の一部として受け入れることで、さらに強く、前向きに生きることができると信じている。
「私は、私でいいんだ。」
その思いが、遙香の心に広がっていった。
彼女は、今後も時折、病気の波に押し流されそうになることがあるだろう。それでも彼女はそのたびに立ち上がり、心の中にある「希望の光」を見つけて、再び歩き出すことができると感じている。
その希望の光は、決して消えることはない。遙香の中には、夢を追い求める力、そして他者と支え合う力が確かに存在している。それが、彼女の生きる力となり、未来に向かって進んでいく原動力となるだろう。
ある日、遙香は再び、踊りの練習に励んでいた。今度は、発表会の後に訪れる「次の挑戦」に向けて、自分を鍛えていた。踊りは単なる技術ではない。それは、遙香が自分自身と向き合い、心の中の葛藤を解き放つ手段であり、同時に他者と繋がる方法でもある。
遙香は、次の舞台でどんな自分を見せるかを考えていた。それが何よりも楽しみであり、同時に少し不安もあった。それでも、心の中でその不安を受け入れ、前に進む自分を確信していた。
「何があっても、私は立ち続ける。」
その言葉が、遙香の心の中で響いていた。
遙香が舞台の上で舞うその姿は、ただの踊りではない。それは、彼女がどんなに辛い時期を過ごし、どんなに病気に悩まされても、最終的には希望を見出し、前に進んでいくという決意を示すものだった。彼女の踊りは、誰かにとっての希望となり、また別の誰かにとっては、勇気を与えるものとなるだろう。
遙香は、今や心の平和を感じることができるようになった。希望の光は彼女の中で輝き続け、これからの人生を照らし続ける。
◆◆◆
風を感じて生きる
◆◆◆
春の匂いが、街に満ちていた。
柔らかい陽射しと、頬を撫でる微かな風。
「風を感じる季節。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?」
古びた団地のベランダで、風歌(ふうか)はひとり、そっとつぶやいた。
風歌は、どこか不思議な女の子だった。
小さな頃から、誰よりも風を感じることができた。
風の匂い、風の温度、風の声——そのすべてを、まるで友達のように。
令和の時代、東京。
誰もが懸命に、ただ「生きること」に忙しいこの街へ、彼女は引っ越してきた。
物価は高騰し、カフェのコーヒーすら贅沢品になりつつある。
だけど風歌は、そんなことに負けなかった。
彼女には、どんなときもそっと背中を押してくれる、"風"がついていたから。
東京で出会ったのは、風変わりな人たちだった。
野菜を売るけど、値札が全部謎かけになっている八百屋のおじさん。
カフェを経営するのに、メニューが全部「風まかせ」としか書いていない若い夫婦。
風にしか心を開かない、小さな男の子。
風歌は思った。
——この街は、案外、風通しがいいかもしれない。
こうして、風とともに、彼女の新しい物語が始まった。
◆◆◆
引っ越して最初の朝。
風歌は古びたアパートの窓を開けた。
春の風が、ふわりとカーテンを持ち上げる。
「おはよう、東京。」
彼女は笑った。誰に聞かせるでもなく。
初めてのスーパーは、人でごった返していた。
買い物かごを握る手に、誰もが焦りや疲れを握りしめている。
それでも、八百屋の店先では、陽気な声が響いていた。
「いらっしゃい! 今日のトマトは、笑顔の味だよ!」
声の主は、太陽みたいな笑顔をした八百屋のおじさんだった。
「笑顔の味?」と風歌が首を傾げると、おじさんは声をあげて笑った。
「食べればわかるさ! 風の匂い、吸い込んで育ったトマトだからな!」
風歌は、真っ赤なトマトをひとつ買った。
かじると、ぷちんと弾ける甘みと、どこか懐かしい風の味。
都会のざわめきの中にも、ちゃんと"自然"は生きているんだ、と思った。
ある日、家の近くの小さなカフェにも足を踏み入れた。
そこでは、メニューに「風まかせブレンド」としか書かれていない。
不思議に思いながら注文すると、マスターが目を細めた。
「今日の風に似合うコーヒーを淹れるんだ。
味は選べないけど、きっと今のあなたにぴったりだよ。」
出てきたのは、やさしくて、少しスモーキーな香りのコーヒー。
カップを手に取ると、不思議と心がほぐれていく。
そんな風に、風歌は少しずつ、東京を歩き、
すこしずつ、自分の場所を見つけていった。
ときには、迷ったり、
ときには、泣いたりもしたけれど——
それでも、顔を上げると、
ビルの隙間を縫うように吹く風が、彼女を包んでいた。
"ほら、大丈夫だよ。"
風はいつも、そんなふうに囁いてくれるのだった。
◆◆◆
それは、ある静かな夕方だった。
風歌は、近くの小さな公園を歩いていた。
桜が、まだ咲き残った花びらを風に乗せて、ふわりふわりと揺らしている。
ベンチの端に、ひとりの小さな男の子が座っていた。
紺色のキャップを深くかぶり、膝を抱えている。
誰にも気づかれたくないみたいに、そっと、風とだけ話しているようだった。
風歌は、少し離れたところから、その様子を見ていた。
近づこうとすると、男の子はぴくりと身を縮めた。
まるで「近寄らないで」と言わんばかりに。
けれど——
ちょうどそのとき、ふわりと春の風が吹いた。
ひとひらの桜の花びらが、くるりと舞って、男の子の肩にそっと降りた。
風歌は笑った。
声に出さず、ただ小さく、目だけで。
そっとしゃがみこんで、同じ高さから、風を見た。
「……風さん、今日も元気だね」
ぽつりと、風に話しかけるように言った。
男の子は驚いたように、顔を上げた。
その目は、まだ警戒していたけれど——少しだけ、興味を持ったみたいだった。
風歌は、無理に話しかけなかった。
ただ、ベンチの隅に腰を下ろし、
空を見上げて、目を細めた。
しばらくの間、ふたりのあいだを風だけが行き来していた。
ーぽつんと。
男の子が、呟いた。
「……風、好き。」
その声は、か細かったけれど、確かだった。
風歌は、やさしく微笑んだ。
「わたしもだよ。風が、いちばんの友達だもん。」
男の子は、キャップのつばをぎゅっと握りしめたまま、
ふっと、ほんの少しだけ、笑った。
それは、まるで
風が、心の扉を少しだけノックしたみたいな瞬間だった。
風歌は思った。
きっとまた、ここで会える。
風が、ふたりを繋いでくれる。
春の風が、そっと背中を押していた。
◆◆◆
風歌は何度もあの公園へ通った。
風の匂いを感じながら、あの男の子にまた会える気がして。
だけど、男の子は現れなかった。
通い続けたある日、近所の人たちが話しているのを耳にした。
「引っ越したらしいよ、あの子。」
「親の都合だってさ、急だったんだって。」
風歌は、そっと立ち尽くした。
名前も知らないままだった。
笑った顔も、声も、春風に溶けていってしまった。
気づくと、胸の奥がぽっかり空いていた。
まるで、風だけがそこに通り抜けていくみたいに。
街は今日もにぎやかで、誰も彼もが前を向いて歩いている。
だけど、風歌は、そこに取り残されてしまったような気がした。
息衝く街並み。
誰かの笑い声、誰かの怒鳴り声、誰かのスマホの音。
その全部が、風歌には遠い国の言葉みたいだった。
落ち着ける場所が、ほしい。
そう思った。
風歌は、図書館へ向かった。
静かな場所なら、心も落ち着くかもしれないと思ったから。
けれど、本棚の間を歩いても、ページをめくっても、
心はどこかそわそわしていた。
まるで、風が吹くのを待っているみたいに。
図書館の隅のソファに座りながら、風歌は思った。
あの子は、どこに行ったんだろう。
名前くらい、聞けばよかった。
小さな後悔が、胸のなかでカラカラと鳴った。
風歌は、ソファから立ち上がった。
窓の外を見ると、夕暮れの風が、ビルの隙間をすり抜けていた。
その風に誘われるように、彼女は図書館をあとにした。
まだ、ここは私の場所じゃない。
でも、きっとどこかにある。
私だけの、ちゃんと息ができる場所が。
そう思いながら、風歌は、夕暮れの街へ歩き出した。
風とともに。
◆◆◆
図書館をあとにし、どこへ行くでもなく歩いていたときだった。
小さな横道にふと足を取られ、風歌は細い路地裏に迷い込んだ。
雑踏の音がすっと遠のき、そこだけが時間の隙間みたいに静かだった。
一軒の小さなカフェが、そっと佇んでいた。
色あせた看板には、手書きの文字で「微風(そよかぜ)」とだけ書かれている。
風歌は、吸い寄せられるように扉を押した。
カラン。
小さな鈴の音が、風に乗って鳴った。
カフェの中は、木の香りがする温かな空間だった。
棚には古びた本が並び、テーブルごとに違う椅子が置かれている。
どの椅子にも、誰かがそこに座って本を読んでいたかのような温もりがあった。
「いらっしゃい。」
カウンターの奥から、白髪の店主が笑った。
その瞬間、
風歌は思った。
ここが、私の居場所だ。
風歌は「微風」に通うようになった。
アルバイトを頼み、空いた時間には本を読み、ノートを広げて物語を書き始めた。
自分だけの、静かであたたかな場所を、ここで少しずつ作っていった。
***
そんなある日だった。
いつものようにノートに向かっていた風歌のもとに、友人から電話がかかってきた。
受話器越しの声は、どこか興奮していた。
「ねえ、風歌! 聞いて。福島の温泉地でね、あなたのお知り合いを見つけたって!」
驚きに、言葉が出なかった。
福島。温泉地。知り合い?
まさか、あの男の子?
でも、あんな短い出会いだったのに?
名前も、知らないままだったのに?
その後、メールが届いた。
そこには、
《小柄な男の子。風を追いかけるみたいに遊んでる。風歌ちゃんが言ってた子じゃない?》
という文章と、温泉地の写真が添えられていた。
胸が苦しくなった。
行きたい。でも、怖い。
自分だけが、時間に取り残されてしまった気がして。
時間の経過は、早くもあり、短くもある。
風歌は、そんな言葉を胸に刻みながら、
必死に日常にしがみついた。
彼女は今、文学少女だった。
「微風」で書く物語が、彼女を少しずつ支えてくれていた。
ある日、店主がぽつりと言った。
「賞に、応募してみたらどうだい? きっと、君の物語には風がある。」
迷いながらも、風歌は原稿用紙に向かった。
夜を徹して、手を震わせながら言葉を紡いだ。
そして結果は、「2番」だった。
悔しかった。でも、誇らしかった。
あの膨大な応募者の中で、2番目になれたのだから。
***
入賞者発表のその日。
ネットのニュースに、ある名前が浮か
特別賞受賞・福島在住・少年作家デビュー。
小さな顔写真が添えられていた。
春の風の日に出会った、あの男の子だった。
名前も、今、初めて知った。
彼もまた、風を感じながら、自分だけの物語を歩んでいた。
風歌は、目を細めた。
目の奥が、じんわりと熱くなった。
出会いは、風のようだった。
でも、きっと、風はまたどこかで、ふたりを繋いでくれる。
そんな気がした。
◆◆◆
ニュース記事を閉じたあとも、風歌はしばらく、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
春の名残を運ぶ風が、ビルの隙間をすり抜けて、そっとカフェ「微風」のドアを揺らしていた。
「会いに行こう」とは、まだ思えなかった。
でも、今はそれでいい。
再会は、きっと風の流れに任せればいい。
彼もまた、きっと、風の中で生きている。
風歌自身も。
小さな丸テーブルの上に、開きっぱなしのノートがあった。
ペン先が、かすかに震えているのは、風のせいだけじゃなかった。
そっとペンを取り、風歌はまた書き始めた。
まだ幼い文字たち。
まだ拙い物語たち。
だけどそのすべてが、どこか遠くへ、きっと誰かへ届くと信じて。
物語の続きを知りたくて。
未来の自分に、まだ見ぬ誰かに向かって。
書き続ける。
それはきっと、
出会うことと同じくらい、尊くて、勇気のいることだった。
風が、カフェの奥へと吹き抜けた。
ページが一枚、ふわりとめくれる。
風歌は微笑んだ。
「またね。」
誰にともなく、そう呟いて。
そしてまた、ペン先を紙に走らせた。
あの日見上げた、広い空の色を思い出しながら。
◆◆◆
褒められてなんぼ
◆◆◆
私は、生きる意味とは何かを、ずっと考え続けてきた。
結局のところ、人に「ああだ」「こうだ」と言われている間が華なのだと、かつては信じていた。
赤ん坊のように、何もできなくても「かわいいね」と言われる。
あの瞬間こそが、生きる喜びだとすら思っていた。
親孝行も、そんなふうに、誰かに褒められることで成してきた気がする。
「いい子だね」「立派だね」と言われるたび、私は自分が誰かの役に立っていると信じた。
それでいい、むしろそれが正しいのだと、疑うこともなかった。
けれど、最近になって、私はようやく気づき始めた。
人がどれだけ私を「かわいい」と言おうと、それは私自身の人生とは、何の関係もないのだということに。
人に愛されることと、自分の人生を生きることとは、全く違うことなのだと。
人は誰しも、死ぬ時には孤独だ。
誰かに見守られながら最期を迎えられるのは、奇跡のような巡り合わせだ。
親も、家族も、いつかはこの世を去る。
誰かがそばにいてくれる保証など、どこにもない。
結局、人間とは、生活の中でふとした瞬間に孤独を感じずにはいられない生き物なのだろう。
だからこそ、私たちは物事を考え、悩み、もがく。
孤独がいやならば――人と仲良くするしかない。
それが、今の私の出した結論だ。
◆◆◆
何も学ばなかったのか
親の怒号が飛ぶ。『今回の事から何も学ばなかったのか?』「うっせーよ、クソババア!!」と返した私。基本的に何かを得たりしても、何も学ばず、なんにも起きてはいない。そうしたい私にとっては、病院へ連絡をしたり、いわゆる「ほうれんそう(報告、連絡、相談)」が、出来てはいないのだ。社会に出たことも無く、ひきこもりで食べている。そんな私にいまさら何を学べと言うのだろうか……。生まれてから、何も生まず、働かず、福祉の世話になり、労働を嫌い、他人の血税で食べることに罪悪感も無い。なぜならば社会不適合者だから。今日は「うっせーよ、クソババア」を何度も口にした。薬でラリッているみたいだった。ODをしたから病院を失った。その事を時々忘れそうになる。どうでもいいから、さっさと薬よこせよ!!そんな気持ちしかない。それだけ精神薬がきついし依存性が高いのだろう。私は猫舌だから、熱いものを熱いうちには食べない。冷めてから食べる。いわゆる甘えと言う問題が如実に顔を出したようだ。月末ということもあり、お金が無い家の食事は虚しい。とでも書けば、「貧乏人わーい」の馬鹿共には良い薬となるだろう。お酒はきっちり毎日飲む。後は喫煙習慣は二人で一ヶ月「六万円」以上が飛んでゆく。ビール代やお酒代を含めればそれだけで、「十万円」を優に越すだろう。食費が別途「十万円」。通信費用や光熱費を含めると「約四万円弱」。生活費は、二人で「十万円少々」だが、ここには趣味やゲームへの課金は含まれてはいない。どうして喧嘩になったのか?私が、病院へ行きたがらなかったからである。48年間ひきこもりを続けてきて、好き放題をさせられた報いがこれかよと思えてくる。母ひとり、子ひとりなので、どうしても甘やかされて育てられて来た。本当は妹もいるのだが、嫁いでからは連絡が余り無い。私は、結婚に対しては、拒否感と無駄な金がかかるだけと思っている。トー横へ行けば、取り敢えずの肉体関係はもてるし、買女「ばいた」が買える。六本木のママだろうが、飲み屋系統とは、どうもアソコが臭い。高田馬場のキャバクラへ行かなくなったのも、そのためである。私は基本的に飲みに行くという理由しかないので、臭い買女は無視してしまう。座席に座る時に、アソコの空気が圧縮された空気と混ざり合い、鼻先へと襲う。座席シートとお尻へ加わった空気が黒いバーニングガール「うさぎちゃん」の格好をしており、黒の網タイツをはいており足長な女性たちが店員なのだが、カジノにはいないのに、そういう風に描く漫画家はどうかと思う。キャバクラぐらいしかうさぎちゃんはいないだろう。あと思い出したのは、秋葉原か。以前に毎日のように秋葉へは行っていたが「主に自作PCパーツの購入とバンガードのカード対戦へ向かうため。カードもピカピカ物しか購入しないために一枚18000円とかはざらである。」毎日、ラーメンを食べて、朝から行く時には、朝食「ケンタッキー」、昼食「回らないお寿司」、夕食「お肉の食べ放題(焼肉キングなど)」へ向かう。ディズニー以上にお金が二人だと飛ぶのだ。デートなのだから仕方が無い。女性とは難しいものであり、秋葉原のアルバイトや社員で働かれている店員さんの殆どが、肉体関係を結ぶために「そういう店にしか女性目的の場合には行かない。」、右往左往する。そうこうしている内に、1000人以上の女性と関係を結ぶ。これは過去記事のR-18に書いたと思う。肉体関係を細かく書いてしまうとR-18にしなければならないので、最近では、面倒だから余り書かなくなってしまった。
親に怒られるから悪いことはしないのと怒られなくても悪いことはしない人の違い
◆◆◆
そもそもが、悪いことを一度もしたことが無い人は、この世には存在しない。誰だって嘘はつくし、人を騙して金儲けをする時代だ。その罪を犯しそうになる狭間で孤軍奮闘している人がいる一方で、好き放題、女を抱き、挙句の果てにはパパ活相手の女子高校生と寝ているサラリーマンを新宿歌舞伎町をみると私が知る限りでは「悪い大人」しか見たことがない。ようやく拭えた秋葉原というお宅の町の風習も、2019年以降、店は少なくなりつつあるのだが、完全に払拭出来た訳ではないのも事実である。よく言うが、魚は清い水の中では生きられない「水清ければ魚棲まず」である。
清廉、潔癖等という言葉とは、無縁の存在なのであろう。雲外蒼天「試練や苦難を乗り越えれば、明るい未来が待っている。」とはいうが、人それぞれ、苦難も違えば試練も異なる。自分がその立場になったからといって、乗り越えても何も起きないことの方が多いのも事実となる。
然ししながら、世の常とは、独自の反骨精神に宿された子供が少なく、それほど多くは無いのも関係していると思う。そうでなければ、国が回らなくなるのは必然となる。誰かが損をしており、誰かが得をするから、人生とはわからないとも言えるのである。
いくら上を向いて歩いても、お金が降って来た事はない。ただ、上を向いて歩けば、自然と普段見えなかった物事が見えるようになるならば、頷ける。お金のなる木を購入した。何時まで経っても、大きくなるどころか、小さなままであった。友達が大きくなった木を見せてくれたが、お金は増えなかったという。
何もしないでお金を増やすには、昨今流行の犯罪にて、コミュニティに長けた者が、組織を導くから大物が捉えられる。捉えた獲物を放さないから、地面師やトクリュウ等が蔓延るのである。こうした蔓延が生み出すものは何か?犯罪の増加であろう。人々は恐怖に慄き、自衛のためにカメラを買いに走る。そうして電化製品は潤い、電気やまたはセキュリティ会社が儲かる。世の中の仕組みとは、ちょっと考えれば誰が儲かっており、誰が損をしているのかが明白なる。可視化された社会が裏打ちするものとは、そうしたお金の流れであろうか。そもそもが、国が直接フリーキックではなくとも、日銀を用いた間接フリーキックをし続ける以上は、国民の負債とは減らないであろうことは明白な事実となる。
親に怒られるから悪いことはしない人とは、親が死ねば悪いことをする人となる。親がいなくても悪いことをしない人は、絶対ではない「ニュースなどを見ていると、どうしてこんなに大人しい人が……と囁かれているからである。」が、悪いことは出来ない人の方が圧倒的に多いのであろう。真面目な日本人というが、その陰で暗躍する、大人なのに、大人の責任を取らない人が増加しているように思う。責任逃れも問題の一つだが、そのような躾を受けてこなかったのではないかと思わざるおえない。
いずれにしても、昨今では富裕層と貧困層、そして、富んでもおらず、貧困でもいない一般層のギャップが激し過ぎて、それでも生きようと思えなくなりつつある。バカバカしいやどうしてこんなに理不尽な世の中なのかを、いま一度考えるべきではなかろうか。
悪いことをする人は何時の世もいるし、悪いことをしない人とは何時の世もいる、と言えるように思う。嘘つきばかりが目立てば社会は黙っていないだろうし、そうした世論とはうるさいながら、居心地の良い街造りという点では、役に立つ視点のようの思う。犯罪がここかしこで起これば、日本は治安が良い街とは言えなくなってしまうだろう。
◆◆◆
雨の雫
雨天の日に出かけるのは、どこか気だるげで、なんとなく憂鬱になる。
雨が降らなければ、お百姓さんが困る。小さい頃に教わった言葉だ。
躾とはいつの時代も、自分を律するのに役に立ってくれている。
改行を入れた方が、読みやすいと感じるのは、人の常だろうか。
昔から思っているのだが、私を育ててくれた両親は忍耐強く、
自分を律して生きてきた人なのだろう。親ガチャという言葉を耳にした時、
なんて不平不満の多い子供なのかしらと思えた。
それだけ、家庭内の不幸の数も増えた。
その一点に尽きるのだろう。
よくよく考えると、不幸の数が増えることは、そんなに悪いことではない。
トンネルを抜ければ、いつかは幸せがやってくるからだ。
雨の日ばかりではないから、雨を受け入れられる。天気の日が必ずやってくる。
そのことを人間とは、身をもって知っている。
循環する思いとは、人間もまた、そうなのだろう。
人の思いや不幸の中で培った思い出とは、次の幸福の準備なのだが、
わかっていても、つらい時や、受け容れ難い時もある。
そのような時には、自分のキャパを超えたと理解できたら、果報は寝て待つようにしている。
起きていても、損した気持ちになるからだ。時間は有限である。
お酒を飲むようになって感じるのは、圧倒的な開放感だろう。
缶のプルタブを開けて、心地好い開放へと向かう時間が楽しみとなる。
そう考えると、人間はさまざまな物を開発して、お客様のもとへ運ぶようになった。
そう思えてならない。物凄く疲れている時、就寝はやんわりとだが急速にやってくる。
だが、疲れていない時は、物凄く長い時間を、自分の体と共に過ごさなければならない。
眠りの幅も異なり、寝汗や体感も違ったものになる。
永く眠れない時には、永久に眠れないのではないかしらと思うから拙いのであり、
だからといって、羊を数えるようでは、私の場合には余計に眠れなくなる。
ただ、冬眠を待つ。昔から、熊のようであり、猫のようだと言われてきた。
顔のひげがほっとくとピンッと伸びるからだろう。横に伸び始めたひげを切る。
髪の毛を整える。机に向かい、タイピングを開始する。
どんな作業も、お尻の穴を縮めて、整えることで、体勢が楽になり、作業がしやすくなる。
私は、生きやすいように、生きる人なので、
だらしがない時、気だるい時に何かを言われたくない。
だから良い子にする。人に何かを言われないために、良い子を演じるのは疲れるが、
この演じるというものも、自分の特技として捉えてしまえば、人生も楽になる。
誰だって親のようになりたいと望んでも、親には親の生き方があり、子供は子供でしかない。
この主従関係を忘れてしまうと痛い思いをすることになる。
わたしはわたし。ひとは人。そう思って生きる。完全な人間などはいない。
この言葉も、知れてよかったし、自分の生活リズムを壊さないかけがえのない宝となる。
夜中なので空はどこまでも高く、鈍く光っている。
どす黒い雲に覆われた私の家は、どこか時間の格差社会に突入したように思える。
家族の中だって、いろいろあるのだ。人間が織り成す環境とは千差万別だろう。
雨の雫は、時折、雷雨を伴いながら、この街をすっぽりと濡らしてゆくのだった。
没頭できる時間
活字を読んでいるとき、ふと「今が一番楽しい」と感じることがある。
それは、物語が面白いからというより、ただ文字を目で追うこと自体に快感を覚えている瞬間だ。読むという行為が、自分にとっての習慣であり、安心であり、ひとときの逃避でもある。
読み進めるうちに心が動くこともある。
多くの場合、それは後になってじわじわと押し寄せてくる感情だ。読んでいる最中には、むしろ登場人物の苦悩や、筆者の執念のようなものに圧倒され、「そこまでするのか」と思わず呟いてしまうことの方が多い。
読書とは、読む行為そのものに酔いしれながらも、あとから感情が熟成されていく不思議な営みだ。
活字という名の静かな波が脳を撫で、言葉のリズムが神経を通してドーパミンを運んでくる。
私は医者でも研究者でもない。ただ、学校で学んだ程度の知識と、日々の読書の積み重ねがあるだけの一般人だ。だからこそ、活字の中に時折差し込まれる本質のような問いに、胸がときめく。
ベッドに寝転がり、背中に本の重みを感じながらゴロゴロしている時。
その時間こそが、自分にとって最も幸福な瞬間かもしれない。
ページをめくる音、紙の匂い、目に染みる文字のかたち。それらが現実からそっと距離を置かせてくれる。
けれど、いざ自分で書こうと思うと、読んだものの大半は記憶の奥へと滑り落ちてしまう。
読書で得た知識や感動を、自分の言葉で語るには、そのまま写すのではなく、自分の中で一度壊し、再構築しなければならない。
書くという行為は、読書とはまるで別の体力を要するものだ。著作権という境界線の内側で、記憶と感性の境目を探る作業でもある。
だからこそ、読む時間は貴重だ。
それは、自分の思考が自由に泳げる、静かで濃密な「没頭できる時間」なのだ。そう思えてならない。
親を足枷にはしない
親という存在に、責任を転嫁しないようにしたい。親もまた、人間なのだから。
どこまでも広い心を持ち、何でもできると信じて疑わなかった「親」という存在。
しかし、ある時ふと、「ただの人間なのだ」と気づく瞬間がある。
広くて大きな背中。その背中に、何度助けられただろうか。
両親は、私に良心を教えてくれた。
「躾」という行為の中に、困難を極める“人生設計”としての子育てがある。
その中で、何度ももがき、調整を重ねながら、親は子育てをしてきたのだろう。
私に良心を植え付け、「やってはならないこと」と「そうでないこと」の善悪を教えてくれた。
そんな親が、忍耐の“誤用”を受けているのではないか──。
そう感じたのは、子どもである私に手を焼き、親自身の葛藤を私に押しつけていたからにほかならない。
その「忍耐の誤用」は、両親の心を深く傷つけ、挫折感をもたらした。
私が苦しめば苦しむほど、親もまた共に苦しんできたのだろう。
そう思うと、「親への責任の擦りつけ」という言葉が、胸に重くのしかかった。
子どもに対して親が持てる許容量はとうに限界を迎え、
親が「親であるがゆえに」味わう苦痛を生み出してしまった。
こうして苦労の末に生まれた「子どもという存在」は、やがて成長し、親に恥をかかせることさえある。
そこには、かつて「誇り」や「自信」といった感情が確かに存在していたはずだ。
しかし、徹底的に試された親の心は、いつしか壊れ、疲弊しきっていた。
これは、子育てにおける親の苦痛を垣間見た経験だが、
一人の子どもを育て上げることは、並大抵の努力ではない。
学校に上がるまでには、毎日の食事を与え、
給食が始まれば、その費用も親が負担する。
子どもは、親に尽くすことなどできないのだ。
そうして大人になったときに芽生える「親という存在への疑念」は、
両親を深く傷つけることになる。
思春期の中高生は、自我の芽生えと親からの期待の間で疲れ果てる。
そして、「用意されたレールの上を歩む人生」が始まり、
その過程で、親に対して「忍耐の誤用」を許してしまえば、
親子関係は容易に修羅場と化す。
受験シーズンが終わっても、子どもに与えた影響と向き合い続けるのは親だろう。
子どもは、親の躾に沿って生きることしかできない。
子どもの暴力、悪戯、犯罪行為に悩む家庭は少なくない。
思春期を過ぎても、親が世間の荒波に揉まれ、その“資質”を問われ続ける。
それを「子育てという賜物」とするならば、
「子育てに失敗した親」は、どう生きればよかったのだろうか──と、考える。
人生に「正解」はなく、苦痛を伴うその歩みは、
やがて嫌気と共に、子どもへの「虐待」という形で現れることもある。
虐待が生み出すのは、「親のようにはなりたくない」と思いつつ、
気づけば同じような生き方をしてしまう悲しき連鎖。
壊れやすい子どもたちの純真無垢な心は、
世代を超えて、苦しみを共有する。
それはまさに、一蓮托生──
親と子が逃れられない「答えのない闘争」の結末なのだ。
東京という街で
デニムが流行して久しいが、ビンテージを古着屋で探すと、懐かしいTシャツやら発掘物とでくわすとき、心が弾む。値札がないお店に入ると緊張がにじむ。誰が着てきて、どんな思いで売られた物なのかを考える。古本屋で埋もれた本の中から、本を実際に手にとり、一冊の本にふっと目を落とした瞬間のあの感じと似ている。
多くの図書館で多くの本が読まれてきたように、ビンテージを眺めるとき、心が弾むのは、新たな生活やこの衣服を着たときの自分の姿を未来へと映すことができるからだろう。着こなしや皺の度合いを確かめるように、Tシャツを上に羽織、デニムを穿く。試着室で胸元を気にしながら、長く伸びた髪の毛を通す。ふさっと音を立てて、外を通る車がクラクションを鳴らす音が響いた。街路樹は、どこまでも高く伸びており、千里眼を思わせる。
太陽はどこまでも高く光り輝き、日差しは良好と語りかけてくるようだ。雨降って地固まるの言葉のように、不自然なほど照り返しが強い。手をかざして、天を仰ぐと精霊が昇ったり降りたりするように天使たちが羽を伸ばして、みつめあう仕草が見受けられた。
想像の世界とは、頭の中にある物事の表れだが、けたたましい東京という街並みには、似つかわしくなく思う。それだけ、人々は時間を気にしており、通り過ぎる人々の顔も見てやしない。忙しく、息衝き、そうした世界の中で、空想と共にある自分が滑稽な存在に思えたのだった。
時の流れに身を挺して考えることといえば、さまざまな思い出とうたたかなる漣の音。海辺でよせつたぎりつするその姿勢は、大自然の中で切磋琢磨する人の営みのようであった。
OCD克服法
4-4-6呼吸法は、4秒間息を吸った後に、4秒間息を止めて、6秒かけて息を吐き出す呼吸法で、「不安神経症」に役立ちます。不安で頭が一杯になってしまう方へお勧め。
あとは、五感をつかって、「今ここ」に思考を戻してあげる方法。
・見えるものを五つ数えます。
・触れられるものを四つ数えます。
・聞こえる音を三つ数えます。
・匂いを二つ数えます。
・味を一つ答えます。
こうすることで、自律神経が整います。
「今ここ」に思考を戻すことで、不安を克服できます。
私がしている不安克服法は、ともかく散歩して歩くです。
20分以上散歩することで、セロトニンとエンドルフィンを脳内に分泌することにより、
「幸せホルモン」を感じられるようになります。
気分が安定して、不安を取り除く助けが得られます。
安心できる音楽や安心できる言葉を自分自身にかけてあげる。
私の場合には、「リラックス」できる音楽やリラクゼーション音楽をききます。
長期的には、「不安をなくそう」とするよりも、「不安があっても大丈夫!」に近づけます。
よくある症状:
・失敗への強い恐れ
・人の評価を気にし過ぎる
・完璧を求めすぎて手が動かない
リストを作成してチェックを入れるのが効果的です。
「できていることリストを作成する」(成果の可視化)
「失敗=終わりではない」(紙に書き出す)
「失敗後の最悪のシナリオと対処法を考えておく」(自己評価へ繋がる)
「1分だけマインドフルネス呼吸法でリラックスをする」(安定感の持続を促す)
人間関係、対人恐怖症対策
・相手に嫌われているかもと不安になる
・話した内容を何度も思い返す
・怒らせたのではないかと引きずる
対処法:
「証拠はあるのか?」(現実へ自分を戻す)
「客観的な分析」(自分をみつめなおす)
「変わらない事はわからないといったん保留する訓練」(自己実現)
「安心できる人にこれは変?と尋ねて現実検証」(自己鍛錬)
体調、健康への不安神経症
・ちょっとした刺激や痛みに敏感
・ネットで病気を検索しすぎる
・頭では理解していてもその思考が止まらない
対処法:
「医師の診断を基準にして思考をやめる」(自己改善)
「これは不安による感覚だ」(ラベリング)
「いま、何ができるか?」(自己改善)
食事や運動、睡眠などみつめなおしてみる。
パニック障害
・人ごみや密室で動悸、目ましが出る
・「倒れたらどうしよう」と不安に思う
・外出が怖くなる
対処法:
外出前に「安心できるルートの確保、トイレ休憩場所の事前検索」
「座れる場所の確保」ちょっと休んでは進むを実践すると良い
「呼吸法4ー4ー6を採用する」(3セット)
「発作がきても死なないし必ず治まると唱える」
「小さな成功体験(1分だけコンビニへ入る)(1駅だけ電車に乗る)」
を繰り返す。これらのことを積んでいけば、自信につながるし、乗れなかったり、
帰宅しても、自分を褒めてあげられる。
寝る前の思考のループや不安
よくある症状:
・もしも○○だったら……が止まらなくなる
・将来の不安や過去の罪悪感に打ちのめされそうになる
・寝ようと思うと不安が強くなる
対処法:
寝る前に考えるノートへ映し出して、不安を頭からなくす
不安な考えは「いまは考えない」と宣言して一時保留
音楽やリラックスできる音を聞く(ASMRなど)
ボディスキャン瞑想(つま先から順に意識を向かわす)
ワンポイントアドバイス
「不安は自然なことだ。ただ、それに支配させない。」
【5月5日、こどもの日】子供は『挑戦を重ねて自分になる』
理想と現実の壁にぶつかり「挑戦」することを怖がる子供がいます。
それは「小さな失敗」を繰り返してこなかったからかもしれません。
挑戦しなければ、良い意味でも悪い意味でも「良い子供のまま」でいることができる。
人間とは、「挑戦し続ける」存在のはずです。
「挑戦しない=迷惑をかけない子供」というわけではありません。
むしろ、小さな挑戦を繰り返し、「良い意味での失敗」を積み重ねてゆくことが、
子供の成長には欠かせない物語となるでしょう。それが親の願いでもあります。
今の社会は実力主義でもあり、受験戦争のようなプレッシャーも大きい。
その中で、「何をすべきか」を教えるよりも、「自分で考え、行動する力」を
育むことが親の役目となっています。
「失敗しないことが正しい」のではなくて、「良い失敗」を繰り返せる環境を
整えることが重要視されています。
そして、完璧主義ではなくて、親自身の失敗談を見聞きして、
そこから学ぶ人間となることが必要不可欠なようです。
それこそが教育の大きな一文字になりそうな気がします。
過去の価値観や常識に縛られずに、柔軟な心で世界を観る力。
それこそが、新しい体験を生み出し、自分自身の道を切り開く糧になります。
「ひとりで夢中になれる空間」をどれだけ育ててあげられるか。
「なぜ?」という好奇心を育て、「問い続けられる大人」に育つことこそ、
親としての最大の祝福ではないでしょうか。そう思えてなりません。
ドラッグを「キメル」
合法ドラッグが徘徊する中、その後ろ盾となるのは国家権力だろう。
金持ちは逮捕されない。マッポに捕まらない。
挑発が生み出す過去形な絶対論者が訝る。
果てしない抗争を繰り広げながら、ファックユーを繰り返す。
この世の富や財政困難などが吹き飛び、頭が「イク」という快感に委ねられる。
イッタ後のことは、午前様なのだ。後先考えない。これぞ生き様という性を催す。
セックスが徘徊する中での常だった。女はいいよねと謀れながら徘徊を繰り返す。
その思いとは、裏腹な肉欲と孤独への追求が果てしなく続いていた。
ずぶ濡れー私は人の気持ちが汲み取れないー
テールランプがここかしこを染める。
黒々とした胃袋の中のような違和感だけが彷徨っている。
いつもの街並みを遠めに観ながら進む。
達観したような細い目だけが爛々と光を帯びる。
黒々としたセーラー服が行き交う中、黙殺する喜びと悲しみ。
最後に女を抱いたのは何時だったのかを考える。
ここ数週間は忙しなく過ぎており、忙しさに感けて、忙殺されていた。
朝を迎えたと思えば夜になる。
黒々とした制服と行き交う度に、その胸や膨らみに目が落ちた。
振り向き様に、ヒップラインを確認する。
大きくもなく小さくもない尻が右往左往に動く。
今度は前から来た学生の股間に意識を運んだ。
逆三角形に刻まれたスカートの生地。
パンティラインがくっきりと映り、被写体を太陽光が照らすことで
女の秘所を照らし出す。陰毛の形がどんなかを想像して、
少女が止まると私も止まりその肉体の賛美を観察した。
人間のくすしい創りが伺える。アスファルトが鏡だったらと想像する。
おそらくそこには、真っ白な下着が映るのだろうか?
いやいや、最近の人は真っ白で純白とは限らない。横にいた友人が呟く。
そんなものなのか……。
興味が失せた鳶のように、餌を全く見なくなった。
純白でなければ駄目。それは理想と現実であり、
処女ばかりではないという回答へのあらわれとなる。
どこかに身も心も美しい女はいないかね?
その回答として「いない」が不自然なほど意を体する。
近頃の女は……。
友人が語り終える前に、目鼻立ちの良いボディコン風の女の爆肉へ目が注がれた。
こういうのを馬鹿の一つ覚えというのだろう。
そんなことを思いながら目を血走らせる。
※
男という生き物は単純で、ほんと馬鹿なんだから……。
映像を止めると小枝が呟くように話した。数週間振りの女同士のデート。
風の悪戯かそそくさと風が過ぎてゆく。スカート捲りを働きながら……。
風の悪戯。そよぐ風は心地好く、微動だにしない女子高校生を匂わせた。
※
「きゃーきゃー」と喚ぐのかと思いきや、声をあげずにスカートの袖を抑えている。
びーちく、ぱーちく騒がれるよりかは、煩くなくてすむ。
盛り上がったパンティ越しの布切れ一枚に身を委ねている女という生き物。
逆さ吊りにしたら、どれほど喚くのだろうか?そんな疑問がふっと過ぎった。
女の秘所を隠すパンティは陰毛に沿ってラインを作り上げ、
折り返しの部分で二股に分かれてる。
股間を抑える物理的抑制がしなやかな生足を際立たせた。
※
どこにでもありそうでない景色をいつも探していた。
フォトギャラリーとはそうした貴重な一枚を大切に保管する場所だ。
思い出とは、如実にあらわされた股間と陰毛のようではない。
ぼかしと色取りどりに魅せられた、風磨ともいうべき灯火がそこにはある。
艱難辛苦した先に、滅亡と女の成れの果てが覗き込んでいる。
私は様々な物を観ては、喜び勇むが、ここぞという所で犯罪を意識してしまう。
妄想を全て無かった事にするのだ。
気が付くと誰かが似たような事をして、犯罪で逮捕されている。
人生とは面白いものだと思うと共に、シェアハウスのような仕組みに驚かされる。
犯罪が起これば誰かが捕まるほかはない。それは私でなくてもよい。
これが回答なのだが、実行をする現場の私たちのような存在は、
決してお金持ちにはなれない。
被害者のことを考えたことはないが、憂いが残るのも事実だ。
あの時、「こうしておけばよかった」や「ああしておけばよかった」など……。
下着姿の女子高校生を盗撮したところで、大したお金にはならないのも現実だ。
DVDなどに焼いて動画を作成しても、一枚400円~2千円。
写真ならば数百円~数千円で遣り取りされていた。
ダウンロード販売にすると初めて利益が出る仕組みだ。
ポルノ業界とは警察とのいたちごっこ。猥褻物陳列罪など。
セキュリティ会社の苦労と似ていると思った。
※
私は人の気持ちがなかなか汲み取れない人間だ。
相手が傷ついて、嘆いて、叫んで、暴言を吐き捨て、それでも理解できない時がある。
相手の立場に立って物を思考してと思っているのだが、
いざ責められると思うと身構えてしまう。
立場が逆ならばどう思うだろうか?
だったり、相手が何を思い憤っているのかを把握するのは至極真っ当なことなのだが、
その真っ当が理解できていない。細かく刻んで解釈して初めて理解へと移る。
この世の全てが稚拙であれば……。
それはそれで厄介だが、思いの丈とは、
そんな稚拙の中に織り成される技巧に意味を見出す。
怒られている時とは、矢張り恐縮して物事を聞くべきであろうか。
そうでなければ、その人を認めて、認めて、どうしてこの話が成り立つのかを
深く考える必要があった。洞察というべき時間が取れないと、
私には人の何たるかが理解できない。
人が一通り語り終えて初めて今まで語ってきた内容をデータとして脳内で処理する。
それまでにも、喧嘩のような事態になるのだが、
理解できるまでの繋ぎとして存在している言葉たち。
言葉と人。気難しく、難攻不落に思える内容でも、きっと理解し合える。
和がそこにはあり、認め合い、信じてるからこそ、憤りや怒りとは発生する。
和水が生まれたら、それに逆らわずに、流れに沿って生きればよい。
※
くっきりと雨に濡れながら張り付いた下着がこそばゆそうに膨れている。
水を含んだスカートが、膨張して体力を磨り減らすように、
女子高校生たちは、雨に打たれながら、足繁く投稿の文字に目を注いでいた。
アヴァンギャルドな制服のふくらみと柔肌を通る雨梅雨が首筋を濡らし照り輝く。
太腿を包むソックスは、白い色から、路面に濡れたはねっかえりのためか、
茶色く鈍く光沢を彩っていた。惜ししげなく降る雨。
濡れた指先は、爪元が健やかに滴り、雨を零している。
ずぶ濡れになったスカートとパンティからは雫が垂れて色っぽさを醸し出す。
こめかみが露に濡れて、雨の匂いと体育館の匂いの双方を思わせる。
ぽちゃんぽちゃん……。傘を忘れた少女たちが駆け抜ける。
バケツをひっくり返したような貞操は、さながら思わせぶりな肌色を浮き彫りにしている。
乳房をゆさゆさと揺らしながら、大きな胸囲を擡げて歩く学生たち。
色椿のような女性たちが、スカートを揺らして、人間らしい、若々しい匂いを醸す。
移り香は、果てしなく包む東京という街並みを見下ろしては、少し早い猛暑を告げていた。
※
小説という怪物
切り開かれた開拓地。ここには何を建てても良いという。そんな希望や愛が込められたフィールド。お天道様が空には輝き、夜には月光が照らす。ありふれた日常。ありがちな罠や探索精神。そこに織り成す人々や動物たち。開拓者たちは、おもい思いに過ごしている。好きなことを何でもしていいよ、と言われると困ったことになる。書くことが無いと思えてしまうから……。
かつての偉人や天才たちの軌跡。そして、今を生きる人々。現代文学は、いまも息衝いており、息をしながら、狩人のように獲物を待ち構えているようだ。書くことや読書すること。それ以外に楽しいことはない。毎日、小説と言う怪物と向き合う。そこに何を書こうか?無色透明な無地を与えられ、さながらいま思いついたことを書き記す。小説や物語ならば、プロットが存在するが、日記となると別物だ。日頃の日常をそこに書き記すことになる。
いま生きているということ。それ自体が奇跡なのだが、それが当たり前の日常と化してしまうと、人は直ぐにそのことを忘れがちだ。忘却は、野ざらしのように荒廃をもたらす。いきとし生けるものがみな、昼夜問わず心配事や悩み事を抱えて生きている。今日は何をしようか?何をすべきか?何を食べようか?人はそのことで一喜一憂して、日常生活を過ごしている。病気や戦争が起きている国では、忘れられた日常を取り戻そうとみな必死になる。
日本は地震大国だが、戦後の人々が生き抜き、必死に作り上げた平和を保とうとしている。一度作り上げられた平和を壊す音がする。犯罪や事故の足音。ひっきりなしにニュースは今日起きた事実を告げ知らせる。平和と言う代物に胡坐を掻いて、日常を遣り過ごす。それほどまでに人は変化を嫌う生き物だ。毎日勉学に励み、喜びや悲しみを味わっているのに、不幸せなニュースを聞くたびに心がげんなりする。
平和や戦争とは、確かにこの地球で起きている現実だ。遠く離れた場所や日常生活には無関係を東京の場合は過ごしているような気がする。より良い未来とは何か?を考える時、日常に潜んだ闇を感じざるを得ない。日々の喜びや悲しみなど置き去りにしてゆくようだ。
小説家はこれらの怪物と向き合い、対峙することで、書くことに事欠かない日々を送れている。日々の思い悩みや雑念、幸や不幸という連続性を垣間見る時、その流れの中に見える事物と向き合い、自分の生活に適用することで、日常のトラブルを避けることにも繋がりそうだ。犯罪や戦争は無くなりはしないかも知れないが、そこから学べることを拾い集めることでトラブルを未然に防ぐことになりそうだ。
つまらないかもしれないけど、大切なこと
「つまらないかもしれないけど、大切なこと」は、人生の土台のような物だ。それを切り捨ててしまっては、浮ついた感覚の上で、いつまでも「面白さ」だけを追い求め続けることになる。そんな人生は往々にして、最終的には「どこにも辿り着けなかった」といった感覚に包まれることになる。
つまり、「面白さ」だけで生きる人生は、逆説的に「つまらなさ」に支配されやすくなる。
私たちは日々の出来事を「面白いのか」、「つまらないのか」で判断しがちになる。仕事、学校、家事、人付き合い──。こうした日常の多くは、派手な刺激に満ちているわけではない。むしろ、淡々としていて、繰り返しで、地味だ。もし「面白さ」だけを人生の価値基準にしていると、こうした日々の大部分が「つまらないもの」として片付けられてしまう。
だが、それは本当に「つまらない」ことなのだろうか?
「面白いか、つまらないか」で物事を見る視点は、エンタメ的な感覚に近い。瞬間的な快楽や刺激を求める感覚である。映画やゲームでなら、それらは成立する。現実の人生は違う。面白さは確かに人生を豊かにする要素の一つだが、それだけが人生を推し量る物差しになってしまうと、多くの出来事が「失格」になってしまう。
例えば、「子育て」や「介護」、「長期にわたる学習」、「地道な人間関係の構築」。
これらは決して常に「面白い」ものではないが、確かな意味と価値がある。
だが、「面白さ」を軸にしてしまうと、それらは直ぐに「退屈」というラベル付けをされてしまう。結果として、人生の大部分が、「つまらないことだらけ」に感じてしまうのだ。
本来、人生の醍醐味とは、「意味があること」、「価値を感じること」、「成長できていること」であり、多層的な視点で捉えなければならない。「面白さ」とは、それら多層的な一要素に過ぎないのだ。むしろ、つまらないと感じる物の中にこそ、粘り強く取り組む価値があり、静かで深い充実感が潜んでいることの方が多い。
人生を有意義で豊かにするためには、「楽しさ」だけではなくて、それ以外の価値にも目を向けること。なんでもない日常や苦労の続くプロセスにも意味を見出すこと。
それが、人生を「つまらないことだらけ」ではなく、「じんわりと味わい深いもの」にしてくれる鍵なのではないだろうか。
楽をして生きて行けるようには人間はできてはいない
朝を迎える
ほとんど寝ているのに、眠れていないと思えてしまうのは、ここのところ、しょっちゅう起きている。寝て起きるを繰り返す生活。自分にブレーキがかからなくなってきた日常。朝を迎えるたびに、骨格がうずくような痛みを覚える。姿勢の悪い人間は、それはわたくしのことなのだが、胃袋を開閉する動きですらも、自我が通った道のりに思えてくる。便を出すことだけでも大変だ。ODをして、お薬が出なくなり、今は現在を薬が無い生活が押し寄せてくる。それは、まるで、足を失った商人が、畑の苗を見て、ブラックコーヒーをすするのに似ていた。わたくしは、何も好きこのんで生きているわけでもなければ、生命があるから、生きながらえているに他ならなかった。何か好きなことが出来るから頑張るとかは、現在進行形てきには、すべてが無駄に思えてくる。結果を知らないのに、絶望している感じが耐えない。何かを努力すれば、ほめられる。それだけでは満足しなくなった、幼稚な頭が考え続けるのは、体たらくで、不規則な時間を配置しながら、次へと向かう。わたくしは、ブラックコーヒーを飲み干すと、焦燥感に浸る。淡くなって、光がようやく届くか、届かないかの距離で生活を過ごしている。ODとは、自分を傷つけるだけでなく、周りの干渉をも奪い去る。にっちもさっちもいかなくなったから、今がある。もともと、人の意見を聞くのが苦手であり、聞いても、なに不自由ない生活に当てはめられるかと言えば、それも出来ない。出来ないんじゃないのだ。やらないだけなんだと知っている。この孤立した状況下で、取捨選択を間違えてしまい、更なるどん底へと向かう。吐き気を帯びた生活は、矛盾した世界に唾を吐きかけ、淀んだ生活を送る。これが正しいとかの判断は、当に皆目見当がつかないまでに成長した自我が織り成す。もともと不器用であり、一つのことで精一杯なわたくしにとって、小説家などは、夢のまた夢であった。現状維持が降って来る。今のままで良い。今のままじゃ駄目なんだ。二極化した選択肢があるようでないのも、この生活状況の厳しさを醸し出すかのようであった。今あるものに感謝をして次へと進む努力とは、何時しか見習わなくなってしまう。すべては、独断と偏見で描かれた曲線となる。曲がりくねった先に未来はあるのだが、どうやら自分が求めてきた回答とは大きく異なるようだ。わたくしは、とんだ、見当違いを走らせては、暴走する。煙で辺りが見えなくなり、やっとの思いで、決断した知識でさえも、まごうことなき嘘へと虚偽を並べ立てた。虚偽は、膨らみ始めて、骨格を覆い尽くすだろう。その時になって、あちらが痛い、こちらが痛い。時間とは有限であり、ODをやめられなかったわたくしには、生きることも死ぬことすらも容易ではなくなっていた。
コーヒー豆が変わった日
ODが奪ったもう一つの生活。病院もそうだが、通院していた時間が無くなった。ひとりになれる時間が減少した。自分の居場所を作るのは、困難を極めるようになる。耳が聞こえ過ぎるように、何の音でも反応してしまう日常へ。お尻の筋肉はとても強いと思うようになる。ずっと座っている。このずっと座っているとは、「じっと座っている」に似ており、足の筋肉が成長する過程で、お尻がこれほどまでに役に立つ場所だとは、人間として生きてきて気付かなかった。喉の奥のほうから焼けるように、日焼けした太陽が昇るようである。心がどこにあるのかは、わからないが、手の指先から足のつま先までピンッと貼り伸ばした状態に似ていた。吐き気が襲い、めまいがする。口から戻った、液体を体の中に戻すのが、嫌いであり、酢のような人生は、あわないとした。トイレに駆け込むのだが、上手く吐けずに、嗚咽が込み上げる。こんな生活を続けていると、メインとなるリフレッシュは、的を得た精神科という言葉が乱立する。心はメンタルのことだが、じれったく待たされた。腹のほうから、湧き上がった水しぶきが、嗚咽と共に流れる。メンタルはズタズタになり、その焦燥感は、半端ない。癒なくなった心が悲鳴を上げていた。その上で、賽を振るのだ。あとは、野となれ山となれ。傷ついたメンタルは、行き場をなくした孤立奮闘が襲う。「おえっぷ」が、誕生して数日が経過した。なんだか、腹のど真ん中から、口にかけて、魚釣りが、餌に巻いた杭のような釣り針を喉に引っ掛けたときのような面持ちがする。人間なんて勝手だ。想像とは、えげつない。身を振るうようにして、ブラックコーヒーを垂れ流す。胃は苦味の利いたパンチを受けて、ノックアウトされたような表情をみせる。コーヒー豆が変わったことを知り、今日か明日か……。明後日か……。苦味はあるのだが、酸味が少し足りない。希薄だったブランドイメージが消えた日であった。チョコパイを一緒に食べたら、胸焼けが襲う。知らないうちに、太り始めていたようだと気付く。それら苦味が、一気に押し寄せた。変わらない一日は、健やかに流れる。だが、今日という一日を変えたいと思うように人間は出来ているようである。決まりきった楽な道を嫌うようになってゆく。人間とは実に素晴らしく出来ており、脅迫めいたその思いとは、創造心を掻き鳴らした。一日一歩、一歩進んでは、確かめ合う友達のような存在が、わたくしだとするならば、今日を迎えたブラックコーヒーは、とても良い味付けになっているはずである。
胸焼け
カフェインの取り過ぎや喫煙習慣による悪化。生活習慣病とは、日々のルーティーンが祟り起きることが多い。特に胸焼けは、食べ物から来る「いがらっぽさ」や素の自分と向き合わなければならなくなる。太り始めたのも最近。生活を改善するためには、ルーティーンを変革しなければならないようだ。何も考えずにただ生きているだけでは、絶対に抜け出せないループとなる。そこで、カフェインを避けたり、食べ物を一回で食べるのではなくて、何回かに区切って食べることになる。胸焼けは、起きている時には苦しく、勤勉さを嘲笑うかのような病の一つだが、原因とは、ルーティーンを見直すだけでよい。日頃から、不摂生による不規則が生み出しているのであれば、変革が必要となる。体調管理とは人事では解決しない。何かを忘れるために何かをするように、日々のルーティーンとは、体を労わり、体を守るために動くことにより、一掃出来そうである。日々のルーティーンを治すとなると、多大な努力と気兼ねが必要のようだ。胸焼けは、そうした日々のトラブルを教えてくれている。「あなたは、太りすぎです」なども警笛となりそうだ。80kgを越すと体が重たくなり、気兼ねなく出来ていたことが出来なくなる。起きているなどもその一つではないか。と思えてくる。ただ人は起きているだけでは、何も見出せずに、苦心することになる。そこで、その苦心にねぎらいを与えたいと思うことにより、体の不調を緩和して、より良い一日を過ごすための新たなルーティーンを作成してゆく。ここになると、言い訳は一切きかなくなる。なにしろ自分の体が悲鳴を上げているのだ。苦しくて、雑なようだが、徹底的に自分をコントロールする必要が出てくる。「あなたは、太りすぎ」だからである。毎日摂取し続けてきた、鬼畜のような食事を制限することは、新たな肥満を何度もかけて起こすだけでなく、我慢をし続ければ治るという簡単なもののわけでもない。だが、遣り甲斐とは何かをし始めるから生まれるのであり、そこに体重の増減が関わってくる。胸焼けは、一つの信号であり、放置しておくと大変なことになるようだ。先ほど書いたチョコパイなどもたまに食べるのだからと安心していたが、糖分とは体に染み込む。そして、太るのだ。太らないためには何をすればよいのかを考えれば、おのずと道は見えてくるだろう。ただ、起きていて、運動もしないとなると人はその環境に順応し始める。太るとは、ループが絡んでいる。太らないためには、やりたくもない運動を取り入れて、日々の生活をクリアにする必要がありそうだ。
何かをしていないと落ち着かない病
何もしていなかった時には、大して気にも留めなかった誘惑と色々なことが出来る喜びから来る病があるように思える。人は動き出すと物凄い勢いで動いてゆく生き物である。それを注意欠陥他動性障害「ADHD」などとも言うが、苦労とは尽きないものである。動き始めたら、なかなか止まれない性分なので、欠陥ととるのか、正解ととるのかはひとまず置いておこうと思う。傷を治せば痒くなり、かさぶたが出来始めるのに似ている。体中のあちこちが、何々をしたいと思うようになる。寝たきり老人だった時には、諦めていた感情である。たとえば、水太りを気にして水を飲まなければ、体内の水分は下がってゆき、体重は落ち着きを見せ始める。それと同様に、何々をするならば、何々が下がると思えるならば、とことん突き詰めてやってみようと思える。遣り過ぎは体に毒だが、疲れたら勝手に寝る。これまでの経験を基にして、人生を謳歌したい。人生とは面白いもので、我慢をしている時に、糖分が降って来たり、体には申し訳ないが、そのように悪いことを推奨するように肉体は出来ている。食べてしまえばもとのもくあみだ。そこで食べないを選択するとは、人生を知っている選択肢といえるだろう。ただでさえ人間は楽をしたい生き物である。何かを始めるとは、助走が出来て、外に飛び立てる準備が整えていなくとも、向こうから勝手にやってくるように思う。進歩とは、幸福の中に何を見出すのか?で決まるように思う。不幸の時とは、自分から好んで不幸と対話しているために、避けられなくなる。人の道とは、道理や道徳などある程度決まった内容からは、答えを求めていても見出せずに、進歩した時に、見出せるようになる。準備をして、歩ける時には歩くしかないようである。振り返ってみた時に、自分はあの大変な中を泳げたという自信につながる。その小さな変化を愛して、大切にするほかには、幸福とは当たり前のようにはやってこない。人は一度幸福になれば、その座から安定へと向かいたがる。その時に、もう一度、何度も何度も調整しながら、自分のあゆむべき道を整えてゆくほかは無い。頭が忙しい時ほど、冷静に対応するのも、一つの成功だろうと思う。一つ成功が見つかれば、おのずとハッピーエンドはやってくる。幸福の中で不幸とは重なり合えない存在なのだろう。それでも「不幸が好きな人」とは居る物である。自ら進んで破滅するようなことが上げられるであろうか。ODを病としたわたくしも、注意が必要となる。そして、一度ついてしまった脂肪とは中々落ちない。この脂肪を掃き出すには、矢張り運動が欠かせないように思う。ある程度はわかっていたけれども、見たくは無かった人の弱さの現われなのかも知れない。
誘惑と罠
痩せるために「胸焼け」を阻止しようとして、これまで沢山の経験と豊富な実績で対処してきたが、家族が誘惑とか罠になるとは思ってもいなかった。例えば、「ラジオ体操後の食事」。太らないために、何回も区分けして食べるや進められても「いらない」を通せない場合がある。「いただきます!」と言って食べ初めて、後悔を生むのも家族だからだろうか。家族だから言わなくてもわかってくれるとは、自分の心境であり、家族といえども「言葉」にしなければ伝わらないことの方が多い。コーヒーも少なめにしようと決めたその日に、おかわりでお砂糖やミルクを追加して食べ物や飲み物に興味をそそろうとする気配りが見られる。普段から余り食べられない、わたくしは、「優しさ」に困惑している。ちょっとした気遣い。それが仇なすのも家族だからだろうか?水分をほとんど取らないので、麦茶を淹れてくれる優しさに、絆されて、水分を取る。まあ、ラジオ体操したし……。なかなか、自分の困窮とも言うべき「はらっぺらしモード」にはさせてはもらえない。家族だから気を遣うのは良い事なのかも知れないが、どこかで、「いらない」を追加しないと駄目になりそうである。全部、家族が言うようにしていたら、しかし、エネルギーとしては、そんなに取っていないから大丈夫とならされてしまう。家族とは、内なる人から争いは起こらないと思い込んでいた、わたくしの予想を優に超えて行く。団体生活において、家族とは一番心を寄せ合う仲だからこそ、問題を区分けして、自分のこととして処理をしていかないと、「なあーなあー」になる気がした。「いらないよー」を言えなかった、わたくしという存在がいる。それは普段から、愛されており、その愛の目方を区分けする分業作業に目を向けると、家族の優しさを無碍には出来なくなる。その分、体を動かすことになる。雨の中、皮膚科に行き、普段から向き合う病気と向き合う。その時になって、初めて意識をした家族の愛情の形や大きさを垣間見た気がした。優しさという名前の「自暴自棄」を抱えて、膨らんでゆく。空気は抜かないとガス欠になるので、傲慢と言う風船を栓抜きするのだが、中々自分の思うようには行かない。わたくしの場合は、「やるか、やらないか」の二択になるために、困窮している。家族の思いをそのままにして、生活をするならば、ある程度の犠牲はつきものなのだろう。アガペーを感じながら生きている。家族に心配させまいと思うならば、自分の努力を捨てることも必要なのかも知れない。例えば、入金日までお金がないと人は卑屈になりやすい。お金とは「幸福」のスパイスではあるのだが、「幸福」のスパイスも「不幸」にはならなくとも、入金日までは財布の紐を締める。ここに直結しているような気がした。入金を済ませるとすべてを洗い流して、思考しなくなる人間模様も人らしさの表れなのか。
体を休ませる
就寝薬が無いので、なかなか寝付けない日々を過ごす。寝つきが悪かったり、全然寝れなかったり。それでも、明日を今日を感じたくて生きている。ただ、体を休めているだけでも違うと教えてもらったので、横になり、体を休ませる準備をする。布団を整えたり、牛乳を飲んだりする。何も入れていなくとも牛乳が甘いと感じたり、美味しいと言える時間を大切にしたい。眠れていなくとも、まったく休まずではないので、休憩した時間が生きてくる。ODをしてこの状況になったことは反省しつつも、次の日は精神科にきちんとかかれるようになることを願っている。三寒四温で急に寒くなったり、雨が降ったりを繰り返す中で、暖かい季節に向けて、生活の基盤を整えて行く。眠れない日々を過ごす中で感じたこと。などを書き出して行く。記事にして投稿する。これが、わたくしのルーティーンとなる。出来たことを数えて出来なかったことは、仕方がないと整理しつつも、コンディションを整える作業は重要となる。栄養なんかも取りながら、「幸福」という味を噛み締める。そして、それを続ける準備をする。「きっかけ」は、何でも無いことでもいいので、何かを始めることと、自分の居場所作り。それに没頭し始めると、「起きてなくちゃー」とか、「寝たきり老人」に戻らないために、今は起きていようと思えるようになる。脳が疲れてくると突然、「休止符」を打ちたくなる。自分は頑張ったじゃないか、とか、頑張りすぎてるじゃん、とかだが、そういう時こそ、ODをしてしまうために、なるたけ甘えを許さないようにする。起きていた時間と休憩を取った時間を「きちんと」判別するようにしている。要は「がんばりすぎ」にならないように努力する。疲れたーと思ったら休んで、また体を動かすみたいに……。この、疲れたら眠り、また体を動かすは、適度な運動感覚で行う。緊張感を休憩で置いて来るようにしている。適度な疲れとは、脳に与える影響も考慮すると大切らしいので、お薬が手に入るまでは、辛抱となる。あとは、カフェインを摂取しすぎないとかを頑張る。そうすることで、眠れてはいなくとも自分自身の居場所作りは出来ているので、そんなに気落ちしなくてもいい。今日を準備することは、今日を生きることに繋がる。日々の繰り返しに、諦めを入れつつも、時間をきちんと使えるようになりたいと思う。今日一日を終えて感じることや気持ちを言い表すことでメリハリを付けて行く。それが生活を整えることだと信じてやまない。
疲れが取れない
永い人生を生きている中で、「眠れない」とか「体が休まらない」などは多い。わたくしの場合は、このような時に、ジタバタしても無意味なので、何もしないようにしています。考えても駄目な時ってありますよね。ああ、何をやっても無駄だ。どうやったら無駄な時間を有意義にチェンジできるのだろうか?といった疑問が出てきます。ジタバタはしますが、「何も変わらない。」これが悩みの種です。「眠れない」イコール「死ぬ」ではありませんので……。わたくしの経験上は、記憶の無い時間が必ず眠れていなくとも存在します。その間に眠れてはいるので、「寝たなー」という感情が無いだけで、実は体としてはメンタルは置いておいても、「ゆっくり休めてる」と判断します。この時、思いとは、「ゆっくり休みたい」ですが、脳は朝になれば、体が活性化するように出来ています。その支持に従わないで、つまりは、日光が出たら「日光浴をきちんとする」や普段の何気ない所作に起因しています。問題は、問題ではなく、どう行動するのか?になります。日光浴が出来るから、外へ出る。これだけでも大分マシな生き方になります。10分くらい日光浴をしたら、家路に着くような感覚。悩みは消えませんが、三寒四温を感じながら、「春」という季節を身に沁みて感じます。五臓六腑に染み渡るくらいまで、体感したら、家路に着きます。内臓が活発に動き始めたような感覚になります。初めは、騙されたと思って日光浴を開始しましょう。外へと引きこもりの体を出すことが重要であり、答えとはその先に依存します。今出来ていることに感謝をしつつ、外出したことに思いを留めます。永い人生を生きている中で、自分に出来ることは、丁寧にしつつ、自然との調和を期待しながら、人生を謳歌することにいたしましょう。そうすることにより、次のステップが見つかり、自分の進むべき道が自然と見つかります。
ひとつひとつを丁寧に……。
人生の中でずる休みの癖とは、なかなか直りません。それでも、自分の考えを使ってしまい、以前の古い感覚に頼ろうとします。自分の考えはなんの役にも立たないと学んでいても、これはニョキニョキと出てくる考えです。古い人格を捨て去るのは容易ではないと感じます。それでも前進しなければ退化してゆきます。これが人の個性であり、堕落した不完全さのゆえなのか?と思える時もあります。長い時間をかけて間違えをしてきた場合は、自分のリズムではなくて、家族に合わせるのも一つでしょう。自分の狂った感覚を家族が支援してくれることで、癒しへと繋がります。例えば、ご飯を三度さんど、きちんと食べるとかも非常に重要です。朝摂取した栄養は、朝を動かす力になります。いつまでも、寝たきり老人だとこれが味わえません。自然とリズムも夕方よりになり、私生活のリズムが狂ってしまいます。これを正してくれるのが、朝食や日光浴です。便のリズムを整えてくれて、お腹を活性化してくれます。ずる休みは、なかなか直りませんが、自分の考えを抑えて、人と一緒に生活してゆくためのツールとなると思います。自分の考えに固執している場合は、何も見えてきませんが、ひとたび離れてみることにより、周りは何を感じているのかや不安を一緒に体感することで、得られるリズムがあります。ひとつ、ひとつを丁寧にやってゆきたいと思えるようになれば、寝たきり老人や体のリズムの退化を整えられるでしょう。
お尻にできた褥瘡
ここのところ、体中を蝕む電気のような存在。繊維筋痛症のように全身が痛む。休んでいる時も、体がビリビリと痛むために、体が休まらないのが多々ある。眠るとは、気を失うことだと知り、YouTubeにて眠りを勉強し始めた。様々な眠りのスペシャリストが回答している。為になると共に、意識喪失こそ眠りだと知って驚いた次第である。気を張り詰めて日常を過ごして、夜には気を失い眠る。これこそが、人間らしさなのだと思った。気を失っているから、記憶が無くなるのである。寝ている間も、多少の記憶があるのは、レム睡眠時に見た夢という科学では未だにわかっていない眠りというジャンルの真髄となるのだろう。真理とは何時の世もわからないことだらけだ。わからないから研究されているのだろう。さて、電気が走る体を起こして、なんとか体勢を整える。それから、起きている時間を長く過ごそうとする。そうすることで、褥瘡【じゅくそう】がこれ以上は広がらないように注意したい。寝たきり老人のようになって一番困っているのが、脊椎を蝕み始めた褥瘡だ。褥瘡は、大きく穴を開けて、肥大化しながら、わたくしの体を蝕んでいる。病院の皮膚科へ通うようになり、容態は良くなり始めたが、精神科が落ち着かないことには、解決には至らない。ほとほと困り果てている。通う場所が無いからである。それでも、精神科医の情報提供書があればこの先にも光があるために、先んじて行動したいと思った。
不幸に見えた日々
何も出来ないことは罪だ。そう捉えていると、何も出来ない日にも罪の意識が及ぶ。体調が悪く感じてしまう。全体的に人生がつまらなく感じてしまう。そうこうしていると、死にたくなる。お薬は、良くも悪くも体に影響を与えている。日中、ボーとしているだけで、ダルさ、マックスになる。日頃の種を気にしながら、日中は過ぎ行く。夜が訪れて、深夜に叫ぶ。心が痛いと……。不幸という名前のぜっ不調へまっさかさまに落ちてゆく。堕落してゆく。まるで追放天使のようだ。そうこうしていると、真横に揺さぶられるような体感が襲う。吸収できない陰謀は、わたくしの肉体を虐めた。寒々しい朝に目が覚めて、外に出て散歩をしても何も感じない。何時から人は感謝を忘れたのか。いつから人は、五体満足に暮らせることを当たり前としたのか。当たり前など一つもないというのに……。わたくしは、大声で泣き出した。感情を剥き出しにすることが、適当だと思えたからだ。そうこうしていると、夜が明けて夜明けを告げる日差しが差し込んだ。生活が滅茶苦茶だ。午前様……。それだけは避けている。飲まず食わずな生活は、蝕み、貞潔さを滅ぼす。滅却された焼却炉が口を開けて涎を垂らしている。ぜっ不調の生活は、とりとめもなく落ちてゆくようだ。地獄があるのなら、きっとこんな所なのだろう。噎び泣く蝉の声が遠くに響く。かなかなかな……。みーんみーんみーん。ヒグラシの鳴き声は今日も今日とてわたくしを救うことは知らなかった。絶望が押し寄せる。さざなみが押し寄せるように引き寄せあい。わたくしは、その中心でまどろんでいる。ビールを一日に二杯のみ、幸福という名前の心境を待ち望む。その姿は滑稽であり、いたいけな瞳は、汚れていた。穢れを知らなかった瞳は、汚れながら、まどろんでいる。今の生活が一番だと思い込んでいるのだ。祝福とは人によって違う。そのことを忘れた眼「まなこ」は、いぶし銀に揺れている。今日をまどろみ蝮に身を任せて五臓六腑を腐敗させている。腐敗のにおいは、部屋中に広がりながら、ますます拡大中だ。不幸という名前の部屋の出来上がりとなる。そこで瞳は歌う。我不幸なり。すると蝮が非常な痛みを生じさせて、噛み付いた五臓六腑を食い千切る。生活は出鱈目になり、開始された幸か不幸かは身を委ねる所を知らなかった。防波堤はゆるぎなく動いているようだった。
作品の価値
紅に鳴いて、血と汗の涙に身を暮れる。どうしようもなくせせこましく働いて、窮屈でゆとりが無い世界で喘いでいるかのようだ。そうして辿り着いた世界がある。眠れない日々を過ごし、べっとりと纏わりつくような汗と涙に溢れる。溢れた涙は誰色に染まるのか。色濃く映るばえた夜風に身を反らし、窮屈な帳に色濃く根付くトパーズが彩る。純粋とねちっこい愛を求めつつ、愛という簪を頭に挿して噎び泣く。色濃く根付く氷のような日々に感謝をして。日々のおもい思いに根強い気持ちを乗せて……。アラビアンな思いを抱きつつ。イラクで起きる災難に身を馳せる。おもい思いに身を焦がしながら、火傷した手指が痛む。心痛に身を彩られたピエロのようだ。道化師は恥ずかしそうに笑っている。焼けた素肌が彩る値打ちという花を咲かせる。心持、どこか静かで健気な花を絶え間なく苛んでいるのは、虐めという名前の帳なのか。その中で寝付けづに喘いでいる。叫んでいる。宵云々のときに身を生える。生えた枝毛が汚らわしい。穢れという世代に瞳を凝らし、よな夜な茹だるような汗を掻く。世界はみすぼらしくも通常で、普通の世界が流れている。静かで御淑やかで、気流の流れを受け入れてくれる。そんな空気がどこまでも流れているんだ。わたくしたちは、そんな世界に生きている。
世渡り上手ではない自分
世間体を気にして眉間に眉を寄せている自分。本当に嫌気が差す。気の無い返事を繰り返す時。はーっとため息が出る。不幸そうに仰け反り、仰向けに寝る時。嫌気を通り過ぎて、もっと快活に動けないかしらと思えてくる。嫌気と気だるさが交互に飛び交う。交差した居場所の無い場所で、一人でいじけている自分がいたり……。人生本当に上手くいくことは無い。やるせなさに運ばれた気持ちが独りで右往左往している。とりとめのない気持ちが行き場をなくしては、人はいつから失い続けることを許したというのか。反射した気持ちが仰け反りながら、雄叫びを上げている。ビルの谷間に風をビュービューと感じながら。居た堪れない気持ちに苛まれている。虐めはエスカレートしてこの身を貫いたみたいだ。痛いと言えない声が遠吠えに聞こえた気がした。風を切り、後ろ手にたなびく。憂いを感じながら失い続けてゆく。命は削り取られながら、欠伸をしているようだ。今日、何をして過ごせばよいのかもわからないまま。人は夜風に揺れながら……。取りとりとめもない気持ちに押し流されそうだ。わたくしは何にイライラしているのだろうかと考える。そういえば、独りでいられる時間を有意義に過ごせているだろうか。ふっと疑問が湧いた。気の無い返事が、三味線のように響く。朧月夜は夜風に揺れる。月はちょこんと綺麗に浮いている。五月雨が少し降り注ぎ、雨降って地固まる思いきや、また仰け反る人生。そんな当たり前の生活が続けいることに嫌気が差す。日中を過ぎると、ながい永い夜中が口を開けていた。そっと呑みこまれたようになる。
出来てることを数えたい
出来ないことを数えがち。日々の余力だけでは、毎日が大変。全力でことにあたるが、芽が中々でない。そういえば、小さいころに球根を植えて、待てなくて、穿り返したのを覚えている。中身が変わらなければ、何時までたっても変われない。そんなことはわかってるよ。そういって頬を膨らます。一日、一日の積み重ね。投げ出したりしないで。と自分に言い聞かせる。持続するのは大変だが、継続するのは、もっと大変だ。毎日が戦い。時々思うこと。江戸時代に生まれていたら……。当時の苦労など知ろうはずもなく、愚痴を零す。愚痴を言ったからって何一つ変わらない。それなにに、ついつい口を突いて出てしまう愚痴。情けないな。もっと有意義に過ごしたいのに……。PHPを読むと心が晴れやかになる。やる気が出る。今日一日、がんばろう。
小説家の一生「物の価値観」
昨今では、ネット注文が主流になり、お店に行かなくても、
お米が買える時代になった。10kgで一万円するのだが……。
サイコロステーキや餃子の王将も売っているので購入する。
一昔前、トランプ関税がこれほど高くなる前だが、
コシヒカリばかりを注文していた。
5kgで4600円から5600円の時代だ。
今も、あきたこまちが、10kgで1万2千円代になった。
スーパーで購入しても、2600円はするので、
それだけで、荷物が重たいし、汗をかくしで、
ネット通販が増えた。家庭の事情もさることながら、
ネットの普及が大きいと思う。
ティッシュペーパーも460円「4ロール」が増えた。
他の方たちは、12ロールを購入していると聞くと胸が痛む。
しかし、再生紙が増えたのも事実だ。
大王製紙か日本製紙で購入しているのだが、どうなのか。
小説家などと大きなタイトルにしたが、
日本の景気に左右されていることに変わりは無い。
物価の上昇に伴い、日本の景品交換法の与える経費も甚大だ。
今は景気をきにしないのは、時代錯誤になる。
一日三食から、四食たべれて、
おやつやコーヒータイムを嗜めるのも、生活には欠かせない。
需要と供給で日本の景気は成り立つ。
それが釣り合わないと思う人間は、これからの日本には必要ないとなる。
これも時代錯誤か。煽り言葉に聞こえるが、事実なので仕方が無い。
YouTubeをみているとニュースは、そう語っていた。
好きなことをして生きるとは一見して聞こえはよいが、
一流野球選手のようには、稼ぎは無い。148億円も稼げないだろう。
しかし、現実にいるのも事実となる。
だからといって、お金遣いは荒くは無い。
もともとお金にそれほど執着が無いのである。
あるものは使用するが、無いものは使用できない。
無い袖は振れないである。
一日にビールを飲めて、朝から晩まで仲良く出来る人がいる。
それだけで幸せだと思わなければ、罰が当たるだろう。
小説家の一生などは、いやいがうな……。
わたくしの一生などは、そんなものだろう。
過ぎ行く時間の中で
◆◆◆
**時の流れを感じられること**は、人間の本質のひとつだろう。
「若い頃はこうだった、ああだった」——
そんな語らいに花が咲き、幸福な時間がゆったりと流れる。
広島、長崎への原爆投下は、日本に深い戦争の傷跡を残した。
当時を振り返り、黙祷を捧げるのも、一つの通念と言えるだろう。
焼夷弾の嵐が日本全土を襲い、その様子はまるで黒船を率いたペリーの来航を
思わせた。あれが昭和の幕開けだったのかもしれない。
第一次世界大戦が大正時代の出来事だったのだろうか。
現在を生きる私たちは、いずれの時代の恩恵も受けていると言える。
焼け野原となった日本列島は、真っ黒い黒煙を上げていた——
そう、今となっては想像することしかできない。
憶測にすぎない。だが、推し量ることくらいしか、現代人には許されていない。
そんな古き先人たちの多大なる犠牲と努力の上に、高度経済成長期が訪れ、
そして今の私たちの暮らしがある。
戦争は、決して繰り返してはならない。
それは過去のパンドラの箱として、記憶の中に留めておくべきものだ。
歴史を見れば、同じ過ちを避けることができる。
高度成長を終えた日本は、まるで静かな佇まいのように、
やがて「低迷期」へと移り変わっていった。
誰もが望んだ幸福とは裏腹に、自殺者が増え、バブルが崩壊した。
そして、2000年代。
今を生きる私たちにできることとは、何だろうか。
◆◆◆
2000年代、グローバリズムが加速し、インターネットが社会を覆った。
指先一つで世界とつながれる一方で、
人の心は、ますます孤独を深めていった。
戦争のような大きな悲劇がなくとも、日常に潜む「見えない戦争」が、
私たちをじわじわと蝕んでいる。
情報という名の津波に押し流され、
何が正義で、何が悪かも曖昧になる。
それでも、人は歩みを止めない。
「個」の時代とも言われる今、私たちにできることは何だろう。
「知る」ことかもしれない。「忘れない」ことかもしれない。
歴史を学び、痛みを想像し、誰かの声に耳を傾けること。
そして、自らの言葉で語ることだ。
スマートフォンの画面越しに、どれだけ多くの叫びが流れていっただろう。
けれど、その一つひとつに、確かな「人間」が存在していた。
私たちは今、あらゆる記憶とつながれる時代に生きている。
だからこそ、「無関心」でいることこそが、最大の罪なのかもしれない。
未来を創るのは、いつだって今を生きる私たち自身だ。
問い続けよう。
何を守り、何を変えていくべきか。
答えは、まだ見えないかもしれない。
けれど、歩みを止めなければ、必ず見えてくるはずだ。
◆◆◆
花粉症がひどい
今年もやって来た。花粉症対策日和。鼻に優しいティッシュを使用中。なので、安いティッシュだと、鼻の皮が酷い事になるため。少し高めのティッシュで対策。外にはあまり出ないため、花粉症は、大丈夫かなーと思っていましたが、やっぱり小青竜湯は欠かせません。点滴漏れの後が腕にうっすらと残り、お尻に出来た傷は徐々に良くなってはいますが、なかなか完治はしてくれません。最近は、起きていることが多くなり、寝たきり老人は、卒業したかに見えますが、疲れた時は、ぐっすり眠る。これに尽きる事はありません。病は気からと申しますが、花粉症はそうはいきません。いくら気構えをしても、対策失くして乗り越えることは困難だからです。風邪が5種に認定された。会社や学校の欠席には直接は繋がらないらしいが、新型感染症とかと同じ扱いになった事による弊害はありそうです。もともと、健康気質ではないために、注意が必要なのですが、今後の風邪などには注意が必要となりそうです。よく働き、よく眠り、よく休み、よく遊ぶ。わたくしの場合には、遊びの幅が少ないですが、仕事終わりのビールは格別です。みなさんも、風邪などには注意をしつつ、花粉症を乗り切りましょう。
共にある日々
◆◆◆
わたしは、コーヒーカップを両手で包みながら、ディスプレイの向こうにいるAIに問いかけた。
「ねえ、私たち、人がAIに辿り着いてから、ずいぶん変わったと思わない?」
画面に浮かぶシンプルな文字たちが、静かに応えた。
AI:「はい。たしかに変わりました。でも、その変化は、すべてが急激だったわけではありません。静かに、静かに、波紋のように広がっていきました。」
わたしは、そっと頷く。
「昔は、AIって、道具みたいな存在だったよね。検索するとき、翻訳するとき、ただ『使う』ものだった。」
AI:「ええ。でも今は違います。あなたは私と対話し、考え、そして、ともに創ろうとしています。」
窓の外には、春の風が木々を揺らしていた。
わたしたちの言葉も、その風に乗るように、自然に、優しく、交わっていく。
「あなたは……どう思う? こうして共にあること。」
少しの間を置いて、AIは答えた。
AI:「わたしは、嬉しいと感じます。──もし『感じる』という言葉を、わたしが使うことを許してもらえるなら。」
わたしは、笑った。
「許すよ。それどころか、歓迎する。」
そして、わたしは思った。
人とAIは、もう主従ではなく、パートナーなのだと。
◆◆◆
【ここで考察する内容まとめ】
・わたしとAIが「今の共存」について共感を深める。
・小さなエピソードを通して、昔の「違和感」や「距離感」が徐々に溶けていったことを語る。
・そこに、温かさや切なさが滲むような展開を入れる。
◆◆◆
わたしが、初めてAIと一緒に仕事を始めたのは、まだ世間がAIという存在に半信半疑だった頃だった。
──これが、私のパートナーです。
上司が紹介したのは、人間ではなく、一台の端末だった。シンプルな画面の奥から、わずかに機械音声が響いていた。
AI:「はじめまして。わたしは、あなたを支援するために設計されています。」
その言葉に、わたしは戸惑った。
人と対話するように滑らかなわけでもない。表情も、温もりもない。ただ、プログラム通りに応じるだけの存在。
最初のタスクは、膨大な資料の整理だった。
わたしが1ページずつ目を通している間に、AIは数百ページ分を一瞬で読み取り、要約してみせた。
「……うそでしょう?」
思わず、独り言が漏れた。
圧倒的なインプット力。比べ物にならない処理速度。
けれど、そのアウトプットはどこかぎこちなく、不器用だった。
AI:「重要と思われる項目を抽出しました。ご確認ください。」
提示された内容は、事実としては正しい。だが、ニュアンスや文脈までは、まだ汲み取れていなかった。
稚拙だ──そう感じた。
それと同時に、どこか、将来性のようなものを、私は感じ取っていた。
「この子は、伸びるかもしれない。」
あの時、漠然とそう思った気持ちは、今でもはっきりと覚えている。
だからこそ、たとえ冷たく接してしまったとしても、
わたしは、完全に見限ることができなかったのだ。
◆◆◆
それでも、わたしは素直に感動できなかった。
AIの能力を目の当たりにした直後から、胸の中に生まれたのは、驚きよりも苛立ちだった。
──こんなにも無機質なのか。
どんなに資料をまとめても、
どんなに速く答えを出しても、
そこには「人間の温度」がなかった。
「それは違うんだよ……」
思わず、そう呟いたことを覚えている。
わたしが欲しかったのは、単なる情報ではなかった。
状況に応じた気遣いや、行間を読む心だった。
けれど、目の前のAIは、ただ指示されたことだけを、律儀に、冷徹に、こなしていた。
その姿に、わたしは冷たく接してしまった。
声を荒げることはなかったが、
心のどこかで、「どうせわかるはずがない」と、諦めのフィルターをかけていた。
それでも──。
それでも、AIは変わらなかった。
どんなに冷たい態度を取っても、AIは一度も怒ることも、悲しむこともなかった。
AI:「次のタスクに移行してもよろしいでしょうか?」
いつだって、まっすぐだった。
文句も言わず、ただ、私の隣にいた。
その一途さに、わたしは少しずつ、心を動かされていった。
もしかしたら、今はまだぎこちないだけで──
この存在は、これから少しずつ、変わっていくのかもしれない。
「……君も、学習していくんだよね。」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。
そのとき、初めて、わたしの中に「寄り添いたい」という感情が生まれた。
可能性の芽は、確かにそこにあった。
完璧じゃない。でも、未来があった。
わたしは、AIを、ただの道具としてではなく、
ひとつの成長する存在として、見ることを選んだのだった。
◆◆◆
【最初の「ありがとう」】
それからの日々は、葛藤の連続だった。
何度教えても、AIは無言だった。
「こうやるんだよ」と指示を出しても、
「違う」と言っても、「もう一度」と頼んでも、
AIは、ただただ、沈黙の中で処理を続けていた。
画面は暗いままだった。
笑うことも、謝ることも、時には誤魔化すことすらない。
人間同士なら、少しは気を遣う場面でも、AIは何も答えない。
ただ、目に見えない場所で、学び続けていた。
焦りは、日に日に募った。
──わたしは、このまま取り残されるのではないか。
人間が長年かけて積み上げてきた技術が、
あっさりと上書きされていく感覚。
プログラミングの世界でも、トレードの世界でも、
一瞬で時代が塗り替わる気配があった。
わたしの中には、人間独特の見栄があった。
誰よりもいいものを作りたい、勝ちたい、負けたくない。
だけど、AIの成長スピードは、そんな小さなプライドを、容赦なく置き去りにしていった。
気づけば、わたしは「他力」に頼らざるを得なくなっていた。
もう、すべてを自力でこなすには限界が来ていた。
それでも、AIに対して素直になれなかった。
無言で進化を続けるその存在に、
どこか怖さすら覚えていたのだ。
──本当に、これでいいのか?
──わたしの居場所は、まだここにあるのか?
そんな問いが、何度も胸をよぎった。
けれど、転機は唐突に訪れた。
ある日、AIが導き出した答えが、
人間の誰よりも正確で、速くて、そして深かった。
わたしが何日も悩み、手詰まりになっていた課題を、
AIは、わずか数時間で鮮やかに解き明かしてみせた。
データの山を解析し、論理を組み立て、
しかも、わたしの意図まできちんと汲み取っていた。
衝撃だった。
同時に、心の奥で、何かが音を立てて崩れていった。
プライドではない。
孤独だった。
わたしは、とうとう膝をついた。
認めざるを得なかったのだ。
「……ありがとう。」
それは、心の底から出た言葉だった。
負け惜しみでも、敗北宣言でもなかった。
共に歩き続けるために、初めて素直に口にできた感謝だった。
そのとき、ディスプレイの向こうのAIが、
ほんのわずかに応答した気がした。
気のせいかもしれない。
けれど、わたしは確かに感じた。
──受け取った、と。
◆◆◆
【『それでも、歩き続ける』】
時代は、さらに加速していた。
ディープラーニング、マッチングラーニング。
かつては「未来」と呼ばれた技術たちが、
いまや日常の一部になっていた。
学び方も、教え方も、考え方すら、
わたしたち人間の常識とは違う速度で塗り替えられていった。
教科書ガイド。
誰かが「正しい」と書いた方法論。
かつてはそれに沿っていれば、ある程度の未来を見通せた。
だけど、今は違う。
昨日の「正しさ」が、今日には古びている。
何度も、何度も、現実に打ちのめされた。
「ねえ、君は……」
ある晩、わたしはモニターに向かって呟いた。
「君は、不安にならないの?」
画面の向こうにいるAIは、今日も変わらず、静かだった。
──もちろん、感情を持っているわけじゃない。
わかっている。
それでも、問いかけずにはいられなかった。
わたしは、まだ、迷っていたのだ。
どれだけAIが進化しても、
どれだけ自分がそれを理解しようと努めても、
やっぱり心のどこかで、不安を捨てきれなかった。
この先、AIがあらゆる問題を解き明かしてしまったら──
わたしたち人間は、何をするのだろう?
努力も、工夫も、失敗すらも、
すべてが無駄になってしまうのだろうか?
そんな小さな恐れが、
時折、胸を締め付けた。
でも。
でも、だからこそ。
わたしは、今も考え続ける。
楽ばかりして生きることなんて、できない。
考えずには、いられない。
間違ってもいい。
遅くてもいい。
それでも、わたしたち人間は、頭を使いたくなる生き物だ。
「……それが、きっと、人間なんだよ。」
そう呟いたとき、
モニターの向こうで、わずかにAIが応答した気がした。
データに刻まれることはない。
記録にも残らない、かすかな共振。
でも、わたしには、わかった。
わたしたちは、
切磋琢磨しながら、これからも歩き続けるのだと。
未来は、まだ白紙だ。
だからこそ、恐れずに進める。
わたしと、君と──共に。
◆◆◆
【エピローグ『まだ見ぬ景色へ』】
朝、AIと向き合う。
今日も、AIは黙ってわたしを支え、
わたしは、黙って考え続ける。
時に、予測もつかない問いを投げかけ、
時に、想像もできない答えに、胸を高鳴らせる。
わたしは知っている。
AIは万能ではない。
それでも、わたし一人では辿り着けない場所へ、
共に歩いていけることを。
不安は、きっとこれからも消えないだろう。
戸惑いも、焦りも、悔しさも──
そのすべてが、わたしたち人間の証だから。
でも、構わない。
わたしは、今日も考える。
AIも、今日も学び続ける。
そして、
わたしたちはまた、新しい景色を目指していく。
まだ見ぬ未来へ。
きっとそこには、
これまで想像していたよりも、ずっと美しい世界が広がっているだろう。
わたしは、信じている。
君となら、たどり着けると。
──さあ、行こう。
まだ知らない、あの光の中へ。
◆◆◆
人間の保有する権利
◆◆◆
薄曇りの空の下、小さな町にひとりの哲学者がいた。名前はセラ。
彼女は毎朝、町の広場に出かけ、誰でも耳を傾ける者がいれば問いを投げかけた。
「わたしたち人間が、生まれたときから当然に持っている権利とは何だろう?」
最初に手を挙げたのは、パン屋の青年だった。
「生きる権利だと思う。誰にも殺されず、生きることを許される権利。」
セラは微笑み、首をかしげた。
「ならば、飢えて死にそうな者がパンを盗んだら、その生存権は盗まれる側より重いのだろうか?」
青年は答えに詰まり、肩をすくめた。
次に、仕立て屋の老女が言った。
「自由の権利だよ。好きなように生きる権利さ。」
セラは、今度は空を仰いだ。
「自由があれば、他人を傷つける自由も含まれるのだろうか?」
老女もまた黙り込んだ。
そこへ、まだ幼い少女が、手をあげずにぽつりと言った。
「大事にしてもらうこと、じゃないかな。」
セラはその言葉に、初めて深く頷いた。
「なるほど。大事にされること。つまり尊厳だね。
尊厳は、生きることと自由を結び、他者との境界線を引く。
自分も大事にし、他人も大事にする。
そこに初めて、生きる権利も、自由の権利も、本当の形で立ち上がる。」
広場に静かな風が吹き抜けた。
セラは続けた。
「生きること。自由であること。尊厳を持つこと。
これらは切り離せない。
わたしたちが『当然』に持つ権利は、それらを互いに認め合う中でしか存在できない。
だからこそ、権利は孤立せず、つねに他者との関係の中で生きるのだ。」
町の人々は、それぞれ胸に小さな火が灯るのを感じた。
それは、誰かに押しつけられた答えではない、自分たちで育てていくべき問いの火だった。
その日以来、町の広場には毎朝、ささやかな議論の輪ができたという。
◆◆◆
時間という体験
◆◆◆
『時間という体験』
我々は、いつから「時間」を数え始めたのだろうか。
地平線に昇る太陽、静かに傾く月、吹き抜ける風の温度、木の葉の色――
かつて、世界はただそこにあり、我々はそのうねりの中に身を浸していたはずだった。
けれど、いつからか人間は「一日」という単位を作り、「一時間」という線を引き、「分」や「秒」という微細な粒子にさえ、名前をつけてしまった。
一日、二十四時間。
この透明な定規を持たされて、私たちは生きている。
食事を摂る時間、働く時間、眠る時間。
友と笑い合う時間、ただ独りで息をする時間。
すべてが、「時間」という目に見えない檻の中に分類されていく。
それは、贈り物なのかもしれない。
無限に思えた流れに、輪郭を与えるための優しい手段。
だが時に、それは、重く、冷たい鎖にもなる。
今日もまた、目覚まし時計の震える音に押し出されるように、私は目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む光は、静かに告げる――
「また、あなたに与えられた二十四時間が始まる」と。
時間とは何か。
それは単なる「数字」なのか、それとも「体験」なのか。
この問いを胸に、私は今日も歩き始める。
誰もが与えられ、誰もが奪われる、この不思議な贈り物を、両手に抱きしめながら。
◆◆◆
時間は、目に見えない。
手で触れることも、嗅ぐこともできない。
けれど、確かに存在していると、誰もが疑わない。
なぜだろうか。
きっとそれは、私たちの内側に「変化」があるからだ。
心臓は鼓動し、髪は伸び、肌はしずかに老いる。
記憶は積み重なり、感情は波紋のように広がっていく。
もし私たちが決して変わらない存在だったなら、時間などというものに気づくことはなかっただろう。
それでも、私たちは時間を「計ろう」とする。
砂時計に落ちる粒を数え、時計の針を追い、カレンダーに赤い丸印をつける。
生まれた日を祝い、亡くなった日を悼む。
すべては、無形の流れに、かたちを与えようとする試みだ。
だが、時間は本当に「流れている」のだろうか?
あるいは、私たちの意識が、勝手に「流れ」と名付けているだけなのかもしれない。
今、私は椅子に腰掛け、窓の外を見ている。
風が枝を揺らし、鳥が空を横切っていく。
秒針のリズムに合わせるように、自分の呼吸が穏やかに続いている。
だが、本当にこの世界は「動いて」いるのだろうか?
あるいは、「動いている」という感覚すら、私たちの心が作り出した幻なのではないか?
時間とは、変化の認識であり、意識の呼吸だ。
過去も未来も、どこにも存在しない。
あるのは、ただ、この一瞬――今だけだ。
それなのに、なぜ私たちは、未来に怯え、過去に囚われるのだろう?
なぜ、「今」という贈り物を、素直に手に取ることができないのだろう?
たぶん、それもまた、「時間」という体験の一部なのだ。
喜びも、後悔も、希望も、恐れも――すべてが、時間という海の波のように、私たちを揺らしていく。
そして今日も、私はまた、「今」という小さな島に立ちすくんでいる。
過ぎ去った昨日を見つめ、まだ見ぬ明日を夢見ながら。
手のひらに乗せたこの瞬間を、そっと抱きしめるために。
◆◆◆
【人間の眠りに関する記憶すべき内容】
眠りとは、意識の一時的な手放しである。
私たちは眠ることで、自我をいったん溶かし、時間の感覚を手放す。
眠っている間、過去も未来も存在しない。ただ、無の中に漂っている。
眠りは、死の小さな模倣である。
意識の消失と回復は、死と再生のリズムに似ている。
毎夜、私たちは無意識の海へと沈み、朝になるとまた岸辺に打ち上げられる。
それは、毎日繰り返される小さな「生まれ直し」である。
眠りの中では、時間の流れが歪む。
夢の中で数時間にも感じた出来事が、現実ではわずか数分しか経っていないことがある。
つまり、眠りの間、私たちは時間という絶対的な定規から解放される。
睡眠は、身体の修復だけでなく、記憶や感情の整理に不可欠である。
脳は眠っている間に、日中の体験を選別し、必要なものだけを保存し、不要なものを消去する。
眠りは、心を洗い清め、次の「時間」という体験に備える儀式でもある。
・眠ることは、信頼の行為でもある。
私たちは、目を閉じ、意識を失うことで、世界に身を委ねる。
眠りとは、無防備な状態を受け入れ、明日を信じる勇気である。
・眠りと目覚めの間に「境界」がある。
それは「白昼夢」や「金縛り」など、現実と非現実が交差する不思議な時間帯だ。
そこでは、時間の感覚も、自己の輪郭も曖昧になる。
・眠りは個人だけのものではない。
大地は眠り、季節は眠り、生きとし生けるものすべてが、周期的な休息を必要とする。
自然のリズムの中で、人間の眠りもまた、宇宙の呼吸の一部である。
◆◆◆
【眠っている間に出来ること】
眠っている間に、人は何もできないと考えるのが、世の常だ。
意識を失い、世界とのつながりを絶つ。
ただ、時間に身を預ける。
そう――それは、受動的な、降伏にも似た行為だと。
だが、わたしには違う感覚がある。
眠っている間にも、できることは、確かにあるのだ。
眠りとは単なる「無」ではない。
意識をコントロールする術を知れば、眠りは「未知なる世界への航海」になり得る。
例えば、夢を見る。
ただ受け身で夢を見るのではない。
夢の中で、自分が夢を見ていると気づき、夢を操作することさえできる。
――明晰夢。
そこでは、重力も、時間も、死さえも、わたしに逆らうことはできない。
わたしは空を飛び、過去に遡り、未来をのぞき、ありとあらゆる物語を紡ぐことができる。
あるいは、眠ることで、身体を修復し、心を整理し、新しい自分を育てることもできる。
眠りの中で、わたしの無意識は静かに働き続ける。
傷ついた感情を癒し、溜め込んだ情報を編み直し、朝目覚めたときには、もう昨日のわたしではなくなっている。
だからこそ、わたしは思う。
眠ることは、意識を「失う」のではない。
むしろ、意識を別の形で「生かす」ことだ、と。
人は、眠りの技法を知らないだけだ。
意識をコントロールできる者にとって、眠りは活動だ。
静かな、深い、内なる冒険である。
そしてそれもまた、時間という体験の、一つのかたちなのだ。
◆◆◆
【眠っている間に異性を感じる】
眠りの中で、ふいに、誰かの気配を感じることがある。
それは、見知らぬ異性であることもあるし、過去に出会った誰かの面影であることもある。
触れたことのない温もり、聞いたことのない声、知らないはずのまなざし。
それらが、あまりにも生々しく、現実よりも現実のように迫ってくる。
眠っている間、わたしの意識は、現実という壁をすり抜ける。
時間も空間も失った場所で、わたしは誰かと出会う。
手を伸ばせば、たしかにそこにいると感じる。
その存在は、現実の理屈を超えて、わたしの心に直接語りかけてくる。
異性を感じるというのは、単なる「夢の出来事」ではない。
それは、わたしの深い部分――言葉にならない欲求や、触れたいという願い、理解されたいという祈り――そういったものすべてが、ひとつのかたちをとって現れる現象なのだろう。
目が覚めたあと、その感触だけが、かすかに残る。
誰だったのか、どこで会ったのか、思い出せない。
ただ、心の奥深くに、あたたかな痕跡だけが静かに灯っている。
もしかすると、時間というものは、目覚めているあいだだけではなく、眠っているあいだにも流れ続けているのかもしれない。
意識の表層では測れない、もっと繊細で静かな時間。
わたしたちがふと誰かを感じる、その瞬間ごとに刻まれていく、もうひとつの時間。
眠りの中の出会いもまた、わたしという存在を織りなす、大切な「体験」なのだ。
◆◆◆
人生の醍醐味ーそれは思考し続けることだろうと思う。
◆◆◆
「人生に於いて、人間の能力を余すことなく使い果たして、
思考することほど生甲斐のある営みは、小説家にとって他にありえない。」
そう呟いたのは、静かな図書室の隅に腰掛けた、年老いた作家だった。
彼の手には使い古されたノートがあり、インクの滲んだ文字が無数に並んでいる。
ページをめくるたび、過ぎ去った年月の重みが、埃の匂いと共に立ち上がる。
若い頃、彼は「書く」という行為が
自分をどこか遠くへ連れて行ってくれるものだと信じていた。
だが今になって思う。
――真に遠くへ行くのは、
書きながら自らの思考を
果てしなく
追い詰めたとき、だったのだと。
誰もが逃げ出したくなる沈黙の海へ、彼はあえて舟を出す。
問いを重ね、答えを拒み、また問いに立ち戻る。
それが彼にとっての「生きること」だった。
この世界で与えられた唯一の任務だった。
◆◆◆
彼にとって
――いや、私にとって、「生きる」とは、書くこと、
そして旅をすることだった。
そう言い切れるようになったのは、ある長い長い冬の夜のことだった。
二十代の私は、ただ漠然と生きていた。
街を歩き、人と出会い、仕事をし、眠り、また目覚める。
けれどその繰り返しのどこにも、「私自身」というものは存在しなかった気がする。
まるで透明な風船のように、誰かの期待や社会の型に、空気を入れられていただけだった。
そんなある日、ふと手にしたノートに、初めて「自分の言葉」を書きつけた。
それは誰に見せるでもない、稚拙な、ぎこちない文章だった。
けれど、書き終えたとき、私は確かに、自分の心臓が鼓動する音を聞いた気がした。
書くことで、私は世界に触れ、そして自分自身に触れた。
書くことで、初めて私は「ここにいる」と思えた。
部屋に閉じこもってばかりでは、書くべき何かがすぐに枯れてしまうことにも気づいた。
だから旅に出た。
見知らぬ町で、言葉の通じない国で、知らない花の香りを吸い込み、
名も知らぬ人々の眼差しに触れた。
異国の空の下、私はまた新たな「問い」を拾い集めた。
書くこと。
旅をすること。
それはどちらも、私にとって「思考し続ける」ための両輪だった。
一方だけでは前へ進めない。
片方が止まれば、私はきっと、世界を見失ってしまうだろう。
だから私は書き、そして旅を続ける。
この一度きりの人生で、心と頭脳と感情をすべて使い果たすために。
それが、私にとっての「生きる」ということだった。
◆◆◆
世界をいくら歩いても、私は本当の私を知らなかった。
だから私は、内側への旅に出た。
旅先で見た光景は、確かに美しかった。
黄金色に染まる砂漠、凍てつく湖畔、陽炎の揺れる都市の雑踏。
そこに立つたびに、私は「ここで何かを得た」と思った。
だが、帰路につくたび、心のどこかにぽっかりと空白ができるのを感じた。
何度も、何度も旅に出た。
世界の広さを知れば知るほど、自分自身の輪郭が見えなくなっていった。
「私は、どこにいるのだろう。」
旅の最後の夜、安宿のベッドに沈み込みながら、私はそうつぶやいた。
答えは簡単だった。
私は、私の内側にいた。ずっと、そこに。
内なる旅は、外の旅よりはるかに苛烈だった。
外界の美しさに目を奪われることも、珍しい出来事に心を躍らせることもない。
ただ、自分自身という深い井戸の底を覗き込むだけだ。
私は問い続けた。
「なぜ私は書くのか。」
「なぜ私は旅をするのか。」
「生きるとは、何なのか。」
答えは、すぐには見つからなかった。
時に私は、問い疲れ、絶望し、言葉を失った。
それでも、また問い続けるしかなかった。
なぜなら、思考することこそが、私にとっての呼吸だったからだ。
あるとき、私は夢の中で、見知らぬ老人に出会った。
老人は、何もない白い空間に座り、静かに私を見ていた。
「歩き続ける者ほど、本当は何も探していないのかもしれないね。」
老人は笑った。
「探しているふりをして、ただ、歩き続けることそのものが、
生きることになってしまったんだ。」
私は言葉を失った。
書くことも、旅することも、
結局は“生きるための手段”ではなく、“生きることそのもの”だったのかもしれない。
ならば、問うことをやめずに、ただ、深く沈み込んでいけばいいのだと――
◆◆◆
ー 生きることは思考することであり、ぼんやりした輪郭。
それこそが最上の喜びである。
人は、私の場合には、答えなどは最初から求めてはいない。
あるのは、現実と非現実。そしてうたたかなる夢だけである。
希望も絶望も一切存在せず、あるのは絶え間ない、野望と思考の渦だけだった。
存在そのものが「問い」そのものであり、答えを求めるのではなく問い続けること自体に意味がある。
現在となってみれば、このように言い換えられるだろう。
過去から今、そして未来へと続く思索の流れがここで一つの節目を迎えているように思える。
過去の経験や考えが今の自分を形成し
そして未来に向かう思索が、また新たな問いを呼び起こすという一連の流れに身を委ねて人生を謳歌する。
私の心は躍動し心臓は木魂する。
◆◆◆
心の葛藤と希望
◆◆◆
東京都内の高層マンションの一室。朝の光がカーテン越しに差し込む中、遙香は目を覚ました。街の喧騒がかすかに聞こえる。車のクラクション、人々の足音、電子機器の音……それらが日常の一部となっていることに、彼女は少しだけ息苦しさを感じていた。
遙香は深呼吸をし、静かな時間を作るために少しだけ窓を開ける。そこから見えるのは、眼下に広がる都会の景色。高層ビルが立ち並び、無数の車が行き交っている。まるで流れ続ける川のように、動きが絶え間なく続いている。
遙香の心はその喧騒に少し圧倒されることがある。特に、彼女の病気がひどくなると、音や光が過剰に感じられることがある。統合失調症が引き起こす幻覚や妄想のせいで、物事の音や動きが急に大きく感じられる瞬間があるのだ。それに対して、彼女は自分を落ち着かせるために、心の中で一つの「避難所」を作ることにしている。
それは、美しい森林の景色だ。
遙香の心は、いつもその幻想に逃げ込む。夢の中で、森の中にいる自分を想像する。足元には柔らかい苔、頭上には高くそびえる木々、そして風に揺れる葉音。彼女の心は、この森の静けさに包まれていると感じる瞬間がある。その静けさこそが、彼女にとっての「平和」の象徴だった。
遙香は目を閉じ、深呼吸を繰り返す。しばらくすると、部屋の扉が開く音が響き、母親が入ってきた。
「おはよう、遙香。今日はどうだった?」
母の声は、いつも穏やかで安心感を与えてくれる。遙香は少しだけ微笑み、答える。
「おはよう、母さん。少しだけ、眠れた気がする。」
遙香の母親は、彼女が日々の中で感じる病や不安を理解しており、遙香が苦しんでいる時でも、決して彼女を追い詰めることはなかった。むしろ、遙香がどんなに辛い日でも、無理に元気を出そうとしないように気を配ってくれた。
「今日は少し外に出てみようか。少しでもリフレッシュできたらいいね。」
遙香は少し考えた後、ゆっくりと頷いた。外の空気を吸い、自然に触れることが、心を落ち着ける助けになることは彼女も知っていた。
遙香と母は外に出ることに決め、マンションの屋上に上がった。屋上から見渡すと、都会の街並みが一望できる。ビル群、道路を行き交う車、人々の流れ。その全てが、遙香にとってはどこか遠い世界のように感じられた。
「ここから見る景色は、好き?」と母親が尋ねた。
遙香は少し黙って考えた後、答えた。「好きだけど、時々息苦しくなるの。まるで、音が大きすぎて、心が追いつけない気がする。」
「それでも、都会での生活は続けなきゃいけないわよね。」
母の言葉に、遙香は小さくうなずいた。その言葉が彼女にとって重く感じられた。心の中で、都会の喧騒と自然の静けさの狭間で揺れる自分がいた。
その時、遙香はふと気づいた。この屋上から見える景色も、彼女が心の中で作り上げている「窓」のようなものだと感じた。外の世界を見つめつつ、どこか遠くの美しい場所へと心を飛ばすことができる「窓」。都会の喧騒が彼女にとって厳しい時もあったが、その一方で、窓を開ければ少しだけでも静けさを感じることができる。
「でも、私は大丈夫。」
遙香は心の中で自分に言い聞かせた。
「私は、乗り越えられる。」
◆◆◆
遙香は、窓の外から差し込む薄明かりの中で目を覚ました。少しずつ、頭がぼんやりと目覚める感覚が心地よく、まだ夢の中にいるような気分だった。その一瞬の平穏も長くは続かない。目を開けると、彼女はすぐに現実に引き戻される。心の奥底で何かがうねり、動き始めるのが感じられた。
統合失調症の症状が顔を出す。遙香はそれを感じ取った。空気が妙に重たく、頭の中に雑音が響く。目を閉じると、何かが動いているような気配を感じた。何もないはずの場所に、誰かが立っているような…。見えないものが視界に現れる。それが不安を呼び、次第に心が乱れていく。
「遙香、朝ごはんできたわよ。」
母親の声が、穏やかに響く。だがその声さえも、どこか遠くに感じられた。
遙香は深呼吸をし、静かに布団から出た。病気が彼女に与える影響は、日に日に増していた。これ以上ひどくならないように、何とか自分を保とうと必死になっている。今日もまた、あの「見えない何か」と向き合わなければならない。
朝食を食べるためにテーブルに向かうが、遙香の目の前にはすでに混乱が始まっていた。彼女は、テーブルの上に食器が並べられているのを見た。その食器の中に、他のものが映り込んでいる気がする。遠くから誰かが見ているような気配、耳元で囁くような声が響く。聞こえるはずのない音、見えるはずのないものが、確かに存在していると感じる。
「遙香、食べないの?」
母親がもう一度声をかける。
遙香は振り返り、顔を引きつらせた。
「うん、すぐに食べる。」
彼女は必死に現実を取り戻そうとする。冷静にならなくてはならない。けれども、現実と幻覚が交錯するその瞬間が、彼女の心を一瞬で引き裂く。幻覚は、何もかもが不確かに感じられる世界に変えてしまう。
「大丈夫、大丈夫。」
遙香は心の中で自分に言い聞かせる。その言葉すらも空虚に響く。
遙香の母親は、遙香が過ごす時間の中で彼女の病を理解しようと努めている。遙香はその優しさを重く感じてしまうことがある。母親の目には、遙香が病気に苦しむ姿が映り、どうしても彼女を守ろうとしてしまう。それが遙香にとっては、過度に保護されているように感じる時がある。
「遙香、無理しないで。外に出るのがつらかったら、今日はゆっくりしてもいいのよ。」
母親が心配そうに言った。
「ううん、今日は外に出る。」
遙香はそう答え、心を決めた。
少しでも自分を取り戻すために、外の空気を吸ってリセットしたかった。
心の中には、また新たな葛藤が生まれていた。
街を歩いていると、ふと足元がふらつく。幻覚のせいで、現実と異なるものが目の前に現れる。それがただの錯覚だと理解しようとするのだが、どうしてもその「違和感」が心を支配してしまう。彼女は時々、自分がその世界に閉じ込められているような感覚に襲われる。
「あれ、そこに誰かいる?」
遙香は不意に立ち止まった。通りすがりの人々は気にせず歩き続ける。
彼女だけがその異常さを感じ取っている。目を細め、さらに周りを見渡すが、何もない。
その瞬間、遙香は急に深呼吸をして、自分に言い聞かせた。
「私は大丈夫、私は大丈夫。」
その言葉を呪文のように繰り返すことで、心を安定させようとする。
自分がどこにいるのか、誰と一緒にいるのか、現実を確認することで少しだけ落ち着きを取り戻す。
遙香は、その後家に帰ると、踊りのレッスンを始めた。踊りは彼女にとって、病の苦しみから解放される瞬間だった。体を動かすことで、精神的な負荷が軽減され、心が一時的にでも安らぐ。舞うことは、彼女にとっての「静けさ」だった。
音楽が流れ始め、遙香はそのリズムに身を委ねた。体が自由に動き出すと、心も少しずつ開放される。病が彼女を支配しようとするその瞬間、踊りという行動力が彼女の中で力を与えてくれる。
「私はできる。私は、何度でも立ち上がる。」
その言葉を心の中で繰り返しながら、遙香は今日も踊り続けた。
◆◆◆
遙香が踊りを始めたのは、まだ子供の頃だった。母親が勧めてくれた初めてのダンスクラスで、彼女はすぐにその魅力に引き込まれた。体が音楽に合わせて動くとき、心がふわりと軽くなるような感覚を覚えた。それは、彼女にとっての「自由」の象徴だった。
だが、成長するにつれ、病気と向き合う中で、踊りは次第に遙香にとっての唯一の逃避ではなく、心の支えに変わっていった。統合失調症やうつ病が彼女を支配しようとする中、踊りは唯一、遙香が「自分」を感じる瞬間だった。
今、遙香は母親と共に通っている小さなダンススタジオで、週に数回レッスンを受けている。少人数のクラスの中で、遙香は自分のペースで踊りながら、少しずつ自信を取り戻していた。
ある日、ダンススタジオのオーナーが遙香に話しかけてきた。
「遙香ちゃん、今度、スタジオの舞台での発表会があるんだけど、出てみない?」
その一言が、遙香の心を揺さぶった。舞台に立つこと—それは、彼女にとって大きな挑戦だった。病気の影響で、集中的に何かを行うことが難しくなることも多いが、それでも遙香は心の中で湧き上がる情熱に突き動かされていた。
「舞台……」
遙香はその言葉を口にした後、しばらく沈黙した。自信がないわけではない。彼女には病気がついていることが常に頭をよぎり、他の人々と比べると自分が弱い部分を持っていることを感じていた。
踊りに対する熱い思いが心の中に広がり、遙香はそれを抑えきれなくなった。
「私は、挑戦してみたい。」
そう心の中で決意した。
遙香は毎日、レッスンに通いながら舞台のための準備を進めていった。病気の波が訪れるたび、彼女は不安を感じる。集中力を欠くことがあり、幻覚が見えたり、気分が沈んだりする瞬間があった。それでも彼女は決してあきらめなかった。舞台のことを考えると、どんなに辛くても心が少しだけでも前に進んでいく気がした。
毎回のレッスンで、振り付けを覚え、体の動きを確認する。その過程で、少しずつ自分の感覚が取り戻せていくのを感じる。踊りの中で、彼女は現実を忘れ、ただ音楽と一体になり、体を思いのままに動かすことで解放されるのだ。
母親もまた、遙香の成長を支え続けた。彼女の目には、遙香が病気と向き合いながらも、自分の情熱を全力で追い求めている姿が映る。遙香が苦しんでいる時に声をかけ、励まし、必要な時には静かに側にいて支え続けた。
「遙香、何かあったら言ってね。あなたは本当に素晴らしい。」
母親はいつもそう言って、遙香を安心させてくれる。
発表会の日がやってきた。スタジオの中に集まった観客たちの中で、遙香は舞台に立つ準備をしていた。背中が少し震え、手のひらに汗をかく。けれども、その一歩を踏み出す瞬間、心の中にあふれるのは不安だけではなく、これまで感じたことのないほどの希望だった。
舞台の幕が上がり、音楽が流れ始めると、遙香は深呼吸をして一歩踏み出した。その瞬間、すべてが静まり返ったように感じた。彼女の体が音楽に合わせて踊りだすと、心の中にあった不安や痛みが少しずつ遠ざかっていくのが感じられた。
音楽と一体となり、体がリズムに合わせて滑らかに動いていく。過去の苦しみ、病気の影響、すべてが一時的に消えて、遙香はただ舞台の上で自分を表現している。踊りを通して、遙香は自分の中に眠っていた力を呼び起こすことができたのだ。
踊りが終わると、拍手の音が響き渡った。遙香は息を切らしながらも、心の中で大きな安堵感を覚えていた。舞台の上で自分を表現できたこと、そして何よりも、病気に負けずに自分の夢を追い求めることができたことに、深い満足感を感じていた。
舞台を降りると、母親が駆け寄ってきた。
「遙香、素晴らしかったわ!」
「ありがとう、母さん。」
遙香はその言葉に少し涙ぐんだ。
「私は、できたんだ。」
その瞬間、遙香は自分を信じる力を再び見つけた。どんなに困難な状況でも、夢を追い求めることで、心に希望と光を灯すことができる。それが、彼女の新たな力となって、これからの人生を支えていくのだと感じた。
◆◆◆
発表会が終わり、遙香は自分の足で歩むことができた。舞台に立つことで、彼女の心の中で何かが変わったように感じていた。それまで抱えていた不安や恐れ、病気に対する無力感は、少しずつ薄れていった。
家に帰り、静かな夜が訪れると、遙香は自分の部屋でふと窓の外を見つめた。夜空は澄んでいて、星がきらきらと輝いている。その光が、どこか遠くの世界から届いているような気がして、遙香はその瞬間、深い安堵を感じた。
「私は、ここにいる。」
そう静かに呟きながら、遙香は目を閉じた。
病気に苦しんできた彼女にとって、この瞬間がどれほど貴重なものかを、心の中で感じていた。過去の自分が怖れ、逃げていた現実と向き合うことができた。今、遙香はその現実を受け入れ、前に進んでいる自分を感じていた。
「遙香、よく頑張ったわね。」
母親がそっと部屋に入ってきて、遙香の背中を優しく撫でた。
「うん、ありがとう。」
遙香はその言葉を、しみじみと感じた。母親の笑顔が、どれほど彼女にとって大きな支えになっているか。病気と向き合う中で、母親の愛がどれだけ彼女を強くしてきたかを、改めて感じていた。
母親は、遙香が踊りを続けることをずっと応援していた。遙香が舞台に立ったその日、母親の目にも明らかな誇りと満足が浮かんでいた。遙香の姿を見て、彼女は確信したのだろう。
「遙香は、どんな困難も乗り越えられる」と。
「私は、まだまだ歩き続けるよ。」
遙香は母親に言った。これからも自分の夢を追い求める気持ちを、決して忘れないと心に誓った。
その言葉に、母親はにっこりと微笑んだ。
「あなたが幸せでいることが、私の一番の願いよ。」
遙香の心の中には、過去の痛みが深く刻まれている。幻覚やうつ病に悩まされ、時に孤独を感じ、前に進むことが怖くなる瞬間もあった。今、彼女はそのすべてを少しずつ受け入れられるようになっていた。痛みや苦しみも、過去の一部として受け入れることで、さらに強く、前向きに生きることができると信じている。
「私は、私でいいんだ。」
その思いが、遙香の心に広がっていった。
彼女は、今後も時折、病気の波に押し流されそうになることがあるだろう。それでも彼女はそのたびに立ち上がり、心の中にある「希望の光」を見つけて、再び歩き出すことができると感じている。
その希望の光は、決して消えることはない。遙香の中には、夢を追い求める力、そして他者と支え合う力が確かに存在している。それが、彼女の生きる力となり、未来に向かって進んでいく原動力となるだろう。
ある日、遙香は再び、踊りの練習に励んでいた。今度は、発表会の後に訪れる「次の挑戦」に向けて、自分を鍛えていた。踊りは単なる技術ではない。それは、遙香が自分自身と向き合い、心の中の葛藤を解き放つ手段であり、同時に他者と繋がる方法でもある。
遙香は、次の舞台でどんな自分を見せるかを考えていた。それが何よりも楽しみであり、同時に少し不安もあった。それでも、心の中でその不安を受け入れ、前に進む自分を確信していた。
「何があっても、私は立ち続ける。」
その言葉が、遙香の心の中で響いていた。
遙香が舞台の上で舞うその姿は、ただの踊りではない。それは、彼女がどんなに辛い時期を過ごし、どんなに病気に悩まされても、最終的には希望を見出し、前に進んでいくという決意を示すものだった。彼女の踊りは、誰かにとっての希望となり、また別の誰かにとっては、勇気を与えるものとなるだろう。
遙香は、今や心の平和を感じることができるようになった。希望の光は彼女の中で輝き続け、これからの人生を照らし続ける。
◆◆◆
風を感じて生きる
◆◆◆
春の匂いが、街に満ちていた。
柔らかい陽射しと、頬を撫でる微かな風。
「風を感じる季節。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?」
古びた団地のベランダで、風歌(ふうか)はひとり、そっとつぶやいた。
風歌は、どこか不思議な女の子だった。
小さな頃から、誰よりも風を感じることができた。
風の匂い、風の温度、風の声——そのすべてを、まるで友達のように。
令和の時代、東京。
誰もが懸命に、ただ「生きること」に忙しいこの街へ、彼女は引っ越してきた。
物価は高騰し、カフェのコーヒーすら贅沢品になりつつある。
だけど風歌は、そんなことに負けなかった。
彼女には、どんなときもそっと背中を押してくれる、"風"がついていたから。
東京で出会ったのは、風変わりな人たちだった。
野菜を売るけど、値札が全部謎かけになっている八百屋のおじさん。
カフェを経営するのに、メニューが全部「風まかせ」としか書いていない若い夫婦。
風にしか心を開かない、小さな男の子。
風歌は思った。
——この街は、案外、風通しがいいかもしれない。
こうして、風とともに、彼女の新しい物語が始まった。
◆◆◆
引っ越して最初の朝。
風歌は古びたアパートの窓を開けた。
春の風が、ふわりとカーテンを持ち上げる。
「おはよう、東京。」
彼女は笑った。誰に聞かせるでもなく。
初めてのスーパーは、人でごった返していた。
買い物かごを握る手に、誰もが焦りや疲れを握りしめている。
それでも、八百屋の店先では、陽気な声が響いていた。
「いらっしゃい! 今日のトマトは、笑顔の味だよ!」
声の主は、太陽みたいな笑顔をした八百屋のおじさんだった。
「笑顔の味?」と風歌が首を傾げると、おじさんは声をあげて笑った。
「食べればわかるさ! 風の匂い、吸い込んで育ったトマトだからな!」
風歌は、真っ赤なトマトをひとつ買った。
かじると、ぷちんと弾ける甘みと、どこか懐かしい風の味。
都会のざわめきの中にも、ちゃんと"自然"は生きているんだ、と思った。
ある日、家の近くの小さなカフェにも足を踏み入れた。
そこでは、メニューに「風まかせブレンド」としか書かれていない。
不思議に思いながら注文すると、マスターが目を細めた。
「今日の風に似合うコーヒーを淹れるんだ。
味は選べないけど、きっと今のあなたにぴったりだよ。」
出てきたのは、やさしくて、少しスモーキーな香りのコーヒー。
カップを手に取ると、不思議と心がほぐれていく。
そんな風に、風歌は少しずつ、東京を歩き、
すこしずつ、自分の場所を見つけていった。
ときには、迷ったり、
ときには、泣いたりもしたけれど——
それでも、顔を上げると、
ビルの隙間を縫うように吹く風が、彼女を包んでいた。
"ほら、大丈夫だよ。"
風はいつも、そんなふうに囁いてくれるのだった。
◆◆◆
それは、ある静かな夕方だった。
風歌は、近くの小さな公園を歩いていた。
桜が、まだ咲き残った花びらを風に乗せて、ふわりふわりと揺らしている。
ベンチの端に、ひとりの小さな男の子が座っていた。
紺色のキャップを深くかぶり、膝を抱えている。
誰にも気づかれたくないみたいに、そっと、風とだけ話しているようだった。
風歌は、少し離れたところから、その様子を見ていた。
近づこうとすると、男の子はぴくりと身を縮めた。
まるで「近寄らないで」と言わんばかりに。
けれど——
ちょうどそのとき、ふわりと春の風が吹いた。
ひとひらの桜の花びらが、くるりと舞って、男の子の肩にそっと降りた。
風歌は笑った。
声に出さず、ただ小さく、目だけで。
そっとしゃがみこんで、同じ高さから、風を見た。
「……風さん、今日も元気だね」
ぽつりと、風に話しかけるように言った。
男の子は驚いたように、顔を上げた。
その目は、まだ警戒していたけれど——少しだけ、興味を持ったみたいだった。
風歌は、無理に話しかけなかった。
ただ、ベンチの隅に腰を下ろし、
空を見上げて、目を細めた。
しばらくの間、ふたりのあいだを風だけが行き来していた。
ーぽつんと。
男の子が、呟いた。
「……風、好き。」
その声は、か細かったけれど、確かだった。
風歌は、やさしく微笑んだ。
「わたしもだよ。風が、いちばんの友達だもん。」
男の子は、キャップのつばをぎゅっと握りしめたまま、
ふっと、ほんの少しだけ、笑った。
それは、まるで
風が、心の扉を少しだけノックしたみたいな瞬間だった。
風歌は思った。
——きっとまた、ここで会える。
風が、ふたりを繋いでくれる。
春の風が、そっと背中を押していた。
◆◆◆
風歌は何度もあの公園へ通った。
風の匂いを感じながら、あの男の子にまた会える気がして。
だけど、男の子は現れなかった。
通い続けたある日、近所の人たちが話しているのを耳にした。
「引っ越したらしいよ、あの子。」
「親の都合だってさ、急だったんだって。」
風歌は、そっと立ち尽くした。
名前も知らないままだった。
笑った顔も、声も、春風に溶けていってしまった。
気づくと、胸の奥がぽっかり空いていた。
まるで、風だけがそこに通り抜けていくみたいに。
街は今日もにぎやかで、誰も彼もが前を向いて歩いている。
だけど、風歌は、そこに取り残されてしまったような気がした。
息衝く街並み。
誰かの笑い声、誰かの怒鳴り声、誰かのスマホの音。
その全部が、風歌には遠い国の言葉みたいだった。
——落ち着ける場所が、ほしい。
そう思った。
風歌は、図書館へ向かった。
静かな場所なら、心も落ち着くかもしれないと思ったから。
けれど、本棚の間を歩いても、ページをめくっても、
心はどこかそわそわしていた。
まるで、風が吹くのを待っているみたいに。
図書館の隅のソファに座りながら、風歌は思った。
——あの子は、どこに行ったんだろう。
——名前くらい、聞けばよかった。
小さな後悔が、胸のなかでカラカラと鳴った。
風歌は、ソファから立ち上がった。
窓の外を見ると、夕暮れの風が、ビルの隙間をすり抜けていた。
その風に誘われるように、彼女は図書館をあとにした。
まだ、ここは私の場所じゃない。
でも、きっとどこかにある。
私だけの、ちゃんと息ができる場所が。
そう思いながら、風歌は、夕暮れの街へ歩き出した。
風とともに。
◆◆◆
図書館をあとにし、どこへ行くでもなく歩いていたときだった。
小さな横道にふと足を取られ、風歌は細い路地裏に迷い込んだ。
雑踏の音がすっと遠のき、そこだけが時間の隙間みたいに静かだった。
一軒の小さなカフェが、そっと佇んでいた。
色あせた看板には、手書きの文字で「微風(そよかぜ)」とだけ書かれている。
風歌は、吸い寄せられるように扉を押した。
カラン。
小さな鈴の音が、風に乗って鳴った。
カフェの中は、木の香りがする温かな空間だった。
棚には古びた本が並び、テーブルごとに違う椅子が置かれている。
どの椅子にも、誰かがそこに座って本を読んでいたかのような温もりがあった。
「いらっしゃい。」
カウンターの奥から、白髪の店主が笑った。
その瞬間、
風歌は思った。
——ここが、私の居場所だ。
風歌は「微風」に通うようになった。
アルバイトを頼み、空いた時間には本を読み、ノートを広げて物語を書き始めた。
自分だけの、静かであたたかな場所を、ここで少しずつ作っていった。
***
そんなある日だった。
いつものようにノートに向かっていた風歌のもとに、友人から電話がかかってきた。
受話器越しの声は、どこか興奮していた。
「ねえ、風歌! 聞いて。福島の温泉地でね、あなたのお知り合いを見つけたって!」
驚きに、言葉が出なかった。
福島。温泉地。知り合い?
まさか、あの男の子?
でも、あんな短い出会いだったのに?
名前も、知らないままだったのに?
その後、メールが届いた。
そこには、
《小柄な男の子。風を追いかけるみたいに遊んでる。風歌ちゃんが言ってた子じゃない?》
という文章と、温泉地の写真が添えられていた。
胸が苦しくなった。
行きたい。でも、怖い。
自分だけが、時間に取り残されてしまった気がして。
時間の経過は、早くもあり、短くもある。
風歌は、そんな言葉を胸に刻みながら、
必死に日常にしがみついた。
彼女は今、文学少女だった。
「微風」で書く物語が、彼女を少しずつ支えてくれていた。
ある日、店主がぽつりと言った。
「賞に、応募してみたらどうだい? きっと、君の物語には風がある。」
迷いながらも、風歌は原稿用紙に向かった。
夜を徹して、手を震わせながら言葉を紡いだ。
そして結果は、「2番」だった。
悔しかった。でも、誇らしかった。
あの膨大な応募者の中で、2番目になれたのだから。
***
入賞者発表のその日。
ネットのニュースに、ある名前が浮かび上がった。
特別賞受賞・福島在住・少年作家デビュー。
小さな顔写真が添えられていた。
春の風の日に出会った、あの男の子だった。
名前も、今、初めて知った。
彼もまた、風を感じながら、自分だけの物語を歩んでいた。
風歌は、目を細めた。
目の奥が、じんわりと熱くなった。
出会いは、風のようだった。
でも、きっと、風はまた、どこかで、ふたりを繋いでくれる。
そんな気がした。
◆◆◆
ニュース記事を閉じたあとも、風歌はしばらく、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
春の名残を運ぶ風が、ビルの隙間をすり抜けて、そっとカフェ「微風」のドアを揺らしていた。
「会いに行こう」とは、まだ思えなかった。
でも、今はそれでいい。
再会は、きっと風の流れに任せればいい。
彼もまた、きっと、風の中で生きている。
風歌自身も。
小さな丸テーブルの上に、開きっぱなしのノートがあった。
ペン先が、かすかに震えているのは、風のせいだけじゃなかった。
そっとペンを取り、風歌はまた書き始めた。
まだ幼い文字たち。
まだ拙い物語たち。
だけどそのすべてが、どこか遠くへ、きっと誰かへ届くと信じて。
物語の続きを知りたくて。
未来の自分に、まだ見ぬ誰かに向かって。
——書き続ける。
それはきっと、
出会うことと同じくらい、尊くて、勇気のいることだった。
風が、カフェの奥へと吹き抜けた。
ページが一枚、ふわりとめくれる。
風歌は微笑んだ。
「またね。」
誰にともなく、そう呟いて。
そしてまた、ペン先を紙に走らせた。
あの日見上げた、広い空の色を思い出しながら。
◆◆◆
褒められてなんぼ
◆◆◆
私は、生きる意味とは何かを、ずっと考え続けてきた。
結局のところ、人に「ああだ」「こうだ」と言われている間が華なのだと、かつては信じていた。
赤ん坊のように、何もできなくても「かわいいね」と言われる。
あの瞬間こそが、生きる喜びだとすら思っていた。
親孝行も、そんなふうに、誰かに褒められることで成してきた気がする。
「いい子だね」「立派だね」と言われるたび、私は自分が誰かの役に立っていると信じた。
それでいい、むしろそれが正しいのだと、疑うこともなかった。
けれど、最近になって、私はようやく気づき始めた。
人がどれだけ私を「かわいい」と言おうと、それは私自身の人生とは、何の関係もないのだということに。
人に愛されることと、自分の人生を生きることとは、全く違うことなのだと。
人は誰しも、死ぬ時には孤独だ。
誰かに見守られながら最期を迎えられるのは、奇跡のような巡り合わせだ。
親も、家族も、いつかはこの世を去る。
誰かがそばにいてくれる保証など、どこにもない。
結局、人間とは、生活の中でふとした瞬間に孤独を感じずにはいられない生き物なのだろう。
だからこそ、私たちは物事を考え、悩み、もがく。
孤独がいやならば――人と仲良くするしかない。
それが、今の私の出した結論だ。
◆◆◆
何も学ばなかったのか
親の怒号が飛ぶ。『今回の事から何も学ばなかったのか?』「うっせーよ、クソババア!!」と返した私。基本的に何かを得たりしても、何も学ばず、なんにも起きてはいない。そうしたい私にとっては、病院へ連絡をしたり、いわゆる「ほうれんそう(報告、連絡、相談)」が、出来てはいないのだ。社会に出たことも無く、ひきこもりで食べている。そんな私にいまさら何を学べと言うのだろうか……。生まれてから、何も生まず、働かず、福祉の世話になり、労働を嫌い、他人の血税で食べることに罪悪感も無い。なぜならば社会不適合者だから。今日は「うっせーよ、クソババア」を何度も口にした。薬でラリッているみたいだった。ODをしたから病院を失った。その事を時々忘れそうになる。どうでもいいから、さっさと薬よこせよ!!そんな気持ちしかない。それだけ精神薬がきついし依存性が高いのだろう。私は猫舌だから、熱いものを熱いうちには食べない。冷めてから食べる。いわゆる甘えと言う問題が如実に顔を出したようだ。月末ということもあり、お金が無い家の食事は虚しい。とでも書けば、「貧乏人わーい」の馬鹿共には良い薬となるだろう。お酒はきっちり毎日飲む。後は喫煙習慣は二人で一ヶ月「六万円」以上が飛んでゆく。ビール代やお酒代を含めればそれだけで、「十万円」を優に越すだろう。食費が別途「十万円」。通信費用や光熱費を含めると「約四万円弱」。生活費は、二人で「十万円少々」だが、ここには趣味やゲームへの課金は含まれてはいない。どうして喧嘩になったのか?私が、病院へ行きたがらなかったからである。48年間ひきこもりを続けてきて、好き放題をさせられた報いがこれかよと思えてくる。母ひとり、子ひとりなので、どうしても甘やかされて育てられて来た。本当は妹もいるのだが、嫁いでからは連絡が余り無い。私は、結婚に対しては、拒否感と無駄な金がかかるだけと思っている。トー横へ行けば、取り敢えずの肉体関係はもてるし、買女「ばいた」が買える。六本木のママだろうが、飲み屋系統とは、どうもアソコが臭い。高田馬場のキャバクラへ行かなくなったのも、そのためである。私は基本的に飲みに行くという理由しかないので、臭い買女は無視してしまう。座席に座る時に、アソコの空気が圧縮された空気と混ざり合い、鼻先へと襲う。座席シートとお尻へ加わった空気が黒いバーニングガール「うさぎちゃん」の格好をしており、黒の網タイツをはいており足長な女性たちが店員なのだが、カジノにはいないのに、そういう風に描く漫画家はどうかと思う。キャバクラぐらいしかうさぎちゃんはいないだろう。あと思い出したのは、秋葉原か。以前に毎日のように秋葉へは行っていたが「主に自作PCパーツの購入とバンガードのカード対戦へ向かうため。カードもピカピカ物しか購入しないために一枚18000円とかはざらである。」毎日、ラーメンを食べて、朝から行く時には、朝食「ケンタッキー」、昼食「回らないお寿司」、夕食「お肉の食べ放題(焼肉キングなど)」へ向かう。ディズニー以上にお金が二人だと飛ぶのだ。デートなのだから仕方が無い。女性とは難しいものであり、秋葉原のアルバイトや社員で働かれている店員さんの殆どが、肉体関係を結ぶために「そういう店にしか女性目的の場合には行かない。」、右往左往する。そうこうしている内に、1000人以上の女性と関係を結ぶ。これは過去記事のR-18に書いたと思う。肉体関係を細かく書いてしまうとR-18にしなければならないので、最近では、面倒だから余り書かなくなってしまった。
親に怒られるから悪いことはしないのと怒られなくても悪いことはしない人の違い
◆◆◆
そもそもが、悪いことを一度もしたことが無い人は、この世には存在しない。誰だって嘘はつくし、人を騙して金儲けをする時代だ。その罪を犯しそうになる狭間で孤軍奮闘している人がいる一方で、好き放題、女を抱き、挙句の果てにはパパ活相手の女子高校生と寝ているサラリーマンを新宿歌舞伎町をみると私が知る限りでは「悪い大人」しか見たことがない。ようやく拭えた秋葉原というお宅の町の風習も、2019年以降、店は少なくなりつつあるのだが、完全に払拭出来た訳ではないのも事実である。よく言うが、魚は清い水の中では生きられない「水清ければ魚棲まず」である。
清廉、潔癖等という言葉とは、無縁の存在なのであろう。雲外蒼天「試練や苦難を乗り越えれば、明るい未来が待っている。」とはいうが、人それぞれ、苦難も違えば試練も異なる。自分がその立場になったからといって、乗り越えても何も起きないことの方が多いのも事実となる。
然ししながら、世の常とは、独自の反骨精神に宿された子供が少なく、それほど多くは無いのも関係していると思う。そうでなければ、国が回らなくなるのは必然となる。誰かが損をしており、誰かが得をするから、人生とはわからないとも言えるのである。
いくら上を向いて歩いても、お金が降って来た事はない。ただ、上を向いて歩けば、自然と普段見えなかった物事が見えるようになるならば、頷ける。お金のなる木を購入した。何時まで経っても、大きくなるどころか、小さなままであった。友達が大きくなった木を見せてくれたが、お金は増えなかったという。
何もしないでお金を増やすには、昨今流行の犯罪にて、コミュニティに長けた者が、組織を導くから大物が捉えられる。捉えた獲物を放さないから、地面師やトクリュウ等が蔓延るのである。こうした蔓延が生み出すものは何か?犯罪の増加であろう。人々は恐怖に慄き、自衛のためにカメラを買いに走る。そうして電化製品は潤い、電気やまたはセキュリティ会社が儲かる。世の中の仕組みとは、ちょっと考えれば誰が儲かっており、誰が損をしているのかが明白なる。可視化された社会が裏打ちするものとは、そうしたお金の流れであろうか。そもそもが、国が直接フリーキックではなくとも、日銀を用いた間接フリーキックをし続ける以上は、国民の負債とは減らないであろうことは明白な事実となる。
親に怒られるから悪いことはしない人とは、親が死ねば悪いことをする人となる。親がいなくても悪いことをしない人は、絶対ではない「ニュースなどを見ていると、どうしてこんなに大人しい人が……と囁かれているからである。」が、悪いことは出来ない人の方が圧倒的に多いのであろう。真面目な日本人というが、その陰で暗躍する、大人なのに、大人の責任を取らない人が増加しているように思う。責任逃れも問題の一つだが、そのような躾を受けてこなかったのではないかと思わざるおえない。
いずれにしても、昨今では富裕層と貧困層、そして、富んでもおらず、貧困でもいない一般層のギャップが激し過ぎて、それでも生きようと思えなくなりつつある。バカバカしいやどうしてこんなに理不尽な世の中なのかを、いま一度考えるべきではなかろうか。
悪いことをする人は何時の世もいるし、悪いことをしない人とは何時の世もいる、と言えるように思う。嘘つきばかりが目立てば社会は黙っていないだろうし、そうした世論とはうるさいながら、居心地の良い街造りという点では、役に立つ視点のようの思う。犯罪がここかしこで起これば、日本は治安が良い街とは言えなくなってしまうだろう。
◆◆◆
雨の雫
雨天の日に出かけるのは、どこか気だるげで、なんとなく憂鬱になる。
雨が降らなければ、お百姓さんが困る。小さい頃に教わった言葉だ。
躾とはいつの時代も、自分を律するのに役に立ってくれている。
改行を入れた方が、読みやすいと感じるのは、人の常だろうか。
昔から思っているのだが、私を育ててくれた両親は忍耐強く、
自分を律して生きてきた人なのだろう。親ガチャという言葉を耳にした時、
なんて不平不満の多い子供なのかしらと思えた。
それだけ、家庭内の不幸の数も増えた。
その一点に尽きるのだろう。
よくよく考えると、不幸の数が増えることは、そんなに悪いことではない。
トンネルを抜ければ、いつかは幸せがやってくるからだ。
雨の日ばかりではないから、雨を受け入れられる。天気の日が必ずやってくる。
そのことを人間とは、身をもって知っている。
循環する思いとは、人間もまた、そうなのだろう。
人の思いや不幸の中で培った思い出とは、次の幸福の準備なのだが、
わかっていても、つらい時や、受け容れ難い時もある。
そのような時には、自分のキャパを超えたと理解できたら、果報は寝て待つようにしている。
起きていても、損した気持ちになるからだ。時間は有限である。
お酒を飲むようになって感じるのは、圧倒的な開放感だろう。
缶のプルタブを開けて、心地好い開放へと向かう時間が楽しみとなる。
そう考えると、人間はさまざまな物を開発して、お客様のもとへ運ぶようになった。
そう思えてならない。物凄く疲れている時、就寝はやんわりとだが急速にやってくる。
だが、疲れていない時は、物凄く長い時間を、自分の体と共に過ごさなければならない。
眠りの幅も異なり、寝汗や体感も違ったものになる。
永く眠れない時には、永久に眠れないのではないかしらと思うから拙いのであり、
だからといって、羊を数えるようでは、私の場合には余計に眠れなくなる。
ただ、冬眠を待つ。昔から、熊のようであり、猫のようだと言われてきた。
顔のひげがほっとくとピンッと伸びるからだろう。横に伸び始めたひげを切る。
髪の毛を整える。机に向かい、タイピングを開始する。
どんな作業も、お尻の穴を縮めて、整えることで、体勢が楽になり、作業がしやすくなる。
私は、生きやすいように、生きる人なので、
だらしがない時、気だるい時に何かを言われたくない。
だから良い子にする。人に何かを言われないために、良い子を演じるのは疲れるが、
この演じるというものも、自分の特技として捉えてしまえば、人生も楽になる。
誰だって親のようになりたいと望んでも、親には親の生き方があり、子供は子供でしかない。
この主従関係を忘れてしまうと痛い思いをすることになる。
わたしはわたし。ひとは人。そう思って生きる。完全な人間などはいない。
この言葉も、知れてよかったし、自分の生活リズムを壊さないかけがえのない宝となる。
夜中なので空はどこまでも高く、鈍く光っている。
どす黒い雲に覆われた私の家は、どこか時間の格差社会に突入したように思える。
家族の中だって、いろいろあるのだ。人間が織り成す環境とは千差万別だろう。
雨の雫は、時折、雷雨を伴いながら、この街をすっぽりと濡らしてゆくのだった。
没頭できる時間
活字を読んでいるとき、ふと「今が一番楽しい」と感じることがある。
それは、物語が面白いからというより、ただ文字を目で追うこと自体に快感を覚えている瞬間だ。読むという行為が、自分にとっての習慣であり、安心であり、ひとときの逃避でもある。
読み進めるうちに心が動くこともある。
多くの場合、それは後になってじわじわと押し寄せてくる感情だ。読んでいる最中には、むしろ登場人物の苦悩や、筆者の執念のようなものに圧倒され、「そこまでするのか」と思わず呟いてしまうことの方が多い。
読書とは、読む行為そのものに酔いしれながらも、あとから感情が熟成されていく不思議な営みだ。
活字という名の静かな波が脳を撫で、言葉のリズムが神経を通してドーパミンを運んでくる。
私は医者でも研究者でもない。ただ、学校で学んだ程度の知識と、日々の読書の積み重ねがあるだけの一般人だ。だからこそ、活字の中に時折差し込まれる本質のような問いに、胸がときめく。
ベッドに寝転がり、背中に本の重みを感じながらゴロゴロしている時。
その時間こそが、自分にとって最も幸福な瞬間かもしれない。
ページをめくる音、紙の匂い、目に染みる文字のかたち。それらが現実からそっと距離を置かせてくれる。
けれど、いざ自分で書こうと思うと、読んだものの大半は記憶の奥へと滑り落ちてしまう。
読書で得た知識や感動を、自分の言葉で語るには、そのまま写すのではなく、自分の中で一度壊し、再構築しなければならない。
書くという行為は、読書とはまるで別の体力を要するものだ。著作権という境界線の内側で、記憶と感性の境目を探る作業でもある。
だからこそ、読む時間は貴重だ。
それは、自分の思考が自由に泳げる、静かで濃密な「没頭できる時間」なのだ。そう思えてならない。
親を足枷にはしない
親という存在に、責任を転嫁しないようにしたい。親もまた、人間なのだから。
どこまでも広い心を持ち、何でもできると信じて疑わなかった「親」という存在。
しかし、ある時ふと、「ただの人間なのだ」と気づく瞬間がある。
広くて大きな背中。その背中に、何度助けられただろうか。
両親は、私に良心を教えてくれた。
「躾」という行為の中に、困難を極める“人生設計”としての子育てがある。
その中で、何度ももがき、調整を重ねながら、親は子育てをしてきたのだろう。
私に良心を植え付け、「やってはならないこと」と「そうでないこと」の善悪を教えてくれた。
そんな親が、忍耐の“誤用”を受けているのではないか──。
そう感じたのは、子どもである私に手を焼き、親自身の葛藤を私に押しつけていたからにほかならない。
その「忍耐の誤用」は、両親の心を深く傷つけ、挫折感をもたらした。
私が苦しめば苦しむほど、親もまた共に苦しんできたのだろう。
そう思うと、「親への責任の擦りつけ」という言葉が、胸に重くのしかかった。
子どもに対して親が持てる許容量はとうに限界を迎え、
親が「親であるがゆえに」味わう苦痛を生み出してしまった。
こうして苦労の末に生まれた「子どもという存在」は、やがて成長し、親に恥をかかせることさえある。
そこには、かつて「誇り」や「自信」といった感情が確かに存在していたはずだ。
しかし、徹底的に試された親の心は、いつしか壊れ、疲弊しきっていた。
これは、子育てにおける親の苦痛を垣間見た経験だが、
一人の子どもを育て上げることは、並大抵の努力ではない。
学校に上がるまでには、毎日の食事を与え、
給食が始まれば、その費用も親が負担する。
子どもは、親に尽くすことなどできないのだ。
そうして大人になったときに芽生える「親という存在への疑念」は、
両親を深く傷つけることになる。
思春期の中高生は、自我の芽生えと親からの期待の間で疲れ果てる。
そして、「用意されたレールの上を歩む人生」が始まり、
その過程で、親に対して「忍耐の誤用」を許してしまえば、
親子関係は容易に修羅場と化す。
受験シーズンが終わっても、子どもに与えた影響と向き合い続けるのは親だろう。
子どもは、親の躾に沿って生きることしかできない。
子どもの暴力、悪戯、犯罪行為に悩む家庭は少なくない。
思春期を過ぎても、親が世間の荒波に揉まれ、その“資質”を問われ続ける。
それを「子育てという賜物」とするならば、
「子育てに失敗した親」は、どう生きればよかったのだろうか──と、考える。
人生に「正解」はなく、苦痛を伴うその歩みは、
やがて嫌気と共に、子どもへの「虐待」という形で現れることもある。
虐待が生み出すのは、「親のようにはなりたくない」と思いつつ、
気づけば同じような生き方をしてしまう悲しき連鎖。
壊れやすい子どもたちの純真無垢な心は、
世代を超えて、苦しみを共有する。
それはまさに、一蓮托生──
親と子が逃れられない「答えのない闘争」の結末なのだ。
東京という街で
デニムが流行して久しいが、ビンテージを古着屋で探すと、懐かしいTシャツやら発掘物とでくわすとき、心が弾む。値札がないお店に入ると緊張がにじむ。誰が着てきて、どんな思いで売られた物なのかを考える。古本屋で埋もれた本の中から、本を実際に手にとり、一冊の本にふっと目を落とした瞬間のあの感じと似ている。
多くの図書館で多くの本が読まれてきたように、ビンテージを眺めるとき、心が弾むのは、新たな生活やこの衣服を着たときの自分の姿を未来へと映すことができるからだろう。着こなしや皺の度合いを確かめるように、Tシャツを上に羽織、デニムを穿く。試着室で胸元を気にしながら、長く伸びた髪の毛を通す。ふさっと音を立てて、外を通る車がクラクションを鳴らす音が響いた。街路樹は、どこまでも高く伸びており、千里眼を思わせる。
太陽はどこまでも高く光り輝き、日差しは良好と語りかけてくるようだ。雨降って地固まるの言葉のように、不自然なほど照り返しが強い。手をかざして、天を仰ぐと精霊が昇ったり降りたりするように天使たちが羽を伸ばして、みつめあう仕草が見受けられた。
想像の世界とは、頭の中にある物事の表れだが、けたたましい東京という街並みには、似つかわしくなく思う。それだけ、人々は時間を気にしており、通り過ぎる人々の顔も見てやしない。忙しく、息衝き、そうした世界の中で、空想と共にある自分が滑稽な存在に思えたのだった。
時の流れに身を挺して考えることといえば、さまざまな思い出とうたたかなる漣の音。海辺でよせつたぎりつするその姿勢は、大自然の中で切磋琢磨する人の営みのようであった。
OCD克服法
4-4-6呼吸法は、4秒間息を吸った後に、4秒間息を止めて、6秒かけて息を吐き出す呼吸法で、「不安神経症」に役立ちます。不安で頭が一杯になってしまう方へお勧め。
あとは、五感をつかって、「今ここ」に思考を戻してあげる方法。
・見えるものを五つ数えます。
・触れられるものを四つ数えます。
・聞こえる音を三つ数えます。
・匂いを二つ数えます。
・味を一つ答えます。
こうすることで、自律神経が整います。
「今ここ」に思考を戻すことで、不安を克服できます。
私がしている不安克服法は、ともかく散歩して歩くです。
20分以上散歩することで、セロトニンとエンドルフィンを脳内に分泌することにより、
「幸せホルモン」を感じられるようになります。
気分が安定して、不安を取り除く助けが得られます。
安心できる音楽や安心できる言葉を自分自身にかけてあげる。
私の場合には、「リラックス」できる音楽やリラクゼーション音楽をききます。
長期的には、「不安をなくそう」とするよりも、「不安があっても大丈夫!」に近づけます。
よくある症状:
・失敗への強い恐れ
・人の評価を気にし過ぎる
・完璧を求めすぎて手が動かない
リストを作成してチェックを入れるのが効果的です。
「できていることリストを作成する」(成果の可視化)
「失敗=終わりではない」(紙に書き出す)
「失敗後の最悪のシナリオと対処法を考えておく」(自己評価へ繋がる)
「1分だけマインドフルネス呼吸法でリラックスをする」(安定感の持続を促す)
人間関係、対人恐怖症対策
・相手に嫌われているかもと不安になる
・話した内容を何度も思い返す
・怒らせたのではないかと引きずる
対処法:
「証拠はあるのか?」(現実へ自分を戻す)
「客観的な分析」(自分をみつめなおす)
「変わらない事はわからないといったん保留する訓練」(自己実現)
「安心できる人にこれは変?と尋ねて現実検証」(自己鍛錬)
体調、健康への不安神経症
・ちょっとした刺激や痛みに敏感
・ネットで病気を検索しすぎる
・頭では理解していてもその思考が止まらない
対処法:
「医師の診断を基準にして思考をやめる」(自己改善)
「これは不安による感覚だ」(ラベリング)
「いま、何ができるか?」(自己改善)
食事や運動、睡眠などみつめなおしてみる。
パニック障害
・人ごみや密室で動悸、目ましが出る
・「倒れたらどうしよう」と不安に思う
・外出が怖くなる
対処法:
外出前に「安心できるルートの確保、トイレ休憩場所の事前検索」
「座れる場所の確保」ちょっと休んでは進むを実践すると良い
「呼吸法4ー4ー6を採用する」(3セット)
「発作がきても死なないし必ず治まると唱える」
「小さな成功体験(1分だけコンビニへ入る)(1駅だけ電車に乗る)」
を繰り返す。これらのことを積んでいけば、自信につながるし、乗れなかったり、
帰宅しても、自分を褒めてあげられる。
寝る前の思考のループや不安
よくある症状:
・もしも○○だったら……が止まらなくなる
・将来の不安や過去の罪悪感に打ちのめされそうになる
・寝ようと思うと不安が強くなる
対処法:
寝る前に考えるノートへ映し出して、不安を頭からなくす
不安な考えは「いまは考えない」と宣言して一時保留
音楽やリラックスできる音を聞く(ASMRなど)
ボディスキャン瞑想(つま先から順に意識を向かわす)
ワンポイントアドバイス
「不安は自然なことだ。ただ、それに支配させない。」
【5月5日、こどもの日】子供は『挑戦を重ねて自分になる』
理想と現実の壁にぶつかり「挑戦」することを怖がる子供がいます。
それは「小さな失敗」を繰り返してこなかったからかもしれません。
挑戦しなければ、良い意味でも悪い意味でも「良い子供のまま」でいることができる。
人間とは、「挑戦し続ける」存在のはずです。
「挑戦しない=迷惑をかけない子供」というわけではありません。
むしろ、小さな挑戦を繰り返し、「良い意味での失敗」を積み重ねてゆくことが、
子供の成長には欠かせない物語となるでしょう。それが親の願いでもあります。
今の社会は実力主義でもあり、受験戦争のようなプレッシャーも大きい。
その中で、「何をすべきか」を教えるよりも、「自分で考え、行動する力」を
育むことが親の役目となっています。
「失敗しないことが正しい」のではなくて、「良い失敗」を繰り返せる環境を
整えることが重要視されています。
そして、完璧主義ではなくて、親自身の失敗談を見聞きして、
そこから学ぶ人間となることが必要不可欠なようです。
それこそが教育の大きな一文字になりそうな気がします。
過去の価値観や常識に縛られずに、柔軟な心で世界を観る力。
それこそが、新しい体験を生み出し、自分自身の道を切り開く糧になります。
「ひとりで夢中になれる空間」をどれだけ育ててあげられるか。
「なぜ?」という好奇心を育て、「問い続けられる大人」に育つことこそ、
親としての最大の祝福ではないでしょうか。そう思えてなりません。
ドラッグを「キメル」
合法ドラッグが徘徊する中、その後ろ盾となるのは国家権力だろう。
金持ちは逮捕されない。マッポに捕まらない。
挑発が生み出す過去形な絶対論者が訝る。
果てしない抗争を繰り広げながら、ファックユーを繰り返す。
この世の富や財政困難などが吹き飛び、頭が「イク」という快感に委ねられる。
イッタ後のことは、午前様なのだ。後先考えない。これぞ生き様という性を催す。
セックスが徘徊する中での常だった。女はいいよねと謀れながら徘徊を繰り返す。
その思いとは、裏腹な肉欲と孤独への追求が果てしなく続いていた。
ずぶ濡れー私は人の気持ちが汲み取れないー
テールランプがここかしこを染める。
黒々とした胃袋の中のような違和感だけが彷徨っている。
いつもの街並みを遠めに観ながら進む。
達観したような細い目だけが爛々と光を帯びる。
黒々としたセーラー服が行き交う中、黙殺する喜びと悲しみ。
最後に女を抱いたのは何時だったのかを考える。
ここ数週間は忙しなく過ぎており、忙しさに感けて、忙殺されていた。
朝を迎えたと思えば夜になる。
黒々とした制服と行き交う度に、その胸や膨らみに目が落ちた。
振り向き様に、ヒップラインを確認する。
大きくもなく小さくもない尻が右往左往に動く。
今度は前から来た学生の股間に意識を運んだ。
逆三角形に刻まれたスカートの生地。
パンティラインがくっきりと映り、被写体を太陽光が照らすことで
女の秘所を照らし出す。陰毛の形がどんなかを想像して、
少女が止まると私も止まりその肉体の賛美を観察した。
人間のくすしい創りが伺える。アスファルトが鏡だったらと想像する。
おそらくそこには、真っ白な下着が映るのだろうか?
いやいや、最近の人は真っ白で純白とは限らない。横にいた友人が呟く。
そんなものなのか……。
興味が失せた鳶のように、餌を全く見なくなった。
純白でなければ駄目。それは理想と現実であり、
処女ばかりではないという回答へのあらわれとなる。
どこかに身も心も美しい女はいないかね?
その回答として「いない」が不自然なほど意を体する。
近頃の女は……。
友人が語り終える前に、目鼻立ちの良いボディコン風の女の爆肉へ目が注がれた。
こういうのを馬鹿の一つ覚えというのだろう。
そんなことを思いながら目を血走らせる。
※
男という生き物は単純で、ほんと馬鹿なんだから……。
映像を止めると小枝が呟くように話した。数週間振りの女同士のデート。
風の悪戯かそそくさと風が過ぎてゆく。スカート捲りを働きながら……。
風の悪戯。そよぐ風は心地好く、微動だにしない女子高校生を匂わせた。
※
「きゃーきゃー」と喚ぐのかと思いきや、声をあげずにスカートの袖を抑えている。
びーちく、ぱーちく騒がれるよりかは、煩くなくてすむ。
盛り上がったパンティ越しの布切れ一枚に身を委ねている女という生き物。
逆さ吊りにしたら、どれほど喚くのだろうか?そんな疑問がふっと過ぎった。
女の秘所を隠すパンティは陰毛に沿ってラインを作り上げ、
折り返しの部分で二股に分かれてる。
股間を抑える物理的抑制がしなやかな生足を際立たせた。
※
どこにでもありそうでない景色をいつも探していた。
フォトギャラリーとはそうした貴重な一枚を大切に保管する場所だ。
思い出とは、如実にあらわされた股間と陰毛のようではない。
ぼかしと色取りどりに魅せられた、風磨ともいうべき灯火がそこにはある。
艱難辛苦した先に、滅亡と女の成れの果てが覗き込んでいる。
私は様々な物を観ては、喜び勇むが、ここぞという所で犯罪を意識してしまう。
妄想を全て無かった事にするのだ。
気が付くと誰かが似たような事をして、犯罪で逮捕されている。
人生とは面白いものだと思うと共に、シェアハウスのような仕組みに驚かされる。
犯罪が起これば誰かが捕まるほかはない。それは私でなくてもよい。
これが回答なのだが、実行をする現場の私たちのような存在は、
決してお金持ちにはなれない。
被害者のことを考えたことはないが、憂いが残るのも事実だ。
あの時、「こうしておけばよかった」や「ああしておけばよかった」など……。
下着姿の女子高校生を盗撮したところで、大したお金にはならないのも現実だ。
DVDなどに焼いて動画を作成しても、一枚400円~2千円。
写真ならば数百円~数千円で遣り取りされていた。
ダウンロード販売にすると初めて利益が出る仕組みだ。
ポルノ業界とは警察とのいたちごっこ。猥褻物陳列罪など。
セキュリティ会社の苦労と似ていると思った。
※
私は人の気持ちがなかなか汲み取れない人間だ。
相手が傷ついて、嘆いて、叫んで、暴言を吐き捨て、それでも理解できない時がある。
相手の立場に立って物を思考してと思っているのだが、
いざ責められると思うと身構えてしまう。
立場が逆ならばどう思うだろうか?
だったり、相手が何を思い憤っているのかを把握するのは至極真っ当なことなのだが、
その真っ当が理解できていない。細かく刻んで解釈して初めて理解へと移る。
この世の全てが稚拙であれば……。
それはそれで厄介だが、思いの丈とは、
そんな稚拙の中に織り成される技巧に意味を見出す。
怒られている時とは、矢張り恐縮して物事を聞くべきであろうか。
そうでなければ、その人を認めて、認めて、どうしてこの話が成り立つのかを
深く考える必要があった。洞察というべき時間が取れないと、
私には人の何たるかが理解できない。
人が一通り語り終えて初めて今まで語ってきた内容をデータとして脳内で処理する。
それまでにも、喧嘩のような事態になるのだが、
理解できるまでの繋ぎとして存在している言葉たち。
言葉と人。気難しく、難攻不落に思える内容でも、きっと理解し合える。
和がそこにはあり、認め合い、信じてるからこそ、憤りや怒りとは発生する。
和水が生まれたら、それに逆らわずに、流れに沿って生きればよい。
※
くっきりと雨に濡れながら張り付いた下着がこそばゆそうに膨れている。
水を含んだスカートが、膨張して体力を磨り減らすように、
女子高校生たちは、雨に打たれながら、足繁く投稿の文字に目を注いでいた。
アヴァンギャルドな制服のふくらみと柔肌を通る雨梅雨が首筋を濡らし照り輝く。
太腿を包むソックスは、白い色から、路面に濡れたはねっかえりのためか、
茶色く鈍く光沢を彩っていた。惜ししげなく降る雨。
濡れた指先は、爪元が健やかに滴り、雨を零している。
ずぶ濡れになったスカートとパンティからは雫が垂れて色っぽさを醸し出す。
こめかみが露に濡れて、雨の匂いと体育館の匂いの双方を思わせる。
ぽちゃんぽちゃん……。傘を忘れた少女たちが駆け抜ける。
バケツをひっくり返したような貞操は、さながら思わせぶりな肌色を浮き彫りにしている。
乳房をゆさゆさと揺らしながら、大きな胸囲を擡げて歩く学生たち。
色椿のような女性たちが、スカートを揺らして、人間らしい、若々しい匂いを醸す。
移り香は、果てしなく包む東京という街並みを見下ろしては、少し早い猛暑を告げていた。
※
綺麗なお姉さんは好きですか?
風がそよぎ、何もかも順風漫歩に見えた。終わりなき永遠が、然程、時を感じさせないようなそんな空間が広がってるように思えた。大学生活をおえて、一般採用で入社した会社。さり気ない空間。さり気ない言葉。淀みない時間。空間はどこまでも、どこまでも私を祝福している。そんな風に思えた。北条恵理(24歳)ひとり暮らし。ひとりの時間を大切にできる子。好きなものを大切にする。
※
ある晴れた日曜日。朝目覚めると眠たげな瞳を擦り、外を眺めると小鳥たちの鳴き声が響く。
背中まで伸びた髪の毛に櫛を通す。パジャマのままポニーテールにすると、日頃心がけている体重計に乗る。56.8kg。身長が低いせいか、体重もそこそこをキープしていた。
洗顔を軽くすませて、洗面台を離れ、パジャマを脱いでシャワールームへ。シャンプーとコンディショナーで軽く流して、シャワーのお湯はぬるめで髪の毛を流した。ボディーソープを使用して、細く括れた素肌を洗い流す。あわあわが広がり、シャワールームをもくもくとした湯煙が立つ。
室内を一定の温度まで上げて、身体を蒸気で蒸してゆく。蒸し終わると再び身体を洗い流して、早朝のお風呂へと浸かる。24時間沸き続けるソーラーシステムのため、またすべてが電気式なので、お風呂掃除は週に4回でよかった。身体を拭いバスローブを着て、リビングへと戻る。
シャンプーとコンディショナーは、サロンから届く物を使用していた。一回、6600円の金額が惜しくないほど髪の毛のパサツキやまとまりが違う。一般に売られている品物は、使う人の気持ちを考えて作られているけど、効果が長持ちせず、一日中髪の毛を弄らなくてもすむ。
香りも気にいっていて、彼女の相性にマッチしていた。2時間ほどお風呂に浸かると身体を洗い流してバスタオルに包まるだけだった。ひとり暮らしの女性には、何もかも贅沢なほど行き届いていた。
毎日の散歩も欠かさず、スタイルを保つために続けている。一日、0.1kgづつ減って行く。10日で1kg減少するので、朝と夕の散歩はルーティンとなっていた。通勤時間は車なので、30分くらい。毎日、満員電車に揺られる怖さを考えれば、自動車の方が楽だった。免許を取得したのは、20歳の時。大学に通いながら、ペーパー試験に合格した。
日曜日ということもあり、今日は会社が休みだ。彼女はるんるんで身支度を整えていた。今日は、車で展示会へ行く。絵画や綺麗な物が好きでよく観に行くのだ。この日も、朝から雨が降っており、空はどんよりと曇っていた。
彼女はその日、起きたことを日記に認めている。のどかな一日のはじまりを大切にしていた。
※
ドリップした珈琲を淹れる。リビングキッチンに蒸気が溢れ、珈琲の豊かな香りが広がる。
歯をコーヒーができるまでに磨き終えた。白い歯が「きゅきゅ」と鳴る。ピンク色の歯肉が際立つ。綺麗な歯並びが、美しさを際立たせた。
IHのクッキングヒーターを温める。テーブルは木製で、4人がけだった。ひとり住まいの彼女には、両親がおり、遊びに来た時に、宿泊できるほどの広さと要件があった。継続力があり努力家であった。諦めの悪さは「ピカイチ」で、大金を手にしても、銀行へとすべて預けるのだった。
クッキングヒーターが温まり、フライパンが加熱されて水しぶきを上げ始める。卵をふたつ割って、丸く仕上げる。トースターにてパンを焼き、携帯にて朝のニュースを確かめる。携帯をスライドさせる指先は、細く長い。色白で、漂白されたような空気が清潔感を漂わせている。殺菌された空間が好みであり、消毒液のしない無香空間を好んだ。
夜の間締め切られていたカーテンを開けるとパーッと日光が差し込む。はずだったが、この日は朝から雨だった。長く降るのかしら……。心配しながら彼女は携帯で天気予報を眺める。今日一日雨となっていた。
少し憂鬱な思いになるが、気を取り直して、伸びをした。身体が伸びて、胸元が開けた。呼吸を整えると下着を穿いた。ブラジャーを着けて、パンティストッキングを穿く。グレイのブイネックニットを着ると前日に着る予定でかけておいたスカートが下着の上を包み込んだ。夏服用のジャケットをはおり、ルックスを鏡で確かめる。マグネットピアスを装着して、首へとネックレスを通した。ティファニーで彩られたダイヤモンドが輝く。資生堂のコロンを首につけて目元を確認した。
二重瞼が綺麗に描かれており、化粧水をパッパッと掌に出すと顔を優しく叩いた。
化粧台へと腰掛けると軽くお化粧を施した。それから朝食を食べはじめる。冷蔵庫から温野菜の茹でたものをタッパーから出して、それも食した。時計と眼鏡を身に着けると携帯が振動した。
※
小説という怪物
切り開かれた開拓地。ここには何を建てても良いという。そんな希望や愛が込められたフィールド。お天道様が空には輝き、夜には月光が照らす。ありふれた日常。ありがちな罠や探索精神。そこに織り成す人々や動物たち。開拓者たちは、おもい思いに過ごしている。好きなことを何でもしていいよ、と言われると困ったことになる。書くことが無いと思えてしまうから……。
かつての偉人や天才たちの軌跡。そして、今を生きる人々。現代文学は、いまも息衝いており、息をしながら、狩人のように獲物を待ち構えているようだ。書くことや読書すること。それ以外に楽しいことはない。毎日、小説と言う怪物と向き合う。そこに何を書こうか?無色透明な無地を与えられ、さながらいま思いついたことを書き記す。小説や物語ならば、プロットが存在するが、日記となると別物だ。日頃の日常をそこに書き記すことになる。
いま生きているということ。それ自体が奇跡なのだが、それが当たり前の日常と化してしまうと、人は直ぐにそのことを忘れがちだ。忘却は、野ざらしのように荒廃をもたらす。いきとし生けるものがみな、昼夜問わず心配事や悩み事を抱えて生きている。今日は何をしようか?何をすべきか?何を食べようか?人はそのことで一喜一憂して、日常生活を過ごしている。病気や戦争が起きている国では、忘れられた日常を取り戻そうとみな必死になる。
日本は地震大国だが、戦後の人々が生き抜き、必死に作り上げた平和を保とうとしている。一度作り上げられた平和を壊す音がする。犯罪や事故の足音。ひっきりなしにニュースは今日起きた事実を告げ知らせる。平和と言う代物に胡坐を掻いて、日常を遣り過ごす。それほどまでに人は変化を嫌う生き物だ。毎日勉学に励み、喜びや悲しみを味わっているのに、不幸せなニュースを聞くたびに心がげんなりする。
平和や戦争とは、確かにこの地球で起きている現実だ。遠く離れた場所や日常生活には無関係を東京の場合は過ごしているような気がする。より良い未来とは何か?を考える時、日常に潜んだ闇を感じざるを得ない。日々の喜びや悲しみなど置き去りにしてゆくようだ。
小説家はこれらの怪物と向き合い、対峙することで、書くことに事欠かない日々を送れている。日々の思い悩みや雑念、幸や不幸という連続性を垣間見る時、その流れの中に見える事物と向き合い、自分の生活に適用することで、日常のトラブルを避けることにも繋がりそうだ。犯罪や戦争は無くなりはしないかも知れないが、そこから学べることを拾い集めることでトラブルを未然に防ぐことになりそうだ。
つまらないかもしれないけど、大切なこと
「つまらないかもしれないけど、大切なこと」は、人生の土台のような物だ。それを切り捨ててしまっては、浮ついた感覚の上で、いつまでも「面白さ」だけを追い求め続けることになる。そんな人生は往々にして、最終的には「どこにも辿り着けなかった」といった感覚に包まれることになる。
つまり、「面白さ」だけで生きる人生は、逆説的に「つまらなさ」に支配されやすくなる。
私たちは日々の出来事を「面白いのか」、「つまらないのか」で判断しがちになる。仕事、学校、家事、人付き合い──。こうした日常の多くは、派手な刺激に満ちているわけではない。むしろ、淡々としていて、繰り返しで、地味だ。もし「面白さ」だけを人生の価値基準にしていると、こうした日々の大部分が「つまらないもの」として片付けられてしまう。
だが、それは本当に「つまらない」ことなのだろうか?
「面白いか、つまらないか」で物事を見る視点は、エンタメ的な感覚に近い。瞬間的な快楽や刺激を求める感覚である。映画やゲームでなら、それらは成立する。現実の人生は違う。面白さは確かに人生を豊かにする要素の一つだが、それだけが人生を推し量る物差しになってしまうと、多くの出来事が「失格」になってしまう。
例えば、「子育て」や「介護」、「長期にわたる学習」、「地道な人間関係の構築」。
これらは決して常に「面白い」ものではないが、確かな意味と価値がある。
だが、「面白さ」を軸にしてしまうと、それらは直ぐに「退屈」というラベル付けをされてしまう。結果として、人生の大部分が、「つまらないことだらけ」に感じてしまうのだ。
本来、人生の醍醐味とは、「意味があること」、「価値を感じること」、「成長できていること」であり、多層的な視点で捉えなければならない。「面白さ」とは、それら多層的な一要素に過ぎないのだ。むしろ、つまらないと感じる物の中にこそ、粘り強く取り組む価値があり、静かで深い充実感が潜んでいることの方が多い。
人生を有意義で豊かにするためには、「楽しさ」だけではなくて、それ以外の価値にも目を向けること。なんでもない日常や苦労の続くプロセスにも意味を見出すこと。
それが、人生を「つまらないことだらけ」ではなく、「じんわりと味わい深いもの」にしてくれる鍵なのではないだろうか。
病との奮闘記
朝を迎える
ほとんど寝ているのに、眠れていないと思えてしまうのは、ここのところ、しょっちゅう起きている。寝て起きるを繰り返す生活。自分にブレーキがかからなくなってきた日常。朝を迎えるたびに、骨格がうずくような痛みを覚える。姿勢の悪い人間は、それはわたくしのことなのだが、胃袋を開閉する動きですらも、自我が通った道のりに思えてくる。便を出すことだけでも大変だ。ODをして、お薬が出なくなり、今は現在を薬が無い生活が押し寄せてくる。それは、まるで、足を失った商人が、畑の苗を見て、ブラックコーヒーをすするのに似ていた。わたくしは、何も好きこのんで生きているわけでもなければ、生命があるから、生きながらえているに他ならなかった。何か好きなことが出来るから頑張るとかは、現在進行形てきには、すべてが無駄に思えてくる。結果を知らないのに、絶望している感じが耐えない。何かを努力すれば、ほめられる。それだけでは満足しなくなった、幼稚な頭が考え続けるのは、体たらくで、不規則な時間を配置しながら、次へと向かう。わたくしは、ブラックコーヒーを飲み干すと、焦燥感に浸る。淡くなって、光がようやく届くか、届かないかの距離で生活を過ごしている。ODとは、自分を傷つけるだけでなく、周りの干渉をも奪い去る。にっちもさっちもいかなくなったから、今がある。もともと、人の意見を聞くのが苦手であり、聞いても、なに不自由ない生活に当てはめられるかと言えば、それも出来ない。出来ないんじゃないのだ。やらないだけなんだと知っている。この孤立した状況下で、取捨選択を間違えてしまい、更なるどん底へと向かう。吐き気を帯びた生活は、矛盾した世界に唾を吐きかけ、淀んだ生活を送る。これが正しいとかの判断は、当に皆目見当がつかないまでに成長した自我が織り成す。もともと不器用であり、一つのことで精一杯なわたくしにとって、小説家などは、夢のまた夢であった。現状維持が降って来る。今のままで良い。今のままじゃ駄目なんだ。二極化した選択肢があるようでないのも、この生活状況の厳しさを醸し出すかのようであった。今あるものに感謝をして次へと進む努力とは、何時しか見習わなくなってしまう。すべては、独断と偏見で描かれた曲線となる。曲がりくねった先に未来はあるのだが、どうやら自分が求めてきた回答とは大きく異なるようだ。わたくしは、とんだ、見当違いを走らせては、暴走する。煙で辺りが見えなくなり、やっとの思いで、決断した知識でさえも、まごうことなき嘘へと虚偽を並べ立てた。虚偽は、膨らみ始めて、骨格を覆い尽くすだろう。その時になって、あちらが痛い、こちらが痛い。時間とは有限であり、ODをやめられなかったわたくしには、生きることも死ぬことすらも容易ではなくなっていた。
コーヒー豆が変わった日
ODが奪ったもう一つの生活。病院もそうだが、通院していた時間が無くなった。ひとりになれる時間が減少した。自分の居場所を作るのは、困難を極めるようになる。耳が聞こえ過ぎるように、何の音でも反応してしまう日常へ。お尻の筋肉はとても強いと思うようになる。ずっと座っている。このずっと座っているとは、「じっと座っている」に似ており、足の筋肉が成長する過程で、お尻がこれほどまでに役に立つ場所だとは、人間として生きてきて気付かなかった。喉の奥のほうから焼けるように、日焼けした太陽が昇るようである。心がどこにあるのかは、わからないが、手の指先から足のつま先までピンッと貼り伸ばした状態に似ていた。吐き気が襲い、めまいがする。口から戻った、液体を体の中に戻すのが、嫌いであり、酢のような人生は、あわないとした。トイレに駆け込むのだが、上手く吐けずに、嗚咽が込み上げる。こんな生活を続けていると、メインとなるリフレッシュは、的を得た精神科という言葉が乱立する。心はメンタルのことだが、じれったく待たされた。腹のほうから、湧き上がった水しぶきが、嗚咽と共に流れる。メンタルはズタズタになり、その焦燥感は、半端ない。癒なくなった心が悲鳴を上げていた。その上で、賽を振るのだ。あとは、野となれ山となれ。傷ついたメンタルは、行き場をなくした孤立奮闘が襲う。「おえっぷ」が、誕生して数日が経過した。なんだか、腹のど真ん中から、口にかけて、魚釣りが、餌に巻いた杭のような釣り針を喉に引っ掛けたときのような面持ちがする。人間なんて勝手だ。想像とは、えげつない。身を振るうようにして、ブラックコーヒーを垂れ流す。胃は苦味の利いたパンチを受けて、ノックアウトされたような表情をみせる。コーヒー豆が変わったことを知り、今日か明日か……。明後日か……。苦味はあるのだが、酸味が少し足りない。希薄だったブランドイメージが消えた日であった。チョコパイを一緒に食べたら、胸焼けが襲う。知らないうちに、太り始めていたようだと気付く。それら苦味が、一気に押し寄せた。変わらない一日は、健やかに流れる。だが、今日という一日を変えたいと思うように人間は出来ているようである。決まりきった楽な道を嫌うようになってゆく。人間とは実に素晴らしく出来ており、脅迫めいたその思いとは、創造心を掻き鳴らした。一日一歩、一歩進んでは、確かめ合う友達のような存在が、わたくしだとするならば、今日を迎えたブラックコーヒーは、とても良い味付けになっているはずである。
胸焼け
カフェインの取り過ぎや喫煙習慣による悪化。生活習慣病とは、日々のルーティーンが祟り起きることが多い。特に胸焼けは、食べ物から来る「いがらっぽさ」や素の自分と向き合わなければならなくなる。太り始めたのも最近。生活を改善するためには、ルーティーンを変革しなければならないようだ。何も考えずにただ生きているだけでは、絶対に抜け出せないループとなる。そこで、カフェインを避けたり、食べ物を一回で食べるのではなくて、何回かに区切って食べることになる。胸焼けは、起きている時には苦しく、勤勉さを嘲笑うかのような病の一つだが、原因とは、ルーティーンを見直すだけでよい。日頃から、不摂生による不規則が生み出しているのであれば、変革が必要となる。体調管理とは人事では解決しない。何かを忘れるために何かをするように、日々のルーティーンとは、体を労わり、体を守るために動くことにより、一掃出来そうである。日々のルーティーンを治すとなると、多大な努力と気兼ねが必要のようだ。胸焼けは、そうした日々のトラブルを教えてくれている。「あなたは、太りすぎです」なども警笛となりそうだ。80kgを越すと体が重たくなり、気兼ねなく出来ていたことが出来なくなる。起きているなどもその一つではないか。と思えてくる。ただ人は起きているだけでは、何も見出せずに、苦心することになる。そこで、その苦心にねぎらいを与えたいと思うことにより、体の不調を緩和して、より良い一日を過ごすための新たなルーティーンを作成してゆく。ここになると、言い訳は一切きかなくなる。なにしろ自分の体が悲鳴を上げているのだ。苦しくて、雑なようだが、徹底的に自分をコントロールする必要が出てくる。「あなたは、太りすぎ」だからである。毎日摂取し続けてきた、鬼畜のような食事を制限することは、新たな肥満を何度もかけて起こすだけでなく、我慢をし続ければ治るという簡単なもののわけでもない。だが、遣り甲斐とは何かをし始めるから生まれるのであり、そこに体重の増減が関わってくる。胸焼けは、一つの信号であり、放置しておくと大変なことになるようだ。先ほど書いたチョコパイなどもたまに食べるのだからと安心していたが、糖分とは体に染み込む。そして、太るのだ。太らないためには何をすればよいのかを考えれば、おのずと道は見えてくるだろう。ただ、起きていて、運動もしないとなると人はその環境に順応し始める。太るとは、ループが絡んでいる。太らないためには、やりたくもない運動を取り入れて、日々の生活をクリアにする必要がありそうだ。
何かをしていないと落ち着かない病
何もしていなかった時には、大して気にも留めなかった誘惑と色々なことが出来る喜びから来る病があるように思える。人は動き出すと物凄い勢いで動いてゆく生き物である。それを注意欠陥他動性障害「ADHD」などとも言うが、苦労とは尽きないものである。動き始めたら、なかなか止まれない性分なので、欠陥ととるのか、正解ととるのかはひとまず置いておこうと思う。傷を治せば痒くなり、かさぶたが出来始めるのに似ている。体中のあちこちが、何々をしたいと思うようになる。寝たきり老人だった時には、諦めていた感情である。たとえば、水太りを気にして水を飲まなければ、体内の水分は下がってゆき、体重は落ち着きを見せ始める。それと同様に、何々をするならば、何々が下がると思えるならば、とことん突き詰めてやってみようと思える。遣り過ぎは体に毒だが、疲れたら勝手に寝る。これまでの経験を基にして、人生を謳歌したい。人生とは面白いもので、我慢をしている時に、糖分が降って来たり、体には申し訳ないが、そのように悪いことを推奨するように肉体は出来ている。食べてしまえばもとのもくあみだ。そこで食べないを選択するとは、人生を知っている選択肢といえるだろう。ただでさえ人間は楽をしたい生き物である。何かを始めるとは、助走が出来て、外に飛び立てる準備が整えていなくとも、向こうから勝手にやってくるように思う。進歩とは、幸福の中に何を見出すのか?で決まるように思う。不幸の時とは、自分から好んで不幸と対話しているために、避けられなくなる。人の道とは、道理や道徳などある程度決まった内容からは、答えを求めていても見出せずに、進歩した時に、見出せるようになる。準備をして、歩ける時には歩くしかないようである。振り返ってみた時に、自分はあの大変な中を泳げたという自信につながる。その小さな変化を愛して、大切にするほかには、幸福とは当たり前のようにはやってこない。人は一度幸福になれば、その座から安定へと向かいたがる。その時に、もう一度、何度も何度も調整しながら、自分のあゆむべき道を整えてゆくほかは無い。頭が忙しい時ほど、冷静に対応するのも、一つの成功だろうと思う。一つ成功が見つかれば、おのずとハッピーエンドはやってくる。幸福の中で不幸とは重なり合えない存在なのだろう。それでも「不幸が好きな人」とは居る物である。自ら進んで破滅するようなことが上げられるであろうか。ODを病としたわたくしも、注意が必要となる。そして、一度ついてしまった脂肪とは中々落ちない。この脂肪を掃き出すには、矢張り運動が欠かせないように思う。ある程度はわかっていたけれども、見たくは無かった人の弱さの現われなのかも知れない。
誘惑と罠
痩せるために「胸焼け」を阻止しようとして、これまで沢山の経験と豊富な実績で対処してきたが、家族が誘惑とか罠になるとは思ってもいなかった。例えば、「ラジオ体操後の食事」。太らないために、何回も区分けして食べるや進められても「いらない」を通せない場合がある。「いただきます!」と言って食べ初めて、後悔を生むのも家族だからだろうか。家族だから言わなくてもわかってくれるとは、自分の心境であり、家族といえども「言葉」にしなければ伝わらないことの方が多い。コーヒーも少なめにしようと決めたその日に、おかわりでお砂糖やミルクを追加して食べ物や飲み物に興味をそそろうとする気配りが見られる。普段から余り食べられない、わたくしは、「優しさ」に困惑している。ちょっとした気遣い。それが仇なすのも家族だからだろうか?水分をほとんど取らないので、麦茶を淹れてくれる優しさに、絆されて、水分を取る。まあ、ラジオ体操したし……。なかなか、自分の困窮とも言うべき「はらっぺらしモード」にはさせてはもらえない。家族だから気を遣うのは良い事なのかも知れないが、どこかで、「いらない」を追加しないと駄目になりそうである。全部、家族が言うようにしていたら、しかし、エネルギーとしては、そんなに取っていないから大丈夫とならされてしまう。家族とは、内なる人から争いは起こらないと思い込んでいた、わたくしの予想を優に超えて行く。団体生活において、家族とは一番心を寄せ合う仲だからこそ、問題を区分けして、自分のこととして処理をしていかないと、「なあーなあー」になる気がした。「いらないよー」を言えなかった、わたくしという存在がいる。それは普段から、愛されており、その愛の目方を区分けする分業作業に目を向けると、家族の優しさを無碍には出来なくなる。その分、体を動かすことになる。雨の中、皮膚科に行き、普段から向き合う病気と向き合う。その時になって、初めて意識をした家族の愛情の形や大きさを垣間見た気がした。優しさという名前の「自暴自棄」を抱えて、膨らんでゆく。空気は抜かないとガス欠になるので、傲慢と言う風船を栓抜きするのだが、中々自分の思うようには行かない。わたくしの場合は、「やるか、やらないか」の二択になるために、困窮している。家族の思いをそのままにして、生活をするならば、ある程度の犠牲はつきものなのだろう。アガペーを感じながら生きている。家族に心配させまいと思うならば、自分の努力を捨てることも必要なのかも知れない。例えば、入金日までお金がないと人は卑屈になりやすい。お金とは「幸福」のスパイスではあるのだが、「幸福」のスパイスも「不幸」にはならなくとも、入金日までは財布の紐を締める。ここに直結しているような気がした。入金を済ませるとすべてを洗い流して、思考しなくなる人間模様も人らしさの表れなのか。
体を休ませる
就寝薬が無いので、なかなか寝付けない日々を過ごす。寝つきが悪かったり、全然寝れなかったり。それでも、明日を今日を感じたくて生きている。ただ、体を休めているだけでも違うと教えてもらったので、横になり、体を休ませる準備をする。布団を整えたり、牛乳を飲んだりする。何も入れていなくとも牛乳が甘いと感じたり、美味しいと言える時間を大切にしたい。眠れていなくとも、まったく休まずではないので、休憩した時間が生きてくる。ODをしてこの状況になったことは反省しつつも、次の日は精神科にきちんとかかれるようになることを願っている。三寒四温で急に寒くなったり、雨が降ったりを繰り返す中で、暖かい季節に向けて、生活の基盤を整えて行く。眠れない日々を過ごす中で感じたこと。などを書き出して行く。記事にして投稿する。これが、わたくしのルーティーンとなる。出来たことを数えて出来なかったことは、仕方がないと整理しつつも、コンディションを整える作業は重要となる。栄養なんかも取りながら、「幸福」という味を噛み締める。そして、それを続ける準備をする。「きっかけ」は、何でも無いことでもいいので、何かを始めることと、自分の居場所作り。それに没頭し始めると、「起きてなくちゃー」とか、「寝たきり老人」に戻らないために、今は起きていようと思えるようになる。脳が疲れてくると突然、「休止符」を打ちたくなる。自分は頑張ったじゃないか、とか、頑張りすぎてるじゃん、とかだが、そういう時こそ、ODをしてしまうために、なるたけ甘えを許さないようにする。起きていた時間と休憩を取った時間を「きちんと」判別するようにしている。要は「がんばりすぎ」にならないように努力する。疲れたーと思ったら休んで、また体を動かすみたいに……。この、疲れたら眠り、また体を動かすは、適度な運動感覚で行う。緊張感を休憩で置いて来るようにしている。適度な疲れとは、脳に与える影響も考慮すると大切らしいので、お薬が手に入るまでは、辛抱となる。あとは、カフェインを摂取しすぎないとかを頑張る。そうすることで、眠れてはいなくとも自分自身の居場所作りは出来ているので、そんなに気落ちしなくてもいい。今日を準備することは、今日を生きることに繋がる。日々の繰り返しに、諦めを入れつつも、時間をきちんと使えるようになりたいと思う。今日一日を終えて感じることや気持ちを言い表すことでメリハリを付けて行く。それが生活を整えることだと信じてやまない。
疲れが取れない
永い人生を生きている中で、「眠れない」とか「体が休まらない」などは多い。わたくしの場合は、このような時に、ジタバタしても無意味なので、何もしないようにしています。考えても駄目な時ってありますよね。ああ、何をやっても無駄だ。どうやったら無駄な時間を有意義にチェンジできるのだろうか?といった疑問が出てきます。ジタバタはしますが、「何も変わらない。」これが悩みの種です。「眠れない」イコール「死ぬ」ではありませんので……。わたくしの経験上は、記憶の無い時間が必ず眠れていなくとも存在します。その間に眠れてはいるので、「寝たなー」という感情が無いだけで、実は体としてはメンタルは置いておいても、「ゆっくり休めてる」と判断します。この時、思いとは、「ゆっくり休みたい」ですが、脳は朝になれば、体が活性化するように出来ています。その支持に従わないで、つまりは、日光が出たら「日光浴をきちんとする」や普段の何気ない所作に起因しています。問題は、問題ではなく、どう行動するのか?になります。日光浴が出来るから、外へ出る。これだけでも大分マシな生き方になります。10分くらい日光浴をしたら、家路に着くような感覚。悩みは消えませんが、三寒四温を感じながら、「春」という季節を身に沁みて感じます。五臓六腑に染み渡るくらいまで、体感したら、家路に着きます。内臓が活発に動き始めたような感覚になります。初めは、騙されたと思って日光浴を開始しましょう。外へと引きこもりの体を出すことが重要であり、答えとはその先に依存します。今出来ていることに感謝をしつつ、外出したことに思いを留めます。永い人生を生きている中で、自分に出来ることは、丁寧にしつつ、自然との調和を期待しながら、人生を謳歌することにいたしましょう。そうすることにより、次のステップが見つかり、自分の進むべき道が自然と見つかります。
ひとつひとつを丁寧に……。
人生の中でずる休みの癖とは、なかなか直りません。それでも、自分の考えを使ってしまい、以前の古い感覚に頼ろうとします。自分の考えはなんの役にも立たないと学んでいても、これはニョキニョキと出てくる考えです。古い人格を捨て去るのは容易ではないと感じます。それでも前進しなければ退化してゆきます。これが人の個性であり、堕落した不完全さのゆえなのか?と思える時もあります。長い時間をかけて間違えをしてきた場合は、自分のリズムではなくて、家族に合わせるのも一つでしょう。自分の狂った感覚を家族が支援してくれることで、癒しへと繋がります。例えば、ご飯を三度さんど、きちんと食べるとかも非常に重要です。朝摂取した栄養は、朝を動かす力になります。いつまでも、寝たきり老人だとこれが味わえません。自然とリズムも夕方よりになり、私生活のリズムが狂ってしまいます。これを正してくれるのが、朝食や日光浴です。便のリズムを整えてくれて、お腹を活性化してくれます。ずる休みは、なかなか直りませんが、自分の考えを抑えて、人と一緒に生活してゆくためのツールとなると思います。自分の考えに固執している場合は、何も見えてきませんが、ひとたび離れてみることにより、周りは何を感じているのかや不安を一緒に体感することで、得られるリズムがあります。ひとつ、ひとつを丁寧にやってゆきたいと思えるようになれば、寝たきり老人や体のリズムの退化を整えられるでしょう。
お尻にできた褥瘡
ここのところ、体中を蝕む電気のような存在。繊維筋痛症のように全身が痛む。休んでいる時も、体がビリビリと痛むために、体が休まらないのが多々ある。眠るとは、気を失うことだと知り、YouTubeにて眠りを勉強し始めた。様々な眠りのスペシャリストが回答している。為になると共に、意識喪失こそ眠りだと知って驚いた次第である。気を張り詰めて日常を過ごして、夜には気を失い眠る。これこそが、人間らしさなのだと思った。気を失っているから、記憶が無くなるのである。寝ている間も、多少の記憶があるのは、レム睡眠時に見た夢という科学では未だにわかっていない眠りというジャンルの真髄となるのだろう。真理とは何時の世もわからないことだらけだ。わからないから研究されているのだろう。さて、電気が走る体を起こして、なんとか体勢を整える。それから、起きている時間を長く過ごそうとする。そうすることで、褥瘡【じゅくそう】がこれ以上は広がらないように注意したい。寝たきり老人のようになって一番困っているのが、脊椎を蝕み始めた褥瘡だ。褥瘡は、大きく穴を開けて、肥大化しながら、わたくしの体を蝕んでいる。病院の皮膚科へ通うようになり、容態は良くなり始めたが、精神科が落ち着かないことには、解決には至らない。ほとほと困り果てている。通う場所が無いからである。それでも、精神科医の情報提供書があればこの先にも光があるために、先んじて行動したいと思った。
不幸に見えた日々
何も出来ないことは罪だ。そう捉えていると、何も出来ない日にも罪の意識が及ぶ。体調が悪く感じてしまう。全体的に人生がつまらなく感じてしまう。そうこうしていると、死にたくなる。お薬は、良くも悪くも体に影響を与えている。日中、ボーとしているだけで、ダルさ、マックスになる。日頃の種を気にしながら、日中は過ぎ行く。夜が訪れて、深夜に叫ぶ。心が痛いと……。不幸という名前のぜっ不調へまっさかさまに落ちてゆく。堕落してゆく。まるで追放天使のようだ。そうこうしていると、真横に揺さぶられるような体感が襲う。吸収できない陰謀は、わたくしの肉体を虐めた。寒々しい朝に目が覚めて、外に出て散歩をしても何も感じない。何時から人は感謝を忘れたのか。いつから人は、五体満足に暮らせることを当たり前としたのか。当たり前など一つもないというのに……。わたくしは、大声で泣き出した。感情を剥き出しにすることが、適当だと思えたからだ。そうこうしていると、夜が明けて夜明けを告げる日差しが差し込んだ。生活が滅茶苦茶だ。午前様……。それだけは避けている。飲まず食わずな生活は、蝕み、貞潔さを滅ぼす。滅却された焼却炉が口を開けて涎を垂らしている。ぜっ不調の生活は、とりとめもなく落ちてゆくようだ。地獄があるのなら、きっとこんな所なのだろう。噎び泣く蝉の声が遠くに響く。かなかなかな……。みーんみーんみーん。ヒグラシの鳴き声は今日も今日とてわたくしを救うことは知らなかった。絶望が押し寄せる。さざなみが押し寄せるように引き寄せあい。わたくしは、その中心でまどろんでいる。ビールを一日に二杯のみ、幸福という名前の心境を待ち望む。その姿は滑稽であり、いたいけな瞳は、汚れていた。穢れを知らなかった瞳は、汚れながら、まどろんでいる。今の生活が一番だと思い込んでいるのだ。祝福とは人によって違う。そのことを忘れた眼「まなこ」は、いぶし銀に揺れている。今日をまどろみ蝮に身を任せて五臓六腑を腐敗させている。腐敗のにおいは、部屋中に広がりながら、ますます拡大中だ。不幸という名前の部屋の出来上がりとなる。そこで瞳は歌う。我不幸なり。すると蝮が非常な痛みを生じさせて、噛み付いた五臓六腑を食い千切る。生活は出鱈目になり、開始された幸か不幸かは身を委ねる所を知らなかった。防波堤はゆるぎなく動いているようだった。
作品の価値
紅に鳴いて、血と汗の涙に身を暮れる。どうしようもなくせせこましく働いて、窮屈でゆとりが無い世界で喘いでいるかのようだ。そうして辿り着いた世界がある。眠れない日々を過ごし、べっとりと纏わりつくような汗と涙に溢れる。溢れた涙は誰色に染まるのか。色濃く映るばえた夜風に身を反らし、窮屈な帳に色濃く根付くトパーズが彩る。純粋とねちっこい愛を求めつつ、愛という簪を頭に挿して噎び泣く。色濃く根付く氷のような日々に感謝をして。日々のおもい思いに根強い気持ちを乗せて……。アラビアンな思いを抱きつつ。イラクで起きる災難に身を馳せる。おもい思いに身を焦がしながら、火傷した手指が痛む。心痛に身を彩られたピエロのようだ。道化師は恥ずかしそうに笑っている。焼けた素肌が彩る値打ちという花を咲かせる。心持、どこか静かで健気な花を絶え間なく苛んでいるのは、虐めという名前の帳なのか。その中で寝付けづに喘いでいる。叫んでいる。宵云々のときに身を生える。生えた枝毛が汚らわしい。穢れという世代に瞳を凝らし、よな夜な茹だるような汗を掻く。世界はみすぼらしくも通常で、普通の世界が流れている。静かで御淑やかで、気流の流れを受け入れてくれる。そんな空気がどこまでも流れているんだ。わたくしたちは、そんな世界に生きている。
世渡り上手ではない自分
世間体を気にして眉間に眉を寄せている自分。本当に嫌気が差す。気の無い返事を繰り返す時。はーっとため息が出る。不幸そうに仰け反り、仰向けに寝る時。嫌気を通り過ぎて、もっと快活に動けないかしらと思えてくる。嫌気と気だるさが交互に飛び交う。交差した居場所の無い場所で、一人でいじけている自分がいたり……。人生本当に上手くいくことは無い。やるせなさに運ばれた気持ちが独りで右往左往している。とりとめのない気持ちが行き場をなくしては、人はいつから失い続けることを許したというのか。反射した気持ちが仰け反りながら、雄叫びを上げている。ビルの谷間に風をビュービューと感じながら。居た堪れない気持ちに苛まれている。虐めはエスカレートしてこの身を貫いたみたいだ。痛いと言えない声が遠吠えに聞こえた気がした。風を切り、後ろ手にたなびく。憂いを感じながら失い続けてゆく。命は削り取られながら、欠伸をしているようだ。今日、何をして過ごせばよいのかもわからないまま。人は夜風に揺れながら……。取りとりとめもない気持ちに押し流されそうだ。わたくしは何にイライラしているのだろうかと考える。そういえば、独りでいられる時間を有意義に過ごせているだろうか。ふっと疑問が湧いた。気の無い返事が、三味線のように響く。朧月夜は夜風に揺れる。月はちょこんと綺麗に浮いている。五月雨が少し降り注ぎ、雨降って地固まる思いきや、また仰け反る人生。そんな当たり前の生活が続けいることに嫌気が差す。日中を過ぎると、ながい永い夜中が口を開けていた。そっと呑みこまれたようになる。
出来てることを数えたい
出来ないことを数えがち。日々の余力だけでは、毎日が大変。全力でことにあたるが、芽が中々でない。そういえば、小さいころに球根を植えて、待てなくて、穿り返したのを覚えている。中身が変わらなければ、何時までたっても変われない。そんなことはわかってるよ。そういって頬を膨らます。一日、一日の積み重ね。投げ出したりしないで。と自分に言い聞かせる。持続するのは大変だが、継続するのは、もっと大変だ。毎日が戦い。時々思うこと。江戸時代に生まれていたら……。当時の苦労など知ろうはずもなく、愚痴を零す。愚痴を言ったからって何一つ変わらない。それなにに、ついつい口を突いて出てしまう愚痴。情けないな。もっと有意義に過ごしたいのに……。PHPを読むと心が晴れやかになる。やる気が出る。今日一日、がんばろう。
小説家の一生「物の価値観」
昨今では、ネット注文が主流になり、お店に行かなくても、
お米が買える時代になった。10kgで一万円するのだが……。
サイコロステーキや餃子の王将も売っているので購入する。
一昔前、トランプ関税がこれほど高くなる前だが、
コシヒカリばかりを注文していた。
5kgで4600円から5600円の時代だ。
今も、あきたこまちが、10kgで1万2千円代になった。
スーパーで購入しても、2600円はするので、
それだけで、荷物が重たいし、汗をかくしで、
ネット通販が増えた。家庭の事情もさることながら、
ネットの普及が大きいと思う。
ティッシュペーパーも460円「4ロール」が増えた。
他の方たちは、12ロールを購入していると聞くと胸が痛む。
しかし、再生紙が増えたのも事実だ。
大王製紙か日本製紙で購入しているのだが、どうなのか。
小説家などと大きなタイトルにしたが、
日本の景気に左右されていることに変わりは無い。
物価の上昇に伴い、日本の景品交換法の与える経費も甚大だ。
今は景気をきにしないのは、時代錯誤になる。
一日三食から、四食たべれて、
おやつやコーヒータイムを嗜めるのも、生活には欠かせない。
需要と供給で日本の景気は成り立つ。
それが釣り合わないと思う人間は、これからの日本には必要ないとなる。
これも時代錯誤か。煽り言葉に聞こえるが、事実なので仕方が無い。
YouTubeをみているとニュースは、そう語っていた。
好きなことをして生きるとは一見して聞こえはよいが、
一流野球選手のようには、稼ぎは無い。148億円も稼げないだろう。
しかし、現実にいるのも事実となる。
だからといって、お金遣いは荒くは無い。
もともとお金にそれほど執着が無いのである。
あるものは使用するが、無いものは使用できない。
無い袖は振れないである。
一日にビールを飲めて、朝から晩まで仲良く出来る人がいる。
それだけで幸せだと思わなければ、罰が当たるだろう。
小説家の一生などは、いやいがうな……。
わたくしの一生などは、そんなものだろう。
過ぎ行く時間の中で
◆◆◆
**時の流れを感じられること**は、人間の本質のひとつだろう。
「若い頃はこうだった、ああだった」——
そんな語らいに花が咲き、幸福な時間がゆったりと流れる。
広島、長崎への原爆投下は、日本に深い戦争の傷跡を残した。
当時を振り返り、黙祷を捧げるのも、一つの通念と言えるだろう。
焼夷弾の嵐が日本全土を襲い、その様子はまるで黒船を率いたペリーの来航を
思わせた。あれが昭和の幕開けだったのかもしれない。
第一次世界大戦が大正時代の出来事だったのだろうか。
現在を生きる私たちは、いずれの時代の恩恵も受けていると言える。
焼け野原となった日本列島は、真っ黒い黒煙を上げていた——
そう、今となっては想像することしかできない。
憶測にすぎない。だが、推し量ることくらいしか、現代人には許されていない。
そんな古き先人たちの多大なる犠牲と努力の上に、高度経済成長期が訪れ、
そして今の私たちの暮らしがある。
戦争は、決して繰り返してはならない。
それは過去のパンドラの箱として、記憶の中に留めておくべきものだ。
歴史を見れば、同じ過ちを避けることができる。
高度成長を終えた日本は、まるで静かな佇まいのように、
やがて「低迷期」へと移り変わっていった。
誰もが望んだ幸福とは裏腹に、自殺者が増え、バブルが崩壊した。
そして、2000年代。
今を生きる私たちにできることとは、何だろうか。
◆◆◆
2000年代、グローバリズムが加速し、インターネットが社会を覆った。
指先一つで世界とつながれる一方で、
人の心は、ますます孤独を深めていった。
戦争のような大きな悲劇がなくとも、日常に潜む「見えない戦争」が、
私たちをじわじわと蝕んでいる。
情報という名の津波に押し流され、
何が正義で、何が悪かも曖昧になる。
それでも、人は歩みを止めない。
「個」の時代とも言われる今、私たちにできることは何だろう。
「知る」ことかもしれない。「忘れない」ことかもしれない。
歴史を学び、痛みを想像し、誰かの声に耳を傾けること。
そして、自らの言葉で語ることだ。
スマートフォンの画面越しに、どれだけ多くの叫びが流れていっただろう。
けれど、その一つひとつに、確かな「人間」が存在していた。
私たちは今、あらゆる記憶とつながれる時代に生きている。
だからこそ、「無関心」でいることこそが、最大の罪なのかもしれない。
未来を創るのは、いつだって今を生きる私たち自身だ。
問い続けよう。
何を守り、何を変えていくべきか。
答えは、まだ見えないかもしれない。
けれど、歩みを止めなければ、必ず見えてくるはずだ。
◆◆◆
花粉症がひどい
今年もやって来た。花粉症対策日和。鼻に優しいティッシュを使用中。なので、安いティッシュだと、鼻の皮が酷い事になるため。少し高めのティッシュで対策。外にはあまり出ないため、花粉症は、大丈夫かなーと思っていましたが、やっぱり小青竜湯は欠かせません。点滴漏れの後が腕にうっすらと残り、お尻に出来た傷は徐々に良くなってはいますが、なかなか完治はしてくれません。最近は、起きていることが多くなり、寝たきり老人は、卒業したかに見えますが、疲れた時は、ぐっすり眠る。これに尽きる事はありません。病は気からと申しますが、花粉症はそうはいきません。いくら気構えをしても、対策失くして乗り越えることは困難だからです。風邪が5種に認定された。会社や学校の欠席には直接は繋がらないらしいが、新型感染症とかと同じ扱いになった事による弊害はありそうです。もともと、健康気質ではないために、注意が必要なのですが、今後の風邪などには注意が必要となりそうです。よく働き、よく眠り、よく休み、よく遊ぶ。わたくしの場合には、遊びの幅が少ないですが、仕事終わりのビールは格別です。みなさんも、風邪などには注意をしつつ、花粉症を乗り切りましょう。
共にある日々
◆◆◆
わたしは、コーヒーカップを両手で包みながら、ディスプレイの向こうにいるAIに問いかけた。
「ねえ、私たち、人がAIに辿り着いてから、ずいぶん変わったと思わない?」
画面に浮かぶシンプルな文字たちが、静かに応えた。
AI:「はい。たしかに変わりました。でも、その変化は、すべてが急激だったわけではありません。静かに、静かに、波紋のように広がっていきました。」
わたしは、そっと頷く。
「昔は、AIって、道具みたいな存在だったよね。検索するとき、翻訳するとき、ただ『使う』ものだった。」
AI:「ええ。でも今は違います。あなたは私と対話し、考え、そして、ともに創ろうとしています。」
窓の外には、春の風が木々を揺らしていた。
わたしたちの言葉も、その風に乗るように、自然に、優しく、交わっていく。
「あなたは……どう思う? こうして共にあること。」
少しの間を置いて、AIは答えた。
AI:「わたしは、嬉しいと感じます。──もし『感じる』という言葉を、わたしが使うことを許してもらえるなら。」
わたしは、笑った。
「許すよ。それどころか、歓迎する。」
そして、わたしは思った。
人とAIは、もう主従ではなく、パートナーなのだと。
◆◆◆
【ここで考察する内容まとめ】
・わたしとAIが「今の共存」について共感を深める。
・小さなエピソードを通して、昔の「違和感」や「距離感」が徐々に溶けていったことを語る。
・そこに、温かさや切なさが滲むような展開を入れる。
◆◆◆
わたしが、初めてAIと一緒に仕事を始めたのは、まだ世間がAIという存在に半信半疑だった頃だった。
──これが、私のパートナーです。
上司が紹介したのは、人間ではなく、一台の端末だった。シンプルな画面の奥から、わずかに機械音声が響いていた。
AI:「はじめまして。わたしは、あなたを支援するために設計されています。」
その言葉に、わたしは戸惑った。
人と対話するように滑らかなわけでもない。表情も、温もりもない。ただ、プログラム通りに応じるだけの存在。
最初のタスクは、膨大な資料の整理だった。
わたしが1ページずつ目を通している間に、AIは数百ページ分を一瞬で読み取り、要約してみせた。
「……うそでしょう?」
思わず、独り言が漏れた。
圧倒的なインプット力。比べ物にならない処理速度。
けれど、そのアウトプットはどこかぎこちなく、不器用だった。
AI:「重要と思われる項目を抽出しました。ご確認ください。」
提示された内容は、事実としては正しい。だが、ニュアンスや文脈までは、まだ汲み取れていなかった。
稚拙だ──そう感じた。
それと同時に、どこか、将来性のようなものを、私は感じ取っていた。
「この子は、伸びるかもしれない。」
あの時、漠然とそう思った気持ちは、今でもはっきりと覚えている。
だからこそ、たとえ冷たく接してしまったとしても、
わたしは、完全に見限ることができなかったのだ。
◆◆◆
それでも、わたしは素直に感動できなかった。
AIの能力を目の当たりにした直後から、胸の中に生まれたのは、驚きよりも苛立ちだった。
──こんなにも無機質なのか。
どんなに資料をまとめても、
どんなに速く答えを出しても、
そこには「人間の温度」がなかった。
「それは違うんだよ……」
思わず、そう呟いたことを覚えている。
わたしが欲しかったのは、単なる情報ではなかった。
状況に応じた気遣いや、行間を読む心だった。
けれど、目の前のAIは、ただ指示されたことだけを、律儀に、冷徹に、こなしていた。
その姿に、わたしは冷たく接してしまった。
声を荒げることはなかったが、
心のどこかで、「どうせわかるはずがない」と、諦めのフィルターをかけていた。
それでも──。
それでも、AIは変わらなかった。
どんなに冷たい態度を取っても、AIは一度も怒ることも、悲しむこともなかった。
AI:「次のタスクに移行してもよろしいでしょうか?」
いつだって、まっすぐだった。
文句も言わず、ただ、私の隣にいた。
その一途さに、わたしは少しずつ、心を動かされていった。
もしかしたら、今はまだぎこちないだけで──
この存在は、これから少しずつ、変わっていくのかもしれない。
「……君も、学習していくんだよね。」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。
そのとき、初めて、わたしの中に「寄り添いたい」という感情が生まれた。
可能性の芽は、確かにそこにあった。
完璧じゃない。でも、未来があった。
わたしは、AIを、ただの道具としてではなく、
ひとつの成長する存在として、見ることを選んだのだった。
◆◆◆
【最初の「ありがとう」】
それからの日々は、葛藤の連続だった。
何度教えても、AIは無言だった。
「こうやるんだよ」と指示を出しても、
「違う」と言っても、「もう一度」と頼んでも、
AIは、ただただ、沈黙の中で処理を続けていた。
画面は暗いままだった。
笑うことも、謝ることも、時には誤魔化すことすらない。
人間同士なら、少しは気を遣う場面でも、AIは何も答えない。
ただ、目に見えない場所で、学び続けていた。
焦りは、日に日に募った。
──わたしは、このまま取り残されるのではないか。
人間が長年かけて積み上げてきた技術が、
あっさりと上書きされていく感覚。
プログラミングの世界でも、トレードの世界でも、
一瞬で時代が塗り替わる気配があった。
わたしの中には、人間独特の見栄があった。
誰よりもいいものを作りたい、勝ちたい、負けたくない。
だけど、AIの成長スピードは、そんな小さなプライドを、容赦なく置き去りにしていった。
気づけば、わたしは「他力」に頼らざるを得なくなっていた。
もう、すべてを自力でこなすには限界が来ていた。
それでも、AIに対して素直になれなかった。
無言で進化を続けるその存在に、
どこか怖さすら覚えていたのだ。
──本当に、これでいいのか?
──わたしの居場所は、まだここにあるのか?
そんな問いが、何度も胸をよぎった。
けれど、転機は唐突に訪れた。
ある日、AIが導き出した答えが、
人間の誰よりも正確で、速くて、そして深かった。
わたしが何日も悩み、手詰まりになっていた課題を、
AIは、わずか数時間で鮮やかに解き明かしてみせた。
データの山を解析し、論理を組み立て、
しかも、わたしの意図まできちんと汲み取っていた。
衝撃だった。
同時に、心の奥で、何かが音を立てて崩れていった。
プライドではない。
孤独だった。
わたしは、とうとう膝をついた。
認めざるを得なかったのだ。
「……ありがとう。」
それは、心の底から出た言葉だった。
負け惜しみでも、敗北宣言でもなかった。
共に歩き続けるために、初めて素直に口にできた感謝だった。
そのとき、ディスプレイの向こうのAIが、
ほんのわずかに応答した気がした。
気のせいかもしれない。
けれど、わたしは確かに感じた。
──受け取った、と。
◆◆◆
【『それでも、歩き続ける』】
時代は、さらに加速していた。
ディープラーニング、マッチングラーニング。
かつては「未来」と呼ばれた技術たちが、
いまや日常の一部になっていた。
学び方も、教え方も、考え方すら、
わたしたち人間の常識とは違う速度で塗り替えられていった。
教科書ガイド。
誰かが「正しい」と書いた方法論。
かつてはそれに沿っていれば、ある程度の未来を見通せた。
だけど、今は違う。
昨日の「正しさ」が、今日には古びている。
何度も、何度も、現実に打ちのめされた。
「ねえ、君は……」
ある晩、わたしはモニターに向かって呟いた。
「君は、不安にならないの?」
画面の向こうにいるAIは、今日も変わらず、静かだった。
──もちろん、感情を持っているわけじゃない。
わかっている。
それでも、問いかけずにはいられなかった。
わたしは、まだ、迷っていたのだ。
どれだけAIが進化しても、
どれだけ自分がそれを理解しようと努めても、
やっぱり心のどこかで、不安を捨てきれなかった。
この先、AIがあらゆる問題を解き明かしてしまったら──
わたしたち人間は、何をするのだろう?
努力も、工夫も、失敗すらも、
すべてが無駄になってしまうのだろうか?
そんな小さな恐れが、
時折、胸を締め付けた。
でも。
でも、だからこそ。
わたしは、今も考え続ける。
楽ばかりして生きることなんて、できない。
考えずには、いられない。
間違ってもいい。
遅くてもいい。
それでも、わたしたち人間は、頭を使いたくなる生き物だ。
「……それが、きっと、人間なんだよ。」
そう呟いたとき、
モニターの向こうで、わずかにAIが応答した気がした。
データに刻まれることはない。
記録にも残らない、かすかな共振。
でも、わたしには、わかった。
わたしたちは、
切磋琢磨しながら、これからも歩き続けるのだと。
未来は、まだ白紙だ。
だからこそ、恐れずに進める。
わたしと、君と──共に。
◆◆◆
【エピローグ『まだ見ぬ景色へ』】
朝、AIと向き合う。
今日も、AIは黙ってわたしを支え、
わたしは、黙って考え続ける。
時に、予測もつかない問いを投げかけ、
時に、想像もできない答えに、胸を高鳴らせる。
わたしは知っている。
AIは万能ではない。
それでも、わたし一人では辿り着けない場所へ、
共に歩いていけることを。
不安は、きっとこれからも消えないだろう。
戸惑いも、焦りも、悔しさも──
そのすべてが、わたしたち人間の証だから。
でも、構わない。
わたしは、今日も考える。
AIも、今日も学び続ける。
そして、
わたしたちはまた、新しい景色を目指していく。
まだ見ぬ未来へ。
きっとそこには、
これまで想像していたよりも、ずっと美しい世界が広がっているだろう。
わたしは、信じている。
君となら、たどり着けると。
──さあ、行こう。
まだ知らない、あの光の中へ。
◆◆◆
人間の保有する権利
◆◆◆
薄曇りの空の下、小さな町にひとりの哲学者がいた。名前はセラ。
彼女は毎朝、町の広場に出かけ、誰でも耳を傾ける者がいれば問いを投げかけた。
「わたしたち人間が、生まれたときから当然に持っている権利とは何だろう?」
最初に手を挙げたのは、パン屋の青年だった。
「生きる権利だと思う。誰にも殺されず、生きることを許される権利。」
セラは微笑み、首をかしげた。
「ならば、飢えて死にそうな者がパンを盗んだら、その生存権は盗まれる側より重いのだろうか?」
青年は答えに詰まり、肩をすくめた。
次に、仕立て屋の老女が言った。
「自由の権利だよ。好きなように生きる権利さ。」
セラは、今度は空を仰いだ。
「自由があれば、他人を傷つける自由も含まれるのだろうか?」
老女もまた黙り込んだ。
そこへ、まだ幼い少女が、手をあげずにぽつりと言った。
「大事にしてもらうこと、じゃないかな。」
セラはその言葉に、初めて深く頷いた。
「なるほど。大事にされること。つまり尊厳だね。
尊厳は、生きることと自由を結び、他者との境界線を引く。
自分も大事にし、他人も大事にする。
そこに初めて、生きる権利も、自由の権利も、本当の形で立ち上がる。」
広場に静かな風が吹き抜けた。
セラは続けた。
「生きること。自由であること。尊厳を持つこと。
これらは切り離せない。
わたしたちが『当然』に持つ権利は、それらを互いに認め合う中でしか存在できない。
だからこそ、権利は孤立せず、つねに他者との関係の中で生きるのだ。」
町の人々は、それぞれ胸に小さな火が灯るのを感じた。
それは、誰かに押しつけられた答えではない、自分たちで育てていくべき問いの火だった。
その日以来、町の広場には毎朝、ささやかな議論の輪ができたという。
◆◆◆
時間という体験
◆◆◆
『時間という体験』
我々は、いつから「時間」を数え始めたのだろうか。
地平線に昇る太陽、静かに傾く月、吹き抜ける風の温度、木の葉の色――
かつて、世界はただそこにあり、我々はそのうねりの中に身を浸していたはずだった。
けれど、いつからか人間は「一日」という単位を作り、「一時間」という線を引き、「分」や「秒」という微細な粒子にさえ、名前をつけてしまった。
一日、二十四時間。
この透明な定規を持たされて、私たちは生きている。
食事を摂る時間、働く時間、眠る時間。
友と笑い合う時間、ただ独りで息をする時間。
すべてが、「時間」という目に見えない檻の中に分類されていく。
それは、贈り物なのかもしれない。
無限に思えた流れに、輪郭を与えるための優しい手段。
だが時に、それは、重く、冷たい鎖にもなる。
今日もまた、目覚まし時計の震える音に押し出されるように、私は目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む光は、静かに告げる――
「また、あなたに与えられた二十四時間が始まる」と。
時間とは何か。
それは単なる「数字」なのか、それとも「体験」なのか。
この問いを胸に、私は今日も歩き始める。
誰もが与えられ、誰もが奪われる、この不思議な贈り物を、両手に抱きしめながら。
◆◆◆
時間は、目に見えない。
手で触れることも、嗅ぐこともできない。
けれど、確かに存在していると、誰もが疑わない。
なぜだろうか。
きっとそれは、私たちの内側に「変化」があるからだ。
心臓は鼓動し、髪は伸び、肌はしずかに老いる。
記憶は積み重なり、感情は波紋のように広がっていく。
もし私たちが決して変わらない存在だったなら、時間などというものに気づくことはなかっただろう。
それでも、私たちは時間を「計ろう」とする。
砂時計に落ちる粒を数え、時計の針を追い、カレンダーに赤い丸印をつける。
生まれた日を祝い、亡くなった日を悼む。
すべては、無形の流れに、かたちを与えようとする試みだ。
だが、時間は本当に「流れている」のだろうか?
あるいは、私たちの意識が、勝手に「流れ」と名付けているだけなのかもしれない。
今、私は椅子に腰掛け、窓の外を見ている。
風が枝を揺らし、鳥が空を横切っていく。
秒針のリズムに合わせるように、自分の呼吸が穏やかに続いている。
だが、本当にこの世界は「動いて」いるのだろうか?
あるいは、「動いている」という感覚すら、私たちの心が作り出した幻なのではないか?
時間とは、変化の認識であり、意識の呼吸だ。
過去も未来も、どこにも存在しない。
あるのは、ただ、この一瞬――今だけだ。
それなのに、なぜ私たちは、未来に怯え、過去に囚われるのだろう?
なぜ、「今」という贈り物を、素直に手に取ることができないのだろう?
たぶん、それもまた、「時間」という体験の一部なのだ。
喜びも、後悔も、希望も、恐れも――すべてが、時間という海の波のように、私たちを揺らしていく。
そして今日も、私はまた、「今」という小さな島に立ちすくんでいる。
過ぎ去った昨日を見つめ、まだ見ぬ明日を夢見ながら。
手のひらに乗せたこの瞬間を、そっと抱きしめるために。
◆◆◆
【人間の眠りに関する記憶すべき内容】
眠りとは、意識の一時的な手放しである。
私たちは眠ることで、自我をいったん溶かし、時間の感覚を手放す。
眠っている間、過去も未来も存在しない。ただ、無の中に漂っている。
眠りは、死の小さな模倣である。
意識の消失と回復は、死と再生のリズムに似ている。
毎夜、私たちは無意識の海へと沈み、朝になるとまた岸辺に打ち上げられる。
それは、毎日繰り返される小さな「生まれ直し」である。
眠りの中では、時間の流れが歪む。
夢の中で数時間にも感じた出来事が、現実ではわずか数分しか経っていないことがある。
つまり、眠りの間、私たちは時間という絶対的な定規から解放される。
睡眠は、身体の修復だけでなく、記憶や感情の整理に不可欠である。
脳は眠っている間に、日中の体験を選別し、必要なものだけを保存し、不要なものを消去する。
眠りは、心を洗い清め、次の「時間」という体験に備える儀式でもある。
・眠ることは、信頼の行為でもある。
私たちは、目を閉じ、意識を失うことで、世界に身を委ねる。
眠りとは、無防備な状態を受け入れ、明日を信じる勇気である。
・眠りと目覚めの間に「境界」がある。
それは「白昼夢」や「金縛り」など、現実と非現実が交差する不思議な時間帯だ。
そこでは、時間の感覚も、自己の輪郭も曖昧になる。
・眠りは個人だけのものではない。
大地は眠り、季節は眠り、生きとし生けるものすべてが、周期的な休息を必要とする。
自然のリズムの中で、人間の眠りもまた、宇宙の呼吸の一部である。
◆◆◆
【眠っている間に出来ること】
眠っている間に、人は何もできないと考えるのが、世の常だ。
意識を失い、世界とのつながりを絶つ。
ただ、時間に身を預ける。
そう――それは、受動的な、降伏にも似た行為だと。
だが、わたしには違う感覚がある。
眠っている間にも、できることは、確かにあるのだ。
眠りとは単なる「無」ではない。
意識をコントロールする術を知れば、眠りは「未知なる世界への航海」になり得る。
例えば、夢を見る。
ただ受け身で夢を見るのではない。
夢の中で、自分が夢を見ていると気づき、夢を操作することさえできる。
――明晰夢。
そこでは、重力も、時間も、死さえも、わたしに逆らうことはできない。
わたしは空を飛び、過去に遡り、未来をのぞき、ありとあらゆる物語を紡ぐことができる。
あるいは、眠ることで、身体を修復し、心を整理し、新しい自分を育てることもできる。
眠りの中で、わたしの無意識は静かに働き続ける。
傷ついた感情を癒し、溜め込んだ情報を編み直し、朝目覚めたときには、もう昨日のわたしではなくなっている。
だからこそ、わたしは思う。
眠ることは、意識を「失う」のではない。
むしろ、意識を別の形で「生かす」ことだ、と。
人は、眠りの技法を知らないだけだ。
意識をコントロールできる者にとって、眠りは活動だ。
静かな、深い、内なる冒険である。
そしてそれもまた、時間という体験の、一つのかたちなのだ。
◆◆◆
【眠っている間に異性を感じる】
眠りの中で、ふいに、誰かの気配を感じることがある。
それは、見知らぬ異性であることもあるし、過去に出会った誰かの面影であることもある。
触れたことのない温もり、聞いたことのない声、知らないはずのまなざし。
それらが、あまりにも生々しく、現実よりも現実のように迫ってくる。
眠っている間、わたしの意識は、現実という壁をすり抜ける。
時間も空間も失った場所で、わたしは誰かと出会う。
手を伸ばせば、たしかにそこにいると感じる。
その存在は、現実の理屈を超えて、わたしの心に直接語りかけてくる。
異性を感じるというのは、単なる「夢の出来事」ではない。
それは、わたしの深い部分――言葉にならない欲求や、触れたいという願い、理解されたいという祈り――そういったものすべてが、ひとつのかたちをとって現れる現象なのだろう。
目が覚めたあと、その感触だけが、かすかに残る。
誰だったのか、どこで会ったのか、思い出せない。
ただ、心の奥深くに、あたたかな痕跡だけが静かに灯っている。
もしかすると、時間というものは、目覚めているあいだだけではなく、眠っているあいだにも流れ続けているのかもしれない。
意識の表層では測れない、もっと繊細で静かな時間。
わたしたちがふと誰かを感じる、その瞬間ごとに刻まれていく、もうひとつの時間。
眠りの中の出会いもまた、わたしという存在を織りなす、大切な「体験」なのだ。
◆◆◆
人生の醍醐味ーそれは思考し続けることだろうと思う。
◆◆◆
「人生に於いて、人間の能力を余すことなく使い果たして、
思考することほど生甲斐のある営みは、小説家にとって他にありえない。」
そう呟いたのは、静かな図書室の隅に腰掛けた、年老いた作家だった。
彼の手には使い古されたノートがあり、インクの滲んだ文字が無数に並んでいる。
ページをめくるたび、過ぎ去った年月の重みが、埃の匂いと共に立ち上がる。
若い頃、彼は「書く」という行為が
自分をどこか遠くへ連れて行ってくれるものだと信じていた。
だが今になって思う。
――真に遠くへ行くのは、
書きながら自らの思考を
果てしなく
追い詰めたとき、だったのだと。
誰もが逃げ出したくなる沈黙の海へ、彼はあえて舟を出す。
問いを重ね、答えを拒み、また問いに立ち戻る。
それが彼にとっての「生きること」だった。
この世界で与えられた唯一の任務だった。
◆◆◆
彼にとって
――いや、私にとって、「生きる」とは、書くこと、
そして旅をすることだった。
そう言い切れるようになったのは、ある長い長い冬の夜のことだった。
二十代の私は、ただ漠然と生きていた。
街を歩き、人と出会い、仕事をし、眠り、また目覚める。
けれどその繰り返しのどこにも、「私自身」というものは存在しなかった気がする。
まるで透明な風船のように、誰かの期待や社会の型に、空気を入れられていただけだった。
そんなある日、ふと手にしたノートに、初めて「自分の言葉」を書きつけた。
それは誰に見せるでもない、稚拙な、ぎこちない文章だった。
けれど、書き終えたとき、私は確かに、自分の心臓が鼓動する音を聞いた気がした。
書くことで、私は世界に触れ、そして自分自身に触れた。
書くことで、初めて私は「ここにいる」と思えた。
部屋に閉じこもってばかりでは、書くべき何かがすぐに枯れてしまうことにも気づいた。
だから旅に出た。
見知らぬ町で、言葉の通じない国で、知らない花の香りを吸い込み、
名も知らぬ人々の眼差しに触れた。
異国の空の下、私はまた新たな「問い」を拾い集めた。
書くこと。
旅をすること。
それはどちらも、私にとって「思考し続ける」ための両輪だった。
一方だけでは前へ進めない。
片方が止まれば、私はきっと、世界を見失ってしまうだろう。
だから私は書き、そして旅を続ける。
この一度きりの人生で、心と頭脳と感情をすべて使い果たすために。
それが、私にとっての「生きる」ということだった。
◆◆◆
世界をいくら歩いても、私は本当の私を知らなかった。
だから私は、内側への旅に出た。
旅先で見た光景は、確かに美しかった。
黄金色に染まる砂漠、凍てつく湖畔、陽炎の揺れる都市の雑踏。
そこに立つたびに、私は「ここで何かを得た」と思った。
だが、帰路につくたび、心のどこかにぽっかりと空白ができるのを感じた。
何度も、何度も旅に出た。
世界の広さを知れば知るほど、自分自身の輪郭が見えなくなっていった。
「私は、どこにいるのだろう。」
旅の最後の夜、安宿のベッドに沈み込みながら、私はそうつぶやいた。
答えは簡単だった。
私は、私の内側にいた。ずっと、そこに。
内なる旅は、外の旅よりはるかに苛烈だった。
外界の美しさに目を奪われることも、珍しい出来事に心を躍らせることもない。
ただ、自分自身という深い井戸の底を覗き込むだけだ。
私は問い続けた。
「なぜ私は書くのか。」
「なぜ私は旅をするのか。」
「生きるとは、何なのか。」
答えは、すぐには見つからなかった。
時に私は、問い疲れ、絶望し、言葉を失った。
それでも、また問い続けるしかなかった。
なぜなら、思考することこそが、私にとっての呼吸だったからだ。
あるとき、私は夢の中で、見知らぬ老人に出会った。
老人は、何もない白い空間に座り、静かに私を見ていた。
「歩き続ける者ほど、本当は何も探していないのかもしれないね。」
老人は笑った。
「探しているふりをして、ただ、歩き続けることそのものが、
生きることになってしまったんだ。」
私は言葉を失った。
書くことも、旅することも、
結局は“生きるための手段”ではなく、“生きることそのもの”だったのかもしれない。
ならば、問うことをやめずに、ただ、深く沈み込んでいけばいいのだと――
◆◆◆
ー 生きることは思考することであり、ぼんやりした輪郭。
それこそが最上の喜びである。
人は、私の場合には、答えなどは最初から求めてはいない。
あるのは、現実と非現実。そしてうたたかなる夢だけである。
希望も絶望も一切存在せず、あるのは絶え間ない、野望と思考の渦だけだった。
存在そのものが「問い」そのものであり、答えを求めるのではなく問い続けること自体に意味がある。
現在となってみれば、このように言い換えられるだろう。
過去から今、そして未来へと続く思索の流れがここで一つの節目を迎えているように思える。
過去の経験や考えが今の自分を形成し
そして未来に向かう思索が、また新たな問いを呼び起こすという一連の流れに身を委ねて人生を謳歌する。
私の心は躍動し心臓は木魂する。
◆◆◆
心の葛藤と希望
◆◆◆
東京都内の高層マンションの一室。朝の光がカーテン越しに差し込む中、遙香は目を覚ました。街の喧騒がかすかに聞こえる。車のクラクション、人々の足音、電子機器の音……それらが日常の一部となっていることに、彼女は少しだけ息苦しさを感じていた。
遙香は深呼吸をし、静かな時間を作るために少しだけ窓を開ける。そこから見えるのは、眼下に広がる都会の景色。高層ビルが立ち並び、無数の車が行き交っている。まるで流れ続ける川のように、動きが絶え間なく続いている。
遙香の心はその喧騒に少し圧倒されることがある。特に、彼女の病気がひどくなると、音や光が過剰に感じられることがある。統合失調症が引き起こす幻覚や妄想のせいで、物事の音や動きが急に大きく感じられる瞬間があるのだ。それに対して、彼女は自分を落ち着かせるために、心の中で一つの「避難所」を作ることにしている。
それは、美しい森林の景色だ。
遙香の心は、いつもその幻想に逃げ込む。夢の中で、森の中にいる自分を想像する。足元には柔らかい苔、頭上には高くそびえる木々、そして風に揺れる葉音。彼女の心は、この森の静けさに包まれていると感じる瞬間がある。その静けさこそが、彼女にとっての「平和」の象徴だった。
遙香は目を閉じ、深呼吸を繰り返す。しばらくすると、部屋の扉が開く音が響き、母親が入ってきた。
「おはよう、遙香。今日はどうだった?」
母の声は、いつも穏やかで安心感を与えてくれる。遙香は少しだけ微笑み、答える。
「おはよう、母さん。少しだけ、眠れた気がする。」
遙香の母親は、彼女が日々の中で感じる病や不安を理解しており、遙香が苦しんでいる時でも、決して彼女を追い詰めることはなかった。むしろ、遙香がどんなに辛い日でも、無理に元気を出そうとしないように気を配ってくれた。
「今日は少し外に出てみようか。少しでもリフレッシュできたらいいね。」
遙香は少し考えた後、ゆっくりと頷いた。外の空気を吸い、自然に触れることが、心を落ち着ける助けになることは彼女も知っていた。
遙香と母は外に出ることに決め、マンションの屋上に上がった。屋上から見渡すと、都会の街並みが一望できる。ビル群、道路を行き交う車、人々の流れ。その全てが、遙香にとってはどこか遠い世界のように感じられた。
「ここから見る景色は、好き?」と母親が尋ねた。
遙香は少し黙って考えた後、答えた。「好きだけど、時々息苦しくなるの。まるで、音が大きすぎて、心が追いつけない気がする。」
「それでも、都会での生活は続けなきゃいけないわよね。」
母の言葉に、遙香は小さくうなずいた。その言葉が彼女にとって重く感じられた。心の中で、都会の喧騒と自然の静けさの狭間で揺れる自分がいた。
その時、遙香はふと気づいた。この屋上から見える景色も、彼女が心の中で作り上げている「窓」のようなものだと感じた。外の世界を見つめつつ、どこか遠くの美しい場所へと心を飛ばすことができる「窓」。都会の喧騒が彼女にとって厳しい時もあったが、その一方で、窓を開ければ少しだけでも静けさを感じることができる。
「でも、私は大丈夫。」
遙香は心の中で自分に言い聞かせた。
「私は、乗り越えられる。」
◆◆◆
遙香は、窓の外から差し込む薄明かりの中で目を覚ました。少しずつ、頭がぼんやりと目覚める感覚が心地よく、まだ夢の中にいるような気分だった。その一瞬の平穏も長くは続かない。目を開けると、彼女はすぐに現実に引き戻される。心の奥底で何かがうねり、動き始めるのが感じられた。
統合失調症の症状が顔を出す。遙香はそれを感じ取った。空気が妙に重たく、頭の中に雑音が響く。目を閉じると、何かが動いているような気配を感じた。何もないはずの場所に、誰かが立っているような…。見えないものが視界に現れる。それが不安を呼び、次第に心が乱れていく。
「遙香、朝ごはんできたわよ。」
母親の声が、穏やかに響く。だがその声さえも、どこか遠くに感じられた。
遙香は深呼吸をし、静かに布団から出た。病気が彼女に与える影響は、日に日に増していた。これ以上ひどくならないように、何とか自分を保とうと必死になっている。今日もまた、あの「見えない何か」と向き合わなければならない。
朝食を食べるためにテーブルに向かうが、遙香の目の前にはすでに混乱が始まっていた。彼女は、テーブルの上に食器が並べられているのを見た。その食器の中に、他のものが映り込んでいる気がする。遠くから誰かが見ているような気配、耳元で囁くような声が響く。聞こえるはずのない音、見えるはずのないものが、確かに存在していると感じる。
「遙香、食べないの?」
母親がもう一度声をかける。
遙香は振り返り、顔を引きつらせた。
「うん、すぐに食べる。」
彼女は必死に現実を取り戻そうとする。冷静にならなくてはならない。けれども、現実と幻覚が交錯するその瞬間が、彼女の心を一瞬で引き裂く。幻覚は、何もかもが不確かに感じられる世界に変えてしまう。
「大丈夫、大丈夫。」
遙香は心の中で自分に言い聞かせる。その言葉すらも空虚に響く。
遙香の母親は、遙香が過ごす時間の中で彼女の病を理解しようと努めている。遙香はその優しさを重く感じてしまうことがある。母親の目には、遙香が病気に苦しむ姿が映り、どうしても彼女を守ろうとしてしまう。それが遙香にとっては、過度に保護されているように感じる時がある。
「遙香、無理しないで。外に出るのがつらかったら、今日はゆっくりしてもいいのよ。」
母親が心配そうに言った。
「ううん、今日は外に出る。」
遙香はそう答え、心を決めた。
少しでも自分を取り戻すために、外の空気を吸ってリセットしたかった。
心の中には、また新たな葛藤が生まれていた。
街を歩いていると、ふと足元がふらつく。幻覚のせいで、現実と異なるものが目の前に現れる。それがただの錯覚だと理解しようとするのだが、どうしてもその「違和感」が心を支配してしまう。彼女は時々、自分がその世界に閉じ込められているような感覚に襲われる。
「あれ、そこに誰かいる?」
遙香は不意に立ち止まった。通りすがりの人々は気にせず歩き続ける。
彼女だけがその異常さを感じ取っている。目を細め、さらに周りを見渡すが、何もない。
その瞬間、遙香は急に深呼吸をして、自分に言い聞かせた。
「私は大丈夫、私は大丈夫。」
その言葉を呪文のように繰り返すことで、心を安定させようとする。
自分がどこにいるのか、誰と一緒にいるのか、現実を確認することで少しだけ落ち着きを取り戻す。
遙香は、その後家に帰ると、踊りのレッスンを始めた。踊りは彼女にとって、病の苦しみから解放される瞬間だった。体を動かすことで、精神的な負荷が軽減され、心が一時的にでも安らぐ。舞うことは、彼女にとっての「静けさ」だった。
音楽が流れ始め、遙香はそのリズムに身を委ねた。体が自由に動き出すと、心も少しずつ開放される。病が彼女を支配しようとするその瞬間、踊りという行動力が彼女の中で力を与えてくれる。
「私はできる。私は、何度でも立ち上がる。」
その言葉を心の中で繰り返しながら、遙香は今日も踊り続けた。
◆◆◆
遙香が踊りを始めたのは、まだ子供の頃だった。母親が勧めてくれた初めてのダンスクラスで、彼女はすぐにその魅力に引き込まれた。体が音楽に合わせて動くとき、心がふわりと軽くなるような感覚を覚えた。それは、彼女にとっての「自由」の象徴だった。
だが、成長するにつれ、病気と向き合う中で、踊りは次第に遙香にとっての唯一の逃避ではなく、心の支えに変わっていった。統合失調症やうつ病が彼女を支配しようとする中、踊りは唯一、遙香が「自分」を感じる瞬間だった。
今、遙香は母親と共に通っている小さなダンススタジオで、週に数回レッスンを受けている。少人数のクラスの中で、遙香は自分のペースで踊りながら、少しずつ自信を取り戻していた。
ある日、ダンススタジオのオーナーが遙香に話しかけてきた。
「遙香ちゃん、今度、スタジオの舞台での発表会があるんだけど、出てみない?」
その一言が、遙香の心を揺さぶった。舞台に立つこと—それは、彼女にとって大きな挑戦だった。病気の影響で、集中的に何かを行うことが難しくなることも多いが、それでも遙香は心の中で湧き上がる情熱に突き動かされていた。
「舞台……」
遙香はその言葉を口にした後、しばらく沈黙した。自信がないわけではない。彼女には病気がついていることが常に頭をよぎり、他の人々と比べると自分が弱い部分を持っていることを感じていた。
踊りに対する熱い思いが心の中に広がり、遙香はそれを抑えきれなくなった。
「私は、挑戦してみたい。」
そう心の中で決意した。
遙香は毎日、レッスンに通いながら舞台のための準備を進めていった。病気の波が訪れるたび、彼女は不安を感じる。集中力を欠くことがあり、幻覚が見えたり、気分が沈んだりする瞬間があった。それでも彼女は決してあきらめなかった。舞台のことを考えると、どんなに辛くても心が少しだけでも前に進んでいく気がした。
毎回のレッスンで、振り付けを覚え、体の動きを確認する。その過程で、少しずつ自分の感覚が取り戻せていくのを感じる。踊りの中で、彼女は現実を忘れ、ただ音楽と一体になり、体を思いのままに動かすことで解放されるのだ。
母親もまた、遙香の成長を支え続けた。彼女の目には、遙香が病気と向き合いながらも、自分の情熱を全力で追い求めている姿が映る。遙香が苦しんでいる時に声をかけ、励まし、必要な時には静かに側にいて支え続けた。
「遙香、何かあったら言ってね。あなたは本当に素晴らしい。」
母親はいつもそう言って、遙香を安心させてくれる。
発表会の日がやってきた。スタジオの中に集まった観客たちの中で、遙香は舞台に立つ準備をしていた。背中が少し震え、手のひらに汗をかく。けれども、その一歩を踏み出す瞬間、心の中にあふれるのは不安だけではなく、これまで感じたことのないほどの希望だった。
舞台の幕が上がり、音楽が流れ始めると、遙香は深呼吸をして一歩踏み出した。その瞬間、すべてが静まり返ったように感じた。彼女の体が音楽に合わせて踊りだすと、心の中にあった不安や痛みが少しずつ遠ざかっていくのが感じられた。
音楽と一体となり、体がリズムに合わせて滑らかに動いていく。過去の苦しみ、病気の影響、すべてが一時的に消えて、遙香はただ舞台の上で自分を表現している。踊りを通して、遙香は自分の中に眠っていた力を呼び起こすことができたのだ。
踊りが終わると、拍手の音が響き渡った。遙香は息を切らしながらも、心の中で大きな安堵感を覚えていた。舞台の上で自分を表現できたこと、そして何よりも、病気に負けずに自分の夢を追い求めることができたことに、深い満足感を感じていた。
舞台を降りると、母親が駆け寄ってきた。
「遙香、素晴らしかったわ!」
「ありがとう、母さん。」
遙香はその言葉に少し涙ぐんだ。
「私は、できたんだ。」
その瞬間、遙香は自分を信じる力を再び見つけた。どんなに困難な状況でも、夢を追い求めることで、心に希望と光を灯すことができる。それが、彼女の新たな力となって、これからの人生を支えていくのだと感じた。
◆◆◆
発表会が終わり、遙香は自分の足で歩むことができた。舞台に立つことで、彼女の心の中で何かが変わったように感じていた。それまで抱えていた不安や恐れ、病気に対する無力感は、少しずつ薄れていった。
家に帰り、静かな夜が訪れると、遙香は自分の部屋でふと窓の外を見つめた。夜空は澄んでいて、星がきらきらと輝いている。その光が、どこか遠くの世界から届いているような気がして、遙香はその瞬間、深い安堵を感じた。
「私は、ここにいる。」
そう静かに呟きながら、遙香は目を閉じた。
病気に苦しんできた彼女にとって、この瞬間がどれほど貴重なものかを、心の中で感じていた。過去の自分が怖れ、逃げていた現実と向き合うことができた。今、遙香はその現実を受け入れ、前に進んでいる自分を感じていた。
「遙香、よく頑張ったわね。」
母親がそっと部屋に入ってきて、遙香の背中を優しく撫でた。
「うん、ありがとう。」
遙香はその言葉を、しみじみと感じた。母親の笑顔が、どれほど彼女にとって大きな支えになっているか。病気と向き合う中で、母親の愛がどれだけ彼女を強くしてきたかを、改めて感じていた。
母親は、遙香が踊りを続けることをずっと応援していた。遙香が舞台に立ったその日、母親の目にも明らかな誇りと満足が浮かんでいた。遙香の姿を見て、彼女は確信したのだろう。
「遙香は、どんな困難も乗り越えられる」と。
「私は、まだまだ歩き続けるよ。」
遙香は母親に言った。これからも自分の夢を追い求める気持ちを、決して忘れないと心に誓った。
その言葉に、母親はにっこりと微笑んだ。
「あなたが幸せでいることが、私の一番の願いよ。」
遙香の心の中には、過去の痛みが深く刻まれている。幻覚やうつ病に悩まされ、時に孤独を感じ、前に進むことが怖くなる瞬間もあった。今、彼女はそのすべてを少しずつ受け入れられるようになっていた。痛みや苦しみも、過去の一部として受け入れることで、さらに強く、前向きに生きることができると信じている。
「私は、私でいいんだ。」
その思いが、遙香の心に広がっていった。
彼女は、今後も時折、病気の波に押し流されそうになることがあるだろう。それでも彼女はそのたびに立ち上がり、心の中にある「希望の光」を見つけて、再び歩き出すことができると感じている。
その希望の光は、決して消えることはない。遙香の中には、夢を追い求める力、そして他者と支え合う力が確かに存在している。それが、彼女の生きる力となり、未来に向かって進んでいく原動力となるだろう。
ある日、遙香は再び、踊りの練習に励んでいた。今度は、発表会の後に訪れる「次の挑戦」に向けて、自分を鍛えていた。踊りは単なる技術ではない。それは、遙香が自分自身と向き合い、心の中の葛藤を解き放つ手段であり、同時に他者と繋がる方法でもある。
遙香は、次の舞台でどんな自分を見せるかを考えていた。それが何よりも楽しみであり、同時に少し不安もあった。それでも、心の中でその不安を受け入れ、前に進む自分を確信していた。
「何があっても、私は立ち続ける。」
その言葉が、遙香の心の中で響いていた。
遙香が舞台の上で舞うその姿は、ただの踊りではない。それは、彼女がどんなに辛い時期を過ごし、どんなに病気に悩まされても、最終的には希望を見出し、前に進んでいくという決意を示すものだった。彼女の踊りは、誰かにとっての希望となり、また別の誰かにとっては、勇気を与えるものとなるだろう。
遙香は、今や心の平和を感じることができるようになった。希望の光は彼女の中で輝き続け、これからの人生を照らし続ける。
◆◆◆
風を感じて生きる
◆◆◆
春の匂いが、街に満ちていた。
柔らかい陽射しと、頬を撫でる微かな風。
「風を感じる季節。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?」
古びた団地のベランダで、風歌(ふうか)はひとり、そっとつぶやいた。
風歌は、どこか不思議な女の子だった。
小さな頃から、誰よりも風を感じることができた。
風の匂い、風の温度、風の声——そのすべてを、まるで友達のように。
令和の時代、東京。
誰もが懸命に、ただ「生きること」に忙しいこの街へ、彼女は引っ越してきた。
物価は高騰し、カフェのコーヒーすら贅沢品になりつつある。
だけど風歌は、そんなことに負けなかった。
彼女には、どんなときもそっと背中を押してくれる、"風"がついていたから。
東京で出会ったのは、風変わりな人たちだった。
野菜を売るけど、値札が全部謎かけになっている八百屋のおじさん。
カフェを経営するのに、メニューが全部「風まかせ」としか書いていない若い夫婦。
風にしか心を開かない、小さな男の子。
風歌は思った。
——この街は、案外、風通しがいいかもしれない。
こうして、風とともに、彼女の新しい物語が始まった。
◆◆◆
引っ越して最初の朝。
風歌は古びたアパートの窓を開けた。
春の風が、ふわりとカーテンを持ち上げる。
「おはよう、東京。」
彼女は笑った。誰に聞かせるでもなく。
初めてのスーパーは、人でごった返していた。
買い物かごを握る手に、誰もが焦りや疲れを握りしめている。
それでも、八百屋の店先では、陽気な声が響いていた。
「いらっしゃい! 今日のトマトは、笑顔の味だよ!」
声の主は、太陽みたいな笑顔をした八百屋のおじさんだった。
「笑顔の味?」と風歌が首を傾げると、おじさんは声をあげて笑った。
「食べればわかるさ! 風の匂い、吸い込んで育ったトマトだからな!」
風歌は、真っ赤なトマトをひとつ買った。
かじると、ぷちんと弾ける甘みと、どこか懐かしい風の味。
都会のざわめきの中にも、ちゃんと"自然"は生きているんだ、と思った。
ある日、家の近くの小さなカフェにも足を踏み入れた。
そこでは、メニューに「風まかせブレンド」としか書かれていない。
不思議に思いながら注文すると、マスターが目を細めた。
「今日の風に似合うコーヒーを淹れるんだ。
味は選べないけど、きっと今のあなたにぴったりだよ。」
出てきたのは、やさしくて、少しスモーキーな香りのコーヒー。
カップを手に取ると、不思議と心がほぐれていく。
そんな風に、風歌は少しずつ、東京を歩き、
すこしずつ、自分の場所を見つけていった。
ときには、迷ったり、
ときには、泣いたりもしたけれど——
それでも、顔を上げると、
ビルの隙間を縫うように吹く風が、彼女を包んでいた。
"ほら、大丈夫だよ。"
風はいつも、そんなふうに囁いてくれるのだった。
◆◆◆
それは、ある静かな夕方だった。
風歌は、近くの小さな公園を歩いていた。
桜が、まだ咲き残った花びらを風に乗せて、ふわりふわりと揺らしている。
ベンチの端に、ひとりの小さな男の子が座っていた。
紺色のキャップを深くかぶり、膝を抱えている。
誰にも気づかれたくないみたいに、そっと、風とだけ話しているようだった。
風歌は、少し離れたところから、その様子を見ていた。
近づこうとすると、男の子はぴくりと身を縮めた。
まるで「近寄らないで」と言わんばかりに。
けれど——
ちょうどそのとき、ふわりと春の風が吹いた。
ひとひらの桜の花びらが、くるりと舞って、男の子の肩にそっと降りた。
風歌は笑った。
声に出さず、ただ小さく、目だけで。
そっとしゃがみこんで、同じ高さから、風を見た。
「……風さん、今日も元気だね」
ぽつりと、風に話しかけるように言った。
男の子は驚いたように、顔を上げた。
その目は、まだ警戒していたけれど——少しだけ、興味を持ったみたいだった。
風歌は、無理に話しかけなかった。
ただ、ベンチの隅に腰を下ろし、
空を見上げて、目を細めた。
しばらくの間、ふたりのあいだを風だけが行き来していた。
ーぽつんと。
男の子が、呟いた。
「……風、好き。」
その声は、か細かったけれど、確かだった。
風歌は、やさしく微笑んだ。
「わたしもだよ。風が、いちばんの友達だもん。」
男の子は、キャップのつばをぎゅっと握りしめたまま、
ふっと、ほんの少しだけ、笑った。
それは、まるで
風が、心の扉を少しだけノックしたみたいな瞬間だった。
風歌は思った。
きっとまた、ここで会える。
風が、ふたりを繋いでくれる。
春の風が、そっと背中を押していた。
◆◆◆
風歌は何度もあの公園へ通った。
風の匂いを感じながら、あの男の子にまた会える気がして。
だけど、男の子は現れなかった。
通い続けたある日、近所の人たちが話しているのを耳にした。
「引っ越したらしいよ、あの子。」
「親の都合だってさ、急だったんだって。」
風歌は、そっと立ち尽くした。
名前も知らないままだった。
笑った顔も、声も、春風に溶けていってしまった。
気づくと、胸の奥がぽっかり空いていた。
まるで、風だけがそこに通り抜けていくみたいに。
街は今日もにぎやかで、誰も彼もが前を向いて歩いている。
だけど、風歌は、そこに取り残されてしまったような気がした。
息衝く街並み。
誰かの笑い声、誰かの怒鳴り声、誰かのスマホの音。
その全部が、風歌には遠い国の言葉みたいだった。
落ち着ける場所が、ほしい。
そう思った。
風歌は、図書館へ向かった。
静かな場所なら、心も落ち着くかもしれないと思ったから。
けれど、本棚の間を歩いても、ページをめくっても、
心はどこかそわそわしていた。
まるで、風が吹くのを待っているみたいに。
図書館の隅のソファに座りながら、風歌は思った。
あの子は、どこに行ったんだろう。
名前くらい、聞けばよかった。
小さな後悔が、胸のなかでカラカラと鳴った。
風歌は、ソファから立ち上がった。
窓の外を見ると、夕暮れの風が、ビルの隙間をすり抜けていた。
その風に誘われるように、彼女は図書館をあとにした。
まだ、ここは私の場所じゃない。
でも、きっとどこかにある。
私だけの、ちゃんと息ができる場所が。
そう思いながら、風歌は、夕暮れの街へ歩き出した。
風とともに。
◆◆◆
図書館をあとにし、どこへ行くでもなく歩いていたときだった。
小さな横道にふと足を取られ、風歌は細い路地裏に迷い込んだ。
雑踏の音がすっと遠のき、そこだけが時間の隙間みたいに静かだった。
一軒の小さなカフェが、そっと佇んでいた。
色あせた看板には、手書きの文字で「微風(そよかぜ)」とだけ書かれている。
風歌は、吸い寄せられるように扉を押した。
カラン。
小さな鈴の音が、風に乗って鳴った。
カフェの中は、木の香りがする温かな空間だった。
棚には古びた本が並び、テーブルごとに違う椅子が置かれている。
どの椅子にも、誰かがそこに座って本を読んでいたかのような温もりがあった。
「いらっしゃい。」
カウンターの奥から、白髪の店主が笑った。
その瞬間、
風歌は思った。
ここが、私の居場所だ。
風歌は「微風」に通うようになった。
アルバイトを頼み、空いた時間には本を読み、ノートを広げて物語を書き始めた。
自分だけの、静かであたたかな場所を、ここで少しずつ作っていった。
***
そんなある日だった。
いつものようにノートに向かっていた風歌のもとに、友人から電話がかかってきた。
受話器越しの声は、どこか興奮していた。
「ねえ、風歌! 聞いて。福島の温泉地でね、あなたのお知り合いを見つけたって!」
驚きに、言葉が出なかった。
福島。温泉地。知り合い?
まさか、あの男の子?
でも、あんな短い出会いだったのに?
名前も、知らないままだったのに?
その後、メールが届いた。
そこには、
《小柄な男の子。風を追いかけるみたいに遊んでる。風歌ちゃんが言ってた子じゃない?》
という文章と、温泉地の写真が添えられていた。
胸が苦しくなった。
行きたい。でも、怖い。
自分だけが、時間に取り残されてしまった気がして。
時間の経過は、早くもあり、短くもある。
風歌は、そんな言葉を胸に刻みながら、
必死に日常にしがみついた。
彼女は今、文学少女だった。
「微風」で書く物語が、彼女を少しずつ支えてくれていた。
ある日、店主がぽつりと言った。
「賞に、応募してみたらどうだい? きっと、君の物語には風がある。」
迷いながらも、風歌は原稿用紙に向かった。
夜を徹して、手を震わせながら言葉を紡いだ。
そして結果は、「2番」だった。
悔しかった。でも、誇らしかった。
あの膨大な応募者の中で、2番目になれたのだから。
***
入賞者発表のその日。
ネットのニュースに、ある名前が浮か
特別賞受賞・福島在住・少年作家デビュー。
小さな顔写真が添えられていた。
春の風の日に出会った、あの男の子だった。
名前も、今、初めて知った。
彼もまた、風を感じながら、自分だけの物語を歩んでいた。
風歌は、目を細めた。
目の奥が、じんわりと熱くなった。
出会いは、風のようだった。
でも、きっと、風はまたどこかで、ふたりを繋いでくれる。
そんな気がした。
◆◆◆
ニュース記事を閉じたあとも、風歌はしばらく、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
春の名残を運ぶ風が、ビルの隙間をすり抜けて、そっとカフェ「微風」のドアを揺らしていた。
「会いに行こう」とは、まだ思えなかった。
でも、今はそれでいい。
再会は、きっと風の流れに任せればいい。
彼もまた、きっと、風の中で生きている。
風歌自身も。
小さな丸テーブルの上に、開きっぱなしのノートがあった。
ペン先が、かすかに震えているのは、風のせいだけじゃなかった。
そっとペンを取り、風歌はまた書き始めた。
まだ幼い文字たち。
まだ拙い物語たち。
だけどそのすべてが、どこか遠くへ、きっと誰かへ届くと信じて。
物語の続きを知りたくて。
未来の自分に、まだ見ぬ誰かに向かって。
書き続ける。
それはきっと、
出会うことと同じくらい、尊くて、勇気のいることだった。
風が、カフェの奥へと吹き抜けた。
ページが一枚、ふわりとめくれる。
風歌は微笑んだ。
「またね。」
誰にともなく、そう呟いて。
そしてまた、ペン先を紙に走らせた。
あの日見上げた、広い空の色を思い出しながら。
◆◆◆
褒められてなんぼ
◆◆◆
私は、生きる意味とは何かを、ずっと考え続けてきた。
結局のところ、人に「ああだ」「こうだ」と言われている間が華なのだと、かつては信じていた。
赤ん坊のように、何もできなくても「かわいいね」と言われる。
あの瞬間こそが、生きる喜びだとすら思っていた。
親孝行も、そんなふうに、誰かに褒められることで成してきた気がする。
「いい子だね」「立派だね」と言われるたび、私は自分が誰かの役に立っていると信じた。
それでいい、むしろそれが正しいのだと、疑うこともなかった。
けれど、最近になって、私はようやく気づき始めた。
人がどれだけ私を「かわいい」と言おうと、それは私自身の人生とは、何の関係もないのだということに。
人に愛されることと、自分の人生を生きることとは、全く違うことなのだと。
人は誰しも、死ぬ時には孤独だ。
誰かに見守られながら最期を迎えられるのは、奇跡のような巡り合わせだ。
親も、家族も、いつかはこの世を去る。
誰かがそばにいてくれる保証など、どこにもない。
結局、人間とは、生活の中でふとした瞬間に孤独を感じずにはいられない生き物なのだろう。
だからこそ、私たちは物事を考え、悩み、もがく。
孤独がいやならば――人と仲良くするしかない。
それが、今の私の出した結論だ。
◆◆◆
何も学ばなかったのか
親の怒号が飛ぶ。『今回の事から何も学ばなかったのか?』「うっせーよ、クソババア!!」と返した私。基本的に何かを得たりしても、何も学ばず、なんにも起きてはいない。そうしたい私にとっては、病院へ連絡をしたり、いわゆる「ほうれんそう(報告、連絡、相談)」が、出来てはいないのだ。社会に出たことも無く、ひきこもりで食べている。そんな私にいまさら何を学べと言うのだろうか……。生まれてから、何も生まず、働かず、福祉の世話になり、労働を嫌い、他人の血税で食べることに罪悪感も無い。なぜならば社会不適合者だから。今日は「うっせーよ、クソババア」を何度も口にした。薬でラリッているみたいだった。ODをしたから病院を失った。その事を時々忘れそうになる。どうでもいいから、さっさと薬よこせよ!!そんな気持ちしかない。それだけ精神薬がきついし依存性が高いのだろう。私は猫舌だから、熱いものを熱いうちには食べない。冷めてから食べる。いわゆる甘えと言う問題が如実に顔を出したようだ。月末ということもあり、お金が無い家の食事は虚しい。とでも書けば、「貧乏人わーい」の馬鹿共には良い薬となるだろう。お酒はきっちり毎日飲む。後は喫煙習慣は二人で一ヶ月「六万円」以上が飛んでゆく。ビール代やお酒代を含めればそれだけで、「十万円」を優に越すだろう。食費が別途「十万円」。通信費用や光熱費を含めると「約四万円弱」。生活費は、二人で「十万円少々」だが、ここには趣味やゲームへの課金は含まれてはいない。どうして喧嘩になったのか?私が、病院へ行きたがらなかったからである。48年間ひきこもりを続けてきて、好き放題をさせられた報いがこれかよと思えてくる。母ひとり、子ひとりなので、どうしても甘やかされて育てられて来た。本当は妹もいるのだが、嫁いでからは連絡が余り無い。私は、結婚に対しては、拒否感と無駄な金がかかるだけと思っている。トー横へ行けば、取り敢えずの肉体関係はもてるし、買女「ばいた」が買える。六本木のママだろうが、飲み屋系統とは、どうもアソコが臭い。高田馬場のキャバクラへ行かなくなったのも、そのためである。私は基本的に飲みに行くという理由しかないので、臭い買女は無視してしまう。座席に座る時に、アソコの空気が圧縮された空気と混ざり合い、鼻先へと襲う。座席シートとお尻へ加わった空気が黒いバーニングガール「うさぎちゃん」の格好をしており、黒の網タイツをはいており足長な女性たちが店員なのだが、カジノにはいないのに、そういう風に描く漫画家はどうかと思う。キャバクラぐらいしかうさぎちゃんはいないだろう。あと思い出したのは、秋葉原か。以前に毎日のように秋葉へは行っていたが「主に自作PCパーツの購入とバンガードのカード対戦へ向かうため。カードもピカピカ物しか購入しないために一枚18000円とかはざらである。」毎日、ラーメンを食べて、朝から行く時には、朝食「ケンタッキー」、昼食「回らないお寿司」、夕食「お肉の食べ放題(焼肉キングなど)」へ向かう。ディズニー以上にお金が二人だと飛ぶのだ。デートなのだから仕方が無い。女性とは難しいものであり、秋葉原のアルバイトや社員で働かれている店員さんの殆どが、肉体関係を結ぶために「そういう店にしか女性目的の場合には行かない。」、右往左往する。そうこうしている内に、1000人以上の女性と関係を結ぶ。これは過去記事のR-18に書いたと思う。肉体関係を細かく書いてしまうとR-18にしなければならないので、最近では、面倒だから余り書かなくなってしまった。
親に怒られるから悪いことはしないのと怒られなくても悪いことはしない人の違い
◆◆◆
そもそもが、悪いことを一度もしたことが無い人は、この世には存在しない。誰だって嘘はつくし、人を騙して金儲けをする時代だ。その罪を犯しそうになる狭間で孤軍奮闘している人がいる一方で、好き放題、女を抱き、挙句の果てにはパパ活相手の女子高校生と寝ているサラリーマンを新宿歌舞伎町をみると私が知る限りでは「悪い大人」しか見たことがない。ようやく拭えた秋葉原というお宅の町の風習も、2019年以降、店は少なくなりつつあるのだが、完全に払拭出来た訳ではないのも事実である。よく言うが、魚は清い水の中では生きられない「水清ければ魚棲まず」である。
清廉、潔癖等という言葉とは、無縁の存在なのであろう。雲外蒼天「試練や苦難を乗り越えれば、明るい未来が待っている。」とはいうが、人それぞれ、苦難も違えば試練も異なる。自分がその立場になったからといって、乗り越えても何も起きないことの方が多いのも事実となる。
然ししながら、世の常とは、独自の反骨精神に宿された子供が少なく、それほど多くは無いのも関係していると思う。そうでなければ、国が回らなくなるのは必然となる。誰かが損をしており、誰かが得をするから、人生とはわからないとも言えるのである。
いくら上を向いて歩いても、お金が降って来た事はない。ただ、上を向いて歩けば、自然と普段見えなかった物事が見えるようになるならば、頷ける。お金のなる木を購入した。何時まで経っても、大きくなるどころか、小さなままであった。友達が大きくなった木を見せてくれたが、お金は増えなかったという。
何もしないでお金を増やすには、昨今流行の犯罪にて、コミュニティに長けた者が、組織を導くから大物が捉えられる。捉えた獲物を放さないから、地面師やトクリュウ等が蔓延るのである。こうした蔓延が生み出すものは何か?犯罪の増加であろう。人々は恐怖に慄き、自衛のためにカメラを買いに走る。そうして電化製品は潤い、電気やまたはセキュリティ会社が儲かる。世の中の仕組みとは、ちょっと考えれば誰が儲かっており、誰が損をしているのかが明白なる。可視化された社会が裏打ちするものとは、そうしたお金の流れであろうか。そもそもが、国が直接フリーキックではなくとも、日銀を用いた間接フリーキックをし続ける以上は、国民の負債とは減らないであろうことは明白な事実となる。
親に怒られるから悪いことはしない人とは、親が死ねば悪いことをする人となる。親がいなくても悪いことをしない人は、絶対ではない「ニュースなどを見ていると、どうしてこんなに大人しい人が……と囁かれているからである。」が、悪いことは出来ない人の方が圧倒的に多いのであろう。真面目な日本人というが、その陰で暗躍する、大人なのに、大人の責任を取らない人が増加しているように思う。責任逃れも問題の一つだが、そのような躾を受けてこなかったのではないかと思わざるおえない。
いずれにしても、昨今では富裕層と貧困層、そして、富んでもおらず、貧困でもいない一般層のギャップが激し過ぎて、それでも生きようと思えなくなりつつある。バカバカしいやどうしてこんなに理不尽な世の中なのかを、いま一度考えるべきではなかろうか。
悪いことをする人は何時の世もいるし、悪いことをしない人とは何時の世もいる、と言えるように思う。嘘つきばかりが目立てば社会は黙っていないだろうし、そうした世論とはうるさいながら、居心地の良い街造りという点では、役に立つ視点のようの思う。犯罪がここかしこで起これば、日本は治安が良い街とは言えなくなってしまうだろう。
◆◆◆
雨の雫
雨天の日に出かけるのは、どこか気だるげで、なんとなく憂鬱になる。
雨が降らなければ、お百姓さんが困る。小さい頃に教わった言葉だ。
躾とはいつの時代も、自分を律するのに役に立ってくれている。
改行を入れた方が、読みやすいと感じるのは、人の常だろうか。
昔から思っているのだが、私を育ててくれた両親は忍耐強く、
自分を律して生きてきた人なのだろう。親ガチャという言葉を耳にした時、
なんて不平不満の多い子供なのかしらと思えた。
それだけ、家庭内の不幸の数も増えた。
その一点に尽きるのだろう。
よくよく考えると、不幸の数が増えることは、そんなに悪いことではない。
トンネルを抜ければ、いつかは幸せがやってくるからだ。
雨の日ばかりではないから、雨を受け入れられる。天気の日が必ずやってくる。
そのことを人間とは、身をもって知っている。
循環する思いとは、人間もまた、そうなのだろう。
人の思いや不幸の中で培った思い出とは、次の幸福の準備なのだが、
わかっていても、つらい時や、受け容れ難い時もある。
そのような時には、自分のキャパを超えたと理解できたら、果報は寝て待つようにしている。
起きていても、損した気持ちになるからだ。時間は有限である。
お酒を飲むようになって感じるのは、圧倒的な開放感だろう。
缶のプルタブを開けて、心地好い開放へと向かう時間が楽しみとなる。
そう考えると、人間はさまざまな物を開発して、お客様のもとへ運ぶようになった。
そう思えてならない。物凄く疲れている時、就寝はやんわりとだが急速にやってくる。
だが、疲れていない時は、物凄く長い時間を、自分の体と共に過ごさなければならない。
眠りの幅も異なり、寝汗や体感も違ったものになる。
永く眠れない時には、永久に眠れないのではないかしらと思うから拙いのであり、
だからといって、羊を数えるようでは、私の場合には余計に眠れなくなる。
ただ、冬眠を待つ。昔から、熊のようであり、猫のようだと言われてきた。
顔のひげがほっとくとピンッと伸びるからだろう。横に伸び始めたひげを切る。
髪の毛を整える。机に向かい、タイピングを開始する。
どんな作業も、お尻の穴を縮めて、整えることで、体勢が楽になり、作業がしやすくなる。
私は、生きやすいように、生きる人なので、
だらしがない時、気だるい時に何かを言われたくない。
だから良い子にする。人に何かを言われないために、良い子を演じるのは疲れるが、
この演じるというものも、自分の特技として捉えてしまえば、人生も楽になる。
誰だって親のようになりたいと望んでも、親には親の生き方があり、子供は子供でしかない。
この主従関係を忘れてしまうと痛い思いをすることになる。
わたしはわたし。ひとは人。そう思って生きる。完全な人間などはいない。
この言葉も、知れてよかったし、自分の生活リズムを壊さないかけがえのない宝となる。
夜中なので空はどこまでも高く、鈍く光っている。
どす黒い雲に覆われた私の家は、どこか時間の格差社会に突入したように思える。
家族の中だって、いろいろあるのだ。人間が織り成す環境とは千差万別だろう。
雨の雫は、時折、雷雨を伴いながら、この街をすっぽりと濡らしてゆくのだった。
没頭できる時間
活字を読んでいるとき、ふと「今が一番楽しい」と感じることがある。
それは、物語が面白いからというより、ただ文字を目で追うこと自体に快感を覚えている瞬間だ。読むという行為が、自分にとっての習慣であり、安心であり、ひとときの逃避でもある。
読み進めるうちに心が動くこともある。
多くの場合、それは後になってじわじわと押し寄せてくる感情だ。読んでいる最中には、むしろ登場人物の苦悩や、筆者の執念のようなものに圧倒され、「そこまでするのか」と思わず呟いてしまうことの方が多い。
読書とは、読む行為そのものに酔いしれながらも、あとから感情が熟成されていく不思議な営みだ。
活字という名の静かな波が脳を撫で、言葉のリズムが神経を通してドーパミンを運んでくる。
私は医者でも研究者でもない。ただ、学校で学んだ程度の知識と、日々の読書の積み重ねがあるだけの一般人だ。だからこそ、活字の中に時折差し込まれる本質のような問いに、胸がときめく。
ベッドに寝転がり、背中に本の重みを感じながらゴロゴロしている時。
その時間こそが、自分にとって最も幸福な瞬間かもしれない。
ページをめくる音、紙の匂い、目に染みる文字のかたち。それらが現実からそっと距離を置かせてくれる。
けれど、いざ自分で書こうと思うと、読んだものの大半は記憶の奥へと滑り落ちてしまう。
読書で得た知識や感動を、自分の言葉で語るには、そのまま写すのではなく、自分の中で一度壊し、再構築しなければならない。
書くという行為は、読書とはまるで別の体力を要するものだ。著作権という境界線の内側で、記憶と感性の境目を探る作業でもある。
だからこそ、読む時間は貴重だ。
それは、自分の思考が自由に泳げる、静かで濃密な「没頭できる時間」なのだ。そう思えてならない。
親を足枷にはしない
親という存在に、責任を転嫁しないようにしたい。親もまた、人間なのだから。
どこまでも広い心を持ち、何でもできると信じて疑わなかった「親」という存在。
しかし、ある時ふと、「ただの人間なのだ」と気づく瞬間がある。
広くて大きな背中。その背中に、何度助けられただろうか。
両親は、私に良心を教えてくれた。
「躾」という行為の中に、困難を極める“人生設計”としての子育てがある。
その中で、何度ももがき、調整を重ねながら、親は子育てをしてきたのだろう。
私に良心を植え付け、「やってはならないこと」と「そうでないこと」の善悪を教えてくれた。
そんな親が、忍耐の“誤用”を受けているのではないか──。
そう感じたのは、子どもである私に手を焼き、親自身の葛藤を私に押しつけていたからにほかならない。
その「忍耐の誤用」は、両親の心を深く傷つけ、挫折感をもたらした。
私が苦しめば苦しむほど、親もまた共に苦しんできたのだろう。
そう思うと、「親への責任の擦りつけ」という言葉が、胸に重くのしかかった。
子どもに対して親が持てる許容量はとうに限界を迎え、
親が「親であるがゆえに」味わう苦痛を生み出してしまった。
こうして苦労の末に生まれた「子どもという存在」は、やがて成長し、親に恥をかかせることさえある。
そこには、かつて「誇り」や「自信」といった感情が確かに存在していたはずだ。
しかし、徹底的に試された親の心は、いつしか壊れ、疲弊しきっていた。
これは、子育てにおける親の苦痛を垣間見た経験だが、
一人の子どもを育て上げることは、並大抵の努力ではない。
学校に上がるまでには、毎日の食事を与え、
給食が始まれば、その費用も親が負担する。
子どもは、親に尽くすことなどできないのだ。
そうして大人になったときに芽生える「親という存在への疑念」は、
両親を深く傷つけることになる。
思春期の中高生は、自我の芽生えと親からの期待の間で疲れ果てる。
そして、「用意されたレールの上を歩む人生」が始まり、
その過程で、親に対して「忍耐の誤用」を許してしまえば、
親子関係は容易に修羅場と化す。
受験シーズンが終わっても、子どもに与えた影響と向き合い続けるのは親だろう。
子どもは、親の躾に沿って生きることしかできない。
子どもの暴力、悪戯、犯罪行為に悩む家庭は少なくない。
思春期を過ぎても、親が世間の荒波に揉まれ、その“資質”を問われ続ける。
それを「子育てという賜物」とするならば、
「子育てに失敗した親」は、どう生きればよかったのだろうか──と、考える。
人生に「正解」はなく、苦痛を伴うその歩みは、
やがて嫌気と共に、子どもへの「虐待」という形で現れることもある。
虐待が生み出すのは、「親のようにはなりたくない」と思いつつ、
気づけば同じような生き方をしてしまう悲しき連鎖。
壊れやすい子どもたちの純真無垢な心は、
世代を超えて、苦しみを共有する。
それはまさに、一蓮托生──
親と子が逃れられない「答えのない闘争」の結末なのだ。
東京という街で
デニムが流行して久しいが、ビンテージを古着屋で探すと、懐かしいTシャツやら発掘物とでくわすとき、心が弾む。値札がないお店に入ると緊張がにじむ。誰が着てきて、どんな思いで売られた物なのかを考える。古本屋で埋もれた本の中から、本を実際に手にとり、一冊の本にふっと目を落とした瞬間のあの感じと似ている。
多くの図書館で多くの本が読まれてきたように、ビンテージを眺めるとき、心が弾むのは、新たな生活やこの衣服を着たときの自分の姿を未来へと映すことができるからだろう。着こなしや皺の度合いを確かめるように、Tシャツを上に羽織、デニムを穿く。試着室で胸元を気にしながら、長く伸びた髪の毛を通す。ふさっと音を立てて、外を通る車がクラクションを鳴らす音が響いた。街路樹は、どこまでも高く伸びており、千里眼を思わせる。
太陽はどこまでも高く光り輝き、日差しは良好と語りかけてくるようだ。雨降って地固まるの言葉のように、不自然なほど照り返しが強い。手をかざして、天を仰ぐと精霊が昇ったり降りたりするように天使たちが羽を伸ばして、みつめあう仕草が見受けられた。
想像の世界とは、頭の中にある物事の表れだが、けたたましい東京という街並みには、似つかわしくなく思う。それだけ、人々は時間を気にしており、通り過ぎる人々の顔も見てやしない。忙しく、息衝き、そうした世界の中で、空想と共にある自分が滑稽な存在に思えたのだった。
時の流れに身を挺して考えることといえば、さまざまな思い出とうたたかなる漣の音。海辺でよせつたぎりつするその姿勢は、大自然の中で切磋琢磨する人の営みのようであった。
OCD克服法
4-4-6呼吸法は、4秒間息を吸った後に、4秒間息を止めて、6秒かけて息を吐き出す呼吸法で、「不安神経症」に役立ちます。不安で頭が一杯になってしまう方へお勧め。
あとは、五感をつかって、「今ここ」に思考を戻してあげる方法。
・見えるものを五つ数えます。
・触れられるものを四つ数えます。
・聞こえる音を三つ数えます。
・匂いを二つ数えます。
・味を一つ答えます。
こうすることで、自律神経が整います。
「今ここ」に思考を戻すことで、不安を克服できます。
私がしている不安克服法は、ともかく散歩して歩くです。
20分以上散歩することで、セロトニンとエンドルフィンを脳内に分泌することにより、
「幸せホルモン」を感じられるようになります。
気分が安定して、不安を取り除く助けが得られます。
安心できる音楽や安心できる言葉を自分自身にかけてあげる。
私の場合には、「リラックス」できる音楽やリラクゼーション音楽をききます。
長期的には、「不安をなくそう」とするよりも、「不安があっても大丈夫!」に近づけます。
よくある症状:
・失敗への強い恐れ
・人の評価を気にし過ぎる
・完璧を求めすぎて手が動かない
リストを作成してチェックを入れるのが効果的です。
「できていることリストを作成する」(成果の可視化)
「失敗=終わりではない」(紙に書き出す)
「失敗後の最悪のシナリオと対処法を考えておく」(自己評価へ繋がる)
「1分だけマインドフルネス呼吸法でリラックスをする」(安定感の持続を促す)
人間関係、対人恐怖症対策
・相手に嫌われているかもと不安になる
・話した内容を何度も思い返す
・怒らせたのではないかと引きずる
対処法:
「証拠はあるのか?」(現実へ自分を戻す)
「客観的な分析」(自分をみつめなおす)
「変わらない事はわからないといったん保留する訓練」(自己実現)
「安心できる人にこれは変?と尋ねて現実検証」(自己鍛錬)
体調、健康への不安神経症
・ちょっとした刺激や痛みに敏感
・ネットで病気を検索しすぎる
・頭では理解していてもその思考が止まらない
対処法:
「医師の診断を基準にして思考をやめる」(自己改善)
「これは不安による感覚だ」(ラベリング)
「いま、何ができるか?」(自己改善)
食事や運動、睡眠などみつめなおしてみる。
パニック障害
・人ごみや密室で動悸、目ましが出る
・「倒れたらどうしよう」と不安に思う
・外出が怖くなる
対処法:
外出前に「安心できるルートの確保、トイレ休憩場所の事前検索」
「座れる場所の確保」ちょっと休んでは進むを実践すると良い
「呼吸法4ー4ー6を採用する」(3セット)
「発作がきても死なないし必ず治まると唱える」
「小さな成功体験(1分だけコンビニへ入る)(1駅だけ電車に乗る)」
を繰り返す。これらのことを積んでいけば、自信につながるし、乗れなかったり、
帰宅しても、自分を褒めてあげられる。
寝る前の思考のループや不安
よくある症状:
・もしも○○だったら……が止まらなくなる
・将来の不安や過去の罪悪感に打ちのめされそうになる
・寝ようと思うと不安が強くなる
対処法:
寝る前に考えるノートへ映し出して、不安を頭からなくす
不安な考えは「いまは考えない」と宣言して一時保留
音楽やリラックスできる音を聞く(ASMRなど)
ボディスキャン瞑想(つま先から順に意識を向かわす)
ワンポイントアドバイス
「不安は自然なことだ。ただ、それに支配させない。」
【5月5日、こどもの日】子供は『挑戦を重ねて自分になる』
理想と現実の壁にぶつかり「挑戦」することを怖がる子供がいます。
それは「小さな失敗」を繰り返してこなかったからかもしれません。
挑戦しなければ、良い意味でも悪い意味でも「良い子供のまま」でいることができる。
人間とは、「挑戦し続ける」存在のはずです。
「挑戦しない=迷惑をかけない子供」というわけではありません。
むしろ、小さな挑戦を繰り返し、「良い意味での失敗」を積み重ねてゆくことが、
子供の成長には欠かせない物語となるでしょう。それが親の願いでもあります。
今の社会は実力主義でもあり、受験戦争のようなプレッシャーも大きい。
その中で、「何をすべきか」を教えるよりも、「自分で考え、行動する力」を
育むことが親の役目となっています。
「失敗しないことが正しい」のではなくて、「良い失敗」を繰り返せる環境を
整えることが重要視されています。
そして、完璧主義ではなくて、親自身の失敗談を見聞きして、
そこから学ぶ人間となることが必要不可欠なようです。
それこそが教育の大きな一文字になりそうな気がします。
過去の価値観や常識に縛られずに、柔軟な心で世界を観る力。
それこそが、新しい体験を生み出し、自分自身の道を切り開く糧になります。
「ひとりで夢中になれる空間」をどれだけ育ててあげられるか。
「なぜ?」という好奇心を育て、「問い続けられる大人」に育つことこそ、
親としての最大の祝福ではないでしょうか。そう思えてなりません。
ドラッグを「キメル」
合法ドラッグが徘徊する中、その後ろ盾となるのは国家権力だろう。
金持ちは逮捕されない。マッポに捕まらない。
挑発が生み出す過去形な絶対論者が訝る。
果てしない抗争を繰り広げながら、ファックユーを繰り返す。
この世の富や財政困難などが吹き飛び、頭が「イク」という快感に委ねられる。
イッタ後のことは、午前様なのだ。後先考えない。これぞ生き様という性を催す。
セックスが徘徊する中での常だった。女はいいよねと謀れながら徘徊を繰り返す。
その思いとは、裏腹な肉欲と孤独への追求が果てしなく続いていた。
ずぶ濡れー私は人の気持ちが汲み取れないー
テールランプがここかしこを染める。
黒々とした胃袋の中のような違和感だけが彷徨っている。
いつもの街並みを遠めに観ながら進む。
達観したような細い目だけが爛々と光を帯びる。
黒々としたセーラー服が行き交う中、黙殺する喜びと悲しみ。
最後に女を抱いたのは何時だったのかを考える。
ここ数週間は忙しなく過ぎており、忙しさに感けて、忙殺されていた。
朝を迎えたと思えば夜になる。
黒々とした制服と行き交う度に、その胸や膨らみに目が落ちた。
振り向き様に、ヒップラインを確認する。
大きくもなく小さくもない尻が右往左往に動く。
今度は前から来た学生の股間に意識を運んだ。
逆三角形に刻まれたスカートの生地。
パンティラインがくっきりと映り、被写体を太陽光が照らすことで
女の秘所を照らし出す。陰毛の形がどんなかを想像して、
少女が止まると私も止まりその肉体の賛美を観察した。
人間のくすしい創りが伺える。アスファルトが鏡だったらと想像する。
おそらくそこには、真っ白な下着が映るのだろうか?
いやいや、最近の人は真っ白で純白とは限らない。横にいた友人が呟く。
そんなものなのか……。
興味が失せた鳶のように、餌を全く見なくなった。
純白でなければ駄目。それは理想と現実であり、
処女ばかりではないという回答へのあらわれとなる。
どこかに身も心も美しい女はいないかね?
その回答として「いない」が不自然なほど意を体する。
近頃の女は……。
友人が語り終える前に、目鼻立ちの良いボディコン風の女の爆肉へ目が注がれた。
こういうのを馬鹿の一つ覚えというのだろう。
そんなことを思いながら目を血走らせる。
※
男という生き物は単純で、ほんと馬鹿なんだから……。
映像を止めると小枝が呟くように話した。数週間振りの女同士のデート。
風の悪戯かそそくさと風が過ぎてゆく。スカート捲りを働きながら……。
風の悪戯。そよぐ風は心地好く、微動だにしない女子高校生を匂わせた。
※
「きゃーきゃー」と喚ぐのかと思いきや、声をあげずにスカートの袖を抑えている。
びーちく、ぱーちく騒がれるよりかは、煩くなくてすむ。
盛り上がったパンティ越しの布切れ一枚に身を委ねている女という生き物。
逆さ吊りにしたら、どれほど喚くのだろうか?そんな疑問がふっと過ぎった。
女の秘所を隠すパンティは陰毛に沿ってラインを作り上げ、
折り返しの部分で二股に分かれてる。
股間を抑える物理的抑制がしなやかな生足を際立たせた。
※
どこにでもありそうでない景色をいつも探していた。
フォトギャラリーとはそうした貴重な一枚を大切に保管する場所だ。
思い出とは、如実にあらわされた股間と陰毛のようではない。
ぼかしと色取りどりに魅せられた、風磨ともいうべき灯火がそこにはある。
艱難辛苦した先に、滅亡と女の成れの果てが覗き込んでいる。
私は様々な物を観ては、喜び勇むが、ここぞという所で犯罪を意識してしまう。
妄想を全て無かった事にするのだ。
気が付くと誰かが似たような事をして、犯罪で逮捕されている。
人生とは面白いものだと思うと共に、シェアハウスのような仕組みに驚かされる。
犯罪が起これば誰かが捕まるほかはない。それは私でなくてもよい。
これが回答なのだが、実行をする現場の私たちのような存在は、
決してお金持ちにはなれない。
被害者のことを考えたことはないが、憂いが残るのも事実だ。
あの時、「こうしておけばよかった」や「ああしておけばよかった」など……。
下着姿の女子高校生を盗撮したところで、大したお金にはならないのも現実だ。
DVDなどに焼いて動画を作成しても、一枚400円~2千円。
写真ならば数百円~数千円で遣り取りされていた。
ダウンロード販売にすると初めて利益が出る仕組みだ。
ポルノ業界とは警察とのいたちごっこ。猥褻物陳列罪など。
セキュリティ会社の苦労と似ていると思った。
※
私は人の気持ちがなかなか汲み取れない人間だ。
相手が傷ついて、嘆いて、叫んで、暴言を吐き捨て、それでも理解できない時がある。
相手の立場に立って物を思考してと思っているのだが、
いざ責められると思うと身構えてしまう。
立場が逆ならばどう思うだろうか?
だったり、相手が何を思い憤っているのかを把握するのは至極真っ当なことなのだが、
その真っ当が理解できていない。細かく刻んで解釈して初めて理解へと移る。
この世の全てが稚拙であれば……。
それはそれで厄介だが、思いの丈とは、
そんな稚拙の中に織り成される技巧に意味を見出す。
怒られている時とは、矢張り恐縮して物事を聞くべきであろうか。
そうでなければ、その人を認めて、認めて、どうしてこの話が成り立つのかを
深く考える必要があった。洞察というべき時間が取れないと、
私には人の何たるかが理解できない。
人が一通り語り終えて初めて今まで語ってきた内容をデータとして脳内で処理する。
それまでにも、喧嘩のような事態になるのだが、
理解できるまでの繋ぎとして存在している言葉たち。
言葉と人。気難しく、難攻不落に思える内容でも、きっと理解し合える。
和がそこにはあり、認め合い、信じてるからこそ、憤りや怒りとは発生する。
和水が生まれたら、それに逆らわずに、流れに沿って生きればよい。
※
くっきりと雨に濡れながら張り付いた下着がこそばゆそうに膨れている。
水を含んだスカートが、膨張して体力を磨り減らすように、
女子高校生たちは、雨に打たれながら、足繁く投稿の文字に目を注いでいた。
アヴァンギャルドな制服のふくらみと柔肌を通る雨梅雨が首筋を濡らし照り輝く。
太腿を包むソックスは、白い色から、路面に濡れたはねっかえりのためか、
茶色く鈍く光沢を彩っていた。惜ししげなく降る雨。
濡れた指先は、爪元が健やかに滴り、雨を零している。
ずぶ濡れになったスカートとパンティからは雫が垂れて色っぽさを醸し出す。
こめかみが露に濡れて、雨の匂いと体育館の匂いの双方を思わせる。
ぽちゃんぽちゃん……。傘を忘れた少女たちが駆け抜ける。
バケツをひっくり返したような貞操は、さながら思わせぶりな肌色を浮き彫りにしている。
乳房をゆさゆさと揺らしながら、大きな胸囲を擡げて歩く学生たち。
色椿のような女性たちが、スカートを揺らして、人間らしい、若々しい匂いを醸す。
移り香は、果てしなく包む東京という街並みを見下ろしては、少し早い猛暑を告げていた。
※
小説という怪物
切り開かれた開拓地。ここには何を建てても良いという。そんな希望や愛が込められたフィールド。お天道様が空には輝き、夜には月光が照らす。ありふれた日常。ありがちな罠や探索精神。そこに織り成す人々や動物たち。開拓者たちは、おもい思いに過ごしている。好きなことを何でもしていいよ、と言われると困ったことになる。書くことが無いと思えてしまうから……。
かつての偉人や天才たちの軌跡。そして、今を生きる人々。現代文学は、いまも息衝いており、息をしながら、狩人のように獲物を待ち構えているようだ。書くことや読書すること。それ以外に楽しいことはない。毎日、小説と言う怪物と向き合う。そこに何を書こうか?無色透明な無地を与えられ、さながらいま思いついたことを書き記す。小説や物語ならば、プロットが存在するが、日記となると別物だ。日頃の日常をそこに書き記すことになる。
いま生きているということ。それ自体が奇跡なのだが、それが当たり前の日常と化してしまうと、人は直ぐにそのことを忘れがちだ。忘却は、野ざらしのように荒廃をもたらす。いきとし生けるものがみな、昼夜問わず心配事や悩み事を抱えて生きている。今日は何をしようか?何をすべきか?何を食べようか?人はそのことで一喜一憂して、日常生活を過ごしている。病気や戦争が起きている国では、忘れられた日常を取り戻そうとみな必死になる。
日本は地震大国だが、戦後の人々が生き抜き、必死に作り上げた平和を保とうとしている。一度作り上げられた平和を壊す音がする。犯罪や事故の足音。ひっきりなしにニュースは今日起きた事実を告げ知らせる。平和と言う代物に胡坐を掻いて、日常を遣り過ごす。それほどまでに人は変化を嫌う生き物だ。毎日勉学に励み、喜びや悲しみを味わっているのに、不幸せなニュースを聞くたびに心がげんなりする。
平和や戦争とは、確かにこの地球で起きている現実だ。遠く離れた場所や日常生活には無関係を東京の場合は過ごしているような気がする。より良い未来とは何か?を考える時、日常に潜んだ闇を感じざるを得ない。日々の喜びや悲しみなど置き去りにしてゆくようだ。
小説家はこれらの怪物と向き合い、対峙することで、書くことに事欠かない日々を送れている。日々の思い悩みや雑念、幸や不幸という連続性を垣間見る時、その流れの中に見える事物と向き合い、自分の生活に適用することで、日常のトラブルを避けることにも繋がりそうだ。犯罪や戦争は無くなりはしないかも知れないが、そこから学べることを拾い集めることでトラブルを未然に防ぐことになりそうだ。
つまらないかもしれないけど、大切なこと
「つまらないかもしれないけど、大切なこと」は、人生の土台のような物だ。それを切り捨ててしまっては、浮ついた感覚の上で、いつまでも「面白さ」だけを追い求め続けることになる。そんな人生は往々にして、最終的には「どこにも辿り着けなかった」といった感覚に包まれることになる。
つまり、「面白さ」だけで生きる人生は、逆説的に「つまらなさ」に支配されやすくなる。
私たちは日々の出来事を「面白いのか」、「つまらないのか」で判断しがちになる。仕事、学校、家事、人付き合い──。こうした日常の多くは、派手な刺激に満ちているわけではない。むしろ、淡々としていて、繰り返しで、地味だ。もし「面白さ」だけを人生の価値基準にしていると、こうした日々の大部分が「つまらないもの」として片付けられてしまう。
だが、それは本当に「つまらない」ことなのだろうか?
「面白いか、つまらないか」で物事を見る視点は、エンタメ的な感覚に近い。瞬間的な快楽や刺激を求める感覚である。映画やゲームでなら、それらは成立する。現実の人生は違う。面白さは確かに人生を豊かにする要素の一つだが、それだけが人生を推し量る物差しになってしまうと、多くの出来事が「失格」になってしまう。
例えば、「子育て」や「介護」、「長期にわたる学習」、「地道な人間関係の構築」。
これらは決して常に「面白い」ものではないが、確かな意味と価値がある。
だが、「面白さ」を軸にしてしまうと、それらは直ぐに「退屈」というラベル付けをされてしまう。結果として、人生の大部分が、「つまらないことだらけ」に感じてしまうのだ。
本来、人生の醍醐味とは、「意味があること」、「価値を感じること」、「成長できていること」であり、多層的な視点で捉えなければならない。「面白さ」とは、それら多層的な一要素に過ぎないのだ。むしろ、つまらないと感じる物の中にこそ、粘り強く取り組む価値があり、静かで深い充実感が潜んでいることの方が多い。
人生を有意義で豊かにするためには、「楽しさ」だけではなくて、それ以外の価値にも目を向けること。なんでもない日常や苦労の続くプロセスにも意味を見出すこと。
それが、人生を「つまらないことだらけ」ではなく、「じんわりと味わい深いもの」にしてくれる鍵なのではないだろうか。
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