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炎帝陛下に勉強を教えてもらうことになりました

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 あんなに私から逃げ回っていた陛下が、私に勉強を教えてくれるなんて思ってもみなかった。ただし陛下はお忙しい方なので、勉強時間は夕食前の二時間だけ――それでも報告すると、王さんは感激して涙を流していた。

「私の長年の苦労がついに報われました」

 大げさだと思ったものの、王さんが喜んでくれて私も嬉しかったし、私のお世話をしてくれる女の子達も、これまで以上に熱心に、私に美容のアドバイスをしてくれた。

 なのでいつも早起きな私は、午前中は長めの散歩――なにせ庭が広いので歩きがいがある――と身体を引き締める――主に腹部を中心に――運動をし、午後は自習をしつつ、女の子達とおしゃべりをして過ごした。

 そして炎帝陛下との勉強の時間が訪れると、

「美麗、そこ間違ってるよ。お手本をよく見て、集中して」

 向かい側に陛下がいると、そのあまりの美しさに目がチカチカ、胸がドキドキして、なかなか勉強に集中できずにいた。それでお願いして、極力彼が視界に入らないよう、隣の席に移動してもらったのだが、

「……これだと距離が近すぎるから、向かい側の席に戻るよ」

 今度はなぜか陛下のほうが早々に根を上げて、また向かい側の席に戻ってしまった。

 ――陛下の顔は見ない。絶対に見ないぞ。

 彼の美貌は、私にとっては目の毒だ。美形に慣れていないというのもあるが、ただでさえ、物心付いた頃からずっと働き詰めで、異性と二人きりで過ごすことなんてなかったから、どうしても緊張してしまう。

 ――それに陛下は、私のことを嫌いじゃないみたいだし。

 勉強を教えてくれるくらいだから、そうだと思いたい。

 美人は三日で慣れるというけど、私は未だ、陛下のお顔に慣れない。近くにいると、「綺麗だなぁ」なんて思って、ついぼうっと見蕩れてしまうし、かと思えば意識し過ぎて、目を合わせるどころか、全く見られなくなってしまうこともある。

 ――とにかく今は勉強に集中しないと。

 彼の好感度を下げたくない一心で、私は頑張った。
 頑張った結果、お腹が空いた。

 これまで以上に頭を使ったせいだろうか、 先ほどから絶えずお腹が鳴っている。その音を陛下に聞かれたくなくて、「おほんごほん」と咳払いしたり、お腹に力を入れて音を止めようとするけれど、

「ちょっと早いけど、食事にしようか」

 私は彼の顔を見られず、恥ずかしさのあまり俯いてしまう。

「へ、陛下、私、まだやれます」
「ごめん、美麗、僕お腹が空いちゃって、続けられそうにないんだ」

 本当だろうか?

 びっくりして彼を見れば、お腹を押さえて今にも死にそうな顔をしている。
 神獣様でも頭を使うとお腹が空くのか。

 大げさ過ぎて、演技しているようにも見えたけど、

「実は私も、お腹ペコペコだったんです」

 もしかして私に気を使わせないためかな? などと都合の良いことを考えてしまう。

「なら一緒に食べよう。好き嫌いはある?」
「いいえ、なんでも美味しく食べられますっ」

 胸を張って答えれば、陛下はおかしそうに笑う。

「僕、美麗のそういうとこ好きだな」

 さらりと言われて、咄嗟に反応が遅れた。

 とても嬉しい。
 嬉しいけれど、こういう時、私はどう返せばいいんだろう。

 私が悩んでいるうちに部屋付きの使用人さんによって勉強道具が片付けられ、食事が次々と運ばれてくる。机の上にずらりと並んだ豪勢な食事を前にした途端、私の思考は停止した。

 ただでさえお腹が空いていたので、柔らかそうなお肉やスパイシーな香りのスープ、瑞々しい果物のサラダに目が釘付けになってしまう。

「さあ、食べようか」

 勉強後は私がすぐにお腹を空かせてしまうせいか、その日から夕食も毎日、陛下と一緒に摂ることになった。この状況を、少し前の私だったら手放しで喜んでいたと思うのだけど、

 ――陛下はどう思っているんだろう。

 自分がどう思うかよりも、彼が何を考えているのか、どう感じているのか、知りたくてたまらない。ずっと私のことを避けていたのに、しぶしぶ私に付き合ってくれているのだろうか。それとも少しくらい、私といて、楽しいと思ってくれているだろうか。

 無知な私に王さんが教えてくれた。
 番は神獣の孤独を癒す存在なのだと。
 
 ――そりゃ千年近く生きているんだから、孤独にもなるよね。

 神獣からしたら人間は短命で、名前を覚えたと思ったらすぐに死んでしまうような、儚い存在に違いない。私はこれまで炎帝陛下のことを神様のような存在だと思っていたし、実際に彼に会ってからは、グラマラスな女性が好きで、子どもみたいな人だと思っていたけど、

 ――でも単に寂しがり屋なだけなのかも。

 たくさんの女性に囲まれて過ごすのも、そのほうが安心して休めるからかもしれない。

 ――それに優しいだけじゃなくて、ご聡明で、何でも知っているし。

 神獣様だから当然と言えば当然かもしれないが、私は昔から、頭の良い人に弱かった。幼馴染も、顔は普通だけど、頭の回転が早くて口達者なところが魅力的だったから。
 
 ――恋愛って、自分にないものを相手に求めるって聞いたことがある。

 けれど全てに恵まれている炎帝陛下に不足しているものなんてないから、私みたいな底辺の女が番に選ばれたのかもしれない。
 
 ――そして私は人間だから、陛下よりも先に老いて、死んでいく。
 
 だから避けられていたのだろうと気づいて、納得する。
 下手に情が移ると、別れが辛くなってしまうから。

「美麗、何を考えているの?」

 つい食事中にぼうっとしていたらしく、私は慌てて背筋を伸ばした。

「いいえ、何も」
「嘘。そう顔に書いてあるよ」

 思わず自分の頬に触れてしまい、クスクスと笑う陛下にからかわれたことに気づく。

「隠し事はしないで。無理やり聞き出したくなるから」

 その瞬間、ぞわっと背筋に寒気を覚えて――心なしか、陛下の声が冷たくなったように感じたせいだろうか――私はすぐに答えた。

「早く、手紙が書けるようになりたいと思って。そうすれば、私の考えていることとか、全部、陛下にお伝えできるのに……」

「口頭……言葉にして伝えたほうが簡単だと思うけど?」

 優しく促されて、必死に首を横に振る。

「私にとっては、簡単なことじゃありません。だって私、あんまり頭が良くないから……言いたいことをまとめるのに、時間がかかるんです。それに、もし間違った言葉を使って、相手に誤解されるのも嫌だし」

「美麗は自分を過小評価しすぎだよ。ただ、学ぶ機会を与えられなかっただけで、君は頭が悪くなんかない。現に教えたことはすぐに覚えて、できるようになったじゃないか。今じゃ簡単な文章なら読み書きできるし」

 それでも、と私は頑なに言い張る。

「もっと勉強をして、自分に自信が持てるようになるまで、お待ちください」

 花の香りがするお茶をすすりながら、陛下は困ったように笑う。

「もどかしいけど、そういうのも悪くないね」
「陛下こそ、私と一緒にいて、大丈夫なんですか? もう逃げたいとか、思わない?」

 どうしても気になって訊ねてみれば、

「うーん、なんていうか……その辺は自分との戦い? みたいな感じだから、美麗は気にしなくていいよ。正直に言えばムラっとする時もあるけど、そこは僕も大人だから、自分なりに処理できるし。思うに、神獣にとっての最大の敵は嫉妬心だと思うんだ。だから美麗が僕の嫉妬心を煽るような状況を作らなければ、このまま平穏無事でいられると思う」

「嫉妬って、誰が誰にするんですか?」

「僕が美麗の周りにいる人間に対してだよ。女の子達はギリギリ許容範囲だけど、男は絶対にダメ。例え年寄りでもね。だから王にもできる限り近づかないで欲しいんだ。あと、僕の前で名前も口にするのもダメ。ムカつくから」

 そういえば以前もそんなことを言っていたような……。

「自分でも心が狭すぎるだろって思うけどさ、そこは神獣の性だから許して欲しい」

 言いながら彼は悲しそうに笑う。

「僕と一緒にいるの、嫌になっただろ?」
「いいえ、ちっとも」

 確かに決まりごとが多くて頭が混乱しそうになるけど、嫌ではない。むしろちょっと嬉しいというか、誇らしい気持ちになってしまう。だからといって、わざと嫉妬されるような行動は取らないけれど。

「陛下には本当に感謝しているんです。私みたいな行き遅れの女に、こんなに良くして頂いて、勉強する機会まで与えて頂いて、本当にありがとうございます」

 立ち上がって、深く頭を下げる。
 あらためて感謝の気持ちを伝えると、炎帝陛下は照れくさそうに軽く手を振る。

「そういう堅苦しいのはいいから。あと、僕のことを陛下って呼ぶのもやめない? 美麗にそう呼ばれると、なんか違うなって気がして、もやもやするんだ」

「だったらなんてお呼びすれば……?」

「僕にも一応、天帝陛下から与えられた名があるんだけどね、残念なからそれだけは教えられない。人が神獣の真名を口にすることは禁忌とされているから。要するに天罰が下るってことだね。ちなみに他の神獣達は僕のことを『朱雀』とか『赤いの』とか呼ぶよ。けれどその呼び名も、別に気に入っているわけじゃないから、美麗が適当につけてくれると嬉しい」

 神様みたいな存在の神獣様に、私が名前をつける?
 そんなことしていいの?

「で、早速なんだけど……」
「し、しばらく、考えさせてください」

 私は陛下の言葉を遮るように言った。 
 だってそんな大切なこと、すぐには決められない。

「……しばらくってどれくらい?」
「わ、分かりません」
「時間かかりそう?」
「かかる、かもしれません」
 
 陛下は再び「もどかしいな」と呟くと、

「分かった、気長に待つよ。それより座ったら、美麗。せっかくの食事が冷めてしまう」

 それもそうだと思い、素直に席につく。
 もぐもぐと食事を続けながら私は、ずっと陛下のことばかり考えていた。 

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