この度、青帝陛下の運命の番に選ばれまして

四馬㋟

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本編

最終話

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「ああ、どうしよう、困ったわ」



 飛翔にしっかり掴まってさえいれば、あっという間に蓬莱国に着くはずだったのに。途中で居眠りして、飛翔から落ちてしまうなんて。



「痛みはあるけど、怪我はしていないみたい」



 かなりの高さから落ちたにも関わらず、私はピンピンしていた。一方の飛翔は、私を落としたことにも気づかず、飛び去ってしまった。幸い、路銀が入った荷物は肌身離さず身につけていたので、旅は続けられそうだ。



「念のために地図をもらっておいて良かったわ」



 それを頼りに蓬莱国を目指した私だけど、自分でも呆れるほど、道を間違えた。旅慣れていないせいで、現在地を把握して、地図と照らし合わせるだけでも時間がかかってしまうのだ。



 その上、通れるはずの道が土砂で塞がっていたり、行く先々で浮浪者に通行料をふっかけられたりと、何度桃源国に引き返そうと思ったかしれない。けれどそのたびに翡翠の顔を思い出して、気持ちを奮い立たせた。



 ともあれ、このペースでは目的地にたどり着けるのかさえ怪しい。



 エンの言うことを聞いて、護衛を付けてもらえばよかった。ついでに道案内もしてもらえたのに。それ以前に、飛翔から落ちるような状況にはならなかっただろう。



 過去を悔やんでも仕方がないと、悩んだ末、途中の集落で道案内を雇うことにした。路銀はじゅうぶんに持ってきたので、なんとかなるだろう。



 桃源国を出て二日目の夕方、ようやくたどり着いた集落で遅い昼食を摂る。なんとなく入った屋台で蒸した芋と温野菜、甘酸っぱい匂いのするソースがかかった鶏肉を出されたものの、用心のために鶏肉は避け、芋と温野菜だけを口にした。鶏肉は好きだけど、旅の途中で食中毒になりたくなかったからだ。



 食事が終わると、広場にある小さな市場に向かった。ほとんどの露店が既に店仕舞いをしていたが、まだかろうじて開いている店もあり、近づいてみると、青みがかった林檎が大量に売れ残っていた。店番をしている中年女性は、私に気づいても、愛想笑い一つ浮かべようとしない。どうやら冷やかしと思われているらしい。



 思い切っていくつか林檎を買うと、店主はたちまち上機嫌になり、急に愛想よく振舞いだした。



「よかったら他の果物も見ていかないかい? うちのは種無しだよ」



 やや熟れすぎた果物を興味深げに見下ろしながら、さりげなく、蓬莱国までの道案内を雇える場所はないかと訊ねると、女店主はびっくりしたように顔を上げた。



「そりゃ、飲み屋に行けばごろごろいるだろうけどさ」



 言いながら、じろじろと私を見る。エンの忠告に従って、薄布で顔を隠しているので、怪しまれているのかもしれない。



「よしな、よしな。道案内なんて、雇うほうが危険だよ。途中で身包みはがされて、ひどい目に合うのがオチさ。ちゃんとした用心棒がいるのなら話は別だけど」



 やはりエンの申し出を受けておくべきだったのかもしれない。けれどこんなところまで来て諦めたくないと思い、「そこをなんとか」と食い下がる。



「誰かいい人を紹介して頂けませんか? お礼はしますから」



「仕方がないねぇ。だったら明日の朝、もう一度ここへ来な。できるだけ無害そうな奴を連れてくるよ」



 その日は宿屋に泊まって、翌朝、約束した時間帯に再び市場に向かった。



 果物屋の店主が連れてきた男はイジと名乗った。年は二十代くらいで、肌は褐色、髪は茶色でくすんでいる。見るからにへらへらした優男だ。いささか頼りない気はしたものの、女店主の好意を信じ、私は彼を雇うことにした。



 女だからと馬鹿にされないよう背筋をぴんと伸ばし、はきはきとした口調で自己紹介する。彼は私の顔を見ると、ちゃんと顔は隠しているはずなのに、軽く口笛を吹いて、ニヤニヤした。



「こりゃ、夜になるのが楽しみだ」

「あんた、あたしとの約束、忘れてないだろうね」



 じろりと女店主に睨まれ、「へーへー」と首をすくめる。



「冗談だよ。真に受けんなさんな」



 その場でクビにしてやろうかと思うくらい腹が立ったが、店主の顔たてて、何も言わなかった。けれど、前金を渡そうとした時、お金を受け取るふりして身体に触ってきた時は、心底ぞっとした。もっともエンの結界に阻まれて、未遂に終わったけれど。



 心配そうな女店主に見送られ、集落を出てイジと二人きりになってからは、緊張と不安で息が詰まりそうだった。道中、イジが必要以上に私に近づいてくることはなかったが、たびたび品定めするような視線を向けられては、気の休まる暇がない。



 イジのことをのぞけば、旅は順調に進んだ。翌日は珍しく雨も降らず、嵐に遭うこともなかった。昼間はひたすら歩き、途中に集落があれば立ち寄って市場で食料を買いこみ、夜は毛布にくるまって野宿した。



 さすがに初日の夜は、他人の気配に落ち着かず、ろくに眠れなかったが、それは向こうも同じようで、朝顔を合わせると、イジの目にはくっきり隈ができていた。



 彼曰く、近くで獣の気配を感じたため、寝ずの番をしていたというが、信用はできなかった。

 そして二日目の夜、悲劇は起きた。



 深い森の中、私は樹木によりかかってぐっすり眠っていた。

 昨夜の寝不足がたたり、イジのことを警戒する気力もなかった。



 夜中、私は物音で目を覚ました。



 まだ半分、夢の中にいた私の耳に、獣のうなり声とイジの悲鳴が飛びこんでくる。毛布を払いのけて立ち上がった私の横を、野生の小動物たちが逃げるように走り去っていった。



「……イジ、どうしたの?」



 イジが眠っているほうへ近づいていった私は、暗闇の中で光る二つの目に気づき、足を止めた。それはイジの身体におおいかぶさり、喉もとに食いついているようだった。私はよくよく目を凝らして、息を呑んだ。――人食い虎? いいえ、こんな獣、見たことがない。



 それは熊のようにも、黒い毛皮を着た虎のようにも見えた。

 とにかく巨大で、口は大きく、顔面が血で汚れている。



 ――私、この怪物を知っている気がする。



 気のせいだと思いたいけど、気のせいじゃない。

 ふいに記憶の奥底から声が聞こえた。

 





『俺もいずれ、こうなるかもしれない』





 そう言ったのは誰だったか。





『あなたはならないわ。私がさせないもの』





 これは私の声。

 はっきりとは思い出せないけど、彼のそばにいなければと強く思う。





 ――彼? 彼って誰なの?





 蛇に睨まれた蛙のように、かたまって動けない私を一瞥すると、黒い怪物は息絶えたイジの身体を引きずって、どこかへ行ってしまった。怪物の気配が遠ざかると、緊張が解けて、私はその場にへたりこんでしまう。



 逃げなきゃ、と思った。

 ここを離れなくちゃ、今すぐ。



 けれど身体が動かない。

 足が震えて、満足に立つこともできなかった。



 そうこうしているうちに足音が聞こえてきた。

 こっちに向かってくる。



 顔を上げた私は、自分でも血の気が引いていくのが分かった。

 怪物が戻ってきたのだ。次の獲物を狩るために。



「こ、来ないで……」



 必死に這って逃げようとする私に、



「逃げるな、俺だ」

  

 振り返ると翡翠がいた。

 全身血まみれで、彼の足元には怪物の死体が横たわっている。



「朱雀の屋敷にいないから、心配した。どこへ行くつもりだった?」



 どうして私の居場所が分かったのだろう。いやそれよりも怪我はしていないだろうかと、私は心配になった。そんな私の前にしゃがみこんで、翡翠は言った。



「心配するな、無傷だ」

「……どうして私が心配していると分かったの?」

「さあな、何となく」

「私の考えていることが分かるの?」

「ああ……みたいだな」

「だから居場所が分かった?」

「かもしれない」

 

 私に繋がりを感じると彼は言った。

 それは私も同じだと、今更ながら痛感する。



 イジといた時は不安と緊張のあまり吐き気すら覚えていたのに。



 翡翠に触れたい、彼のそばにいたいと強く思う。

 離れられないと。



「あなたに会いにいく途中だったの。だって、急に来なくなってしまったから」

「悪い。これを手に入れるのに時間がかかった」



 差し出された花束を見て、私は息を飲んだ。

 白い花びらが、返り血で真っ赤に染まっている。

 

「桃源国では求婚の際に、この花を贈るそうだ。蓬莱国では手に入らないから、育てるのに苦労した。君に贈るつもりだったが……これでは台無しだな」



 彼は引っ込めようとしたけど、私がさせなかった。

 花束を受け取って、ぎゅっと胸に抱く。



 不思議とためらいはなく、こうすることが当然のように思えた。



「本当に私でいいの?」

「ああ」

「あなたのこと、何も知らないのに?」

「それはお互い様だ」

「けど、繋がりを感じる。どうしてかしら」

「一緒にいれば、いずれ分かるだろう」



 これは終わりではなく始まりだと彼は言う。

 私も同じことを思った。



「俺のところへ来るか?」

「ええ、あなたと一緒に行くわ」









 ***







 十年もの間、行方不明になっていた青帝の后が見つかった。

 蓬莱国の民は喜び、宮城では連日連夜宴が催された。



 天帝による呪いを受けた后は、夫や子どもに関する記憶を一切失っていたが、それでも番としての役割を全うし、青帝が最期を迎えるその日まで、彼のそばを離れなかったという。




<終わり>
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