湖水のかなた

優木悠

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第三章 路のとちゅう

三の五

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 高島という地域は琵琶湖に東にむかって大きく張り出した形状をしていて、休憩した茶屋から北に真っすぐ歩けばよかったのに、土地勘がないものだから、岸ぞいの道を進んでしまったせいで、ずいぶん遠回りをしてしまったようだ。
 しかも、平野の中ほどを流れる安曇川あどかわを渡る橋がみつからず、さらに無駄な時間をついやしてしまった。
 宿を出るのが遅かったせいもあるが、川を渡ったときにはすでに陽が半分ほども山に隠れていて、あわてて近所の農家の玄関の戸をたたき、一夜の宿を請うた。
 その農家は、五十歳くらいの、いかにも百姓らしい、朴訥な夫婦が住んでいた。子供連れというのがふたりを安心させたのか、前金でいくらか手渡したのがよかったのか、嫌がるようすもなく招き入れてくれた。
 清彦も当然のような顔でついてきて、
「わたしは納屋でも軒下でもいいので……」
 昨日旅籠で云っていたようなことを、また遠慮がちに云った。
 さすがに百姓夫婦はいい顔をしなかったが、信十郎が、
「部屋は別にしてもらいたいが、泊めてやって欲しい」
 と頼むと、
「台所脇の小部屋しかないけど」
 夫のほうがぶっきらぼうに云って、承知してくれたのだった。
 夫婦は、この辺りでは比較的裕福な農家なのか、身なりも整っていたし、部屋もきれいでかたづいているし、暮らし向きに困窮しているふうはなかった。
 女房がすぐに囲炉裏の側で夜食を用意してくれた。
 雑穀のご飯にふきのとうの味噌汁、つくしの佃煮、この辺りでとれた山菜の煮物など、春の香りを感じさせる料理をふるまってくれた。
 信十郎はおいしくいただいたのだが、子供にはちょっとまだこの味ははやいのではないか、とお結をみると、べつだん苦味を気にするようすもなく平然と食べていた。彼女のような貧苦のなかで生活を送ってきた子供は食べられるものはなんでも食べなくては生きてこられなかったに違いない。その点、子供のころから食べ物に好き嫌いを云ってきた信十郎は、さほど裕福な暮らしをおくってきたわけでもないが、お結にくらべればよっぽど恵まれていたのかもしれない。
 夕食のあとで、風呂も沸かしてくれた。
 お結を女房にあずけ、信十郎は風呂に入った。
 風呂小屋は庭の片隅にあって、そこまで行くのがちょっと肌寒かったけれど、小屋自体は小ぎれいだったし、ちょと小さ目の五右衛門風呂ではあったが、温かい湯にゆっくりつかって、一日の旅の疲れが充分にとれたのだった。
 風呂からあがって、母屋に戻る途中、沓脱ぎ石に座って空をみあげている清彦がいた。
 まだ、月は出ていなかったが、雲はひとつもなく、小さな星々が夜空のすみずみまでいっぱいにまたたいている。
 信十郎は、彼の前を、通りすぎようとしたが、
「わたしは……」
 などと、清彦が語りはじめるのだった。それは、はたして信十郎に聞いてもらいたくて喋りはじめたのか、ただのひとりごとのつもりだったのかは、瞬間にはわからなかったが、信十郎はつい、足をとめてしまった。
「私は、子供のころに父を亡くし、母の手ひとつで育てられました。母は旅籠のきりまわしに忙しく、憤懣がたまるのか、私をよくぶちました。私もぐずで、部屋のかたづけも満足にできないような子供でしたから、よけい母のいらだちを煽っていたのかもしれません」
 彼の顔はよく見えはしなかったが、なにかしんみりと、心のよどみをひとことひとことにのせて、ゆっくりと解放していくような、そんな喋りかただった。
「大きくなって、さすがに殴られるようなことはなくなりましたが、ことあるごとに、侮辱的な言葉を投げかけられたものです。そんなある日、うちにおゆいがやってきました。彼女の境遇に、私はだんだんと、自分自身を重ね合わせるようになったのです。そしていつしか、私は彼女を愛していると思うようになりました。それはたんに憐れみや同情を、なにか勘違いしていたのかもしれません。そして、私は欲情に突き動かされてしまい、おゆいにあのようなことをしはじめたのです」
 最後のほうは、声が急にくぐもって聞こえてきた。それはきっと、顔を両手でおおているのに違いなかった。
「私は、私は、おゆいに、なんということをしてしまったのでしょう。申し訳ありません、申し訳ありません」
 彼の言葉はしだいに嗚咽に変わってきていた。
 信十郎は、彼の心の声を聞いたという気がした。だからといって、お結にしてきた行為をけっして赦す気持ちにはなれなかったのだが、清彦は清彦なりに、自分のゆがんだ人生を正したいと、お結にすがっていたのかもしれないと思えるのだった。そして、いままた自分を正したいと、信十郎にすがっているのかもしれないのだった。
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