青と虚と憂い事

鳴沢 梓

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七章 暗碧の真実

十一

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放課後の音楽室は、いつもより蒸し暑かった。

リナのギターが歯切れよく響き、
カノンの鍵盤がそれに寄り添う。

私はマイクの前に立ち、まだ覚束ないコードをかき鳴らしながら声を重ねた。



文化祭まで残された時間は、あと数ヶ月。

軽音部での日々は、汗と笑いと音で満ちていて
気づけば、毎日が風のように素早く駆け抜けていった。

帰宅すると、透霞はいつも穏やかに迎えてくれた。

「おかえり、練習楽しかった?」


そんな言葉が、確かな日常へ引き戻してくれた。



ふと、透霞の足元に荷物がまとめられているのに気づく。
ジーッと見つめたまま動かないでいると、透霞が静かに言った。


「急で申し訳ないんだけど、本家に行ってくる。
……親が亡くなったみたいで」


透霞はそう言って、心配させまいとニコリと笑った。



本家。

その言葉に、心がざわついた。


碧にとっても、透霞にとっても、忌々しい場所だった。

血の繋がりがあるだけで、ただの他人。
世間からはそれは素晴らしい家柄だと褒められているが、
人間性は根底から腐りきっている。
何度も冷たい目を向けられ、侮蔑を味わってきた。


だからこそ、透霞の「行きたくない」という本音を、
言われなくとも察していた。


それでも、透霞は行った。
ただの義務だ。そう言い聞かせたのだろうか。
見送った背中は、とても小さく思えた。





* * *





数日後。

玄関の扉が開き、透霞が戻ってきた。


その表情はどこかぼんやりしていて、
視線が定まっていなかった。

最初は疲れているだけだと思っていた。
だが、違った。


夕食の準備中、透霞は鍋に火をかけたまま動かなくなった。

ぼーっと立ち尽くし、気づかずに袖口が火に触れそうになっていた。


『透霞さん、危ない!』


慌てて私が鍋を止め、袖を引いたとき、
透霞は小さく震えていた。


「…あ、ごめん」

その声は、いつもの透き通った声ではなく、
どこか遠くを漂っているようだった。





その夜。

部屋の奥から、かすかな嗚咽が聞こえた。

ドアの隙間から漏れる灯りの向こうで、透霞が泣いている。
思わず足を止めた。


(…聞いちゃいけない)


胸の奥が締め付けられる。
それでも、どうしてもドアを叩けなかった。


透霞は本家に行った。
親が亡くなった。
精神的にやられてしまったんだろう。


理由は想像できる。
それ以上踏み込むことはできなかった。





* * *






翌朝、透霞は何事もなかったかのように、
紅茶を淹れていた。


微笑んで「学校、頑張って」と送り出してくれる。
だが、その笑顔の奥に揺れる影を、見逃さなかった。


きっと無理をしている。


出来ることはなかった。
ただ黙ってギターケースを背負った。
音楽室に向かう足取りは、とても重かった。


今の自分に、透霞を救える言葉は思いつかない。
空はカラッと晴れていて、爽やかな風が吹いているのに、
碧の心は重石のように深く、深く沈んでいた。
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