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夢に咲く花
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しおりを挟む──恐怖を閉じ込めるな──
随分と間抜けを言う、と孝宏は思った。何せ、孝宏はすでに怒りと恐怖に震え、心を歪ませている。
(どういう意味だろ。そのまんまの意味……じゃない、よな?)
そんな時、茂みの奥からやってくる影があった。
「お頭連れて来ましたぜ。探しているのはこの女でしょう?」
野太い男の声がしたと思えば、茂みの奥、マリーたちがいた方向から男と、その男に連れられたマリーが現れた。
孝宏を怪しんでいた男もそちらに気を取られ、完全に孝宏を忘れてしまったようだった。
むしろ今、孝宏を気にする余裕のある男は、この場には誰一人としていないだろう。当の孝宏でさえ、疑われている事よりもそちらに気を取られ、完全に無防備でいた。
助かったとか、今のうちに何とかしようなどと考えるよりも、目の前の光景に思考の殆どを支配されていた。
先ほどの悲鳴、やはり二人も襲われていたのだ。しかも、おそらくは風呂の最中に。
(マ……ママ…………マッパァー……)
マリーは出来るだけ身を屈め、周囲の視線から身を隠そうとしているが、男たちの下世話な視線がまとわりつき、好奇の目にさらされている。
口の中に布を詰め込まれ悔しそうに、それでも羞恥心など感じさせない眼光が、ターバンの男をまっすぐに射抜き、男は不機嫌そうに眼を細めた。
「なんて恰好させてやがる。凍死させるつもりか?」
「ですがお頭、この女、風呂の最中で元から何も着てなかったんですぜ?それに服を着せようとしても、魔法を使うわ、反撃してくるわで…………何もできない小娘って話じゃなかったんですか?」
「そのはずなんだがなぁ。まあ、それでも言っておくが、この女に傷一つでも付けたら承知しねぇぞ」
「いきなりどうしたんですか?…………まさか……惚れ……」
「この娘は無傷って約束だ。ふざけてないでさっさと連れて行け。」
孝宏は怒りのやり場がなく吐き気を催し、大きく息を吐き出した。
目を閉じると一瞬訪れる静寂。雫が鏡水面を揺らすがごとく広がる波紋は、孝宏の胸をそっと、しかし熱く揺らした。
──恐怖を押し殺すな……理不尽さに怒れよ──
再び聞こえてきたぶっきらほうな声に、孝宏は意識を傾けた。
──何もしないで、また後悔するつもりか?──
声が脳を揺らし、やがて体中に響いた時、体の芯が震え燃えたぎる熱が腹奥で爆発し
──いい加減本気でやれよ──
全身が大きく脈打ち揺れた。
これまで幾度となく感じた熱、湧きあがる押えきれない興奮に、孝宏は口の端を浅く持ち上げ息を吐いた。
「簡単だろう?」
吐き出した息に火の粉が混じり、パキッと小さな音と共に、両腕が軽くなる。
孝宏は籠手が外れたのだとすぐに気が付いた。
縄で縛られ自由はないが指先は動く。足首も頭も持ち上げられる。気付かれぬよう浅く吐き出す息にも、火の粉が混じり、地面を転がっては雑草の先を焦がし、匂いが鼻先に漂ってくる。
(ちんたらやってたんじゃ、ばれる方が早いだろうな)
男たちは幸いにもまだ孝宏には気が付いていない。そんな中唯一、マリーだけがこちらを見ていた。
だ・い・じょ・う・ぶ・だ・や・る・ぞ
声に出さず口を動かした。目が合った僅かな時間で正確に伝わったか確認しようがないが、孝宏は間を入れず、肺に限界まで吸い込んだ息を一気に吐き出し、押えていた火を一気に解放した。
ちっぽけな火の粉などでない紅蓮の火が、地面を人が駆けるよりも早く這い広がり、男たちの足元を火で覆うと、まるで生き物のごとく足を這い上がり始めた。
夜更けた闇に響く阿鼻叫喚の地獄絵図。
ある者は地面を跳ね回り、ある者は魔術で火を消そうと呪文を唱えている。
だが簡単に逃がしはしない。逃げようとするなら火の壁が立ちはだかり、男たちをその場に閉じ込めた。
「これは要らないよな」
凶鳥の兆しの火に呑まれ、一層薄さを増した壁は、もはや機能していないに等しい。
孝宏が像の一体を足で軽く蹴り飛ばすと、辛うじて繋がっていた糸は音もなく途切れ、三体の像は意味のないただの人形に成り果てた。
足元の火を消そうと男たちが逃げまどう中、マリーはとても冷静だった。
自分を捉えていた男を突き飛ばし、身を屈め駆けだすと、未だ地面の上に放り出されていたルイのローブを素早く掴み、そのまま孝宏の背中に身を隠した。
マリーには大きいローブを着るのでなく、すばやく体に巻き付け左胸の上あたりで、落ちないようしっかりと結ぶと、胸の前で腕を組み背中を丸めた。
「大丈夫?」
孝宏は思ったままを声に出していた。
マリーが無言で孝宏の背中に寄りかけ、背中越しに体温と震えだとか伝わってくる。
(ああ、馬鹿な事を言ってしまった)
「二人はどうしたの?」
マリーが地面に横たわったままの二人について尋ねた。
「動かないんだ。たぶん魔法だと思う。俺にはあんまり効かなかったし」
火を操る指先を、孝宏は一時も止めはしない。気を反らせば、火はアッと言うと間に一跨ぎ向こうへ跳ね、そこにあるモノを燃やそうとしてしまいそうだった。
逃げた火を捕まえてはまた逃がし、捕まえては逃がし。勝手気ままに飛び交う火は、まるで久々に自由を手に入れた幼い子供のようだ。
「時間を稼いで、二人は私が何とかしてみる」
「わかった」
返事をしたものの、孝宏は火を使う以外に時間を稼ぐ方法を持っておらず、肝心のその火も、実の所、見せかけの低温の火が奴らを襲っているに過ぎない。
孝宏の制御が確かなら、少し熱い風呂の湯くらいの温度だろうか。
もしかすると軽い火傷はあるかも知れないが、致命的なダメージにはならないだろう。突然の出来事にパニックを起こしているが、やがて冷静に気付く者がいるかも知れない。
(不思議だな、それでも今なら何でもできる気がする)
心臓の音が嫌に大きい。全身が緊張で強張り、荒く早い呼吸は明からに落ち着きがないが、孝宏は特段気にもとめなかった。
いつになく体は重いし、火を操る指先は震え、関節に差し込むような痛みが走るが、むしろいつもより頭が冴え、気分はすこぶる良い。
気分が高揚し、口元には笑みさえ零れる。
男たちの一人が、言葉に表現できない叫びを上げ、手に持った刃物を振りかざし向かってきた。
錯乱しているのか、切先は定まらず闇雲に剣を振り回しているだけだが、それを止められる程孝宏は剣術に明るくない。
とは言え、交わして逃げると、男の勢いではマリーたちを襲いかねない。
孝宏は自分に向かってくる危険に対し、無我夢中で正真正銘の火をまとった手で払った。その時男が孝宏に向け突き出した剣が、急所を避けたのは、ただの偶然で幸運であった。
手を振った反動で体の軸がぶれ、致命傷を避けられたのは良いが、脇腹をかすった刃が肉を裂き、服を鮮血が染める。
(変だな、痛くない)
その後は反射だった。
伸びた相手の腕と胸元のシャツを掴み、自分よりはるかに上背のある男を、背中の上で転がした。
男はそのまま地面に仰向けに叩きつけられ、目を回し、無理に立とうとしたが、起き上がれずにいる。
正真正銘の火に呑みこまれ、悲鳴を上げる男を上から見下ろし、孝宏は奇妙で、得も言われぬ充実感を味わっていた。
何という開放感だろう。高まる高揚も、それが凶鳥の兆しのものなのか、それとも孝宏自身のものかはっきりと区別がつかない。
前に伸ばした手を打ち鳴らし、掌を上に腕ごと上げれば、火の中から無数のヘビが生えて来た。
相手が作り出した水で模られた三匹のヘビが、孝宏目掛けて牙を剥いたとしても、火のヘビはあっさりとそれらを飲み込んだ。
もしもヘビの牙が孝宏に届いたとしてもだ、何も変わらなかっただろう。
ヘビの陰に隠れて襲ってきた男の刃でさえも、振り下ろし孝宏の肩に食い込んだ所で、刃物がドロドロに溶けてしまったのだから。
刃が食い込んでいた傷口から火が湯水のごとく溢れだし、柄を伝い男の腕を飲み込もうとする。
「まさか……ありえない!」
僅かにでも躊躇してくれるのなら、孝宏には好都合だった。
孝宏は男の懐の入り込み、一瞬の内に男は宙を舞い、地面の上で仰向けに気を失った。
孝宏は思考がクリアなまま、しかし呼吸が乱れ、肩が上下するたび、左肩、首のすぐ横の刀傷は真っ赤な血を溢れさせ、薄手のシャツを赤黒くジンワリと染め上げていった。
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