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夢に咲く花
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「決まってるじゃないですか。あの忌々しい蜘蛛に喰われたんですよ!」
涙まじりに語尾を荒げる助手の女に、孝宏は言葉を失った。
記憶にある彼女とはあまりにも違う。治療を受けたあの一日だけしか知らないのだから、そもそも彼女を知っていると言うほど知らないのだが、とにかく孝宏は驚いた。
助手の女が声を荒げたことにも、医師が蜘蛛に喰われた事にも。
親しくはないとはいえ、自分の知っている人物が死んだとは信じがたく、この後に及んでも本当に死んだのかと聞いてしまいそうになる。
(だって、この前まで普通に生きてたのに……死ぬなんて……思いもしなかった)
孝宏に限らず誰だってそうだっただろう。おそらくは、助手の女も、医者本人でさえも。
「今日はこの間の治療代と、それからお礼を言いに……」
手土産を持つ手が力なく垂れ下がる。
(これ、無駄になったな……)
孝宏だけでなく皆戸惑っていた。
ナキイなどは事前に確認を怠った自分の怠慢さに憤り、もう一人の兵士は助手の側に立っている分彼女の様子をつぶさに感じられ戸惑いも大きいかった。
助手の女が一度咳払いをした。凛とした声が暗い廊下に静かに響く。
「お金はいりません。診察代は軍の方から頂いてますし……それに………」
そんな話は聞いていない。孝宏がルイをチラリと見ると、ルイも小さく首を横に振った。
「それに、お礼もいりません。何せ……あの時の先生は最低でした。お礼を頂く価値もありません」
あの日、孝宏たちの知らないところで最低と言わしめる何かがあったのだろう。だが、少なくとも、孝宏には二人が仲違いしているようには思えなかった。
助手の女の声は苦しそうで泣きそうで、表情が見えない分声に感情がより濃く現れ、孝宏には医者を蔑むのが本意でないように聞こえた。
とは言え、孝宏はどう返すべきか迷った。傷心中の彼女に詳細を尋ねるべきか、それともそのまま病院を去るべきなのか。
「それはどう言う意味でしょうか?」
孝宏の代わりにナキイが助手の女に尋ねた。助手の女は震える息を吐ききり答えた。
「あの時、他の病院から連絡があったんです」
助手の女は当時何があったのか話し始めた。
他の病院でも同じような患者が、テア山の雫を使っても尚、成すすべなく亡くなり、それどころか治療に当たった医者らが体調不良を訴え始めたという。
前々から噂はあったのだ。
治療困難な新しい病が発見されたらしいと。
しかし、正式な発表はなく、いつまでたっても噂の域を出なかった。
始めは医師も助手の女も信じてはいなかったが、見た事もない獣に襲われたという患者が駆け込んできた時、疑惑が確信に代わり、コレーが化け物の大群に襲われた事を加えれば、公表を控えた政府への不信感も増していった。
決して助けられない患者を幾人も目の当たりにし、彼女は医師としての意義を見失っていったのだ。
巨大蜘蛛に町が襲われたというのに、どこか他人事でいたのも、色々と諦めてしまっていたのかもしれない。
「あなたも助からないと、まだやれる事はあったはずなのに、止めてしまったんです」
助からないのならせめて、最後の時間を身内で過ごさせて上げたい。
それは医師の優しさから来た配慮だったのかもしれないが、結局は治療を途中で諦め、最後まで手段を尽くさなかったと同意義だ。
しかし医者の予想を覆しルイは助かった。
予兆はあったのだ。
注意深く見れば、以前の医者ならば気が付いたであろう、これまでの患者との違いを。
彼女は諦めからそれを見逃した。
助手の女は孝宏が医師に投げかけた言葉も、言われて当然たと思っていた。
ルイが助かり、その時、医師が何を思ったのかは分からないが、巨大蜘蛛から逃げたものの毒に侵され、シャッターを叩く者がいればどんな場合も開けて受け入れた。
蜘蛛が迫ってくるその時でさえも。
「まるで、以前の先生に戻ったみたいでした」
もしかすると今度こそは最後まで向き合う覚悟だったのかもしれない。
「それで、シャッターの隙間から入ってきたあの蜘蛛から患者を守るために、先生は一人で犠牲になって……私は止めたんです。でも対抗できるとしたら私しかいないからって…………」
「そうか、あの人は熊人だったな。大型の獣人は珍しいから……」
ルイがポツリと溢した。
(あの時、本当にルイを見捨てたのか)
孝宏は本当なら、自身の態度は失礼だったと謝るつもりでいた。
今の話にショックを受けたのは間違いないが、助からないかもしれない患者を守るために命をかけた医師に、あの日と同じような感情は湧き上がらない。
「本当なら来週には院を止めて、先生は田舎に戻ることになっていたんです。医師を辞めるつもりで、でも私はそんな先生が許せなくて、一緒に行くとは言えませんでした。でも先生が死んでしまって…………こんなことなら元に戻って欲しくなかった」
助手の女は泣き崩れてしまった。
田舎に帰ってしまえば二度と会う機会はなく、どこで何をしてようと、それこそ死んだとしても知らない間柄になっていただろう。
だが、相手が無事に暮らしていると思えるか否かは大きく異なる。
少なくとも目の前で蜘蛛に食われるのを見るのよりは、いくらも幸せだっただろう。
結局孝宏たちはそれ以上何をするでなく帰路についた。
涙まじりに語尾を荒げる助手の女に、孝宏は言葉を失った。
記憶にある彼女とはあまりにも違う。治療を受けたあの一日だけしか知らないのだから、そもそも彼女を知っていると言うほど知らないのだが、とにかく孝宏は驚いた。
助手の女が声を荒げたことにも、医師が蜘蛛に喰われた事にも。
親しくはないとはいえ、自分の知っている人物が死んだとは信じがたく、この後に及んでも本当に死んだのかと聞いてしまいそうになる。
(だって、この前まで普通に生きてたのに……死ぬなんて……思いもしなかった)
孝宏に限らず誰だってそうだっただろう。おそらくは、助手の女も、医者本人でさえも。
「今日はこの間の治療代と、それからお礼を言いに……」
手土産を持つ手が力なく垂れ下がる。
(これ、無駄になったな……)
孝宏だけでなく皆戸惑っていた。
ナキイなどは事前に確認を怠った自分の怠慢さに憤り、もう一人の兵士は助手の側に立っている分彼女の様子をつぶさに感じられ戸惑いも大きいかった。
助手の女が一度咳払いをした。凛とした声が暗い廊下に静かに響く。
「お金はいりません。診察代は軍の方から頂いてますし……それに………」
そんな話は聞いていない。孝宏がルイをチラリと見ると、ルイも小さく首を横に振った。
「それに、お礼もいりません。何せ……あの時の先生は最低でした。お礼を頂く価値もありません」
あの日、孝宏たちの知らないところで最低と言わしめる何かがあったのだろう。だが、少なくとも、孝宏には二人が仲違いしているようには思えなかった。
助手の女の声は苦しそうで泣きそうで、表情が見えない分声に感情がより濃く現れ、孝宏には医者を蔑むのが本意でないように聞こえた。
とは言え、孝宏はどう返すべきか迷った。傷心中の彼女に詳細を尋ねるべきか、それともそのまま病院を去るべきなのか。
「それはどう言う意味でしょうか?」
孝宏の代わりにナキイが助手の女に尋ねた。助手の女は震える息を吐ききり答えた。
「あの時、他の病院から連絡があったんです」
助手の女は当時何があったのか話し始めた。
他の病院でも同じような患者が、テア山の雫を使っても尚、成すすべなく亡くなり、それどころか治療に当たった医者らが体調不良を訴え始めたという。
前々から噂はあったのだ。
治療困難な新しい病が発見されたらしいと。
しかし、正式な発表はなく、いつまでたっても噂の域を出なかった。
始めは医師も助手の女も信じてはいなかったが、見た事もない獣に襲われたという患者が駆け込んできた時、疑惑が確信に代わり、コレーが化け物の大群に襲われた事を加えれば、公表を控えた政府への不信感も増していった。
決して助けられない患者を幾人も目の当たりにし、彼女は医師としての意義を見失っていったのだ。
巨大蜘蛛に町が襲われたというのに、どこか他人事でいたのも、色々と諦めてしまっていたのかもしれない。
「あなたも助からないと、まだやれる事はあったはずなのに、止めてしまったんです」
助からないのならせめて、最後の時間を身内で過ごさせて上げたい。
それは医師の優しさから来た配慮だったのかもしれないが、結局は治療を途中で諦め、最後まで手段を尽くさなかったと同意義だ。
しかし医者の予想を覆しルイは助かった。
予兆はあったのだ。
注意深く見れば、以前の医者ならば気が付いたであろう、これまでの患者との違いを。
彼女は諦めからそれを見逃した。
助手の女は孝宏が医師に投げかけた言葉も、言われて当然たと思っていた。
ルイが助かり、その時、医師が何を思ったのかは分からないが、巨大蜘蛛から逃げたものの毒に侵され、シャッターを叩く者がいればどんな場合も開けて受け入れた。
蜘蛛が迫ってくるその時でさえも。
「まるで、以前の先生に戻ったみたいでした」
もしかすると今度こそは最後まで向き合う覚悟だったのかもしれない。
「それで、シャッターの隙間から入ってきたあの蜘蛛から患者を守るために、先生は一人で犠牲になって……私は止めたんです。でも対抗できるとしたら私しかいないからって…………」
「そうか、あの人は熊人だったな。大型の獣人は珍しいから……」
ルイがポツリと溢した。
(あの時、本当にルイを見捨てたのか)
孝宏は本当なら、自身の態度は失礼だったと謝るつもりでいた。
今の話にショックを受けたのは間違いないが、助からないかもしれない患者を守るために命をかけた医師に、あの日と同じような感情は湧き上がらない。
「本当なら来週には院を止めて、先生は田舎に戻ることになっていたんです。医師を辞めるつもりで、でも私はそんな先生が許せなくて、一緒に行くとは言えませんでした。でも先生が死んでしまって…………こんなことなら元に戻って欲しくなかった」
助手の女は泣き崩れてしまった。
田舎に帰ってしまえば二度と会う機会はなく、どこで何をしてようと、それこそ死んだとしても知らない間柄になっていただろう。
だが、相手が無事に暮らしていると思えるか否かは大きく異なる。
少なくとも目の前で蜘蛛に食われるのを見るのよりは、いくらも幸せだっただろう。
結局孝宏たちはそれ以上何をするでなく帰路についた。
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