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夢に咲く花
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行きの道のりは軽かった足取りも今は重く、行き場のなくなった土産が嫌に重い。
孝宏は表現し難い感情を抱えながらも、吐き出し方が分からず、ただ黙って歩いていた。
私たちを治療してくださりありがとうございました。
本来ならばこう医者に礼を述べるつもりでいた。
失礼にならないようどうすれば良いのか、十五年という短い経験の中から絞り出し、手土産まで用意し、あの日の暴言を謝ろうと孝宏なりに考えていた。
しかし、助手の女からもたらされた事実を聞いて尚、同じように思えるかと言われれば、正直なところ難しかった。
そこにどんな理由があろうとも治療を投げ出したのは事実で、孝宏にも、助手の女が言ったように、ルイを見捨てたも同然としか思えなかった。
(それでも治療してもらったのは本当で……ってあぁぁ、それもそうなんだけどそうじゃなくて…………何だっけ、ちょっと引っかかった事があったんだけど……)
孝宏は中央に寄せるように顔を顰めた。
また変な事をしていると、ルイがギョッとして頬を引きつらせる。
考え込んでいる孝宏は、周囲がどのような目を自分に向けているのか、全く気が付いていない。
孝宏には病院で話を聞いた時から、心に引っかかっているものがあった。
助手の女の話を聞いている時に、妙な言い方だなと思ったのだ。
しかし今はそれが何だったのか、まったく思い出せずにいる。
(……何だっけ?ルイの事があって、蜘蛛に先生が……それから何だっけ?)
頭の中がグチャグチャしていて、思考に集中できない。
いくら思い出そうとしても、脳裏に浮かんでくるのは医者とあの日の病室。それから助手の女の言葉。
孝宏がどうしても思い出せず、ウンウン唸っていると、ルイが声を潜め話しかけてきた。
「ね、大丈夫?まあ、気にする事ないって。難しいかもしれないけど、このことはもう考えない方が良いよ。僕もそうするからさ」
孝宏はルイを見て瞬いた。
「その、何ていうか、ルイは気になんねぇの?」
「そりゃーま、少しは気になるよ。けど僕は生きてるし。でも、あの人大丈夫かなってくらいは思うけど……」
あの人、おそらく助手の女の事だろう。
孝宏は気にもかけていなかった人物がルイの口から発せられ、、図らずも知ってしまった自身の利己的な部分に内心ショックを受けた。
動揺を隠しきれない孝宏に、ルイは微苦笑を浮かべた。
「なにせ、恋人が目の前で死んだんだから……って言っても、僕らができることなんてないし、気にしてたってしょうがないんだけどさぁ」
「まったそんな他人事みたいに…………は?」
みたいに、ではなく全くの他人ごとだ、などという返しをルイはしない。
瞬きルイを凝視する孝宏に、ルイの方も一瞬キョトンとして、すぐに相槌をうって頷いた。
「あぁ、なるほど。いや、多分なんだけどさ、だってあの場所、かなり血腥くて酷かったから、そうかなって思っただけ。適当だよ」
ルイは鼻が良いのも良し悪しと言って、目を細めた。
アレに気がつかないのだからと、孝宏を羨ましく思い、ルイは嫌そうに鼻と口を覆う様に撫でた。
「そんなに酷かった?」
孝宏が尋ねると、ルイは無言で頷いた。
想像しゾッと背筋が冷えたが、孝宏が聞きたかったのはそちらではない。
孝宏は額に手を当て、もう片方の手を制止する様にルイに向けた。
「いや、待って、え?そっちも驚いたけど、恋人ってやつ。誰と、誰が、恋人って?」
「ああ、そっちか。もちろんあの助手と医者だよ。キスしてるとこ見たし」
(ああ、もう訳分かんねぇ。完全にキャパオーバーだ)
「…………まじで?」
孝宏は思わず二人が抱き合いキスをしている場面を思い浮かべ息を呑んだ。
(えぇぇぇぇぇ、あの二人にそんな素振りあったか?仕事中だったからそんなもんか?あ、もしかして私は行かないってそういう意味か!)
孝宏と違い、ナキイやもう一人の兵士はさほど驚いた様子はなかった。
それともいうのも、ナキイは二人の関係などどうでもよかったし、もう一人の兵士は助手の女を近くで見ていた分、寧ろ腑に落ちたと頷いた。
ナキイがポツリと言った。
「想像でしかないが、あの血の量だ。きっと最後まで抵抗したんだろうな」
決して一人分の血の量ではなかった。
院内に逃げ込んできた人々を食い散らかす巨大蜘蛛から、無事で隠れている人を、あるいは恋人を守る為に戦った。
その様子をあの助手の女が見ていたかは定かでないが、医者は体を張って止め、毒に痺れた体で、食われてもなお抵抗し続けたのかもしれない。
廊下中に飛び散った血がそれを物語っていた。
幾人もあの場で死んでいるはずなのに、助手の女が生きているのが何よりの証拠だ。
当時のあったであろう推測を聞き、孝宏はサッと血の気が引いた。背中がゾクリとする。
(俺もその感覚は知ってる)
使命感だけに突き動かされ、痛みも死の恐怖も凌駕した。
(不思議なんだよな。死ぬほど痛かったはずなのに、どれだけ痛かったか全く思い出せない。人間の脳ってのは上手くできてる)
それならば今は苦しくないだろう。
自分と重ね合わせ、孝宏はホッと、わずかに口角を上げほほ笑んだ。
(本当にそうなら……)
「良かった……っあ」
孝宏の思わず溢れてしまった非情にも聞こえる独り言に、皆の注目が集まる。
呆れたような、冷めたような目が咎めているようで、孝宏は頬を引きつらせ何度も首を横に振った。
「チガウデス。ケシテヘンナイミジャ」
「何で片言なんだよ」
「あはは……」
孝宏は自分が冷酷な人間になってしまった気がして、込み上げてくる汚い物を堪え、その場は笑って誤魔化した。
孝宏は表現し難い感情を抱えながらも、吐き出し方が分からず、ただ黙って歩いていた。
私たちを治療してくださりありがとうございました。
本来ならばこう医者に礼を述べるつもりでいた。
失礼にならないようどうすれば良いのか、十五年という短い経験の中から絞り出し、手土産まで用意し、あの日の暴言を謝ろうと孝宏なりに考えていた。
しかし、助手の女からもたらされた事実を聞いて尚、同じように思えるかと言われれば、正直なところ難しかった。
そこにどんな理由があろうとも治療を投げ出したのは事実で、孝宏にも、助手の女が言ったように、ルイを見捨てたも同然としか思えなかった。
(それでも治療してもらったのは本当で……ってあぁぁ、それもそうなんだけどそうじゃなくて…………何だっけ、ちょっと引っかかった事があったんだけど……)
孝宏は中央に寄せるように顔を顰めた。
また変な事をしていると、ルイがギョッとして頬を引きつらせる。
考え込んでいる孝宏は、周囲がどのような目を自分に向けているのか、全く気が付いていない。
孝宏には病院で話を聞いた時から、心に引っかかっているものがあった。
助手の女の話を聞いている時に、妙な言い方だなと思ったのだ。
しかし今はそれが何だったのか、まったく思い出せずにいる。
(……何だっけ?ルイの事があって、蜘蛛に先生が……それから何だっけ?)
頭の中がグチャグチャしていて、思考に集中できない。
いくら思い出そうとしても、脳裏に浮かんでくるのは医者とあの日の病室。それから助手の女の言葉。
孝宏がどうしても思い出せず、ウンウン唸っていると、ルイが声を潜め話しかけてきた。
「ね、大丈夫?まあ、気にする事ないって。難しいかもしれないけど、このことはもう考えない方が良いよ。僕もそうするからさ」
孝宏はルイを見て瞬いた。
「その、何ていうか、ルイは気になんねぇの?」
「そりゃーま、少しは気になるよ。けど僕は生きてるし。でも、あの人大丈夫かなってくらいは思うけど……」
あの人、おそらく助手の女の事だろう。
孝宏は気にもかけていなかった人物がルイの口から発せられ、、図らずも知ってしまった自身の利己的な部分に内心ショックを受けた。
動揺を隠しきれない孝宏に、ルイは微苦笑を浮かべた。
「なにせ、恋人が目の前で死んだんだから……って言っても、僕らができることなんてないし、気にしてたってしょうがないんだけどさぁ」
「まったそんな他人事みたいに…………は?」
みたいに、ではなく全くの他人ごとだ、などという返しをルイはしない。
瞬きルイを凝視する孝宏に、ルイの方も一瞬キョトンとして、すぐに相槌をうって頷いた。
「あぁ、なるほど。いや、多分なんだけどさ、だってあの場所、かなり血腥くて酷かったから、そうかなって思っただけ。適当だよ」
ルイは鼻が良いのも良し悪しと言って、目を細めた。
アレに気がつかないのだからと、孝宏を羨ましく思い、ルイは嫌そうに鼻と口を覆う様に撫でた。
「そんなに酷かった?」
孝宏が尋ねると、ルイは無言で頷いた。
想像しゾッと背筋が冷えたが、孝宏が聞きたかったのはそちらではない。
孝宏は額に手を当て、もう片方の手を制止する様にルイに向けた。
「いや、待って、え?そっちも驚いたけど、恋人ってやつ。誰と、誰が、恋人って?」
「ああ、そっちか。もちろんあの助手と医者だよ。キスしてるとこ見たし」
(ああ、もう訳分かんねぇ。完全にキャパオーバーだ)
「…………まじで?」
孝宏は思わず二人が抱き合いキスをしている場面を思い浮かべ息を呑んだ。
(えぇぇぇぇぇ、あの二人にそんな素振りあったか?仕事中だったからそんなもんか?あ、もしかして私は行かないってそういう意味か!)
孝宏と違い、ナキイやもう一人の兵士はさほど驚いた様子はなかった。
それともいうのも、ナキイは二人の関係などどうでもよかったし、もう一人の兵士は助手の女を近くで見ていた分、寧ろ腑に落ちたと頷いた。
ナキイがポツリと言った。
「想像でしかないが、あの血の量だ。きっと最後まで抵抗したんだろうな」
決して一人分の血の量ではなかった。
院内に逃げ込んできた人々を食い散らかす巨大蜘蛛から、無事で隠れている人を、あるいは恋人を守る為に戦った。
その様子をあの助手の女が見ていたかは定かでないが、医者は体を張って止め、毒に痺れた体で、食われてもなお抵抗し続けたのかもしれない。
廊下中に飛び散った血がそれを物語っていた。
幾人もあの場で死んでいるはずなのに、助手の女が生きているのが何よりの証拠だ。
当時のあったであろう推測を聞き、孝宏はサッと血の気が引いた。背中がゾクリとする。
(俺もその感覚は知ってる)
使命感だけに突き動かされ、痛みも死の恐怖も凌駕した。
(不思議なんだよな。死ぬほど痛かったはずなのに、どれだけ痛かったか全く思い出せない。人間の脳ってのは上手くできてる)
それならば今は苦しくないだろう。
自分と重ね合わせ、孝宏はホッと、わずかに口角を上げほほ笑んだ。
(本当にそうなら……)
「良かった……っあ」
孝宏の思わず溢れてしまった非情にも聞こえる独り言に、皆の注目が集まる。
呆れたような、冷めたような目が咎めているようで、孝宏は頬を引きつらせ何度も首を横に振った。
「チガウデス。ケシテヘンナイミジャ」
「何で片言なんだよ」
「あはは……」
孝宏は自分が冷酷な人間になってしまった気がして、込み上げてくる汚い物を堪え、その場は笑って誤魔化した。
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