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第一章~王女の秘密~
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「たった1日会わなかっただけなのに、久しぶりな気がするわね」
お茶を一口飲み、私は言った。
城内の私のお庭、中央に設けられたドームの中で。
私とネイノーシュは二人っきりで、テーブルを挟んで向き合っている。
今、二人っきりと言ったけれど、ドームの外には、お互いの付き人や護衛の兵士が、それぞれの背後に控えているのだから、厳密にいえば違う。
更には、そのドームの壁は透明で、私たちを隠す物は、何一つない。
ネイノーシュの背中越しに、彼の視線が刺さる。それは痛い程に。
彼の瞳に映る憂いはますます色濃く、私も苦しくなる。
私はテーブルの下、膝の上で拳を握り、もう片方の手で震える拳を隠した。
どうしたって彼の方を見てしまいそうになるのだ。ピントの合わない意識を、懸命にネイノーシュに合わせた。
「この前、渡しした物。アレはどうだった?」
私ははっきりとした物言いを避けた。
私がネイノーシュに渡した物など、一つだけだ。もちろん彼も解っている。
ネイノーシュがニコッと微笑む。
「大変興味深い小説でした。姫は普段あのような本を読まれるのですね」
へぇ……そういう、設定にしたのね。確かに、すべて創作なのだから、小説とも言えるかもね。
「ここでの会話は外には漏れ出ないわよ。いつも通りに呼んでくれないと、寂しいわ」
庭全体に張られた結界のため、基本的に、この庭では魔法が使えない。
唯一、魔法が生きている場所がこのドームだ。ドームの外へは決して音が漏れ出ず、ガラスの様な壁は強靭で、ナイフくらいでは傷すらつかない。
とはいえ、訓練を積んだ者ならば、声は聞こえずとも、唇の形で内容がわかってしまうという。
なので、このくらいの用心は必要だと思う。
「それではアイ……これで良いか?」
ネイノーシュは背後を気にしつつ、言いにくそうに、私の愛称を口にした。
アイは日記を書く際、私が自分で考えた愛称だ。
世の中のカップルは、お互いを二人だけの愛称で呼び合うらしい。
お忍びで逢瀬を重ねる二人が、実名のままというのは不自然だろうと思い、考えた設定だ。
それにしたって、しっかり日記を読み込んでいるのね。
まったく、感心な事。
「はい、ネノス。ようやく二人っきりに……」
私はドームの外で待機している付き人や護衛達に目をやり、肩を竦めた。
「とはちょっと違うけど、これで思う存分お話ができるわ」
「そうだな。じっくり話したいと思っていたんだ。気兼ねなく話したのは……夏が最後だったかな」
ここからは情報のすり合わせだ。思出話という名の、確認作業をする。
あの日記には日付は入っていない。
内容を考えている時に、そこまで気が回らなかっただけなのだけれど、今となっては、これ程好都合はない。
日記によると、私たちは私が夏に訪れる別荘の森で出会い、毎年逢瀬を重ねて来た事になっている。
この日記のすごい所は、当時の状況を忠実に反映している所にある。
なので、ユーインがいた頃の日記は私が城を抜け出して、ネイノーシュに会っているし、ジージールが護衛に付くようになってからは、夏の別荘のみの逢瀬に限定されている。
ネイノーシュの都合さえ合えば、矛盾が出にくくなっているのだ。
「あの小説をしっかり、読んでいるのね。あなたの好みに合っていたか、ちょっとだけ気になっての」
「そんな事……とても面白かったよ。恋愛小説はあまり読まないから知らなかったけど、面白いのだな。読んでいて切なくなった」
「まあ!本当?勧めたかいがあったわ。嬉しい」
私はカップを手に取り縁に口をつける。口元を隠すためだ。
「所詮は身代わりなのに、頑張るのね」
ネイノーシュが目を見張る。それからハッとして、優しく笑んだ。
ただ、先程までの笑顔よりやや硬く感じるのは、単に私の思い込みかもしれない。
「私ね、あなたの隣に座りたいわ。良いでしょう?」
ネイノーシュは拒否しなかった。自身が座る椅子を私の横に移動させる。
ドームの外が慌ただしくなったが、気にしない。中まで入ってきたなら、問題だったけどね。
私は自身の椅子を、さらにネイノーシュの物に付けて置き、私自身も腕を絡ませ、ネイノーシュに体を密着させた。
「これは……どういう…………」
ネイノーシュは戸惑っているのでしょうね。こんな過剰なスキンシップ、森のでの事を除けば初めてだもの。
戸惑い照れる演技が本物っぽくて、良いわね。
「もしかして、知らなかった? ………………恋人ですもの、このくらい」
前後で声のトーンを変える。伝わるかしら。
「あなたは知らないとばかり…………」
それを聞いて、私は信じられないとばかりにネイノーシュを見上げてしまった。
「まさか……」
まさか、ネノスはすべて知っていて、身代わりをしているというの?
王子といえども所詮は他人。そんな赤の他人の為に、身代わりを了承したと?
体の中心が冷えていく。
私はネイノーシュの頬に手を当てた。頭を傾け髪で口元を隠す。
「可哀そうに……」
ごく自然に、そう呟いていた。無意識に出た言葉は、私自身の心にも沁みこんでいく。そして、ネイノーシュの心にも。
「な、に……どうした?」
「身代わりなんて、あなたを蔑ろにしてる。どうしてあなたが、やらなくてはいけないの?」
ネイノーシュが喉を鳴らし、喉ぼとけが上下する。瞬きを忘れた眼差しが私を凝視し、音にならない呟きを零す。
「わかるわ。あなたの気持ち……辛いわよね。恐ろしいでしょう?慣れない場所で、命の危険と隣り合わせだもの。毎日緊張し続けて、神経がすり減っても、心が休まる間もない」
ネイノーシュの気持ちに寄り添う言葉を紡ぐ。彼の置かれた立場を想像する、私には簡単だった。
私の手ごまになってくれれば良いのだけど。
「だって、肝心の彼が、まったくわかっていないんだもの。守る方は大変だったでしょう?」
訓練場でアートだけが飛んでやって来た時の出来事。
自分がネイノーシュの立場に置かれたら、どれだけ焦っただろう。守るはずの王子が一人で飛び出したのだ。最早焦るという言葉すら生ぬるい。恐ろしかったに違いない。ストレスになっていないはずがない。
案の定、ネイノーシュは瞳を揺らし、視線を落とした。息を呑み、堪える姿に力がこもる。
「それは……」
「あなたは頑張ってる。これ以上ないくらいね」
ネイノーシュの表情が緩み、戸惑いの中に、別の感情が見え始める。
そこで、私は逸る気持ちを抑えきれなかった。
本当なら、私はもっと慎重にならなければいけなかったのだ。それこそ、ネイノーシュの性格を把握し手からの方が、確実だったはずなのだ。
けれど、彼が私と同じ立場にあるという勘違いが、私に勇み足をさせた。
私と彼はよく似た立場にあるけれど、決して同じではなかったのに。
「尊き生まれってだけで甘やかされて……ズルいって、卑怯だって思うわよね?」
「そんな事は……」
「アルテムがいなければ、あなたは好きな事をできた」
ネイノーシュの瞳に光が宿る。
「それは違う……俺は俺の意志でここにいる」
いつもの演技とは違う、きつい物言い。ネイノーシュが私を睨み付けた。
何が彼の琴線に触れてしまったのか、この時は解らなかったが、私は自身の失態を悟っていた。
何とか彼をこちら側に引き込めないか、説得を続けたが、彼は態度を硬くするばかりで、冷めていく一方だ。
「でもアルテムがいなければ、あなたがこんな酷い扱いを受ける事はなかった、でしょ?甘やかされ、大事され、割を食うのはいつもあなたや周りの者達で……憎いでしょう?復讐したいでしょう?」
「……お前に何が分かる」
静かで低い声だった。私はギクリとした。
私がそうした様に、今度は、ネイノーシュが私の顔に迫る。頬に両手を添え、口と口をギリギリまで近づけ、傍目からは、口付けているかのように見えた事だろう。
周囲が静かに衝撃を受けている時、私も別の意味で衝撃を受けていた。
「誰が何と言おうと、アートは俺の可愛い弟だ。俺の弟に何かあったら許さない」
「赤の他人よ……どうなってもかまわないじゃない」
この時の私は、何故か涙が出そうで、堪えるので必死だったように思える。手と腕で隠れているのを良い事に、演技するのも忘れ、歯を食いしばる。
そんな私を見て、ネイノーシュが何を思ったのか。フンと鼻で笑った。
「兄弟ってのは助け合って守り合うもんなんだよ。所詮、お前には解らないだろうけどな」
言われた瞬間、私はカッとなり、弾けるように立ち上がった。
「お生憎様ね。精々、可愛い弟を守ってごらんなさいな。優しいお兄様?」
口元を隠すのも忘れ、怖い顔で睨み付けるネイノーシュに、そう言い放った。
お茶を一口飲み、私は言った。
城内の私のお庭、中央に設けられたドームの中で。
私とネイノーシュは二人っきりで、テーブルを挟んで向き合っている。
今、二人っきりと言ったけれど、ドームの外には、お互いの付き人や護衛の兵士が、それぞれの背後に控えているのだから、厳密にいえば違う。
更には、そのドームの壁は透明で、私たちを隠す物は、何一つない。
ネイノーシュの背中越しに、彼の視線が刺さる。それは痛い程に。
彼の瞳に映る憂いはますます色濃く、私も苦しくなる。
私はテーブルの下、膝の上で拳を握り、もう片方の手で震える拳を隠した。
どうしたって彼の方を見てしまいそうになるのだ。ピントの合わない意識を、懸命にネイノーシュに合わせた。
「この前、渡しした物。アレはどうだった?」
私ははっきりとした物言いを避けた。
私がネイノーシュに渡した物など、一つだけだ。もちろん彼も解っている。
ネイノーシュがニコッと微笑む。
「大変興味深い小説でした。姫は普段あのような本を読まれるのですね」
へぇ……そういう、設定にしたのね。確かに、すべて創作なのだから、小説とも言えるかもね。
「ここでの会話は外には漏れ出ないわよ。いつも通りに呼んでくれないと、寂しいわ」
庭全体に張られた結界のため、基本的に、この庭では魔法が使えない。
唯一、魔法が生きている場所がこのドームだ。ドームの外へは決して音が漏れ出ず、ガラスの様な壁は強靭で、ナイフくらいでは傷すらつかない。
とはいえ、訓練を積んだ者ならば、声は聞こえずとも、唇の形で内容がわかってしまうという。
なので、このくらいの用心は必要だと思う。
「それではアイ……これで良いか?」
ネイノーシュは背後を気にしつつ、言いにくそうに、私の愛称を口にした。
アイは日記を書く際、私が自分で考えた愛称だ。
世の中のカップルは、お互いを二人だけの愛称で呼び合うらしい。
お忍びで逢瀬を重ねる二人が、実名のままというのは不自然だろうと思い、考えた設定だ。
それにしたって、しっかり日記を読み込んでいるのね。
まったく、感心な事。
「はい、ネノス。ようやく二人っきりに……」
私はドームの外で待機している付き人や護衛達に目をやり、肩を竦めた。
「とはちょっと違うけど、これで思う存分お話ができるわ」
「そうだな。じっくり話したいと思っていたんだ。気兼ねなく話したのは……夏が最後だったかな」
ここからは情報のすり合わせだ。思出話という名の、確認作業をする。
あの日記には日付は入っていない。
内容を考えている時に、そこまで気が回らなかっただけなのだけれど、今となっては、これ程好都合はない。
日記によると、私たちは私が夏に訪れる別荘の森で出会い、毎年逢瀬を重ねて来た事になっている。
この日記のすごい所は、当時の状況を忠実に反映している所にある。
なので、ユーインがいた頃の日記は私が城を抜け出して、ネイノーシュに会っているし、ジージールが護衛に付くようになってからは、夏の別荘のみの逢瀬に限定されている。
ネイノーシュの都合さえ合えば、矛盾が出にくくなっているのだ。
「あの小説をしっかり、読んでいるのね。あなたの好みに合っていたか、ちょっとだけ気になっての」
「そんな事……とても面白かったよ。恋愛小説はあまり読まないから知らなかったけど、面白いのだな。読んでいて切なくなった」
「まあ!本当?勧めたかいがあったわ。嬉しい」
私はカップを手に取り縁に口をつける。口元を隠すためだ。
「所詮は身代わりなのに、頑張るのね」
ネイノーシュが目を見張る。それからハッとして、優しく笑んだ。
ただ、先程までの笑顔よりやや硬く感じるのは、単に私の思い込みかもしれない。
「私ね、あなたの隣に座りたいわ。良いでしょう?」
ネイノーシュは拒否しなかった。自身が座る椅子を私の横に移動させる。
ドームの外が慌ただしくなったが、気にしない。中まで入ってきたなら、問題だったけどね。
私は自身の椅子を、さらにネイノーシュの物に付けて置き、私自身も腕を絡ませ、ネイノーシュに体を密着させた。
「これは……どういう…………」
ネイノーシュは戸惑っているのでしょうね。こんな過剰なスキンシップ、森のでの事を除けば初めてだもの。
戸惑い照れる演技が本物っぽくて、良いわね。
「もしかして、知らなかった? ………………恋人ですもの、このくらい」
前後で声のトーンを変える。伝わるかしら。
「あなたは知らないとばかり…………」
それを聞いて、私は信じられないとばかりにネイノーシュを見上げてしまった。
「まさか……」
まさか、ネノスはすべて知っていて、身代わりをしているというの?
王子といえども所詮は他人。そんな赤の他人の為に、身代わりを了承したと?
体の中心が冷えていく。
私はネイノーシュの頬に手を当てた。頭を傾け髪で口元を隠す。
「可哀そうに……」
ごく自然に、そう呟いていた。無意識に出た言葉は、私自身の心にも沁みこんでいく。そして、ネイノーシュの心にも。
「な、に……どうした?」
「身代わりなんて、あなたを蔑ろにしてる。どうしてあなたが、やらなくてはいけないの?」
ネイノーシュが喉を鳴らし、喉ぼとけが上下する。瞬きを忘れた眼差しが私を凝視し、音にならない呟きを零す。
「わかるわ。あなたの気持ち……辛いわよね。恐ろしいでしょう?慣れない場所で、命の危険と隣り合わせだもの。毎日緊張し続けて、神経がすり減っても、心が休まる間もない」
ネイノーシュの気持ちに寄り添う言葉を紡ぐ。彼の置かれた立場を想像する、私には簡単だった。
私の手ごまになってくれれば良いのだけど。
「だって、肝心の彼が、まったくわかっていないんだもの。守る方は大変だったでしょう?」
訓練場でアートだけが飛んでやって来た時の出来事。
自分がネイノーシュの立場に置かれたら、どれだけ焦っただろう。守るはずの王子が一人で飛び出したのだ。最早焦るという言葉すら生ぬるい。恐ろしかったに違いない。ストレスになっていないはずがない。
案の定、ネイノーシュは瞳を揺らし、視線を落とした。息を呑み、堪える姿に力がこもる。
「それは……」
「あなたは頑張ってる。これ以上ないくらいね」
ネイノーシュの表情が緩み、戸惑いの中に、別の感情が見え始める。
そこで、私は逸る気持ちを抑えきれなかった。
本当なら、私はもっと慎重にならなければいけなかったのだ。それこそ、ネイノーシュの性格を把握し手からの方が、確実だったはずなのだ。
けれど、彼が私と同じ立場にあるという勘違いが、私に勇み足をさせた。
私と彼はよく似た立場にあるけれど、決して同じではなかったのに。
「尊き生まれってだけで甘やかされて……ズルいって、卑怯だって思うわよね?」
「そんな事は……」
「アルテムがいなければ、あなたは好きな事をできた」
ネイノーシュの瞳に光が宿る。
「それは違う……俺は俺の意志でここにいる」
いつもの演技とは違う、きつい物言い。ネイノーシュが私を睨み付けた。
何が彼の琴線に触れてしまったのか、この時は解らなかったが、私は自身の失態を悟っていた。
何とか彼をこちら側に引き込めないか、説得を続けたが、彼は態度を硬くするばかりで、冷めていく一方だ。
「でもアルテムがいなければ、あなたがこんな酷い扱いを受ける事はなかった、でしょ?甘やかされ、大事され、割を食うのはいつもあなたや周りの者達で……憎いでしょう?復讐したいでしょう?」
「……お前に何が分かる」
静かで低い声だった。私はギクリとした。
私がそうした様に、今度は、ネイノーシュが私の顔に迫る。頬に両手を添え、口と口をギリギリまで近づけ、傍目からは、口付けているかのように見えた事だろう。
周囲が静かに衝撃を受けている時、私も別の意味で衝撃を受けていた。
「誰が何と言おうと、アートは俺の可愛い弟だ。俺の弟に何かあったら許さない」
「赤の他人よ……どうなってもかまわないじゃない」
この時の私は、何故か涙が出そうで、堪えるので必死だったように思える。手と腕で隠れているのを良い事に、演技するのも忘れ、歯を食いしばる。
そんな私を見て、ネイノーシュが何を思ったのか。フンと鼻で笑った。
「兄弟ってのは助け合って守り合うもんなんだよ。所詮、お前には解らないだろうけどな」
言われた瞬間、私はカッとなり、弾けるように立ち上がった。
「お生憎様ね。精々、可愛い弟を守ってごらんなさいな。優しいお兄様?」
口元を隠すのも忘れ、怖い顔で睨み付けるネイノーシュに、そう言い放った。
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