上 下
38 / 108
第一章~王女の秘密~

26

しおりを挟む
「たった1日会わなかっただけなのに、久しぶりな気がするわね」


 お茶を一口飲み、私は言った。

 城内の私のお庭、中央に設けられたドームの中で。

 私とネイノーシュは二人っきりで、テーブルを挟んで向き合っている。


 今、二人っきりと言ったけれど、ドームの外には、お互いの付き人や護衛の兵士が、それぞれの背後に控えているのだから、厳密にいえば違う。
 更には、そのドームの壁は透明で、私たちを隠す物は、何一つない。

 ネイノーシュの背中越しに、彼の視線が刺さる。それは痛い程に。
 彼の瞳に映る憂いはますます色濃く、私も苦しくなる。

 私はテーブルの下、膝の上で拳を握り、もう片方の手で震える拳を隠した。
 どうしたって彼の方を見てしまいそうになるのだ。ピントの合わない意識を、懸命にネイノーシュに合わせた。


「この前、渡しした物。アレはどうだった?」


 私ははっきりとした物言いを避けた。
 私がネイノーシュに渡した物など、一つだけだ。もちろん彼も解っている。
 ネイノーシュがニコッと微笑む。


「大変興味深い小説でした。姫は普段あのような本を読まれるのですね」


 へぇ……そういう、設定にしたのね。確かに、すべて創作なのだから、小説とも言えるかもね。


「ここでの会話は外には漏れ出ないわよ。いつも通りに呼んでくれないと、寂しいわ」


 庭全体に張られた結界のため、基本的に、この庭では魔法が使えない。

 唯一、魔法が生きている場所がこのドームだ。ドームの外へは決して音が漏れ出ず、ガラスの様な壁は強靭で、ナイフくらいでは傷すらつかない。

 とはいえ、訓練を積んだ者ならば、声は聞こえずとも、唇の形で内容がわかってしまうという。

 なので、このくらいの用心は必要だと思う。


「それではアイ……これで良いか?」


 ネイノーシュは背後を気にしつつ、言いにくそうに、私の愛称を口にした。

 アイは日記を書く際、私が自分で考えた愛称だ。

 世の中のカップルは、お互いを二人だけの愛称で呼び合うらしい。
 お忍びで逢瀬を重ねる二人が、実名のままというのは不自然だろうと思い、考えた設定だ。



 それにしたって、しっかり日記を読み込んでいるのね。

 まったく、感心な事。



「はい、ネノス。ようやく二人っきりに……」


 私はドームの外で待機している付き人や護衛達に目をやり、肩を竦めた。


「とはちょっと違うけど、これで思う存分お話ができるわ」


「そうだな。じっくり話したいと思っていたんだ。気兼ねなく話したのは……夏が最後だったかな」


 ここからは情報のすり合わせだ。思出話という名の、確認作業をする。

 あの日記には日付は入っていない。
 内容を考えている時に、そこまで気が回らなかっただけなのだけれど、今となっては、これ程好都合はない。


 日記によると、私たちは私が夏に訪れる別荘の森で出会い、毎年逢瀬を重ねて来た事になっている。


 この日記のすごい所は、当時の状況を忠実に反映している所にある。
 なので、ユーインがいた頃の日記は私が城を抜け出して、ネイノーシュに会っているし、ジージールが護衛に付くようになってからは、夏の別荘のみの逢瀬に限定されている。

 ネイノーシュの都合さえ合えば、矛盾が出にくくなっているのだ。



「あの小説をしっかり、読んでいるのね。あなたの好みに合っていたか、ちょっとだけ気になっての」


「そんな事……とても面白かったよ。恋愛小説はあまり読まないから知らなかったけど、面白いのだな。読んでいて切なくなった」


「まあ!本当?勧めたかいがあったわ。嬉しい」


 私はカップを手に取り縁に口をつける。口元を隠すためだ。


「所詮は身代わりなのに、頑張るのね」


 ネイノーシュが目を見張る。それからハッとして、優しく笑んだ。

 ただ、先程までの笑顔よりやや硬く感じるのは、単に私の思い込みかもしれない。


「私ね、あなたの隣に座りたいわ。良いでしょう?」


 ネイノーシュは拒否しなかった。自身が座る椅子を私の横に移動させる。

 ドームの外が慌ただしくなったが、気にしない。中まで入ってきたなら、問題だったけどね。


 私は自身の椅子を、さらにネイノーシュの物に付けて置き、私自身も腕を絡ませ、ネイノーシュに体を密着させた。


「これは……どういう…………」


 ネイノーシュは戸惑っているのでしょうね。こんな過剰なスキンシップ、森のでの事を除けば初めてだもの。

 戸惑い照れる演技が本物っぽくて、良いわね。

 

「もしかして、知らなかった? ………………恋人ですもの、このくらい」
 

 前後で声のトーンを変える。伝わるかしら。


「あなたは知らないとばかり…………」


 それを聞いて、私は信じられないとばかりにネイノーシュを見上げてしまった。


「まさか……」


 まさか、ネノスはすべて知っていて、身代わりをしているというの?

 
 王子といえども所詮は他人。そんな赤の他人の為に、身代わりを了承したと?


 体の中心が冷えていく。

 私はネイノーシュの頬に手を当てた。頭を傾け髪で口元を隠す。


「可哀そうに……」


 ごく自然に、そう呟いていた。無意識に出た言葉は、私自身の心にも沁みこんでいく。そして、ネイノーシュの心にも。


「な、に……どうした?」


「身代わりなんて、あなたを蔑ろにしてる。どうしてあなたが、やらなくてはいけないの?」


 ネイノーシュが喉を鳴らし、喉ぼとけが上下する。瞬きを忘れた眼差しが私を凝視し、音にならない呟きを零す。


「わかるわ。あなたの気持ち……辛いわよね。恐ろしいでしょう?慣れない場所で、命の危険と隣り合わせだもの。毎日緊張し続けて、神経がすり減っても、心が休まる間もない」


 ネイノーシュの気持ちに寄り添う言葉を紡ぐ。彼の置かれた立場を想像する、私には簡単だった。


 私の手ごまになってくれれば良いのだけど。


「だって、肝心のが、まったくわかっていないんだもの。守る方は大変だったでしょう?」


 訓練場でアートだけが飛んでやって来た時の出来事。
 自分がネイノーシュの立場に置かれたら、どれだけ焦っただろう。守るはずの王子が一人で飛び出したのだ。最早焦るという言葉すら生ぬるい。恐ろしかったに違いない。ストレスになっていないはずがない。

 案の定、ネイノーシュは瞳を揺らし、視線を落とした。息を呑み、堪える姿に力がこもる。


「それは……」


「あなたは頑張ってる。これ以上ないくらいね」


 ネイノーシュの表情が緩み、戸惑いの中に、別の感情が見え始める。

 そこで、私は逸る気持ちを抑えきれなかった。

 本当なら、私はもっと慎重にならなければいけなかったのだ。それこそ、ネイノーシュの性格を把握し手からの方が、確実だったはずなのだ。


 けれど、彼が私と同じ立場にあるという勘違いが、私に勇み足をさせた。


 私と彼はよく似た立場にあるけれど、決して同じではなかったのに。


「尊き生まれってだけで甘やかされて……ズルいって、卑怯だって思うわよね?」


「そんな事は……」


「アルテムがいなければ、あなたは好きな事をできた」


 ネイノーシュの瞳に光が宿る。


「それは違う……俺は俺の意志でここにいる」


 いつもの演技とは違う、きつい物言い。ネイノーシュが私を睨み付けた。

 何が彼の琴線に触れてしまったのか、この時は解らなかったが、私は自身の失態を悟っていた。


 何とか彼をこちら側に引き込めないか、説得を続けたが、彼は態度を硬くするばかりで、冷めていく一方だ。


「でもアルテムがいなければ、あなたがこんな酷い扱いを受ける事はなかった、でしょ?甘やかされ、大事され、割を食うのはいつもあなたや周りの者達で……憎いでしょう?復讐したいでしょう?」


「……お前に何が分かる」


 静かで低い声だった。私はギクリとした。


 私がそうした様に、今度は、ネイノーシュが私の顔に迫る。頬に両手を添え、口と口をギリギリまで近づけ、傍目からは、口付けているかのように見えた事だろう。

 周囲が静かに衝撃を受けている時、私も別の意味で衝撃を受けていた。



「誰が何と言おうと、アートは俺の可愛い弟だ。俺の弟に何かあったら許さない」


「赤の他人よ……どうなってもかまわないじゃない」


 この時の私は、何故か涙が出そうで、堪えるので必死だったように思える。手と腕で隠れているのを良い事に、演技するのも忘れ、歯を食いしばる。

 そんな私を見て、ネイノーシュが何を思ったのか。フンと鼻で笑った。


「兄弟ってのは助け合って守り合うもんなんだよ。


 言われた瞬間、私はカッとなり、弾けるように立ち上がった。


「お生憎様ね。精々、可愛い弟を守ってごらんなさいな。優しいお兄様?」


 口元を隠すのも忘れ、怖い顔で睨み付けるネイノーシュに、そう言い放った。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

地味に見せてる眼鏡魔道具令嬢は王子の溺愛に気付かない

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,414pt お気に入り:262

俺が、恋人だから

BL / 完結 24h.ポイント:532pt お気に入り:23

首筋に 歪な、苦い噛み痕

BL / 連載中 24h.ポイント:611pt お気に入り:18

夏の終わりに、きみを見失って

BL / 連載中 24h.ポイント:184pt お気に入り:3

最低なふたり

BL / 完結 24h.ポイント:569pt お気に入り:25

侯爵令嬢の恋わずらいは堅物騎士様を惑わせる

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:194

天才中学生高過ぎる知力で理不尽をぶっ飛ばす!

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:115

モラトリアムの俺たちはー

BL / 連載中 24h.ポイント:491pt お気に入り:22

錬金術師が不遇なのってお前らだけの常識じゃん。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:1,934

処理中です...