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第二章~自由の先で始める当て馬生活~
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しおりを挟む「私は近衛第一連隊所属マンナ・バニールが末子、アイ・バニールである。怪我人がおり、治療を望んでいる」
怯えさせないように、声は努めて柔らかく、大きすぎず小さすぎず。
マンナの名前を出したのは、今でもマンナはこの国のヒーローなので、警戒心が解けるかなって思って。
マンナとカクの事は、王国の両翼っていう絵本にもなってるの。私も持っているわ。
今はタンスの隠し引き出しの中にしまってあるの。いつか取りに行けると良いのだけれど。
とまぁ、呼びかけたけれど、本当のところ返事なんて期待していなかった。
だって、ここにいるのは魔獣と戦えず逃げてきた人たち。爆発音から遠ざかっているはずだもの。
扉の側に誰もいないと思っていた。きっとこのくらいの声では聞こえないと思っていた。
けれど、予想に反して、すぐに返事が帰ってきた時は、割と、驚いた。本当に。色々と。
「魔獣は?」
一瞬大きくなったざわめきの中、聞こえてきた女の人の声は震えていた。
「入ってきていない」
「そんなはずないわ!?外は魔獣だらけよ!?集まってきてるじゃない!!」
女の人のまるで悲痛な叫びは、闘技場中に響いんじゃないかしら。
扉の向こう側はもちろん、エントランスで待っている人達も、いっそう大きくなるざわめきに悲鳴が混じるのを聞いて、私は溜息を吐いた。
随分と余計な事を言うのね。
「私が壁に穴を開けた。怪我人がいてすぐに治療しないと危険な状況だった。壁はすぐに修復したし、結界も張り直しましたので、魔獣は侵入できない」
「…………」
扉の前に陣取っているのは、魔獣に怯えた、随分と矮小な人物の様な印象を受ける。
「魔獣の声も聞こえてこない。静かだ。分かるはずだ」
「た、確かに…………では、開け、ます」
聞こえてすぐに、扉が開かれた。
━━ギッ……ギィィ……━━
同時に耳が痛い程の悲鳴と、暗闇に慣れ始めた目にはきつい程の光が飛び込んてくる。私は眩しさから目を細めた。
中は闘技場にふさわしく広くて、中央の舞台を上から見下ろす形で、客席に取り囲まれている。
その中央では、ドアから遠ざかり遠巻きにこちらの様子を伺う人々が身を寄せ合っている。
こちらは私の予想通り。悲鳴は想像以上。
けれど、肝心の人物がいない。
さっきの声の主はどこかしら?
「あの、怪我人というのは?」
「!?」
いつの間にか戸板の側に女の人が立っていた。
誰もいないと思っていたところに声をかけられてしまったものだから、ほとんど条件反射というものよね。
私は手に握った棒を振り上げようとした。
「……っく」
踏みとどまれたのは、見覚えのある人物だったから。
ちゃんと気付けて良かったわ。もう少しでやってしまうところだったもの。
「どうかした? 怪我人はどちら?」
この人、さっき道でアンケート取ってたお姉さん……よね?
試供品のお茶をくれた。確か鞄の中に入れたかしら。
「あ……そうだったな。すぐに連れて来る」
あまりよろしくない状況にならずに済んで、私はバクバクする心臓を撫でおろしながら、アートを呼んだ。
アートを担いだ人と他の怪我人が数名すぐにやって来た。
「さあ、こちらです」
アンケートのお姉さんの案内で、アートを広場を挟んで反対側の扉の向こうに連れて行く。
闘技場の舞台で固まっていた人たちが、割れて道を開けていく。皆が一様に怯えと警戒を滲ませて私たちを見ている。
まさか、本当に私たちが魔獣を闘技場に引き込んだって思っているのかしら。
もしかすると、静かなのが逆にいけないのかもしれないわね。外で何が起きてるかなんて理解できないもの。私たちがどうやって逃げ込んできたかなんて、知りようがないのよね。
知らないから、簡単に騙されるんだわ。
この人達にとっては、私は本当にマンナの娘なのよ。それはちょっと……いいえ、結構良いわね。
案内された部屋では、たまたま居合わせた、医療に携わる魔法師たちによって治療が行われていた。さながら野戦病院のようね、と思った。
と言っても、私、本物の野戦病院なんて知らないし、きっとこれからも知る機会なんてない。マンナとカクから聞いただけなので、あくまでも私の想像でしかない。
けれど、血の臭いと、床に直接寝かされている怪我人たち。
魔法師たちの間で交わされる緊迫したやり取りと、薄暗い廊下の奥へ置き去りにされた、もはや自力で動き出すのは不可能な人達。
彼らの発する声が、呪文なのか、指示なのか、要請なのか、呻き声なのかすら判別が困難で、私の知る病院よりもずっと汚くて、煩くて、命を身近に感じ取れた。
「あなたは外で待機!あなたも外へ!あなたは……そちらの方の隣へ連れて行って!」
治療をしていた魔法師の一人が、新しくやって来た怪我人たちを割り振っていく。
私はドキドキしながら、部屋の外へ、壁越しに視線をやった。薄暗い廊下の際奥に置き去りにされた人達へ。
意識はなく、土気色した顔にいつ止まってもおかしくない弱弱しい呼吸のアート。あの兄上が、焦るくらいだもの。かなり悪いんだわ。
もしも、この人がアートをあの薄暗い廊下に連れていくなら。そう考えてしまって、ついついただ、懸命に治療に当たっている魔法師を睨んでしまう。
本当に私ってばいけないわね。威圧を与えるなんて、淑女のやり方ではないわ。
けれど、そうね。もしもアートがあそこへ連れていかれそうになったら、その時は彼らを脅して無理やり治療させても良いわ。
そうでなければ別の人を探すわ。いなければ、外を突っ切って、町の病院へ行くわ。
私はとても怖かった。アートがいなくなるなんて想像もできなかったので、怖くて、怖くて。本当なら名前を呼んで、彼に縋りたかった。
けれど、私は目を伏せて、静かに深呼吸する。
私は怪我人一人一人に目を配り、アートに意識を集中しないように努めた。公平に見える様に。
「そっちの彼はここへ寝かせて!」
初めに呼んだアートは最後に部屋に入って来て、そのまま部屋の中に置かれた時は、廊下の奥に押しやられないというだけで、安心した。
少なくとも早めに治療してもらえそうじゃない。
無事アートを魔法士たちに引き渡した後、私はアンケートのお姉さんに声をかけた。
お父様がお仕事でする様に目を逸らさず、けれど、お母様の様ににこやかに。
「私を覚えていないか?久しぶりだな。シンディア・レヴィンシュだろ?」
「いいえ、人違いでしょう」
親切なお姉さんことシンディアは、首を横に振った。けれど、私が具体的な名前を出した瞬間、シンディアの表情が崩れ警戒を露わにした。
ほんの瞬きをするくらいの刹那、わずかに目を見張り、口角が下がったのを私はちゃんと見ていた。
確信がより深くなって、私は思わずニッコリ笑顔になってしまう。
やっぱり、今度の侍女はアタリだったわね。
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