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 長い夢を見ていたような感覚にけだるさを覚えて体を起こすと、アリアナは一瞬見覚えのない部屋に驚いたが、すぐに両親が処刑されて自分だけ逃げてきたのだと思い出した。
(まだ、町に近すぎる。早く出発してどこか遠くに逃げなきゃ)
 アリアナは慣れない手つきで荷物をまとめて背負うと、店主に礼を言って宿を出た。夜露交じりの潮の香りがする空気を肺いっぱいに吸い込むと、港の方へ歩き出す。
 港までの道のりはそう遠いものではないが、長距離の歩きに慣れていないせいでできてしまった靴擦れのせいでノロノロとしたものになり、港に着く頃にはまぶしい朝日が海面を綺麗に照らしていた。
 アリアナは近くにあったベンチに腰を下ろし、波の音を聞きながらキラキラと輝く海を眺めた。
「父さん…母さん…綺麗だね」
 この美しい景色を目に焼き付けたいのに、この景色を両親と見ることが出来なかった悲しみで視界がゆがんでしまう。何度も涙をぬぐうも、一度あふれた涙はとどまることを知らずに流れ続け、服の袖を濡らした。
「あら、こんな朝っぱらから泣きじゃくる女がいるわ。嫌ね、泣けば解決すると勘違いしている女以上に嫌いなものはないわ。それ以上泣くようなら、私が叩き切ってあげましょうか」
「ロゼ、見境なく絡むな。この町では穏便に過ごすと約束しただろう」
 突如アリアナの目の前に、スタイルが良く威風堂々とした女性と、バンダナで鉢巻きをしている短髪の男性が現れた。あまりにも唐突なことにアリアナの涙も止まり、キョトンと女性を見上げた。
「驚かせてすまない。ロゼは女嫌いなんだ」
「は、はぁ…」
「ほらロゼ、さっさと行くぞ」
 男性は抜刀しそうだった女性を制止して謝罪し、グイッと女性の腕を引くが、女性はなぜか微動だにせずアリアナの顔を見つめていた。
「ロゼ…」
「ネオ。どうやら私、この子は好きみたい。可愛い」
 困り果てたように名を呼ぶと、女性はようやく口を開き満面の笑みを浮かべて男性を見つめた。
「そうか、それは良かった。……まさか、連れて行くなんて言うんじゃないだろうな?」
「そのまさかよ。何か文句ある?」
「文句はないが、問題は大ありだ。また人さらいみたいなことをするつもりか」
 腰に手を当てて問題などないだろうと言わんばかりの表情を浮かべる女性に、男性は大きなため息をついて思いとどまるようにたしなめた。しかし、女性はその言葉に対してフンッと鼻で笑い、勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。
「何を言っているの? 私は海賊よ。欲しいものは何であろうと手に入れるわ。私は欲望に忠実なの。欲しいものを我慢するなんて、できないわ」
 そう言うや、女性はひょいっとアリアナを抱き上げ、その綺麗な顔に満足そうな笑顔を浮かべて「ということだから、よろしくね」と額にキスをした。
「えっ、ちょっ、私のことを連れて行くんですか⁉ …まあ、この地から離れる予定でしたが…」
「あら、そうだったの? なら丁度よかった上に、何の問題もないわね」
 少女を抱いてスキップでもしそうな勢いで足取り軽く港を歩く姿は、人通りがまだ少ないとはいえ注目の的である。アリアナは恥ずかしそうに身を縮こまらせ、女性の肩に顔をうずめた。
「あら、恥ずかしいの? もう少しで私の船に着くから我慢してね」
 愛しそうに目を細めて縮こまるアリアナを見る様子に、バンダナを巻いている男性は無邪気な子供を見るような眼差しで女性を見つめていた。
「さ、着いたわよ。今日から貴女の家になる船。アルタイル号。アルタイル海賊団へようこそ、お嬢さん」
「歓迎するぜ」
 その声に導かれるように顔を上げると、目の前に巨大な帆船が目に飛び込んできて、アリアナはその大きさと芸術的とも言える装飾にほぅと感嘆のため息を吐いた。

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