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 アリアナの目に真っ先に入ってきたのは帆船の先端である。アルタイル号のシンボルである船首像には女神の彫刻が施され、船全体の雰囲気を上品にまとめていた。しかしそんな上品な船体とは裏腹に、マストの先には骸骨を持った鷹の海賊旗が掲げられており、この船は海賊船なのだと主張していた。
「とても大きな船ですね。あと、とても綺麗」
「ふふ、自慢の船を褒めてくれて嬉しいわ」
「あ、船長お帰りなさい! 今桟橋を渡しますね!」
 洗濯物の入ったカゴを抱えていた少年が、笑顔で出迎えてその辺にカゴを置くと、すぐに桟橋を下ろす作業に取り掛かった。
「うおっ、おいテト! その辺に洗濯物を置くんじゃねぇ! 危うく蹴っ飛ばすところだっただろうが」
「うわ、酒クサ! ジャンさん、また朝まで飲んでいたんですか? だから足元がおぼつかないんですよ」
 少年はテキパキと作業をしながら遠慮なく言い返し、言い返された鮮やかな赤い髪の青年は「あぁ⁉」と簡単に怒りをあらわにした。
「ジャン、酔っ払ってテトに突っかかる暇があるなら、洗濯物を干してきなさい」
「チッ。ロゼの命令じゃなかったらこんなことしねぇよ」
 今にも掴みかかろうとしていたが、女性の言葉に不承不承といった様子だがしっかりと従い、洗濯物を干し始めた。そうしているうちに桟橋がかけられ、アリアナはロゼに抱かれたまま乗船し、甲板に着いてからアリアナはようやく下ろされた。
「あれ? 船長が抱えていた子って女の子だったんですね」
 桟橋を片付ける作業を始めた少年が、物珍しそうに甲板を見るアリアナを見て驚いた様子で女性に声をかけると、女性は満足そうな笑顔で「可愛い子でしょ?」と返した。
「そういえば、名前を聞いていなかったわね。名前はなんて言うのかしら?」
「あ、私はアリアナ・ロステルです。これからよろしくお願いします…えっと、船長?」
「フフ、ロゼでいいわ。私はロゼ・イーガン。この船の船長で、この船に乗ったからには私の命令にはどんな命令でも絶対に従ってもらうわ。いいわね」
「どんな命令でも…」
 絶対的女王の風格を醸し出しながら笑顔でそう言うロゼに、アリアナは尻込みして表情硬く言葉を繰り返すと、ロゼはそんなアリアナの頬を優しく撫でた。
「そうよ、どんな命令でも。例えば…あぁ、ネオ。今この場で脱いで」
「はぁ…お前なぁ、初対面の女がいるのにそんな命令をするか?」
 笑顔で不必要な命令をするロゼに、バンダナを頭に巻いている男性はロゼに苦言を呈しつつも、シャツのボタンをすでに外し始めておりすぐに上半身裸になった。
「これで満足か?」
「下も脱いで…と言いたいところだけど、アリアナには刺激が強そうだから止めておくわ。今日も素敵よ、ネオ。愛してる」
「あぁ、俺も…誰よりもロゼを愛してる」
 厚い胸板にそっと手を添えて愛を囁くロゼに、バンダナを巻いている男性も愛しさをその瞳に宿して愛を囁き、口づけを落とした。
「ひゃー」
 アリアナは赤面させて小さく悲鳴を上げながら思わず手で顔を覆うと、その様子を見ていた少年がクスクスと笑いながら「可愛いね」と声をかけた。
「あれくらいの事で恥ずかしがっていたら、この船で生活していくのは大変だよ。キスなんて挨拶みたいなものだからね。えっと、アリアナちゃんだっけ? 僕の名前はテト・ニーゼン。船長の第八の騎士。僕もまだ海賊になって一年くらいだから新人同士仲良くしようね」
 テトは自己紹介をすると顔を覆っていた手を片方取り、指先に軽くキスをするといたずらっぽく笑った。
 アルタイル海賊団は容姿の整ったイケメンぞろいであるため、彼らが笑えば大抵の女性は赤面させる破壊力を持っている。アリアナもまた、箱入りとして大切に育てられてきたため男性に免疫はなく、柔らかな唇が触れた指先が熱くなった。
「あら、テト。私の可愛い子にもう手を出そうとしているの?」
「誤解ですよ、船長。挨拶をしただけですって」
 パッと手を離し、へらへらと笑うテトにロゼは「まったく」とため息を吐いてアリアナを抱き寄せた。そして、服を脱ぐよう命令した男性の方を向かせる。
「アリアナ、この男は私の第一の騎士、ネオ・アヴィア。もし気に入った男がいれば手を出してもいいけど、この男だけはダメよ。もし、ネオに手を出そうとしたらすぐに海の藻屑にしてあげるから」
 今まで高い声で話していたが、途端に声のトーンが低くなり、本気であることがありありと伝わってくる凄みを持たせるロゼに、アリアナはコクコクと首を縦に振り理解を示した。
「いい子ね」
「おい、ロゼ。これから仲間になるのにそんなに脅してやるなよ。そもそも、俺がお前以外に目を向けるわけねぇだろ」
「それは分かっているわよ。でも、牽制しておかないと私が心配なのよ。ネオは誰にでも優しいから、惚れられちゃうかもしれないでしょう?」
 服を着ながらたしなめるネオだが、ロゼはむくれた表情ですかさず言い返した。アリアナはそんな二人の様子を見て、牽制などしなくてもこれだけ仲がいい様子を見せつければ手を出そうなんて思えないのでは。と思考した。

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