上 下
43 / 68
第一章

蜂蜜よりも甘いもの… 10

しおりを挟む
「……え?」

「……っ、いって~……!」

 ここでレイヴンが顔を上げたことと、隣の大男からうめき声が上がったことは、ほぼ同時だった。

「お? 気づくの早いな」

 シンは視線を横に流すと、どこか感心した口振りでマキトに言った。

 マキトは両手をベッドにつき、頭を豪快に左右に振った。そしてレイヴンが見知らぬ男に抱かれていることを目にするや否や、カッと両目を見開き、鬼の形相で二人を睨みつける。

「なんだ……このっ……レイヴン~! お前……自分の罪から逃げて余所の男と寝てたのか! 許さんっ……許さんぞおお!!」

 血走る眼は、もう何を言っても届きはしない。レイヴンは涙を引っ込めると、シンを庇うように前に出た。

「シンさんっ! 逃げてくださいっ!」

「死ねや、このクズ共おおお!!」

 そして大きな拳が、レイヴン、シンの二人に向かって勢いよく振り下ろされた。

 ああ、死ぬ。刹那、レイヴンはそう覚悟した。

「ぐああっ!」

 だが、痛苦を伴う叫換が上がったのは、自分達の方ではなかった。

 瞼を閉じる間もなくそれは行われたはずなのに、レイヴンには何が起こったのかがわからなかった。

 気づいたら、目の前でマキトが両足をバタバタと浮かせていた。何かが顔に覆い被さり、そこから垣間見える苦悶の表情は、必死になって何かを両手で掴んでいる。

 対してシンは、どこにそんな力があるのか、地に両足を着けて、マキトの顔を握りつぶさんとばかりに片手の平で掴み、それを高く持ち上げていた。まるで野兎でも狩って、遠くにいる相手へ知らせるように持ち上げるのと同じ光景だ。マキトが掴むもの、それはシンの屈強な腕だったのだ。

 軽々と行われるそれは、夢でも見ているのではないかと、レイヴンは自身の目を疑ったほどだ。

 しかしシンの声音は大層低く、同時に凍てつくような空気を纏う、冷淡なものだった。

「お前、何と言った?」

「う、ぐうううっ……!」

「死ねと言ったのか? このオレに」

「ぎゃああっ!!」

 ベッドに尻を乗せているレイヴンからは、シンの表情が見えないが、その声には明らかに怒気がこもっている。大男のマキトを持ち上げるだけでも大した怪力だというのに、シンはマキトの顔を掴む手にさらに力を込めた。ミシミシと骨が軋む音が、悲痛な叫び声にも掻き消されることなく、小屋の中で響いた。

 わなわなと震えて声も出ないレイヴンは、開いて閉じない口を両手で抑えるのが精一杯で、その残酷な光景をただ見つめるしかなかった。

 わからないのは、シンがこれほどまでの憤りを見せる理由だった。マキトが自分共々殴りかからんとしたことは、確かに許せるものではないだろうが、この怒りはそれだけに留まらない気がしてならなかった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

天使志望の麻衣ちゃん

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:134pt お気に入り:1

ある国の王の後悔

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,881pt お気に入り:98

わたしたち、いまさら恋ができますか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,131pt お気に入り:379

夢見るシンデレラストーリー

BL / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:696

石女と呼ばれますが......

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,644pt お気に入り:45

平凡少年とダンジョン旅

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:120pt お気に入り:1

離婚してくださいませ。旦那様。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:674pt お気に入り:84

王子殿下の慕う人

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,391pt お気に入り:5,371

婚約者から愛妾になりました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,585pt お気に入り:934

処理中です...