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本編

第二十六話 王都にて②

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 来た時の経路を覚えているのか、案内もなくしっかりとした足取りで歩いていくクロムの背中を追って歩いていく。とはいえ、引かれるように繋がれた手はそのまま離されることはなかったけれど。
「……クロム……」
「……そんな表情かおをしなくても大丈夫です。なんとかしますから」
 どう声をかけたらいいのか、不安定に瞳を揺らめかせるアリーチェへ、歩む速度を落としたクロムが申し訳なさそうに苦笑した。
「なんとか、って……」
 呪いが解けないことで一番の被害を被るのはアリーチェだ。にも関わらず、つい「焦らなくていい」「無理しなくていい」と声をかけたくなるのはなぜなのか。
「……その……」
 そうしてなにを言おうとしたのか、アリーチェがおずおずと口を開きかけた時。
「アリーチェ!」
 背後からかけられた聞き覚えのあるその声に、アリーチェはぎくりと動きを止めていた。
「…………」
 クロムと手を繋いだまま、覚悟を決めてゆっくりと振り返る。
 するとそこには、アリーチェの想像通りの人物が穏やかな微笑みを浮かべながらこちらに向かって歩いてくる姿があった。
「……ハインツ……、さま……」
 その瞬間、握られた手にぎゅ、と力が込められた感覚がしたのは気のせいか。
「会えてよかった。君が来ていると聞いたものだから」
 きらびやかな装束に身を包み、アリーチェの数歩先で足を止めた人物は、婚約解消をしたあの時以来一切連絡を取ることのなかったこの国の王太子、ハインツだ。
「心配していたんだ。元気そうでよかった」
 ハインツはにこやかな笑みを浮かべ、一歩、アリーチェへと近づいた。
 だが。
「クロム……?」
 す……、と。アリーチェとハインツの間に割って入ってきた背中に、アリーチェは不思議そうな目を向ける。
「君は……」
「クロム・スピアーズと申します」
 ハインツはしげしげと訝しげにクロムを見つめ、クロムはそれを淡々と受け入れて名を名乗る。
「! 君があの有名な!」
 ハインツが目を見張って驚くくらいには、クロムは有名人らしい。
 クロムの功績を改めて思い知らされ、アリーチェが心の中で感心する中、ハインツは爽やかな笑顔でクロムへ対峙した。
「アリーチェの解呪のために尽力してくれているとは聞いている。わたしからも礼を言わせてくれ」
 アリーチェの呪いに関しては、研究施設に留まることになった時点で実家に連絡を入れている。となればアリーチェの父親が国王にその旨をすぐに報告することは必須だろうから、ハインツがクロムのことを知っていても不思議はない。
 とはいえ、アリーチェにかけられた呪いは、元々ハインツとイザベラの策略だ。全てわかっていて素知らぬ顔をしているだけだろう。
「御礼はいいので、お父上を説得してもらえませんか?」
 そんなことはクロムも重々理解しているに違いない。まるでアリーチェの身内・・のような振る舞いで礼を口にしたハインツへ、クロムは警戒の色を滲ませる。
 斜め後ろから見えるその顔が、どこか苛立たしげに感じるのはアリーチェの気のせいだろうか。
「なにをだ?」
「古代遺跡の立ち入り許可を求めているのですが渋られまして」
「……それは……」
 もし協力の意思があるのならというクロムの求めに、ハインツは王太子の立場で国王の決定を覆すことは難しいと表情を曇らせる。
 もっとも、ハインツにとって、アリーチェの解呪はどうでもいいことなのだろうけれど。
「そうですか」
 あっさりと頷いてみせたクロムは、もうハインツから興味を失ったようだった。
「でしたら仕方がないです。……では」
 早々に見切りをつけ、クロムは「行きましょうか」とアリーチェを促してくる。
 だが。
「アリーチェ!」
 頭を下げ、立ち去ろうとしたアリーチェを、ハインツが慌てた様子で引き止めてきた。
「あの時も言ったが、わたしは君の解呪を待って……、っ」
 どの口がそれを言うのだろう。そう思いかけたアリーチェだが、言葉半ばで息を呑んだハインツに、すぐ隣から漂う鋭い気配を感じて咄嗟にクロムの方へと振り返る。
「……クロム?」
「いえ」
 今の感覚はなんだったのだろうか。
 アリーチェに目を向けたクロムはいつも通りの淡々とした表情で、アリーチェは心の中で首を傾けた。
「一刻も早いアリーチェさんの解呪を望むなら、どうぞお父上を説得してください」
 再度同じ言葉をハインツへ向け、クロムはちらりと目だけで「行きましょう」と告げてくる。
「クロ……」
「話はそれからです」
 半ば強制的にアリーチェの手を引いて、クロムはハインツへちらりと視線を投げる。
「待……っ」
「失礼します」
 ある意味不敬とも取れる態度でハインツに背中を向けたクロムは、アリーチェを連れて振り返ることもなくその場を後にした。




 なんとなく。本当になんとなくだけれど、その背中が不機嫌そうなのは気のせいか。
 けれど、繋がれたままの手は優しくて。無言の背中に、アリーチェはおずおずと声をかける。
「……あの……、クロム……?」
 と、クロムの足がぴたりと止まった。
「すみませんでした」
「え?」
「ちょっと、感情的な態度になりました」
 心なし顔を顰めつつ謝罪され、アリーチェはぱちばちと瞳を瞬かせる。
「……えぇ、と……?」
 確かに、先ほどのクロムの態度は少しクロムらしくなかった……、とは思う。それは、なぜだろう。
 とはいえそれは、アリーチェに向けられたものではなくて。
「今後は気をつけます」
 繋いだままの手に、自然ときゅ、と力がこもる。
「大丈夫……、よ?」
 よくわからないまま、慰めるように声をかける。落ち込んだ子供を励ます時は、こんな感じだろうか。
「……あの、王太子。まだアリーチェさんのこと……」
 どことなく言いにくそうに口を開いたクロムが、ちら、とアリーチェの顔を窺った時。
「! アリーチェ様!?」
 廊下に響いた高い女の声に、アリーチェはびくりと肩を震わせた。
「っ」
 次から次へと、今日は厄日だろうか。
 赤を基調とした黒のレースと白いフリルのドレスは、恐らく自分の魅力を最大限に引き出す色合いだとわかっていて選んでいるに違いない。
 女のアリーチェの目から見ても間違いなく美しい、華やかな魅力溢れるその女性は。
「イザベラ、さま……」
 ハインツと会っていたのだろうか。それともこれから会うのだろうか。
 どちらにせよ、普通の令嬢であればそうそう王宮に足を運ぶ機会などないから、アリーチェが知らないだけですでにイザベラの存在は黙認でもされている状態なのだろうか。
「まさかこんなところでお会いするなんて思わなくて……。今日は殿下の元へ?」
 驚いたような様子を見せつつにこりと微笑んでくるイザベラは、白々しいにもほどがある。
 これはなんとなくの勘にすぎないが、恐らくアリーチェが登城していることを知っていて、わざと顔を出したように思えてならなかった。
 身分の上ではアリーチェの方が勝るにも関わらず、威風堂々としたその姿は、王太子の寵愛を我が物にしている自信から来ているに違いない。
「……いえ……」
 婚約解消をされた身の上で、ハインツに会う理由などどこにもない。先ほど会ってしまったことは想定外の出来事で、アリーチェにはなんの責もない。
 だからそっと否定すれば、そこにはすでにアリーチェから関心を失ったらしきイザベラが、きょとん、とアリーチェの隣を見つめていた。
「……あら? そちらは……」
 繋がっている二人の手元へちらりと視線を投げ、特に気にするふうでもなくまじまじとクロムの顔を観察して数秒後。
「! クロム様!?」
「え……」
 嬉しそうに華やいだ笑顔に、アリーチェはもちろん、クロムも驚いて時を止める。
「古代魔道具研究で名高いクロム様ですよね!?」
 確かにクロムはその界隈では知らない者などいないほどの超有名人だ。だが、それとは無関係な一般人まではどうかと言われれば、知っている人は知っている、という程度だろうか。だから、まさか、イザベラのような“絵に描いたようなお嬢様”がクロムのことを知っているとは到底思えなかったのだけれども。
「私、大ファンなんです……!」
「――っ!?」
 想像だにしていなかったイザベラの答えに、アリーチェは目を見開いて絶句した。
 普通の貴族のご令嬢が古代魔道具に興味があるなどということはまずありえない。
 が、そこで思い出す。
(っそうよ……!)
 アリーチェに呪いの首飾りを贈ってきたのはハインツだが、そもそもそれを用意したのは誰だったか。
 どんなコネクションを持っているのかは知らないが、普通は手に入るはずのない古代魔道具を手に入れられるくらいなのだ。ある程度の知識を持ってると仮定したならば、クロムのことはむしろ知っていて当然なのかもしれなかった。
「是非詳しいお話が聞きたいわっ。よろしければ我が家にお招きしてもよろしいかしら?」
 妙に馴れ馴れしい態度でクロムに擦り寄るイザベラの姿に、なぜかむかむかとした思いが湧いてくる。だが、その苛立ちの理由はよくわからなくて、さらに苛々した気持ちが募っていく。
「いえ、それは……、って、アリーチェさん!?」
 手を離し、くるりと二人へ背を向ける。
「私は先に戻っているから。クロムは後からご自由にどうぞ」
 驚いたように目を丸くするクロムへちらりと視線を投げたアリーチェは、衝動のままにぷい、と顔を背けると、すたすたと歩いていってしまっていた。
(……クロムのくせに……!)

 ――クロムの魅力なんて、誰にも理解できなくてかまわないのに。




 ༓࿇༓ ༓࿇༓ ༓࿇༓




「ちょ……っ、アリーチェさん……!?」
「アリーチェ様もそう言ってくださっていることですし」
 慌ててアリーチェを追おうとしたクロムの腕を、にこりと微笑んだイザベラが引き寄せた。
 自然すぎるほど自然にするりと自らの腕を絡ませて、イザベラは匂い立つ“女”の薫りを滲ませる。
「……俺に、なんの用ですか」
「あら。素敵な男性に声をかけることに理由がいるのかしら?」
 観念したかのようにクロムが眉を寄せれば、イザベラはころころと可笑しそうな笑みを零す。
「アリーチェ様とはどんなご関係?」
 普通は警備兵の一人や二人が配置されていて当然なはずの廊下には、今、誰もいなかった。
「もしかして、深い関係、だったりするのかしら?」
 赤い唇から零れる言葉はねっとりと絡み付いてくるかのようで、クロムは不快そうな表情かおになる。
「よければ私と……」
 くるり、とドレスの裾が舞い、極々自然にイザベラの腕がクロムの首の後ろへと回された。
 踵を上げたイザベラの唇が、そっとクロムのそれへ近づいて。
「結構です」
 吐息がかかるほどの距離。まさに唇同士が触れ合う寸前に、クロムの冷たい声が響いた。
「……」
「……」
 そのまま決して目を逸らすことなく見つめ合い、クロムの眼鏡の奥にある赤い瞳が鋭く光った。
 クロムの背後に回された腕。完全に背中にあるその手の中を、クロムは決して見ることはできないけれど。
「そのナイフ、なにに使うつもりです?」
 淡々と問いかけられ、イザベラはにこりと笑う。
「いやぁね。なにも持ってなんかいないわよ?」
「……」
 今にも唇が触れそうな至近距離から向けられる微笑みを、クロムの無感動な赤い瞳が見下ろした。
「とにかく、俺は貴女に興味はありませんので」
 そうしてクロムが身を引く気配を見せれば、イザベラは特に抵抗することなく自らも一歩後ろへ下がる。
 クロムの背中から離れた手には、イザベラの主張の通りなにもない。
「だったら、アリーチェ様には?」
 くす、という微笑みには、僅かな悪意が浮かんでいた。
「……彼女には、手を出すな」
 微かな苛立ちを滲ませて、クロムはイザベラから距離を取る。
「……失礼します」
 そうして淡々と向けた挨拶は、いつものクロムとほぼ・・変わらない姿だった。
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