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第17話
しおりを挟むそうして二時間汗を流し、ダークグレーの髪の兄弟らしき世話係に体の汗を拭いたもらいマッサージを受ける。
特に脹脛と二の腕がビリビリとした筋肉痛の痛みを訴え始めていた。
普段のサボりの代償がつらい。
「陛下、今晩」
「お渡りないそうです」
「え? そうなんですか?」
「ご公務」
「お忙しいそうです」
「……そうですか」
二人が左右から交互に報告してくれる。
正直、今日は剣の稽古を久しぶりに頑張り過ぎてしまったので、黒曜帝のお相手は厳しいと感じていた。
それもこれも体力が落ちていたせいだ、と思うと明日も剣の稽古や体力作りに真剣に取り組まねばならないと強く思う。
ツケが回ってきたといえばその通り。
このままなにもせず読書ばかりしていては、黒曜帝のお相手をする度に寝坊するタイプのだめ人間になってしまう。
「ご予定では来月よりしばらく視察で国内を回られるそうですよ」
「!」
香油と新しいお湯。
そして、蒸した布を持ってきた茶髪の世話係。
兄弟らしい二人が香油をヒオリの背中や足、腕に垂らして、さらに揉む。
血行がよくなり、身体中が熱い。
ホカホカとしてきて、珍しく快感よりも眠気が襲ってくる。
しかし、なかなかに聞き捨てならない事を言われた。
黒曜帝が、一ヶ月後に視察で王宮からいなくなる……。
「国内の視察という事は……」
「はい。少なくとも半年はお戻りになられませんね」
「…………」
半年も……。
そんなに長く会えなくなるのは初めてだろう。
眠気が増す中、しかし想像して悲しくなる。
性行為が出来なくなる、というよりも黒曜帝に会えなくなる、という方が悲しく思えた。
「半年……は、長いですね……」
「そうですね。しかし大陸の広さを思えば必要な視察かと」
「はい……僕もそう思います」
小国、大国、差はあれど全ての国は黒曜帝国の傘下。
今は大人しく従っていても、腹の底までは分からない。
皇帝が視察するという最大級の『脅し』は必要だ。
なにより、皇帝自らが支配国を見渡す事で治世に必要なものもより鮮明に見える事だろう。
(……陛下は、僕だけの陛下ではないものね……)
兄のような人。
今は、少し違う。
ただ、共通する『好き』という感情。
以前の『好き』と今の『好き』はどこか違う気はするけれど、黒曜帝がヒオリ個人のものになどならない事は百も承知だ。
一時、一晩だけヒオリの側にいてくれる。
それはとても光栄で尊い事。
今更ながら思い知る。
黒曜帝はこの国で一番偉いお方。
「……一ヶ月後……」
目を閉じる。
夕飯になったら起こしてほしいと頼み、誘われるままに眠った。
夢の中で故郷を駆け回るヒオリと、ヒオリよりも年上の少年。
あれは若き日の黒曜帝である。
あの頃は……幼名で呼んでいた。
スェラド様、と。
父の領地で、前帝に連れられてきた黒曜帝はヒオリに手を引かれて戸惑っていた。
あの頃のように無邪気に触れ合ったり、語り合ったりはきっともう出来ない。
半年会えない……考えただけで胸が苦しくなる。
(一緒に行けたらいいのに……)
公務が突然増えた。
黒曜帝の手紙にはそう書かれており、不本意だがしばらくは行けない、と締められている。
それを見て落胆する自分がいた。
「……なにか、あったのですか?」
「と、おっしゃいますと?」
「陛下が一ヶ月後に視察を行う事と、ご公務が増えた事になにか関わりがあるのかと……」
白髪の世話係が茶をカップへと注ぐ。
入り口には兄弟の世話係が佇む、とても静かな夜。
不穏な動きをする国でも現れたのか。
そう、勘繰った。
勘繰ったところで、ヒオリは人質だ。
この国が倒れるか、代わりの人質が送り込まれない限り一生ここからは出られない。
たとえ謀反が起きたり戦争になっても、戦場に出て戦う事も許されない立場。
目を伏せる。
この箱庭から出て、会いに行く事も許されない。
ただあの人が会いに来てくれるのを待つだけの……。
(これではまるで後宮の妃候補の女性たちと同じではないか……。なんと図々しい)
彼女たちは黒曜帝の子を産む事が出来る。
ヒオリには、それはどう足掻いても不可能。
手紙を閉じて、文箱の中にしまう。
しばらく、とはどのくらいなのだろうか。
目を閉じる。
視察の旅路は三週間後に迫っていた。
「ヒオリ様」
「は、はい」
声をかけてきたのは白髪の世話係。
心配させないように笑顔を向けるが、失敗してしまったのか「大丈夫ですよ」と励まされてしまった。
「では、今宵は下がります。ご用がございますればこちらを」
「はい。今日もありがとうございました」
世話係たちは夜は下がる。
当たり前だが彼らも寝る時間が必要だ。
隣室は世話係が泊まり込みで控える時に使うのだが、黒曜帝が来る日はヒオリの屋敷の横の建物まで下がるらしい。
世話係たちの寮であり、休みの日などはそこで生活していると聞く。
今日は黒曜帝が来ないので、隣室で誰かが控えて休むだろう。
それを分かっていた上で枕元に潤滑油と湯の入った桶、清潔な布が置いてあるのだから軽く目眩を覚える。
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