流星群の落下地点〜子どもの初恋が大人の恋になるまでの二年間〜

古森きり

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トラウマ(2)

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「――そういえば……リグも最近悪夢を見ると言っていたな」
「悪夢?」
 
 痺れる腕でキィルーの体を持ち上げて、太ももに乗せる。
 が、シビビビビ……と痺れて背もたれにぐったりするフィリックス。
 
「うん、まあ……なんかダロアログが出てくる夢を、最近毎日見るって。寝るの怖いって、夜一緒に寝てると起こされて『抱っこして』って言われる。すごく可愛くてしんどいけど、本気で怯えててリグ、寝不足気味なんだよな……可愛いとか言ってる場合じゃないのは分かってるんだけど」
「それは本当にそうだろ。惚気てる場合か」
「ごめんなさい」
 
 でも可愛くて、と言われるとシドも「それは可愛いだろうけれど」と否定はしない。
 これでブラコンの自覚がないというのだから罪深い。
 
「まあ……でもそろそろそうなると思ってた」
「ん? どゆこと?」
「今まで押し殺してきたものを、ゆっくりとはいえ表に出すようにしているんだ。それはなにも、いい感情だけじゃないだろう。アレの人生で押し殺してきた感情は、負の面の方がはるかに多い。いいものはお前が新たに与えているような状況だ。つまり――」
「それって……でも、じゃあどうすれば……」
 
 言いたいことはわかる。
 十五年間分の、リグが封じ込めて感じないようにしてきたモノ。
 なにも感じないように殺してきた感情。
 シドに付き合う前、確かに「面倒くさいぞアレ」とは言われていたけれど、フィリックスはそれも含めて全部支えていくと覚悟を決めている。
 十五年分、フィリックスが騎士になるために生きてきた分全部賭けて、彼に「好きだ」と告白した。
 
「上書きしかねぇんじゃねぇの。セックスと同じで、ダロアログとお前が違うっていうのを、ずっと丁寧に教えていくっていうか。どうせ一生消えることなんてねぇんだし」
「上書きか……。簡単ではないもんな。……っていうか、それならシドも恋人作れば少しはトラウマが晴れるんじゃないか?」
「興味ねぇな」
 
 同じ理屈で言うのなら、と隣を見ると、無表情でページを捲るシド。
 しかし、シドに恋人というのは正直想像がつかない。
 この男の隣に立てるような女性。
 
(ちっとも想像つかねぇ)
 
 考えるのをやめた。
 少なくともシドの隣によくいる人間というと、リグと風磨フウマ、ノイン。
 風磨フウマはシドの相棒であり、隣というよりは三歩後ろに控えているイメージ。
 女性ならリョウも守る対象に入れていたはず。
 ただ彼女にはもう恋人がいる。
 弟を恋人にするはずもないので、ノインがせめて成人したら――。
 
「つーか、リグが不眠気味なのよくねぇな。お前このまま寝かしつけてこいよ」
「え」
「お前となら眠れるんだろう? 行くぞ」
「俵みたいに持つなぁー!」
「ウキィー!」
 
 
 
 ◆◇◆◇◆
 
 
 
「んーーー! たこ焼き美味しい~!」
 
 リョウが特注でたこ焼き用鉄板を手に入れてくれたおかげで、本部食堂は本日新メニュー『たこ焼き』で盛り上がっていた。
 たこ焼きを皿いっぱいにゲットして、ノインは食堂の一番奥の奥行きある窓辺で外の景色を眺めながらたこ焼きに舌鼓を打つ。
 そこに、重装備の騎士の足音。
 チラリと近づく気配を見て、内心げんなりとした。
 
「ノイン様、体調はいかがですか?」
「あー……うん、大丈夫」
 
 リークスとガーウィル。
 元々苦手ではあったけれど、淫紋を刻まれてから余計に距離を置きたくなっている。
 おそらく本能的に『魔力のない、胎に子を宿す価値のない雄』と判断しているのだと思う。
 そういえばノインの状況を知っている数少ない騎士だが、よもや言いふらしたりはしていないだろうな、と目を細める。
 
「あのさ、他の騎士にボクの体調のこと話した?」
「それは……あの……」
「話したんだ?」
「万が一、本部にいた時に……その、なられてはと思いまして……」
 
 発情はいつ来るかわからない。
 一日に一度、と回数が限定されただけ。
 同じ時間に来るわけではなく、ランダム。
 確かに訓練中などに発情が起こることもあり得る。
 周知しておけば、近くにシドがいなくても誰かが呼んでくれるかもしれない。
 しかし――
 
「ああ、通りで変な視線を感じるわけだよ。話しかけてくる人はいなかったけど、なんかいつもよりみんななにか言いたげだったからまさかとは思ってたけど」
「ご意向でなかったとしても、ノイン様の体調を思えば必要なことだと判断いたしました」
「勝手な判断しないでほしかったな。騎士の魔力量だとボク、数人分必要なんだけど。この意味って理解できなかった感じ?」
「いえ! ……そ、そういうわけでは……」
 
 しどろもどろになりながら、二人は「意味を理解した上で周囲に話した」と言う。
 つまり、シドが側にいない状況で発情が来たら、自分たち含めた数人で、ノインを――
 
「ボクね、ボクより弱い男とヤりたくない」
「っ……」
 
 確かに体は疼いて仕方ない。
 今朝も指で絶頂させられて、そりゃあもう発情は治っているはずなのにムラムラはますます高まっている。
 頭の中はシドとセックスすることばかりがぐるぐるしており、今声を聞いたら問答無用で股間を握りそう。
 それをごまかすようにたこ焼きをぱくぱく食べ続ける。
 
「人が弱ってるところに漬け込もうなんて考えているような“騎士”が、いるとは思いたくないけど――でも、お前らが言ってることってそういう意味でボクが襲われても、仕方ないって言ってるように聞こえるんだけど」
「そ、そんなつもりは!」
「悪いけど余裕ないから全力で抵抗するよ、シド以外の男は」
「っ」
 
 ジトリと睨むと、他のテーブルの騎士もビクッと体を震わせる。
 視線を多く感じたし、今も聞き耳を立てている者が多いことにも気がついていたけれど、食堂のほぼ全員が肩を跳ねさせた。
 
「っ、なぜ、あの男ならばいいのですか」
「は?」
「貴方にあの男は相応しくありません!」
「なに言ってるの」
 
 叫んだのはリークス。
 もちろんシドが強いのは知っているし、認めているだろうにその血走った目には嫉妬の感情がありありと浮かんでいた。
 
「たとえ罪を償ったとしても……あの男はかつて剣聖を二人も引退に追い込んだ犯罪者なのですよ!? そんな男が、ノイン様と……!」
「剣聖ルストも剣聖ファアドもシドを剣聖として認めているよね」
「で、ですが」
「俺は別に勝負してもいいぜ?」
「「っ!?」」
「あ、シド」
 
 酒瓶を持ってノインの隣に座ったシドが、口でコルクを引っこ抜いてそのままガブ飲みし始めた。
 酒を飲んでいるところを初めて見たので、思わず目を丸くしてしまう。
 
「エ……エロ」
「なんだこれ」
「あ、リョウちゃんが作ってくれたたこ焼き」
「マジで作ったのか……」
 
 呆れたような声色だが、興味があるのか串を一本取ってノインの皿のものを勝手に取って食べてしまう。
 食べる姿もエロい、と口にしかけてハッとした。
 
「お酒飲んでるの珍しいね?」
「リグと違って俺は酔ったことないんだけどな」
「リグさんお酒弱いの?」
「匂いで酔い潰れてた」
「ええ……そんなに弱いんだ……」
 
 弱点多いな、あの人。とは、口には出さずに思う。
 
「なんか独特な、複雑な味だな。美味い」
「美味しいよねぇー」
 
 わかる、とぱくぱく五、六個いってしまう。
 そんなノインの横で、リークスとガーウィルがシドを睨みつけていた。
 まだいたのか、と呆れてしまう。
 
「で――淫紋の話、広めたのお前らだろう?」
「わ、我々はただ、ノイン様の身になにかあった時のためにと……」
「不用心だと思わないのか? 確かに賢者の問答を抜けた自由騎士なら、未成年に手を出すことはないんだろうけれどな。本部には騎士以外の従業員もいるんだぜ?」
「それは――! だが! 貴様である必要もなかろう!」
「お前俺の説明聞いてたんだよな? 理解できなくても召喚魔法に関して俺はテメェより知識豊富な自信があるぜ?」
「っ……!!」
 
 殺気も滲ませて、睨みつけるリークス。
 自信満々に言い放つシドが、あまりにもかっこよくて口から「カッコよ……」と言葉が漏れるノイン。
 
「別に俺は嫉妬されてもなんとも思わねぇし、足引っ張りたいなら引っ張ってもいいんでぜ? そのまま引きずって歩くだけだしな」
 
 まさにそういうタイプである。
 どんなに有象無象が足にしがみついても、なんの障害にもせず前へ進む。
 たこ焼きをパクり、と口に入れながら、うんうん頷くノイン。
 
「けど、それを俺の周りの他のやつにするのは違うよなぁ? 特に今回、テメェのせいで危険に晒されるのはガキのコイツだぞ。俺を犯罪者だと罵るのなら、ガキを危険に晒すような真似するべきじゃあねぇよなぁ?」
「ノ、ノイン様は剣聖なのだ! 周りの人間でお守りすることのなにが悪いというのか!」
「だから俺が気に入らねぇなら、俺に喧嘩売れよって言ってんだろ。お前のやり口汚ねえんだよ。裏の世界で仁も義も通さねぇクズのやり口だぞ。せっかく人の多いところで言ってやってんだから、ハッキリ“決闘”でも申し込めばいいのにそれもしねぇし」
 
 ジリ、とリークスが後退る。
 歯を食いしばり、それ以上のことを言わない。
 シドが挑発して言わせようとしていたのは、決闘の申込み。
 下の階級の者が上の階級の者に決闘を申込み、勝利することで昇級試験を飛ばして階級を上げることも、自由騎士団フリーナイツ内では正式に認められている。
 ただ、やり方によってはしこりを残すためあまり好まれてやることではない。
 また、階級関係なく騎士同士の折り合いが悪く、黒白はっきりつける場合にも決闘は用いらる。
 貴族への『決闘』の申し込みは自由騎士団フリーナイツの特権であるため、決闘のやり方を学ぶ意味も込めて禁止はされていないのだ。
 シドが気に入らないのなら、決闘を申し込んで我を押し通せばいい。
 
「明日、もう一度賢者の問答で精神面を鍛え直してこい。そこまで剣の腕があって、上に来れねぇんなら理由はそっちだ。来るつもりがあるんなら、な」
「っ、くっ……! し……失礼いたします」
 
 負け犬、とノインにしか聞こえない声で、食堂から出て行く二人を見送る。
 他の騎士たちへの牽制も込みで、わざわざ人目の多い食堂で叱りつけたのだろう。
 ノインの噂はかなり広まるのが早いらしいので、騎士以外の従業員も食事を摂る場所で見せつけたことで、噂の上書きをしたのだ。
 こういうところが、ノインにはまだ難しい。
 上に立つ者に必要なことだとしても。
 
「……なんか、ごめん」
「なにが」
「色々……ボク今回の件ずっとシドに迷惑かけてるし……」
「なにを今更」
 
 また酒を一口。
 お酒美味しい? と聞くと、別に、としか答えない。
 
「でも、こういう安酒飲むとアッシュの野郎を思い出すな。酒も女もアイツに教わったようなモンだし」
「え、アッシュって……『赤い靴跡』の……?」
「そう」
 
 そういえば知り合いだった。
 他の男の話をされているせいか、ムラムラがイライラに変わる。
 
「仲いいんだねぇ~~~?」
「腐れ縁なだけだ。裏の世界じゃそれなりに持ちつ持たれつ、仁義を通せば融通も利く。特に『赤い靴跡』は他の組織より金と筋で話が通る。アッシュは兄貴ヅラすんのが好きで、俺の面倒も見てるつもりだったんじゃねぇの?」
 
 今更ながら、シドが生きていた世界は犯罪者ばかりの裏の世界。
 ノインの知らない世界だ。
 当然、その世界での知り合いも多い。
 リークスたちの言っていることは、裏の世界と通じて自由騎士団フリーナイツを危険に晒すのでは、という心配からきている。
 そんなことはわかっているけれど、ノインは少なくともシドが好きで裏の世界にいたわけではないと知っている。
 
(リグさんを守るために……助けるために裏の世界も“利用”してただけ、だもんね)
 
 自由騎士団フリーナイツのこともそうだ。
 シドの中心は弟。
 
(ボクのことも一番にしてはもらえないよね。わかってる……)
 
 片膝を抱えて、唇を尖らせる。
 やっぱりシドと、えっちをしたい。
 イライラが治ると、またムラムラが始まる。
 
「シド……今夜部屋に行っていい?」
「今の話の流れでなんでそうなる? 断る。そういうセリフは成人してから吐け」
「なんでそういうこと言うの!? もうあそこまでしたらえっちの一回や二回、してくれてもよくない!?」
「ガキは無理。あとここ食堂だから叫ぶな」
「うぐぅ!」
 
 キッチンでたこ焼きを作っているリョウに聞こえるかもしれないので、思い切り口を閉ざす。
 しかし、やはり諦めきれない。
 
「でもボク、あと二ヶ月もしたら十六歳だし! 十六歳が成人の地域もあるって聞くし!」
「世界共通法の成人年齢でモノを言え。ガキは無理」
「ぐううううっ」
 
 取りつく島もない。
 
「俺はダロアログと同類になりたくないんでな」
「え……」
 
 と、だけ言って、空瓶を置くと食堂を出て行ってしまった。
 ダロアログと同類。
 ダロアログ・エゼド――懸賞金一億ラーム。
 罪状は未成年誘拐と性的暴行による殺害、身代金請求、窃盗、強盗など。特に誘拐に関しては世界中で百件以上――。
 
(未成年の……)
 
 リグを十五年、監禁して暴行を加えていた。
 ダロアログの好みは、十七歳以下の少年。
 彼が一番大切な弟を、苦しめ続けた男と同じになりたくないというのは、そういう意味だ。
 理解した途端、食べたものが迫り上がってくるような感覚に陥って思わず口を押さえてしまった。
 
(……あー……そういう……ボク最悪じゃん……)
 
 リョウが作ってくれたたこ焼きは美味しい。
 なので、吐きはしない。
 代わりに水を飲み、コップから口を離してから唇を尖らせる。
 
(それでも、ムラムラ止まらない。どうしたらいいんだよもう……)


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