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第1章:朝のリンゴは金にも勝る

大森林の小さな家②

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 ほっと胸を撫で下ろした彼女に、女神が労るような眼差しを向ける。先ほどのあっけらかんとした調子はなりを潜めて、長く生きている存在が持つ慈しみがその目に宿っていた。

 「ティナってトラブルが大っ嫌いなのに、困ってるひとはほっとけないのよね。そういう優しいとこ、ワタシも好きよ。――でも、もう無茶はしないでね?」
 「……うん、解ってます」
 『ぴ』
 「大丈夫だって、もう車道に飛び出したりとかしないから。ね」

 神妙な顔つきで頷くと、肩に止まっていたルミがそっと擦りよってくる。それをよしよしと再びなでてやりつつ、ティナの脳裏に前世の記憶がよぎった。

 ――『千夏』の死因は、特に目新しくもない。学校帰りの交通事故だった。
 下校中、車道に白くてふわふわしたものが転がっているのに気づいて目を凝らしたら、それがぱたっと翼を動かしたので小鳥だとわかった。幸いちょうど信号が変わって往来が途切れ、急いで駆け寄って拾い上げる。しかし、きびすを返そうとしたとき、一時停止を無視したトラックがわき道から飛び出してきて――

 「目の前が真っ暗になって、気が付いたらここにいたんだよなぁ」
 「もー、こっちから見ててびっくりしたわ! 大急ぎで連れてきたんだからっ」
 「はい、ホントに。その節はルミちゃん共々、お世話になりました」

 そんな光景を、たまたま天界から見ていたのがイズーナだった。千夏の運の悪さに心底同情した彼女は、自分の領域テリトリーであるファンドルンまで彼女の魂を連れてくると申し出てくれたのだ。
 『もしまだ生きていたいなら、ワタシがあなたに命をあげる』と。

 「そういえばさ、その後どんな感じ? 異世界の人に『命の林檎』をあげたのは初めてなのよね」
 「いたって調子いいですよ。身体は前より健康なくらいだし、髪も肌もつやつやです!」

 先の質問に対して、千夏はもちろん是と答えたのだが。そのとき新しく生まれ変わるためにいただいたのが、女神自らが管理しているリンゴだった。

 促されるまま、きれいに熟した果物をかじった瞬間のことは忘れられない。素晴らしく美味しかったのはもちろん、あたたかい命の息吹が一気に身体に満ちあふれたのが分かった。ついでにクセっ毛の極みだった髪がサラサラに様変わりし、普通の黒だった瞳も夕焼けを切り取ってはめ込んだみたいな色合いになったのである。――もっとも、

 「そっちも嬉しかったけど、ルミちゃんがいっしょに生き返れた方がありがたかったなぁ。わたし結局助けられなかったし」
 「そんなことないわよ。拾おうとしてくれてとってもうれしかった、っていつも言ってるもの」
 『ぴっ!』
 「……え、そう?」
 『ぴ~~』

 その通り、と言わんばかりに羽根をぱたぱたさせる小鳥さんである。ティナが精霊の仲間になったためか、この子とは何となく意思の疎通が出来るようになったのもうれしいオマケだ。それにしたって賢すぎるので、やっぱりルミの方にも神様補正があったのだろうけど。

 「……あっ、で、でも基本はことなかれ主義ですよわたし。目指せ、今度こそ平和に長生き!」
 「ハイハイ。解ってるってば」
 「という訳で野菜取ってきまーす! ルミちゃん行こうっ」
 『ぴっ!』

 ほめられた照れ隠しか、やけに早口にで言い立てて慌ただしく出ていくティナである。そんな様子を微笑ましく見送って、イズーナはふと小首を傾げた。

 「んー? 何かこっちに近づいてる気がする……悪いものではなさそうだけどなぁ」

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