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翠の章
第76話「旅支度」
しおりを挟む「ハクとまた一緒に暮らせるの……?!」
「やった!」
そうして翌朝。
朝食の片付けも一段落ついた頃。
一番席数を確保できる食堂で、屋敷にいる人たち全員を集め、一通りの話を俺がし終わった瞬間。いの一番に上がったのは、子供2人の歓声だった。
言わずもがな、アラン君とセリンちゃんだ。
おそらく難しい話は抜きに、久しぶりにハクと暮らせる、という一点だけ理解したに違いない。
2人のその飛び跳ねるような喜びように、俺の胸にはグサリと勝手にダメージが入る。
「ああぁぁ……。ホント2人には申し訳ねえ……」
何しろ、まだ幼い彼らにとってハクは父親みたいなものだろう。そんな存在を、シリンさんの申し出の上、避けられない流れだったとはいえ、長期間2人の元から離すことになったのは、アルに代わって謝罪すべき事だ。
そうして俺が自責の念に勝手に駆られていれば、慌てたようなシリンさんと、心底不思議そうな顔をしたハクに交互に言われる。
「あら、そんな」
「……お前が気に病む理由がわからん」
「そうです。あの子たちも元気にやってましたから」
そんな声に俺は顔を上げ、右側の2人に笑顔を向ける。
「はは。それなら、良かった」
一方、向かい側に座ったアルの使用人たち――ローランドさん以下、4人の反応はどうかと言えば……。
「俺は残るぞ。庭の世話があるからな」
そう言ってまず口火を切ったのは、庭師のエドガーさん。そして、彼の奥さんで家政婦のマティさんも頷いて言った。
「そうねえ。私もこの人と残ります。誰かはいないと流石にねえ。それに、私たち2人くらいなら、まあ、なんとかなると思いますし」
そう言った彼女は、栗色の髪を後ろで団子に束ねた40代くらいの気のいい人だ。旦那のエドガーさんが胡麻塩頭にしかめっ面がデフォの典型的な職人気質なのに対し、その奥さんのマティさんは終始ニコニコと柔らかな笑みを絶やさない。
俺も自然と笑い返して言った。
「わかりました。なんとなくそう言われそうだとは思っていたんです」
エドガーさんだからな、何しろ……。まだ付き合いの浅い俺でさえ容易に想像できる反応だった。
今はまだどれだけ長く屋敷を空けることになるか不明だし、その間、せっかくの庭を荒れるままに放置するなんて、彼には我慢ならないだろう。
マティさんも意味ありげに頷いた。
「ふふ。私が言うのもなんですが、この人の、この庭へのこだわりは並大抵のものではないですからね」
これに、エドガーさんがぼそりと漏らす。
「余計なこと言うんじゃねえよ、マティ」
「あら、何を照れているんです?」
「あ?」
わぁ、お熱い。
エドガーさんの顔色は、傍目には一切変わってないと思うんだが、マティさんには照れているように見えるらしい。
眼光鋭いエドガーさんの睨みも、マティさんはどこ吹く風。微笑みも崩れないのはさすがだ。
間もなくエドガーさんは視線を逸らし、代わりに俺を見やって言った。
「どうせ、ここの主人は庭なんて気にしちゃいないんだろうがな。その反面、俺の好きにやらせてくれるのには満足してるんだ。……夫婦共々、雇ってもらった恩もあるんでな。
ま、精々、不在の間は俺たちが責任もって預かってやる。いつものことだしな」
そんな言葉に、俺はなんとなく嬉しくなって頭を下げる。
「では、お願いします。
ローランドさんとベスは、どうしますか?」
続いて訊けば、先に料理人のデイヴィス――ベスから声が上がった。
「アタシは主のとこに行きたいわあ。じゃないと、アタシの存在価値が無くなっちゃうし」
そう言ったベスは、くつろぐように両肘を食卓に乗せ、ガタイの良い腕を組む。
本来なら行儀悪い動作なんだろうが、この場に気にする者はいない。
俺は言った。
「存在価値がって……。じゃあ、アルがいない間、みんなの食事は誰が?」
「大概マティよ」
そう言って、ベスは肩を竦める。
「最近じゃシリンもやってくれてたけどね。アタシはもっぱら手伝いよ」
俺は不思議そうな顔でもしてたんだろう。ベスは苦笑して言った。
「もったいぶる気じゃないけど、アタシが作る作品は全て雇い主のためにあるのよ。今はシルバーニ様のためにね。
それに、賄に使える食材は限られてるし、調理法や段取りも違う。もちろん、アタシもできないわけじゃないけど、やっぱり家庭的なレシピはマティが作った方がより美味しいと思うわ。シリンも負けてないしね」
「……」
「だから、主が不在だとアタシは無価値」
そう言ってニコリと笑ったベスに、俺が何か言うより先に、マティさんとシリンさんが軽く身を乗り出して言った。
「そんな悲しいことを言わないで、ベス」
「そうです、ベスさん。私がどれだけあなたから学ばせていただいているか」
そんな真剣な返答に、ベスはパチクリと目を瞬かせて言った。
「やだ、2人とも。そんなに慌てないで」
だが、マティさんもシリンさんも表情を変えず、何やら2人でベスの方へ駆け寄り「自信をもって」だの「応援しているんですから」だの聞こえてくる。
対する俺たちは全く蚊帳の外。
どうやら、彼女ら3人の間では何か暗黙の了解があるらしい。
台所仕事で一緒に過ごす分、もしかすると女子トーク的なノリで色んな話をしてんのかもな。世代も体の性別も、生まれた国も違う3人だが、やはり女性陣はどこでも一致団結するものらしい。
あんまり聞き耳立てるのも悪いから、俺はこの間、ローランドさんへ視線を移して同じ問いを繰り返す。
「ローランドさんはどうします?」
「……私は」
即答だったベスとは違い、彼はそう言ったきり、1つしかない紫の瞳をうろつかせる。明らかに迷っている様子だった。
おそらく「任された屋敷を離れるわけには――」とかそんなところだろう。あとは、王都内の情報収集要員がいなくなることとか。一方、アルの傍近くで補佐したいとも思っていて、すぐには決断できない、といったところか。
そんな彼を促したのは、隣に座るエドガーさん。
「行きゃあイイ。この屋敷は、ひとまず俺たちが預かるからな」
視線でマティさんのことも指しつつ、彼はぶっきらぼうに言った。
ちなみに、そのマティさんたちは未だ話に花を咲かせていて、既に話題も千変万化。現在は、“今後余りかねない食料をどう処理するか”という議題で真剣に議論している。
まさに主婦の知恵袋が発揮される場面だ。特に、シリンさんは何度か似たような経験があるらしく、アイデアを出しては他の2人を感心させている。
そんな、いい意味で姦しい様子を横目に、俺はローランドさんへ向けて言った。
「今、アルの周りには身辺を世話できる奴がいないんです。俺が臨時で当たってますけど、やっぱり行き届いて無くて。
王都の情報はルドヴィグ殿下からも入ってきますし、ローランドさんにはアルの傍にいてもらえるとホント助かります。あいつもなんだかんだ、あなたを頼りしてますし」
そんな俺の言葉に、ローランドさんは幾分目を見張った後、微笑んで言った。
「そうですか。……では、この屋敷はエドガーとマティに任せ、私も主の元へ向かわせていただこうと思います」
「よかった。お願いします」
さて、これで話はまとまった。
俺は全員に向け、場を締めようと言葉を継ぐ。
「それじゃあ、馬車の用意とか荷造りとか、諸々あると思うんで、みなさんご協力お願いします」
俺が頭を下げれば、銘々からも答えが返りひとまずその場はお開きとなった。
そうして、遠出の準備も整いかけたその2日後。
正午も近いお昼時。
「あぁぁ……。心配だ」
俺は、食堂の机にもたれながら呟いていた。
「何がだ、ショウアン」
俺としては誰にも聞かせる気はなかったんだが、あいにくハクが丁度現れ、拾われたらしい。
「いや。ちょっとな……」
適当に誤魔化そうとしてみれば、数度瞬きしたハクが嫌に断定的に言った。
「アルフレッドのことか」
「…………そうだよ」
これは肯定するしかねぇ。
しかしそれにしても――。
「俺、そんなにわかりやすいか?」
思い出すのは数日前、アルにも内心が全部筒抜けだったことだ。
自慢じゃないが、前世では「何考えてんのかわからない」とまで言われたこの俺が、こんな頻繁に思考を悟られたことはない。
なのに、こういった方面が一番苦手そうなハクにまで当てられるとか、俺はどれだけ駄々洩れなんだと心配になる。
なんとも言えない気持ちで聞いてみれば、ハクは言った。
「私にとって、他の存在はほとんどが理解不能だ。行動や思考を予測するのも容易ではない。
だが、もし私が憂うならばその対象はシリンや子供たちだ。ならば、お前にとってのアレらは何かと、そう考えただけだ」
「……まあ、そう言われれば、確かに妥当な当て推量だな」
俺は納得して頷いた。
ハクは次いで言う。
「しかし、なぜお前が心配しているのかは不明だ。
何しろ、アレは成人も済んだ男だ。シリンや子供たちとは違い、不自由する何かがあるとは思えない。
第一、他者からのどんな害意にも対処できる程度には、アルフレッドは強者だろう」
そんな真っ当な見立てに、俺は苦笑して言った。
「いいや。あいつは弱いさ、めちゃくちゃな。ついでに傷だらけ。
この間なんか、アオに古傷えぐられてかなりやばい状況だったみたいだし」
……ホント、あいつはそういうところを隠すのだけは上手いからなあ。リンクがなくなったのもあって、俺もあとから把握したくらいだ。
俺の不明瞭な言葉に、ハクは眉をひそめつつ言った。
「この間? ……セイランと初めて接触した時のことか」
「ああ」
俺は頷きながら言った。
「なんか、アオに対するあいつの態度って珍しいだろ? 必要以上に拒絶感があるっていうかさ。ま、表面上は無難にやってんだが」
「そうなのか?」
「そうなんだよ」
俺は肩を竦めて言った。
「で、俺はなぜかって聞いたんだ。
……正確には、あの時、何があったのか全部話せ、そこに理由があるんだろって」
「……」
「……そしたら、かなり渋った末にようやく教えてくれてな」
「……」
「まあ、想定よりもアオがエグイことやってた、やってた。アルから聞かされた時、俺は言葉を失ったよ」
「……何があった」
比較的堅く響いた声音に、俺は視線をやって言った。
「――過去を、ほじくり返されたんだ」
「……」
「おそらくだが、アオにとっては外の世界を知りたくてやったことなんだろう。
だが、アルからすればデカい瘡蓋を力づくで剥がされたようなもんだ。状況としてはかなりヤバかったよ」
「……知らなかったな」
「ああ。俺も似たようなもんだ」
視線を逸らし、俺は苦笑する。
「実は、森の結界いじくる直前にそこらへんのことがわかってな。
それもあって、あの時はかなりの言い合いになっちまった」
これに、ハクにしては珍しい表情をして言った。
「……あれを“言い合い”と表現するのは流石の私でも悩むが」
そんな指摘に俺は笑った。
「はは。久しぶりに遠慮なくやり合ったからなぁ」
述懐すれば、ハクは無表情に訊いてくる。
「それで? 結局のところ、お前は何を懸念している」
俺は足を組み替えながら言った。
「そりゃもちろん、アルのメンタル――精神面さ。
表面上、だいぶ持ち直してはいるんだが、今回俺が離れたことで、また悪化してんじゃねえかと心配でな」
「……」
「おい、その顔は俺でも読めるぞ。
“ならなんでお前は今ここにいるんだ”ってとこだろ」
ハクは頷いて言った。
「ああ。まさしくそうだ。
仮にシリンがその状況にあるならば、私は傍を離れたりしない」
まるで咎めるような調子に俺は再度苦笑した。
「まあな。でも、あいつはもうその段階は越えたんじゃないかと、過去の俺は思った訳だ。
だから、ここは1つ離れてみるのも有効じゃないか、と」
「……」
「だって、詰まるところ苦しんでんのは自分だけだろ? そして、それをどうにかできるのも、究極的には自分しかいない。
それに、今回のことで言えば、あいつの過去はどうしたって変わらないし、何が起ころうがあいつはあいつだ」
「……」
「唯一できることは、ただ甘受して、整理して。また元通り、心の底にしまい直すことだけだ」
「……」
「本人でさえそれしか出来ないなら、ましてや他人の俺が出来ることなんて言うまでもない。
精々が、話を聞いてやって、可能なら“大変だったな”って言うくらい。
ぶっちゃけ、本人が立ち向かえるようになるまでの時間稼ぎしかできない訳だ」
「……」
「不可欠な役割だが、忌憚なく言っちまえば根本の解決には役立たず」
「……」
「で、俺は、十分時間稼ぎはしたから。……あとはもう突き放そうかなって。
あいつもわかってたのか、引き止められなかったし」
俺がそう言えば、息をふと吐いたハクが呆れたように言った。
「……だが、そこまで考え、行動しておきながら、この場で憂えているようでは詮無いな」
「ああ、まさにな。自分でも笑っちまうよ」
俺はそう言いながら、もたれていた机から身を起こし、笑った。
さて。
それこそ、ここでいくら俺が心配しようが意味はない。
お昼をたべたら荷造りの手伝い、再開といきますか。
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