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※18禁じゃないです※
◆
先生とは街で遭遇して以来、特に何かが変わる事もなく。
廊下ですれ違った時に、一度、軽く会釈をしたくらいだった。
「ねえ、弟くんって今年もピティナのコンペ出るでしょ?」
帰りがけの昇降口で声をかけてきたのは、一年のとき隣の席だった子の、さらに隣の隣のクラスの友人で。
僕とはなんの縁もゆかりもない人だった。
「去年だって絶対いいとこいけたのにねー。うちのママもベタ褒めだったの。もうすぐ地区予選でしょ? 週末レッスン通ってるよね? あの先生って変わり者で子供には指導しないって有名なんだって!でも、あのド田舎まで毎週行くんでしょ? 篠崎くんのママも大変じゃない? うちのママなんかさー」
時々こうしてピアノの話を延々聞かされるのだが、僕は彼女が山本なのか山田なのかも知らないのである。
「じゃあね、応援してるから!」
「あ、うん……じゃあ」
ようやく解放され疲労困憊の僕を、ふたたび呼び止める声がする。
綺麗な彼女とおしゃれな街でデートをしていた宮下先生である。
「篠崎、週末暇なの?」
「え?」
国語の先生なのに脈絡のない問いかけをし、僕を困惑させる。
国語の先生なのに理系特有の即レスを求める圧が、僕をますます萎縮させていた。
「僕は、その。はぃ……たぶん、そうです」
「奇遇だな、先生も暇です。じゃあ先生と、週末おうちデートしませんか」
「え?」
学校の下足箱の前で。
僕はじめてナンパ行為を受けていた。
しかも現役バリバリの、教科担当の教師に。
「……? あの、ぼく」
僕を見下ろす眼差しは、どこか冷ややかで。
その瞳を覆う氷のようなレンズが——
ただのファッション眼鏡なのだと気付いた瞬間に。
「うん」
僕はいつの間にか、コクリと頷いていたのだった。
◆
「じゃあ、お母さん達でかけるから。お兄ちゃん、ほんとに一人で大丈夫ー?」
土曜日の朝。
いつもどおり帰宅した母は、家に届いた一週間分の郵便物を確認しながら、流れ作業で聞いてきた。
「うん。期末テストもあるし、家で勉強してる」
「あの……陽一さん」
いつから居たのか地縛霊みたいな髪の長い女が、おずおずと話しかけてくる。
「少しだけど、お惣菜作ってきたの。良かったら食べてね」
僕に気遣ってくれるのは母ではなく、その同居人なのだった。
気弱ではあるけど穏やかで、父とは真逆の人。
見た目が重たい以外、なにも非の打ち所がないぶん、僕はこの人が苦手だった。
「……惺、練習頑張ってね。帰ってきたら僕にも練習の成果、聴かせてよ」
「——……っ」
弟は僕にしがみつき、行きたくないと駄々を捏ねている。
何をやらせても天才的に才能がある弟は、引く手数多に習い事が増える一方だった。
(うーん……可哀想だけど、どれか一つに決められないみたいだし。僕も週末なんだかんだで息抜き出来てるからなあ。もし習い事をやめて、お母さんまでこの家に寄り付かなくなったら児童相談所案件だよ。しず! そうなったら僕たち、一緒にいられなくなるかもしれないんだよ?!)
結果、僕は無情な算段をし、
「音楽やってる惺は、すごくかっこいいよ!」と。
心から全力で応援してやることしか出来ないのであった。
母とその同居人と弟を送りだし、僕も出かける支度をする。
図書館に自転車を停めて、近くの公園を通り抜け、コインパーキングにむかう。
教えられた車の窓をのぞくと、シートを倒し寝ている男が見えた。
コンコン
助手席の窓を軽くノックする。
男は目深に被っていたキャップをあげ、ニコリと微笑んだ。
「時間通りですね、篠崎君」
「……おはようございます。先生、今日はよろしくお願いします」
「おはよ。いいね、めちゃくちゃ淫行教師っぽくて興奮します」
「…………」
「冗談だよ。コンビニで適当に飲み物とか昼メシ買ったけど。ハイ、なんか嫌いなものある?」
「いえ、たぶん、ないです。あ……カップ焼きそば」
「ん、好きなの?」
「まだわかんない。食べたことないから、やったぁ……」
「フ……世の男が純潔を神聖視する気持ちがわかるわな」
口の端を引き上げ、卑屈な笑いを浮かべる横顔。
学校とは違う先生を一人じめしている僕も、優越感に似た感情を覚えていた。
そして何より、
「じゃあ行くか」
シフトレバーを握り、ハンドルに添えられる手に。
未練がましくも愚かなほどに、魅入ってしまうのだった。
「篠崎君。勉強セット、何持ってきましたか。生徒に大人気の宮下先生は、宿題なんてださないからね。塾の課題とか?」
「いえ、塾は行ってなくて。いろいろ過去問とか問題集、です」
先生のマンションは1DKというらしく、キッチンとテレビがある洋間が一つ。
その奥は引戸が閉まっていたけど、寝室のようだった。
(一人暮らしの家って、こんな感じなんだぁ。うち、無駄に広いもんな。地下室まであるし)
数歩で完結してしまうコンパクトな間取りも興味深かったが。
何より壁一面の本棚に見とれていた。
「……しばりょうたろう、いっぱいだぁ。あ、この本、知ってる……洋書も……すごい」
「全部,人のものだけど。なかなか捨てられなくて」
先生はグラスにペットボトルの烏龍茶を注ぎ、座卓に置いた。
「あ……ごめんなさぃ」
人のプライベートをのぞくような行動を恥じ、僕はそそくさと席につく。
先生もノートパソコンを開いて、仕事の作業をするつもりのようだった。
(先生は、きっと僕が街でフラフラしてたから心配してくれてるんだ。あの時も、優秀な弟の話が聞こえたみたいだし)
悩むほどではないが、週末、家に居づらいのは事実だった。
母と揉めたくはないけど、不満がないといったら嘘になるし。
だからといって、友人らとつるんで親の悪口を言い合ったところで。
みんな夕方には『夕飯の時間だから』と当たり前に親元に帰っていくのだ。
そうなると一人で当てもなくフラフラしているのが一番気楽だったから。
「わからないことあったら質問しろよ。二次関数の領域展開とか言われてもな。国語の先生は、道は百も千も万もある、としか答えようがないがね」
「ふふ……僕、数学はわりと得意なので、国語の先生には質問しないです」
「よし、いい生徒だな」
頭を撫でられ、久しぶりに子供の頃に戻ったようで浮かれていた。
それから普通に苦手な“説明的文章の読み取り方”を教えてもらって。
お昼には初めてカップやきそばを作って食べた。
それからコーヒーをご馳走になって、学校や弟の話をしたり。
先生が彼女と遠距離中だと話してくれたから、僕も母と少しだけ遠距離中で折り合いが悪い話をした。
「あれ……雨降ってきちゃった。先生、あの図書館、土曜日は17時までなんです」
「そうだ、すっかり忘れてたわ。まずいな、淫行教師が家まで車で送ったらPTA案件か」
先生は立ち上がり、すぐに車のキーを手に取った。
僕は笑いながらテーブルの勉強セットを片付けて、
「平気です、今日は家に誰もいないので。自転車は明日とりに行くので、家の前まで送って欲しいです」
「家、帰っても一人なのか」
「えと……そうです。弟の習い事で、みんな遠出してるから」
「そうか」
彼女とお揃いだという車のキーホルダーを、ブラブラと揺らして。
「奇遇だな、先生も一人です。じゃあ先生と、週末お泊まりデートしませんか」
「え?」
現役バリバリの教科担当の教師の家で。
僕はじめて、お泊まりの誘いを受けていた。
外では雷鳴まで轟き始めた瞬間に。
「うん」
僕はいつの間にか、コクリと頷いていたのだった。
◆
先生とは街で遭遇して以来、特に何かが変わる事もなく。
廊下ですれ違った時に、一度、軽く会釈をしたくらいだった。
「ねえ、弟くんって今年もピティナのコンペ出るでしょ?」
帰りがけの昇降口で声をかけてきたのは、一年のとき隣の席だった子の、さらに隣の隣のクラスの友人で。
僕とはなんの縁もゆかりもない人だった。
「去年だって絶対いいとこいけたのにねー。うちのママもベタ褒めだったの。もうすぐ地区予選でしょ? 週末レッスン通ってるよね? あの先生って変わり者で子供には指導しないって有名なんだって!でも、あのド田舎まで毎週行くんでしょ? 篠崎くんのママも大変じゃない? うちのママなんかさー」
時々こうしてピアノの話を延々聞かされるのだが、僕は彼女が山本なのか山田なのかも知らないのである。
「じゃあね、応援してるから!」
「あ、うん……じゃあ」
ようやく解放され疲労困憊の僕を、ふたたび呼び止める声がする。
綺麗な彼女とおしゃれな街でデートをしていた宮下先生である。
「篠崎、週末暇なの?」
「え?」
国語の先生なのに脈絡のない問いかけをし、僕を困惑させる。
国語の先生なのに理系特有の即レスを求める圧が、僕をますます萎縮させていた。
「僕は、その。はぃ……たぶん、そうです」
「奇遇だな、先生も暇です。じゃあ先生と、週末おうちデートしませんか」
「え?」
学校の下足箱の前で。
僕はじめてナンパ行為を受けていた。
しかも現役バリバリの、教科担当の教師に。
「……? あの、ぼく」
僕を見下ろす眼差しは、どこか冷ややかで。
その瞳を覆う氷のようなレンズが——
ただのファッション眼鏡なのだと気付いた瞬間に。
「うん」
僕はいつの間にか、コクリと頷いていたのだった。
◆
「じゃあ、お母さん達でかけるから。お兄ちゃん、ほんとに一人で大丈夫ー?」
土曜日の朝。
いつもどおり帰宅した母は、家に届いた一週間分の郵便物を確認しながら、流れ作業で聞いてきた。
「うん。期末テストもあるし、家で勉強してる」
「あの……陽一さん」
いつから居たのか地縛霊みたいな髪の長い女が、おずおずと話しかけてくる。
「少しだけど、お惣菜作ってきたの。良かったら食べてね」
僕に気遣ってくれるのは母ではなく、その同居人なのだった。
気弱ではあるけど穏やかで、父とは真逆の人。
見た目が重たい以外、なにも非の打ち所がないぶん、僕はこの人が苦手だった。
「……惺、練習頑張ってね。帰ってきたら僕にも練習の成果、聴かせてよ」
「——……っ」
弟は僕にしがみつき、行きたくないと駄々を捏ねている。
何をやらせても天才的に才能がある弟は、引く手数多に習い事が増える一方だった。
(うーん……可哀想だけど、どれか一つに決められないみたいだし。僕も週末なんだかんだで息抜き出来てるからなあ。もし習い事をやめて、お母さんまでこの家に寄り付かなくなったら児童相談所案件だよ。しず! そうなったら僕たち、一緒にいられなくなるかもしれないんだよ?!)
結果、僕は無情な算段をし、
「音楽やってる惺は、すごくかっこいいよ!」と。
心から全力で応援してやることしか出来ないのであった。
母とその同居人と弟を送りだし、僕も出かける支度をする。
図書館に自転車を停めて、近くの公園を通り抜け、コインパーキングにむかう。
教えられた車の窓をのぞくと、シートを倒し寝ている男が見えた。
コンコン
助手席の窓を軽くノックする。
男は目深に被っていたキャップをあげ、ニコリと微笑んだ。
「時間通りですね、篠崎君」
「……おはようございます。先生、今日はよろしくお願いします」
「おはよ。いいね、めちゃくちゃ淫行教師っぽくて興奮します」
「…………」
「冗談だよ。コンビニで適当に飲み物とか昼メシ買ったけど。ハイ、なんか嫌いなものある?」
「いえ、たぶん、ないです。あ……カップ焼きそば」
「ん、好きなの?」
「まだわかんない。食べたことないから、やったぁ……」
「フ……世の男が純潔を神聖視する気持ちがわかるわな」
口の端を引き上げ、卑屈な笑いを浮かべる横顔。
学校とは違う先生を一人じめしている僕も、優越感に似た感情を覚えていた。
そして何より、
「じゃあ行くか」
シフトレバーを握り、ハンドルに添えられる手に。
未練がましくも愚かなほどに、魅入ってしまうのだった。
「篠崎君。勉強セット、何持ってきましたか。生徒に大人気の宮下先生は、宿題なんてださないからね。塾の課題とか?」
「いえ、塾は行ってなくて。いろいろ過去問とか問題集、です」
先生のマンションは1DKというらしく、キッチンとテレビがある洋間が一つ。
その奥は引戸が閉まっていたけど、寝室のようだった。
(一人暮らしの家って、こんな感じなんだぁ。うち、無駄に広いもんな。地下室まであるし)
数歩で完結してしまうコンパクトな間取りも興味深かったが。
何より壁一面の本棚に見とれていた。
「……しばりょうたろう、いっぱいだぁ。あ、この本、知ってる……洋書も……すごい」
「全部,人のものだけど。なかなか捨てられなくて」
先生はグラスにペットボトルの烏龍茶を注ぎ、座卓に置いた。
「あ……ごめんなさぃ」
人のプライベートをのぞくような行動を恥じ、僕はそそくさと席につく。
先生もノートパソコンを開いて、仕事の作業をするつもりのようだった。
(先生は、きっと僕が街でフラフラしてたから心配してくれてるんだ。あの時も、優秀な弟の話が聞こえたみたいだし)
悩むほどではないが、週末、家に居づらいのは事実だった。
母と揉めたくはないけど、不満がないといったら嘘になるし。
だからといって、友人らとつるんで親の悪口を言い合ったところで。
みんな夕方には『夕飯の時間だから』と当たり前に親元に帰っていくのだ。
そうなると一人で当てもなくフラフラしているのが一番気楽だったから。
「わからないことあったら質問しろよ。二次関数の領域展開とか言われてもな。国語の先生は、道は百も千も万もある、としか答えようがないがね」
「ふふ……僕、数学はわりと得意なので、国語の先生には質問しないです」
「よし、いい生徒だな」
頭を撫でられ、久しぶりに子供の頃に戻ったようで浮かれていた。
それから普通に苦手な“説明的文章の読み取り方”を教えてもらって。
お昼には初めてカップやきそばを作って食べた。
それからコーヒーをご馳走になって、学校や弟の話をしたり。
先生が彼女と遠距離中だと話してくれたから、僕も母と少しだけ遠距離中で折り合いが悪い話をした。
「あれ……雨降ってきちゃった。先生、あの図書館、土曜日は17時までなんです」
「そうだ、すっかり忘れてたわ。まずいな、淫行教師が家まで車で送ったらPTA案件か」
先生は立ち上がり、すぐに車のキーを手に取った。
僕は笑いながらテーブルの勉強セットを片付けて、
「平気です、今日は家に誰もいないので。自転車は明日とりに行くので、家の前まで送って欲しいです」
「家、帰っても一人なのか」
「えと……そうです。弟の習い事で、みんな遠出してるから」
「そうか」
彼女とお揃いだという車のキーホルダーを、ブラブラと揺らして。
「奇遇だな、先生も一人です。じゃあ先生と、週末お泊まりデートしませんか」
「え?」
現役バリバリの教科担当の教師の家で。
僕はじめて、お泊まりの誘いを受けていた。
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「うん」
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