霰降る...

葛城 惶

文字の大きさ
2 / 9

二 カジマ(一)

しおりを挟む

「何を考えておる」

 娘は、無造作に束ねた髪を揺らして、男の顔を覗き込んだ。

「田のことよ。こう雨が続いては稲が流されてしまう。それに海にも野にも出れんでは、食うものが無くなってしまう。」

 男は滴をまとった合歓の木の淡い紅色の花弁がかすかな風に震えるのを見つめながら言った。もう三日も降り続いている。束の間、雨音が止んだと思っても、また空模様が怪しくなる。

「明日には止む。」

 娘は空を見上げて言った。昨日より空が明るい。雲も薄くなっている。

「じゃが、おでぃが考えておるんは、その事じゃなかろう。」

 娘は、ふぅ...…と大きな息をついて、言った。

「また、戦か」

 男は、頷きも首を振りもしなかった。娘にはとうに分かっていた。男がこうして考え事に浸っているときは必ず都からミカドの使者が来た後だ。

「今度は、どこだ」

娘は訊いた。

「.........」

 男は無言だった。

 「ヒルメ殿は欲深いのぅ...…」

 娘は半ば呆れたように言った。

 「そんなにも宝やら土地を我が物にして、どうしたいのかのぅ...…」

 かつて己が実父の嫡妻むかいめであった巫女王は、世嗣ぎである息子達がある程度の年齢になると、入り婿であった夫を理由をつけて体よく追い払い、以前と同様、一族の束ねである側近とともに国を治めていた。

 娘の実父は、おおよそ懲りない、おおらかで人好きのする性格なのと、半端なく強かったこともあり、行く先々のクニで好意的に迎えられた。そのクニの長の娘を娶り、クニを豊かにした。そして、次々と新たなクニに出向き、一族を増やし、平和裡にその影響を拡大していた。娘の母は、ムナカタの姫だったと聞いた。が、早くに亡くなったため、実父は自分の母のいる熊野に預け、長男が養っていた...…らしい。
 実父は影響力はあったが、一つ処に居て力で周囲を支配すると言うより、方々に出向いて人の輪を拡げてまとめようとしていたように思う。

ーーヒルメ殿とスサ殿は違う。ーー

 それは当たり前のことだが、スサの王の拓いた土地をことごとく力で制圧し、我が物にせんとする、その執念には異様なものがあった。

ーー好いておるのか、嫌っておるのか..….。ーー

ーーまぁ、両方じゃろうな...ーー

 娘には、ヒルメの執念が、スサに対する執着の写しのようにも見える。歪んではいるが...…。

 「大陸から来たものは、みんな、そうなんじゃろうか..….。」

 娘の言葉に、男は思わず苦笑した。
 男の一族もかつては大陸からやってきた。大陸にも多くの部族があり、男の父はヒルメの父の一族に従って渡ってきた部族の一つであった。腹心とも言える立場だったが、ヒルメの父が土着の女王との婚姻に失敗しため、謀叛の疑いでその腹心を斬った。
 そして、その行為に対する罪を負って、男の父の一族は都を離れた。
 スサの王は、土着の女王と腹心の間の息子である。

 「我れも欲深いか、ナダ。」

 男は、娘の方を向き直り、じっとその目を見た。奥底から、爛、と光るその眼が、娘は好きだ。郷のものは皆怖いと言うが、その奥深いところにある静けさ、落ち着きが娘には心強く、一文字に結んだ口元も、はっきりした鼻筋も気に入っていた。

「おでぃは違う」

 娘は言った。

「剣も矛も盾も、皆の身を守るために蓄えてる。米も木の実も、皆のために、無駄に費やさせんのじゃ」

「分かっておれば良い」

 男は、大きな分厚い手で、ぽんぽん、と娘の頭を軽く叩いた。

「子ども扱いしおって..….」

 娘は、ちょっと不機嫌そうな顔をしたが、だが、そういう男の『優しさ』が好きだった。

「...…また戦に行くなら、子を置いていって貰わねばの」

 言って、娘は男の肩にもたれかかった。その手が、くしゃくしゃ..….と娘の頭を撫でた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

処理中です...