14 / 46
第1章 花衣
第13話 忍び草
しおりを挟む
カサリ---と窓の外で音がした。
夜半過ぎ、今宵は直義は戦の陣中にある。
頼隆はあたりに人影が無いことを確かめて、そ---と窓際に寄った。影がひとつ、過った。ほんの少し窓を開け、独り言のように呟いた。
「トビか--」
「御意」
微かな声音が応えた。
「兄上に遣わされたか---?」
トビ、というのは白勢の忍びだ。頼隆不在の今は、幸隆の采配下にある---はずである。
「殿におかれましては、一刻も早く、佐喜にお戻りめされますよう---」
頼隆は思わず苦笑した。殿---などと呼ばれるのは何時ぶりだろう。囚われてから、かれこれ一年になる。いや、もっとかもしれない。季節の移ろいは庭先の草木で知ることは出来るが、あまり気に留めることも無かった。
「救い出しに来た、か---。」
「先だってより、幸隆さまに仰せつかっておりましたが、なにぶんにも---」
「致し方あるまい。」
夜にはたいがい直義がいる。夜明け近くまで同衾しているのだ。近寄れば露見する。かといって、昼間は見張りが厳しい。
「不甲斐ない主で済まぬな、トビ。」
「殿---。」
それは本音だ。繋ぎを取るために先頃から様子を伺っていたなら、常日頃の有り様は、とうにわかってしまっているだろう。
「頼む、兄上には---」
報告はされたくない。知ってしまったら、あの兄は、とてつもなく苦しむに違いない。
「無論、にございます。」
忍びは、一段と声を潜めた。
「今宵は、直義どのはご不在にて---。」
ー逃るるには、またとない好機---。ーと忍びは、踏んでいた。が、頼隆の答えは、異なっていた。
「済まぬが、我れは行かぬ。」
「殿------。」
ー何ゆえ---ーそう言いたげな影に頼隆は呟くように言った。
「ここから、密かに出でて、後をどうする?
今の九神の勢力に、白勢が勝てると思うか?」
怒らせれば、即座に、ひとたまりもなく潰される。それでは、この屈辱を堪え忍んだ意味がない。何より兄の生命を危険に曝すようなことは出来ない。
ー我れが此方にあれば、佐喜は、白勢は、兄は守られる。それに---ー
佐喜には、もう自分の還る場所は無い。
当主は兄、幸隆で良いのだ。自分にはもう領主たる資格は無い。男の『妾』となった自分に治められる国は、無い。
「殿---。」
「案ずるな。我れは我れの力で、堂々とここから、出る。」
頼隆は、ぐ---と顔を上げて、自らに言い聞かせるように言った。
「兄上には、我れを信じて、今しばしご辛抱を---とお伝えせよ。」
「は---」
と、忍びは頭を下げた。
「では、行け---。」
言ったが、影は動かなかった。
「トビ---?」
「我ら忍びは、殿の直臣。少しもお力になるなら---」
「そうか---」
白勢の忍びは、当主の直臣。トビの言葉は、幸隆がまだ、『当主代行』に留まっていることを示していた。
ー兄上---済まぬ---。ー
その思いに、有り難さに涙が出そうになった。ーだが、戻れぬ。戻ることは出来ぬ---。ー
頼隆は唇を噛みしめた。そして窓の外に控える忍びに、ひそ---と囁いた。
「ならば、頼みがある。」
「何なりと---」
「諸国の情勢を、集めてくれ。出来るだけ詳細に。」
「は---」
「それと---」
頼隆は、小さいが、力を込めた声で言った。
「兄上に伝えてくれ---。白勢をお頼みもうす---と。」
「御意。」
何やら察したらしく、忍びは、深く頭を下げて、消えた。
ふと見ると、窓辺に、小柄が一振り、残されていた。紫檀の柄に鈴虫と露草が彫られたそれは、幼い頃に頼隆が欲しがった、幸隆愛用のものだった。いつも幸隆の刀の鐔に差してあった。竹トンボを削る手元を見つめる頼隆の視界の中で幸隆が微笑み、露草の葉が揺れていた。
じっと見つめる頼隆の眼から、涙が一筋、こぼれた。
どこからか、虫の音が幽かに聞こえてきた。
それは、とても寂しげに澄んで、いつまでも頼隆の心から消えなかった。
直義が戦から戻ったのは、その三日後だった。勝利の宴の喧騒が、大広間のあたりから聞こえてきた。頼隆は、湯に浸かって早めに寝すむことにした。酔った日の直義は、しつこい。さっさと寝た振りをしてしまうに限る。
近習の少年を呼ぶための鈴を手に取って、ふと桟敷の人影に気づいた。
「柾木?」
「左様にございます」
顔を上げた柾木の表情はいつになく厳しかった。
「そなたは、宴には加わらぬのか?」
「後ほど参ります。その前に---」
じろっ---と狐目が頼隆を睨んだ。
「懐のものをお預かりしとう存じます。」
ぎくり---として、思わず懐を押さえそうになるのを、なんとか堪えた。
「何のことだ?」
「お出しくだされませ。」
ー誤魔化しは、通じぬ。ーと鋭い眼光が、ますます鋭くなった。
「良いではないか。」
頼隆は、開き直った。
「別に直義どのの寝首を掻こうという気はない。」
「当然でございます。」
柾木は、冷たく言った。
「そんなことで、申してはおりませぬ。」
「自害もいたさぬ。」
反駁する頼隆に、柾木はなおも冷たく詰め寄った。
「なりませぬ。お出しくだされ。」
ふぅ---と深い息をついて、頼隆はしぶしぶ懐から小柄を出して、格子の上に置いた。
柾木はそれを恭しく手に取り、付いてきた近習の少年に渡して、目配せをした。
「小柄の一振りくらい、怖れずとも良かろう。」
「そういうことでは、ございません。」
むくれる頼隆に、ピシャリと言って灰青の狩衣が立ち上がった。
「すぐに湯殿のお支度をさせます、御前様。」
殊更に、語尾を強調して、柾木は今一度、頼隆をじろり---と見た。そして、少年が去ったのを確かめて、ボソリ---と付け加えた。
「密会は、感心いたしませぬな。」
チッ---と、頼隆は聞こえぬように小さく舌打ちした。忍びを支配しているのは、頼隆だけではない---と、灰青の背中が告げていた。
そして、何を告げ口したかは測りようも無いが、その夜は狸寝入りを暴かれて、直義に散々に啜り泣かされた頼隆だった。。
夜半過ぎ、今宵は直義は戦の陣中にある。
頼隆はあたりに人影が無いことを確かめて、そ---と窓際に寄った。影がひとつ、過った。ほんの少し窓を開け、独り言のように呟いた。
「トビか--」
「御意」
微かな声音が応えた。
「兄上に遣わされたか---?」
トビ、というのは白勢の忍びだ。頼隆不在の今は、幸隆の采配下にある---はずである。
「殿におかれましては、一刻も早く、佐喜にお戻りめされますよう---」
頼隆は思わず苦笑した。殿---などと呼ばれるのは何時ぶりだろう。囚われてから、かれこれ一年になる。いや、もっとかもしれない。季節の移ろいは庭先の草木で知ることは出来るが、あまり気に留めることも無かった。
「救い出しに来た、か---。」
「先だってより、幸隆さまに仰せつかっておりましたが、なにぶんにも---」
「致し方あるまい。」
夜にはたいがい直義がいる。夜明け近くまで同衾しているのだ。近寄れば露見する。かといって、昼間は見張りが厳しい。
「不甲斐ない主で済まぬな、トビ。」
「殿---。」
それは本音だ。繋ぎを取るために先頃から様子を伺っていたなら、常日頃の有り様は、とうにわかってしまっているだろう。
「頼む、兄上には---」
報告はされたくない。知ってしまったら、あの兄は、とてつもなく苦しむに違いない。
「無論、にございます。」
忍びは、一段と声を潜めた。
「今宵は、直義どのはご不在にて---。」
ー逃るるには、またとない好機---。ーと忍びは、踏んでいた。が、頼隆の答えは、異なっていた。
「済まぬが、我れは行かぬ。」
「殿------。」
ー何ゆえ---ーそう言いたげな影に頼隆は呟くように言った。
「ここから、密かに出でて、後をどうする?
今の九神の勢力に、白勢が勝てると思うか?」
怒らせれば、即座に、ひとたまりもなく潰される。それでは、この屈辱を堪え忍んだ意味がない。何より兄の生命を危険に曝すようなことは出来ない。
ー我れが此方にあれば、佐喜は、白勢は、兄は守られる。それに---ー
佐喜には、もう自分の還る場所は無い。
当主は兄、幸隆で良いのだ。自分にはもう領主たる資格は無い。男の『妾』となった自分に治められる国は、無い。
「殿---。」
「案ずるな。我れは我れの力で、堂々とここから、出る。」
頼隆は、ぐ---と顔を上げて、自らに言い聞かせるように言った。
「兄上には、我れを信じて、今しばしご辛抱を---とお伝えせよ。」
「は---」
と、忍びは頭を下げた。
「では、行け---。」
言ったが、影は動かなかった。
「トビ---?」
「我ら忍びは、殿の直臣。少しもお力になるなら---」
「そうか---」
白勢の忍びは、当主の直臣。トビの言葉は、幸隆がまだ、『当主代行』に留まっていることを示していた。
ー兄上---済まぬ---。ー
その思いに、有り難さに涙が出そうになった。ーだが、戻れぬ。戻ることは出来ぬ---。ー
頼隆は唇を噛みしめた。そして窓の外に控える忍びに、ひそ---と囁いた。
「ならば、頼みがある。」
「何なりと---」
「諸国の情勢を、集めてくれ。出来るだけ詳細に。」
「は---」
「それと---」
頼隆は、小さいが、力を込めた声で言った。
「兄上に伝えてくれ---。白勢をお頼みもうす---と。」
「御意。」
何やら察したらしく、忍びは、深く頭を下げて、消えた。
ふと見ると、窓辺に、小柄が一振り、残されていた。紫檀の柄に鈴虫と露草が彫られたそれは、幼い頃に頼隆が欲しがった、幸隆愛用のものだった。いつも幸隆の刀の鐔に差してあった。竹トンボを削る手元を見つめる頼隆の視界の中で幸隆が微笑み、露草の葉が揺れていた。
じっと見つめる頼隆の眼から、涙が一筋、こぼれた。
どこからか、虫の音が幽かに聞こえてきた。
それは、とても寂しげに澄んで、いつまでも頼隆の心から消えなかった。
直義が戦から戻ったのは、その三日後だった。勝利の宴の喧騒が、大広間のあたりから聞こえてきた。頼隆は、湯に浸かって早めに寝すむことにした。酔った日の直義は、しつこい。さっさと寝た振りをしてしまうに限る。
近習の少年を呼ぶための鈴を手に取って、ふと桟敷の人影に気づいた。
「柾木?」
「左様にございます」
顔を上げた柾木の表情はいつになく厳しかった。
「そなたは、宴には加わらぬのか?」
「後ほど参ります。その前に---」
じろっ---と狐目が頼隆を睨んだ。
「懐のものをお預かりしとう存じます。」
ぎくり---として、思わず懐を押さえそうになるのを、なんとか堪えた。
「何のことだ?」
「お出しくだされませ。」
ー誤魔化しは、通じぬ。ーと鋭い眼光が、ますます鋭くなった。
「良いではないか。」
頼隆は、開き直った。
「別に直義どのの寝首を掻こうという気はない。」
「当然でございます。」
柾木は、冷たく言った。
「そんなことで、申してはおりませぬ。」
「自害もいたさぬ。」
反駁する頼隆に、柾木はなおも冷たく詰め寄った。
「なりませぬ。お出しくだされ。」
ふぅ---と深い息をついて、頼隆はしぶしぶ懐から小柄を出して、格子の上に置いた。
柾木はそれを恭しく手に取り、付いてきた近習の少年に渡して、目配せをした。
「小柄の一振りくらい、怖れずとも良かろう。」
「そういうことでは、ございません。」
むくれる頼隆に、ピシャリと言って灰青の狩衣が立ち上がった。
「すぐに湯殿のお支度をさせます、御前様。」
殊更に、語尾を強調して、柾木は今一度、頼隆をじろり---と見た。そして、少年が去ったのを確かめて、ボソリ---と付け加えた。
「密会は、感心いたしませぬな。」
チッ---と、頼隆は聞こえぬように小さく舌打ちした。忍びを支配しているのは、頼隆だけではない---と、灰青の背中が告げていた。
そして、何を告げ口したかは測りようも無いが、その夜は狸寝入りを暴かれて、直義に散々に啜り泣かされた頼隆だった。。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる