種を蒔く

葛城 惶

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鯨祭《くじらまつり》

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 東の風が、頬を柔らかに撫でる。
 セイは、ゆっくりと腰を屈め、波打ち際に打ち寄せられた海藻を拾い、籠に入れる。
 もう、どれくらい拾い集めただろうか......ふと見ると、岩の狭間に、朱や紫の色が不似合いに揺れている。
 セイは、籠を傍らに置き、その色糸の招くほうに歩み寄る。

―また.....か。―

 と思った。頭を振り、大きく溜め息をついて、一歩二歩とそちらに近づく。
 色糸は、鎧の縅《おどし》だった。
 
 最近、頻繁に侍や女官らしきホトケさまが流れ着いてくる。この浜からずっと離れた沖合いで、大きな戦があった......と人づてに聞いた。
 浜の者は、その亡骸を引き上げ供養する代わりに、衣や身に付けていた飾り物を貰い受け、行商人に売って糧の足しにしていた。 

 だが、セイは亡骸を弔いはしたが、身に付けていた物は、そのまま、一緒に埋葬していた。

―おセイさん、勿体なくはないか。その櫛だって、かなり良いものじゃねぇか? 死人の物を身に付けるのが嫌なら、行商人に売っちまえば良いのに。―

―罰が当たるよ。きっと詮無い思いをして死んだんだ。三途の川の渡し賃まで取り上げるとは、とんだ鬼畜生だよ。―

 頑なに頸を振るセイに、世話役の源造も溜め息をついて引き下がるより無かった。
 セイの伜も、戦に行ってしまった。 
―きっと手柄を立てて、帰ってくるから...―
 浜一番の羽差し(鯨取り)だった。赤銅色の逞しい腕をぐっと曲げて、大きな力こぶを作ってみせた。
 日に焼けた頬には、まだあどけなさがあった。白い八重歯が愛嬌があって、垂れた目で笑われると何もかも許してやりたくなった。

―あの馬鹿息子....―

 呟く足下で、何かが動いた。
 はっ.....として見ると、波間に流れた縅《おどし》の傍らに人の手があった。
 岩を......しっかりと掴んでいる。

「あんたぁ、生きているのかい?しっかりおし!」

 セイは、力いっぱい、その手を引っ張り上げた。岩に引っ掛かって鎧の止めが外れたのが幸いしたのだろう。肩口から血を流してはいたが、まだ呼吸も確かだ。

「こっちにおいで」

 水を吐かせ、びしょ濡れの身体を抱き抱えて、あたりを見回す。幸いにも浜の外れのセイの棲み家の辺りには、他に人影はなかった。
 急いで、小屋の中に押し込み、囲炉裏に火を点けた。濡れた衣を脱がせ、身体を拭いて伜の衣を着せ掛ける。ぽたぽたと水を滴らせる髪は黒々として、まだ若者なようだ。

「ここは......」

 侍は、朧な眼差しで天井の梁を見上げていた。

「あぁ、気がついたかぇ。.....ここは佐治の浜だに。あんたさんは、何処からか流されてきたんだわ。.....早うに鎧が解けておったで、命拾いしたんだわ」

 まだ、得心のいかぬような若者の鼻先に木ノ椀を突き出して、セイはにぃと笑った。

「薄い粥だが、食べなんせ。暖まるだに...」

「済まぬ......」

 若者は、椀を両手で押し頂き、ずず...と啜った。

「ご婦人、ここは何処なんだ?」

 きょろきょろと辺りを見回す若者にセイは、苦笑しながら言った。

「ここは佐治の浜だがに。この小屋は、わいと伜が住んどった漁師小屋じゃ。余計者は来やせんて、傷が治るまで、あんじょう養生しいや」

「見ず知らずの儂《わし》にそのような情けを.....なぜ?」

 恐縮して身体を縮籠める若者に、セイは継ぎ接ぎだらけの着せ綿を掛けて、やはり小さく笑った。

「どこのお侍さんかは知らんが、生きておったんじゃ。若いお人はよう生命《いのち》を粗末にしたがるが、わいのような婆《ばば》には、そげな勿体ないことはさせられん」

「忝《かたじけ》ない...そのほうは、お子は?」
 
「おるよ」

 粗末な板張りの壁の隙間から入る冷たい風を網を幾重かに掛けて気持ちばかり塞ぎながら、セイは答えた。

「羽差し(鯨取り)をしとったが、手柄を立てるゆうてな.....もぅ何年も帰ってこん。諦めちゃおるが.....」

 セイの眼《まなこ》が遠い波間を見つめていた。

「伜が、鯨祭りで音頭を取る、あの姿がもう一度見たい.....」

「鯨祭り?」

「ほうじゃ。この浜には春になると鯨が仰山来てな。漁の始めに、鯨の神様に祈るんよ。儂らに糧をお与えください。殺生をお許しください、ゆうてな......」

「殺生......か」

 若者は、板間に視線を落とした。

「ほうや、わいら漁師や山の猟師やらは、生きていくために、仕方なく他の生き物を殺す。生きていくために、他の命を喰らわせてもろうとる。......そやから、鯨にも他の生き物にも、『ありがとう』ゆうて、手を合わせていただくんや」

 セイの口からまた大きな溜め息が漏れた。

「なのに、あんたらお侍さんは、理由もなく人同士で殺し合う...わいらには理解がでけん」

「済まぬ.....」

 若者は、深々と頭を下げ、ぽとりと一滴、涙を落とした。

「ええんよ.....」

 セイの皺だらけの手が、優しくその背を撫でた。

「あんたが、拾った生命《いのち》、大事に生きてくれたら、太助《たすけ》も、伜も救われようし...」

「太助...というのか、伜どのは」

「ほうや、佐治の浜の太助ゆうたら、羽差しん中でも一番やったんやで.....」

 誇らしげに胸を張るセイの肩が僅かに震えていた。若者は、じっとその背中を見つめていた。




 しばらく後、傷の癒えた若者は、源造の設えた小舟で浜を去っていった。
―助けていただいたご恩は決して忘れません―
 と深々と頭を下げる若者に、セイはにぃと笑って言った。
―生命《いのち》を大事に、な。それが一番や―


 そうして、幾つか年が過ぎ、春が巡ってきた。
 都では新しい公方《くぼう》さまが立ち、長い戦も終わった......と人づてに聞いた。
 セイは相変わらず、浜で海藻を拾い.....だが、もう見慣れぬものが流れてくることは無かった。痛む腰を伸ばして、彼方を見ると、こんもりとした青い背が波間に浮かんでいた。

「もうすぐ、鯨祭りの季節じゃのう.....」

 セイの背中越しで、誰かの呟く声がした。
 は.....っと振り向くセイの目がたちまち涙で滲んだ。

「お袋.....久しぶりじゃあ」

「......太助!?」

 にぃと笑うその顔は、いささかは男臭くはなっていたが、間違いなく伜の笑顔だった。

「無事だったんか、お前?!」

「お袋が次郎冠者さまを助けてくれたおかげじゃ」

 セイが浜で助けた若者は、朝敵討伐の侍大将のご嫡男。生きて戻ったことで、太助のご奉公する大将もみな活気づいて戦に勝利したという。

「次郎さまがな、お袋に礼をしたいというてな。わいに羽差し(鯨取り)の頭として、浜を治めよ、との仰せじゃ」

「では、今度の祭りは.....」

「ほうじゃ、わいが音頭を取る。次郎さまも、祭りが見たいとて、この浜においでになる」

「ほうか......」

 セイはぽろぽろと涙の止まらぬ眼《まなこ》で沖を見つめた。

「最高の.....最高のお祭りにせにゃあな....」

「おぅよ.....」

 セイの背中をしっかりと伜が抱いていた。
 ふたりの視線の彼方で、大きな背が高々と潮を吹き上げた。

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