十六夜国遊行録

葛城 惶

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四 貴公子vs龍王姫

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 Γ琉論ルーロン、ほうれんそうは忘れずに……といつも言っていますよね」

 ツカツカ……と歩み寄ってくるその姿は、美しいを通り越してもはや神々しい。
 なにせ、この琉論ルーロンの妻君は、龍王の血を引く貴きお方なのだ。すらりと伸びた背をスッと立て佇む姿には誰もが平伏すほどに眩しいことこの上ない。
 こんな貴い姫が何故に軽~く、威厳ナニソレオイシイノ?な貴公子にお嫁入りされたのか、皆が首をひねるところではあるが、いわく

 ー私に臆せずおもねらず、普通に笑いかけて話してくれたから……ー

 というのが理由らしい。
 まあ、ある意味わからなくはない。

 百合か菖蒲かと仰がれる美貌でありながら、実はこの十六夜国の誰よりも強いのだ。平素は楚々として慎ましやかな賢夫人でありながら、一旦敵の姿を見留めるや否や、大刀を小脇に抱え、真っ先に敵陣に突っ込んで片っ端から蹴散らすのだ。かの三国志の呂玲騎か孫尚香かと讃えられ、崇められる姫君に、夫君となった琉論ルーロンは相も変わらずヘラヘラと笑いかけた。

 Γだって、姫には龍の宝玉でみ~んなお見通しだろ?だったら別に言わなくても……」

 Γそういう問題じゃありません!」

 長く伸びた虹色の美しい爪で、苛立たしく卓を叩いて、ギロリと琉論ルーロンを睨む。その表情までもが高貴に映るのは、その高貴な血筋ゆえだろう。

Γあなたは山河家の嫡子なだけでなく、龍王の婿。同時に琉輝の父でもあるのですよ。もう少し自覚を持っていただかないと……」

 厳しい眼差しで諭そうとする姫君に、琉論ルーロンは笑顔を崩さず、はいっとアヒルの丸焼きを切り分けた皿を差し出した。

Γ姫も食べなよ。美味しいよ?……アヒル、好きでしょ?」

 ふぅ……と拍子抜けしたように息をつく姫君に、琉論ルーロンは白々しいくらいに平らかな声音で続けた。

Γ言わなかったのは悪かったけどさぁ……。でも、姫は強いし賢いし、しっかりしてるから、家のことは心配いらないと思ったからさぁ……」

Γでも……」

Γ大丈夫、浮気なんかしないから……。俺は姫ひと筋だからさ。
もし万が一ヤバいことがあっても姫が助けに来てくれるでしょ?」

 姫君は今ひとつ、はあぁ……と大きな溜め息をついた。

Γ分かりました。……お父上のご命令、しっかり果たしてきてくださいね。もちろん、お言葉どおり、浮気なんかしたら……」

Γしないって……。アヒル、食べないの?」

Γお客さまを待たせているので、帰ります」

Γお客さん?」

Γ苺花メイフォアが来ているので……」

Γじゃあ、胡麻団子でも買っていってあげなよ。……ここのは絶品だよ」

 ちょっとだけ眉をしかめて、だが琉論ルーロンは相変わらずにこやかに姫君に返した。

Γそうさせていただくわ。……酉月さん、胡麻団子と、それと油淋鶏をお願い。琉輝が好きなのよ」

Γ分かりました」

 酉月が姫君のオーダーににこやかに応え、厨房に小走りに去っていくと、姫君は今一度、卓の面々に目を走らせ、小さく息をついた。

Γなんか頼りないけど……呉明須、あなたも同行するのね?」

Γいや、僕は……」

 口ごもる書生の言葉を遮って、もちろん、と琉論ルーロンが頷いた。

Γ雅竜には姫からよろしく言っておいて。龍神族の伴侶の相手なら、彼ももう少し鍛えたほうがいいだろ?」

 あわあわと焦って止め立てしようとする書生をチラリと見て、姫君はふぅんと小さく頷いた。

Γそうね……。まぁ琉論ルーロンの陽キャにあまり染まり過ぎないように気をつけてね、呉明須」

Γはい、姫さま」

 仕方なく神妙に頷く書生に頷き返し、姫君は改めて東雲トンウンに向き直った。

Γ東雲トンウン叔父さまも、あまりはしゃぎ過ぎないように……」

Γあぁ、はい……」

 しれっと答える東雲トンウンに、姫君は白魚の指で額を押さえながら、呆れ気味で人間たちのやり取りを眺めていた黒猫たちに視線を移した。

Γウェイイン、あなた達も付いていってくれるんでしょ?……しっかり見張っていてちょうだいね」

 姫君に頭を撫でられて、黒猫は満足気に、にゃあとご機嫌な返事を返した。

Γまったく……ウェイインは姫に懐きすぎだぞ……」

 すこしばかり不機嫌そうに溢す貴公子に、黒猫は前足で毛繕いながらニヤリと返した。

Γ姫さまは龍王の血を引く貴いお方。われら人外の者には神も同然。傅くは当然であろ?」

Γそりゃあそうだけどさ……」

Γしかも武勇にも優れた、おぬしにはもったいなさすぎるような伴侶どのではないか」

Γ俺だって強いんだけど……」

Γ首根っこ掴まれて、戦場のど真ん中に放り込まれれば、イヤでも強くなろうよ」

Γ格好いいし……」

Γ不様だったり、不調法だったら、初めから嫁ぎはしませんよ」

 半分本気で猫と言い合う伴侶に些か呆れながら、姫君は胡麻団子と油淋鶏の包みを侍女に持たせて、再度、琉論ルーロンに向き直った。

Γいいですか?旅立つからには必ず父上のご命を果たして帰ってきてくださいね。……不埒な真似は絶対にしないように」

Γわかってるって……琉輝を頼むな」

Γでは皆さん、気をつけて……」

 すっ……と背を向けて立ち去る姫君の姿が扉の外に消えると、琉論ルーロンは、はあぁ……と盛大に息を吐いて、卓に突っ伏した。

Γ公子?」

Γもっと叱られるかと思った……」

 緊張の解けた安堵の息か、と皆んなが苦笑するなか、呉明須が半ば揶揄するように囁いた。

Γいいんですか、旅になんか出て……。姫さまを誰かに取られてしまうかもですよ?」

Γ大丈夫、姫は俺にベタ惚れやもん!」

 琉論ルーロンはガバリと卓から身体を起こすと、ふんす……とばかりに胸を張った。

Γそれに、あんな怖い姫さま、相手が務まるのは俺くらいなもんや。……まぁ嫉妬するとこも可愛いんやけど、他の奴らにはわからんやろ」

Γはいはい、ご馳走さまです……」

 公子の盛大な惚気に当てられながら、旅の段取りに頭を巡らせる一行だった……。
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