十六夜国遊行録

葛城 惶

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七 空飛ぶ鯨とテンタクル 3

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「本気ですか?公子ぼっちゃん……」

 パチパチと焚き火の火が爆ぜる中、高雪ガオシェイが何やら言いたげな眼差しで琉論ルーロンを見た。

「ん?だってほら……困ってる人は助けてあげなきゃだろ?それに大家の嫡子として、民の信頼を得るには実績を作らなきゃ。ゴウちゃん、もうちょい薪足して。寒いんだけど」

 琉論ルーロンは、呉明須に作らせた雑炊のお替りを啜りながら、しれっと言った。

「こんな吹きっ晒しの所にいたら、寒いのは当たり前です。得体の知れないもんが出てくるまで野宿だなんて……俺、屋敷に帰りますよ!」

「そう言うなって……。敵を知り己れを知れば……って言うじゃないか」

「敵を知る前に己れを知ってくださいよ……あなたは大家に大事に育てられて野宿なんてしたこと無いんだから……」

 呆れ顔で呉明須が鍋の雑炊を東雲トンウン高雪ガオシェイに取り分けて渡した。

「だいたい、この夕餉だって高雪ガオシェイと私がとりあえず近所の家から鍋を借り、野菜を分けてもらいに行って、東雲トンウンが焚き木を集めて、魚を釣って……あなたは何もしてないじゃないですか」

「え?私はほら、あの精霊から聞いた話を整理して、策を考えてたんだよ……。八本足でヌルッとした奴……」



 呉明須が眉根を寄せながら、残った魚の切り身をウェイインとランジャンの前に置いた。

 黒猫のウェイインは子猫に風が当たらぬよう懐に抱え込みながら、器用に前足で身をほぐして子猫のランジャンに先に食べろ……と鼻づらで示す。

「ウェイインは過保護だな、本当に……」

 話を逸らそうとする琉論ルーロンにふんっ……と黒猫が鼻を鳴らした。

「お前の家族ほどではないわ……」

「と、に、か、く」

 キリリと少し下がり気味の目尻を気合いで目一杯上げて、呉明須がまっすぐに琉論ルーロンを見詰める。

「夜具はありませんからね。凍死しても知りませんよ!」

「お前に睨まれても怖くなんかないよ。それにふわふわの生きた懐炉が……て、あれ?」

 琉論ルーロンはキョロキョロと辺りを見回す、が先ほどまで活きの良い魚を堪能していたはずの猫たちの姿が無い。

「ウェイインとランジャンは……?」

「ここですよ」

 首を巡らせると東雲トンウンが少しだけ長衣をはだけ、腋下にすっぽりと収まった二つの丸い頭を見せた。

「ズルいぞ、東雲トンウン。ウェイイン、こっちおいで」

 琉論ルーロンが差し出した手をパシッと丸っこい手が叩いた。

「断る。るーは寝相が悪いからいやじゃ」

 以前に屋敷の庭で昼寝をしていた時に添い寝のはずが潰されかけた過去を黒猫は忘れてはいなかった。

「そう言うなよ……じゃあランジャンおいで」



 子猫に伸ばした琉論ルーロンの手に黒猫が更に強烈な猫パンチを放った。

「ランジャンに手を出すにゃ!」

 なおも子猫に触れようとする琉論ルーロンに毛を逆立てて黒猫が思い切り牙を剥いた。

「そんなに怒らなくても……少しくらい抱かせてくれてもいいじゃん!」

「ダメにゃ!」

「ケチ……」

 仏頂面でむくれてはみるものの、ウェイインもランジャンもソッポを向いて、東雲トンウンの長衣の中に丸まってしまった。その猫たちを抱えながら、東雲トンウンが真顔で琉論ルーロンに問うた。

「本当にどうするんですか……」

 野宿など全く想定していなかった一行は夜具などもちろん持っていない。驢馬の世話で厩泊まりになる場合に備えて高雪ゴウシェンが持ってきた古い毛布が一枚あるだけだ。
 三人の成人男子がたった一枚きりの毛布にくるまって眠れるわけもない。

「そう言ってもなぁ……クシュッ」

 ブルリと身体を震わせて琉論ルーロンは小さくクシャミをした。
 夜更けの海を渡ってくる風は、思うより冷たい。取ってきた焚き木も残り少ない。
 はあぁ……と重い息を漏らした時、モゾりと黒猫が長衣の懐から顔を出し、耳をピクリと震わせた。





「誰か来る……にゃ」

「え?」

 陸のほうに顔を向けると、ポツリと小さな灯りが目に入った。
 一行が目を凝らす先でそれは少しずつ大きくなり、白綸子の手灯籠の中、微かに揺れる灯火になった。
 そして、一行を不思議そうに見る青年の柔和な面差しを映し出した。

「こんなところで如何がされましたか?」

「いや、その……」

 口ごもる琉論ルーロンに穏やかに語りかける青年の様子をよくよくと見れば、身なりも質素ながら整い、品のある面差しは農夫には見えない。ましてや賊の類には到底思えなかった。東雲トンウンは思いきって口を開いた。

「私どもはある物を探して旅をしているのですが……この浜に何やら異形の者が出ると聞き及びまして……」

「悪しきものを討伐するために、ここで待ち受けているのだ」

 琉論ルーロン東雲トンウンの言葉を遮り、ふんすと胸を張って見せた。が、残念なことに寒さで身体は小刻みに震え、凍えた口は容易に開かない。

「討伐……ですか?」

「そうだ。悪しきものが現れたら、私が一刀両断にしてやるのだ」

 勢いづく琉論ルーロンの言葉に青年が小さく首を触った。

「今日は出てきませんよ」

「え?」

 青年は少しばかり考えを巡らせるように黙っていたが、何やら心を決めたように口を開いた。

「ひとまず家に来ませんか?……こんなところにいたら風邪を引いてしまう」

「家?」

「少し遠いですが、……叔父上、いや主には私からお願いしますから」

 容貌風貌を見るに危険な匂いは無い。野盗の罠とは思えなかった。東雲トンウンは丁寧に礼をして問うた。

「失礼ですが、どちらのお家の方ですか?」

「諸葛家でございます。私は当主の甥で夏侯覇と申します」

 同じく丁寧な礼を返す青年、夏侯覇に、なぜか微妙に琉論ルーロンが顔を引き攣らせた。

「華孔明……」

「さようでございます」

 にっこりと青年は心なし誇らしげに微笑んだ。

「それは良かった。ぜひお世話になりましょう!」

「ぜひお願いします!」

 安堵し、身を乗り出す二人に反して琉論ルーロンはシブい表情で逡巡している。

「どうしたんです?公子ぼっちゃん

 訝る高雪ガオシェイの耳元でこっそり呟く琉論ルーロン

「だってあそこの家、お堅いんだもの……」


「そんなことを言ってる場合ですか!……夏侯覇どのよろしくお願い致します」

 呉明須に耳を引っ張られ、東雲トンウンに押さえつけられるように頭を下げさせられ、琉論ルーロンはしぶしぶ諸葛家に厄介になることを承知した。
 とは言え、屋根のあるところで夜露を凌げるのはありがたい。表情とは裏腹に俄然軽い足取りで琉論ルーロン一行は青年の後に従ったのだった。


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