やおよろず生活安全所

森夜 渉

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一章

7/二人だけ

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犬威に連れられ、向かった先は渡り廊下の途中にある中庭だった。
空が四角く切り取られたように広がり、日差しが差し込んでいる。
こんな所があったのかと驚いた。  
サンダルも用意してあったので履き替え外へ出ると、庭の中心に一本の木があり、日向が根元に座りもたれかかっていた。
宿直室の後からずっとそこにいたらしい。
「命、いいか?」
後ろから犬威が近づき、声を掛けたが。
「……」
答えない。
「朝霧君がな、みんなの供物、お前でいう昼の食事だ。それを作ってくれる事になった。彼女は用意する食材を買いに行きたいんだが、ここからでは遠くのスーパーしかない。付いて行って帰りの荷物を持ってあげなさい」
「嫌です……」
ポツリと。
空を見て日向は呟いた。
「行くんだ、行きなさい」
犬威の言葉は穏やかだが、有無を言わさない意志が感じられる。
「はぁ……」
溜息か、返事か分からない声を漏らし、フラリと立ち上がった。
「……」
トボトボと、黙って二人の所までやってくる。
「朝霧君にちゃんと付いていくんだぞ」
「はい……」
「帰りの荷物は必ず持ってあげるんだ」
「はい……」
「わかっているだろうが、絶対に外の回線にはつながるな。いいな」
「はい……」
日向は言われるまま、子供のように、はい、はい、を繰り返す。
だが、回線。
インターネットを指していると思うが、外の回線にはつながるなとはどういう意味だろう。
街中の無料wifiとかの事だろうか。
「では、行くんだ」
一通り説明が終わると、日向は蓮美の後ろに並んだ。
「朝霧君、これは俺と所の電話番号だ。何かあれば連絡してくれ」
犬威は手早くメモを書いて渡してくれた。
「車に気をつけて」
「はい」
彼は敷地の外まで出て見送ってくれたが、所から離れると急に心細さが襲ってくる。
日向と二人きりだからだ。
「そういえば……」
やおよろず生活安全所の付近は異世界だった、気を抜けば行きと同じ、また迷子になる。
でも。
和兎は言ってくれた。
「この土地があなたを認め、受け入れたという事なの」
自分にしか解けない魔法が解けたのだ。
そう信じ、蓮美は目の前に広がる道をまっすぐに進む。
進んだ。
「……」
構わず進んでみた。
「あ……」
景色は間違いなく変わっていく。
問題ない。
この環境へ自信が持てそうな気がした、持てないといえば関わりの持てない彼ぐらいだけれど。
ペタン、ペタン、と、数メートル後ろを歩く日向がいる。
蓮美は下駄箱で靴に履き替えたが日向はサンダルのままで出てきた為、ペタン、ペタン、と歩く度に音がする。
隣に並ぼうとはしないし好かれていないなと落ち込むが、自分も口下手で人見知りな所はある。
もしかしたら彼をイラつかせる要因があるのかもしれない。
会話を見つけて積極的に出るべきかと考えたが、例のエロゲーが脳裏をよぎり、湧いた煩悩をむしろ振り払いたくなった。
「まずは命の躍動を感じてみるといいかも」
あれだ。
和兎の言葉を思い出し、瞑想っぽく立ち止まって瞳を閉じてみた。
呼吸。
脈拍。
心臓の鼓動に意識を集中する。
吸った空気は肺へと流れ、血液に乗って体内を循環する。
循環している。
と、思う。
「うーん……?」
考えたがよくわからない。
修行が足りないと思い、また今度にしようと蓮美は瞳を開けたが。
「あっ」
日向が先を歩いている。
立ち止まったのはわずか数秒だ、スキを見て追い抜かれたらしい。
「むぅ……」
今度は自分が後ろを歩く事になった。
ペタン、ペタン。
日向が歩く度、静かな道に音だけが響き渡る。
ペタン、ペタン。
「……」
息苦しさを感じる。
何も言わない背中から伝わるのは拒絶。
話しかけるなという無言の威圧。
無意識に恐怖を抱くあの空気。
「日向さん」
耐えられなくなり、遠ざかる姿を追った。
「和兎さんから聞いたんですけど、日向さんは二十二歳だって聞きました。私も二十二歳なんです。同じ年だって知って……」
知って。
「同い年だから……」
だから。
言葉が続かない。
沈黙が怖い。
「だから……」
無視しないで。
「私……」
言葉を聞いて。
お願い。
「です……」
歩きながら、何かを言われた。
「え?」
「命でいいです、みんな僕を命と呼ぶので……」
「じ、じゃあ、命君でいいかな……?」
「……」
その場でピタリと立ち止まり。
「あ……、す……」
小声でモゴモゴと言っていたが。
「いいです、なら僕はあなたを蓮美さんと呼びます……」
振り向かないまま日向は、命は答えた。
「う、うん、わかった」
まともな返事がようやく聞けた。
初めて反応を引き出せ、蓮美は嬉しくなる。
勇気を出して良かった、このまま互いの理解が深まればいいと思う。
やがて目的のスーパーも見えてきた、迷う事なく辿り着いたのだ。
益々自信が持て、手応えを感じていく。
「混んでる……」
昼時という事もあり、店は混雑していた。
スーパーといっても一階が食品、医薬、日用品、二階は衣料、雑貨などもある。
ちょっとした大型店舗で品揃えに困る事はなさそうだった。
まずは頼まれた物から拾って行こうと、お茶のコーナーで玉露、お菓子売り場でべっこう飴、専用のカウンターでタバコを手に入れた。
次に、本日の献立のテーマ。
地の物、海の物だ。
大豆は地の物と悟狸が言っていたので、地の物とは土からできる物と解釈する。
なら、定番の味噌は欠かせないだろう、味噌は大豆からできている。
赤か白か悩んだので、無難に合わせ味噌を選んでみた。
次にメインのおかず。
「蓮美さん……」
出来上がりをイメージしつつ食材を探していると、意外にも命の方から声を掛けてきた。
「これはなんですか……?」
「それはキャベツだよ」
「じゃあ、こっちは……?」
「そっちはレタス、似ているようだけど違うよ。ほら、札にも書いてあるよね?」
「そうですか……」
値札の見方も命は知らないらしかった。
棚を覗き込み、キャベツとレタスを熱心に見比べている。
スーパーへ来た事がないのだろうかと、急に彼の背景が気になった。
ボサボサ頭にシワシワの服。
今までどうやって生活してきたのだろう、と。
「あっ」
シメジ、エリンギ、しいたけなどキノコ類が安くなっている。
「使えるかも」
手に取って炒めもの、煮物、和え物に入れるか悩んでいると、命がスゥッと近づいてきた。
「キノコを見つめて何を考えているんですかぁ……?」
意味は分からなかったが、クセのある言い回しに下ネタを含む意図が感じられる。
しょうもない知識だけは豊富らしい。
「特にないよ……」
商品をそっと戻し、相手にしなかった。
他には調味料など揃えてレジへと並んだが、会計直前で命がいない。
支払いを終える頃には戻ってきていたが、気になる物でもあったのだろうか。
カートもカゴも戻し、無事に買い物を終える事が出来て蓮美はホッとする。
帰り道、命は両手に買い物袋を持って隣を歩いていた。
相変わらず無言だったが。
「ありがとう命君、荷物を持ってくれて」
「これですか……?」
「うん、お米とか、味噌とか入ってて重いだろうし」
「いいえ……」
「すごく助かるよ」
「はい……」
それだけ言って、また黙って歩き出す。
心配したが、やせ我慢ではなく本当に重くはないようだった。
よく見れば彼は均整の取れた体型に鼻筋の通った顔をしていた。
ここで今朝方、神変鬼毒酒という酒を飲んで酔い潰れたのを思い出す。
あの時も確か、自分を支えた彼に見た目に合わず結構力があるんだな、と。
そこまで考え、見る間に顔が赤くなる。
男子と密着したのはそれが初めてだったからだ。
「どうかしましたか……?」
浮かんだ記憶をバタバタ払っていると、命が不思議そうに聞いてきた。
「なんでもないよ」
悟られないように。
気付かれないように、蓮美はその場を笑ってごまかした。

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