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その公爵嫡男、月光の寵愛を注ぐ
しおりを挟む振り返ると、相変わらずのその美しい顔で、シャルド様は悠然と微笑みを浮かべ立っていた。名高い“氷の貴公子”と呼ばれる男だが、いつもわたくしには氷を溶かすような笑みを向けている。
そんな男の登場に一瞬わたくしは固まってしまったけれど、直ぐに我に帰った。
しまった、とわたくしは姿勢を正したが完全に手遅れだ。わたくしの様子をどこか探っているような男の視線に心の内でもう一度しまった…と零した。
だがまだ顔見知りのシャルド様であっただけ救いだろう。そう思うことにしないとあまりにも恥だ。
先程の無様な格好を取り繕うように口元を上げ、背筋を伸ばす。
「今日は君の兄上に会場の華を奪われて諦めていたんだけどね。……シェリシア嬢とこうして月の光を浴びれるなんて、神は俺の味方だった」
甘い甘い砂糖を溶かし込んだ蜂蜜のような声で戯言を紡ぐシャルド様が、わたくしの目の前に立った。その距離は僅かで、どちらかが片足でも踏み出せば触れてしまうような距離だった。近い。近いけれど不思議と嫌悪感は一切感じられない。
すぅっと弓なりに細められた艷やかな黒曜の瞳がわたくしを取り込み、わたくしは思わずその端正な顔に魅入った。
………これだから顔が美しい方は罪よね。など、少し美形に弱いわたくしは揺れる心へ理由を与えようとする。そうあまりにも美しいからよ、と心の中でこの言葉を撫ぜれば幾分かは気分が落ち着いていく気がした。
でも顔だけではなく、数多の女性を思うがままに虜にする手慣れたシャルド様は、更に厄介なのだ。黒髪黒目の風貌のせいで、一見冷たい様に見えるシャルド様が微笑まれると、一発でノックアウトされてしまう。
第二王子さえいなければ、わたくしもあっという間にその瞳に囚われ、心を捧げていたことだろう。まだこんな魅力的な男に視線を捧げるだけで済んでいるのは、一重に王子の存在があるからだ。
「……シャルド様にお会いできてわたくしも光栄ですわ。王城以来でしたものね」
「あぁ、そうだね。あの時は大変だったよ」
話の話題が移りどうやらこれ以上シャルド様は先程のわたくしの様子を追求する気はないようで、内心安堵の息を吐いた。
いくらかは笑みを自然なものへと解し、提供される話題に言葉を返していく。
チラリと会場に視線を向けると、まだお兄様が来る様子はなかった。
会話も途切れることはなく弾み、物腰も穏やかで、わたくしが嫌がることは消してなさらないシャルド様は、まさに紳士の鏡だ。……どこかの王子も見習ってほしいわね。
そう思うと必要以上に強張っていた気持ちはいつものように緩んで、シャルド様の話に笑みを零してしまう。
照らされる月の灯りに包み込まれるかのような居心地のよさの中で、もう暫くはご令嬢達にお兄様を捕まえておくよう祈った。
* * *
「っ、シア!すまない、待たせてしまったね……」
どこかよれよれになった衣装で、疲れた表情に笑みを浮かべたお兄様が戻って来たのは、それから十数分程経った頃だった。きっと令嬢方にダンスを迫られ揉みくちゃにされたに違いない。
わたくしはそんなお兄様を見てもさっきみたいに混乱しなくて、思わずほっとした。お兄様のことを悪く思いたいわけでは決してないから。
しかしお兄様はわたくしの側にいたシャルド殿に気付くと、眉に皺を寄せて足早に私の元へ駆け寄った。隣に並んだお兄様がわたくしを隠すようにわたくしの前に立ち、視界からシャルド様が消えてしまう。
「……これはこれはシャルド殿。久方ぶりです。ご活躍の噂は耳に及んでおりますよ。……それで、貴方様とあろうお方が家の妹に何を?」
「お、お兄様…!」
あまりにも鋭いお兄様の言葉に思わずお兄様の腕を掴んで嗜める。心配して下さっているのは伝わるけれど、その心配は無用ですのに…!
シャルド様が気を悪くなされたのかどうか一抹の不安を覚えるも、お兄様はわたくしの前からちっとも動かないからシャルド様の様子を伺うことは出来ない。
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