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しおりを挟むわたくしを女神だと囁く者は、数えきれないほどいた。
アイリスが産声を上げ、その瞼を開いたときから。女神ラトラの生まれ変わりとして生を受けたのだと、銀色の髪と金色の瞳の誕生に国が湧いた。
忌々しい銀と金は、新しい生でも女神が染み込んでいた。
来世があるならば。アイリスは悪魔にでもなりたかったというのに。遺灰もきっと宰相は言いつけ通り、海に流しただろうに。
あれだけ呪ったくせに、愚図は、また同じ生をアイリスに与えた。あれもあれで、執念深いらしい。女の執着ほど、恐ろしいものはないわね。
アイリス=ウェルバートン。公爵の父と、国王の妹である母の間に産まれた姫である。特別美しく、特別麗しく。そして女神をもこき下ろす、特別苛烈な女だ。
とはいっても。散々社交界を荒らしまわった生前とは違い。社交界のデビューも果たしていないような幼いアイリスは、天使といった言葉が相応しい。羽が生えてもおかしくないだろう。そんなアイリスは、中庭を眺めながら思考に耽っていた。
それは今後についてだ。残念ながら前世と変わっているところは見当たらないように思える。国教として厚く信仰されている太陽神ラトラも、両親も、国王も、宰相も、何なら目下仕事に励んでいる庭師だって。ただの前世の繰り返し。幼い自分が何をしていたかはっきりと覚えているわけではないが、教育に追われていたことは間違いない。ただし、二度目な分、辛い教育に泣いてばかりいた前世とは違い、弱音ひとつ出て来なかった。今日の分の授業もとうに終わり、暇を持て余している。
おそらく。このまま順調にデビューを迎えれば、アイリスは花開いたように社交界の頂点に座る。そうして、いとこである三つ年上の皇太子と婚約が決まる。けれど好き勝手に振舞ったせいで、罪を重ねすぎ、アイリスは処刑されてしまうのだ。全ての栄華を失って、海の藻屑となる。
前世はそうだった。忌々しいことに。
けれど。同じ茨は踏まない。
このアイリス=ウェルバートンは恐ろしいの。とっても。アイリスの金色が極上に輝く。
「ねえ、お父様。お話がございますの」
今度は、全て手に入れる。
突然用があると言って仕事中の公爵の元に訪れたアイリスに、公爵は眉を上げ、怪訝そうな顔をする。幼いアイリスからの丁寧な謝罪を受ると、手短にと要件を聞いてくれた。
「わたくし、声が聞こえるんですの」
「声?」
「ええ。___女神ラトラの声が」
公爵は俄かには信じがたい娘の話に片眉をあげ、けれど妄言だと切り捨てはしなかった。ひとえに、アイリスの容姿が、女神ラトラの生き写しであるからだ。公爵とその妻の色を、アイリスはなにひとつとして引き継がなかった。顔のつくり自体は妻に似ていると思うが、妻は公爵に似ているという。けれど神の色を持ってうまれたアイリスはどこか人外じみたようで、生きた両親よりも石造のラトラに似ていると囁く者が多かった。
もちろんアイリスに声なんて聞こえていない。頭の中はいつも静かで、アイリスの美しい声だけが思考してくれる。
「ふむ。私の領分ではないな。教会に連絡を取ろうか」
「お待ちください、お父様。まずはラトラの言葉をお聞きになって」
「言ってみろ」
「『こんな愚図共、皆殺しよ』と、おっしゃるの。わたくし、とてもこわくてこわくて」
もちろん、ラトラは言っていない。適当にでっちあげた言葉であっても、公爵令嬢たるもの、ここぞというときには泣けなくてどうするの。苦労することなく、ぽろり、金色から美しい涙が零れた。
年相応に怯える娘を、じ、と公爵は見つめ、そして部屋の入り口で見守っていた執事にとある一冊の本を持ってくるよう指示した。公爵は席を立ち、泣くアイリスと共にソファーに座る。
すぐに持参された古い本をテーブルの上に開き、文字がびっしりと詰まったページを捲っていく。それは、女神に関する本だった。
「女神というものは、基本的に、ろくな奴はいない。知っているだろう?」
公爵は国教であるラトラ教の教えを守ってはいるものの、教会とは距離を置いていた。王家もそうだ。教会に力を持たせないよう、権力は常に調節されている。公爵に関しては、それだけではなく、信仰自体が薄そうだった。実の娘を女神としてあやかろうとする教会連中や貴族連中を、追い払ってくれているのもそのおかげだ。
「ラトラは特にそうだと言われている。太陽神王の娘であり、残酷な美しい太陽の女神。雨の女神と仲が悪く、水害に悩まされていた我が国はラトラ信仰が強く、国教として認められるまでに至った。しかし全てを慈しみ憐れみ、豊穣をもたらす雨の女神とは正反対に、全てを照らす苛烈さを持っている」
公爵がアイリスに本を向ける。そこには、女神たちが争う絵があった。
「ラトラは雨だけではなく、あらゆる女神と争っていた。土地を枯らし、大地の女神の怒りを買い、夜を眩い光で照らし、星の女神の怒りも買い、月の女神の怒りも買い、調和の女神の怒りも買い、主神の怒りを買い続けた」
前世のアイリスのようだと思った。その喧嘩を繰り返すことで、もちろん圧倒的な支配の上にも立っていたのだが。
まともな女神は少ないので、どの女神を信仰しようが基本的にろくでなしばかりだ。ならば、自分に都合のいい女神に縋っているのだろう。
「まあ、そんな女神だ。人間などどうなってもいいと言うのは、頷ける」
「ラトラは退屈なのだと言っていました」
公爵はじ、とアイリスを見つめ、小さく息を吐いた。
「少し検討してみる。この話は私以外にするなよ。教会にも行ってはならん」
アイリスの話を信じているのかどうかは分からない。けれど、それでいい。はい、と頭を下げ、礼をしてから公爵の執務室を辞した。
ほくそ笑む。
布石は打った。きっと、公爵は王に相談を持ち掛ける。教会がアイリスの言葉に触れないように。妄言だとしても、アイリスが囁けば、それは女神の言葉になってしまうのだから。
アイリスは、国の女神にも毒にもなれる。
ほら。
デビューはまだだというのに、皇太子との婚約が決まった。
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