変貌忌譚―マヨイツキ―

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◆一章 【マヨイツキ】

4-1【評判のパン屋】

 ◆◆◆



 ――町でも評判のパン屋がある。

 先代店主が『地元で美味しいパン屋をしたい』という夢から周囲の反対を押し切って海外へ修行に行き、知識を得て、技術を学び、資金を集め、夢を応援してくれた美人の幼馴染みと婚約をし、長年のひたむきな努力の結果として始めた店だ。

 その店では、こだわりの酵母や小麦といった厳選した素材はさることながら。都会ではなかなか運用できない大型の薪⁩⁦窯⁩まきがまを使い。客を飽きさせない工夫として普通のパンの他に四季折々しきおりおり限定の創作パンや、美味しいけれどウケ狙いの変なパン、日本では馴染みの薄い世界の名物パンなども楽しむことができる。

 店内の雰囲気もおしゃれで心地好く、愛されおじさん店主とその美人妻、その子供達の接客は親切丁寧で客の満足度は高く。週末は無料のパン作り教室などの催し物を積極的におこない、ある種の地域交流の場として努め。何よりも主役のパンが安くて美味しい。狭い町で評判にならない理由がなかった。

 商売が軌道に乗った辺りで、町に大きな災害が発生し数年間の閉業期間こそあったものの。やはり『地元で美味しいパン屋を続けたい!』と先代店主は家族で町に戻って来て、周囲の復興を手伝いながら、瓦礫と土砂で埋まった店をなんとか再建した。そんな熱意と誠意をもった美味しいパン屋は、寂れた地元でも今なお親しまれている素晴らしい店の一つだった。

 現在では先代店主の長女が店を継いで、家庭を持った三女と、夢を追いかける末っ子長男が小遣い稼ぎに手伝いに来ることで商いを続けている。

 店先には最近になり、病を患って数年前に引退した先代店主をモデルにした『コックコートのふくよかな男性』のマスコット人形が設置された。
 治療の甲斐もなく末期と進行した病により余命が僅かとなった先代店主の男は、マスコット人形の設置日に一見元気そうな様子で立ち会いに現れ、そのクオリティに集まった皆で大笑いして。それから程無くして息を引き取った。苦労もあったろうが、彼の人生は充実したものだったに違いない。

 ただ人生で『唯一の悔い』を最期の言葉に、先代店主は最愛の妻の所へと旅立って行った――。



 ◆



 ――町でも評判のパン屋がある。

 その店先には目印のよう、先代店主が現役の頃の姿をモデルにした『コックコートのふくよかな男性』の等身大マスコット人形が設置されている。
 人形は笑顔で麺棒とパンを持ち、店にやって来た人達を出迎えてくれて。人形が持っているパンの模型に好意的に触れてからお買い物をすると、その日はちょとだけ幸運が訪れるらしいと噂になっている。

 今やパン屋と共に町の名物の一つといえる人形。

 ドカンッ!! と強い衝撃で。

 突然それに、靴裏の跡が付けられた。

「嫌な人形っ!! 嫌な人形!!」

 憎々しげに蹴りを入れた犯人は、どことなく人形のおじさんと似た顔立ちをした、みだれ髪の女。

 彼女はそのまま【OPEN】から【CLOSED】と掛け看板がひっくり返された店の入り口を乱暴に開いて、ずかずかと店内へと押し入った。

 入店センサーがメロディーを鳴らす。

「お客さん? 看板を回してありましたよね?
すいません。今日はもう閉店していまして」

 おっとりした美人の女性が振り向く。
 胸に付けたネームプレートには店長とある。
この店を継いだ、先代店主の長女アカネだった。

「こんな店の!! 客じゃないっ!!」

「お客さんじゃあ、ない……?
じゃあ、あなたは、どういったご用でしょう?」

「遺産を寄越せよっ!! よこせ!!
権利だ! 貰うから! よこせ!!」

 みだれ髪の女は叫んだ。
 ぎょろりとした目で睨みを利かせ、唾を撒き散らしながら、腕に下げていた重量のありそうなハンドバックをぐるぐると振り回し始める彼女。

「何をしてるの?! 止めてください……!」

「遺産だ!! わたしのだ!!
よこせ!! よこせ!! わたしの!!」

 ガシャン! グシャ! バキバキ!

 振り回されたハンドバックが、店内に飾られている硝子の置物にぶつかってしまい粉々になる。
 置かれていたトングやバスケットが宙を舞う。

「……困りますよ、そんなやぶから棒に。
遺産? つまりはお金? 強盗ってこと?」

 そぉーっと、気が付かれないように。
 レジカウンター下にある非常時の通報ボタンを押したアカネは、相手を不要に刺激しないよう普段の接客と変わらず落ち着きのある態度で返す。

「強盗じゃない! 遺産ン寄越せっ!!
よこせ!! よこせ!! よこせ!!!」

 会話が通じているのか怪しい喚きの数々。
 女の叫び声に耳を塞ぐアカネ。

 酒か薬か、どちらにしろほぼ正気ではない。
 言葉が通じないタイプの人間の可能性あり。

 女は白髪混じりの、ざんばら髪で。えくぼが垂れた皺だらけシミだらけの顔。パンダみたいな隈のある目、大きく開いた口から覗く歯は何本か抜けている。
 腰が曲がっていて、肌の色は不健康そう。
 身なりも悪く。サイズの合っていない上着、ボロ切れどうぜんの布を身にまとい、糞尿や生ゴミやカメムシが混ざった刺激臭が店内に漂ってきた。

「ねぇお婆さん? お金はムリだけど、食に困ってたりするようなら売れ残ってるパンを好きなだけどうぞ。今回だけ通報はしないから、強盗なんかダメよ」

「ババァだあ!? ババァだと!!
ババァ? ババァ?! ババァだと!!」

 激昂する女。その手からハンドバックが勢いをつけ放たれて商品棚の一つを無惨に破壊した。

「……落ち着いてくださいね」

「うるさい! だまれ!!
じゃますんな!! うるさい!」

 なだめようとしたアカネにバックが当たる。
 見た目よりも重くて、衝撃と痛みに後退する。
 中にレンガでも入っているのか、十分に凶器だ。

 大切な店に向けられる理不尽な行為の数々。
 だがここで事を荒立ててもいけないと、アカネは唇を噛んで我慢をする。もうしばらくだけは。

「このパンなんて、オススメなんです。
ご試食いかがですか? これ食べたら、強盗なんて悪いことする気もなくなっちゃうんだから!」

「遺産だ! 欲しいのは!!」

 優しくパンを差し出されも、女は手で振り払う。
パンは床に投げ捨て、踏み潰してしまった。

「早くしろ!! 早くしろ!!
おい早くしろよ!! 早くしろ!!」

 商品棚から落下していた何個もの菓子パン、それらも見せ付けるように踏み潰されていく。

「ちょ、そろそろ……ちょっと許せないかな」

 さすがに我慢ならず、パンが嫌なら右ストレートでも差し上げようと拳を握ったアカネだったが、

「クソオヤジの遺産!! あんだろ!!
自分の分の遺産を!! もらいに来たんだ!!」

 女のそれを聞いて右ストレートを止めた。

「『クソオヤジ』え、パパのこと? え?」

「死んだんだろ!! クソオヤジ!!
知ってるぞ!! なら、寄越せ、遺産!!」

 アカネは数秒黙って女を観察して、

「まさか? ……キハルちゃん? なの?
そんな、なんで、そんなお婆さんみたいに」

 女の顔に昔の面影でも見付けたのだろう。

 実の妹、次女の名前を口にした。

「キハルちゃん、なんだよね……?
ごめんなさい、お姉ちゃん気が付けなくて」

「…………」

 もしや絶縁状態だった妹では?

「キハルちゃんなら、伝えたいことが!
あなた、キハルちゃん、なんでしょ……?」

「……! ……!」

 アカネの問いかけに、女は否定も肯定もしない。
 急に黙ってしまって。鼻息荒くハンドバックを振り回しながら、身体を小さな子供みたいに揺すり、長女のアカネへと無言で威嚇をしているだけ。

 そこで店の入り口が開いた。
 入店センサーが入って来た人間を検知して、メロディーを鳴らしたのとほぼ同時に、

「――ンぅごぶッ!!」

 女の頬に、背後から強い拳がめり込んだ。
 殴られ、女は壊されていない商品棚を巻き込んでガシャンごろんと床に転がって動かなくなる。

「なんだこの婆さん!? 強盗か?
俺達の店をめちゃくちゃにしやがって!!」

「いや待て、いきなり殴るなって愚弟!
店の被害広がったぞ。大丈夫だったアカ姉?!」

 現れたのは三女と長男だった。
 共に携帯に『店内の非常通報ボタンが押された』という通知が届き、慌ててやって来たのだ。

「アオリちゃん、ソウタくん。ありがとう。
でもその人、その。キハルちゃんかも……」

 長女の無事な姿に安堵の表情を浮かべつつも、そんな長女の言葉に沈黙してしまった二人。

「……キハル? キハル!? タチの悪い男に引っ掛かって、ママと大喧嘩して、仲裁しようとしたパパから金を盗んで男と逃げて、危ない薬か何かで男と仲良く逮捕されたとかいう五飯田家の出来損ないの次女のこと? この婆さんがそれ? うっそだー!」

 先ず沈黙を破ったのは三女。

「アオリ姉、あおるね。まあ俺も、出所したってのは聞いてたけど、お袋と親父の見舞いにも葬式にも連絡一つ返さなかった時点で、キハルは姉ですらない他人だと思ってんだけど。でもこの婆さんが本当にキハルだとしたら、さすがに原型なさすぎだろ?!」

 三女に続き、家庭の事情を口にした長男。

「うーん、しかし、どことなく……」

「まだ三十代だろ? なのにこんな婆さんに?
危ない薬の影響? だったら怖くね?」

 白目を剥いて気絶している様子の強盗女を観察する三女と長男に、アカネは状況を説明する。

「何度も言ってたの。パパの『遺産を渡せ』って。長女として、パパが死んじゃたのは伝えたから。それで来たんじゃないかな? お金が欲しくて」

「……だとしたらバカすぎる。やはり薬か。
一千万円だよ。キハルがパパ個人の財産ほとんど盗んで行っちゃったんだし、遺言でも『遺産はキハル以外の姉弟三人で分けてくれ』ってなってたのにさ」

「けどパパの最期の言葉――」

 腕を押さえるアカネの言葉を遮り、長男は首を横に振ってから、酷いありさまの店内を見回す。

「アカ姉、アオリ姉。まぁとりあえずさ、あの通報ボタン押したから警備会社と警察が直ぐに来るよな。正体不明の婆さんがキハルかどうかは後にして、縛って逃げられないようにでもしとこうか? アカ姉、あと腕怪我してるけど大丈夫なの――って言ってる側から逃げてるぞぉ!!」

「――み、見た目より逃げ足が早い!!」

「――キハルちゃん待って!」

 女は三人の隙を見て、バッと起き上がり。
自分自身が荒らした店から逃げて行ってしまった。



 ◆◆◆
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