変貌百伝忌譚―人知れず路地裏喫茶にお越し―

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◆一章【夜雨止み、行き悩み】

四人目…(結び)【絵の仮初めでも】

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 ◆◆◆



 ――落ちてしまったパレットを拾う。
絵に描かれていた親子の姿を眺めて、微笑む。
 微笑みながらも、物憂げに目を細めた。

 もうキャンバスの前には、店の中にも。
筆を取った女性の姿は、どこにも居やしない。
 居るのは、絵の中。親子の姿――。

 しばらくしてから口を開くヌイナ。

「まだ『生きてる人』を描いちゃいけない。そう言ったじゃないか。だって『意味が無い』から」

 自分で言っておいて「意味が無い?」と反復くりかえす
 ヌイナは「いや」と否定し、首を振った。

「でも描いてしまったというのなら、或いはこことは違う場所で意味を持つのだろうか? 仮初めの、叶わない人達の花見……これはそういう絵だから」

 振り子時計が鳴り始め、示し合わせた時分。

 絵の前でパレットの縁を撫でるヌイナに、店の奥から現れた誰かが歩いて来て、声を発する。

「――あの日も、急にこんな夕立が降り出した。
それで『母』は傘を持って……。そろそろ塾から帰って来る俺のことを迎えに行ったようです……」

 ソファーに置いておかれたビニール袋。
声を発した青年は、それを忌々しげに持ち上げた。

 振り返って青年の顔を見るも。
 彼の表情に、ヌイナはそっと目を伏せる。

「……だけど。行き違いになってしまったか。
ケンタロウさんは母の日の贈り物を買う為、普段の帰り道とは違う道を通って、迎えに来たお母さんと行き違いに。買い物を済ませた後に、急な雨に降られ、雨宿りをしている間に……お母さんは交通事故で」

 ぎりぃと歯を噛み締める青年。
そんな彼の背中を擦って、落ち着かせる。

「落ち着いたかな?」

「俺は、ダメな息子でした――」

「――キミのお父さんを亡くし、それから家庭は。
お母さんは変わってしまったんだったね?」

 彼は静かに頷く。

「母親は息子に『絵なんて描いてないで勉強しろ』『将来のため』と画家だった父親を忘れさせるよう。絵に関する一切を許さず、家の画材を捨ててしまい。とても厳しく接するようになった……ふむ」

 事前に聞いていた内容を言葉にしたヌイナ。

「当時の俺はそれが母なりの愛だと何となく分かっていても。受け入れられなくて。反抗的だった」

「幼かったのなら、仕方のないことさ」

「母も色々と辛かったんでしょう。芸大で出会って結婚した最愛の人を亡くし、自身の筆を折る程に」

「あぁ『私も絵を描くのが昔は好きだった』てね。
さっき彼女が言葉を溢していたよ?」

「あの前日、母と大喧嘩をして。とてもひどい言葉をいくつも叫んでしまった。俺は後から反省して、どうにか仲直りできないかと贈り物を思い付いた」

 青年は震える拳を、固く握った。

「けど贈り物が! そのせいで、会えなくて!
俺の寄り道が原因で、母は死んだんだ……!!」

「……そっか」

「息子として、まだあの母にできる事を。
何かできる事があるのではないかと縋った」

「そうしてこの御店に来れてしまったと」

「町のどこかにずっと母が居る気がして……。
噂になっている占い師を訪ねた。そしたら『行き違った息子を探し、さまよっている』のだと言われて。どうにかしたいなら『きっと協力してくれるだろう』とこの店を紹介されたんです」

「その占い師について、後で詳しく教えて」

 夜でもないのに御客様として訪れた青年。
その注文ねがいは母親の供養。暗い路地裏からの解放。

 息子との縁で、彼女だった残滓を招き入れ。
絵に興味を持つかもというので、絵の忌譚を使った。

 忌譚の事を詳しく聴いた彼女は、そこに込められた想いと自分自身の現状を悟り、自らを描き入れた。ずっと探していた、会いたかった息子と一緒に。

「…………」

 絵を覗き込み、青年はその瞳を腫らしていた。

「……ヌイナさん。これは『人の魂を喰う絵』のようなものだと? たしか言っていましたね?」

「間違いではないからね」

「母は、俺と自分を『呪いの絵』に描き込んだ。
つまり、俺の事をどう思っていたのでしょうか?」

「彼女は、絵の意味を理解していたさ。
これが生者には意味の無いものであるとも。死者を弔うという側面もあるということも。彼女は今まで自分の死の自覚こそ薄かったようだけれど、それら全てを悟ったからこそ……一度折った筆を取ったんだ」

「…………」

 何かを言いたげな顔だが、言葉に詰まる青年。
ヌイナはそんな彼へ「そういえば」と続けた。

「母の日の贈り物。それが入っているその袋。ケンタロウさんから借りたそれを僕は『大きくなった息子さんから』って渡して。彼女は受け取ったよ」

「俺、何度も、何度も。捨てようとしたんです。
でも俺は捨てられなくて。今日、持って来た」

 ビニール袋に入った箱。

「袋には贈り物のスカーフと、色鉛筆の箱が入っているんです。それと……あの日、雨宿りをしている最中に描いた親子オレたちの絵。全て母へのプレゼントで」

「なるほど」

「子供の頃。俺は絵を描く両親が好きだったんだ。
家族で絵に触れる休日が、何よりも大好きだった。
そう変わってしまった母に気が付いて欲しかった」

「なるほど、ね」

「あの……母は、怒っていましたか?
画材を捨てたのに。色鉛筆なんて贈って」

「いいや……むしろ」

「ッ……母は、怒っていましたか……?
約束を破って、俺が描いた絵なんて贈って」

「泣いていたよ。ありがとうって。ごめんねって。
だからこそ、受け取ったからこそ。彼女は筆を取り、贈られた絵と同じ『親子』を忌譚に描き込んだ」

「どういうことでしょうか……?」

「絵の中で、仮初めでも『再会なかなおり』できたんだよ。
本来この絵は、そう使われるものだったのかもね』


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